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2004-12-29

初雪にモコモコ

またまたうってかわって、今日は個人で受けているメルマガ編集の仕事日。朝から初雪が舞う東京、なんともお仕事日和な一日。部屋はまさに極寒の地。上に5枚、下に2枚、靴下2枚、ニット帽着用でかたかた仕事をしている。

といって、ずっと引きこもっているのもつまらないなぁ、せっかく雪が降っているのだし…と、ちょっと外へ繰り出して雪に触れ寒さに震え、本屋さん経由で近所のコーヒーやさんへ。いやいやしかし、家でやらねばならないことがあれこれあるはず…と早々に帰宅。何をやっているのだか。

家に戻るや否や、またモコモコに着替え。転機の時だけにご挨拶のメールを送ったり頂いたりもあって、体一切動かさず頭だけフル回転であれやこれや。気がつくと日はとっぷりと暮れ、って今日は日が出ていませんでしたが、とりあえずお外は真っ暗。時計の太い方の針もすっかり下向きに。

こういう過ごし方で、果たしてご飯を食べていいものなのか真剣に悩んでしまう。ここは一つ、明日からの家族旅行の準備でもして、全身にバランスよく疲労感をもたらそう。

明日からはなんと沖縄。沖縄がどれくらいあったかいのかもよくわからなくて怖いけれど、沖縄から東京に戻ってきた時の寒さショックに私の体が耐えられるのだろうか、これこそ最大の不安。今はとにかく健康第一。笑い者になっても重装備で臨みたいところ。あぁ、準備しなきゃ…というただの日記。

今年一度でもこちらに足をお運びくださった方、本当にありがとうございます。来年もどうぞよろしくお願いします。どうか良いお年をお迎えくださいね。

2004-12-28

新しい会社の納会

うってかわって、今晩は来年からお世話になる会社の納会に参加。人事の方が「みんなが集まる珍しい機会なので、もし都合がつけばぜひ」とお声がけくださったのである。

昨日の忘年会とは明らかにテンションが異なり、平均年齢が5~10歳程上がった感じだけど、一般のそれに比べればこちらもやはり若い会社と言えるだろう。お酒の席ではあるけれど、全体を見回した印象はとてもフラットな感じ。社長や役員の方、スタッフの皆さんも温もりがあって、慣れない場にしては心地よく過ごさせていただいたなぁと思う。

自己紹介があったりするかなぁと思って、一応どんなことを話すか考えつつ会場に向かったのだけど、やっぱりありましたね。ありがたいことです。とりあえず、言おうと思っていたことをそこそこまともにお伝えすることができて、今日の目的は達成。よく頑張りました、私。

その後、今後仕事上で直接やりとりさせていただく機会がありそうな方々とお話する機会も持て、現場で具体的にどの辺りに課題を抱えているのか、より明らかに見えてきた部分もある。そういう意味でも参加して良かったと思う。

やっぱり期待値高い気がしてならないのだけど、とにかく一歩一歩頑張ろう。自分自身が自分の力量を見誤らない限り、少しずつでも着実に伸びていけるはずである。うむうむ。

2004-12-27

エーン

とはなかなか泣けないもので、笑顔でほぼ一日を終えた。今日は一年ちょっと勤めた会社の退職日だった。ちょうど会社の仕事納めの日でもあり、夕方5時からは全社挙げての忘年会。朝から通常通りの仕事をしているうちあっという間に日は暮れて、忘年会の時刻。あわてて後片付けして、ご挨拶して、バタバタと会社を後にして…しまった。部活動の後、校庭に向かって深々と頭を下げるように、きちんと自分なりの儀式をしてくれば良かったなぁと反省。

30分以上遅れて忘年会会場の飲み屋さんに着くと、それはもうもんのすごい盛り上がり具合であった。20代の若手ぴちぴち営業マンが多い会社なので、私にとっては学生時代以来のパワフルな飲み会体験だったかもしれない。もう?第一線で盛り上がる気力・体力はないけれど、参加者の一人として端っこにいることで、しばらくぶりの空気感を楽しめた。なんて味わってるところがオバサンくさいけど。でも、本当にただその場にいるだけでもかなりの体力を消耗するものである。若いって素晴らしい。

そんな怒涛の忘年会を終えて、上司やチームメンバーとお名残惜しく立ち話をして、その後チームメンバーと少しお茶をして…。それでも夜10時くらいにはおうちに着いていただろうか。今日という日が終わるまで残り2時間ほど。涙が流れるのは決まってこういう時間だ。まったく、私って人間はドラマチックにできていない。でも、おいしい日本酒のようにさらさらとお水みたいな涙で、さっさと出番を終えて、引っ込んでしまった。そうあれるように、これまでほぼ無意識に自分の気持ちづくりをしてきたことが功を奏したのだろうか。

でも、何より今の自分を支えているのは、これまで、そして今日もらったみんなからの言葉だと思う。きっと大丈夫だと、そう思えるから、来年も一生懸命頑張ろうと思う。愛しい仲間、いつまでも私の「正義の味方」でいてください。

2004-12-26

里帰り中の友人宅を訪問

中学時代の友人が出産のため里帰りしているというので、彼女に会うため千葉に帰った。彼女の実家の近くに住む別の友人と駅で待ち合わせ、夕方からお宅におじゃました。

彼女の家に向かう道中、友人に昨晩の出来事を話して、なぜか涙がぼろぼろこぼれてきたのだと言ったら、「ただ酔っ払っていただけだ」と一蹴された。でも、「おまえはこういうところがなってない」と指摘されたことがどうも急所をつかれたような感じでね…と食い下がってみたけれど、「私はそうは思わない」とあっさりつき返された。それで、私は一気に脱力し、一気に救われた。

昨日指摘されたことは、それはそれでこの先私自身に考えていくべきところのあるものだと思っている。それは今も変わらないし、うやむやにする気は毛頭ない。ただ、私がこれまで自分の中にあると信じてきたもので、昨日半信半疑になってしまったものたちが、彼女の一言でにわかに息を吹き返した気がする。それで、心からほっとしたのである。立ち直り早いなぁ、私…。

そして友人宅に着くと、もう一人中学時代をともに過ごした友人もやってきて、4人でこたつに入って、のんびり久しぶりのおしゃべり。お宅訪問した彼女は出産予定日が2月、もう一人の後からやってきた友人も出産予定日を3月に控えた妊婦さん。中学時代の友人のお腹の中に赤ちゃんがいるなんて本当に不思議だ。二人とも、元気な赤ちゃんを産んでほしい。何とも豊かな一日。

それにしても、迷惑を被っているのは昨日率直に意見してくれた彼の方である。飲み会での何気ない一言を、受け手の私が勝手に自分の急所にあててノックアウト、泣いてしまったのであるから。私、当り屋みたいである…。でも、もらった言葉は決して無駄にしないので友だちのよしみで許してほしい。

2004-12-25

学生時代のサークル仲間と忘年会

ふいに急所をつかれたような感じで、不覚にも人前で泣いてしまった。ぼろぼろと涙がこぼれ落ちてきて、どうしても止められなかった。

学生時代のサークル仲間との忘年会、二次会も終盤の午前0時過ぎ。ふいにぐっさりとやられてしまった。久々の再会だったというのに、その単刀直入の刺しっぷりはお見事だった。実際何に涙腺が刺激されたかは把握できていないのだけど、とりあえずこれは私の中でしばらく収拾つかないなという判断だけはその場でできて、笑って何度もお礼を言ってその場を失礼してタクシーで帰ってきてしまった。

実際はどうにか収拾できたのかもしれないけれど、ここで意識的に涙を止めてしまったら、それこそせっかく指摘してくれた事を自分の中に受けいれずにごまかして、やり過ごしてしまうような気がした。その方が途中退場するよりずっと相手にも自分にも不誠実に感じられて、やっちゃいけないことのような気がして、できなかった。それで無防備にその言葉を受けいれてみたら、ぼろぼろと涙を流すほかなくなってしまっていた。

ただ今のところ、何が本当なのか、だからどうすべきなのかという答えは私の中にない。今あるのは、今日もらった言葉を忘れようとしたり、うやむやにしたりしたくないということだけだ。しっかり受け止めて、自分が良い方向へ向かうための何かに役立てたいというだけだ。実際はまだ、その言葉から得るべき本質的なことを受け止めきれてさえいやしない。なんで泣いてしまったのか。

私って、本当に幼い。みんな、常日頃こんなことをやっているのか。そして、私はこんなことができずにいるのか。ちょっと、まいる。ちょっと、やりきれない。でも今日の会があって本当に良かったと思う。この先もずっと、時が経つほどに。そうしていこうと思っている。だから、とても感謝してる。

2004-12-22

会社の送別会

同じチームで働く仲間たちが、同時期に会社を辞める同僚と私の送別会を開いてくれた。私はこの後も来週頭まで出勤するのだけど、同僚の方は本日で退職、明日には関西に引越してしまうので、本当に今日でしばらくのお別れとなってしまう。

彼女にしてみれば、大好きな人たちと離れ離れになってしまう悲しみに加え、見知らぬ土地へ移り住み新しい生活を始めなくてはならない不安、短期間に詰め込んだ引越し準備による疲労、そして「でもこんな事でへこたれてはいけない、楽しみながら前に進んでいこう」という彼女らしい意志の力が心の中でごちゃまぜになって、私のそれ以上に重みのある深い一時だったろうと思う。

私は守る人がいると俄然強くなるので、当初予想していた通り涙を流すことはなかったけれど、みんなへの感謝の気持ちやこのチームの一人一人が大好きだなぁという想いを、私なりに深く深く味わって過ごした。

こんなに温かく心のこもった送別会を開けるのはこの仲間たちのほかにいないというくらい、それは素敵なおもてなしだった。一人一人と交わす会話、目が合えばいつも柔らかな視線、瞳を潤ませた豪快な笑顔、顔をほころばせずには読めないメッセージカード、私のことよくわかってるなぁというあったかプレゼント。そして、素敵すぎるスペシャルゲストの登場。本当にお見事でした。

こんなに温かな時間を共有できてしまって、私は全くみんなと離れていく気がしない。物理的な距離は開いてしまうけれど、人はそういうものだけでつながっているわけではない。一人一人のつながっていたいという想いと、ほんのちょっとの努力と勇気があれば、これからだってずっとずっと関係を深めていけるものだと信じているから。だから、そんなにさびしくはない(と思おう)。

今と同じ時間を取り戻すことは二度とできないけれど、今以上の時間を共有することはいくらだってできる。だから、そんなに悲しまないで、一緒にこれからの関係をつくっていきましょう。維持するんじゃなくて、深めていきましょう。ねぇ、まえっち。

2004-12-18

新しいラベル

今日は学生時代の友だちに会って転職相談を受けた。まぁ半分(以上)おしゃべりだったのだけど、気づけば同じお店に丸5時間も居座っていて驚いた。女ってコワイ…。

それはさておき、時々ふと思うのだけど、ここ最近キャリアに関する相談を受けることが一気に多くなった。まぁ仕事が仕事なので当然といえば当然なのかもしれないけれど、私にとってはこの変化、結構大きな衝撃なのである。

昨年までは自分の仕事を問われても「IT関連の教育関連?」とひどくわけの分からない仕事イメージしか周囲に伝えてこられず、何か相談を受けるとしても「パソコンを買いたい」とか「インターネットを使いたい」とか、IT関連寄りのことが主だった。私にしたって、教育について何か為になることを語れと言われても、もちろんそんな何かを語れたわけではない。

でも、この一年で「仕事で転職相談に対応している」「キャリアカウンセラーの資格を取った」というラベルを貼り付けてみたことで、私と人との間にささやかながら確かな変化が起こっているのだ。「教育」を「キャリア」という言葉に置き換えながら、自分の関われる領域に広がりが出てきているのだと思う。

こういうラベルって実際は単なる紙っぺらのシールであって、それ自体に価値があるとは思わない。資格なら取得するまでの学習内容に価値があるのだし、仕事ならどこに何年勤めたという事でなくその会社で何をして何を培ったのかに本来的な意味があるのだと思う。

ただ、ラベルには人と人をつないでくれる機能(きっかけのようなもの)があるのだなと感じる今日この頃。だから、このラベルとうまくつきあって、自分の中にもっと広がりと深みを生み出していければいいなと思う。ずっと先、そのラベルがはがれ落ちてしまっても、うっすらと味わい深い跡が残り続けるように。

2004-12-17

朝帰りには身がもたず

前々職で長く直属の上司だったH氏主催で忘年会があり、その会社で彼と仕事をした新旧のメンバーが集うというので、転職のご報告も兼ねて参加した。

主催者の元上司は昼は昼らしく夜は夜らしくパワフルな人で、「金曜の夜は朝まで遊ぶに決まってんじゃん!睡眠時間にあてるなんてもったいない!」という思想の持ち主。いろいろむちゃをするのになぜか憎めないキャラクター、と元部下の私があっけらかんと言ってしまえるような愛すべき人である。彼は私の初代上司で、何より「仕事は楽しい」ということを教えてくれた恩人である。

参集場所は代々木駅前の「和民」。声をかけてみたら思いのほか人が集まったらしく、急遽場所を取り直したら、忘年会シーズン真っ只中の金曜の夜だけに、行き着いたところがココだったらしい。それにしても、ひっさびさの「和民」にはかなりのカルチャーショックを受けた。ファミレスのように煌々とした照明、フロア全体からわき起こり続ける収拾のつかない特有の騒がしさ、その店の繁盛っぷりを如実に表す店員の足取り、お座敷手前でギブアップしようかと思うくらいの衝撃。これを機に私は認識した。お金無いながらさすがにこのタイプの居酒屋は選択しないようになっていたというささやかな自分の成長を。

しかしそれ以上に衝撃を覚えたのは、座敷に一歩足を踏み入れてみれば、そんな「和民」と互角に戦っているではないか…という元上司のエネルギー度合いである。和民の店員さんどころか、フロア全体を従えているんではないかという勢い。いやぁ、参りました…。なんとたくましい。

それはさておき、10数人が集う中でも同時期を同じ会社で過ごした人は半数いるかいないかというところ。なのに、「元上司とともにアノ会社で仕事をした人たち」というだけで、一気に身構える気持ちが失せてしまう。これは人見知りの私にとってものすごく不思議なことである。いろいろお話させていただき、転職のご報告もして、いやいやなかなか良い会でした。

…と0時前に失礼しようとしたら、皆カラオケに大移動。0時からの2次会にほぼ全員が当たり前のように流れていくとは恐るべし。意志弱く、私も結局2 次会に流れ流されて何年ぶりかの朝までコース。私は一人で眠りほうけていたけれど、他は全員しっかり朝まで起きていて、しっかり朝まで楽しんでいたようだ。これを機に私は認識した。多くの先輩を出し抜いて急速に進行する自分の老化を。

2004-12-16

新たな始まりの一日

今日はとても貴重な一日だった。これから私が今の会社を離れて、それでもこの会社で出会った人たちとの関わりを自ら育てていくための(長い)、大きな足がかりをもらったような気がする。「足がかり」と表現するにはあまりに有意義な時間だった。

基本臆病者で、自分の行為が人の不快感を生むことに強いストレスを感じる弱っちろい人間なので、この足がかりを得られたことはとてもありがたく、私の中に勇気を生んだ。今後は、今日の「時間」を支えに、この一年で得た大切なものを少しずつ育んでいこうと思う。

そういえば、いつだったか思ったことがあった。大切なものは、大切に想うだけじゃなくて、大切にしないといけない。「想う」から「行動する」までは結構な距離があるのだ。

2004-12-12

プロデューサーなる人

ここ一週間くらい、個人で受けている仕事が活発に動いている。先月の「話」に取り上げた顔合わせ会のお仕事だ。思っていた以上にやることがたくさんあるけれど、思っていた以上の学びがある感じ。

顔合せや打合せから始めて、一通りタスクを洗い出してスケジュールを立て、全体に目をやりながら一つ一つ自分の業務を進めていく。途中途中で転がってくる石っころを拾い上げて、道をならしていく。このように基本に立ち返って一連の業務に携われるのは、来年新しい職場で新しい仕事に取り組んでいく上でも、とても良いリハビリになっていると思う。

それに加え、仕事を通じて関わる人から学ぶことの多いことといったら、まぁ。私が受ける個人の仕事というのは、プロデューサーと呼ばれる人からあるプロジェクトの一部の業務を委託いただく形のものなのだけど、素晴らしいプロデューサーと仕事で関わるというのは、その人のおいしいところを最も堪能させていただける状態にあるということなのだなぁとしみじみ思う。

私はもともと仕事上でプロデューサーなる人と関わる機会がそこそこあったのだけれど、そのプロデューサーが抱えているプロジェクトのメンバーとして関わることは少なかったのだ。多くは、プロデューサーなる人にちょっとだけ本業を離れていただいて、こちら側で進めている教育事業に参画いただいたところでの接触だったので、プロデューサーのもとで仕事をするのでなく、対等な関係性にあった。というのもおこがましい錚々たる皆さんなのだけど、仕事上は一応そうだったのだ。それでも十分素晴らしさはにじみ出ていたけれど。

いやしかし幸せなものです。こういうふうにプロデューサーのもとで仕事をし、その過程で多くの学びを与えてもらえるというのは。というわけで、引き続き頑張ります。それにしても今日は真冬の寒さ。お仕事日和な休日でしたね。

2004-12-07

内定通知書

今日は仕事帰りに、今度こそ内定通知書を受け取ろうということで、来年からお世話になる予定の会社を訪問した。とはいえ、最後まで何が起こるかわかりませんよぉーと内心どきどきして伺ったのだけど、今回はいの一番に内定通知をいただき、その後組織体制や就業規則に関する説明へと続いた。

当初提示されていた年棒から特に減俸されることもなく、変わっていたことといえば、お願いしていた契約社員ではなく正社員での採用となっていたこと。ただ、これはこのご時世大変ありがたいことなので、そのままお受けすることにした。いやぁ、本当に良かった。ほっとしました。

これからがまた新たな始まりなのだけど、とにかく地に足をつけて頑張ろう。今の職場でのひと月も、新しい職場でのこれからも。今の自分の精一杯で頑張るしかないし、あきらめずに頑張れば無駄になることは何一つないのだから。成功までの道中を楽しくいきましょう。

2004-12-05

父の還暦祝い

今日は父の還暦のお祝いで家族が集合した。誕生日だった昨日は私が実家に戻り、母と妹と私で父を囲んですきやきパーティー、今晩は兄夫婦も参加して、お洒落なイタリアレストランでお祝いをした。

会も半ばまでは素敵なディナーを楽しみながら他愛も無い話をあれこれしていたのだけど、終盤のデザートの時間になると、ケーキを前に皆からのプレゼント。さすがに赤いちゃんちゃんこは着れんだろうということで、エンジ色のセーター。そしてちょうど買い替え時を迎えていたセカンドバック。とても幸せそうな父の横顔を見て、ひそかにかなり幸せな気分になる。

そんな中で、父はこれまでの60年を静かに振り返ってみたのかもしれない。おもむろに口を開くと、少し真面目な感じで父が語りだした。7人兄弟だったか?大家族の中で育った子どもの頃のこと、大学を卒業して一人家族から離れ東京に出てきた頃の不安な気持ち、大きいとはいえないけどおうちを持って、立派とはいえないけど3人の子どもを育てて(ムム…)、子どもたちもなんとか皆成人して…。まぁ決して立派な人生とまでは言えないけど、俺は俺なりに頑張ったと思う。誰も誉めてくれないから自分で言う。そう笑って口にした父の瞳は、かすかに潤んでいるように見えた。

父がこれまでの記憶をたどりながら、きっと印象に残った出来事たちをいろいろ思い出しつつそんな話をしているのだろうと思ったら、なんだか目頭が熱くなってきてしまった。会社で辛いことがあっても家族のために歯を食いしばって頑張ったことも、きっとたくさんあったのだろう。父の気性を想うと、もうそれだけで泣けてきてしまう。

なんて内心は大変なことになっていながら、私は家族の前では基本ぶっきらぼうなので、精一杯父に言えたのは「ご立派です!」という一言だけだった。我ながら情けない。心を込めて言ったのだけど、あまりに情けなコメントだったため家族にも冗談交じりにしか聞こえなかったようだ。だけど、私は心から立派だと思っているんだよ。ありがとうって思っているの。なかなか素直に言えなくて申し訳ないけれど。

来年には定年を迎え、また兄夫婦のところに赤ちゃんが生まれておじいちゃんになりますね。お父さんの今後が、末永く楽しい人生でありますように。

2004-12-02

かに道楽の秀逸コピー

地下鉄で移動中、ふとドア脇の広告に目がとまる。かに道楽の広告コピー。

「かに料理で宴会を企画すると、集まりがいいのはなぜだろう」

一気に胸を射抜かれて、背景のかに料理写真そっちのけでコピーに見とれてしまう。はぁ、なんて素晴らしいコピーなのだろう。じーん…。私はその道の専門ではないので、専門の方がどう評価するのかは全くわからないけれど、個人的にかなり拍手喝采なコピー。

一目見ただけで、私の頭の中に自然と映像が流れ出す、というのがスゴイ。

駅の階段を駆け下り、ドアが閉まる瞬間に中堅営業マンが滑り込んでくる。周囲の視線を感じつつ、ふぅーっとため息を一つ。電車が動き出せば「無理なご乗車はおやめください」と車内放送に叱られ、頭の中で「俺のことだよ」と呟きつつ、ドア脇の手すりにもたれかかる。目の前には色鮮やかなカニ鍋の写真。「あぁ、そういえば部長に忘年会の幹事頼まれてたんだっけ。このくそ忙しい時に…。お店どこにしようかなぁ。集まり悪いと部長がすねるしなぁ。」というところで、このコピー。

「かに料理で宴会を企画すると、集まりがいいのはなぜだろう」で、即決。

幹事の心をわしづかみである。この、ため息交じりに手すりに寄りかかった時にふと目にしてしまうような広告の位置もたまらなくしびれる。なんだか、とても絶妙な感じ。やっぱり、じーん…。いや、ただただ、それだけなんですが。

2004-12-01

同じ釜の飯つながり

以前話題に挙げたソーシャル・ネットワーキングサイト「mixi(ミクシィ)」でたぐり寄せられた前々職の同僚と久しぶりに会った。もう一人、今年初め年賀メールを機に久々の再会を果たし、先日恐れながら結婚式二次会の司会まで務めさせてもらった元同僚と3人、原宿で落ち合って食事をした。

前者の彼女とはそれこそ4~5年ぶりの再会ということで、閉店時刻を過ぎてもなお今昔の話に花を咲かせた。確か3度くらい店員さんが声をかけにやって来たような…。

それはさておき、今当時の職場の人たちに会うと、家族や学生時代の友だちと会うのに近い感覚を味わう。私が右も左もわからない社会人1年生だった頃からまる4年、プライベートとの境なく夜中まで会社に住み続けていたことも関係しているのだろう。今日会った2人はまさにそんな仲間で、たとえ数年ぶりの再会となっても、そんな時の垣根など易々と乗り越えて、初めからとても自然体で打ち解けあえる存在になっていた。

こうやって人と人が出会って、ある時期ぎゅっと近づいてある時期はちょっと離れたりもして、それでも着実に関係性を深めていけるというのは、なんて素敵なことなのだろうと思う。彼女ともこれからまた良い時間を共有していきたいなと心から思う。

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