気分爽快な二日酔い
週のあたまっから二日酔いになった。月曜の晩、個人的な仕事でお世話になった方々との宴会があり、これくらい酔っ払ったのって何年ぶりだろうって前回の記憶をたどれないくらい久しぶりに、しっかりと酔っパラッパ。
なんでそうまで久しぶりだったかって、まぁ以前よりお酒を飲む機会が断然減っていることもあるし、お酒を飲んでもそう無理な飲み方はしないようになったとか、いろいろあるんだろうけど、最近でいえば「それなりに気を張って飲む」のが常態化していたっていうのもあるんだろうな、と振り返ってみて思う。
最近でお酒を飲む機会といえば、仕事上のイベントの後の打ち上げ的な場がほとんどなのだけど、私は基本的に一対一で話すのが好きで、人数が多くなるのに比例して萎縮度がアップするので、そういう場ではたいてい所在なしになる。さらにそこはWeb制作者の集いであって私は否である。萎縮度割増である。とはいえ、小確幸(小さくとも確かな幸せ)みたいな出会いがある貴重な場だし、場を共有することで時代の空気感を体感していくのは大事な気がするので、これからも端っこで頑張ってみようと思っているのだけど。
が、今回は(その場ではまったく無意識だったんだけど)なんだかすっかり気を張らずに飲めていたようだ。それも幹事だったのに……。それはなぜかって考えてみると、私もメンバーの一人としてプロジェクトに参加して、一緒にゴールまでたどり着いたというみんなの共通認識があるって前提が、私にとって無意識にも大きな支えになっていたと思う。自分もここに座っていてもいいんだ、という安心感みたいなもの。という時点でかなり弱だよなぁ、私って……。
そして、8人といえど最近では少人数といえる、それも知った仲の会合だったこともある。思い起こせば、一対一とか少人数でお酒を飲むって機会ってほとんどなかった気がする。さらに、その場にいた人たちが皆よっかかっていいよって先輩方だったので、本当に寄っかかってしまったんだろう。人としての温もりや器の大きさが感じられる人たち。圧倒的に自分より大きい器をもっている人たちの前では、気を張らずに、下っぱの心地よさを味わえる。私も若い人にそういうふうに思ってもらえるような大人になりたいなぁ。そして、先輩がたにはいつまでも時々よっかからせてもらえるような下っぱでありたい。
« 健やかな名前づけ | トップページ | 焼き肉屋と帝国ホテル »
コメント