« 2005年6月 | トップページ | 2005年8月 »

2005-07-31

忙しいよりなにより

忙しい。仕事で忙しい。仕事だけ忙しい……。夏期休暇を終えて以来、仕事ばかりしている。朝も昼も夜も夜中も週末も。

ここ最近のプライベートな時間って……と記憶の中に探しに出かけてみると、かろうじて見つけたのが通勤途中の読書の時間、外ランチの時間、夜更かししてでも!のロンドンの写真整理の時間(アップしたのでご覧ください)。

そういうの、なんかいけない気がするなぁと思いつつ、とはいえ頑張らないとなぁという気もするし。なので、ひとまず頑張ることにしようと思うんだけど。

たぶん拘束時間は問題ではなくて、あれもこれもやらなきゃいけないのに、どれもこれもたいそうな難題で私に解決できるのか?という不安やら恐怖心が大きいのだと思う。

といって萎縮していても始まらないし、こういうのとうまくつきあえる大人にならないといけませんな……と。あと、この殺風景なプライベートをもう少しにぎやかにする心と時間の余裕を……(苦笑)。

全然関係ないけど、7月も終わりということで、今月おぼえた言葉。かたはらいたい。決して「横っ腹が痛い」のではなくて、「ちゃんちゃらおかしい」の意。

2005-07-24

悲しい事件のどしゃぶり

人間は想像する生き物だ。
人間は記憶する生き物だ。

人間は自律的に行動できる生き物だ。
人間は目的的に行動できる生き物だ。

人間が発揮しうる力を、せっかく持っている潜在能力を、しっかりと発揮して、さらに高める努力を惜しまなければ、こんな事件に振り回されることはないのに。13年ぶりに首都圏を襲った大地震後の人的トラブルも、英テロのブラジル人誤射事件も、日常の中で起こっているささいなトラブルのあれこれも。

私たちが生きる世界はもっと美しく、輝かしくなれるに違いない。自分にとっても、みんなにとっても。そのためには、人間がもっと人間のもつ潜在能力の素晴らしさを認識しないといけない。そしてしっかりそれを発揮していかないと。そうしないともったいないし、このまま連鎖的に世界はすたれていってしまう。

誰かじゃなくて、自分に向けて、これはもう本当に真剣に受け止めないと。

2005-07-23

大地震あり

13年ぶりに東京で震度5強の地震が観測された本日午後4時35分頃、私は仕事で会社にいた。ちょうど運営している午後4時までのトレーニングが少し延長して終了し、ビル8Fのトレーニングルームで受講者の皆さんを見送っている時に起こった。私の周囲には講師や残っている受講者が数人いた。

今さっき出ていった受講者の女性がエレベーターに乗っていたらまずいと思い、少し揺れがおさまってからエレベーターホールへ行くと、乗る少し前に揺れが始まったようで、2人とも残っていた。ほっ。

しばらくして完全に揺れがおさまったので、1Fまで一緒に降りていってお見送りしようと思ったら、エレベーターのボタンが点灯しない。ビルの管理会社に問い合わせると、そこからエレベーターの管理会社に問い合わせを試みているが、なかなか連絡が取れない状況とのこと。外からはウーウーとサイレンの音が鳴り止まない。世の中は結構大変なことになっているのだと思う。結局復旧の目処たたず、皆さんにはビルの8Fから階段でお帰りいただくようご案内、くれぐれも気をつけて帰るようお互い言葉を交わしてさよならした。

で私はというと、ネットで調べると帰る電車は止まっているというし、そもそも仕事がてんこもりで帰れないので、一旦8Fから1Fまで階段で降りていってコンビニで食料を確保し、また1Fから8Fまで昇って(これはちょっと辛かった)腹ごしらえして仕事復帰。22時まで仕事して帰途についた。

その頃にはエレベーターも復旧しており、私の乗る電車も普通に走っていた。今朝、トレーニングが始まるときには「今日は一日雨模様の勉強日和。心置きなく頑張りましょう」と受講者を励ました?のだけど、私には「大地震の仕事日和」となった。

帰り道の駅構内は花火大会帰りなのか浴衣姿の女の子たちが楽しげに歩いていたりして、なんだ普通の土曜日じゃないか……という感じがしたけど、帰宅後に覗いたニュースサイトによると遅くまで大変なことになっていた所もある様子。震源地は千葉県北西部。ディズニーランドとか、大変でしたね。

2005-07-17

甥と初対面

Oi0004 「夏期休暇」というラベルの上に、ほぼまるまる「ロンドン一人旅」というシールを貼り付けてしまったものだから、今年の夏休みが終盤に差し掛かっているという感覚は私の中であまりに乏しい。しかし、私の感覚がどうあれ帰国して一眠りしてしまえば、私の夏休みはほぼ終わりなのである。

帰国日の昨日は成田空港から千葉の実家に帰って一休み。仕事を引退して毎日スポーツクラブ通いしているという父は4ヶ月で6kgのダイエットに成功し、顔が健康にほっそりしていた。おなかは相変わらずぷっくりしていたが。母もまぁなんだかんだ言いながら父との二人生活をのんびり過ごせているようでほっとする。

あくる日の今日は実家の近くに住む兄夫婦の家に遊びに行き、甥っ子と初対面。結局生後4ヶ月も経過してしまった。首はほぼ座った状態、もう寝返りもうてるようになったとのことで、私たちの前でも何度も披露してくれた。終始ごきげんで、私にもたくさんの微笑みとよだれをかけてくれた。写真は携帯で父が撮影。私の白いトレーナーにしがみついている手がかわいい。

その後、東京のおうちに帰って部屋中の掃除。それから、一人暮らしを始めた妹が今晩私のお古のノートPCを取りにくるので、その準備。私が渡英する前日の朝に電話をかけてきて「ノートPCがほしい」というので、なんだか話の流れで、その午後に私が自分のを新しく買いに行き、新旧2台のPCをセットアップ。帰国後すぐ、これまで私が使っていたノートPCを妹に引き渡すことになったのである。

それで旅疲れを引きずりつつも、OfficeとかLhaca+とかインストールして、すぐ使い始められるようにせっせこ準備している自らパシリな優しい姉。あぁ、涙ぐましい。そんな(私の)夏の終わり。

2005-07-15

最近の迷惑メール

一般に広く公開しているメールアドレス、例えばinfo@...とかsupport@...とかを運用している方であれば最近強く感じていることだと思うのだけど、このところ本当に迷惑メールが多い。それも、ちょっと手がこんでいるというか、ちょっとクリエイティブというか、でもほんのちょっとだけというかなんというか。

私が最近頻繁に受け取るメールのタイトルは「女は30から」「仕事はほどほどにね」。ほっといてくれ、あんたに言われたかないわ!みたいなのが非常に多い。私29歳ですし。あと「おつかれさまです」とか「自己紹介をします」とか「履歴の確認をお願いします」とか、頑張ってもっともらしくしているんだけど、現実に受け取る場面を想像しようとするとどこかずれてる、みたいなタイトル。

本文はほとんど読まないで捨ててしまうから研究不足なんだけど、「私は2X歳。1X歳上の歳の離れた男性とつきあっているんだけど、最近ちょっと悩んでます」みたいなのは、暗に(っていうか明らかになんだけど)私は20代のぴちぴちの女の子だけど守備範囲は広いのよ、あなたももちろんOKよ!というメッセージがすり込まれていて、あぁ……と思う。

とにかく最近こういうメールが多すぎ。日本語の迷惑メールが多くなっているから意味がわかっちゃうっていうのもあるんだけど。ほっといてちょうだい。

2005-07-10

ロンドン一人旅

2005年7月、ちょうどロンドン同時多発テロがあったときに一人で訪れたロンドン旅行の話。

■2005/7/10 ロンドン一人旅の幕開け

今年の初めからお世話になっている会社では、夏休みを7~8月の間に5日個別に取ることになっている。前後に土日をつけると9日間の連休になる。せっかくお盆時期をはずして休暇を取れるなら、やっぱり海外一人旅でしょう!ということで、なんとなくピンときたロンドン行きの航空券とホテルを予約。

今日が出発の日。諸々の仕事たちを置き去りにして、とにかく発つ。数日前にロンドン同時多発テロがあったけど、とにかく発つ。というわけで、朝5時起床、6時家を出発、6時半成田エクスプレスに乗り遅れ、30分待ちぼうけの後、当日予約のため「立ち席」で成田まで立ちぼうけ。まぁま、そんな感じでゆるい旅の幕開け。

しかし、私にだって学習能力はあるのだ。前回のドイツ行きで飛行機を遅らせた過ちはもう二度と繰り返さない。空港に着くと、チェックインして手荷物検査して出国審査して、とにかくすべての手続きを早々にこなす。行けるところまで行く。いやいや、見事でした、とても普通の人でした、私。今回はキャセイパシフィックを利用して香港経由でロンドンへ。次回はやっぱり高くとも直行便にしようと思いつつ、午前10時成田発、同日午後8時頃のロンドンに到着。

テロ事件があって1週間も経っていない気難しい時期ながら、私の風貌が「こいつは何もせんだろっ、はい、次」的扱いを受けやすいことに変わりはなく、ヒースロー空港も比較的スムーズに。入国審査ではお兄さんに"Kanko?"と尋ねられ、"Kanko."と首を縦に振ったら、そのまま審査終了。

荷物検査は5つくらい質問されて少し回答に窮したけれど、"What ~?"なら目的(観光)、"How long ~?"なら滞在期間、"How much ~?"なら所持金と、頭の2語だけを頼りにとりあえず回答。が、大方当たっていたようだ。

一つ後で気がついたことには、私"How much ~?"と尋ねられた時に"~pounds."で返した記憶がまるでない。そういえば、"How much~?"だけ2回尋ねられたような記憶。そしてまた同じ答えを真面目顔で返したような記憶。私、数字はポンドなのに、単位はドルで答えてしまっていたに違いない。ずいぶん貧乏な旅行者だなと思われたか、こいつ単位間違えてるよと思われたか。大雑把に言うと1ポンド200円、1米ドル100円。実際の1/2くらいの所持金を申告したことになるんだけど、とりあえず問題なかったらしい。

さらに、ずっと6泊8日の17日帰国と思っていたんだけど、実は5泊7日の16日帰国だと旅の途中で知った私。そんな旅人を受け入れてくれた寛容な国。

■2005/7/11 ひたすら歩く

ロンドンに行くと決めてから、何度か「何しに?」と尋ねられたのだけど、答えは「散歩」。街を歩きたいのが一番なのであって、それ以外の目的意識はこれといってない。あとは夏休みなのだから、のんびり本でも読んで過ごせれば尚いいね、という感じ。観光名所をできるだけ多く回ろうという意欲もなく、買い物をしようとかおいしいものを食べようという意識にいたっては全くもってかけらも無かった。旅行者にあるまじき意識の低さ……。

それで、とにかく歩いた。この日は一日中歩き続けた。はじめの2時間ぐらいはその地の地図を持っていなかったので半分迷子ともいえる状態で歩いていたのだけど、途中で大きい駅を見つけてロンドン中の道の名前が記された地図を買ったので、午後からは自由自在。ロンドンは通りに全部名前がついているので、地図さえあれば自分がどこにいるのかすぐに(ある程度)わかる。

よく知らない街はやっぱり足をつかって歩いてみるに限る。時間をかけて街に触れていくことで、その街のありようみたいなものがなんとなく肌で感じ取れるようになっていく。方々の商店街に異様にバスタブ屋が多いことから、ロンドンという街が人種のるつぼであることまで、2時間くらい街をさまよっていれば自然にわかってくる。「自然に」わかってくるというのが散歩のすごいところ。

私にとって海外を旅するというのは、「その国を知る」というより「自国を知る」という方が合っている。老若男女を問わず、都会のど真ん中を裸のような格好をして食べ歩きしている人の多さも、夜9時半を過ぎてようやく日が沈みだす街並みも、すべてはロンドンというよりイギリスというより、日本の私の日常空間がどういうものなのかを改めて意識化させてくれるために機能している。

旅行中はずっと村上春樹の「海辺のカフカ」を読んでいたのだけど、その中にヘーゲルが規定した「自己意識」について書かれているところがあった。簡単にまとめてしまうと、自分がいて相手がいる、お互いがお互いを交換し投射しあう、そうすることによって自己意識が確立される、相手が存在し相手を意識することで初めて自分というものを深く理解できるといったもの。私にとっての海外旅行って、そんなものなのかもしれないなぁと思う。

■2005/7/12 夕暮れまで歩く

昨日はロンドンの西側に位置するホテルを基点に南へ、東へと10数km歩いた。速くもなく遅くもないペースでてくてくと。天気は晴れ。夕暮れ時を迎えると、遊びつかれた少年のような疲労感を抱いて帰途についた。帰りも歩き。

翌日の今日は地下鉄に乗ってロンドンを横断し、東側をまたてくてく歩いた。大英博物館を見学し、ここから徒歩で南下。ロイヤル・オペラ・ハウスに酔いコヴェント・ガーデンで一息、サマセット・ハウスにしびれナショナル・ギャラリーでうっとり。まったくの門外漢ながら建物フェチな私の心をわしづかみにするロンドンの街並み。はぁ、なんて素敵なんでしょう。なんて隙なくどこもかしこも英国的なんでしょう、とものすごくおのぼりさんな感動にひたりつつ、今日も炎天下を10km近く歩き、へとへとになってホテルに帰る。帰りは地下鉄。

朝9時過ぎに出て夜9時過ぎに帰ってくる。勘狂うのはこちらの日没のせい。この時分、ロンドンは夜の9時半を過ぎてから日が暮れだす。日暮れを目安に行動していると、日本でいう夜時間に知らぬ間に突入している。

しかし、私は言わずもがな日本生まれの日本育ち。幼少の頃から「カラスが鳴くから帰りましょ」と自然の成り行きとともに時間を察し、それにあわせて家路につくことを正しいと心身にたたきこまれてきた生粋の日本人なのだ。日が暮れるまで外で頑張って、日が暮れたら家に帰る、これこそが善行。守る守らざるに関わらず、そういう倫理観をもって生きてきた私に、夕暮れの時間を無視して一日の外出を終える行いなんて難しすぎるのだ(元気なうちは)。そうして知らぬ間に思いのほか一日の活動時間が延長してしまいへとへとに。

果たして、夏は午後10時、冬は午後4時に日が暮れる世界に生きるイギリス人は、子供の頃どんなふうにしつけられるんだろうか。冬は4時までに、夏は10時までに帰るようにって言われるのか、それとも「カラスが鳴こうと鳴くまいと、6時になったら帰りましょ」なんてややこしい歌を耳元でささやかれながら大きくなるのだろうか。「腹の虫が鳴いたら帰りましょ」とか、もう少し言い回しを変えたほうが心に響くかな。

どちらが良い悪いの問題でもないんだけど、夕暮れ時が午後4~10時と季節によって大幅に変わる国では、自然と切り離して「人が時間を管理する」意識を子供の頃からしつけられる環境にあるのかなぁなんて考えてみたり。そうすると仕事に就いてからも「日が暮れたから帰ろう」と帰宅の判断を太陽に委ねたり、「日が暮れちゃえば21時も0時も同じだ」と投げやりに残業することもなかったりするのか。しないのか。しないよね。

■2005/7/13 テロ事件後の地下鉄事情

今日はロンドン中心部から電車に乗って50分ほど南下したところにある海辺の街、ブライトンを訪れた。日本でいえば鎌倉のようなところ。イギリスから望める海に寄り添いながら一日をのんびりと過ごす。

ここで穏やかな風景に触れていると、少し先で少し前に同時爆破テロ事件があったことなどまったく想像できない。しかしやっぱりそれは確かに起こったことなのだ。ほんの数日前に。

実際ホテルでテレビをつければニュースの多くはこの事件に関することだし、地下鉄の一部路線(区間)は運行されていない状態が続いている。そうすると必然的に運行している電車に人が集中するから、私は通常より混雑した地下鉄を利用しているのだと思う。

通常と比べることは私にはできないわけだけど、様子を見ていると、こっちの人はある程度電車に人が乗り込んでしまうと、東京で暮らす私からすればまだまだ乗れる!という状態でもあっさり電車を一本見送る。無理に電車に乗り込もうとせず、次の電車を待つ。東京だったらすし詰めになったって今目の前にある電車に乗ろうとするのが普通だ。でもロンドンの人はそれをしない。それは、この混雑した息苦しい状態がテロ後の「非日常」だから、東京のように「日常」のことではないからではないかなと思った次第。でも、単にロンドンの人は東京よりスマートに生活しているだけなのかもしれない……。

加えて、ロンドンの地下鉄(とバス)にはほとんど冷房がついていないようで、なおかつ窓も開かない(か開けない)ので、人が多く乗り込むと、もうそれは大変な蒸し風呂状態になり、一気に東京の満員電車以上の劣悪環境となる。電車をあっさり見送るのはそのせいかもしれない。実際この日帰宅ラッシュ時に乗った地下鉄の車内は、誰か気が狂って暴れだすんじゃないかと真剣に心配してしまうほど重々しくよどんだ空気を背負い込んでいた。

そう映ったのは、日頃ほとんどお目にかからない日の光を浴びすぎて私の体が疲労困憊していたこともあるのだけど。というわけで、この日は9時までも体が持たず、明るいうちにホテルに戻って晩ごはんも食べずに眠りについた。

■2005/7/14 ロンドンしっかり観光

今日はロンドンの街をしっかり観光。実は昨日今日と2日間、友だちの友だちとして知り合ったロンドン在住の方が、初対面ながら仕事を休んでガイドをしてくださった。もう大変ないたれりつくせり状態でちょっと恐縮してしまう。恐縮されると相手もかえってやりづらいだろうというのは重々承知なのだけど。

そしてさらにたちの悪いことに、私は恐縮しつつも、かなりマイペース&観光客らしからぬ落ち着きモードなテンションで通してしまったので、ものすんごいガイドしづらかったと思う。もっとキャピキャピッ!としたテンションだとガイドのしがいもあると思うのだけど。

さらに普通は胸ときめかせるだろう、目輝かせるだろうという買い物にも食事にも無反応とキタ。君は本当に女なのか?でも自然にはそうならない人間が意図的にそれするとかなり気色悪いし。意図的にできるほど器用でもないし。

だから、これでもうこの先ガイドするのがいやになっちゃったかも、というのが心配。いやいや本当に申し訳ないことをしました。申し訳ないとは思っているのに改善ができない自分勝手な私。反抗期の少年少女が「悪いと思っているのに、つい親にきつくあたってしまう」やりきれなさに近い?近くないか。でも私ほどやりづらい人は早々現れないはずなので、その点は安心してほしい。

しかし、本当にたくさんの感動をいただいたのだ。何よりこの日連れていっていただいて感動ひとしおだったのがセント・ポールズ大聖堂。ここに行けただけでもロンドンに来た甲斐あり、というものすごい建築。一日中ここにいたいと思ったし、写真でも映像でもなく、現地に行ってその空間に身をおいて五感で味わう旅行というものの価値を強く感じさせられる空間だった。

その後、ミレニアム・ブリッジを渡ってテート・モダンを訪れ、さらに船に乗ってテムズ河を行く。ウエストミンスターの国会議事堂&ビッグ・ベンに始まり、どこもかしこも英国的な風景を眺めつつ、ゴール地点のロンドン塔に到着。木陰のベンチに座って目の前のテムズ河にかかるタワー・ブリッジ(ロンドン橋)を眺め、のんびり時を過ごす。ロンドン観光も最終日。また訪れたい街だなぁとしみじみ思いつつ、月光が少しずつ存在感を増してくる。帰りも船で。

■2005/7/15 おこづかい2万円

朝6時過ぎに起きてシャワーを浴び、いつも通りホテルで朝食をとる。フライトは正午過ぎ、ホテルから空港までは30分くらいで着くのだけど、お土産を買う時間をとるのと、何かがあって乗り遅れては大変!ということで、7時半頃にはチェックアウトして空港に向かう。さすがに早すぎだけど。

そうそう、これまで枕元には1ポンドのチップを置いていたのだけど、この日は1ポンド硬貨を切らしていて、とはいえその上となると10ポンド紙幣になってしまうので、小銭の有り金をすべてかき集めて枕元に塔にしてきた。でも数えてみると、1ポンドに若干満たない。とにかく有り金(の小銭)全部置いていきます、という心意気は伝わったと思うのだけど気を悪くしなかったかどうか心配。

最寄り駅では下り電車となる空港行きの本数が少なく、プラットフォームでぼーっと電車を待って結局8時半頃に空港に到着。空港のチェックインカウンターでも、キャセイパシフィックだけが9時過ぎに開くらしくて結局30分ほど列に並んで待ちぼうけ。ただ、その甲斐あってか通路側の席を取れた。通路側の席が実際人気なのか不人気なのかは知らないけど。

その後、また出国審査、荷物検査など?よく覚えていないけどとにかく行き着くところまでひたすら必要なプロセスを進み、あとは飛行機に乗るだけの状態にして免税店で気の済むまでゆっくりお土産を買うことに。ここで1万円強のお金を使い、実はここでの買い物がこの旅一番の支払いとなった。

往復航空券で14万円強、朝食つきの宿泊費で5万円弱、あわせて19万円の大金は確かに出発前に支払っていたのだけど。それ以外の旅費として7万円分の外貨を用意して、実際帰国して残金を日本円に戻したら4万円強戻ってきた。ということは、旅の間に使ったお金は3万円弱。そのうちの1万円強がお土産代。つまり私のおこづかいは2万円強だったということがわかる。

最近のお姉さまがたの海外旅行で使うおこづかいの相場がどれくらいのものなのかよくわからないけど、ロンドン1週間の旅行でおこづかい2万円、旅費総額22万円はきっと質素な方なのでしょう。そんな感じで控えめに何事もなく帰国の途についた。

■2005/7/23(sat) 編集後記

振り返ってみると、あっという間に終わってしまったロンドン一人旅。でも短期間ながら一日一日を満喫した感があって、名残惜しいというより、また遊びに行こう!って元気よく思える後味だ。

これまでいろんな人に面倒をみてもらって海外旅行を実現してきたおかげで、一人で海外を旅することへの漠然とした不安がずいぶんと軽減されてきた。英語はやっぱりさっぱりだし、これといって自信のネタになるようなものは何もないんだけど、とにかくささやかに一人旅を楽しむにあたってはどうにか乗り切れるんじゃないかなぁというところまで(気分的に)到達した。

なんというか、世界は一つでつながっているのだし、新宿駅には一人で行けるのにロンドンには一人で行けないってのはわけわからない話だろう、という今回の旅の着地点。次回辺りからは、気を抜かず、でも意気揚々と一人旅を計画してふらっと出かけていけるかなぁ、なんて。来年もどこか行きたいなぁ。

2005-07-08

原点回帰

なんだか大変なことになってしまいましたね。ロンドンでの同時多発テロは、その後犠牲者50人以上と報じられています。

もっとみんな原点に帰ろうよ、と最近よく思います。私たちは別に、テロを起こすために生まれてきたわけではないし、テロを防ぐために生まれてきたわけでもない。個人情報を漏洩するために仕事しているわけではないし、個人情報を守るために仕事しているわけでもない。ネクタイの歴史はよくわからないけど、寒いからネクタイをしめているわけでもないんでしょ?と思うと、暑いからノーネクタイというのもよくわからない。ノーネクタイは別にいいんだけど。

「○○している」人はよく見かけるんだけど、「○○のために○○している」人が少ないような気がする。もっと本質を見つめていきましょうよ、その方がきっと楽しいしイキイキとして生きられるよ、と思うんだけど。なかなかそうは問屋が卸さない。問屋、曲者です。いつも心に太陽を。

2005-07-07

夏期休暇前夜

すったもんだのてんてこまいのすっとこどっこいの大忙しです。夏期休暇を目前に控え、ただでさえやること大盛りてんこもりなのに、こんなときに限っていろんな業務があちらこちらからボコボコ湧いて出てきたりチラチラ舞ってきたりスタコラサッサと駆けてきたり。

頭にハチマキ巻いたシゴトたちが四方八方からこちらめがけてやってきますが、とにかく頑張ります。頑張りますので今週末はどんな状態だろうと笑顔で私を送り出して!という火曜日。

あくる日。羽田空港の一歩手前にある某クライアントを訪れてご提案。モノレールから(国内線だけど)間近に飛行機が望め、相変わらず仕事に埋もれつつも、あぁ旅立ちの日も近いわぁと胸ときめかせる水曜日。

またあくる日。朝起きて、ラジオから「ロンドンが2012年のオリンピック開催地に決定した」と聞かされ、「へぇ、タイムリーだねぇ、盛り上がっちゃうねぇ」なんてルンルン出勤する木曜日。

木曜日、これで終わってくれれば良かったのに。夜、やっぱり仕事にもまれて定番のコンビニ夜食をもぐもぐしつつ会社でニュースサイトを覗いてみたら、ロンドンの中心部で大規模な同時多発テロと見られる爆発発生……。

確か私、今週末からロンドンで夏休みを過ごそうとしていたような気が……。来週の今ごろはテムズ河を眺めながらパブでのんびりしているはずでは?

帰宅してからまたニュースサイトを覗いてみると(こういう時はやっぱり家にテレビがあると便利ですよね)、目に映るのは「40人死亡か」とか「300人以上の負傷者」とか「テロに屈しない」とか「犯行声明」とか全然穏便じゃない言葉たち。人はどうしたって永遠に争いを止められない生き物なんだろうか。

今日は七夕の日でしたね。

2005-07-03

妹の旅立ち

昨晩父から電話がかかってきて、妹が今日家出をするのだと言う。父の言う家出とはいつも「一人暮らし」を意味する。若かりし日の?私同様、転職した先の仕事が深夜におよび毎夜午前様になるので一人暮らしを……ということらしい。遠い記憶ながら私も全く同じ経験をしたので気持ちはよくわかる。

父が「東京のお姉ちゃんに一言挨拶を……」とわけの分からない振りをして、妹が電話口に出てきた。妹「よろしくお願いします」姉「まぁ、頑張りたまへ」としかいいようもないが。電話の直前までぼーっとしていたので「ふん」「へぇ」「ほぉ」しか言わず、父にも妹にも「頭まわってないんじゃない、大丈夫?」と心配される始末。えぇ、まぁ、いやいや、それほどでも。

妹の声は旅立ちを前にイキイキとしている感じで、まぁ大丈夫かな、と思う。心配なのは残される両親の方なのだけど、近くに兄夫婦と初孫がいるから、それでどうにか頑張ってほしいな。おうちの中はちょっとさびしくなっちゃうけど。私も実家には頻繁に帰るようにしよう。改めて、改めて、そう思う。

« 2005年6月 | トップページ | 2005年8月 »