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2007-01-31

二律背反性

どの分野にも多くのなんちゃら理論がある。一つの分野に相反する理論が存在するのもよくあることで、人はあらゆる場面で二律背反性の中に生きているのだと思う。ある事柄について、まったく相反する考え方が存在して、そのどちらにも実証して人を納得させられるだけの十分なエピソードがある世の中。

一つの分野にA理論とB理論があるとして、A理論を説得づける実例も5万とあれば、A理論とは相反するB理論を説得づける実例も5万とある。というのは見方を変えると、A理論に基づいて生まれたAプロダクトをB理論をもって糾弾することはたやすいし、その逆をしてBプロダクトをとっちめるのだって簡単ってことだ。出来上がったものに対して、批判なんていくらだってできるものだ。

そういう世界に身をおき、そういう世界の性質をひしひしと感じながらそれでも誰かのために何かを生み出す人というのがいて、そういう人間の取り組みに支えられて私たちの生活は豊かさを手にしているのだと思う。よりクオリティの高いものをと熱心に研究して、さまざまな理論や考え方に出くわして、そこにある矛盾や不確実性なんて、作り手は作っている過程で百も承知だろう。

私たちがそれを手にできたということは、作り手はそれよりずっと前にうんうん考えた結果、ある決断をしているのだと思う。いろんな方向性やいろんな問題が浮かんでくる中で、放り出すこともなく、各種理論にへつらって行き先を見失うこともなく、一つの方向によし!と心を決めて、その上でそれを生み出し、私たちにそれを届けてくれている。それは、とても尊い試みだと思う。

ここで、Aプロダクトが世に出てきたとき、A理論に言及せずしてB理論でそれを糾弾することほど浅薄な行為はない。AとBの双方にいい顔したプロダクトなんてイイ面構えではない。B理論を考慮したAプロダクトはありだろうけど、AとBをまぜこぜにしたABプロダクトなんて魅力的になりえない。

私は、A、B理論とも知っているのに片方をもって糾弾することはしないだろうけど、無知なために偏狭で批判的なものの見方をしてしまう危険は十分ある。本当に優しい人になるためには、想像力とともに知性を養う努力が必要だと思う。楽しみながらこつこつ勉強します。

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コメント

感涙。
そうなんだよ。そしてその決断は孤独なのだよ。
うんうん。
わかってるねぇ。

その決断は孤独。
実践者ならではの、重みのある言葉ですねぇ……。(^^;

こういう尊い試みについて考えていると、ほんと目頭が熱くなってしまったりします。極上の“本当に優しい人”になれるよう精進します!

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