代休、一人映画に感動
今日は2月頭に土曜出勤した分の代休をとった。平日の休みとなると、なんだか普通の休日みたいに終日近所で過ごしてしまうのがひどくもったいなく感じられて、朝から妙に活動的になる。なので代休は個人的に結構助かる。
朝7時には起きて、午前中は銀行やお役所の手続き(書類間違えて持っていって結局手続きはできなかった)。その後表参道に移動してカフェでパンをかじりつつ読書。それから原宿の美容院で4ヶ月ぶりに髪の毛を切ってもらう(相変わらず大きな変化は無しだけど個人的にはすっきりして気持ちいい)。それからまた表参道の別カフェでコーヒー飲みつつ文庫本の続きを楽しむ。
その後、今日は映画を観るのだ!と銀座へ移動。2005/2/12の「話」で話題に挙げた「一人映画」をしてきたのである。ちなみに今日は水曜日で、女性は千円で映画が観られる。焼肉屋じゃあるまいし映画に男性も女性もないと思うのだけど、割り引いてくれるというのだから使わない手はない。男性には恐縮ですが、毎月1日の「映画の日」割引でどうか気持ちをおさめてください。
さて、今日観た映画は「ハウルの動く城」。確かにその映画に感動したのは間違いないのだけど、私の今日の感動はもっともっと壮大なのである。この感動をどうにかして表現するならば、つまり、この映画の裏側に、こんな素晴らしい感動を創り出し世の中の人たちに届けようとして一所懸命生きている人たちが大勢いるということに、何より感動してしまったということなのである。
この世界にはそんな人たちが自分と同種の“いきもの”として生きていて、その人たちと一緒に私はここで今を生きているんだなぁという壮大な幸いを感じて、私は映画館のスクリーンを前に泣いてしまっていたのである。たぶんちょっとどころでなく怪しいけれども、それがたぶん正確な涙の理由。この幸いをしっかり受け止めて、生きていきたいなぁと思いながら帰ってきたわけです。
だって、人は誰もに共通する「世の中」という枠組みの中には生きられない。自分以外の人が描いた世界や、神さまが描いた唯一無二の世界には(たとえあったとしても)決して生きられなくて、自分自身が頭の中に描いた世界観の中でしか生きられないもの(だと私は思う)。だから所詮自分の目を通してみた世界にしか生きられないちっぽけな動物であるならば、自分を通して感じる世界をより魅力的に感じて生きられた方がいいし、より魅力的に感じられるようにアンテナをはって生きた方がお得なのではないか、というわけで。
なんだかわけがわからなくなってきましたが、要は単に、こんな感動の中に人は生きることができて、実際に生きようとしてそういう働きかけをしてくれている人がたくさんいて、そういうわけで実際にそういう世界に自分が生きていることが、スゴイなぁって話。またまたアサッテの方向にひた走ってますか、私。まぁここだけの話。
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