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2006-09-30

ハンディキャップ

以前ここでもお話した(2005/6/1)、スノボで事故に遭って身体障害を負ってしまった男の子ですが、長い時間をかけてゆっくりと、でも確実に「難しいもの」を克服していっているのではないかと最近感じています。いまや事故から2年半以上の月日が流れています。

私が彼に会った当時の話(2004/10/16)の中で、彼が抱えている「難しいもの」といっているのは、わかりやすくいえば、事故前にはもっていた「彼の味」みたいなものが失われてしまっている、ということでした。

スキルや知識と違って、その人のもつなんともいえない味みたいなものは、一度失われてしまったら、もう取り戻せないものなんじゃないか、という気がしました。訓練して取り戻すようなものでもないし、そもそも何を取り戻せばいいのかもひどく曖昧で、どうにも太刀打ちできないように思ったのです。

ただ、そういう独特の味みたいなものがあってこその人間関係を、事故前彼は長い時間をかけて大切に築いてきたわけで、これをどう受け止めていくかは、彼自身にとっても家族や友人たちにとっても難しい問題だと思いました。

しかし、最近もらったメールの文中に、(こう書くと偉そうな感じになっちゃうのですが)とても広い視野で自分を見つめられているな、と感じるところがあり、あぁ、こうやって人は奇跡のように変化を遂げていったり、過去を克服して自分を取り戻していったりできる生き物なのかもしれない、と驚かされました。

会った当初は、彼の視界が自分だけの一人称か、自分とあなたの二人称どまりに感じられたのですが、最近もらうメールには短い文の中にも明らかに三人称的視点があって、ひらけたところから自分自身を客観的に見られるように変わってきたのだと受け止めています。

と同時に、事故前のそういう自分を取り戻していっているのかもしれないな、と思いました。私は事故前の彼を知りませんが、昔の彼を知る友人に聞いた話からイメージする「彼の味」を発揮するには、自己客観化に長けていることが一つの必須要素になっていると思うからです。昔当たり前のようにもっていたものを、時間をかけて取り戻していっているのかもしれない。そういう期待を込めて、私はカウンセラーという立場で静かに応援していきたいと思います。

2006-09-29

ジョン・カビラさんについて

世の中的にどれくらいの震度だったのかはよくわかりませんが、私にとっては大激震でした。J-WAVE開局(1988年10月)以来18年間(間に1年だったか充電期間がありましたが)にわたって放送されてきたジョン・カビラさんの「J-WAVE GOOD MORNING TOKYO」が最終回を迎えるというニュース。2週間前に発表され、今日がその最終回でした。テレビ界でいったら、「森田一義アワー笑っていいとも!」が終了するようなもんです。

私がこの番組を聴き始めたのは、一人暮らしを始めてテレビを持たなくなった90年代も後半に入ってからですが、それでも早10年の年月が流れており、その間職場を変えたり、住まいを変えたり、聴き始めた頃には隣にいた人も今はいなかったりで、たくさんの変化があったわけです。切ない、切ない。

なのに、カビラさんはいつもそこにいてくれて、元気でやさしい朝を届け続けてくれました。たくさんの変化の中で、変わらずにそこにあり続けるものが一つあるというのは、大きな支えであり、かけがえのないことです。

こういうのは、じゅんばんこなんだと思います。今度は私たちリスナーが、変わらずそこにあり続けるものとして、カビラさんの復帰を静かに待つ番なのではないかと。そんなことを熱く思ってしまうくらい、私は彼が素晴らしい人だと思っています。復帰がずっと先のことでも、またやりたいなぁって戻ってきたときにそこに自然と席が用意される、それくらいのわがままが笑って許されるくらいのことを、カビラさんは私たちにしてくださったし、戻ってきたときにはさらに人間的魅力に磨きがかかっているにちがいありません。

この方の「朝の声」の素晴らしさを、ただ快活さだけに言及して語ってしまうのは大変に浅はかなことで、彼がどれだけ豊かな人間性をもって世界をとらえ、どれだけ深い愛情をもって人と接しているか、その内面的素晴らしさがどれだけこの番組の支えになってきたかはちょっと筆舌に尽くしがたいものがあります。発信する情報、ゲストやリスナーとのやりとり、ちょっとした間にさえ、常に誠実な思いが込められていて、それを欠いた薄っぺらい言葉など発せられることは一度たりともありませんでした。だからこそ私たちは、彼の発する言葉に絶大なる信頼を寄せて、長く番組を愛聴してきたのだと思います。

いつの日かラジオ番組のナビゲーターとして戻ってきてくれることを静かに願いつつ、10月から始まる別所哲也さんの「J-WAVE GOOD MORNING TOKYO」を応援したいと思います。ちなみに、彼を一芸能人とみる人は少なくないかもしれませんが、舞台俳優として、またラジオのパーソナリティーとしても、プロフェッショナルに仕事をする人だなぁと私は思っています。大変なプレッシャーだと思いますが、こういうのはリスナー含めみんなでつくっていかないと始まりませんよね。物事を始めるときに、批評家なんていらない。私はそう思っているので、心から応援したいと思います。

2006-09-24

黒い神社とピンクの空

素晴らしい秋晴れ。玄関を一歩出ると、真っ青な空に吸い込まれそうになる。緑がさわさわとゆれて、日の光にきらきら輝いている。あぁ、なんてこの世は美しいんだろうと思う。そうして今日の小旅行は始まった。

中学時代の友だちと電車に乗って千葉県の香取神宮に行く。なぜ香取神宮なのかといえば、それは剣道発祥の地であるからであって、じゃあなぜ剣道発祥の地に行くのかといえば、そこにたいした理由はない。あるっちゃあるけど、ないっちゃない。とりあえずそういうきっかけがあって行ってみただけだ。

成田から1時間に1本ペースで走っている4両編成の電車に乗って、30分ほど行ったところの香取駅で下車。線路はもちろん単線で、駅にはもちろん屋根などない。降りたホームから単線をまたぐ吹きっさらしの階段をわたり、もう一方のホームへ。「駅構内」らしき開放的な公衆便所みたいな入れ物に踏み入ると、「使用済みの切符はこちらへ」と書かれたポストみたいなのが設置されている。使用済みなのか、もう、この切符。なんか、まだ使用済んでない感。

入ってから出るまで3歩ほどで済む無人駅の構内を抜けると、そこから地図をみて、いざ香取神宮へ。距離は30分くらいと書いてあるけど、実際に歩くと(ゆっくり歩いたのだけど)片道1時間くらい。お天気の日には実に気持ちよい散歩道。牧歌的な田園風景が続き、途中に古墳公園とかがあって、そこへの寄り道も楽しい。利根川を望める素晴らしい小山だ。

そしてまたずっとのんびりとした道を歩いていく。ほとんど車も人もない。のんびりのんびり、おしゃべりしながら歩いていく。この道中の風景を愉しみ、時間を愉しむだけでも、来てよかったと思える。

が、香取神宮に着いて、本殿が目に入ったときの「えっ」という驚き、大木の圧倒的な生命力には、来てよかった以上の想像をはるかに超えた感動を味わえる。本当に素晴らしい。人ごみのない中で存分に独り占めしてみられるこの荘厳な建築と自然の力には本当に圧倒されるし、魅了されてしまう。

さらに帰り道、一本電車を乗り遅れたので、次の電車まで40分ほど待たなくてはならなくて、駅への道をそれて寄り道を始めたところ、行く先に土手がみえた。あ、利根川だ!と近づいていって緑の中をかけあがると、一気に視界に利根川がででーんと広がる。はるか向こうの対岸には、でっかいビルなんて一つもなくて、民家がちらほら見えるだけ。

ちょうど夕日がおちていくときで、太陽の沈みゆく様をずーっとずーっと川岸の強い風に吹かれながら見届けていた。川が大海原のように広がっていて、それよりもさらに空は広くて果てしなくて、そしてどんどん表情を変えていった。

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なんというのか、こういうのは大切だ。何かちょっとしたきっかけを大切に、名もないようなところへ足を運んでみる(といっては香取神宮に失礼だが)。何かちょっとしたきっかけに自分で息吹を吹き込むことが大切なんだ。

(撮影:友だち)

2006-09-18

レベッカ 1985年のライブ

1985年12月25日に渋谷公会堂で行われたレベッカのライブ映像を見つけた。ここです。40分弱の映像で、見られるのは来月12日まで。

1985年っていうと当時私は9歳で、レベッカって知らなかったんだけど、これ聴いてよみがえる思い出は別にもっている。もうレベッカは解散した後だったけど、18、19くらいでよく聴いた。当時はカセットテープをつかってたっけ。音域がちょうどあって、カラオケでもよく歌ってたなぁ(↑こんな激しくじゃない)。

あの頃は、縁あって風変わりな個人商店のお好み焼きやさんでバイトさせてもらってた。とある音楽つながりで、幅広い年代のいろーんな人が出入りしていて、私にとってはあれが初めての社会との接点だったのかもしれない。全然仕事できないのに、マスターも常連の兄さん姉さんもすごくよくしてくれた。

1985年のレベッカのライブをみていると、1995年頃のいろんなことを、いろんな人のことを、とってもいとおしく思い出す。85年に生まれた音楽は、95年にも06年にもひとっとびでやってきて、人の心をじんじんとふるわす。音楽って時代を超えて、それぞれの人の中でほんとさまざまに広がっていくんだねぇ。

そして、あれからまた10年も経っちゃったんだ。ボーカルのNOKKOは、この映像から20歳としとっちゃったんだなぁ。20年って、すごい。でも、この映像をみていて感じたのは、「すごい昔の映像だなぁー」って思うのに、それと同時に、「そうそう、私もこの時代に確かに生きてましたよ」って感覚をあわせもっている不思議。10年前にはそんなこと感じ得なかった。これはきっと、30年生きたからこそ、30年分もっているからこそ、味わえる感覚なんだろうなぁ。

2006-09-16

プライベート

学生時代の友だちと会った。気のおけない仲間とは、まさにこういう人たちのことをいうんだろうという友だちだ。というのに、ずいぶんとご無沙汰してしまって、いったいいつぶりなんだろうと思い返してみたら、昨年のゴールデンウィーク以来、1年半ぶりぐらいになっていた。

実際会ってみると、みんな全然変わっていなくて(私にだけは言われたくなかろうが)、そんな会っていない気がしなかったんだけど、会って話していたら本当に心地よくて幸せな気持ちになって、私はこの1年半なんてもったいないことをしてしまったんだろうと心底思った。「失われた1年半」って感じだ。

話す内容には真面目な話もあればバカバカしい話もわんさかあって、話題は奔放にとんで、妄想話も際限がない。ただ、昔はよくしていたこういう会話を、私はとんとしなくなっていたんだと、帰り道に発見しておそろしくなった。頭の使い方も時間の使い方も、あまりに仕事に偏りすぎていて、明らかにバランスを欠いていた。そのことは自分でもわかっているつもりだったけど、おそろしさとともに実感したのは今日だった気がする。

私、長いこと「生活」をしていなかったんだなぁと、実感した。もう少し「暮らしを営みたい」と思った。いやぁ、我ながらおそろしいこと言ってるけど、こんなことを実感させてくれる友だちって、やっぱり貴重だ。

2006-09-14

バイオリズム

上向いてきた。トンネルぬけてきた。そんな感じがするので、勢いでこのままそう思い込ませて自分をさらってしまおうと企んでいる。基本バランス人間なので表立ってあからさまにどうこうということはなかったと思うのだけど、内面的にはここ2日間くらいでカチッとモード切り替わった感がある。

気持ちのもやが晴れていくのとあわせて、頭もものを考える筋肉に力が入るようになってきた。ここ数日ボツボツと紙にメモはとりつつも、体系化も物語化もできず散らかし放題にしていたのが、ようやく一枚の紙にまとめてがーっと落とせる頭になってきて、思考力やら集中力やらが現場復帰した感じ。こういう状態で、「さぁ、やるぞ」と目の前に広げるまっさらな紙は実に気持ちいい。

自分のしていることの価値や考えていることの妥当性、そういった自分の考えや行いに対しては、時々不安のような不信感のような思いがわいてきて、ひどくしょげてしまうことがある。いったんそう思い始めると、どこでけりをつけて戻ってくればいいのか、なかなか難しい。

「自分は正しい」と励ましてみたところでこれほど信用ならない言葉もないし、そうそう気安く人に投げかけられる問いでもない。関係者への配慮や問いかける相手への遠慮が先にたって二の足を踏んでしまう。それでしばらくルーチンの仕事をこなしながら、まとまりきらない仕事メモを残しつつ、プールの中や電車の中でひとり反省会を開く日々を送る。

でも、そういう波に揺られることも必要なんだろうと思う。無意識に自分を過大評価してずるずるという状態にはなりたくない。時には自分の考えや行いに不信感を抱いて、落ち込んだりもして、それでもきちんと反省して、そこからまたはい上がってこられたなら、そのほうがきっと足場をかためながらずっと先へと歩いていける。無駄なものをそぎ落としながら、より純度の高い、自分がより良しとするものへと移り変わっていきたい。

2006-09-13

ゼロ地点

土曜の晩に、とある展示会に訪れて気づいたことがある。私は人と話すとき、一対一で話すのが一番好きなんだけど、絵をみる行為も同じなんだなぁと。

以前同じユニットの展示会に訪れたときは、その日がオープニングパーティーだったこともあって、会場にはたくさんの人が集まっていて盛り上がっていた。でも私はそもそも大勢の人というのに苦手意識があるし、アートやデザインがわからないという自己認識も強いので(じゃあ来るなよって感じですが……)、足を運んだものの会場内を少しふらっとして早々に退散してしまった。で結局そこにある作品とも何の意思疎通も図れぬまま、会場を後にしてしまった苦い思い出がある。

それで今回はオープニングパーティーの翌日、土曜の仕事帰りに(懲りずに)訪れたのだけど、これが店員さんのほかひとっこ一人いない状態で、完全独り占め、時間をかけて一つひとつの作品とじっくり向き合うことができた。

そうして静かな空間に入り込んで、好き勝手にしゃがみこんだり斜めから覗き込んだり、時間かけたりかけなかったりしながら作品に触れていくと、私も自分なりに作品と対話できているんだなって感覚にさせてもらえて、あぁ、人と話すのとおんなじなんだと思った次第。

作品たちも私も、力まずに自然体で、お互いのことをわかろうとしていろいろとコミュニケーションを図っていく。さえぎるものが何もないところで向き合って、お互いの考えや思いを交換しあう。

子どもの頃からこれまで、私は自分に合わない空間で作品世界に触れることが多かったのかもしれない。今回行ってみて、私のような初心者こそ一対一で向き合える時間を選んで作品と触れ合うべきだったんだな、と学習した。

2006-09-12

重力ピエロ

「父が無能だったとは思わない。むしろ、逆ではないか、と推測してもいる。ただ、他人に能力をひけらかす種類の人間ではなかった。そして、他人に能力があることをひらかさない限りは、穏やかさだけが取り柄の、無能な人間に見えてしまう種類の人間だった」。

「重力ピエロ」で自分の息子にこう語られるお父さんに心揺さぶられた。その後、お父さんのしなやかな強さは、ぞんぶんに行間にえがかれていく。

読後に思う。自分の能力を認めてもらうことじゃなくて、自分の発揮した能力が大切な人たちの幸いに通じていくことに喜びを得られる人間でありたいと。能力っていうのは、認めてもらうために高めるのではなくて、発揮するために高めるものだと。当たり前のことながら、しみじみ思う。

自分と5歳しか変わらない「重力ピエロ」著者の伊坂幸太郎さん。彼が同時代に生きて作品を送り出し続けてくれることに心から感謝。私の人生をこの先も長く豊かにしてくれるにちがいない。

2006-09-11

本に折り目

バスタブに湯をためる。いったん部屋に戻ってきて、本棚の前に立つ。書店のカバーがついていて中身のわからない文庫本が並んでいる。どれも一度は読んだ本だ。あてずっぽうに一冊を選んで、一緒にお風呂場に連れていく。

私はいつも、本を読んでいて感じ入るところがあると、ページの端っこを折ってしまう。申し訳程度に。でも、連れてきた本にはなんだかしっかりと二重に折られているところがあった。何だったっけかなぁと、初めて読んだときのことを思い出しながら、湯船につかってページの頭から読み返してみた。

そうか、これを読ませたくて、私は今晩湯船につかりたくなり、本を持ち込みたくなり、中でもこの本を選ぶに至ったのかと思った。以前この本を読んだとき、ここに二重の折り目をつけたのも、今日という日にこれを私に読ませるための仕込みだったんだな、と一人納得してしまった。すごい。よくできている。

そういうのはおめでたいというか、怪しい発想なのかもしれないけど。いずれにせよ、もうこうなると自分の本に折り目をつけるのはやめられないだろう。

2006-09-07

責任なんて本当は

このところ頭の中がごちゃごちゃしている。平衡感覚がよろしくない。自分のカラダが傾いてるっぽい気はしているんだけど、自分がどっちにどれくらい傾いていて、目の前の世界がどっちにどれくらい傾いているのかがわからない。私はどこに地平線を求めて、何に対して平衡を保とうとすればいいんだろう。

独りよがりにはなりたくないけど、無責任にもなりたくない。義理で責任を負ってるわけじゃない。好きで責任を負ってるのだから、守りたいものたちのためには、見えないところだって義務じゃないところだって、責任をもちたいのだ。

本当に愛情深く生きていこうとすると、表情も笑顔だけじゃまかないきれなくなる。そう、しみじみ実感する機会が多くなった。昔、今の私くらいの歳の人が「愛情があるから人は怒れるんだ」って言ってたけど、あれはこれのことを言ってたんだなぁ。

責任なんて本当は、何の約束もない、何の言葉も語られないところにあって、ただそれを守りたい人間がたくさんの言葉を飲み込んで、たくさんの涙を飲み込んで、時には言いたくないことを言葉にして伝えて、歯をくいしばって必死で守っているものなんだと思う。ぼーっとそんなことを考えていると、どんどん目頭が熱くなっていってしまう。

そう極端にふさぎこんでいるわけでもない。それなりに距離のあるところに元気をくれる人たちがいてくれたりして、だからへたれこむわけにもいかず、かといって寄りかかるわけにもいかずで、どうにか踏ん張っているわけだけど、ときどき無機質な壁に寄りかかって、コーヒーをこくりと飲む静寂に救われる。

2006-09-03

朝プールと昼読書と

朝はプールで1kmほど泳ぐ。水の上にカラダを浮かべていると、それにつられてアタマも浮かんでくる。私の時間の多くは仕事にあてられていて、仕事をしているときはいつもどこかに着地しなきゃって観念によっている。それが水の中に入って足を浮かせていると、いつの間にかその観念から解き放たれていて、カラダもアタマも浮かんでいる。

アタマが着地点を必要としない。泳いでいるうち、そういう状態に移り変わっているのは、たぶんカラダのほうが足をついていないからだ。カラダっちが足をつかないで、それでもたのしくやっているんだったら、俺っちもきっと、今は着地することを考えなくていいんだろう。それくらいの信頼関係が、長年連れ添ったアタマとカラダの間にあっても何らおかしくない。

そんなことはまぁどうでもいいんだけど、とにかく水の中は気持ちいい。人に群れることが苦手な、けれどもさみしがりやなワガママ人間に、水泳はちょうどいいスポーツだと思う。水の音と振動がほどよくそばにいてくれて、人の声と影がほどよく遠くにいてくれる。

昼は本を読む。今日読み終えたのは森絵都さんの135回直木賞受賞作で、「風に舞いあがるビニールシート」(文芸春秋)。本の帯には「大切な何かのために懸命に生きる人たちの、6つの物語」とあるけれど、この本には他にも、一つひとつの短篇をつなぐものが感じられた。先入観とか偏見とか既成概念とか、人が知らぬうちに身につけてしまうものを、「そういう人いるよねぇ」じゃなくて、「あぁ、知らぬうちに自分も身につけてしまっているかもしれない」と、自らに抵抗なく、でも確実に省みさせる機会を忍ばせている、気がした。

「私は先入観をもたないことを信条としている」という人間ほど、もってしまっている自分に気づくことが難しい。私とか、そのいい例。そういう人間は時々自分で自分のことを省みたり、ときには何らか身につけてしまっていることを前提に一掃する機会を設けないと危ない。この本はすがすがしくそういう機会をくれる本。6作ともバラエティに富んでいて、3作目から独自の味わいが出てきて、そこから6つ目まで読み進めるほどに味わい深くなっていくという印象。

そして夜。週末やらなきゃいけないことは、これからやる予定。日曜深夜のラジオを聴きながら、そろそろ着地する予定。

2006-09-01

ものづくり第二考

一つ前のお話では、かなりたらたらと「ものづくり」について書き連ねたので、今回は少し早口の(私にしては)きびきびした語り口で話している風に。その割りにまた話が長いが、つまりこれが言いたかったのだという昨日の続き。

ものづくりっていうのは、本来誰しもがそれをする役割を担っているものだと思っている。役割って表現が適切なのかは正直よくわからない。ただ、義務ではないだろうけど、権利は誰しもが持っている、そういう感じがする。仕事というくくりで考えれば、やはり誰しもに求められている役割だと思う。

「ものづくり」というとどうも限定的な職種イメージがつきまとうけど、いかにもものつくってそうな職種の人に限られるものではないし、役職も関係ない。総務や経理といった管理部門の仕事だって、商品と違って形をもたないサービスをつくる仕事だって、ものづくりの要素がふんだんに詰まっている。役職をみても、社長は会社をつくる役割があるし、部長だって部のミッションをうまく遂行できるような仕組みや体制をつくり、ある部分ではプレイヤーとしても何かをつくる役割を担っているのが一般的だ。それがイメージできない仕事があるとすれば、それは単純にはたから見て分かりにくいだけの話で、要は見る側の想像力の問題だと思う。

つまるところ、ものづくりっていうのは、職種や役職ごとの「役割」にひもづいているものではなくて、一人ひとりの人に根付いていく「思考」なんだろう、と思う。ものづくり思考をもつ部長や総務職もいるし、それが薄めのアーティストや職人もいるだろう。

自分がものをつくっているときに何か相談とか質問を持ちかけると、ものづくり思考をもつ人というのはすぐにわかる。ものづくり思考な人は、自分がそれをつくるわけではなくても、またそれが自分が普段作っているものとは違う類のものであっても、普通にものづくり思考で話を聞き、答えようとしてくれる。

そういう頭の使い方がもう当たり前になっていて、ここがダメとか、ここがなんか違和感とかで完結せず、その後の「こうしたらどうだろう」といった答え探しまで頭を動かすことが基本セットになっている。答えのアイディアがないとしても、セットで提示できていないことに不足感を感じているふうで、どこかに着地させないと自分自身が気持ち悪い、みたいな雰囲気をまとっていたりする。

話を持ちかけた時点で、ものをつくりあげるという同じ方向を向いて話に参加してくれる。これは、ものづくり思考をもつ人の一番分かりやすい特徴かもしれない。もし昆虫採集するように彼らを多数捕獲する必要が発生したら(発生しないが)、これをして確実に精度高く一定量の捕獲が達成できるのではないかというくらい顕著な特徴だと思う。

実際話をしていてこれに出会ってしまうと、(仕事中なので怪しい感情表現は控えるのだが)静かに大いなる感動を味わう。あぁ、この人はものすごいものづくり思考な人なんだなぁと嬉しくなって、しみじみと幸せを感じる。そして私も、どういうフィールドの話に参加させてもらったときにも、こういう思考が当たり前の、ものづくり思考な人間でありたい、ずっとずっとあり続けたいなぁと、深く、深く思うのである。

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