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2006-03-05

ひとまわりした後の「すとん」

この週末は家族のお食事会で、母と私の誕生日を祝った。上野公園内(精養軒の隣)にある「韻松亭」という創業明治8年のお店で。庭には梅の花、上野の景色も一望できて、借景を愉しめる素敵なところ。ごはんもおいしかった。

さて、日を追うごと、何かが満ちていくようでもあり、何かが損なわれていくようにも感じる。そろそろ、まずいなぁと思う。もうすぐ、飲み込まれる予感があるんだ。こわいなぁ、もう。すぐそこまでやってきてるのが見えるんだもの。

村上春樹さんの「村上ラヂオ」というエッセイ集の一番最後の話にこういうのがある。レイモンド・チャンドラーの小説の中に「さよならを言うのは、少しだけ死ぬことだ」という有名な台詞があって、それに対して村上さんは「人間というのはたぶん何かあって急にすとんと死ぬんじゃなくて、少しずついろんなものを積み重ねながら死んでいくものなんだね」って言っている。以下、引用。

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人は「さよなら」を言った直後には実はあまり死なないものだ。僕らが本当に死ぬのは、自分が「さよなら」を言ったという事実に、身体の真ん中で直面したときだ。別れを告げたものの重みを、自分自身のこととして実感したとき。でもだいたいの場合、そこに行きつくまでには、あたりをひとまわりする時間が必要になる。
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というわけで、まずはあたりをひとまわりするわけだけど、あたりをひとまわりし終えると、ある時「すとん」と来たりするんだよね。その「すとん」が断続的に続いたりしてさ。だから、あたりをひとまわりした後のしばらくが大変なんだ。しばらくっていうのも、数日数ヶ月じゃ済まなかったりしてさ。そんなこと言っているうちに、そろそろ入り口だよ。こわいなぁ。

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