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2006-01-27

すっころんだ

今日はすっころびました。転んだところが平面じゃなくて階段と平面の境目だったところが、かろうじて普通の人っぽくてほっとしました。上半身が全体的にだるいという曖昧な理由から、とりあえず今日中にまとめておきたいものだけ仕上げて会社を後にしてきた直後、足元がふらついてすってんころりんです。平日の真昼間、ビジネスマンが行きかう中でずいぶんと思いきりすっころんだので、たいそう目立ちました。

それもまた、今日に限ってノートPCをカバンに入れていたものですから(今日初めて東京メトロの駅の無線LANを利用しました、便利だなぁ)、まず落としてしまったカバンの中身が心配。ひざ小僧も手のひらも痛いなぁと思いつつ、これからどういうタイミングで立ち上がろうかなぁと考えていると、近くのお兄ちゃんが「大丈夫ですか?」と声をかけてくれました。カバンも拾い上げてくれましたが、女性が持つカバンにしてはあまりに重量感がありすぎたようで、「カバン重いですねぇ」と驚いた顔をしながら手渡してくれました。

気の利いた返事もできず、苦笑してお礼を言ってその場を立ち去りましたが、この人だけは、私が決してよくすっころぶのでなく、たまたま今日はカバンが重くて転んでしまったのだと思ってくれているかもしれないと思うと、少し気が楽になりました。

やっぱり、転んだ人には声をかけるのがいいよなぁとしみじみ思います。ケガをしていなくて立ち上がれる状態でも、立ち上がるタイミングがなかなかつかめないんですよねぇ。「立ち上がって普通に歩き出す」行動に入るためのきっかけづくりを、周囲の皆さんにはぜひご協力いただきたいものです。今後ともどうぞよろしくお願いします。

ちなみに、おうちに帰って確認してみるとノートPCも問題なく起動。さすがです。ThinkPad、地味ぃに私の心をつかんで放しません。これからも頑丈なものたちと周囲の皆さんのご厚意に支えられながらへこたれずに頑張ります。

2006-01-26

コラム書きました第2弾

2005/10/19に「コラム書きました」という話をしましたが、その第2弾です。「withD」というサイトのキャリアアップ講座としては4つ目のコラムなんですが、3人交代制で書いているのでしばらく間があって今月私の番がまわってきました。

前回「打たれ弱いけど立ち直り早いですから」と忌憚のないご意見・ご感想をお願いしたところ、「文章が冗長である」という点が課題として挙がりました。毎回私の文章はそちらに流れがちで、その自覚はあるのですが、今回もさして成長が見られないかもしれません……。まぁがんばって書いたので、とりあえず時間のあるときに読んでやってください。そしてまた、感じたところを率直に(最後にフォローつきで)お願いできれば幸いです。

今回編集長の上司から言われていたのは、ブログならではのコラムとして他サイトとのつながりを持たせたい、つまり他サイトへの関連リンクをはりたいということ。無理やりって話ではないけれど、関連リンクを含めたかたちで一本のコラムの世界観がつくれるといいよねぇという話で。逆にそうでないと、話が内に内に入っていってしまって広がりや客観性を欠いてしまうという懸念。

これがなかなか難しくて、リンクで広がりを作っていくのって、コンテンツのタイプによってやりやすいものとやりにくいものがあるんじゃないかと、そんな話をしていたりしました。○○講座的なコラムって、タイプとしては「骨」だと思うのです。対してケーススタディ的なコラムは「肉」。すでに骨格のできあがっているネタを扱う「肉」タイプは、他サイトとつながっていくことで血となり肉となるイメージがつくけれど、あるものの「骨」を提示するコンテンツであまり他サイトに散らすと、かえってわけがわからなくなるんじゃないかという気がして、どうも落としどころが見つからなかったのです。

でも、そう話している最中から、いやぁそう規定するのは早計だし、もう少し可能性を探るべきだよなぁという気がしてきて、骨には骨コンテンツなりの他サイトとのつながり方や、広がりのある世界観の作り方があるかもなぁと考えてみました。で、とりあえず今回の策としては、骨は骨でしっかり自分の文章でまとめる、その上でその内容を実現するために有益な「肉」エッセンスにリンクする感じでまとめてみました。って、骨やら肉やらなんのことやら。

そして、わかる人にはわかると思いますが、今回のコラムは手前味噌どころかあわせ味噌になっています。でも、適性診断のレポートとか、占いの結果に出てくる文章って使えると思うんですよね。人を表す言葉が凝縮されていて、結構勉強になります。骨やら肉やら味噌やらなんのことやら。

2006-01-22

「人生は問いかけるものではなく、表現するものだ」

会社の人がグリー株式会社の田中良和さんの著書「僕が六本木に会社をつくるまで」を貸してくれて、さらっと読めるというのでこの週末読んでみました。

田中さんは「なんで?」と質問して理由を聞きたがるような子どもだったそう。「なんで雪は溶けるの?」から「宇宙の始まりは?」まで。そして成長過程で生まれた最大の疑問が「人はなぜ生きなければならないのか?」。

その答えを問い続け、調べ続け、考え続けた後、大学生の時に出会ったのがこの言葉。「人生は問いかけるものではなく、表現するものだ」。この出会いから、彼は「いろいろなことに問いかけ答えを探すのではなく、行動することで自分らしい人生を表現し、答えを生み出していくことに強く興味をもつようになった」のだそうです(というところまでは「はじめに」に書いてあります)。

私は昨日この本を読み終えて、今日は雪道を父のことを考えながら歩いていました。私の父は昨年のゴールデンウィークに定年退職し、我が家には世間より一歩先に2006年問題がやってきています。退職後、昨年私が父にしてきたことといえば、ひと月に一回東京のお食事会に招くのと、ひと月に一回課題図書を送ることでした。

読書は確かにいいことだ。でも、読書のススメだけではインプットの支援だけになってしまう。そうそう、人生には「表現」がないといけないのだわ。そうじゃないとイキイキしない。我が家の2006年問題で私が今年すべきなのは、父に何かアウトプットの機会をつかむための支援をすることなんじゃないかしら。父好みのアウトプットの手段って何だろう……。そんなことを考えながら、雪道をさくさく歩きました。支援しかできないわけだけど、まだ1月だし、ちょっと探してみようと思います。

話をもとに戻して、この本は、その時その時の等身大の彼の姿が率直に語られていて、その成長を疑似体験させてくれるような本です。同世代の、広くは同業界の人間として、元気をもらえたし共感するところもいろいろありました。平易な言葉で非常に読みやすいので、数時間の余裕があったらぜひ読んでみてください。最も読んでほしいのは、実は10代後半から20代前半までで、あまりここにその年代の方は訪れていないと思うんですが……。妹弟とか。

2006-01-21

携帯電話は「携帯もできる電話」という屁理屈

私の携帯電話はかなりの年代もので、買って4年くらいは平気で経っており、買った当時も古くなって安ぅーくなっていたので、発売された時期はもっと昔にさかのぼると思う。

とはいえ、別に脇に抱える大型タイプでもないので形状としてはみんなが使っているのと同じようなものだと思ってきたのだけど、どうやらそうでもないらしくて、私の電話をみると皆一様に、昔を懐かしむような、アンティークを愉しむような目でそれを見つめる。

私が携帯電話に求める機能は、「携帯できること」に加え「通話機能」「留守電機能」「電話帳機能」「アラーム機能(目覚まし)」に限られる。メール機能もないし、画面はモノクロだ(というのが驚くべきことなのだと昨年の忘年会シーズンに知った)。一応これでも人並みの社会生活を営んでいると信じている。

機能というのはおかしなもので、所持しているものの機能は「その人が使いこなしている」ことを当然のこととして見るところがある。携帯にメール機能がついていれば、携帯でメールを使うのは当然だし、携帯できる電話なんだから、携帯するのが当然と考えるのが一般的なのかもしれない。

でも私にとって機能とは「何かができる」ものであって、あるなら「使わねばならない」ものではない。携帯電話は「携帯すべきもの」や「携帯する責任を負う」ものではなく、「携帯もできる」電話だと思う。でも、これを屁理屈だと言われればそんな気もするし、ひねくれ者と言われればそんな気もするけど。

でも、やっぱりさ、もっと広い目でいろんなものをみたら、機能を使うか否かはユーザー一人ひとりが自分の意思をもって選ぶべきで、その機能がついているなら使うべきだというのが一般論っていうのはどうもしっくりこない。自分のものを扱うときもそうだし、人が誰かのものの機能を知ってその誰かがその機能を使うべきと思うのもおかしい(これは買ってきたら付いてきちゃった機能について)。さらに、その機能が開発され、商品として普及しているのだから、その機能が付いた商品を使うべきだというのもまたおかしいと思うのだけど。

とりあえず、私がこんな屁理屈を口にせず社会と関わり合っていく上で、機能の少ない今の携帯電話にお世話になっているのはちょうど良かったんだな、と思った次第である。

今日は大雪ですね。今日は部屋にこもって、、、そうそう、シゴトシゴトだ。

2006-01-20

プロモーションビデオ撮影

数日前から会社の映像部門のプロデューサーに「化粧してこい、こぎれいな格好してこい」と言われていた本日。ほぼすっぴん状態×ゆるい格好で送る私の暮らしぶりをみて、早いうちから注意を促したに違いないと勝手に妄想。

今日何があったかというと、会社のプロモーションビデオの撮影。撮影隊が日中はいろんなクライアントさんのところをまわって取材を行い、夜から社内の撮影に入る段取り。社内風景をおさめた後、社員個別にいろんなシーンを撮っていくとのことで、そのいろいろの一つの役に含まれてしまったのだ。

しかしまぁ、どうあがいても最小限の化粧道具しかもっておらず、あってもそれを活かせるだけのテクニックがないことに変わりはない。こぎれいな格好といわれてもそんな服もアクセサリーも持っていない。

というわけで、今朝はとりあえず上着にグレイのジャケットを選んでみた。映像はたぶん春夏秋冬どころか5、6年は平気で使われるので、中は白っぽい方が良さそうだったけど明るい色のインナーを全然持っていないわけなので、新発想で「肌色」を採用した。広めのVネックにすると自分の肌色で白っぽい服の代用ができるという朝方にしては冴えた発想である。化粧はまぁ直前にどうにかしようということで、いつもどおり薄っぺらい顔で出勤した。

夜になり、女性は順番がまわってくるとお手洗いで化粧直し。私もその行動にならいお手洗いへ。そこにナイスタイミングで元メークアップのプロがやってきたので、お化粧して!と唐突にお願い。撮影を済ませてきた同僚も手伝ってくれ、2人がかりで私の顔にいろいろ描きこんでくれた。お手洗いの外でプロデューサーに名前を呼ばれ、「すぐ行きます」といって、鏡に映る自分の顔にびびりながらお手洗いを後に。

撮影自体は声なしで雰囲気を数パターン撮るものだったので、思いのほかあっさり終了し、なんだか「顔」だけ妙に気合いいれてしまった感がある。まぁ、私標準ではないけど一般の女性標準に引き上げて撮影に臨めたということでは良かったのだろうと気を静めてみる。化粧した私の顔を見て、同僚が「29歳の女性の顔だ」と褒めてくれた。

とりあえず、もう当分見られないこの顔を身近な人に見せびらかして帰った。おうちに帰って洗顔すると、いつも私が使っている洗顔料では一回で化粧を落とせないらしく、顔をあげたら鏡の前にパンダみたいな顔があった。化粧は人を七変化させる。

このプロモーションビデオ。どこで見られるかって、たぶんうちの会社に登録に来ないと見られない。実は私、今使っているプロモーションビデオも一回も見たことがないから、見る人はかなり限られるでしょう。

2006-01-18

マスク生活長びく

前々職で何千万だか億だかの案件を複数抱えて仕事しているような人たちとお仕事をご一緒させていただく機会を得て以来、私は「風邪をひいたらマスクをする」ようにしています。ちっぽけっとな自分が風邪をうつし、でっかいどうな皆さんの健康を害してしまったら……と考えると、えらいこっちゃ!と風邪の諸症状もあいまって身震いしたわけです。結局のところ、別に人の健康に何千円も何千万もないわけですが、それを契機にして誰であろうと「人に風邪をうつさない努力をすべきだ」という結論に至ったというわけです。

それで最近も1週間以上マスク生活を続けているわけですが、一向に良くなる気配がありません。マスクも私の顔にしっくり馴染んできてしまっている今日この頃。そんな本日、お手洗いで同僚の女性に「風邪長引いてますねぇ。薬とかのんでますか?」と尋ねられ、そこではっと「薬を飲んでいない」という事実に気がつきました。薬切らして以来忘れていました。常識的に考えて、対処法としてはたぶんマスクの前に薬です。何気ないおしゃべりで重要なツッコミをくれた同僚に心からお礼を言い、お昼休み風邪薬を買ってきました。今回は薬局のおじちゃんお薦めセット、ストナアイビージェルと、滋養強壮と肉体疲労に効くスーパーブリルレッド3本入りです。これで回復する予定。

それとは全然関係ないですが、夕方、営業の方がご相談にいらした際、以前自分が担当した企業研修案件のクライアントがその時のことを絶賛していたと話してくれました。それが彼にとっては今大きなプレッシャーになっていると嘆いていましたが、まぁそれはそれとして、私としてはものすごく頑張った仕事だったので、数ヵ月後にもそういうふうに感じてもらえているなんて、とても幸せ気分でした。今朝は現実的で長大作のものすごーく恐ろしい夢をみたので、今晩は夕方いただいた幸せを胸に気持ちよく眠りたいと思います。

2006-01-17

年下の女の子

年を重ねているわけだから、当たり前といえばそうなのかもしれないけれど、最近年下の人とのおつきあいが増えてきたなぁと思う。今日は縁あって知り合いになった社会人一年目の女の子とゴハンを食べながらおしゃべりした。

以前、会社にインターンシップにきていた女の子にインタビューを受けて話をしたときもそうだったけれど、自分より一定以上年下の若人と向き合ってお話していると、その時特有の刺激を得るようだ。彼女たちに対すると、自分の経験や考えを話すことで、こういう広がりを伝えられるかもしれないって思うことがいろいろ出てくる。その分同世代や先輩がたを前にはあまり話題に挙げてこなかった自分についての話をする機会があって、そのときの自分の発言に、自分がどういうふうに仕事に取り組んでいるか再認識させられたりする。

いろいろ話を聞いて、いろいろ話したけれど、私が話した3つのことをメモ。念頭にあることなので、ここにはたぶん書いているんじゃないかなぁと思うけど。一つは、自分のキャリア選択について唯一無二の正解はないし、あるとすればそれは自分で作るしかないという話。それも選択した時点では正解かどうかなんて決まっていないし、正解になるように将来の自分がそうしていくかどうかだと思っている。

2つ目は、その日その会社でその仕事をしているのは、自らが選んでやっていることだという認識を持っているということ。たとえ入社時点から組織がえがあったり自分を取り巻く環境が変化したとしても、ともあれその日その会社に属してそこで仕事をする選択をしているのは自分自身なのであって、そこには自分の負うべき責任が発生している。

逆にいえば、意気揚々とした入社時でなく、それから期間を経た今日この日になぜ自分がここにいるのかという目的を見出せないならば、目的を見出す努力をするか、そこに属することを辞める決断をするか、それもまた自己責任である。いずれにせよ入社したときにはこういう志望理由があったからという過去形で曖昧にやり過ごすのは気持ちよくないよねという話。

3つ目は、先月ここにも書いた話で、やらなければならないことをやらないと、やりたい仕事ができないとぶーぶー言うこともできないよねという話。何年も仕事している私がそういうことで苦悩したり気持ちを切り替えて頑張ろうともがいているという現実が、彼女にとって何らかの励みになっていたら嬉しい。まぁ、2つ目と3つ目は個人的な仕事観として。とっても刺激的な時間だったけど、単純に楽しく心地よい時間でもあった。大切な友だち。

2006-01-15

風邪が治りません

へたれこんでいます。風邪が治りません。この週末、友だちと会う約束もごめんなさいして、かなりおとなしく過ごしていたのに、回復の兆しみられず。確かにあまり賢い治療法ではないと思うのですが、お布団にもぐりこんでじっとしているだけではやはり治ってくれないものなのでしょうか。はぁ。

とはいえ、積極的に何らかの治療法を試してみようという気にもなれず、ただひたすらお布団の中にもぐりこんでじっとしているわけですが、そうすると私を支えてくれるのはラジオだけです。そのラジオがまた、出てくる人出てくる人、J-WAVEのナビゲーターがみんな鼻声。中山智保子さんもドゥビドゥバー、クリス・ペプラーもドゥビドゥバー。誰の声も鼻声に聞こえるように私の耳が変異してしまったのではないかと文字通り耳を疑いました。滅入りますね。ふぅ。

風邪にしてみればそんなの知るかい!という話かもしれませんが、こちらもこの週末であなたが出ていく予定で以降のスケジュールを調整していまして、これ以上居座られても困るわけです。本来なら今日にはある程度調子も戻っていて、今頃はコラム2本書き上げるのにこの身を捧げていなくてはならないはずなのに、全然終わっていないじゃない。それは僕のせいじゃない?うーん、そうかもしれないけど、そうじゃないかもしれないじゃない。

とにかく、ここで話しつつ書くモードに切り替えつつ、夜に仕事に入ろうという作戦なんだから、おとなしくしてくださいよ。お願いだから。頼みますよ。

2006-01-11

苗字は増えないのか

会社帰りに道を歩いていて、ふと思い当たったことです。物の名前や人の名前はどんどん新しいものが出てくるし流行り廃りもあるけど、人の苗字って途絶えることはあっても、今後新しいものが出てくることはないんですよね?

いろいろ例外はあるのかなとも思うのですが、原則として鈴木幸子(すずきさちこ)さんは生涯鈴木幸子さんのままか、もしくは結婚するだか養女になるだかして斉藤幸子(さいとうさちこ)さんとか西園寺幸子(さいおんじさちこ)さんと名乗ることもありましょうが、現時点でこの世にない丼勘定幸子(どんぶりかんじょうさちこ)さんに苗字が変わることはないわけでしょう。

これは他の国でも概ねそういうことになっているのでしょうか。そうでない国の話は聞いたことがありませんが、どうなのかよくわかりません。でも日本ではひとまずそうですよね、きっと。

そう考えると、ある時期それはそれはものすごい勢いで苗字が大量生産されていたということなのでしょうか。どの時期から新しい苗字は作っちゃダメ!というように切り替わったのでしょうか。どのようにして切り替えたのでしょうか。

何かを見落としているような気もするんですが、今のところ落とし穴も見つけられず、不思議を抱えたまま不思議な顔をして家に帰ってきました。謎です。私、何か見落としていますか?

2006-01-10

風邪ひきました

連休中に風邪をひいてしまった。これはきたなぁと思って、ぞくぞくする背中をしょいながら買い出しに出かける私。ひどくなる前に食料やら水やら薬やら、ついでに本も、一通り買い込んでおかないと、一人暮らしの身の上では後でどうなるかわからない。

喉が痛み出し、頭がふらふらし、熱もぐんぐん上がる。38度を超えたところでひと段落。とりあえず連休中、家の中……というか布団の中に縮こまって過ごした。サトウ製薬のストナのイブプロフェンに励まされながら。

寝たり起きたりを繰り返し、目が覚めると、沖仲仕の哲学者として知られる(といいながら、私はこの連休まで知らなかったのだけど)エリック・ホッファー氏の自伝「エリック・ホッファー自伝 構想された真実」を読んだ。読んだり寝たりを繰り返していたら、私にしては珍しく一日で本を読了した。この本には我が家にテレビを置いていない理由が一言で書いてあった。「私は概して堕落しやすく、そうであるからこそ誘惑を避けることを学ばねばならなかった」と。

ちなみにエリック・ホッファー氏とは、7歳のとき失明、15歳のとき突然視力が回復、18歳で天涯孤独となり、28歳で自殺未遂、その後季節労働者を10年、港湾労働者を26年。正規の学校教育を一切受けていないながらカリフォルニア大学バークレー校で政治学を講じ、社会の最底辺に身をおきながら、読書と思索を続けて独自の思想を築き上げた人物として知られている。編集工学研究所所長の松岡正剛氏がつづる「千夜千冊」もあわせてどうぞ。

閑話休題。「本一冊読めるぐらいなら仕事しなさいよ!」って向こう側にいる私がうるさく叫ぶのですが、「それがなかなか、できないんですよねぇ」とこっち側の私がすまなそうな顔して頭をかく。その間に立っている私は、「まぁまぁ、明日から頑張りますよ、ね」と間を取り持つ。だから、明日から頑張ります。

2006-01-07

道を尋ねる人と道に迷っている人

最近は、道に迷っている人を見かけると声をかけます。以前は道を尋ねられれば対応していたけど、道を迷っている段階では気をもみつつもたいてい素通りしていたんです。でも、最近は躊躇せず声をかけるようになりました。もちろん自分がある程度道を把握しているところに限られるのですが(それは限りなく狭いんですが)、うちの近所には道に迷っている人が結構いるんです。

なんで道を尋ねられたら応えるのに、道を迷っている人に声をかけないのか理由を考えてみたんですが、これという理由は浮かんできませんでした。何か挙げるなら、たぶん「気後れしちゃって」という感じかなと思うのですが。

誰かが迷っていそうで、自分が教えてあげられそうなら、あまり難しいことを考えないで、単純に声をかけてみればいいんですよね。わからなかったらごめんなさいってことになっちゃうんだけど、声をかけてみないと自分が力になれるのかなれないのかもわからないし、声をかけられることで相手に大きな迷惑が及ぶことも早々ないかなと思うのです。

ものによっては、自分で知っていくプロセス自体に大きな意味があることもあると思うのですが、「あれ、この人道に迷っているのかな」と思う多くの場合、おそらくその人は何か用があって早く目的地に着きたいのに一人で立ち止まっている状態だと思うのです。別に試練を乗り越えて、目的地に到達できる道を自分の力で探し当てなければならないわけじゃない人が大半かな、と。万が一そうだったら、声をかけた時に「それは差し出がましいことをしました」と道を教えずに失礼すればいいだけのことだし。可能性で考えたら、やっぱりそこは難しいこと考えずに声をかけるべきかなぁと思い至るわけです。

こういうもの、つまり……もう少し広く考えると「困っている人をみかけたら声をかける」という昔よく聞いたような行為っていうのは、実際に行動した回数の分だけ、自分にとって当たり前のことになっていくんだと思うのです。だから、1回目はちょっと意識的にやることになるかもしれないし、2回目もちょっとドキドキするかもしれないけど、3回目とか4回目には当たり前のことになる、そんなものだと思います。というわけで、更なる当たり前化を図るべく日々精進。

2006-01-05

デイスパに挑む

年始の挨拶で「美容に努める」宣言したことを前の話に書いたけど、実はその晩、早速母に「じゃあ明日まつ毛パーマに行こうよ」と誘われ、「いや、それはちょっと」とあっさり断ってしまった私。私にとって、まつ毛パーマはお洒落さんがやるものと位置づけられており(私がいつもお洒落だなぁと思う人がやっていたから)、人並みレベルを目指す私の行動目標には含まれないという判断が、瞬時にかつ決定的になされてしまったのだ。おそらく。それで母は「あら、今朝美容に努めるって言っていたじゃない」とつまらなそうにしていたけれど、翌日にはルンルンとした足取りで妹を連れまつ毛パーマに出かけていった。

いやいや、しかし、美容に努めると宣言したからにはしっかりとした行動を起こさねばならん!と心改め、努めるということはそこに予算が割かれるということだ!と考える。考え方がおやじくさいでしょうか、ですよね。ともあれ、「鉄は熱いうちに打て」「思い立ったが吉日」「ものは試し」ということで、以前ラジオで紹介されていたデイスパに予算をあてることに決め、仕事にもみくちゃになる前に!と即効予約を入れてみた次第である(コースはいろいろあるようですが、私の選んだコースは顔から肩までのマッサージみたいなの)。

今日は(もともと直帰する目論見で)夕方に客先の打合せをくんでいたので、そのまま銀座に流れて少しデパートのバーゲンを散歩して時間をつぶし、祝デイスパ初体験!素敵なOLさんみたいな行動だ!と拍手喝采に紙ふぶき。

が、まぁそんな素敵さとは無縁にこれまで生きてきたので、まずお店にたどり着けず迷子になる。しばらく街をさまよった後、お店に電話をかけて道を確認するも尚迷い続け、違うビルに入りこんではお店の人に道を尋ね、それを何度か繰り返してようやっとたどり着いた。へと。

お店に入ると、私のこの所作はこういう場のお客さんとして普通なのだろうかという点に小心者心がうずく。「これに着替えて、ここに横になってお待ちください」と言われて、「えーと、これは下はそのまま着ていていいんですか?」と落とし穴に落ちないよう慎重に、慎重に歩みを進める。やらかしてしまう前に確認。「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」だ。昔の人はいいことを言う。

お店の人が部屋を出ていって、一人きりになる。上だけ着替えて下はそのまま。よし、問題なし。横になる。横になる?頭の位置と足の位置が逆さになっていたら、部屋に戻ってきたお店の人に吹き出されてしまう。えーと、いろいろモノが置いてあるこっち側が頭に違いない。横になる前にこの重大な問題を提起した自分の中の誰かに感謝する。

お店の人が戻ってきて……、「準備できましたね」と自然な対応。よし、間違いない。あとは耳をかっぽじって指示通りに。途中くすぐったくてこっちが吹き出しそうになりつつ、我慢我慢のうち次第に慣れていく。普通、この間はおしゃべりするもんなんでしょうか、黙っているものなんでしょうか、という質問は控えて黙ってみた。たぶん賢明な判断。

普段こういう世界に足を踏み入れないので、薄暗くひっそりいい匂いのするおんな空間に、男性のようにどきどきしてしまった私ですが、まぁせっかく入れるのだから「ものは試し」で一度くらい体験してみるのも悪くない。肌がきれいだと言ってもらえたので(人並みに化粧していない分痛む理由がないだけなんですが……)、いい気になってまた当分予算はあてられないでしょうけれど、新しいことに挑戦するという意味で、良い経験になりました。が、帰り道に銀座の街中で思い切り転び、慣れないことはしないもんだなと思ったりもする。あとは毎月自動引き落としされるフィットネスクラブで美容と健康に努めます。

2006-01-02

子どもに無償の愛を

元旦の朝、我が家には新年の挨拶コーナーというのがある。最初に父が5分くらい話をする。毎年、国際情勢を語り、日本の社会情勢を語り、その後家族の一年間を振り返り、最後にともあれ今年もみんな健康に!という話で締めくくる。昔は退屈であまり聞いていなかったけど、今は結構真剣になるほどなぁと思って聞いている。

その後、一人一人が一年の抱負を述べるようふられる。母は毎年「家族みんな健康に」という一言で終わる。私は今年は「仕事と美容と健康に努めます」で、美容が入ってきたところに新しさが感じられる。妹はまるで天皇陛下のご挨拶のようなスピードで、言葉を選びながらいろいろ話していたけれど(たぶん半分ねぼけていた)、とにかく仕事をがむしゃらに頑張りますという話で、大きくなったもんだねぇと家族で拍手した。

そうしてみんなでお節やお雑煮をいただきつつ、父がいろいろ話をする。最後にはなぜか私が酔っ払いの父の話を一対一で聞くことになっている。みんないつの間に席を立ったんだろう。今回は年金問題と少子化問題を取り上げ、そこからじりじりと私の結婚問題に落とし込んできた。敵もあの手この手で攻めてくるものだ。しかし、「おまえは日本株式会社のために何ができる?」と問われて「結婚します!」「子を産みます!」というのも……、なんだかねぇ。

その後、お昼からは近所にある母方の祖母の家にご挨拶へ。兄一家も直接そちらに向かうということで、久々に甥っ子とも再会。まぁ、大きくなってかわいくなって、ますます私はめろめろだ。本当によく笑う子で、まるで天使のよう。テーブルの角にぶつかって口の中を切ってしまっても尚、彼は血をしたたらせながら笑っていた。それもまたかわいい。愛は偉大だ。

私の世代は従兄弟が9人いて、昔は大晦日の家族麻雀に引き続き、お正月は叔父や従兄弟たち10数人で雀卓を囲んで夜遅くまで麻雀をしていたのだけど(ふすまにはでっかいカレンダーの裏紙をセロハンテープでつなげた手作りのヤクの一覧表が貼られた)、今は彼らの子どもたちがすくすく成長している時代。ある従姉妹の上の子は小学4年生になっていて、あぁ世代交代だなぁと思う。そのうち、私が叔母として参加する麻雀大会が復活する日もくるのだろうか。

とりあえず、お年玉はすでにあげる側に立たされている。でも、悪い気はしないんだな。むしろ、なんだかいい気分。子どもは無償の愛に包まれるべきだという気持ちが、どこからやってきたのかわからないけれど、大人になるとどっかから揺ぎない形を成してやってくるもので。なんだかいとおしくてたまらない。とりとめのない話ですが、なんとなくそんなことを感じるお正月でした。

2006-01-01

おうちで大晦日

今年のお正月は実にのんびりしていて良かった。年末年始は家族旅行に出かけるのが恒例行事なのだけど、今回は妹が仕事で疲労困憊、一人暮らしを始めたこともあってお正月は実家でゆっくりしたいと希望し、千葉のおうちでのんびり過ごすことになったのだ。

大晦日に千葉に戻り、甥っこのお年玉にと積み木を買って、実家に帰った。かばんの中には父に文庫本を、母に映画のDVDを、妹にハードゲイのストラップをしのばせて。みんなにお年玉をもって帰るなんて、私も大人になったものだなぁと思う。まぁ、ちょっとしたものだけど、プライスレス、プライスレス。

大晦日はお鍋と年越しそばで、レコード大賞→紅白をみて、久々にいろんなCM映像もみた。つまりは、食べてテレビみていただけ。小学生3、4年くらいまではこれと並行して家族でトランプをしていて、小学生5、6年から中学生くらいまではこれと並行して家族麻雀をしていたんだけど、もう久しくトランプも麻雀もやっていない。それにしても賭け事が好きな家ですね、まったく。

深夜11:45になると、紅白が終わってNHKがいきなり静かになって「ボーン」と鐘をならすので、私はお風呂に向かう。年が明けたときはお湯につかっていた。そして出てきて、すぐに床についた。家のお風呂はのんびりつかれるし、家のお布団はとってもあったかい。

お布団には本当に感動した。そうか、睡眠というのは本来こうやってとるものなんだな、と思った。母国でお寿司やさんに通うアメリカ人が初めて日本を訪れて本場のお寿司を食べたときの感動に近いものがあると思う。お寿司ってこういうものだったのかっ!と、睡眠ってこういうものだったのかっ!の感動。非常に近しい。東京の寝床の環境が悪すぎるらしい。

ともあれ、快眠で明けた2006年。実りある一年になりますように!

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