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2006-06-25

みやげ話に泣く

今日は友だちと会って散歩→カフェ。まる4時間ほどのんびりおしゃべりした。カナダのおみやげ話をたくさん聞かせてもらったんだけど、その間二度も、私は目頭を熱くした。うるうる、と。なんなんだ、なぜ人のみやげ話で泣くのだ。

いやぁ、生きるってそういうことだよなぁと、しみじみ思ったのだ。生きるって、生きているだけじゃだめでさ、生きる喜びを感じながら生きているようでなければ、「何してんの、こんなところで」って話なのだ。いつだって現在進行形で心の根幹をふるわせながら生きていなきゃ「だからー、何してんのよ、こんなところで」って話なんだって、すごくすごく思ったのだ。それこそ、心ふるわせて実感させられたのだ。

会うべき人には会いにいった方がいいし、行くべきところには行った方がいい。伝えるべきことは伝えた方がいいし、やるべきことはやった方がいい。そして、その「べき」っていうのは、結局自分が決めること。自分だから決められることで、自分にしか決められないこと、だから気づけば自分で規定していることなんだよね。大方の「べき」は、100%の客観性をもつことなんてできなくて、多かれ少なかれ自分の主観性を含むものなんじゃないかなぁ。まぁ、他人様の迷惑にならないよう配慮しつつ、「べきこと」はやってみて、やってみた後は潔くふるまうのがいい。

生きているうちしか会えないし、生きているうちしか行けないし、生きているうちしか伝えられないし、生きているうちしかできない、何事も。そして、今私たちは生きている。ということが大事。いやぁ、あっちっちな文章だな、こりゃあ。まいった、まいった。そしてこれがまた、実践するとなると難しいんだなぁ。

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