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2005-10-28

酒盛りでお化粧

先日日曜出勤したのが報われた。今日クライアントさんのところへプロジェクトの最終報告に出向き、ものすごーく満足した顔でお礼を言われた。私もものすごーく嬉しかった。がんばった甲斐があった。勉強にもなった。大変だったけど自分にとってとても実りのある仕事だった。

ちょうど今日は自分の所属している部署の「上期頑張ったね、下期も頑張ろうね会」だったので、嬉し楽しの酒盛りとなった。からかったけどおいしかった。

酔っ払った席で、君はなんで眉毛が細い(っていうか薄い)んだ、髪型が変わらないんだという話になった。それはもう、放っておいているからに他ならないんだけど、それではいかん!という話で、まぁ、お気持ちはよくわかります。のっぺりよりくっきり、だらっとよりさっぱりですよ、やっぱり。でもね、不器用だし、面倒くさがりだしっていうのもあって、顔にも髪にも自由にやらせる放任主義で長いこときちゃってるんです、もうかれこれ何十年と。

すると、隣に座っていた今月から私のいるチームのサポートをしてくれている派遣社員の女の子が「今やりましょう」と立ち上がり、自分のバッグから化粧道具を持ってきてその場で実演販売のようにアイメイクをしてくれた。

目がはっきりくっきりして、なかなか好評でした。もともとがかなり薄っぺらい顔なので変化がわかりやすいのでしょう。っていうか、普段化粧しなさすぎなのでしょう。思い起こせば、この顔は人を化粧したい気分にさせる顔らしく、これまで結構たくさんの人にうずうずした顔で「うぅ、化粧したい」と言われた。これまで勤めた職場で言われなかったことはないし、初対面の居酒屋の店主に目の前に座られて言われたこともあった。営業妨害な顔だ、まったく。

でも自分の顔が自分の顔っぽくなくなるというのは、ちょっとおそろしい。だって、鏡とかガラスにうつった自分を見ても、すぐに自分と認識できないのだ。鏡にうつった自分を見て、瞬時に自分とわかれば察知してよけられたはずの危険から逃れられなかったりしたら困る。化粧してもらったことをすっかり忘れ、帰り際お手洗いに行って鏡にうつった自分の顔を見て、「おっ!」と驚いた。「あなた、どなた?」と尋ねたい気分になった。そして、わが身を案じた。

2005-10-27

安岡力也とさつま揚げ

何百年も前から、どこかに移り住むこともなくずっとそこに暮らしてきたに違いない。ずっと見つめていたら、そのうちおへその辺りに表情を浮かび上がらせて何か語りかけてきそうな大木たち。

木陰には結構な数の人たちが集まっている。頭にハチマキをしてこれからマラソン大会でも始めるかといったテンションで、みな一様にイキイキとした顔をしておしゃべりしている。いくつかの小集団ができていた。それでも、皆の影は一本の大木の木陰の中にすべて飲み込まれていた。

私がいた小集団にはさんまさんもいたし、安岡力也もいた。さんまさんはよくしゃべっていたし、安岡力也は少しムッとしていた。少しすると人々はゆっくりゆっくりと移動を始めた。いよいよマラソン大会のスタート地点に向かうといったふうに。

大木の木陰から抜けて、頭上には薄く青い空が広がる。視線を落とすと、たくさんの出店が並んでいて、出店によって遠くまで通りがつくられている。背景には大木の子どもたちが列を成している。耳に届く音はそれまでずっと「ざわざわ」としか聞こえなかったのに、空の下に出ると急に人の声が近くなった。

私は安岡力也と一緒に、まるで旅モノのテレビ番組にでも出ているかのように一軒の出店の前で足を止める。安岡力也が店のおばちゃんと交流を深めながらさつま揚げを口にする。おばちゃんが「どうだ!うちのさつま揚げは」と自慢げな表情を浮かべる。安岡力也が満足そうな表情でそれをほお張る。

それじゃ私も……と思う。手を伸ばそうとする。そこで目が覚めた。なんだ。なんだ。時計を見る。時計の針は8時きっかりをさしている。一時間後には会社にいなくちゃならない。一時間後、私は会社の自席に着席していた。さつま揚げは食べられなかったけど、会社には遅刻せずに済んだ。なんだ。なんだ。

2005-10-26

頭よじれぎみ

さすがに、日曜に午前中から出勤して22時過ぎやっとの思いで社を後にすると、帰り道に夜空を見上げながらため息一つ漏らしてしまっても、快く許してあげましょうよって気になります。で、あっさり許してあげました。

日曜の出勤というのは、開き直れば土曜日以上に仕事がはかどるなかなかの環境なのだけど。でもやっぱり、日曜出勤特有の完全なるオフィスの静けさや、日がとっぷり暮れた後の人気ない街を背負って帰途につく乏しさは、「あぁ……」ってため息を誘いますね。別段たいした予定がなかったとしても。そう思ううちはまともで、そう思わなくなったら危険信号なのかもしれません。まぁ、実際この一日の頑張りがあったおかげで今日があるわけなのだけど。

いろいろ、考えなきゃいけないこととか生み出さなきゃいけないこととかあるわけですが、まぁ休憩は必要です。やっぱり。頭の回転数をフルパワーにして、何か有用なものを形づくっていくためには、それを意欲的に長く続けていくためには、人としてのメンテナンス時間みたいなものが必要なんですよね。メンテナンスって言っちゃうと、仕事のためにその他の時間があるみたいで、ちょっと適当な表現じゃないんですが。

一部分ばかり回転させつづけておくと、磨耗して使い物にならなくなっちゃう。それでも使い物になっていないことに気づかず、回転しつづけていたりして、これほど胸の痛いことはありません。がんばっているのに何の価値も生み出していない状態なんて切な過ぎます。でも当事者になると、冷静になってそれに気づくのって結構時間かかりそうじゃないですか。気をつけないと。そもそも、その一部分をフル回転させるためだけに生きているわけではないし。

そんなわけで水曜は代休をとりました。新しい上司から「絶対にとりなさい!」って命令がくだり、最初は仕事山積みだし、そのまま走りつづけようかなぁと思っていましたが、「休む日決めた?」ってもう逃れようなく休みなさいって感じだったので今日をお休みに。結果的に、とても良かったです。上司に感謝。

2005-10-21

村上春樹、CD-ROM付、漢字Talk

父から「今完読しました読みごたえがありました」とメールがあった(毎回書くけど句読点がない)。先週末送った厚い文庫本2冊を見事読み終えたらしい。「それが面白かったら、続編の上下巻を送るから連絡ちょうだいね」と言っておいたので、連絡をくれたということは次を送れということなのだろうと、早速本屋さんに行き、続編を買い求めた。

土日も仕事なのだからと残業を早めに切り上げて、(今回も目当ての品が駅近くの本屋には置いていなかったので)大型の本屋さんへと足を延ばした。そこは本のパラダイス。村上熱が再燃中の私に、父に贈る本だけ買って帰るなんてできっこない。あっちでもこっちでもミニスカートのお姉ちゃん(でも顔は村上春樹)が足を組み替えながら私を誘っている。

で、やっぱり手が伸びてしまった。せっかく大きい本屋さんに来たんだからと、ちょっとマニアックめかもしれない本。「村上朝日堂 夢のサーフシティー」「村上朝日堂 スメルジャコフ対織田信長家臣団」どちらも絵:安西水丸さんの村上春樹作品(朝日新聞社)。加えて「少年カフカ」(新潮社)も。ちなみに最初の2作品はCD-ROM付。「CD-ROM付」って、このご時世ではちょっとマニアック感漂いませんか。

「~夢のサーフシティー」は98年夏の作品なので、CD-ROMの動作環境に「ウィンドウズ95が正常に動くパソコン」とか「漢字トーク7.1以上のOSが入ったパソコン」とか「インターネットエクスプローラ3.0~4.0 ネットスケープナビゲータ3.0~4.0に対応」とか書いてあって、それだけで十分しみじみする。Mac OSは使ったことないけど、前身の漢字Talkは数年使っていたんです。

なんて、へんなところでノスタルジーにひたっている場合ではない。今週末は土日とも仕事をしないと絶対に間に合わない。ということで、今日くらいは村上春樹に埋もれてもよかろうと読みふける私。土日の私にエールを送りつつ。

2005-10-19

コラムを書きました

最近勤務先でブログを立ち上げまして、そこでコラムを書くことになりました。ひと月1回更新の「キャリアアップ講座」というコンテンツに3人持ち回りで書いていく予定なので、私個人では3ヶ月に1回書けばいいというものなのですが、私は初回の担当で本日アップロードと相成りました。

ただいまwith Dというブログで見られるようになっています。ちょっと文章長めなのですが、お時間のあるときに良かったら読んでやってください。あっちからこっちに来られるとちょっと困ってしまいそうですが、こっちからあっちに行く分には問題ないですよね、きっと。よくわからないけれど……。

それにしても、これに対する率直な反応がまったく得られないので、時間が経つにつれ(ってまだ一日も経っていないわけですが)、どんどん不安になっていきます。サイト立上げから日も浅く、今のところ社内外ともそう精力的に広報しているわけではないので、書いてみたものの感想ってものが耳に入ってこない。ブログの運営部門からも、ダメ出しはないものの「ここが良いね」という話も特にないので不安が募ります。まぁ、害にはなっていないってことなのかもしれないですが、それだけっていうのもちょっと結構かなり申し訳ないし。

物書き仕事はいくつか経験があるのですが、署名入りは初めてですしね。自分なりにいろいろ試行錯誤してまとめたので、アップされてみるとなんだかんだ自己満足感もあるわけです。これは両親に報告せねば!とも田舎もんは思うわけです。そして、親もまた素直に喜んだりしてくれたりしてね。あらまぁ、スゴイじゃない?!なんて。えぇ、千葉ってそういうところです。だから、それに流されて勝手に自己満足して終わってしまいそうなのが恐ろしいんです。

というわけで、こちらに訪れてくださった親愛なる皆さま。読んでみて何か思うところがあったら、一言コメントでいいのでご意見ください。ここにサイトの企画意図やターゲットまで具体的に書きませんが、文章が読みやすいとか読みにくいとか、好感がもてたとか気分を害したとか、単純に自分が自分として読んだ時の率直な感想をお聞かせいただければ嬉しいかぎりです。

あ、でも、感想をくれる場合は、どんなに「えいっ、やーっ、とぅっ」と落としても、最後にフォローを忘れずに。「でも○○はいいと思ったよ」って締めてくれれば大丈夫。打たれ弱いけど立ち直り早いですから。よろしくお願いします。

2005-10-16

秋の夜長に読書を愉しむ

この間の家族の食事会で、父に「今日は本ないの?」と言われた。月1回の食事会は恒例となりつつあり、前々回はその前後に本を郵送、前回は食事会の中で本を手渡していたので、父の中ではこの食事会と紐づいて月に1回ペースで私から本が贈られるものと認識されているようである。

実際、私としてもそういうつもりだったのだけど、ここ最近読んでいた本はどれも会社の人が貸してくれたもので、自分の所有物ではなかったので、食事会当日に手渡せる本を用意できなかったのだ。それまでに買っておけば良かったんだけど、近所の本屋さんでは見つけられなくって。まぁ、手抜きだと言われればそれまでなのだけど。

ただ、父に「今日は本ないの?」と言われちゃ、俄然やる気もわいてくるというもの。私の「本を贈る」という行為が、父に何らかの意味をもって届いているのだと思うと、私としてもぜひ継続してより喜んでくれる本を贈りたいと思う。

というわけで、日を改めて仕事帰り大きな本屋さんに立ち寄り、会社の人に借りた本を購入、それを新品のまま封筒に入れて父宛に送った。こういう手間やお金のかけ方はなんだかとても心地良いものだな、と思う。父からは発送した翌日にメールが入り、「早速本が着きましたありがとう毎日少しづつよみます」とあった。相変わらず句読点の打ち方を覚えていないようだ。

さて、最近の私の読書活動はというと、今は村上春樹に首ったけ。会社の人に村上春樹の新刊を借りて読んでいるというのはここにも書いたけど、そこから一気に村上熱が再燃。とはいえ、このところの仕事の立て込み具合を考えると長編を読み出す感じでもないので、まだ読んでいなかったエッセイや短編集を買ってちょこちょこ読んでいる。「村上ラヂオ」(新潮文庫)、「レキシントンの幽霊」(文春文庫)、「螢・納屋を焼く・その他の短編」(新潮文庫)と続く。

秋の夜長に読書を愉しむ。いいねぇ、いいねぇ。両親は誰に似てそんな読書好きになったんだろうねぇと不思議そうな顔をするのだけど、本当にねぇ。確かに読書を好きになったのは大人になってからだから家族以外の影響が大きいと思うのだけど。はたまた隔世遺伝か、あるいはフルネームの影響か。

2005-10-10

ダメもとで美容師に再会

半年ぶりに髪を切った。のばしすぎ。いつもはだいたい3ヶ月おきに美容院に行くのだけど、ここ10年ほどお世話になっている美容師さんが行方不明だったため、どこに行って髪の毛を切っていいのやら途方にくれてしまい、そのままちまよっているうち半年が経過してしまった次第。

それで今日はどうしたのかといったら、前回と同じお店に行って、前回と同じ美容師さんに髪を切ってもらってきた。なんだ、何も問題なかったんじゃないの。そう、世の中は何も変わっていなかった。美容師さんはずっとそこにいたのだ。あぁ、良かった。本当に良かった。安堵のため息。

ここまできたら、これまでの経緯を(長いけど)聞いてやってください。前回4月に髪の毛を切りにいった時、美容師さんが2ヶ月後くらいにお店を変えると言いました。この10年でも、美容師さんは数年おきにお店を変えてきました。お店を変えるときには必ず、見送りにお店を出たところで店を移る報告をしてくれました。そして3ヶ月以内には次のお店の案内を葉書で送ってくれました。

私としては「お店を変えずに美容師さんを変える」より「美容師さんを変えずにお店を変える」ほうが断然良いわけで、場所もだいたい原宿近辺だったので、その案内に従ってお店を変えてきました。というわけで10年のつきあいに。

しかし、今回は6月になっても7月になっても案内が来ません。4月の帰り際、住所を確認されて、登録されているのが古い住所だったので新しい住所をメモに残してきた、ということは案内が出されていればきっと届くでしょ。いや、あのメモをなくしたとか。いや、お店を変える時期がずれたとか。ちょっと長期休暇を取っているとか?体調を崩したとか?

外的要因もいろいろ考えてみたけど、一旦別の要因に目が向くと、どうしてもそっちに落ち着いてしまいます。そっちというのはつまり、長い間ずるずる引きずっている私の名を、これを機に顧客リストから削除したのではないか、という落ち着きどころ。そこにはまると、それ以外のところになかなか目を向けられなくなります。

だって、10年間もひたすら同じオーダーで、「はねない程度に切ってください」とストレートを保ち続けられたら、もうあのオーダーで髪を切るのも飽きたなぁと思われても仕方ないかもしれない。

髪を切られているときに寡黙すぎるのも、もしかしたらつまらなかったのかもしれない。私の思考では、美容師さんっていうのはお客さんの髪の毛に向き合うのが本業なのであって、できるだけ本業に集中できる環境づくりに協力するのが私のすべきことなのだということになるのだけど、寡黙すぎて逆に落ち着かなかったのかもしれない。

考え出すと私側の課題はいくらでも思い浮かびそうだ。ということは、がーん、捨てられたかも。でも、10年はずっと案内くれたんだよ。だから、10年経っていい加減いやになったんじゃないの。顧客リスト命といえど、それなりの整理はしたいものでしょ。そっか。となると、私はこれからどうしていけばいいの。もう10年間も私は美容院を探すという行為をしていないのさ。

というところでしばらく思考停止していたのだけど、いい加減半年経って、これ以上待ってもどうしようもないと思われ、行動を起こすことにしたのです。ひとまず、ダメもとで前回までお世話になった美容院に電話をしてみる。「あの、カットをお願いしたいんですが、○○さんはいらっしゃいますか?」「あ、本日ですか?ちょっとお待ちください」(え、えーっ、いるじゃないですかっ!!)

というわけで、髪を切ってきました。えぇ、相変わらず同じ注文で、相変わらず寡黙に、相変わらず仕上がりほとんど変わらず。調子良すぎですが、やっぱり美容師さんと私には、これの変化の素晴らしさが共感できている、はず。

結局、年明けまで今のお店に残ることになったらしく、その案内を送ってくれたようなんだけど返ってきちゃったんだそう。つまり、新しい住所のメモをなくし、お店を変える時期がずれたという最初の読みどおり。まだちょっと不安は残るものの、今度はこんなことがないように!と、携帯番号とメールアドレスも教えてくれたし、一応顧客リストから外されたわけではなかったということで。愛は地球を救い、「ダメもと」は私の髪を救った。

2005-10-09

妹の宿題を手伝う

妹はもちろん社会人になっている。もう25~6歳だろう。それなのに今日の私の予定は「妹の宿題を手伝う」である。

金曜の晩徹夜で仕事して、土曜の朝方家路につきばたんきゅーとなった妹。土曜の晩餐会には寝坊で遅れてきた。お店の予約時刻の30分前くらいに起きた様子で、到着したのは私たちがメインディッシュを終えた後くらいだった。

それでもまだ仕事が終わっておらず、連休中にやらないといけないことがたくさんあるのだと嘆いており、「どんな仕事なの?」と尋ねたところ、流れ流れて手伝うことになった。まぁ、妹も今は人事系の仕事をしているので、仕事領域が結構近しいこともあって手伝えないこともない内容だったのだ。前職で似たようなものは扱っていたし、とはいえ直接の経験もないから興味もあった。

それで、妹は昨日両親の車で実家に帰り、私は東京の自宅に戻った。今朝、大まかな内容を確認して業務分担し、妹と電話やメールで連絡をとりながら仕事をした。なんだか不思議な感じだが、家族だからこそ妹も弱音がはけるし手伝ってもらうこともできるわけで、そう考えると家族ってものすごく特別な関係だよなぁって、妹がひぃひぃ言っているっていうのに一人感慨深く思う。

個人的にも、へぇ、こういう仕事ってこういう視点でやってるんだなぁとやってみてこそ肌感覚で得られるものがあって、なかなか良い経験だ。妹が属しているのはフード業界、そんな未知の世界に想像を膨らますのもいとをかし。

2005-10-08

奇譚(きたん)

先月に引き続き、今月も家族お食事会を開いた。今回は私が幹事。仕事が多忙極め、数日前にどうにかお店を予約して、昨日の晩にどうにか「18時に麹町の辺」というかなりざっくりした案内だけ参加者に電話連絡、当日0時をまわった頃に自宅から詳細情報をメールしたというありさま。

今朝は目覚めればすでに11時半をまわっており、全然朝じゃない。あぁ少し前までは休日でも7、8時に目が覚めるのが常だったのに、最近ひどくペースが崩れているなぁと寝ぼけまなこでしょんぼり。でもまぁ、これもそろそろ落ち着くのだろうと自分を励ましてみる。

というのも、昨日の朝目が覚めた瞬間、まるで神のお告げでもあったかのように「あぁ、抜け出た」と思ったから。なんだかよくわからないけど、何かから脱したような、下まで降りきってあとは上がるだけみたいな感覚が内にあった。なんだろう。かなり根拠ないけど、まぁ信じるのは自由だ。

実際のところ昨晩はまだまだ仕事が大変で、私にしては珍しい平日夜の予定もキャンセルしてしまったのだが、今日家族の食事会に向かう前、時間つぶしにモスバーガーに入ったら、昨日会えなかった友人と偶然会えた。大都会に埋もれる一軒のモスバーガーは、その前通い慣れた別のカフェに入ったものの人が溢れていたのであきらめ、しばらくさまよった後にたどり着いた今日初めて入るお店だった。それも、席を探す時ちょうど私の視界の中で友人の隣席だけ空いていたので気づいた次第。これは神のお告げ効果だろうか。

今読んでいる本にも通じている。今期より私のもう一人の直属の上司になった人(今期から2部署に配属され上司も2人)が貸してくれた村上春樹の最新刊「東京奇譚集」。偶然の重なりについて、その不可思議さをシンプルに受け入れて捉えるさまは、自分の思うところと共通していて心地よいし、自分の捉え方を再認識させてもくれる。目に見えない力は妄信するでも懐疑的に分析するでもなく、ただ「在るものなら在る」とシンプルに受け入れるだけだ。

徒然なるままに書いてしまうが、文中で印象に残った言葉。「かたちのあるものと、かたちのないものと、どちらかを選ばなきゃならないとしたら、かたちのないものを選べ。それが僕のルールです」。結構説得力があるのは、「かたちのない」くせに「かたちのあるもの」と対等に見えてしまうだけの何らかの魅力を持っているからじゃないかしら、と思う。

友人と数十分おしゃべりした後、家族のお食事会へ向かう。今回は半蔵門駅徒歩3分のARGO(アルゴ)というギリシャ料理のお店。「東京カレンダー」7月号に掲載されていたお店で、こんな景色にうっとりして選んでみた次第。目の前には皇居。左手には英国大使館。9Fながら景色は最高で、店員さんも心地よい対応。ごはんもおいしかった。妹はディナーなのに寝坊して遅刻した。

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