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2006-07-31

歴史的な連続性

世の中っていうのは、歴史的な連続性の中で段階的に進化を遂げてきたんだと思うんです。例えば「ぎゃふん」ですが、この言葉は何の歴史的背景もなくいきなり言葉として誕生したのか。「ぎゃふん」は、語源由来辞典によれば「ぎゃ」と「ふん」という2つの感動詞から生まれたもので、「ぎゃ」は驚き叫ぶさまを、「ふん」は「ふむ」と同じ承諾を意味するそうです。驚き叫んで承諾。「ぎゃふん」だって、そういきなり「ぎゃふん」と出てきたわけではないのです。

つまり、世の中のいろんなものは、人間があるものとあるものを関連づけ、組み合わせて、それまでよりちょっと新しいものを創造して、それが歴史の中で何度となく繰り返されて進化を遂げてきたんだよなって最近よく思うのです。どんな偉大な発明も多かれ少なかれそういうことなんだろうと。

人間はときに驚くほど高くジャンプすることもありますが、それでもいきなりどっか全然わけのわからないところにテレポートしちゃうようなことはないんじゃないかと思うのです。移動手段にせよ通信手段にせよ表現手段にせよ、すべては歴史的な連続性の中で実直な進化なり発展を遂げてきたんだろうと。

例えば、電話機を発明した人がいなければ携帯電話は生まれなかったし、地球を見つけてくれた人、地図を作ってくれた人、インターネットを作ってくれた人がいなければ、Google マップだってできなかった。

でも、これを逆方向からみると、ベルやエジソンがいきなり携帯電話を発明することもなかったし、地球を見つけた人、地図を作った人、インターネットを作った人も、Google マップは作らなかったわけです。

つまり、その時代時代に生きる人がそれぞれ、歴史的な連続性の中で、その時代にできることをやってきた、その積み重ねが時代をつくっていて、その積み重ねの上に私たちは立っているんだなぁとしみじみ思うわけです。歳でしょうかね……。

だから何が言いたいかっていうと、ささいなことでも日常的にあるものとあるものを関連づけて何かを創造するって行為は、とても大切なことなんじゃないかってこと。メロン×生ハムでも、インターネット×広告でもいいんですが、そういう関連づけの思考と、組み合わせの実践、創造する挑戦を大切にしたいな、と。それが自然淘汰されて次の世の中を創っていくんだろうなぁと、しみじみ。

2006-07-30

2006 ADC展

昨日の晩餐は新橋だったので、少し早めに家を出てギンザ・グラフィック・ギャラリーに立ち寄った。ぎりぎり昨日まで2006 ADC展が催されていたのだ。

主催者の言葉をかりると「2005年5月から2006年4月までの一年間に発表されたポスター、新聞広告、雑誌広告、エディトリアル、CI、マーク&ロゴ、TV‐CFと多様な分野からの約10,000点を超える応募作品の中から選ばれたグラフィック、広告作品の最高峰」がADC賞、その展示会である。

私はテレビも持っていないし新聞もとっていない、読んでいる雑誌も限られているので、ほとんどが初めてみる広告で、ちょっと人と違う観点でも見ごたえがあったりする(あまりえばれることじゃない)。

私はたぶん、アートよりデザインのほうが好きで、コミュニケーションを目指す広告表現、とりわけコピーに個人的興味が向く。要は、いつでも「人」に興味の主軸があり、絵的なものに近づけば近づくほどわけがわからなくなる、といったところ(つまり美的センスがない)。

ただ、絵的なものを表現する「人」への関心は強いわけで、そういう人たちに敬意を払うからこそ、彼らへのキャリア支援を仕事にしている。だから、クリエイターさんの目をもっていろんな人の作品世界を深追いしていくことはできないけれど、私は私で創り手の“気持ち”に深く入っていける感受性みたいなものを磨いていきたいなぁと思っている。また、それを受け入れて十分な器を自分の中に育んでいきたい。

ものづくりする人の強く危うい意志だとか、何かに向かっていく姿勢とか、もののとらえ方とか思考・感受の仕方だとか、生みの苦しみを乗り越えるときの試行錯誤や気持ちのありようだとか、仕事としてそれをするときに起こる葛藤だとか。いわゆる「作品」に限らず、人のアウトプットに触れるときには、そういうアプローチでみることが多くなった。

今年の夏休みの自由研究(昨年はロンドン一人旅)はこの辺をテーマに考えたいなぁと思う。漠然としているけれど、作品の向こうに人をみる感じで、何かを吸収して仕事に還元していければ嬉しい。

2006-07-29

焼き肉屋と帝国ホテル

今日はひと月に一度の家族で食事会。今月は妹が幹事の月で、なんでだか新橋のガード下の焼き肉屋さんに呼ばれた。先月の食事会の後、次回は何がいいかと母に尋ねたら、たまにはお肉がいいと言っていたからだと思うが、その時母が言っていた「お肉」はこっち系ではなかったように姉は分析する。

実際行ってみたら、両親ともちょっと唖然とした感じで席に腰を下ろしていた。顔をあわせて第一声、父が私に言ったのは「上に電車が走ってるよ」だった。

妹は10分ぐらい遅刻してきた。いつも通り。家族がいつも通りなのは嬉しい。家族はいつも通りなのが一番嬉しい。それが、幹事なのに10分遅刻してくるというのでも。「相変わらず元気にやっているんだね、妹よ」と幸せになる。

そして実際のところ「THE 庶民」みたいな一家なので、ものすごいしっくりと馴染んで、たいそうくつろいでガード下の焼き肉をたいらげた(ガード下といっても、一応屋根もありましたし、内装もきれいなところでした)。

それでもやっぱり、せっかく東京に出てきたにしては少し物足りないと感じたのか、父の提案で、新橋ガード下の焼き肉屋さんから、近くの帝国ホテルへはしごすることに。1Fのラウンジでコーヒー(父だけ生ビール)をいただいた。

それにしても、コーヒー3杯と生ビール1杯で、4人で1時間足らずおしゃべりして5000円越すって、すごい。単価はこれぐらいだろうと見積もってはいたものの、いざ総額で請求されると、改めて「すごい!」と思う。

高い天井、重厚な柱、タダミナミ先生の「光の壁」、上質なソファ、品のある器、ピアノの生演奏が空間を漂い、国際色豊かで一様に知的そうに見えるお客さんが集う。そこに身を包まれることに感謝の意を表して、5千円を置いてきた。そして我が一家は、入れ替わり立ち代わり全員が席を立ち、帝国ホテルのお手洗いも堪能させていただいた。お世話になりました。

が、接客は微妙。偶然にもつい先日「帝国ホテル 伝統のおもてなし」という本を読んだばかりだったので、余計に気にかかった。タイプは違うものの、レベルでいったら先ほどの焼き肉やさんと同じ「普通」(過剰なのがレベル高いって意味じゃなくて)。人のふり見て我がふり直せ。昔からホスピタリティは私のキーワードだった。改めて、私もその上質の限りを目指したい、と思った。

2006-07-25

気分爽快な二日酔い

週のあたまっから二日酔いになった。月曜の晩、個人的な仕事でお世話になった方々との宴会があり、これくらい酔っ払ったのって何年ぶりだろうって前回の記憶をたどれないくらい久しぶりに、しっかりと酔っパラッパ。

なんでそうまで久しぶりだったかって、まぁ以前よりお酒を飲む機会が断然減っていることもあるし、お酒を飲んでもそう無理な飲み方はしないようになったとか、いろいろあるんだろうけど、最近でいえば「それなりに気を張って飲む」のが常態化していたっていうのもあるんだろうな、と振り返ってみて思う。

最近でお酒を飲む機会といえば、仕事上のイベントの後の打ち上げ的な場がほとんどなのだけど、私は基本的に一対一で話すのが好きで、人数が多くなるのに比例して萎縮度がアップするので、そういう場ではたいてい所在なしになる。さらにそこはWeb制作者の集いであって私は否である。萎縮度割増である。とはいえ、小確幸(小さくとも確かな幸せ)みたいな出会いがある貴重な場だし、場を共有することで時代の空気感を体感していくのは大事な気がするので、これからも端っこで頑張ってみようと思っているのだけど。

が、今回は(その場ではまったく無意識だったんだけど)なんだかすっかり気を張らずに飲めていたようだ。それも幹事だったのに……。それはなぜかって考えてみると、私もメンバーの一人としてプロジェクトに参加して、一緒にゴールまでたどり着いたというみんなの共通認識があるって前提が、私にとって無意識にも大きな支えになっていたと思う。自分もここに座っていてもいいんだ、という安心感みたいなもの。という時点でかなり弱だよなぁ、私って……。

そして、8人といえど最近では少人数といえる、それも知った仲の会合だったこともある。思い起こせば、一対一とか少人数でお酒を飲むって機会ってほとんどなかった気がする。さらに、その場にいた人たちが皆よっかかっていいよって先輩方だったので、本当に寄っかかってしまったんだろう。人としての温もりや器の大きさが感じられる人たち。圧倒的に自分より大きい器をもっている人たちの前では、気を張らずに、下っぱの心地よさを味わえる。私も若い人にそういうふうに思ってもらえるような大人になりたいなぁ。そして、先輩がたにはいつまでも時々よっかからせてもらえるような下っぱでありたい。

2006-07-23

健やかな名前づけ

名前をつける場面は赤ちゃんが生まれたときだけじゃない。世の中にはいろんなことが起こって、私たちは日常的にそれに一つひとつ名前をつけている。

例えば、ある人が「怒りがある」と言ったとき、同じ事象に対して自分の中に生まれたものに「悲しみがある」と名づける人もいれば「不満がある」「不安がある」と言う人もいる。「問題がある」とも「解決すべき課題がある」とも名づけられる。「いいアイディアが思いついた!」と言う人もいるかもしれない。

何らかの事象に向き合ったときに、それにどのように名前をつけて受け止めるか、外に表出するかは、とても重要な分岐点になる。

潜在的な生命力をもって名前をつけてほしがっているような事象を、ある場面からすくい上げて、それに名前をつけるとき、私はより健やかな名前をつけていきたいと思っている。人はその名前に多かれ少なかれ行動を規定される。視野・視点も影響を受ける。自分も、その名前にふれる周囲の人たちも。

事象に名前をつけるとは、世の中を、自分の目を通してどう能動的に受け入れるかということ。私は嫌いという言葉は極力使わないようにしているけれど、人をマイナスのスパイラルに巻き込んでいくような名前づけは嫌い。より健やかに生きるために、前に進むために、自分もみんなも幸せになるように名前をつけて、それと関わっていきたい。

世の中を健やかに受け止めるために、言葉は哲学的に重要な意味をもっていると思う。想像をはるかに超えて強大な力をもつもの。人を築くもの。だから、私は実はものすっごいこだわって日常語をしゃべっている(ことが多い)。言葉フェチと呼ばれる所以でもある。

2006-07-21

涙の行方

そう半端なものじゃなくて、今晩は文字どおり「号泣」してしまいたい気分なのだけど、そういう発散の仕方を学習していないので、実際やろうと思ってもできない。泣き叫びたいときに泣き叫ばないのは学習の成果であるが、泣き叫びたいときに選択の余地なく泣き叫べないのは原点より後退してるんだな、と思う。

で、結局うーんと心の内でうめきながら静かにしていると、目元と喉元の間を熱いものがぎっこんばったんと何度も断続的に行き来して、シーソー遊びみたいなことをする。ちっちゃい子の公園デートみたいに、胸の内は熱く、見た感じはさりげなく、そんな顔面シーソー遊びしてちゃ頭が集中して仕事できるはずもなく、結局やることいっぱい残して、19時過ぎ会社を後にしてしまった。

しかし、こんな自分のありようでは週末やった方が効率的なことはもう間違いない。問題から目をそむけるのは好きじゃないけど、気持ちが落ち着かない状態できちんとした考えをまとめられるわけでもなし、ひとまず眠って他の仕事を進めて、少し時間を置いてからそれと向き合った方が断然いい、とは思うんだけど、はぁ、やっぱりふがいないというか、やるせないというか。様々な感情や考え、情報がごちゃまぜになって内側が混沌としていて、つまり私自身の基盤が弱いんだなと思う。

そんな感じで会社を後にしてきたときって、皆さんはどういうふうに過ごすんでしょうか。いったいどこに行くんですか。私は途方に暮れてしまいました。顔面を行き来する熱のかたまりを違うものに変換して、その辺に置いてきても人の迷惑にならないような場所があれば、本当に冗談じゃなくぜひ教えてほしい。

で結局、私の身体は家に向かい、途中電車の中で気持ちの向く先はいつもの場所。自分がなんでここにいるのか、その答えが今、今日の時点であるか。今日の選択に自分で責任をもたなきゃいけないし、自分で責任をもてる選択を毎日していかなきゃいけない。そういう自己選択と自己責任をしながら実は毎日を生きているってことを知っておかないといけない。

大人は自分の居場所を問い続け、選び続けて、その答えに一日ごと自己責任をもつ。今日の分も明日の分も。その責任の先に希望をもつ。希望のない責任じゃつらいだけだ。その幹さえ見失わなければ、あとはどんな太い枝葉でも完全に討たれてしまうことはない、と信じよう。ときに顔面でシーソー遊びが繰り広げられようとも。ふーむ、とりあえずプールで水泳かな……。

2006-07-18

俳句の季語に思う

俳句にはなんで季語があるんだろうって、ふと思った。だって考えるの大変じゃない?制限があるから創作しやすい面もあるんだろうけど。とはいえ大変。

でもよく考えてみると、俳句は「季語を入れること」という決まりをもつことで、日常のものだったり事象だったりとそのときの季節を関連づけようと人を思考させているんだよね。季語という決まりがなかったら、人は日常の物事から季節を感じることをもっと怠って生きてきたんじゃないかしら。

そう思うと、季語を設けた人ってすごいなぁって思う。俳句をつくろうと思うと、おのずと「日常から季節を感じよう」という所作に導かれていくように仕組んだんだなぁ(いや、ものすごい勝手にいってますけど)。

となると、季語って面倒くさいどころか、なんて素晴らしい約束事なんだろうと思う。意味があるんだよね、何事にも。価値があるんだよね、あれにも、これにも、それにもさ。価値は探し出すもの、見つからなければ生み出せばいい。

2006-07-17

日本は水とお日様をやって育ててきた

「home」という言葉が日本語化されて、「家庭」という概念が日本に生まれたのは1900年頃だそうですよ。まだ100年くらいしか経っていないんですね。

それより前、主人のもとに下人たちが一緒に暮らしていた時代は、下人の間に生まれた子が彼らの主人間で引き渡されるのも当たり前だったようですし、下人たちが独立して家族的な関係をもつようになった時代も、教育とかしつけは村などの共同体でやっていたんですね。親の役割は食べさせるところまでで、「親が愛情をもって子を育て、面倒をみる」みたいなことが望ましいとされるようになったのは、歴史的にみてごく最近のことのようです。象徴的イメージとしてはハウス食品のクリームシチューのCMみたいな感じ、個人的に。

昨晩J-WAVEの番組Growing Reedで「日本の家庭はどう変わったんですか?」というテーマのもと話されていたんですが、これは興味深かったです。

「日本の家庭は植物モデル、欧米は動物モデル」という話もしていました。日本は「種をまいて水とお日様をあげておけば自然に花は咲くように、子どもも放っておけば一人前になっていく、いずれ分別もつくだろう」という考え方をしてきた。対して欧米は「小さいうちから訓練をしないと堕落してしまう。だから早くからきちんと育てよう」という考え方が根付いている。うちは違うとか、植物だって育てるのは大変とかそういう話はまぁ置いておいてね、両者の考え方を分かりやすく区別すると、歴史的にみてそういうことが言えるようです。

社会人のキャリア支援の現場にいる私としては、これは家庭だけでなく企業の人材育成の考え方にも共通点があるとみられ、非常に興味深かったです。社内の人材育成に対する考え方って、欧米と日本の企業で結構な違いがあるっぽいんですよね。それがこの「日本の家庭は植物モデル、欧米は動物モデル」とかぶっている気がしました。この辺は現在個人的に勉強中なので、またどこかで書くかもしれません。今書け?いや、文章も長くなってきたし。

ちなみに(と話題をそらす)、「人間は考える葦である」から始まるこの番組は本当に面白いです。例によってラジオ番組なんですけどね。毎週テーマを設けて、専門の先生を招いてV6の岡田准一さんが非常に平易な言葉でざっくばらんな質疑応答を展開していく番組、実に濃厚です。夜遅いから、早寝好きの私は聴けたり聴けなかったりなんですが、とにかくコンセプトも実際の中身もとても素晴らしい、お薦めです。ラジオですけど、たまにはいいでしょ?

2006-07-14

報われて山積み

「晴れときどき曇り、夕方から宵のうちにかけて、ところにより雷を伴った雨が降るでしょう」みたいな天気予報がそのままあたってしまう今日この頃。「最高気温35度」も疑いようがない日々。天気予報のお姉さんは少し爽快かも。

さて、今週は木曜に客先でプレゼンがあって、一所懸命考えてまとめた企画が好印象で受け入れられ、金曜は別の得意先に呼ばれて春先提案しておいたものを下期具体的に進めていきたいというご相談。あぁ、報われたー(泣)という一週間。がんばったことが報われるのは嬉しい。

しかし、外向きの仕事に時間と意識を割きすぎている感もある今日この頃。内側のメインミッションが数コ順番待ちしている状態。あっちもそっちも山場だけど、こっちもよっちもやっちもそろそろ本格的にがっつりやらないと……。

夏のお天気みたいな激動の日々、これからも加速度的に大変になりそうだ。それも静かに激しく大変そう(頭の中がすごい状態)な予感。今日は外出帰り、半熱中症ぎみでしたが、太陽のせいなのか仕事のせいなのか不明。

2006-07-13

コラム第三弾の編集後記

2ヶ月くらい前に書いたコラムが、諸々の順番待ちの末本日掲載されました。2ヶ月前に書いた自分の文章というのは、ならば客観的に評価できそうでいて、結局のところ書いた直後以上になんともいえない感があるものだ、という世界不思議発見!をしました。

というわけで毎度のお願いですが、何か思うところがあれば忌憚のない(でも終わりは必ず盛り上げ調な)ご意見・ご感想をお待ちしております。

3人もちまわりで担当しているキャリアアップ講座。今回からフリーテーマで展開することになり、今回は本当に勝手にテーマ設定して書いちゃいました。真っ白いキャンバスに絵を描いていくような、新しい面白さがありました。書いたのは、「やってみないとわからない」という話です。

が、良くも悪くもコラムっぽいというか。何度も読んじゃった自分の文章だからかもしれませんが(そうあってほしいのですが)、なんだか毒にも薬にもならない、可でも不可でもない文章を書いてしまったのかも、という不安が増幅中。

コラムって、何なんだろう……。「新聞や雑誌で、短い評論などを載せる欄」。ここで辞書を引くところが悪い意味で真面目すぎ。とにもかくにも、ほんの少しでも読んでくださる方に何かしら感じる機会を提供できればと切に願います。

うまく表現しきれなかった箇所もあり、それまた反省なのですが、たかだか2ヶ月先の私には適切な書き直しもできず、今の私の力量ということでUP。まぁ「こうしたいのにうまくできない」という実感って自分を高みに押し上げるのには大事ですよね。いくつになっても、というより、歳を重ねれば重ねるほど。と、あくまで前向き。これから、これから。

企画の仕事

企画の仕事というのは、アイディアを出す部分が一番イメージしやすいけど、アイディア出しは場合によっては誰かに委ねられるものであって、仕事の骨ではない(と思う)。じゃあ何が企画の仕事の骨にあたるかといえば、一貫性をもって「まとめる」ところにあるんじゃないかと思う。筋道を立てて、企画として一つのシナリオにまとめる、私の中では企画職ってそういうイメージだ。

企画の仕事をしていて最近難しいと感じたのは、とりあえずひと通りのシナリオを書き終えて、社内打合せで関係者にその説明をした時挙がってくる意見(そのシナリオの中に生じる違和感や追加したいアイディアなど)を、どう有効的にその企画に反映していくかということ。

人の意見をそのまま反映してシナリオの一貫性を欠いてしまうのでは、役割として無責任だと思う。意見を盛り込むなら、それにあったシナリオに描き直さなくてはならない。それは確かに大変なことだけど、やる必要があるものであれば、やっぱりやり直すべきだ。もう作り上げてしまったからと既存のシナリオにしばられて、人の意見を跳ね除けているのでは、それは良くない。

ただ、打合せで挙がってくる違和感は、自分が企画をまとめている時点ですでに頭に浮かんでいたものが少なくない。そこに言及するとシナリオの一貫性を欠くので、含めないことにしてまとめたのだ。それが企画の幹でなく枝葉の話であれば、「まとめる」ためには捨てる必要も出てくる。クライアントからその違和感が強く発せられたらその時対処すればいいと考える。そうしていると、社内打合せで話が挙がってきても、結局既存のシナリオを生かす形に話を終着させることが多くなる。

でも、自分が絶対的に客観性をもって判断をできているのか不安になる。シナリオを書き換えて一貫性のあるものを再構築すべきか、シナリオはそのままで追加資料やプレゼン時のフォローでその違和感を払拭すべきか、その振り分けを「せっかく書き上げたからこのままがいい」とか主観的な固執をせずに、客観的に判断すること。客観的に判断するようには努めているんだけど、そうできていると断言できる自信もない。周りも納得しているんじゃなくて、折れているだけかもしれないと、小心者の心はしょぼしょぼするばかりである。

まぁ、そういう不安はつきものなのかもしれないし、自信を持ち出したらそっちの方が危険なことなのかもしれないけど。そう考えると、この問題意識は毎回あるべきものなのかもしれないが、これを自分の内側で抱えて処理していくのは結構しんどいものである。あぁ、余裕がたりないなぁ……。

2006-07-12

人間にして96歳のPHS

今日は一応振替休日ということになっていて、なんとなくカメラ付きのPHSに機種変更してみよっかなぁ(今どき「カメラ付きのPHS」を求めてる時点でちょっとずれてるのかもしれないが)なんて思ったりしたんだけど、いろいろ下調べしているうち、やっぱり替える気がうせてしまった。

「やっぱやーめた!」と思ったのは、下調べ中、今使っているPHSが発売されたときのプレスリリースを見てしまったからだ。

私が今のPHSを買ったのはDDI POCKETの時代で、今はウィルコムさんのものらしいけど、今そちらのサイトにいっても私の機種は掲載されていない。「機種ラインアップ」にないのはまぁ当然なんだけど、過去に発売された商品を紹介している「プロダクトアーカイブ」というページにもないんだな、これが。「すでに販売を終了している機種もございます」とまで注意書きしてあるのに、ないんだな、これが……。

で、その後メーカーであるPanasonicのプレスリリースのページを発掘して、あぁ、これこれ!と思ったんだけど、リリース日が2000年5月22日。発売からまる6年経っていた。

それにしても華々しいプレスリリースだというのに、なぜこんな昔を懐かしむような古めかしい商品写真が掲載されているのだろう……。そりゃ、これの液晶はカラー表示じゃないけど、、、ボディには色があるんだからカラー写真にしてくれたっていいじゃないか(泣)。もしかして、ネット上に長時間放っておくとカラー写真も色あせちゃうのか。じゃあまぁ仕方ないけど。随分経っちゃったし。

そんなわけで、4年くらいだったら替えちゃおうと思っていたんだけど、6年ともなると、そしてこんなプレスリリースを目にしてしまうと、なんだか歴史の重みを感じてしまって……。まだまだ使えるし、もうしばらく一緒にやっていこうか、なんて情がわいてしまったのだった。PHSの1年は、人間16歳分くらいかな。とすると御年96歳。でも、まだまだ現役。充電は一週間に一回程度です。

2006-07-10

職人と芸術家

FIFAワールドカップの話題もにわかに落ち着きだしている今日この頃ですが、私は週末ようやっとイナバウアーを見ました。あれは美しい。うん。感動的でした。静止画は見たことがあったのですが、動画は初めて見ました。

イナバウアーに限らず彼女のパフォーマンスは最高でした。映像を見慣れていないこともあって、感動もひとしおでした。一つひとつの動きが生きていて、心から「美しいっ!」と思いました。オリンピックの演技(←YouTube動画)はもう格別、目が潤んでしまいました。ぜひ皆さんも改めてご観賞ください。

つまり彼女は職人なのではなくて芸術家なのだと、そういう感じがしました。プロになったとか、そういうことは関係なくて、芸術家の風情があるというか。

そういう感じがするのは何でなんだろうと考えてみたのですが(あくまで私のイメージ上の話ですが)、職人の創り出すものというのは、ある目的やゴールに向かっていく「方向性のあるもの」で、そちらに向かっていくことによって輝きを増すようなところがある。対して芸術家が生み出すものというのは、方向ありきではなくて、あるがまま、それ自体から発せられる美しさを持っているものって感じです。それはタイプの違いであって優劣ではないと思うのですが。

2006-07-09

本当に難しいこと、本当の強さというもの

「自分なんてまだまだですよ」というのは、さして重量感のない謙遜という行為であって、それだけするなら実は結構たやすいことだ。本当に難しいのは、自分の何がまだまだなのかを、痛いなぁと思ってもなお追求して、それがわかったら、今度はその痛みを痛みと感じないように自分で処理しちゃって、とことんまだまだの部分を直視してそれを磨きあげていくことだ。それができるなら、他の人に「自分なんてまだまだですよ」と言おうと、「俺様にかなう奴などこの世にいやしない、ふっ」と言おうと、そんなことはどっちでもいい話だ。

本当の強さというものは、いくつになっても、何を手に入れても、自分の弱さを受け入れられる人の中にあるんだと思う。自分ができないこと、できていないもの、わからないこと、見えていないもの、まずはその現実を自分の気持ちでしっかり受け止めて、そこから逃げないように自分の体勢を整える。準備が整ったら、今度はそれが何なのかを冷静に頭で考えて、それを改めたり、新たに身につけたりしに、純真な目をしてひとり旅に出かける。そしてそれを身につけて帰ってくる。人の強さの本質はそこにあるんだと思う。

人のキャリアに貢献したいなら、自分のキャリアに厳しい目を向けなきゃいけない。そうじゃなきゃ、人のキャリアのサポートをプロフェッショナルとして成し遂げることなんてできない。強くあれ、しなやかであれ。気を抜けばいつでも自分の内側を侵食してくるおごりを、思い込みを、弱さを、自負を、制限を、固定概念を、甘えを、惰性を、叩き割りたい。そんなことを、泣きたくなりながら、部屋を片付けながら、思う。

※コンビニで手に取った雑誌の今月の星占いが厳しめだったので、気合いをいれてみました……。先長いなぁ。がんばれ、7月の私。

2006-07-07

水族館の魚の群れと

男子に「これ当たってるー」と賞賛される占いってなかなかないんじゃない?ということで(にしておいて)、社内のオトナ男性から高い評価を得ていた占いを紹介します。ほへと占術研究室「数秘占術」。右側の枠に生年月日を入力して「OK」ボタンをクリック、下に結果が出てきます。簡単なのに当たる感じ。

私の30歳は忍耐と努力がテーマだそう。重いなぁ。その下に「基本性格」「人間関係」「生活」「金運」のコメントが続きます。私のキーワードを拾うと、「頑固な職人気質(へぇ)」「物事は狭く深く(えぇ)」「真面目でやさしい!(!マークは自分でつけた)」「人見知りするけど馴れればグループで必要な人(グループに入れてください)」「異文化の人とコミュニケーションをとって煮詰まった考えを捨てよう(異文化の人よろしくお願いします、人見知りですが……)」。

職人気質の頑固じじぃなのはよくわかった。柔軟性、大切にします。異文化コミュニケーションも。はい。でもさ、金運のところに「他人から理解されない所にコストをかけます」ってあるのは何なんだ、いったい。わけわかめだ。

さて、占いなんてバカバカしいって思う人もいるでしょう。でもまた見方を変えれば、それって「人間様意識」によるものかもしれないな、と思った。人間様がそんなわけのわからないものに制御されているはずなかろうっていう。または統計で全人類がすっきり分類されるはずがないという、それはそれで一つの見方だと思うんだけど。

でも例えばさ、水族館で群れをなして水中を漂っている魚たちのように、私たちもまた大気中を命の続くかぎりある方向へと群れをなして漂っているだけの生物だと思い直して人間界を覗き込んでみると、ちょっと見え方が変わってくる。自分と切り離して、人間サイズもちょっと小さく、総体として見えてくる。

もしかすると人間は雄大な自然界の中で圧倒的な力によって制御されているもので、その強大な力の存在を意識することすらできないほどちっぽけで、実は生年月日によって簡単に分類できちゃうような生物なのかもしれないとか。

そうであろうとなかろうと、魚も私もあなたも一生懸命生きているわけで、それはそれで大切なことなのですが。まぁ、だから、どっちつかずということで。この占い、私の基本性格に「優柔不断」という重要な要素が抜けていました。いや、えっと、「折衷主義」とか「バランス志向」とか。「楽観主義」も追加で。

2006-07-02

井上直久さんのイバラードの世界へ

井上直久さんのお名前を知らなくとも、ジブリ作品に触れた人なら必ずやその作品世界に「おぉっ!」としびれるはず。例えば「多層海麗日 2006」という作品。「ぬぉーっ!」でしょう。井上直久さんは、ジブリ作品でいえば「耳をすませば」の、女の子がえがく「バロンのくれた物語」の美術作成を担当された方。

昨日すっかりおうちに引きこもって「耳をすませば」を観ていて、あぁやっぱりいいなぁと思いつつ、そういえば井上直久さんの近況は……?と思い、サイトをチェックしたところ、ななんとジャストタイミングで、7/1、2ご本人も来場される展示会を近くでやっているという。これはいかない手はないわーということで今日おじゃましてきた。これは、すっかり腰の重たくなった私の生活ぶりに変化をもたらすための運命的サプライズなんじゃないかと真剣に思った。

行ってみたら、井上直久さんと実際お会いできて、けっこうゆっくりお話もさせていただけた。とても気さくな方で、低姿勢なわけでも偉そうなわけでもなく、人に対してとてもフラットな方だった。相手との年の差とかも関係なくて、すごく対等な感じで、こちらに歩み寄ってきてくださる。もしよかったらこちらにおかけなさいと、ソファの団らんに誘ってくださったり、誰かから受けた質問に答えるときにも、それをみんなに語りかけるようにして返答するようにしていて、会場にいる人たちみんなを気持ちよく巻き込んでくださる。背が高く、声も大きくて、発する言葉たちが生きている、とてもイキイキした潤いのある人だった。

いろいろお話させていただいて、もしかするといつかお仕事をご一緒できる機会もやってくるかもしれないな、と思った。こちらのギャラリーは今後常設でいろいろ作品を展示していくということなので、ご興味のある方はぜひ足を運んでみてください。この2日間は、イバラード常設ギャラリーオープン記念展ということで、ご本人が来場されていたようですが、ぜひともご本人に会いたいという方は、9月のプランタン銀座にLet's GOです。

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