俳句の季語に思う
俳句にはなんで季語があるんだろうって、ふと思った。だって考えるの大変じゃない?制限があるから創作しやすい面もあるんだろうけど。とはいえ大変。
でもよく考えてみると、俳句は「季語を入れること」という決まりをもつことで、日常のものだったり事象だったりとそのときの季節を関連づけようと人を思考させているんだよね。季語という決まりがなかったら、人は日常の物事から季節を感じることをもっと怠って生きてきたんじゃないかしら。
そう思うと、季語を設けた人ってすごいなぁって思う。俳句をつくろうと思うと、おのずと「日常から季節を感じよう」という所作に導かれていくように仕組んだんだなぁ(いや、ものすごい勝手にいってますけど)。
となると、季語って面倒くさいどころか、なんて素晴らしい約束事なんだろうと思う。意味があるんだよね、何事にも。価値があるんだよね、あれにも、これにも、それにもさ。価値は探し出すもの、見つからなければ生み出せばいい。
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