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2006-07-23

健やかな名前づけ

名前をつける場面は赤ちゃんが生まれたときだけじゃない。世の中にはいろんなことが起こって、私たちは日常的にそれに一つひとつ名前をつけている。

例えば、ある人が「怒りがある」と言ったとき、同じ事象に対して自分の中に生まれたものに「悲しみがある」と名づける人もいれば「不満がある」「不安がある」と言う人もいる。「問題がある」とも「解決すべき課題がある」とも名づけられる。「いいアイディアが思いついた!」と言う人もいるかもしれない。

何らかの事象に向き合ったときに、それにどのように名前をつけて受け止めるか、外に表出するかは、とても重要な分岐点になる。

潜在的な生命力をもって名前をつけてほしがっているような事象を、ある場面からすくい上げて、それに名前をつけるとき、私はより健やかな名前をつけていきたいと思っている。人はその名前に多かれ少なかれ行動を規定される。視野・視点も影響を受ける。自分も、その名前にふれる周囲の人たちも。

事象に名前をつけるとは、世の中を、自分の目を通してどう能動的に受け入れるかということ。私は嫌いという言葉は極力使わないようにしているけれど、人をマイナスのスパイラルに巻き込んでいくような名前づけは嫌い。より健やかに生きるために、前に進むために、自分もみんなも幸せになるように名前をつけて、それと関わっていきたい。

世の中を健やかに受け止めるために、言葉は哲学的に重要な意味をもっていると思う。想像をはるかに超えて強大な力をもつもの。人を築くもの。だから、私は実はものすっごいこだわって日常語をしゃべっている(ことが多い)。言葉フェチと呼ばれる所以でもある。

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