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2004-09-29

台風の晩に思うこと

台風やら洪水やら地震やら、国内で災害があった後の報道を見聞きする度にある種の違和感を感じていた。それを実に的確に表している本に出会ってしまったので、忘れないようにここにメモしておきます。「インターネットは儲からない!」(橘川幸夫著)より。インターネットとは全然関係ないけど…。

僕は、例えば、台風が来て川が溢れて家が流されたとして、そのことを国家の責任にするようなマスコミの風潮が理解できなかった。人間は自然の中に生きているわけだから、恵みも災害も、トータルに付き合って生きてきた。そうやって僕らの先輩は、お上なんかに頼らないで、生きてきたのだ。天災を政府の責任にする限り、政府は、これでもかと治水工事をしていくだろうし、その費用は税金として国民に強いられることになる。要求すれば要求されるのである。政府には、なるべく期待しないこと、要求もしないこと、自分でやるべきことは自分でやること。これが、政治を健全な姿に戻す第一歩である。

後半の「政府を健全な姿に戻す」なんてところまではこれまで全く考えが及んでいなかったわけだけど、以前から「自然の為すこと」について政府なり何なり誰かしら“人間”に対して責任の所在を求め過ぎているような気がしてならなかった。それが私の中の違和感だったのだ。

例えば、川が氾濫している時に子どもが川に近づいて水難事故に遭ったという事があるけれど、「なぜ子どもが川に近づけないように柵を設けておかなかったのか」なんていうのは、正直ちゃんちゃらおかしいと思う。柵があったって近づくものは近づくのだ。なぜ危険なのかをしっかり理解させて、川に近づかないように大人が指導を徹底するのが根本的な解決ではないか。

それでも起こってしまう事柄の多くは(もちろん明らかに人災という事故もあるだろうけど)、人間がもともと自然に太刀打ちできるような力など持たないちっぽけな存在だというだけのことだと思う。かなり個人的な見解ながら、そう思うのです。だから、ちっぽけな私は部屋の中に縮こまって静かに台風が行き過ぎるのを待つのです。

2004-09-26

白洲次郎という感動

「何だろう、この瑞々しい感覚は…」と、しばらく宙ぶらりんのままやり過ごしていたのだけど、ようやくそれを端的に表す言葉に辿り着いた。「そうそう、これってつまり“感動”じゃん!」と。あまりに単純な答えだけど、こんな有無も言わさず人の心をかっさらっていくようなモノに久しくぶちあたっていなかったので、この感動という感覚を忘れかけていた。なんとも恐ろしいことである。

というわけで、私は白洲次郎さんにすっかり感動してしまった。先日上司から貸してもらった「風の男 白洲次郎」という文庫本を読んで、ここ最近内向きに入り込んでいた自分がいつの間にかくるりと外側に向き直っている事に気づいた。まるでチェスの駒でも動かすかのように誰かが私の頭をつまんであっさりと向きを変えてしまったようだ。

白洲次郎さんとは「日本国憲法誕生の現場に立会い、あの占領軍事司令部相手に一歩も退かなかった男」(文庫本の裏表紙より引用)。明治生まれにして身長 180cm以上。端正な面持ちに洒落た身なり。英国ケンブリッジ大学を卒業後、各方面で八面六臂の活躍。なんというか、いろんな意味でショッキングなお方なのだけど、何よりその生き様に強く心揺さぶられてしまった。

彼自身の言葉。「ボクは人から、アカデミックな、プリミティブ(素朴)な正義感をふりまわされるのは困る、とかよくいわれる。しかしボクにはそれが貴いものだと思ってる。他の人には幼稚なものかもしれんが、これだけは死ぬまで捨てない。ボクの幼稚な正義感にさわるものは、みんなフッとばしてしまう。」そして実際時の首相であれ、マッカーサーであれ関係なくフッとばしてしまった。あの時代に生きて、これを全うして生き抜いたというのは本当にスゴイ。

彼の生き様に学ぶところはいろいろあるけれど、「これだけは死ぬまで捨てない」というもの、そういうものをもって生きていくという事の貴さを何より深く心に刻まれた。これという信念をもって生きるということが、本当に生きるということなのだと。また、なぜ生きるのかを問うて生きるより、自分はどうやって生きるのかを問うて生きる方が合理的だとも思った。合理性の是非を追求しだすとまた迷路に迷い込んでしまうけど、とにかく前を向いて生きていこうと自然のうちに方向付けられる本だった。

彼は「私利私欲をもってつき合おうとする人間」には容赦なかったが、反面「私心のない人、大所、高所に立って、自分の考えや行動すらも客観的に捉えられる人、本当の愛情のある人」とは晩年に至るまで仲良くつき合っていたという。また子どもたちは、人見知りする子でも彼にはすぐになついたそうだ。このような人がこの世から去ってしまうのは本当に悲しい。そう思う一方で、昭和60年、彼は去るべくして昭和のうちにこの世を後にしたのだという気もする。人はいつか死んでしまう。私は私で、彼に恥じない平成を歩むほかない。

2004-09-22

スターバックスに憩う無賃くん

痩せ型の中年男性。スレンダーでなく、あくまで痩せ型という表現が正しい。私がよく行くスターバックスのお店に、彼もまたよく現れる。いつも端っこの指定席に腰掛け、ノートPCを開いてカタカタやっている。(人のことは言えないが)いつも覇気のない感じで、それが逆に彼を目立たせているようにも思う。

ある日、私は彼の指定席のまん前の席に座って本を読みながらコーヒーをすすっていた。すると彼がお店に現れた。(あぁ、そういえばこの人いつもここに座ってるよなぁ)なんてことを思いながら、本から少し目を離し、彼の振る舞いを見るともなく見ていた…らば、見てはいけないものを見てしまった。

彼は、何も買うことなく、誰かが片した小さなエスプレッソのコーヒーカップを持ってきて私の目の前に来ると、そのまま指定席に腰を下ろした。あれま。気になって、やはり見るでもなくしっかり観察していると、カバンの中からマイ水筒を取り出し、使用済みのエスプレッソのカップの中に水筒の中の飲み物をささっと注ぎ込んだ。あれま。

すると、すぐさま水筒をカバンの中にしまいこみ、今度はカバンからスーパーの白いビニール袋を取り出した。中に何が入っているかと思えば、焦げあとのついた食パンだった。それをまた手際よく適当な大きさにちぎって口の中に放り込むと、その袋もまたカバンの中の取り出しやすいところにしまった。

しばらくもぐもぐした後エスプレッソのカップに入った飲み物をごくんとやった。口が空っぽになると、またビニール袋から食パンをちぎって、また口に放り込んだ。で、またもぐもぐやって、エスプレッソのカップに入ったエスプレッソでない飲み物をごくんとやった。カップにエスプレッソが少し残っていたとして、水筒の中が水なら薄めのカフェアメリカーノ、牛乳なら薄めのカプチーノになるのだろうか…。

とにかく、もぐもぐ&ごくんを繰り返しつつノートPCをカタカタやっていたのだ。指先から肘の辺りまで、素肌にペンキみたいなのが散らかって付いていたが、手は洗いに行かなかった。なんとも謎めいた人であるが、水筒のみならず食パンを焼いて持参するなんて、その見事なまでの準備態勢にズルイとかそういう感情はどうしてもこみ上げてこない。妙に寛容な気持ちにさせられる。パンをどこで焼いてきたのかも謎だけれど、自宅で焼いて一式飲食物をいつも持参しているとなると、よっぽどここで憩う事を欲しているのだろう…。

ただ、そのエスプレッソのカップを片した人のことを思うと、ちょっと胸が痛む。まさか、自分の残したエスプレッソが彼のカフェアメリカーノになっているとは知る由もないだろう。いや、知らない方がいいに決まっているのだけれども。

2004-09-20

村上漬けに司会依頼

このところ、村上春樹さんの文庫本を読みあさっている。あさるといっても、たくさん出版されている中のまだまだ一握りに過ぎないのだが、この連休で3冊、ここ数週間で5冊読了した。今日また新しい2冊を購入してしまったので、まだまだこの村上漬けは続くことになるだろう。本読み…に限らずあらゆる事にぐずな私にとって、これはかなりハイペースで事が進んでいると言える。

私は元来何かに没頭するということがなく、良くも悪くもバランス人間である。なので、あまり一つの世界につかり過ぎて(そうなる事自体滅多にないが)、目に見える世の中がゆがんできそうになっても、そうなる前に必ず危険信号が出る。そろそろ引き上げなさーい!と、私の中で、小人Aが小人Bに対して信号を発するようにできているのだ。

そういう意味では、本を読み続けた連休三日目の今日など信号は黄色い点滅から赤の点滅に変わっていたのを私は知っている。ただ今回は、小人Cが出てきて、「日頃から何かに没頭してしまう事のない私がなんだか一所懸命に本を読んでいるのだし、まぁ三連休だからここは放っておいてあげようじゃないか」と勝手に話をまとめており、そのため私は先程まで通常にありえない「ちょっと漬かった状態」になっていた。※注:そんなに怪しくはありません。

しかし今日も夜7時を過ぎると、小人Aがすかさず「さすがにこのまま連休が明けるのもどうか」と問題提起をし、皆同意。それに従って私も以降本を開かないようにした。そういう時にまたタイミング良く友人から電話がかかってきて、明日という現実世界への架け橋となってくれた。

で、電話の内容はというと、来月の結婚式の二次会で司会をやってほしいという依頼。まぁ、なんと!驚きのあまり、本当に一気に現実世界に引き戻された。初めは及び腰だったのだけど、よく考えてみると役割を持たずに誰も知り合いのいない二次会に参加するのもそれはそれで手持ち無沙汰かなぁという気がしてきて、結局依頼を受けることにした。

彼女と同じ職場で働いていた時、私が多くの人の前で話すことが日常茶飯事な仕事をしていたために今回こういう人選になったようだが、そういえば久しくマイクを持って人前に立つことなどしていない気がする…。大丈夫だろうか。まぁ、どうにかなるだろう。どうにかしよう。その役割をもって、しっかりお祝いしてあげたいと思う。そんな気持ちをもって床につく。

これで明日も無事社会復帰できそう。すくい上げてくれた彼女に感謝である。

2004-09-19

風を待つ

このところ、私は風が吹くのを待ち続けている。「風を待つ」といっても、これはそう投げやりなものではなくて、「人事を尽くして天命を待つ」の意であるのだが、であれば私にとっての「人事」とは何で、どこからが「天命」に預けてよいものなのか考え出すと、これは随分と難解なけもの道に迷い込んでしまう。

それでまたしばらく待ちぼうけては、「まぁ待ってるだけじゃ進まないよなぁ、実際」と思ってみたり、そんな折「急ぐとろくなことはありません。-中略- 人生の変わり目はだいたいにおいて、向こうからあなたを選びます。あなたが選ぶことはほとんどありません」という村上春樹さんの言葉に遭遇して妙に納得してしまったり。最近は、そんな日々である。

※出典:「そうだ、村上さんに聞いてみよう」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける282の大疑問に果たして村上さんはちゃんと答えられるのか?(村上春樹/絵・安西水丸/発行・朝日新聞社)

2004-09-17

勉強会の講師を体験する

なんとなく今週は、病院立ち寄りで遅刻というのもどうかというお仕事状況だったので、週末まで「健康だけど空腹の人」を続けてしのいだ。特に木曜日は、もともと「魔の木曜日」と呼んでいるほど多種の業務で慌しい一日なのだけど、さらに今週はチームメンバー向けの勉強会の講師をやることになっていて、本当にてんてこまいだったのだ。

勉強会といっても、何か立派な人が教壇に立って講演するといったタイプのものではなくて、私みたいな一介の素人さんが話す(こともある)かなりフランクなものではある。とはいえ、講師は講師。教育業界長く、素晴らしい講義も数多く見てきただけに、これは非常にプレッシャーなのである。おいしいものをたくさん食べていると、自分の作った料理がウマイかマズイかもよくわかってしまう。しかし、当然のことながら料理の良し悪しを適正に評価できる能力と料理をうまく作れる能力は全く別物である…。

お題は、私がキャリアカウンセラー講座を受けて学んだ中から私たちの業務に活かせるところを共有してほしいというもの。まぁかなりかぶっているので、活かせるものを挙げるときりは無いのだが、話す時間は最長30分のミニ講義、それもこのへっぽこ講師がきちんと講義をできるネタに限られてくるので、焦点は結構あっさりと絞れてしまう。が、その要素をどう伝えるのかが非常に大きな問題なのであって、ここしばらく頭をミシミシ言わせながら講義内容を考えてきた。昔多少使っていた筋肉を久しぶりに動かしたような感覚である。

で、一気に講義を終えてみての感想に入る。講義というのは、体系的に整理して話すこと、自分の言葉でこれを伝えたいという意欲をもって話すことが基本だと思っているのだけど、そういう部分を意識しながら準備をして本番に臨めたのは良かったなぁと思う。これまでお世話になった講師の方々の苦しみをほんの少し垣間見る機会にもなったし、講師という役割に立って準備をしている時にその傍で第三者として意見してくれる人の有り難さも実感した。自分自身がどういう事を大切にして仕事に取り組んでいるのかを自分で整理してまとめてみる機会を持てたのも大きな収穫だったと思う。

チームメンバーはとても優しい人ばかりなので、講義終了後は皆好評の声をかけてくれた。ただ、実際に仲間たちの明日からの業務にどれくらい役立つものを提供できたのかはわからない。でも悔いは無いし、やるだけのことはやった。これ以上を望まれても今の私にはできない。まぁ、これまでに見てきた一級品の講義の足元にも及ばないものだったけれど、デビュー作としては合格点ではないでしょうか。もう無いだろうけど。ご清聴ありがとうございました。

2004-09-14

どうも調子が…

なんだかこのところ調子がよろしくない。お腹がごろごろいってみたり、頭がずきずきいってみたり。お腹の方は始終落ち着かない様子。昨日のお昼も控えめにおにぎり1個とちっちゃいパックのお惣菜だけにしたのに食後30分で痛い目にあった。その上数時間後にも再び痛みが到来。これって胃腸ともにやられているってことなんだろうか。

感覚的にか経験的にか今日は食べたら痛くなるのが必至と思われ、結局朝昼とも何も食べられなかった。食べなければ「ただの空腹の人」で済むが、食べると「お腹の痛い病人」になる。と思うと、とりあえず会社で仕事する以上、「ただの空腹の人」の方が断然都合がいい。それに痛くなるとわかっていて痛い思いをする行動を起こせるほど私はたくましくない。それで一日かけて細々一杯の紅茶をすすって過ごした。

しかしまぁ朝プールに行って30分泳いだというのに、何も食べなくても結構もつものだなぁと感心してしまう。日ごろから蓄えてきた脂肪の存在は大きい。こんなところで助けられるとは。って本当に助けてくれているんだろうか…。

とはいえ基本1日3食食べる私に終日断食できるほど強靭な精神力もない。夜であればお腹が痛くなってもまぁどうにかなるだろうということで、とりあえず晩ごはんはちょぼちょぼ食してみる。水分もがぶっと摂ってみる。これでごまかしまやかし週末まで持ちこたえるといい。今週は仕事もあれこれあるし。

こんな生活をしているから良くない夢をみてしまうのか、時計より早く目を覚ましてしまうのか。もう少しで胸騒ぎの1日も終わる。何事もなく午前0時を超えて、静かに明日を迎えたい。今日の残り時間で望むことはただそれだけだ。なんか病んだ文章だな。まぁ実際は「ただの空腹の人」に過ぎないのだが。

2004-09-12

昨日のお食事会の番外編

昨日の「話」で書いた父方の親戚とのお食事会で、従姉妹の女性がこんな事を言っていた。子どもの頃おじいちゃん(父の父)のところに行くと、「今日は○ちゃん(私の父)からおこづかいもらったから、外においしいもの食べに行こう」と言われ、よく食べに連れていってもらったと。それに対して父は、あれは長く父に振り回されて苦労していた母にあてて毎月振り込んでいたものなのに、と苦笑いしていた。

昨日会った叔父が税理士になるため会社を辞めるといった時も、家族がある身でそんな身勝手なことがあるか!と親戚一同(うちの父は8人兄弟)から一斉に猛反対される中、父は「まぁやってみろや」といってお金を貸していたのだという。ちょうどうちも3人もの子を育てるのにお金がかかっていた時期だと思う。結果、彼は本当に税理士になり、現在はスタッフを抱えて事務所を営み、豊かに暮らしているようだ。

父のちょっと良い話というのはいつもこういう場で耳に入ってくる。父が自ら私たちにそういう話をすることはないので、数少ない親戚との親睦の場で気まぐれにしか耳に入ってこない。だいぶ時間が経ってから親戚の思い出話の中でぽろぽろとこんな事実が明らかになり、その度私はほろっときてしまう。

2004-09-11

夫婦の仲

身内の話でなんだが、うちの親の夫婦仲は決して良いものではない。決定打は数年前、母が持病の腰痛をこじらせ、近くに住む母の義兄(私の叔父)を家に呼んで鍼治療をしてもらっていた時のこと。横たわる母に向かって、父が「健康じゃないやつはうちにはいらん」みたいな言葉を浴びせたそう。母は悔しくて即家を飛び出していきたかったけど、何せ腰の痛みがひどくて立つこともままならぬ状況、思い切った行動でその思いを発散することができぬまま、体の内側で怒りが噴火して溶岩がそのまま体内に流れ落ちてしまったよう。そして今日に至るまでずっと、溶岩はぐつぐつ言いながら体内を流れている。

確かにひどい言葉なので、父は父で誠心誠意謝罪すべきである。が、母は母で長年連れ添ってきて、冷静に考えれば母のことを大事に思っていないわけじゃないこともわかるはずだし、散々周囲に愚痴も言ったろうから、いい加減歩み寄ってもいいとも思う。今後も長く連れ添っていくつもりであれば、母も自分自身の今後の幸いのために、そろそろその悲劇から自分を解放させてあげた方が幸せになれると思うのだ。周囲に愚痴をこぼすのも初めのうちは良い発散になって健康的だと思うけど、それを続けて周囲の「それは確かにひどいね」という言葉をかき集めて生きても、悲劇のヒロイン意識に埋もれていくだけで決して健康的ではない。

しかしまぁ、そういう事を娘が言ってしまうと、愚痴を言う相手もなくなって八方塞になってしまうおそれもあるので、安易に忠告するわけにもいかない。それで結局、今日まで誰も何もその事に触れず、母の溶岩だけが活発に活動を続けてきた次第である。それがこのほど、叔父が見事噴火口まで足を運び、関係修復に尽力してくれた。

昨晩実家から電話が入った。叔父さんが仕事の関係で上京し我が家に泊まっているので、翌日の今晩銀座でお食事会を開くという。ついては長女も参加しろということで、妹が私に電話をかけてきたのだった。日が暮れて待ち合わせ場所に行ってみると、もう何年も会っていなかった東京在住の従姉妹2人も呼ばれていた。彼女らは父や叔父のお姉さんの娘さんで、従姉妹といっても2人とも40代。しかしまぁ、最近の40代女性はなんとも若々しい。

お食事会が始まると、昨日の晩にでもこの一件を母から愚痴られたのだろうか、叔父は冗談交じりにその話題に触れては、仲直りしなはれ!とあの手この手で盛り上げた(ちなみに父方は皆関西人である)。その後なぜだか親戚ご一行でカラオケボックスに行ったのだが、そこでも叔父は歌詞に出てくる「あなた」の部分を全部父や母の名前に置き換えて、2人をからかうように幸せな恋の歌を歌い続けた(うまかった)。そんな事を嫌味なくできるのは今この世で叔父しかいないように思われ、その唯一の人がそういう事を率先してやってくれていることに私はいたく感動した。父の弟の頑張りに免じて、母の怒りも熱を冷ますといい。まぁ引き続き長期戦で見守っていこうと思っている。

父と叔父、二人の会話を聞いていると、ほんと兄弟だなぁと思う。叔父とはこれまでほとんど接触がなかったが、とても他人とは思えない。愛すべき人だ。

2004-09-07

健康診断を乗り切る

今日は会社の健康診断。血液検査もあるというので、これを知った先週の頭から気が気ではなかった。指定場所に向かうと、だだっ広いセミナールームのようなところに、間隔をあけて数台の長机が横一列に置かれ、奥へ進むにつれて注射針に近づいていく。会場に人が少ないので奥の問診以外全部丸見え。注射針も丸見え。尿検査→身長・体重→視力・聴覚→血圧→採血→問診の順に検査を受け(補:尿検査はお手洗いに行きますよ)、最後はビルの1Fに止まっているバスに乗り込んでレントゲン。以上が本日のメニュー。

唯一楽しみなのは身長の測定。前の会社では健康診断がなかったので(本当はいけないんだけど)数年ぶりに知る自分の身長。今回測ったら161.8cmだった。さすがにもう伸びてはいないらしい。そして今のところ縮んでもいないらしい。ほっとした。

ここを通過してしまうと、後には何の楽しみもない。注射針に一直線。体に針をさされるという自分の身の上に貧血を起こしてしまいそうだ。今まさに針にさされている人の2m後ろくらいにパイプ椅子が4つ並べられており、そこに針さされ待ちの人が並んでいる。あぁ、なんで私はこんなところに座って針にさされるのを待っていなくてはならないのか。そうこうしているうちに番がまわってきてしまった。

私の全く隠し切れていない動揺を察し、針をさすお姉さんが「大丈夫?」と声をかけてくださる。正直に「ダメです」と答える。お姉さんが「貧血があったりするの?」と問うので、「いや、単に苦手なだけなんですが」と答える。「やっても大丈夫?」と訊くので、「やらなくても大丈夫なんですか?」と訊き返す。「私の判断では何とも・・・」と言うので、「じゃあ、が、頑張ります…」と言うしかないじゃない。そんなことをしている間にやりゃーいいんですが、なかなか。

恐る恐る腕を台に乗せて顔をゆがませて失礼ながらそっぽを向く。お姉さんが私の腕に触れ、「まだささないから大丈夫よ」となだめる。しばらくすると、「血管はもう見つかってるけど、やっても大丈夫?」とお姉さん。「が、頑張りますっ」と私。そう返すほかなかろう。そうだ、頭の中で何か歌を歌おう。「ねーむれー♪ねーむれー♪」これって子守唄。今ってこれでいいのか?いいのか。眠れば痛みが鈍るもんね。あってる、あってる。間違ってない。はい、続けて!なんて頭の中で小人1号と2号がやりあっている。

そうこうしているうちお姉さんが「もう半分終わったからね」って、そういう実況中継はいらないかもー。さぁもう一度!「ねーむれー♪ねーむれー♪」とかやっているうちに、お姉さんが「はい、もう終わりよ!」と言う。おぉ!「もう針抜けてるんですかっ?!」とそっぽの体勢のまま尋ねると、「あ、いやまだ」って、えぇー!「あぁ、こういうのは抜いた後に言った方が良かったわね(苦笑)」なんてことをやりとりしているうち本当に抜けた。「I did it!」何もしてないけど。

その後、お姉さんに深々お礼を申し上げ次の問診スペースに移ると、入るやいなやおじいちゃん先生が「注射、ダメなのねぇ」とかわいそうな子を見るような目で声をかけてきた。あぁ、はい、そりゃーもう…。そう返すほかなかろう。

2004-09-05

そもそも

ふと思ったことですが、「そもそも」という言葉はスゴイ。見かけによらず、それまでの議論を根底から覆す強大な破壊力を持つ言葉だ。この一言によって、その場にいる人全員を、ものすごく本質的なところ、大本のところ、源流のところに誘う力を持っている。それだけの威力を持ちながらも、「そもそも」といういかにも「のそのそ」と同義のような風貌で世の中を渡り歩いているところがまた大物である。

何がスゴイのかもう少し思いを巡らせてみると、この言葉を考えた人はスゴイというところに行き着く。これを考えた人は、自分の周りの人たちがもう具体的な話をあれこれ進めていて、だけどそんなあれこれを模索するうち大本の目的とずれてきてしまったところで、すかさずそれを察知し、「そもそもさぁ」と口にしたのである。いや、それまでに無かった言葉がどんな感じで世の中に産み落とされるのか知らないが、まぁ、きっとそんな感じである。

「そもそも」という言葉がない時代に、「そもそも」視点を持ってそのズレに気づくというのはスゴイことだと思う。私たちが生まれた時にはそもそも「そもそも」という言葉があったので、「そもそも」という概念を早いうちから身につけることができた。しかし、その言葉のない時代には、「そもそも」的状況を頭の中で概念化してから「そもそも」という言葉を作り出さなくてはならない。この過程には大変高度なスキルが必要とされたことだろう。

この言葉の創造者は、ある事象の一連のプロセスの中で、嗅覚で常にその事象の大本の目的をとらえ、大局的な見地から目的と目の前の議論のズレに気づく視野・視点を持っていたのだろう。そして、「あ、ズレてる!」という違和感を感じた際に、さじを投げたり、小難しい話をして皆をやり込めようとしたりせず、「そもそも」という庶民感たっぷりの言葉を用いて皆を原点に誘ったのである。なんて魅力的なお方なのだ。(妄想)

世の中にはたくさんの難しいことがあり、それぞれにその道の玄人と素人の関係があるわけだが、難しいことを難しく言うより、難しいことを平易な言葉で伝える方が難しいと思う。よく難しいことを難しく言って、これがわからないなんてバカは相手にできないと聞き手を見下す人がいるが、それは聞き手がバカというより話し手のスキル不足だと捉えるべきだ、と思う。自分が素人側に立つことが多いばかりに、それに対する小さな反発をしているに過ぎないかもしれないが…。自分が玄人側に立てた暁には、そう考えたいと思う次第だ。

難しいことを平易な言葉で表すといえば、私の知る?人では物書きの橋本治さんが一等賞だ。きっとあんなお方が「そもそも」みたいな言葉を世に生み出したんだろうなぁと思う。偉大である。

2004-09-04

麻酔注射

そうだ、今日は麻酔注射を打たれる日だった。そう気づいたのは、既に歯医者さんの診察台に乗った後のことだった。2週間前、担当医のお姉さんに「次回は麻酔をして○○の治療を」と言われ、「麻酔って注射ですか?!」と少々取り乱してしまったほどだったのだが、その後しばらくしてから今の今まですっかり忘れてしまっていた。

なぜ忘れてしまっていたのか、答えはすぐに思いついた。来週会社で健康診断があり、そこで採血が行われるという知らせを受けたからだ。それでまた激しく動揺してしまって、そのことで頭がいっぱいになってしまっていたのだ。

何はともあれ、今の敵は眼前の麻酔注射である。席に着くなり診察台が倒され、早速麻酔注射とご対面である。といっても、私はご対面など御免なので、とにかく目をつぶって一切何も見ない。痛い視覚情報は痛みを倍増させるだけだ。「何か頼りになるもの」と思い、とりあえず左の親指にその大役を預ける。右手の指たちがこぞって左の親指にしがみつき、痛みを待機する。

するとお姉さんが、「鼻でゆっくり深呼吸してくださいね」と囁く。恐怖におののく私にとってこの効果は絶大であった。何もなしでは、私は左の親指だけを頼りに、無意識にも痛みのする方へ意識を集中させてしまう。しかし、絶妙なタイミングで出されたお姉さんの指示は、私にその時やるべき仕事を与え、私はそれを、それだけを必死に従順に行おうとするのだ。

鼻に全神経を集中させ、深く深呼吸。浅くちゃだめだぞ、お姉さんは深呼吸と言ったのだ。口で息しちゃだめだぞ、お姉さんは鼻でしろと言ったのだ。と、より忠実に従うためのあれこれに頭が占拠される。無理やりでも占拠させる。そうこうしているうち、麻酔注射が終了した。はぁ、一つ苦しみを乗り越えた。

とは言うものの、麻酔注射自体はおかげさまでさほどでもなかったのだ(このノウハウは来週の健康診断にもぜひ活かしたいところである)。問題はその後。どんどん麻酔が効いてきて、自分の体なのに自分の感覚が働かない。これで一気にとても悲しくなってしまった。ブクブクをしても、ぴよぉーっと明後日の方向へ水が飛んでいってしまうし、ペッとしてもだらーっと水が流れ落ちてしまう。じっとしていても自分がこぶとり爺さんになってしまった感じがする。

私は口の中のほんの一部の麻酔で、それも数時間の効きだけど、大病を患った人など常時薬で感覚を麻痺させて生活を送っているのかと思うと、ほんと悲しくなる。これはつらい。自分の体なのに自分の思うように働かず、全てを医者に委ねるしかない無力感。ちょっとやりきれない。そんな悲しみとこぶとり感を引きずって自宅に戻り、なんとかご飯を食べて洗濯やら掃除やら植物に水やりやらを終え洗面所に入ったら、鏡の中にひじきをくっつけた自分の顔を見つけた。はぁ、悲しい。ちょっとやりきれない。

2004-09-03

名刺が届く

最近中途入社したチームメンバーの歓迎会を経て夜11時頃家に着いた。今日はおそらく…。あった!郵便ポストに封筒あり。初めて個人で作った名刺がそろそろ手元に届く頃だったのだ。

「個人でもできる限り仕事を受けていきたい&どうやら仕事をもらえそうだ」というのと、「いい加減来年の身の振り方も真剣に考えなくては」という背景があり、個人の名刺でも作ってみようかなぁと思い至った。単純に「名刺を作る」という過程を経験してみたいという好奇心もあった。正直それが一番の理由。

私の場合、自分で作る能力も環境もないので、デザインから印刷まで全てを発注することになる。それでネットで検索するとお願いできるところはいろいろ出てくるし、サンプルもとりそろっているのだが、どうもぴったりくる型が無い。いろいろ見ているうち、作れないくせに自分の名刺のイメージが出来上がってしまったのである。縦型がいいという時点で既に選択肢の数を減らしている。

通常自分でイメージを持っている人は、Illustrator等を使って自分でデザインをして、自分で印刷するか、そのデータを渡して印刷だけ発注する形をとるのだろう。そういうサービスを提供しているところは多く見られるのだが、「イメージはあるけど自分では作れない」という中途半端な人間に快く対応してくれるのかどうか、名刺やさんのサイト情報だけではよくわからないことが多い。

それで、あちこち探したところで見つけたのが今回発注したところ。指定サンプルのほか、「JPEG・GIF・BMP・PSD・AIでのデータ入稿OK」「イメージを書いてFAXで送ってくれてもOK」というような案内があり、きっとここなら私の身勝手にも快く対応してくれるだろうと決め付けた。

私はPower Pointに自分のイメージを描き、フォントや紙質のあれこれを補足し、とはいえ、「全体イメージはそちらにお任せします」といった身勝手極まりないお願いを一枚にまとめた。プリンターがないので、結局それを画像データにして、GIFファイルでメール添付。上の案内に沿っているようで全く沿っていない好き勝手な解釈である。

しかし、そのサイトの節々から窺える通り、一貫して「誠実でいて簡潔」「簡潔でいて誠実」な対応で、月曜の夜中に発注したものが、その週の金曜には私の手元に届けられた。「名刺を作った」といううきうき感も冷めやらぬうちの納品で、本当に素晴らしいなぁと思う。仕上がりもイメージ通り。私のイメージ通りということは、つまりひたすら地味な名刺なのであるが…。

とりあえず、「名刺を作る」過程を経験するという最大の目的は達成してしまったわけだが、果たしてこれの貰い手がどれくらいいるだろうか。お試し版の40 枚限定。まぁ3年で使い切ったら自分を誉めてあげよう。その際はまた再発注させていただきますので、よろしくお願いします。

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