新米×ベテラン×常連客
その日、仕事の合間にほぼ毎日通っているスターバックスへ行くと、レジの前に新米の女の子が立っていた。私がいつもの注文をしようと口を開きかけると、脇からベテランのお姉さんが「チョコレートチャンククッキーとショートアメリカーノ」、そう少し強めの語調で指示を出した。私は「あぁ……、はい」と照れ笑いするような格好で、ベテランお姉さんの代弁に同意の言葉を添えた。
なんというか、ベテランのお姉さんもたてないといけないし、でも私が向き合っているのは新米の女の子のほうなのだから彼女に注文をしたいし。とすると、「あぁ……、はい」という同意は新米の女の子に向けるべきなんだけど、同意すべき対象はベテランのお姉さんだし。それだと、どっち向けばいいんだ?とか、そういうことをあれこれ考えながら、そういうことをあれこれ考えつつレジ前に立っている客ってどうなんだろう、と後ろのほうでまた別の私が傍観していたりした。
私の注文はこのセットが定番なので、店員さんによってはレジに立つやいなや「いつものセットで?」と声をかけてきたり、姿を見せた時点でカフェアメリカーノを作り出したりする。会社近くのお店では「いつものセットでよろしいですか?」っていうのが定番で、おうち近くのお店では「そうかなぁと思うんですけど、やっぱり最後まで聞いちゃうんですよね」と言って、毎回私の注文を聞く。
人によって好みがあると思うけど、私はどっちも好意的に受け止めている。前者はちょっと気恥ずかしいけど、ありがたいことだなぁと素直に思うし、自分がもてなす側だったら、たぶん後者をベースにして、お客さんが前者を好んでいそうな場合はそっちに切り替えるようにすると思う。
結局、もてなす側にももてなされる側にもいろんな人がいるし、別に一つの答えがあるわけじゃないと思う。大事なのは、よりスムーズでより心地よいコミュニケーションに向かっていること、お客さんが注文を変えられる遊びを残しておくこと。目的がぶれなければいいんだと思う。
そういう意味で、今回は明らかに、目的が手段に打ち負かされていた。お客さん役である私は完全に置き去りだった。注文を変えられる遊びは残されていないし、こんな光景を目の前にしてしまっては、やりとりに心地よい余韻が残るわけでもない。彼女はただ、自分の力を新米さんと常連客である私にしらしめたかっただけ、そういう欲に飲み込まれた格好になってしまっていた。
そこで自分に負けちゃだめだ。そこで飲み込まれちゃダメだ。そこが踏ん張りどころなんだよ。そう、なんだか応援したくなってしまった。こういう場面が一番、一時的に目的を見失いかける難しいポイントなんじゃないかって思った。新米さんが入ってくる前まではもてていた純度100%のホスピタリティが、外的な環境変化によってにわかにバランスを崩していく。
そこで何が本当に大事なことか、本当に大切にしたいことは何なのか、改めて自分の立ち位置や目指す方向を冷静に見つめなおしてみて、本来目的に立ち返ることが必要になる。もしかすると一度その穴に落っこちて、そこから這い上がったときにこそ、本当に本物になれるのかもしれない。
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