問題を切り分けてそれ用の策を練る
少々乱暴な物言いになるが、子どもの水難事故を受けて「なぜ子どもが川に近づけないように柵を設けておかなかったのか」なんていうのはちゃんちゃらおかしい、という話を2004/9/29に書いた。これはその続編。というわけで、もしお時間が許せば、ご面倒ですがまずは上の話を読んでみてくださいな。
別に柵を設けるのが絶対的におかしい!という話ではなくて、まずその水難事故が起こった根本的な原因は何かを考えて、それをもとに最も妥当な解決策を導き出すのが大事ということ。柵も何もなく住宅地の隣にででーんと隅田川が流れていれば、そこには何らかの柵的なものが必要ということになるかもしれないし、普段はさらさらと穏やかな小川だけど、事故が起こった時はたまたま台風が来ていて川が荒れていたということであれば、必ずしも柵の設置が最も妥当な解決策にはならないかもしれない。災害時の注意喚起が最も重視されるべき問題になるかもしれない。はたまた人の力の限界で、どうしようも策の講じようがない事故だってあるかもしれない。
かもしれないばっかりだけど、仕方ないのだ。だって、これは全部人の価値観に依存している判断なんだもの。隅田川と住宅地の間だろうと、絶対的に柵が必要なんていえない。ところ変われば、時代変われば、文化変われば、最大公約数の判断さえ異なるもの。とはいえ、その土地、その時代、その文化の中で、妥当な落としどころを決めて、解決策を講じる必要は出てくるのだ。
じゃあその問題に策を講じようという段になって、何は仕組みをつくってカバーし、何は運用でフォローするかを見極めることも大事だと思う。子どもの命はもちろん大事だけど、「この問題を軽視しているように思われてはならないから」とびくついて、何でもかんでも予算を投じて大掛かりな仕組みづくりに及んでいては、世の中は柵だらけ、税金は枯渇する(か国民負担増である)。また、隣町でこうしていたから前例にならってこうすればいいというものでもない。先に挙げた問題の根本的な原因を踏まえて、割ける予算とかその土地の状況とか文化とか、そういうものを考慮して、どういう規模感で、どういうアプローチで対策を講じるかを考えることが、次のステップで大切なことだと思う。
なんでこういうふうに考える必要があるかといえば、何かを変化させる場合、何かが付け足されれば、もう一方で何かが損なわれるからだ。何らかの仕組みを作ろうとすれば、そのメリットの反面、相応のコストが発生するし、人も時間を割かれる。割ける予算にも労働力にも限界があるから、安易に「何もしなかったら叩かれる度」に振り回されて予算配分していては、主体性をもった良質な企画にいつまで経っても予算が割けなくなる。
また、柵ができれば川と人との距離は確実にそれ以前より遠のくし、人間の都合で自然界にまた一つ人工的なものを持ち込むことにもなる。気づけるか否かは別として、多くの場合何らかの変化は、付け加えられるものと損なわれるものの複合体で成り立っている。バカの一つ覚えみたいに、何か問題が起こったら皆の気がおさまるようにお金をかけて王道の策を講じればいいというものではない、と思うのだ。
あんまり整理してまとめきれていないんだけど、うーん、ちょっと今の私の力量だと当分これより飛躍的にまとまっているという文章は書けそうにないので、とりあえずUP。つまるところ、ここに書いていることを仕事場面に応用して、自分もきちんとしないとなって思うのであります。
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