他の人にしかできないこと
当事者にはできないこと、他の人にしかできないことがある。当たり前のことだけど、「他の人」が主語になることは「他の人」にしかできないのだ。
例えば、ある人が失敗をしてある場所を放り出され、ある場所に舞い戻ってきたとする。そこにいる「他の人」が「彼を温かく受け入れるかどうか」「彼の次の舞台に期待するかどうか」「彼に次のチャンスを与えるかどうか」。その判断はどう頑張ったって「彼」にはできない、主語である「他の人」にしかできないことなのだ。
人は強い生き物でもあるけど、弱い生き物でもある。強いときもあれば、弱いときもあるから、「他の人」が受け入れてくれたり、期待してくれたり、次のチャンスを与えてくれたりすることって、どうしたって必要になるときがあるのだと私は思う。
だからこそ、私はとある「他の人」としてキャリアの転機に立つ人の近くに身を置いて、そういう場面で彼らを受け入れたり、彼らの次の舞台に期待したり、彼らに次のチャンスを与えられるところに自分の仕事場をもっていたいと思う。
今の職場に移ってからもすでに何度かめぐってきた。もしここに私が介在していなかったら、場合によっては彼はこのたった一回の失敗で見放されてしまっていたかもしれない。もしここに私が介在していなかったら、場合によっては彼は弱気になって自暴自棄に陥って自分の道を見失っていたかもしれない。
自分勝手な解釈かもしれないけど、自分がここにいて本当にささやかながらプラスの働きかけをしたことで、形ある一歩を踏み出せた彼らの笑顔に触れたとき、私は心から自分がここにいることの幸いを想う。
私はずっと人のキャリアの転機を職場に選んできた。これからも自分の役割を意識して、でしゃばらず静かに彼らの脇役を務めていけたらいいなと思う。
※文章がわけわからないことになっているかもしれません。すみません...。
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