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2005-12-31

明日から来年

仕事をよくした一年でした。
よくものを考えた一年でした。
本をよく読んだ一年でした。
ものをよく書いた一年でした。
少しだけ強くしなやかになった一年でした。

初甥に心奪われた一年でした。
昨年よりは両親を大切にできた一年でした。
年下の人たちとおつきあいが深まった一年でした。
同世代から年上の古い友人に感謝する一年でした。
人に臆病な一年でした。

歯医者さんに通った一年でした。
食生活が相変わらずな一年でした。
遅寝遅起きになりかけた一年でした。
プールに通ったり通えなかったりの一年でした。
最終的に太ってしまった一年でした。

プライベートはとことん地味な一年でした。
でもロンドンひとり旅を体験できた一年でした。
地震と事件の多い一年でした。
悲しみもいろいろあった一年でした。
まだまだだなぁと痛感する一年でした。

だから、来年があるんだよ。

2005-12-29

三夜はしご酒

今年も終わりだけど、今週前半に今年初めて3日連続でお酒を飲んだ。月曜日は個人仕事でお世話になった方数人との小会合と思いきや、行ってみたらテーブルが3つ、10数人が並んでいた。私以外みんな男性、某広告代理店の忘年会だった。え、そういうタイトルの会だったの?と驚いたけど、後に前からおつきあいのある女の子がやってきて、結局二次会まで参加させていただいた。普段聞くことのないおっきな話が多くて面白かった。「男のロマン」話は外の国の言葉が多く、広告代理店まわりにいる人の交際範囲はとんでもなくただっぴろい。クルマとかバイクとか金属バットとか海軍とかが出てきた。

でも一番嬉しかったのは、後から来た就職一年目の女の子に、「年始に食事でも」と誘われたこと。これはなんだかとても嬉しいですね。

火曜日ははしご酒。新橋じゃありません、原宿です。今の職場でお世話になっているWebのプロダクションでお好み焼き忘年大会を催すというので、上司や同僚とオフィスを訪問。チヂミ風お好み焼きをつつきつつ、梅酒を3、4杯。パーティーは苦手なので、隅っこでちょこまかとお話。でも隅っこにいる人とのおしゃべりは楽しかった。面白そうなDVDもタダでもらっちゃった。ここら辺業界周辺の社長さんは本当に同年代が多く、気さくなつきあいができて快い。

夜9時過ぎに引き上げ、今度は数えてみたら7年来のつきあいになる古い友人に会う。原宿駅で落ち合い、9時過ぎから結局深夜1時過ぎまで話し込む。ここでも3、4杯飲んだと思うんだけど、はて私ってそんなに飲めたんだっけ。全然酔っ払った感じしなかったけど、これはひそかにお酒が強くなっているということ?それも、前日もビールとサワーとワインを飲んでいるというのに。

とにかく仕事の話から「もっとプライベートを充実させよ!」という叱咤激励まで、いろいろおしゃべりして閉店時刻に追い出された。店を出て地下鉄の駅に下る階段のところまで行くと、入り口のシャッターがおりていてびっくり。現在時刻を知りタクシーで帰宅。タクシーのおじさんと景気の話をする。なんだか歳をとったなぁと思う。

水曜日は会社の納会。ビンゴ大会でレイザーラモンHGのストラップを当てる。ボタンを押すと、4種類のハードゲイボイスが炸裂。会社の人から噂では聞いていたけど、このおもちゃで初めて彼の声を聞いた。対象年齢6歳以上。教育上の問題ではなくて、誤飲の危険を避けるため。電池交換もできる。妹のお年玉にしよう。この日はさすがにくたびれて、1次会で帰ってきた。でも、まだなんとなく、今年は年末って感じがしない。

それで翌日、一所懸命に部屋の大掃除をしてみたら、一気に年末ムード。そうか、子どもの頃からすり込まれてきた「自分にとって年末らしい行動」を積み上げていくと年末ムードが高まるんだな、と思う。はしご酒より大掃除。

2005-12-25

ピーター・ドラッカー氏

これはしびれる。求婚したくなるほどカッコいい。まだ読みかけの彼の本を抱きしめて、心から敬意を表する。そして、遅ればせながら哀悼の意を捧げる。95歳、老衰で先月亡くなってしまったのが本当に残念でならない。現代経営学の父とも、マネジメントの発明者とも呼ばれたピーター・ドラッカー氏。あぁ、読むのが遅いんだよなぁ、私。でも、遅かろうとこの出会いに心から感謝。

果てしなく広い視野で世界を洞察し、そこから今を生きる私たちが認識すべき要点を不純物を取り除いた形で浮かび上がらせ、直截簡明な言葉で届けてくれる。そして語られる言葉の根底にはいつも、真実を探求し、それを受け止めるまっさらな心と、人に対する深い愛情が感じられる。あぁ、カッコいいなぁ。

彼の本がこれだけ評価されているのは、世界中に彼の本に感銘を受ける人があふれているから。みんな、大変な思いして仕事してるんだよなぁと思う。私が3kgぐらいの重みで苦悩しているとき、25m先のドラッカー読者は5tくらいの重みを支えながら仕事をし、50m先のドラッカー読者は500tくらいの重みに耐えながら仕事をしているのだろう。

各々が自分なりにドラッカー氏の言葉を反芻しながら仕事をしている。私も自分なりに彼の言葉を吸収して、彼が生きたのと同じ世界を生きていたい。広く果てしない、真実を基盤にした、目的的な世界を求めて生きていたいと思う。

2005-12-23

少しずつ上向き

2005/12/20の「よわった」話でアタマの中のものを出し切った翌日から少しずつ上向いてきた。先週からせっせこ積み上げてきた取り組みの成果が出て短期的な達成目標が見えてきて、少し事態が落ち着いたのだ。

また、ごはんをつつきながら話を聞いてもらって、気持ちがすっきりしたり。惜しみないサポートやアドバイスをもらって、心がほっこりして、がんばろうって思えたり。気分もちょっとずつ上向き。

まだまだ気は抜けないし、同じような活動は続けていくけれど、少し長期的にみて企画仕事にあたる時間も、気力・体力も、もっていけそう。木・金曜には早速少し時間をさいて、今回の打開策の一つをシナリオにまとめていった。それを集中して思考する頭と、真っ白い紙にシャープペンを走らせる手が、まるで梅雨の中休みに久々太陽のもとキャッチボールを楽しむ野球少年のように喜んでいる感じだった。

この一週間くらいの苦悩のおかげで、社内外で自分の支えになっている人の存在を強く感じた。一人ひとりが、私にとって唯一無二の大切な存在なのだ。自分はこんなにもいろんな面を人に支えられながら日々を生きているのだ。このことは、決して無意識のもとにおいやっちゃいけない。こっそり寄りかかった分、いつか、こっそり寄りかかってもらえるようになりたいと思う。

それから、今の会社で自分が何をしたいと思っているのか、しっかり認識する機会にもなった。なんでも、失ってみるとよくわかるもの……。というわけで、これはこれで結構貴重な経験だったのかなと思う今日この頃。おめでたい。

2005-12-20

よわった

立ち直りの早い私も、自分の状態を立て直すにはそれなりに時間を要する。ただ時の流れに身を任せてしばらく……というより、どちらかというとその真逆で、自分なりの頭フル回転で論理思考で考え抜く。自分の状態をどう受け止めて、それをどっちの方向へどういう心持ちをもって促していけば、私という人間は納得して前進しようとするのかを考えて、精神面の足場を固めるのだ。

そういう作業をちょこちょこ時間を置きながらやってきて、この1週間弱で自分の状態と思考の落としどころまでは見えてきたのだけど、頭でそう思っても、まだまだ気持ちを立て直すまではやりきれていなくて、だいぶ疲弊している。会社の中はどうにかもつんだけど、帰り道からがかなりしょんぼりモードだ。

でも、ここで「やりたい仕事」をさせてもらうためには、先ごろ目の前に立ちはだかった「やらなきゃいけない仕事」を達成しなくてはならない。そうして、やらなきゃいけない仕事をしていると、それだけで時間が過ぎ、それだけで疲弊してしまって、やりたい仕事への時間と気力・体力が残らない。でもそのままにしていては、自分がここに入社を決め、仕事している意味がなくなってしまう。

だから、早くやらなきゃいけない仕事をクリアする仕組みを作らないといけない。でも、仕組みを作るためにはそのための企画が必要で、それもまたそれだけの時間と気力・体力が必要だ。でも、今はその時間を割いて企画を起こすより、仕組みはさておき1つでも2つでもまずは数字を上げる仕事が求められている。1を10にした時初めて落ち着いて企画仕事を許される感じがする。

または、数字達成に注力した上で、それと並行して企画を立て推進するだけの時間と気力・体力を生み出すか。そうするのが一番いいんだろうけど、そのためには冒頭で話した気持ちの立て直しが必要だ。

もがく私の姿を見て、それに気づいた周囲の人が温かくサポートしてくれる。実のあるサポートをしてくれるから、そのサポートを120%活かして自分が成果を生み出さないと、せっかくのサポートも無にしてしまう。泣き言をいってないで大人にならないと。つまり、気持ちの立て直しをすればいいってことか。

2005-12-18

2kgのお米をたいらげた

つかぬことをうかがいますが、あなたはお米を一袋買ってきて、それをどれくらいの期間でたいらげますか?お米の入っている袋って、精米年月日は書いてあるけど賞味期限や消費期限って書いていないですよね。どうやら書かなくていいらしいんですけど、デファクトスタンダードはどれくらいなんでしょうか。

Googleで「お米の賞味期限」と「お米の消費期限」を調べてみたところ、おおよそどのページも書いていることは同じで、ざっくりまとめちゃうと、春・夏は2週間~1ヶ月程度、秋・冬は1ヶ月~2ヶ月程度ってことです。これは精米した日からの目安期間ということです。

驚きましたね、これには。お米ですよ。天下のお米。精米からもって2ヶ月ってことはないでしょう。いや、確かにグルメ舌の賞味期限はそれぐらいなのかもしれないけど、消費期限の単位は間違いなく「年」だと思っていました。

私、本日朝をもってようやっと、妹が引越し祝いにくれたお米をたいらげたんです。引越したのが昨年の4月だから、今朝食べたお米は精米日から少なくとも1年8ヶ月は経過していると思うんですよね。私もまぁ、2kgのお米をそんな時間かけてたいらげるなんてちょっと大人気ないかな、とも思いますが。

でも、無洗米って書いてあったから軽くしか洗わなかったけど、今のところ体調は良好、まったく問題なしですよ。半年とか1年で「おまえはもうダメだ」なんて烙印を押してしまうのはひどいですよ。1年半も放っておく方がひどい?そうか。そうだよね。うん。さて、2006年用のお米、買おうか、買うまいか。

2005-12-17

仕組みと運用

世の中のいろんな物事は、ある「目的」のもとに「仕組み」と「運用」の階層に分けられると思うのです。例えば「基本1日3食」「遅く起きた朝には1日2食」という人がいたとして、意識しているわけではないけれど、それはおそらく「健やかな生活を送る」ために行われている。この場合、「健やかな生活を送る」のが目的、「基本1日3食」が仕組み、「遅く起きた朝には1日2食」が運用時の例外対応、というように。

この3つが整理されていないと、社会生活はものすごくおかしなことになる。目的と仕組みの共通認識がないままだらだらと各々に運用だけがなされていたり、運用領域に余地を残さずなんでもかんでも仕組みに組み込もうとして無理が生じたり、そもそもの目的を見失ったり。こういうのは、仕事場面でも結構目にする機会があるものだ。

新聞の社会面に載るような話題にも同じことがいえると思う。というか、新聞記事を読んだ後、その話がラジオのニュースでも取り上げられていて、この話を書き出したわけなのだけど。

福岡の中学校の授業で、先生が生徒に「赤紙」を配り戦争に行くか行かないかを回答させ、行かないと回答した生徒には「非国民」とコメントをつけた用紙を後日返却したというニュース(より正確には「個人的な事情で断るのは非国民」というコメント)。

朝日新聞の記事には「学校や町は授業に問題はなかったとしている」と書いてある。じゃ、いいじゃんと思う。だってこれは各地域や各学校、各クラスでの運用上の問題だ。共通の目的意識のもとに運用上で何がなされるかは、国や社会の単位(仕組みづくり担当)で取り決めたり判断できる領域ではない。どうしてそういうことをしたのか、教師が何を伝えたかったのかを生徒にわかってもらうフォローは欠かせない。でも頭からこの演出を非難することもない。

朝日新聞の記事は、一定の公平性を保った書き方がなされていると思う。でも、この後ラジオから流れてきたニュースでは、この事実の一側面だけを切り取って「~行かないと答えた生徒には、非国民と書いて返していたことがわかりました」と報道され、「非国民」のところにこれを非難するアクセントがつけられていた。これだけの情報にしぼって編集しておいてそんな言い方をしたら、聞き手は事実の総体をつかみきれないどころか、マイナス面にひきずられた偏狭な捉え方しかできないことを、人に伝える仕事をしている人間ならわからないはずがない。そういうことをわかった上で報道する内容を組み立てられるからこその報道機関のはずなのに、なんてお粗末なんだろうと思う。

マスコミが頭から非難するつもりで報道していなくとも、今の日本では安易に非難に走りやすい。「マスコミが取り上げた」という事実だけで、ワイドショー的第二マスコミ群やその先の市民は批判意識を持ちやすい。それは、物事の良い面を浮き彫りにするより、物事の問題点を挙げる方がはるかに簡単だからだ。特に解決策や代替案を提示する責任をもたずに問題点だけ指摘するのはたやすい。

こういうことでまた「マスコミからたたかれる前に」と、国や社会の仕組みづくり機関が新たな運用上の取り決めをしたり、授業からより一層の自由排除運動をしたりすると、もう本当に教室では何も学べなくなってしまう。日本の教師は演出力を欠き、教室からは創造空間が消えうせて、それでいったい何を子どもに伝えようというのか。

ということで、知ったような顔して随分偉そうなことを述べましたが、もとに戻ってくると、私たちは「目的」と「仕組み」と「運用」を整理して物事を捉えるべきだし、自分が各テーマにおいて「仕組み」を作る役割なのか、「運用」する役割なのか、自分の立ち位置を強く意識するべきだと思う。仕組みを作るところが安易に運用領域に踏み込んで自由を奪ってはいけないし、運用するところが目的を見失って仕組みに動かされてもいけない。目的を実現する上で既定の仕組みがうまいこと機能しないケースがあれば(いや機能する場合でも)、運用する役割は目的を実現するための運用のあり方を創造すべきだし、仕組みを作る役割は運用する側に歩み寄るべきだ。

個々の生活レベルでどうこうということではないけれど、集団で形成する社会生活においては、とても大切なことではないかと思うのです。長くなりました。長くなった割りに、話があんまりまとまっていない……。

2005-12-15

何せ私はサラリーマン

今日は朝っぱらからドンパチがあって、一日中今にも雨が降り出しそうな曇り空だった。自分の弱さについてうんと考えた。感情の波に揺れる自分、その波を手にとって冷静に分析する自分、その分析結果を聞いて、私って弱いなぁと打ちひしがられる哀れな自分もいた。とにかく、隙あらば泣き出したい一日だった。隙がなかったので頑張って泣かなかったけど。打たれ弱いなぁ。

ただ、こういうときこそ敏感に感知するようになるアンテナもあって、今日は表情を失ってがりがり仕事する自分を温かく包んでくれる女性たちの振る舞いに心から感謝した。私はこんな人たちと一緒に仕事ができているんだ、と嬉しく思った。

果たして、周囲に自分みたいな打ちひしがれ坊やがいたとして、私はこんな振る舞いをできただろうか、とも思った。自分の仕事にのまれて坊やに目を向けられなかったのではないか、気づいても自分の時間を削ってサポートすることなんてできなかったんじゃないか、とどぎまぎした。

今日の痛みがなければ、彼女たちの温かみを実感することも自分の振る舞いを振り返ることもできなかったのかと思うと、その痛みは自分にとって必要なものだったのだと強く思う。そうやって少しずつ深みをもち、豊かになっていくのが人の生きる道なのだと思うと、人間っていうのはなかなか素敵な生き物だよなと思う。立ち直り早いなぁ。

とにかく今の私は、新しい場所のものの考え方や人の動かし方を一旦受け入れてみて、慣れてみるのが一番建設的なんだろうという考えにいたる。自分に適した流派は一旦置いておいて、今の場所の流派にも対応できるだけの精神力を養うことで、自分の許容量は今より高まるはずなのだし。そうして一旦受け入れてみながら、自分に適した流派も自分個人の仕事のやり方として大切にしていけばいいだろう。ここを譲らないところが頑固者……。

2005-12-14

とりあえず10日ぶりに復帰

12月は師走。師匠が走るなら、弟子は猛ダッシュである。言うまでもなく弟子ランクの私は、今月に入ってから明けても暮れても週末が来ても、ひたすらに仕事をしていた。あれとこれとそれを一気にやらねばならなくて、ちょっと大変だったのだ。夜にめっぽう弱い私が草木も眠る丑三つ時まで頑張っていた。

今日までに、いくつかの仕事でひと段落がついた。それぞれ、手塩にかけて育てた子らが成人を迎え、私のもとからしかるべき人のもとへと旅立っていく。「達者でなぁ、かわいがってもらえよぉ」と涙ふきふき大きく手を振って私は彼らを見送る。BGMは「ドナドナ」。いや、そんな切ない物語じゃないけど。むしろ、安堵感や期待感といった健康的な涙である。いや、泣いてないけど。

手を振る先は、まぁ何らかの文書だったり原稿だったりするわけだけど、こういうものを作るとき、私は無音状態が一番はかどる性質で、そのためここ最近は家に帰ってもラジオをオフにしていることが多かった。ラジオをつけていないと、我が家は本当に無音になる。しーんとした中で、本当にただただ、うーんとうなったり、かたかたキーボードをたたいたりして時間が過ぎてゆくのだ。

そういうわけで、私は現在、いつもにもまして浮世離れはなはだしいと思う。この間上司が読み終えた週刊文春をくれたけど、あまりに世俗的で、私のいる星が地球とするならば週刊文春のお話は火星について語られているぐらいの感じがした。でも、同じチームのお姉さんは、私が月からやってきたと言ってきかない。それがそうだとすると、私が月にいて週刊文春はやっぱり地球のお話だったね、ということで、まるくおさまるのか。じゃあ、まぁ、良しとしよう。

2005-12-13

真実を語らう庭

これも実は14日に書いているのだけど、13日のことだったので、13日のお話ということで。まぁ、良しとしよう。

この日はまだ個人的に繁忙期の真っ只中にあったのだけど、とにかく重要な会があったので、夜はそこへ向かった。昔の同僚数人と会う予定だったのだけど、彼女たちは私にとってもう本当に大切な人たちなので、久しぶりに久しぶりの顔がそろって、本当に嬉しかった。しみじみと感動すらしたし、帰るときは涙が流れてきそうな勢いだった。

顔を合わせてテーブルに向き合えば、こうやって席を並べて仕事をしていたのを昨日のことのように感じるし、冬の夜空の下みんなで通勤路を歩けば、明日だって同じように一緒にこの道を歩いて帰れる気がする。実はそんなことは決してないんだけど、その距離感が切なくもあるし、そういう物理的な距離ができてしまっているにも関わらず、そんなことを一切感じさせないフィット感が心強くもある。不思議な幸せを味わえたひと時だった。

彼女たちと話をしていて思ったのは、一人一人のことはもちろん、彼女たちと共有する空間や空気感を私がとてもいとおしく思っているということ。それは、そこに真実があるからなのだということ。変にとりつくろったりせず、自然のままにお互い心配りをして「真実」を共有して過ごした仲間という感じだ。

長く時間と空間と仕事を共にする仲間が「嘘」をベースに関係性を築いても、いつか崩れ落ちるだけだし、それではもったいない。彼女たちと過ごした空間は、実に純度の高い真実空間だったし、そうあるように無意識に努めていた面もある。その時間の積み重ねがあるからこそ、今となってしまえばそこが職場であれ、どこかのお店であれ、みんなが集まればそこを「真実を語らう庭」にするだけのパワーを持っている。嘘はない。遠慮もない。だけど温かくて、心配りがあって、真実がある。この信頼関係は強いと思うし、居心地がいい。

離れていても一人一人のことはよく思い出すんだけど、話をしたところ、私もふわふわ飛んでいく天女役で夢に登場させてもらえたりしているらしく、ここの話も読んでもらえたりしているらしくて、とても嬉しい。最近お母さんになったコは、2005/8/25の話を思い出して陣痛を乗り切ったらしいから、妊婦の方はよろしければお試しください。この話で乗り切れるって、すごい翻訳力。

2005-12-04

しなやかな強さ

ここのところ、自分の担当しているサービスの再編にあたって、体系作りから新サービスの企画・開発(って書くとちょっと格好良すぎだけど)、社内外の広報まで大詰めの状態で結構大変だった。身になるし、こつこつ頑張って成果が見え隠れしてくるのはやりがいがあるんだけど、まぁいろいろ大変なこともあるし、今後運用にのせていって価値化していけるかどうかが勝負なので、これからがまた大変なんだよなぁとか。まぁとにかく、結構自分なりに頑張っている今日この頃なわけです。

が、しかし、そういうふうに「私なりに精一杯頑張ってるなぁ」なんて自画自賛していると、知らぬ間に大変な落とし穴にはまっているものである。何が辛いって、自分が落とし穴に落ちた時点でそのことに気づけないことほど情けないことはない。

「何かを作っていくこと」にはものすごく初心者意識があるし、これは本当に入り口なんだって気持ちが強い。だから、自分が「この上ないもの」を作っているっていうおごりはもちろん湧いてこないし、変に自分の位置を見失ってしまうこともない(という思い込みもないようにしたい)。ただ、「人に対する配慮」にはある程度きちんとしているという自負が私の中にあったんじゃないかと思う。

でも、今回「何かを作っていくこと」に集中していて、「人に対する配慮」に欠けていた。欠けていることに、たぶんその自負がじゃまして気がつけなかった。やっと気づいたときには、人を少なからず傷つけてしまっていた。謝ることしかできなかった。正面から受け止めて、自分のどういう弱さがそれを引き起こしてしまったのかを考えて、その部分を鍛えていくほかない。たどり着いたのは、どんなときでも視野を広くもって全体像を捉えて人に対する配慮を怠らないことであり、そして自分のおごりに負けないことだった。結構難しい……。

すぐに身につけられるものではないだろうし、こういう体験をすると本当に、自分は弱く情けない人間だなぁと思い知らされるけど、とにかく情けない自分を形成するものを一つ一つ正面から受け止めてどうにかしようと考えて行動できる、そういう強さだけは持っていたい。しなやかな強さ。それがあれば、少しずつでも上に這い上がっていけるはず。心底落ち込めるうちは、まだ大丈夫だ。

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