道楽する
話すと意外に共感してもらえるので(共感してくれそうな人に話したんだと思いますが……)、今日は片蔭の話を聞いてください。
「片蔭」(かたかげ)ってご存知ですか。ここでも数日前の話で挙げましたが、強い夏の日差しのもと、通りの片側だけにできる日蔭を表す夏の季語だそうです。夏場って日差しがきついから余計に、一本の通りの中で日向の部分と日蔭の部分がくっきり分かれて目に映るじゃないですか。そのかげった方を「片蔭」と言うんですね。ちなみにうちの近所の商店街だと、朝駅に向かう時それは右側にあります。左側は朝っぱらからじりじりと日が照っています。
私は先週この言葉を初めて知ったのですが、それで実際俳句を詠んでみたりして、その過程で感じた「ぉおっ!」という心の揺さぶられようは、けっこう大きなものがありました。
というのは、その言葉を知ったその日から、私は日向と日蔭に分かれた一本の通りを目にしたとき、これまで名前のなかったその風景を「あ、片蔭だ」と呼び、さらにそれを見ることで「あぁ、夏だなぁ」と季節を感じるようになると思うからです。その日まではその風景を気にとめることすらなかったというのに。
あるものを知り、またそのものとそれに関わるものとの結びつきを知ることで、人はそれを知る日まで思い得なかったことを思い、感じ得なかったことを感じられるようになる。そう考えると、新しいことを知っていくってことは、本当に素晴らしいことなんだなぁ、と童心にかえったように思いました。
私にとって俳句は、始めて1週間の道楽に過ぎないわけですが、道楽に過ぎないことをもっているってことが、豊かな暮らしを営む上でとても大切なことなんだとしみじみ思います。何か新しいことを学んでいく純粋な面白さだとか、そこから生まれる広がりだとか味わいの深さだとか、じわじわにじみ出てくる感じがあります。入門書まだ一冊目。これからも楽しくゆっくり読み進めつつ、楽しくゆっくりその深みを覚えていきたいなぁと思います。
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まりさん、俳句を始められたのですね。
「片蔭」、、私も伺うまで知らない単語でした。不思議ですね、ものの名前を知ると、今まで名前がなかったものが、その「片蔭」という物として頭の中で言葉と一緒になって概念になるのですね。。
うちも母が俳句をやっています。NHKの通信講座か何かで毎月宿題の句を3つくらい作り、送って添削されて戻ってくるのです。「季語辞典」というようなものも買ってました。
短く限られた文字数の中で景色や情緒を詠む、、日本って本当に風流で「言霊」を大切にする文化だと思います。。
まりさんの俳句も、また披露してくださいましね。。
投稿: ベル | 2006-08-16 20:34
ベルさん、そうなんです。俳句を始めたんですよ。私もそろそろ歳時記を買おうと思っているところ。ほんと、言葉の力って偉大ですよね。
でも私は(仕事の反動なのか)俳句に関しては道楽魂が強くて、添削してもらうなんて厳しい世界には足を踏みいれる気がおきません……。
ごく単純に、自分の内側にわいてきた思いやらなんやらを、そのときの季節に乗せながら思いめぐらせて表現できる俳句そのものに魅力を感じているってとこなんですよね(向上心薄)。たぶん私、ものすっごい原始的な人間なんだと思います。。気ままに詠んでいくことと思いますが、これからも気ままにおつきあいくださいましな。
投稿: hysmrk | 2006-08-16 22:07