スーパーエッシャー展最終日
昔から絵をみるのは苦手だった。なぜかと問われれば、それはわからないからだった。でも数年前、こんな本の一節に触れて「あぁ、そっか」と脱力した。黒田三郎さんの「詩の作り方」(明治書院)という絵とは関係ない本だけど。
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抽象的な絵画のまえに立って、これは何なのだろう、何を意味しているのだろう、と言うひとは現在でもけっして少なくはありません。絵画を見て、その意味を問うというその見方から出てくる結論は、「さっぱりわからないなぁ」ということのようです。
こういうひとは、たとえばごく普通の、具象的な絵画を見た場合、そこに山があれば、これは山だと思い、そこにりんごがあれば、これはりんごだと思い、それで、何かがわかったと思うでしょうか。
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ふっと肩の力が抜けた。私は私の好きにみればいいんだと思った。そしたらなんだか一気に、ものづくりする人みーんなに対して心的距離感が縮まったのだった。自分と同じ人間なんだった、という感じがしたのだった。
今だって、私は絵をみて作者の意図や技巧を読み取れるわけじゃない。目はまったく養われていない。そういうのを読み取れる人には、本当に心から尊敬の念を抱いてしまう。
でもね、私もときどき、作り手の気持ちがまーっすぐ届いてきて、ふっと涙腺をゆるまされるようなことがあるんだ。どんなものをつくりたかったのかはよくわからない。でも、どんなふうにつくりたかったのか、どんなふうに暮らしたかったのか、なんとなく心の底の気持ちに触れさせてもらえているように感じる作品があって、そういうとき人とつながった幸せをじわじわぁーって感じるんだ。
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