« 2005年2月 | トップページ | 2005年4月 »

2005-03-31

2005年度前夜

やりましたっ。昨日私が退席した後の評価会を受けて人事の方がまとめてくださった資料が上司の手元に。今日の夜、一息ついたところで上司からプレゼンのフィードバックがあり、無事クリアに。満場一致で「採用」という結果に。

ほぉーっ。まぁ、実際これで「不採用」になる人はいないようですが……、でも評価コメントもプレゼン内容の実現に期待するといったもので、良さげな感じじゃないですかっ。ほっとしました、本当に。良かった、良かったー。

実際はこれからプレゼン内容を形にしていくのが何より大変なのだけど、もっと良くなるように!と自分の頭の中に描いたことを周りの先輩たちに理解と協力をいただきながら手作りで形づくっていって、それが人の幸いに少しずつでも貢献できるものに育っていったら、それはとてもとても素敵なことですよね。

というわけで、これからココで働くことへの期待感や緊張感、いろんな思いが湧き出てくるようなプレゼントをもらって、2005年度前夜は更けていきました。なんだか昨日までより一歩踏み込んで、会社の一員になれたような気分。

2005-03-30

もぬけのぬけがら

プレゼン、終わりました。もぬけのぬけがら。いや、それよりもうちょっと生き物っぽいです。もう、朝から晩まで大変な一日でしたが、日中訪問したお客さんのところで自分が頑張ったところを中心に良い評価をいただき、ほっと一息。夜の試用期間(終了)プレゼンも、なんとか言いたいことを伝えきって、質疑応答も自分なりの考えを述べられたので、悔いは無し。

後で直属の上司からも淀みない話で申し分なかったですよーとメール頂き、今日はとにかくゆっくり眠れる、と胸をなでおろしました。社長や役員の皆さんの評価は・・・、怖いけど後日しかと受け止めます。

反省点は、プレゼンが終わった後に評価の打合せで皆さん会議室に残られていて私一人退席したのですが、ドアを閉めるやいなや耐え切れずオフィスの方に向かってドタバターと駆け出してしまったこと。だって、一分たりとも一人じゃいられなかったんですもの。いつもお世話になっているお姉さまがたのところに駆け寄っていって、顔真っ赤にして、「終わったぁー、終わったぁー」と半分泣き入ってました・・・。はぁ、注射より怖かったかも。

そこから残務整理をして今日は久々21時過ぎには仕事を切り上げ、22時には自宅着!冷蔵庫の中からミネラルウォーターを取り出し(今や冷蔵庫にはこれしか入っていなかったり・・・)、がーっと飲み干しました。「今日は頑張ったぞ、私」と思いました。いや、口を動かしてつぶやきました。えぇ、一人ですけど、それが何か・・・。

新しい課題は絶えることなく落っこちてきますが(今日も棚から2つほど)、今日はとにかく一歩前進した気分。頑張った分だけ少しずつでも着実に自分の力になっていくものだよね、ってことを教えてもらったような一日でした。まぁ、提案内容を形にするのはこれからなので、明日からも頑張ります。できれば息抜きもしつつ。

2005-03-28

がまん、がまん

ちょっといろいろ我慢して頑張ってます。会社に入社して早3ヶ月。3ヶ月経つと、経営陣に大集合してもらって行う試用期間(終了)プレゼンなるものがあります。プレゼン30分、質疑応答30分の1時間。今週水曜日。いやいや、てんてこまいです。まぁ、私らしいプレゼンになるように頑張ります。えぇ。

これに加えて、諸々仕事の締切りが転がっていたりもして毎日が仕事色に。いろいろ我慢。ひとまず3月30日を終えたら少しだけねじを緩めて、今週末を終えたらもう少しねじを緩めてみようかなぁと画策中。4月は4月で大変そうだけど、息抜きしつつ過ごせますように。年度末、頑張って乗り切りましょう。

2005-03-26

初甥(はつおい)

昼間に母から電話があった。第一声「生まれましたぁー」と晴れやかな声。兄夫婦の子どもが生まれたのだ。母子ともに健康とのことで、顔が「わーい」と喜んでしまう。いやぁ、おめでたい。

母は私に「あなたもオバサンね」と言うけれど、間違っちゃいけない。「私はオバサンじゃなくて叔母」である。ここ数週間はちょっと忙しくて顔を見に行くことができないのだけど、4月中には私の初の甥っ子とお母さんになった義姉、お父さんになった兄に会いにいきたいなぁと思う。

いやいや、忙しい。昨日は入社3ヶ月目にして初めて、会社で最後に鍵かけて帰る人になってしまった。うーん、頑張ろう。今週末はとっぷり仕事である。

2005-03-20

千葉で過ごす休日(ただの日記)

今日は朝9時半から11時まで、家族でレッツテニス。いやいや、Let's play tennis. まぁどっちでもいいけど、最近はまともに運動していなかったので、20分くらいするともう息があがって苦しい。それでもやっぱりテニスは楽しい。ルールとか全然なっていないけど、とにかく体を動かすのは気持ちいいもの。ずいぶんと春めいてきたし、そろそろ水泳も復活させないと。

午後は先月出産した小中学時代の友人宅へ。中学時代の友だちのお腹から出てきた赤ちゃんというのは、なんとも不思議なものがあるけど、とにかくちっこくてかわいくてたまらなかった。こちらを見て笑いかけてくれると、もうなんともいえない幸せ気分に満たされる。自分がだっこしている時に気持ちよさそうに眠ってくれるのもかなり幸せ。ちょくちょく会って成長を見守っていきたい。

夕方、友人宅を後にして、一緒に行った友人と駅にくっついてるパン屋さんでお茶。これがまたかなり濃厚。お茶じゃなくて話が。この親友と話をする時は本当に話が濃い。自然に話してると自然と濃くなるのだ。そこで1、2時間話し込んでお開きに。実家に帰らず東京の家へ戻る。明日は近所のコーヒーやさんで(できればのんびり)仕事。水泳も行こうかなぁと思ってる、今のところ。

2005-03-19

妹の就職先決定

もともとこの連休は実家に帰ることにしていたのだけど、タイミングよく昨日の夜妹からメールが入って、就職先が決まったとの連絡を受けた。で、お祝いも兼ねて帰郷。1月末から応募を始めて2ヶ月弱で内定獲得。体験談を聞くところによると、なかなか大変な事もあったようだけど、よく挫けずに頑張りましたね。本当にお疲れさまでした。

今回の転職活動では、全面的に私が前職で勤めていた会社の転職サイトを使って活動したよう。今回内定いただいたのも、そのサイトを介しての応募。皆さま、うちの妹が大変お世話になりました。転職成功者の体験レポートをお送りしたのでご確認ください。そして、もし掲載可能なら、会社に着ていく服がなくて困っている妹に商品券3千円を恵んでやってください。どうなるかなぁ。

さて、それなりにその道でやってきている姉からすると、入社する先の話を見聞きするにつけ、これはちょっと入ってからの方が大変だぞーという気がするんだけど、まぁちょっと脅しておいたから踏ん張って頑張ってくれるかなぁ。少し頑張ったら就職祝いにスーツを買ってあげることにしたので、この際ただでスーツを買ってもらえることが目的でもいいから、腰を据えて頑張りなさい!と姉はひっそり思っている。

2005-03-18

2.5倍の超速体験

昨日は14時から某社で4社会談なるものがあって、うちからは上司と私の2名が参加することになっていた。その会議上のネタふりも、必要な資料を持っていくのも私の役目だった。資料は前日までに用意して上司にOKをもらっており、その時点で上司もその資料をもって私が話すものと想定していたはず。

確か12時半くらいに、「お昼に出てきます、出発は30分前くらいでいいですよね」と上司に確認して出て、そのまま会社近くのカフェに入った。パンをかじりつつ雑誌をめくりつつ、まだまだと思いながら現在時刻の確認のため腕時計に目をやると。仰天!時計がくるっているか、世の中がくるっていると思った。

驚きすぎて正確な時刻は憶えていないけど、腕時計はおおよそ13時40分をさしていた。時計が壊れて昨日の13時40分か今日の1時40分から止まったままなのでは?とか、それにしてはあまりに自然に秒針が進んでいるとか思いつつ、とにかく必死に会社に向かって走る。ぜーぜーいいながらオフィスに戻ると、やはり上司はいない。私の腕時計も正しいらしい。あぁ、最悪…と思いながら、かろうじて休憩に入る前にセットしておいた資料一式と某社の地図をカバンに詰め込み、上司の携帯をならしながら駅に向かう。携帯はつながらない。とにかく行くしかない。雨に濡れながら、一人大運動会。

電車に乗っている間はもうどうしようもないので、今度は一人大反省会。私は昼休みいったいどこにいっていたんだろうと考える。だって、明らかに私の中で経過した時間は20~30分くらいだった。雑誌だって、時間感覚がずれないようにかなり集中せずに読んでいたというのに。通常の2.5倍のスピードで時が流れていたとしか考えられない。竜宮城に行っていたような楽しいひと時も記憶に残っていないし、宇宙人にでも連れ去られていたのだろうか。こちらに戻す時に、記憶を「雑誌をぺらぺらめくっていた」にすりかえられたのかも。私がそれに違和感を感じないとでも思っているのか。見くびられている。真剣に考えれば考えるほどそっちの方向に進んでいき、全然反省会にならない。

だって、いくら反省しても、これまでの29年間で培ってきた時間感覚と全く異なるスピードでいきなり時間を流されたら、そんなの遅刻しちゃうもの…。って、そんなの社会で通用しないけど。でも今日会った人に切々と訴えたら、「cocoroさんなら本当に宇宙人に連れ去られたのかもしれませんね」と言ってくださった。ありがとうございます。でも、「cocoroさんなら」って…?

その後は、結局駅に着いてまた走って、違うビルのエレベーターで13Fまで上がって、ないよーとまた1Fまで降りて、隣に本館を見つけてまた13Fまで上がって、受付でがちゃがちゃしていたら脇から上司が出てきて。「モオシワケありませんーっ!」とお詫びして中へ。また皆さまに「申し訳ございませんー」とお詫びして本題へ。息切れしつつ同じこと何度か繰り返ししゃべりつつ。話が上手じゃないのはそのせいじゃなくて、もともとなんだけど。まぁその辺りはうやむやに、どうにか会談終了へ。

帰り、エレベーターの扉がしまって上司と二人になったところで、また「申し訳ありませんーっ!!」と。寛大な上司は「初犯だからね」と許してくれました。もう二度とこんなことしません!昼過ぎに予定がある時は宇宙人に連れ去られないように単独行動を避けて社内で食事をとろうと思います、という結論。

2005-03-15

のだめカンタービレ

最近私がひそかにやりたいと思っていることは、マンガ喫茶に入って話題の「のだめカンタービレ」(本の雑誌ダ・ヴィンチでも今月特集が組まれている)というマンガを読むこと。あくまで緊張していないふうに自然体でふらっと店内に入りこみ、今出てるところまでを一気に読破するのが夢。

この話題のなりっぷりは絶対面白いと思うんだけど、買うとかさばるし、たぶん一回読めば気が済む気がするので、マンガ喫茶で満喫だ!と思ったまでは良かったんだけど。

マンガ喫茶に行く習慣がないので、どこに入っていいかわからず、いつ行っていいかもわからない。マンガ喫茶に行く適当なタイミングを自分で「ここだ!」とスケジュールに組み込めない。朝?昼?夜?深夜?どれ?どこ?何?

この答えさえ見つかれば、どうにか時間を捻出して近々実現できそうな夢。夢…?いつか、いつか実現するぞ!と思いながら今日も夜が更けてゆく。

2005-03-14

月曜朝っぱらの哲学

よりよくビジネスするため、私たちはあらゆる物事や人物の「問題点」に目を向けることを覚える。多くの時間そうして過ごしていると、批判的な視点でもってそれを捉え、一定の距離感をもってそれと関わることが常態化したりする。

でもね、人はよりよくビジネスする以前に、まずはより良く生きなきゃ意味がない。そうじゃないと本末転倒じゃないですか。で、よりよく生きるためには、まず物事や人物の「良いところ」に目を向けられることが大切。

だって問題点に目を向けられなくてもたぶん生きていけるけど、世の中のあらゆる物事や出来事、周囲の人たちの良いところに目を向けられなくなったら、生きていくことそれ自体が辛いじゃないですか。つまらないじゃないですか。

これって放っておくと気づいた時に「あれ、天地逆転してる…」ってことになりかねないことだけど、やっぱりそれは見誤っちゃいけない。と、月曜の朝っぱら、起きて30分後くらいにふと思った。何がベースにあって、何がその上に乗っかってるのか。まぁ当たり前っちゃ当たり前のことだけど、非常時用にメモ。

2005-03-12

気持ちの伝染

これだけインフルエンザが大流行の中、私はこの冬風邪っぽいものをひいていない。もしかしてこのまま乗り切れるのかと淡い期待を抱いていたところで、今日はちょっと体調を崩してしまった。昼を眠って過ごし夜から細々活動。

何かしら食べたいなぁと思い外に出ていく。角を曲がると、10メートル先の自販機の脇に置いてあるゴミ箱が風に吹かれて通り側に倒れているのが目に入る。フタがはずれて中の空き缶がいくつか路上に広がり出てしまっている。あらあら起こしてあげましょうと思いながら、歩を早めるでもなく近づいていく。

そのゴミ箱を挟んで向こう側からも、30代後半と思しき女性がこちらに近づいてきていた。私がそこに到着する一歩手前で、彼女がゴミ箱の脇を通り過ぎた。その直後私が路上にしゃがみこんだ。ひとまず転がっている缶からをゴミ箱に戻すことにする。おそらくそれを彼女は視界に捕らえた。そこで一歩通り過ぎた彼女がさっと引き返してきて、私の隣にしゃがみ缶からを拾い出した。

「すみません」というのもおかしいので、笑いかけて一緒に拾う。缶からをゴミ箱に戻し終えると、その身を起こしてやる。やっぱり何か言いたいので、彼女に「ありがとうございます」と言う。彼女は「こちらこそ」と微笑み返す。そして別れる。

私は気分が良かった。彼女もきっと気分がいいはずだ。そう思うと、ますます気分が良くなった。私だっていつも倒れたゴミ箱を起こして歩けているわけではないし、彼女だっていつも倒れたゴミ箱を放って歩くわけではないだろう。たまたまの出来事。大切なのは、人は人の優しさに触れることで自分の中にある優しさの素に息を吹き込み、それを体現していくことができるということ。

いいのも悪いのもひっくるめて、気持ちは人に伝染するもの。それが通りすがりの人であっても。だから、いい気持ちを伝えていくのがいい。誰かがじゃなくて、あなたがじゃなくて、私がいつもそうあれるようになればいい。それはインフルエンザのように強力なウイルスになって人に伝染するに違いないと思う。

2005-03-09

29歳になりました

その後1週間ご無沙汰してしまいましたが、いやいやとにかく忙しかった…というだけなのです。ここのところ朝から晩まであっちの仕事とこっちの仕事でおおわらわです。うん、まさに「おおわらわ」。でも、昨日靄のかかったところから少しだけ抜け出てきました。少しだけ。

「少しだけ」なのになぜここに書いているかというと、今日が自分の誕生日だからです。誕生日だし、なんか書いておかないと、という大変浅はかな理由。今年ほど誕生日であることを意識せずに誕生日を過ごした年もなかったような気がする。そう思いながら家路につきましたが、おうちに帰ってみたらいろいろお祝いのメールを頂いていて、今日の終わりまで残りわずかというところでなんとか誕生日気分を味わうことができました。メッセージをくださった方に心から感謝&感動しています。みんないいこと言いますね。泣かせます。

まぁ、そのお礼に一人パソコンに向かってカタカタキーボード打っている図は、あまり、いや全くもって華やかさに欠ける「これぞ!負け犬の誕生日」的な面もありますが(そこまで言わなくても…)、長い人生の中でそんな年があってもいいよね、ということで丸くおさめてみます。おさめてみせます。

なんだか慌しい毎日ですが、しっかりと実になる忙しさなので頑張ります。そして、この山を越えたら自分にご褒美をあげます。一人旅と読書と水泳の時間をごちそうする予定。地味かしら。まぁ、長い人生ですからそんな年も…。

2005-03-02

お別れを

日帰りで京都へ行ってきた。伯母に最後のお別れを言うために。京都の滞在時間は5時間足らず。戻ってやらなきゃいけないことがあったのも確かなのだけど、あまりに泣きつかれてしまって最後の親戚の食事会まで参加する余裕をもてなかったのが一番の早退理由。家族を残して、日が暮れる前に一人東京へ引き帰してきてしまった。

私はもう長いこと家族には涙を見せないでやってきたと思うのだけど、今日はぼろぼろに泣いてしまった。一所懸命泣かないように努めることもできたし、たぶん少し前までの自分だったら、そんなことに神経をつかってぐっと我慢していた気がする。でも、そんなつまらないことに懸命になって何になるのよって今日は思った。我慢しないで、彼女を目の前にして自分が感じるところをしっかりと受け止めたいと思った。それがどんな痛みであれ悲しみであっても。

伯母のだんなさんで父の義兄にあたるおじさまが、とてもとても柔らかい表情で会葬者の皆さんにお礼のご挨拶をしていた。最期の妻の顔はそれはそれはとても美しかったんだと誇らしそうに言っていた。そして、これから一人でどうしていいかわからず途方に暮れているとも。伯母に向けられた愛情の深さを感じてとても切なくなった。

火葬場では伯母と最後のお別れをした。彼女の顔は本当に美しくて、もうとにかく悲しくて悲しくてたまらなかった。伯母のそばから自ら離れることができなくて、結局母に促されて彼女と別れた。その1時間後に再会したら、彼女は彼女の姿をしていなかった。逃れようのない現実だった。

でも、会社を休んででも行って伯母の顔を見られて、本当に良かったと思う。あといろいろ思うことは、うまく言葉にならないでいる。

2005-03-01

他界

今朝シャワーからあがってくると、携帯に母からの着信履歴が残されていた。午前6時57分。留守電に残されたメッセージは、聞かずとも想像がついた。

留守電を確認して電話をかけ直すと、母が「留守電、聞いた?」と問う。私が「うん」と答えると、母はもう同じことを口にはしなかった。お通夜と葬儀の予定が午前中には決まるだろうというので、決まったらすぐに連絡をくれるようにお願いして電話を切った。今朝4時40分に伯母が亡くなってしまったのだ。

悲しくてたまらない。家でも電車でも会社でも、ふいに涙がこぼれてきてしまう。頭に浮かぶのは、柔らかくて温かな彼女の笑顔ばかりだ。

ふと、今朝の記憶がよみがえる。いつもは一旦眠りつくと朝まで起きない私が、今日に限ってミニコンポのデジタル時計が4:XXと光っている時に目を覚ました。霊感は全くといっていいほどないし、ただの偶然かもしれないけど、そこに何らかの連関を求めてしまう自分がいる。彼女との絆が欲しいのだ。

明日は代休をいただいて伯母に会いにいってくる。もう、何を大切にするのか見誤らないで。悔いの残らないように最後のお別れをしてきたいと思う。

« 2005年2月 | トップページ | 2005年4月 »