青臭い固定概念
「死」という概念に、むやみに近づきたがったり、何でも関連づけたがったりするのは、またその概念がひどく固定的で偏狭で、暗黒なものだったり、鋭利なものだったり、悪や無気力や絶望を象徴するものに限定されているというのは、実はものすごく青臭い、若者特有の概念なんではないか、と思った。
歳を重ねていくと、その分「死」との距離は短くなる。人の死に際に立ち会う経験ももつ。おじいちゃん、おばあちゃんにとって、前述の概念が若き日のまま固定的にあるとは思えない。30歳の私ですら、すでにその固定概念には違和感を感じるのだから。
「生」を積み重ねれば「死」という概念も、もっと白っぽいものだったり、透きとおったものだったり、ごく自然に隣り合って「生」と二人三脚するようなものだったり、自分をよりイキイキと生かしてくれるものに、概念のありようが上向いたり広がりをもったりしていくものなんじゃないか、と思った。
前者の概念は、「死」がはるか遠く先にある若者の、若さゆえの固定概念なんじゃないかしら。そういう概念の固定的な様は、小学生が汚い言葉を使いたがったり、中学生がタバコを吸いたがったりするのと似ている気がする。
大人になる過程で、自分の固定概念や偏狭なものの見方にはっとさせられることがある。そういう機会を確実に捉えて、自分の中の固定化された概念を叩き割ってみたり、ものの見方をががっと広げてみたりすることは、とても大切なことだと思う。本当の大人になるためには。と、わけの分からない呟き。
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