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2004-10-30

風の吹く季節

何はともあれ、本当に風は吹くものである。人事を尽くして天命を待つ。そうすると、本当にある時期いろんなところから一気に風が吹いてくるのだ。吹くまでの間は毎回ほんまかいなぁと思うのだけど、やっぱり必ず吹くのである。

本当に自然発生的なものもあれば、私の知らないところで人為的な部分も持ち合わせているかもしれない。その判別は私ごときにできるものではないけれど、それはそれでいいのだ。それが良い風だと肌に感じられるのなら、しっかりその風に乗っかって、そのまま吹かれてゆくのが良いのだと思う。

そうやって良い風に身を任せながら、いつも支えになってくれている人たちへの感謝の気持ちを、こういう時にこそしっかりかみしめてみる。そして、その風を決して無駄にしないこと。私のできることは、ただただそれだけのことだ。

2004-10-27

緊張状態

なんだかんだとここ2ヶ月ばかりちょっとした体調不良なのですが、今朝家の近所でコーヒーを飲んでしまったら一気にダメになってしまって、結局最寄り駅から引き返して会社に一報いれ、近所にある総合病院へ行くことに。

病院に行けば、やっぱり「ストレスがあるとか?」とお決まりコース。ストレスのない人生なんてありえないわけで、「まぁ、無いっていったら嘘になりますが…」としか返しようがないのだけど。でもストレスといっても、「不安」と併記されるイメージのものではなく、どちらかというとそのまま直訳して「緊張」という方が正しいニュアンスだ。まぁ、どっちでも同じなのかもしれないけれど。

そもそも、それと体調不良が本当に関係しているかどうかもよくわからない。病院に行って毎回安易に「ストレスが原因では?仕事は大変?」と問われると、天邪鬼な私はそう易々とストレスのせいにされてたまるもんですか、と思ってしまう。別に「これが大きなストレスになっています」というものを抱えているわけでもないのだ。もし頑張って何でもいいから挙げてみろと言われれば、一つや二つ見繕って最近の生活の中にある「緊張」をお出しすることもできますよ、といったくらいのものである。それもまた診て頂いてるのに高飛車な。

いずれにしても、緊張の方はいくらか解放されてきた感はあるんだけどなぁ。このまま良い方向に開けていくといいなぁ。そして、体調も快復していくといいなぁ。いいなぁ。いいなぁ。そればっかり言っていても仕方ないので、とりあえずしばらくは薬をしっかり飲んで、食べ物に気を遣って、コーヒーは飲まない。

2004-10-24

地震のさなか、巻き髪で司会

昨日、新潟で震度6の地震があった時、私は友人の結婚式の二次会で司会をしていた。結婚披露パーティーなんて場で司会をさせていただくのは初めてだったので、言葉の言い回しなど全然なっていなくて本当につたない進行だったのだけど、まぁまぁ致命的な失敗もなく和やかな会に仕上がりまして、良かったのではないでしょうか…。ともあれ、そういうことにしておきましょう。

それで、「続きまして、お二人共通のご友人である…」なんてマイクを持ってしゃべってみたり、「はいはい、撮りますよー、はいチーズ!」なんて立て膝ついてカメラを構えている時に地震があったので、世の中がこんな大変なことになっているとは全く知らないでいた。

会場でも揺れを感じなかったわけではないけれど、この会場がまたドラマ「白い巨塔」の財前教授の邸宅としてロケ地に使われたとかいう、随分としっかりした造りだったりしたものだから、皆何のパニックに陥ることもなかったのだ。

私がその地震が大事になっていると知ったのは、二次会の仕事を終えて、そのまま徒歩20分くらいある駅までの道を(タクシーがつかまらず)てくてく一人で歩いている時だった。母から電話が入り、「電話がずっと通じなかったけれど大丈夫なの?」と心配され、そこで初めて世の中の状況を知ったのだ。

驚いたということもあるけれど、何より、そういう時に私の無事を確認しようと連絡をとってくれる人がいるなんて、なんともありがたいことだなぁとしみじみしてしまった。とっぷり日も暮れて、一仕事を終え一息ついて、見知らぬ街の中を適当に歩いていたことも影響していたのだろう。

そうそう。ここからどんどん話がとっちらかっていきますが、昨日私は生まれて初めて巻き髪を経験したのだった。ちょうど3ヶ月に一度の髪を切るタイミングだったので、パーティーの前美容院に寄ってきたのだけど、これから司会をするのだと美容師さんに言ったら、じゃあ髪を巻くぐらいしないと!ということになって、なんだか巻かれてしまったのだ。

美容院を出るとしばらく原宿の街を歩くことになるのだけど、窓ガラスに映る私はなんだか銀座のお姉ちゃんみたいになっていた。黒いパンツスーツに巻き髪。私がそんな自分の姿を見慣れていなかっただけかもしれないけど。髪型一つで随分と印象が変わるものだ。偶然にも会場に向かう途中の原宿駅で学生時代の友人と遭遇、彼女も驚いていた。こんな姿はめったに観られないので貴重な体験をしたね。やっぱり携帯で写真撮ってもらえば良かった。

本当に、今日の「話」はいつもにまして収拾がつかなくなってきたので、そろそろお開きに。最後に、新潟に住む夏ちゃんをご存知の方。揺れはひどかったけれど、お子さんともに無事だそうです。良かったですね。しかし、被災地は大変な状態に変わりなく、心よりお見舞い申し上げます。

2004-10-16

身体障害に覆われた「難しいもの」

今日は朝早く家を出て、中学時代の友人と新宿で待ち合わせ。埼玉県は所沢の隣の駅にある国立職業リハビリテーションセンターの文化祭を訪れた。

彼女の友人の男の子がこの前の冬だったかスノーボード中に大きな事故に遭い、事故後1ヶ月は意識もなく、その後意識が戻ってからも一切話せない状態が続き、体も左半身不随の状態になってしまった。

そこから少しずつリハビリを受けて、現在は埼玉で一人暮らしをしながら職業訓練を受けるまでに奇跡的な快復を遂げている。今日訪れてみると、事故後から触り始めたというパソコンも手際よく使いこなし、足の方もゆっくりであればほぼ普通に歩行できるまでになっていた。今や足に関しては、身体障害のレベルも一番軽度の7級までになっているという。

私は彼とは今日が初対面だったけれど、私の友だち、文化祭に来ていた彼の他の友だち、新潟からはるばるやってきていた彼のお母さん、そして彼自身との対話の中から、その出来事の残した、とても大きな「難しいもの」の存在を肌で感じた。それは、ちょっと重たすぎて複雑すぎて、言葉にならない。

彼は今、来年の就職に向けてDTPの勉強をしている。今は障害者の方が社会復帰しやすいよう法整備も進んでいるし、民間の障害者専門キャリア支援サービスも出てきている。25歳。人生はまだまだこれから。私にもささやかながらできることがありそうなので、今後就職の支援をすることになりそうだ。

「難しいもの」を背負っていかなくてはならない現実はあるけれど、同情心を寄せるのでなく、彼が自立するための支援を自分なりにしていきたいと思う。

2004-10-15

課題を共有すること

今週半ば、1ヶ月に一度行っている上司と一対一のミーティングがあった。そこで私がある課題を口にしたところ、上司からとてもありがたい解決の糸口を提示いただいた。私はその時までそんな解決策は受け入れてもらえるはずがないものとして、発想する前からあきらめていた。思いついたとしても、それを提案する度胸はなかっただろう。

自分の抱える課題が何なのかを具体化して自分なりに解決策を考えてみることはとても大切なことだ。でも、自分の頭の枠内だけで完結させてしまっていては、いつまでも自分の考えられる可能性を超えた答えに行き着かない。世の中には、いろいろな面で自分にないものを持っている人がたくさんいる。それは紛れもない事実だ。そういう人たちに自分の課題を共有することも、自分の可能性を高めていく上でとても重要なことなのだと実感した。

これまでも、人と関わったり本を読んだりする中で、ささやかながら自分なりに、人から何かを吸収することに努めてきたつもりだ。でも、一方的に「吸収」するだけではやはり自分サイズで、どこか限界があるのだ。時には双方向の関係性の中で、勇気をもって「依頼」したり「相談」したりすることが大切。そこには「吸収」とは全く異なる人と人とのつながり、つながることでしか起こりえない化学反応のようなものが生まれるのだという気がする。

私のような臆病者にはなかなか難しい行為だったりするけど、自分で勝手に答えを決めつけてしまっていては、いつまで経っても自分が描ける範囲のちっぽけな成長しか遂げられない。勇気を出して一歩踏み込んでみる。周囲から学びを得ながら課題を乗り越えていく。その方がずっと、自分の可能性も高められるし、結果的には自分が人の力になれる可能性も高まるのだ。度胸だ。

2004-10-11

3回目の「恋愛小説家」

この3連休、初日は台風に見舞われるものの、2、3日目は台風一過で暖かくなるものだとばかり思っていた。確か天気予報でもそんなことを言っていたような気がするのだけど、終わってみれば雨も降ったり止んだり、気温もたいして上がらずじまいだった。

最終日の今日は、初体験でDVDを買ってみようと思って、夜遅くまで開いているのだろうと散歩がてら六本木ヒルズにあるTSUTAYAに行ってみた(六本木ヒルズって、一人で行くと結構浮きますね…)。1Fが本屋さんとスターバックスカフェ、2Fがセル/レンタルのCD&DVDショップになっていた。

店内には心地よい音楽が流れていて、どこかで感じた懐かしい匂いがした。外国を旅行した時にお店でかいだ匂いだ。このところ行きなれていない所にはほとんど足を運んでいなかったけど、こういうふうにふいに五感を刺激されると、もう少しいろいろ出歩いてみようよ!って気になる。

1Fをぐるっと一回りした後、2Fに上がってセルDVDをチェック。せっかく購入するのだったら何度も観たくなるのがいい。あと、台風とか大雪とか、今日はおうちの中でひたすらのんびりしようといった時に何気なく手にとって観始められる感じがちょうどいい。なんて事を思いつつ、あれやこれやと見てまわる。

それで結局、ジャック・ニコルソンの「恋愛小説家」になった。垢抜けないかしら…。もう二度ほど観ている映画。一度目より二度目の方が感動したから、ということはきっと、これは私にとって何度観ても良い映画なのだろうと…。それになんとなく「私が初めて買ったDVD」にこの映画を選びたかったのだ。

家に帰って、早速観てみようとパソコンを立ち上げ、その前にメールをチェックした。そうしたら、友人から「離婚した」という知らせが届いていた。本当に驚いた。自分の大切な友人に起こるそれは、世の中でよく耳にするそれとは全く異なるものとして、私の心の中に入ってきた。入ってきて、どこかを思い切り揺さぶった。

それで結局よくわからない気持ちをたっぷり溜め込んだまま、私は映画を観た。やっぱりいい映画だった。私は1回目に観た日のことも、2回目に見た日のことも、3回目に観た今日のことも、きっと忘れない。

2004-10-10

妹にキャリアカウンセリング

今朝母から電話があり、今日の午後にそっちに遊びに行ってもよいかと言う。何にもないところですが、それでもよろしければ…と言うと、お昼過ぎにみんなで車に乗ってやってきた。みんなというのは、父と母と妹だ。

とりあえずお昼ごはんを、ということで駅前の小洒落たレストランでランチをとり、ご一行様を連れて我が家へ案内した。一通り狭い室内をチェックし終えると、みんなどうにかして腰をおろし、あれやこれやと雑談を始めた。

そこで発覚したのが、妹がとうとう先月で会社を辞めたという事実。以前から辞める宣言はしていたのだが、なかなか辞められずにきていた。新聞社特有のシフトで夜行性の生活を送っていたので、今は朝方生活に体を戻しているのだそうで、ちょっと休暇をとって、しばらくしたら転職活動をするのだという。

そこからずっと、話題は妹の転職に関することだった。今思えば、今日は記念すべき私のキャリアカウンセラーデビューの日だったのかもしれない。対面で今後の方向性に関する転職相談、これまでのキャリアの棚卸し、応募書類の作成まで、1時間ほど使って具体的なやりとりをしたのだ。

最初は何のキャリアもないといっていた彼女だけど、一つ一つ質問をして答えを引き出していくと、彼女の経験・スキルをアピールするネタはぽろぽろと溢れ出てきた。最後にはとてもアピール度の高い妹の職務経歴書が、少なくとも私の頭の中では出来上がっていた。

妹はこの間に自分のキャリアについて書き留めたメモを見て、「私ってスゴイじゃん!」と目を輝かせていた。すみません、そういうコなんです…。でも、やっぱり嬉しかった。こういうサポートがあることで、変に嘘をついたり色をつけなくたって人は十分に自分の魅力を伝えられるのだと実感できた。

こういうサポートを必要としない人もいるし、逆に過度に依存されても自分で自分の人生を生きようという意識のない人に対して何ができるわけでもない。でも、確実にキャリアカウンセリングという取り組みを通じてより良いキャリアを形成していける人たちもいるのだと体感することができた。やっぱり、こういう取り組みは積極的にしていきたい。そんなことを思った一日。

2004-10-09

またまたそろそろ転機の巻

今の会社には契約社員として年間契約でお世話になっている。契約の更新時期は年末。もう間近である。大変ありがたいことに、会社の風土としてはそのまま契約更新するのが一般的のようなのだけど、雇われる側にとってはやはり大きな節目である。

特に私の場合、ここでは1~2年の短期間である部分のスキルアップを図ろうというのが入社理由で、今もそれは変わらない。そんなわけで、この秋は重要な決断の時期なのである。なんとも落ち着きの無い人生だなぁと我ながら思う。

実際のところ、この1年で得たことははかり知れない。この会社で仕事ができたのは本当にアタリで、キャリア支援に関することは勿論、仕事の進め方やチームワーク、上司のマネジメントさばきまで、ユーザーの皆さま、上司やチームメンバーのみんなから、本当にたくさんのことを学ばせてもらった。

最大の目的であったキャリア支援スキルの修得も、ここで短期集中的に鍛えたいと思っていたまさにそのスキルを千本ノックのように鍛えられる環境だった。幅広い属性に様々なキャリア、さらに幅広い志向性と様々な悩みを持つ求職者との出会いがあり、その対応の一つ一つが私の中にケースとして蓄積されていった。

これは、この会社がネットを介してサービスを提供していたからこそ得られた経験だと思う。1年という短期間に数千の求職者の質問や相談に対応し、数千の応募書類の添削をする。対面でやっていたら、少なくとも私には無理だ。また、人材紹介のようにヒトを扱うのではなく、転職サイトという求人広告を扱う企業の中でサポートに携われたのも、求職者という個人の側に立って支援を行う上でやりやすい環境だったと思う。会社のビジョンにも共感しているし、上司やチームメンバーのみんなと一緒に仕事ができることも、それだけで契約更新をしたくなるほどの魅力だ。

それでもやっぱり、来年は来年であって今年とは違う。1年前の私ではなく、今の私が目指す所とそれを実現する仕事環境を明らかにして、そこに向かっていかなくてはならない。「いなくてはならない」というより、「その点を考えて答えを出したい」というのが、より正確な今の私の心のありようなのだと思う。

私はやっぱり人と対面する形でキャリア支援に携わっていきたいのだし、その志向性は職業選択にあたって非常に重要なポイントなのだと思う。それから、今よりもう少し深さと幅を拡げて、私個人として人と社会と関わりを深めて仕事をしていきたいという欲もある気がする。

とはいえ、焦って動いてみたものの今の職場以下の仕事環境に落ち着いてしまっては意味が無い。とにかく、納得した答えが出せるように具体的な動きをとってみる時期だ。そこから幾通りかの道筋をイメージして最終的な答えを出そう。どんな答えでも、後で悔いだけは残さぬように。

2004-10-08

風の人

「風の人」なんていうと、なんだかさすらいの人みたいなイメージを持ってしまうかもしれないが、決してそっち系ではない。自分の人生に風を起こしてくれる人という意味である。

特に狙ってそのタイミングで関わるようにしたのでなくても、よく考えると実に絶妙なタイミングでその人と接触する機会を得られていることがある。そこで受 けた刺激によって、それまでもやもやしていた頭の中が一気に整理され、今後進むべき景色がラフに大胆に描かれていく。実際的な変化をもたらす。そんな時、 私は「この人は風の人ではないか!」と思うのだ。

そんなわけで、今日私は風の人に会った。この時期に久々この方にお会いできることが決まった時点でなんとなく期待はしていたのだが、話してみて本当にそう だったと思った。話している最中からその後にかけ、今後の仕事のことを具体的に考えられる自分に変化していることに気づいて一人合点した。

これからどう具体化していくかが大きな課題だけれど、この霧の晴れた状態でしっかり自分と向き合って、一歩ずつ前に進んでいこう。風の人に、心から感謝である。

2004-10-04

友だち

昨日のわたしの「話」を読んでかどうかは定かではないけれど、朝起きてメールをチェックしたら学生時代の友だちからメールが入っていた。なんだかものすごい孤独感に襲われていたときにこんなメールを送ってくれちゃうと、とても感動してしまう。

と同時に、彼女からもらった短いけど心のこもった、そして力のあるメッセージには、本質的なところでも随分と救われた気がする。なんというか、今の私が潜在的に欲していたところの核心をついた言葉だったのだと思う。

地に足をつけて頑張っていこうという元気が湧いてくる言葉だった。うん、そろそろそういう時期だ。試練の時。頑張ろう。私ってほんと単純な造りだな…。

2004-10-03

おうち

この週末は、さつまいもをふかして食べたり、ベランダに住んでいるザミオカルコスを部分浴させてやったり、村上春樹の小説を読んだり、STINGのCDやラジオを聴いてぼーっとしたりと、おうちで地味ぃーに過ごしてしまった。

まぁいつも地味に暮らしているといえばその通りなのだが、とにかく今週末は地味が過ぎた。それがきっといけなかった。日曜の晩に胃腸不調の原因を探り当ててしまった。こんなのなら気づかない方が楽だったかもしれない。はぁ。今週いっぱい悶々として来週明けたら吹っ切る…とか、それぐらいしか策が思いつかない。まぁとりあえずその作戦でいってみよう。策がないよりましだ。

2004-10-01

優しい雨

いつも元気な彼女の頬に、優しく悲しい雨が降った。
夏の日の夕立ちのように、わっと降ってすぐ上がった。
その後また、胸のとこにちょっと残ってたのが落ちた。

私も同じような感じの雨を降らせたことがある。
そういう時はとにかくわっと降らせてしまうのが
一番なのだという気がする。だから良かったのだ。

彼女はもしかしたら一人が良かったかもしれない。
でも、やっぱり一緒にいて良かったのだ。
あの時一緒にいられて、きっと良かったのだ。
そう思えるように、自分のできる事を考えてみよう。

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