2003年後半の話(まとめ)
■2003/12/30(tue) 戸惑いの終末
「今年は充実した一年になりそうな気がする。・・・しなくてはならない。」という切実な思いを、今年の元旦私はここに書き記している。「文章を書く時間をはじめ、本を読む時間や旅する時間、自分の今後について考える時間など意識的に増やしていきたい」との希望も、翌1月2日に残している。一年を振り返ってみて、「やり遂げた!」と胸を張っていえるほどでもないが、まぁそこそこの結果を残せたのかもしれないとも思う。
そう錯覚して甘い点数をつけたくなってしまうのは、この一年本当にさまざまな出来事や変化があったからだろう。まず3年間勤めた会社を辞めた。6年ぶりに一人暮らしもやめて、実家で暮らすようになった。山奥に篭って教習所に通い、車の免許も取得した。業務委託の仕事を体験した。ドイツに住む友人のもとへ、初めて一人で海外旅行をした。1社だけだったが転職活動もして、新しい会社に入社した。本を読むのを習慣にした。旧くからの友人とたくさん会って話した。逆に、環境が変わってあまり会わなくなってしまった人もいる。そのうちのどれ一つとして、元旦には予想しえなかったことである。
この一年で生活はがらりと変わってしまった。決して後退しているわけではない。自分なりに考えて前進の道を歩んできているように思うけれど、やっぱり「変わってしまった」と結んでしまう気持ち。一年の節目を目前にして、何かが残っているという感覚、何かを残してゆくという感覚。「切なさ」という言葉以外に、私にはこれに対する表現の術が思いつかない。
一年は本当にあっという間だ。あっという間のくせに一年前とは全く違う生活を送っている自分がいる。今さらながらではあるけれど、この時期改めて振り返ってみると、そんな自分にちょっと戸惑いを感じてしまう。5年前も1年前も今も、同じ自分が自分をやっているなんて。そんな一年の締めくくりである。
■2003/12/27(sat) 脱皮の年
リビングのテーブルに「TV station」が置いてあった。年末年始、テレビ番組の録画プランをたてるのに妹が買ってきたのだろう。ぺらぺらめくっていると、後ろの方に来年の星占いが出てきた。見つけてしまったからには自分の星座をチェックしないと、なんとも落ち着かないというものだ。
魚座の全体運、冒頭の一行。"04年は脱皮がテーマ。長所や欠点・才能を含め「自分」がよくわかってくるし、魅力的な存在へと変身できる星回りです。"
おぉっと、これはなかなかヒット。妙にぐっときてしまった。「自分がよくわかってくる」という言葉が、まさに今この時期の私が目指すところとしてフィットしてきた。遠い未来ではなく、ほんのちょっと先にあるべき現実として。
脱皮。これを来年のテーマにして生きてみるのもいいなぁと思った。ここ数年で失ったもの、それと引きかえに手に入れた形のないものをいかに有意味化できるかを問うてゆく一年。
占いとは道しるべのようなもので、こういう漠然としたものはなおさら、その先本当にするも嘘にするも自分次第だと思う。またその判定は1年後の自分にしかできない。ただ、今この時期にこの道しるべに出会えたことは、何らか自力ではない霊的な力が働いてのことだろうと考えてしまう自分もいる。
※ダイヤモンド社「TV station」04年1号/2004年12星座占い決定版より
■2003/12/26(fri) 客観と傍観のズレ
松たか子さんの「松のひとりごと」というエッセイ集を読んだ。外柔内剛。彼女の印象を一言で表すならば、そんな言葉になるだろうか。穏やかで柔和な外見を一歩踏み込むと、内に秘める芯の強さや一本筋の通った誠実な生き様が感じとれる。役を演じていない彼女自身に触れる機会などこれまでほとんどなかったというのに、一連の創作活動への取り組みを人並みに見聞きしているだけでそう感じられてしまう不思議。以前から同世代の女性としてとても魅力のある人だなぁと思っていたので、何かのラジオ番組で彼女のフォト・エッセイ集が出ることを知り、私は早速購入してみた。
この一冊を読んではっとさせられたこと、それが「客観と傍観のズレ」である。彼女はいつも自分自身に対して客観的であろうとしているのだと思う。そういう意識は私も共通するところなのでよくわかる。彼女と私の大きな違いは、その先にある。彼女は自身を客観視しながら、決して自分の人生に対して傍観することをしない。自分の人生に対して常に能動的に関わろうとしているように思えた。そこには「そんなの、自分の人生なんだから当たり前じゃない」とでも言い兼ねない、彼女の本能的ともいえる強いエネルギーが感じられた。
意識的にか否かは別として、彼女は確かに「傍観」せずして「客観」することを選んで生きてきたのだと思う。一方の私は、その分別ないまま「傍観」してきてしまった部分が少なからずあるのではないかと思う。客観視することは決して傍観することとイコールではない。その境い目をきちんと見定めて生きてゆくことの重要性を、この作品の行間は私に語りかけているように思えた。
客観視して何かを語っているだけでは、どんなに上り詰めても自分の人生に対する優秀な評論家にしかなれないのだ。自分の好きなこと、自分のやりたいこと、自分のやるべきこと、自分の人生に対して傍観せずに取り組んでいかなければ、どんなに確かな目で客観視しても何も進んではいかないのだ。外見はもうどうしようもないけど、、、内面はぜひ見習いたいと思う私である。
■2003/12/25(thu) ニヤリなおじさん
「水泳、どこかで習ってたんですか?」左の耳からおじさんの声が聞こえた。しばらくぶりに訪れたフィットネスクラブでひと泳ぎ、プール脇にあるジャグジーに浸かって、久々の運動で疲れた身体を休めていた時のことだった。
声のする方に顔を向けると、プールで豪快なバタフライを披露していたおじさんがニヤリとした笑みを浮かべて私の回答を待っていた。「あ、いえいえ。もう自己流で、適当に泳いでいるだけです。」謙遜ではなく、これは真実である。「いやぁ、すぃーすぃーって泳いでるから。」真実ではなく、これはお伊達である。さすがの私も、あの泳ぎでそう言われても木に登る気にはなれない。
おじさん、じっとこちらを見ている。う、気まずい。とりあえず「バタフライされるんですね」と返してみる。おじさんは得意げな表情でたいしたものじゃないといったようなことを言う。私はいやいや立派なもんですよみたいなことを言う。おじさん、あなたにもできますよといったようなことを言う。「ここのクラブの人で、あなたより痩せてて小柄な女性もこの間しっかり泳いでたから大丈夫!」おじさんはそう言って私にエールを送った。
それって、どうなんだろう。どうせぽっちゃりしてますよ、どうせがっちりしてますよ、えぇえぇ。しかし、初対面でそうふてくされるのもどうかと思い、とりあえずその励ましを素直に受け止めて笑顔で応えてみる。そう、きっと悪気はなかったのだ。極端にぽっちゃりがっちりしていると感じたら、このおじさんだってそんなこと言わなかったはずなのだ。気にするほどではないと思えたからこそ言えたことなのだ。そうだ、そうだ、そうに違いない。そうして自分を励ましながら、そのままおじさんのおしゃべりに耳を傾けた。
っていうか、おじさん・・・。今のお風呂に浸かっている状態じゃ私の体型ってわからないはずなんですけど。プールの中にいてもわからないはずなんですけど。どちらでご覧になったんでしょうか。しばしのおしゃべりを終えて、私はおじさんを残しプールを後にした。お腹を引っ込めて少しかかとを上げて、小走りにプールを後にした。
■2003/12/13(sat) 誤解のない関係
当人同士に誤解がないのなら、それが世間的にどんな曖昧な関係性でも、それはそれで成立していて、それはそれで私はいいと思う。
一方、どんなに確かな関係性を公に認められていても、当人同士がそれを偽りと感じるのであれば、それは実のところ何の意味もない関係性だと思う。
■2003/12/11(thu) 口座解約のすすめ
1日1日を積み上げていったら、あるタイミングでそれをまとめあげてアウトプットすることが大切なのだと思う。繰り返しっぱなし、積み上げっぱなしなのは、なんだかもったいない気がする。いくらか積み上げた後に、そこから何かを生み出そうと思う意志と実際にそれをやってみる行動力さえあれば、なんらかのものは生まれてくるような気がする。つまり、思うかどうか、動くかどうかにかかっているのだ。銀行の口座と同じで、いくら貯め込んでも使わずに終わってしまったら本末転倒というものなのだ。
うーん、そうとも言い切れないという自分もいることはいるんだけど、たぶんこう考えていた方が実りある時間が過ごせそうな気がするから、そのように心がけようと思う。一方で、アウトプットばかりしていても息切れしてしまう。インプットとアウトプットのバランスが大切なんだと思う。人によるんだろうけど、私はインプット7、アウトプット3くらいの割合が幸せ。
■2003/12/10(wed) 図書券二千円分当たる!
昨晩帰宅すると、出版社のメディアファクトリーからクロネコメール便が届いていた。つながりを考えると、私がほぼ毎月定期購読している本の雑誌「ダ・ヴィンチ」の発行元ということ以外考えられないのだが、それにしても何の用件かまったく検討がつかない。中身が広告でクロネコメール便もないだろう。そう思いながら封を開けると、なんと図書券二千円分が入っていた!
思わず「おぉ!」と歓喜の声をあげた。思いもかけず、お金が空から舞い降りてきたようなものである。同封されている挨拶状に目を通すと、どうやら毎月実施されている「ダ・ヴィンチ」の読者アンケートに一度だけ回答したのが、見事抽選に当たり図書券をもらえたということらしい。
この雑誌には以前から会員登録をしていて(といっても、毎月メールでアンケートが送られてきて、回答できればするというだけのものなのだが)、本に詳しくない私は毎月まともな回答が思いつかずいつも返信できずじまいで申し訳ない気持ちでいた。例えば、誰々の作品で好きなものとかその理由とか、何々の分野で好きな作家とかその理由とか。それである月、「あなたのIT度」という個人的にとても応えやすいアンケートが舞い込んできたので、たぶん(実際のところあまりよく憶えていない)意気揚々と回答したのが、今回の図書券につながっているようだ。
それはさておき、私がこの一件で思ったのは、ユーザインセンティブの効果である。私みたいな単純人間にはとくに、これって効果絶大であると実感したのだ。実際のところ、アンケートに回答している時には図書券をもらえるなんて全く意識していなかった気がする。会員登録したのに全然アンケートを返していなかったので、やっと回答が送れるとちょっとほっとしていたくらいのものだったと思う。
しかし、いざ図書券を手にしてみて、この二千円の嬉しいことといったらない。何を買おうかなぁと心も躍る。メディアファクトリーさんってなんていい人なんだろうと思う。他の出版社に比べて、当然親近感も増す。それに、また図書券をもらおうという動機より、自分で返せる1読者の意見はできる限りこの「いい人」に返していこうという気になる。そうして、毎月のアンケートの回答に俄然前向きになるのだ。私が単純、貧乏、凡人すぎるからなのかもしれないが。
というわけで、皆さん、ぜひ前向きにユーザインセンティブをご検討ください。そんな大それたものでなくていいんです。ちょっとしたもので構いませんので。はい。ちなみに頂いた図書券はもう使っちゃいました。この図書券で買った本は、やっぱり「当たり」でした。これまでで一番かもしれないというぐらい、やられました。いやぁ、文学って本当にいいものですね。
■2003/12/9(tue) 富士山の視界
冬の晴れた日には、地元の千葉を走る電車の車窓から富士山が見える。真っ白にお化粧した富士山が裾野の方までしっかりと望めるのだ。窓に映る景色が家々から一面畑に切り替わる地点より十数秒の間、限られた人だけがそれを鑑賞することができる。窓にへばりついて斜め越しにみられる富士山を、どれだけの人が知っているかは定かではない。
今朝、私は何年ぶりかでその電車から富士山を見た。別段高いところを走っているわけでもないのに、千葉から見えるなんてすごいなぁと改めて思った。
ということはつまり、昔、例えば江戸時代とか明治時代とか、高い建物なんてそうそうなかった時代には、もっといろんなところから、もっと遠くの地からでも富士山を望むことができていたということなのか。視界をさえぎるものがないのなら、おうちから一歩出れば富士山が見えるということも至るところにあったのかもしれない。千葉よりもっともっと遠く離れたところからでも、大きな富士山を望むことができたのかもしれない。
そういう時代には、今以上にあの富士山というのは偉大な存在だったに違いない。まるでお天道様のように、どこにいても私たちの様子を見下ろしてるような存在。それがふと気づけば、富士山を望める場所も数限られ、それと同時に富士山の視界もとても狭くなってしまった。世の中が変わると、変わらずあり続けようとするものにすら、その影響は及ばざるをえない。せめてこの十数秒の絵だけは変わらずあり続けますようにと、私はその畑でせっせと仕事をするおばあちゃんの背中を車窓から見つめて、懇願するばかりである。
■2003/12/6(sat) 美容師さん
美容師さんとのつきあいは長い。もうかれこれ10年近くになる。彼の後輩2人のブローモデルを務めたのがきっかけでその美容院に通うようになり、学生時代からずっとその人のお世話になっている。10年近くお世話になっていても、3ヶ月に1回ペースで足を運んでいるとして1年4回、10年でも40回しか会っていない。クラスメートや会社の同僚なら2ヶ月でクリアできる回数である。だけど、やっぱり長年お世話になっているだけあって、なんだかしらないが私はその美容師さんに絶大な信頼をおいている。親しいという関係性でなくとも、信頼感というのは年月とともに層を厚くするものなのだなと思う。
普段あまり考えないけれど、いなくなられると非常に困る人の一人だと時々思う。時々というのは、例えばその美容師さんがお店を辞めるという時。この間に彼は何度かお店をかえている。渋谷の隣りの神泉から始まって、自由が丘にも行ったし、ここ数年は原宿にいるけれどお店は3つ目だ。今は、どうやらステップアップの一環としてお店をかわっているらしいことがわかり、何百人だかいるお客さんをおいてどこかに去ってしまうことはなさそうだということがわかってきたのでまだ落ち着いていられるのだが、最初にお店を辞めると言われた時は、東京を離れてしまうのだろうかと思ったりして、この先どうしようかと途方に暮れてしまったものだ。
年に4回とはいえ、美容院に行った時にもっといろんな話をしていれば、それなりに親しくもなるだろうし、どういう考え方の持ち主なのかもそれなりにわかってくるのかもしれないが、私はてんでだめだ。髪を切ってもらっている時、私はとにかくおとなしいのである。どちらかといえば人見知りする性質で、最初にあまりしゃべらないでいてしまったので、突然キャラを変えるわけにもいかないし、そのまま寡黙キャラで通しているというのもある。また、美容師さんは髪を切ることに集中したいのが本当なんじゃないかというのもある。しゃべらなくてもよさそうな客であれば黙々とやってしまえるのが一番みたいな。その一方で、客が黙っていると余計に気を遣うんじゃないだろうかという不安もあるにはあるのだが。
私はいつもそんなことを考えながら、美容師さんの手さばきを猫になったような気分で見つめている。話しかけられれば控えめに言葉を返し、話しかけられなければそのまま静かにしている。今日も美容院に行き、いつもの注文をして、私はやっぱり言葉少なに美容師さんの手さばきにじぃーっと見入っていた。髪の毛に神経が通っていたら、美容院に行くのは歯医者さんより怖かっただろうなぁとか、ぶつぶつ心の中で呟きながら。いつかそんなことを共有できる日がくるだろうか。
■2003/12/4(thu) 旧友
仕事帰りに中学時代の友だちと会った。一人の友だちとは最近ちょこちょこと会っていたが、もう一人の友だちとは久々の再会だった。彼女はもう結婚していて今は遠くに住んでいるのだが、ちょうど一週間ほど里帰りしているというので急遽会うこととなった。3人で顔を合わせるのなんて成人式以来で、かれこれもう 8年近く前になる。それなのに、なんだろう、この違和感の無さ、居心地の良さ、当たり前に空間をともにできる感覚。何年か会っていなくても、一気に時の垣根なんて超えてしまえるのだ。それは、あの時代をそういう関係性でつきあっていたからにほかならない。言葉にならないが、そういうことだ。
地元のメキシコ料理やさんに入り、午前0時まで3時間ほど絶え間なくしゃべり続けた。自分のこと、人のこと、町のこと、家庭のこと、学校のこと、会社のこと。今のこと、これまでのこと、これからのこと。古い友だちに会って、昔のことしか話せないのは昔の友だちだ。だけど、昔のことも今のこともこれからのことも気兼ねなく話せるのは昔からの友だちと呼ぶ。私にとって彼女たちは、間違いなく昔からの友だちである。
それにしても、自分がすっかり忘れていた過去の出来事を、同じ場を共有していた友だちの話によって掘り起こされる感覚というのはおもしろい。完全に消滅していたはずの自分の記憶が、友だちの話によって見事に蘇る。ネタ自体はしょうもないことばかりなのだが、そんな記憶を与えたり与えられたりが楽しい。そういえば・・・、そんなこともあったような・・・、気がしてきた。あぁ、あったかも。あったあった!と、どんどん記憶が鮮明になってくる。まさに旧友の成せる技である。
「私そんなの持ってないよ」と言っておきながら、友だちに「あなたももってるはずだよ」と言われて、調べてみたら本当に持っていたという次第で、自分の所有物も把握できていないことをまざまざと証明される。自分のことって、本当にわかっていないものだなぁと思う。
■2003/11/30(sun) 「朝のリレー」
一瞬にして、目も、耳も、心をも奪われた。ネスカフェのテレビCMだった。「朝のリレー・空」篇。「朝のリレー」とは、谷川俊太郎さんの代表的な詩だ。私もタイトルは聞いたことがあったが、詩の内容を耳にしたのは今日が初めてだった。映像も、音楽も、ナレーションの声も、見事に詩の世界をえがいているように感じられた。ひきつけられた。魅了されていた。谷川俊太郎さん、彼はまぎれもなく「詩人」なのだと思った。
もうご覧になりましたか。もしまだだったら、ぜひご覧になってみてください。静かな部屋で、ひとりっきりで。静かな心で、とことん無防備な状態で。
■2003/11/29(sat) 何様
「いい加減縮こまっているのはやめないか」と、自分が自分に渇をいれた。自分が自分と対話する、そんな時がたまにある。それは自分でそうしようと思ってそうするのではなく無意識に行われる。意識的にやろうと思うとたいていうまくいかない。どっちがどっちだかよくわからないが、たいていどっちかが話に乗ってこないのだ。無意識下でそういう場がもたれている時は、なんだかうまくやりとりがされている。つまるところ、これはそう頻繁にあるものではなく、「さぁやろう」と呼びかけてできることではないということだ。
今日はなんとなくテレビをみていた時にそれがやってきた。頭がピコピコと動き出して、自分に向けて通信を始めた。貴重な機会なので、私は相手の言わんとすることを一所懸命に受け止めようとした。たぶんニュアンスとしてはこういうことだった。下を向いて自分の足元の確かさばかり確認しているだけじゃなくて、そろそろ顔を上げてあてがなくとも散歩ぐらい始めたらどうだと。方向定まらずとも、自分の意志で一歩を踏み出して、見知らぬ場所を旅してみようとか、そういった心意気はないのか!とお尻をたたかれたような感じ。もう一人の自分は、どうやら威勢がいいらしい。
なんとなく言いたいことはわかった。無理に進めたくないものはしばらくそのままでもいい。だけど、そうでない何かがありそうなら、立ち止まっていないで、きょろきょろするばかりじゃなくて、そっちの方は一歩踏み出してみろと。今から冒険を始めるのも別段遅くない。生きている限りは可能性があって、何より人生は一度きりなのだから。そんな感じだ。おぬし、何様だ・・・。
■2003/11/28(fri) お役所手続き
今日は午前中半休をもらってハローワークに行った。失業保険の手続きをするためだ。なんでも入社した後の日付で書類提出する必要があるのだそうで、それも郵送はダメ、ハローワークの開館時間(つまり平日の日中)に本人が持参しないと失業保険がおりないのだそうな。というわけで、ただでさえいっぱいいっぱいなところ、会社を午前中休んで出向いた。
といっても、私は失業保険の受給手続きをしてから3ヶ月と3日で新しい会社に入社したため、受給待機期間の3ヶ月が除かれ、もらえるのは3日分だけ。ただ、それ以外に早期再就職手当てだったか「転職おめでとう金」がもらえそうなので、結構嬉しい。やっぱりお役所手続きは重要だ。正当な手続きをふんでもらえるものはもらっておくのが良い。
今年は自ら確定申告にも行くことになりそうだし、なんだかお役所づいている。これまでの私なら「めんどいなぁ」と思っていたに違いないのだが、このところの私は「今この時、経験すべくして経験している気がする」と妙に運命的に捉えている。役所手続きに運命も何もあったものじゃないのだが、なんとなくこの先自分が人のキャリアに関わる業界で人と社会と関わってゆく上で、この体験はなんらか価値ある経験として働くんじゃないかと、漠然とだが思ってしまうのだ。「一見は百聞にしかず」である。こんなことに運命を感じられる私って、なんだかおめでたい脳みそだなぁと思う。
■2003/11/24(mon) いとこの結婚式
私の母は3姉妹の末っ子だ。3姉妹にはそれぞれ3人の子どもがいて、その9人のうちの一人が私である。住んでいるところも近く、皆歳もそこそこ近かったので、子どもの頃は祖母のおうちに集まってよく遊んだものである。私たちが小中学生の頃は、お正月に全員集合すると家族マージャンならぬ親戚マージャンするのが恒例となっていた。これは3人姉妹のご主人の教育の賜物である。また、9人のうち私含め6人は皆同じ中学校に通った。私ともう一人の男の子は同学年だったので、近所に住む教頭先生のところに母が相談にいって、クラスを別々にしてもらったりもした。いや、なんとなく・・・。
とはいえ、近年ではお正月もすれ違いでめったに会うこともなくなっていたのだが、今日はいとこ9人のうち(たぶん)最年長の女性の結婚式ということで、久々に大集合した。すでに結婚しているいとこもいれば、子どものいるいとこもいる。子どもはなんだかにょきにょきと成長していて驚いた。式と披露宴は、成田のホテルで和やかに行われた。そのまま翌日にはハネムーンでハワイに発つのだそうな。なんとまぁうらやましい。
花嫁は私の母の姉の長女で、私の6歳上、今年で33歳だと思う。華奢なからだに華やかなドレス、心から幸せそうな笑顔がとてもまぶしかった。両親のことも知っていると、花嫁の「両親への手紙」はなんてぐっとくるものだろう。しかし、家族に囲まれた中で涙を流すわけにはいかない。いや、なんとなく・・・。私はぐっと溢れそうになる涙を、またぐっとぎりぎりのところでこらえた。
なんというか、これまでに出席した結婚式のどれよりも、「いいなぁ」と思った。それは当人との親密度合とか、披露宴の演出具合とかそういったものではなくて、たぶん私がこの歳のこういう状況のこういう心情の中で、ごく一般的な「幸せな結婚式」に触れたことに起因しているんだろうなぁと思った。別段「こういう」状況や心情について明快な何かがあるわけでもないのだが・・・。要するに、相手方の問題ではなくて、自分の側の何かにそう感じる要因があったのだろうというのは確かそうなのである。というわけで、しみじみ指をくわえて「いいなぁ」と思う素敵な結婚式だった。
さて、いとこ9人組のうち4人が結婚したわけだが、果たして次は誰の呼びかけで大集合することになるのだろうか。とりあえず私は我が妹より遅そうではあるが。いや、なんとなく・・・。
■2003/11/22(sat) 気だるい一日
一週間一所懸命働けば、やはり仕事の疲れがたまる。昨晩は目覚まし時計をセットせずに床につき、今朝は10時半に目を覚ました。といっても結局その後もだらりとしたまま昼を迎える。
ご飯を食べた後もやはりだらだらと過ごして、久しぶりにマンガ本など開いてみる。現在私の部屋にあるマンガ本は、昔読んだお気に入りの2作品のみ。この歳になって新しくマンガを買おうという気もないのだが、このお気に入りを手放す気もまた今のところない。日中はマンガの世界に没頭している時間もあれば、間にうたた寝も入りイヤな夢もみて、あっという間に日が暮れた。
晩ごはんを食べる。今日はシチューだ。1時間ほどコトコト煮込んだお肉が柔らかくておいしい。ごちそうさまをすると、しばらくなんでもない時間が過ぎる。テレビでやっていた映画「グリーンマイル」を途中から観た。泣いた。ほっぺが乾くとお風呂に入った。風呂あがりに時計に目をやると今日が終わっていた。
私の頭の中では、今日みたマンガと夢と映画と、それに今日過ごしたなんでもない時間が絶妙に混ざり合って、この世から浮いた世界が広がっていた。よくわからないが、ここの世界から離れたようなところに私は浮かんでいた。そこからここの世界にいる自分を見下ろしていた(こう解説すると怪しい)。
例えばこんな日に「今日はどんな一日でしたか?」と人に尋ねられると、私は「気だるい一日でした」といった一言に応えをまとめてしまったりする。それが正しいのか正しくないのかはよくわからないが、たぶん安全なのだと思う。
■2003/11/18(tue) 東京の心臓部
イラクに自衛隊を派遣すれば東京を攻撃するというアルカイダの声明が出たのだとか。「(日本人が)経済力を破棄し、アラー(神)の軍隊に踏みつぶされたいのであれば、イラクに(自衛隊を)送ればよい。我々の攻撃は東京の中心部に達しよう」と、自らをアルカイダの指導者と名乗る人物から電子メールが届いたと報じられている。(朝日新聞社サイトより)
アルカイダの声明かどうか真偽は不明としているが、この声明がでっち上げだとしても実際にそう仕掛けてくる可能性は否めない。一気にものすごく直接的に自分の命に関わる問題になってきた気がする。東京の中心部ってもしかして新宿じゃないですか?私、まさしくそこにいるんですけど・・・。
小泉首相の「テロには屈しない!」という強気の発言が今までよりずっと重みのある言葉として耳に響いてきた。あぁ、やっぱり私はこれまでこの問題をどこか他人事にしてきたのだと、この報道を境に痛感するに至った。
個人は国に通じ、個人は世界に通じている。私もあなたも、小泉さんもブッシュさんもオサマ・ビンラディンさんも、みんな平等に世界の一員なのだ、実は。そして動植物も同様に世界の一員であること、また地球は今挙げた誰のものでもないということを忘れてはいけないように思う。
■2003/11/15(sat) 夢がやまない
最近よく夢をみる。何時くらいからどのぐらいの時間みているかはわからないが、結構なボリュームでストーリー性もあり、たいてい今の今まで夢をみていたという状態で朝目が覚める。これまでそう頻繁に夢を憶えていることもなかった私は、連日のそれにちょっと重たい朝を迎えている。
というのも、ここ最近みている夢はどれも悲劇なのだ。幸せなものや楽しいものならまだしも、朝っぱらから悲しかったり苦しかったり切なかったりするのは結構辛いものがある。それも、どこかから適当にもってきた話というわけではなく、私の生きる世界が舞台となっていて、自分がこの頃日中に考えている不安がそのままネタに使われ、不幸な話が勝手に展開されているという感じだ。これまた話にきちんと筋が通っているから一層たちが悪い。いったいどこの誰がいつどこでこんなシナリオを創っているのだろう。夢って不思議だ。
夢みる「最近」が何をきっかけに始まったのかは、自分なりにいろいろ考えてみた。新しい会社で仕事を始めてからの何某かの変化、通勤を始め電車に揺られて何かに考えを巡らす時間が増えたこと、文学作品を読み始めたことも関係があるかもしれない。これまでしばらくもてていなかった「ゆっくりと深いところまで潜ってゆく時間」のようなものを久しぶりに取り戻して、それが時空を越え現実世界を飛び出していろんなことを思い起こさせるのかもしれない。
このままにしておけばよいものか、何か生活に変化を加えたほうがよいものか。その変化とは果たして「改善」と呼ばれるものになるのか、それとも私の歩むべき道をそれて何か本質に目をそむけて生きてゆくことになるのか。そう考えると、なんとなく私は変化を加える気が起きず、このまま辛く切ない夢をみつづけたくなる。
■2003/11/11(tue) 11日目の失敗
初出勤日から2週間が経過し、通勤経路を歩くのも今日で11日目。いい加減会社と自宅の行き来にも慣れてきただろうというところで今朝の失敗。なぜだか電車を乗り間違えた。なぜだ?私にもよくわからない。でも、気がついたら逆方向の電車に乗っていて、それもまた3駅も気づかずに後退していた。
何してんの、私。とりあえず頭の中で突っ込んでみるが、とにかく現地点からの最短経路を考えて急いで会社に向かうしかない。そうして考えると、本郷三丁目で乗り換えるのが一番速そうだという結論に達した。おそらく一番最短コースだろうということと、4年ほどこの駅の近くに住んでいたので、乗り換えの勝手を知っているということがあった。
本郷三丁目で下車。乗り換えに手間取ることはなく、結果的に判断は正しかったのだが、降りた駅はいつの間にか改装されてピンピカになっていて、とても悲しい思いがした。思い出の詰まった落書きの上に、べっとり大きなハケで上からペンキを塗られてしまったような、そんな感じがした。
しかし、そう感傷にひたってもいられない。私は駆け足で移動した。街の風景は、変わっているところもあれば、変わっていないところもあった。私は無意識に変わっていないものばかり視界に拾い上げながら街を駆け抜け、後ろ髪をひかれつつまた地下に潜っていった。
そこから、電車を乗り継ぎまた乗り継ぎ、出勤時刻の数分前に会社のあるビルの地下に到着した。ここからがまた長い。ビルの上の方までエレベーターで上らないといけないのだが、なかなかエレベーターが来ない上に、来たと思ったら私が降りる階の下で降りる人がたくさん。各階のランプが点灯する。
足踏みするような気持ちでエレベーターガールを務め、ようやく会社のあるフロアに到着。今度は会社まで猛ダッシュ。「おはようございますー」と入室して、指紋認証。この会社、なんだか知らないが、出退勤は指紋認証なのだ。こういう時に限って、焦りから認証エラーを起こす。もう時間がない。やり直して・・・ OK。よし、10時30秒。どうにか無事だった。今日は何かと疲れた。
■2003/11/9(sun) さむらいのケータイ
今日は、中学時代からの友人と恵比寿ガーデンプレイスの東京都写真美術館に出かけた。こちらでは現在「士(さむらい)/日本のダンディズム」展という写真と絵画の展覧会が開催されている。江戸幕府400年記念事業の一環として行われているもので、幕末・明治期の「さむらい」の写真や日本絵画、錦絵、石版画、油絵などが展示されている。
衝撃的なのは、やはり写真だ。1854年のペリー来航の港の様子から、エジプトはスフィンクスの前で記念撮影する遣欧使節一行、仕事始めのサンフランシスコと一仕事終えた後のニューヨークでそれぞれ撮影した遣米使。どの写真も、リアルをうつす写真ゆえに非常に興味深い。一人一人、場面場面ごとに顔の表情や手足の力み加減なども異なり、当時の彼らの思いがとても身近なものに感じられる。
それにしても、150年近く前に「さむらい」がその姿で欧米の地を踏んでいたなんて、実に驚きである。期待と不安を胸に、命がけで海を渡ったのだろう。それは現代でいえば宇宙旅行のような壮大さで、彼らはまさに宇宙飛行士のような存在だったのだろうと思う。
150年前には、150年後がこんな世の中になっているなんて予想だにできなかったことだろう。さて、今日より150年後、この世の中はどうなっているのだろうか。途方に暮れるほど遠くもないが、容易に想像できるほど近くもない。江戸のさむらいは刀を携帯し、平成のさむらいは電話を携帯した。150年後のさむらいはいったい何を携帯しているのだろうか。実に難しい問いだ。
■2003/11/8(sat) 自分と会社のすり合わせ
今週は猛スピードで時間が駆け抜けていった。月曜日が祝日で出勤日が4日だったということもあるが、それにしてもあっという間だった。仕事は研修を開始してから2週間が過ぎ、講義と課題の日々を終えて折り返し地点。来週から2週間は実務的なトレーニングを中心に行い、月末から業務に入る予定。
学ぶことはたくさんあるし、仕事とどう関わってゆくべきなのかという点でも考えさせられることは多い。これまでよりかなり時間を意識して業務に臨まなくてはならないという点も大きな課題だ。最近は、自分がどういう動きをとって、どのように他に貢献することができるか、どのようなスキルを獲得することができ、逆にどういうことはその範囲外なのか、つまりここでの役割期待や職務領域が具体的に見えてきた気がする。
これを「具体的に理解する」というプロセスはとても重要なことだと感じる。自分がそこでやろうと思っていた仕事や、それを通じて獲得したいと思っていたスキルがある。その一方で、会社には会社の私に望む職務とスキルがあり、移りゆくものとはいえそこにはその時点で望まれる範囲がある。
その辺りのすり合わせを自分の中で冷静に行ってゆく過程はとても大切なことだと思う。私は研修期間を通じて、実務的な知識・スキル修得のほかに、こういう作業を行っているのだと思う。そして、これはきっと研修期間だけでなくその後も、適当な時点で都度確認してゆくべきことなのだろう。
■2003/11/7(fri) 一部にバレた歓迎会
今晩は同じ部署の皆さんが、私含め先日入社した4人の歓迎会を開いてくれた。最初は同世代の女性陣が大集合。サバサバっとしていて愛嬌のある女性ばかり。すぐに打ち解けられそうで、なんだか嬉しい。
それにしても驚いたのが、その多くが私より年下という事実。自分より先に入社している人って、どうしても先入観で自分より年上だと思い込んでしまうのだが、訊いてみるとほとんどが自分より年下というので驚いてしまった。なんと若い会社だろう。でもまぁ一括りに「同世代」ということで、同世代&同性の友だちがたくさんできそうで楽しみだ。
最後の方は男性陣もやってきて20人近く集まった。わいわいがやがや、にぎやかだった。まだ同じ部署でもお話していない人がたくさんいるのだけれど、ゆっくり自分らしくこの輪に交わっていければいいなぁと思う。
ところで、私が「何か変だ」ということが、この歓迎会で確認されてしまった。何が原因かは知らないが、一連の会話にそう思わせる何かがあったらしく、宴会でおしゃべりした人たちの間でなんだかそういうことになりつつあるようだ。これまで結構ノーマルにやってきたつもりだったのになぁと思ったが、一緒に研修を受けているコにも「前からそう思ってたよ」と、昨晩告白された。
過去にもそういう指摘を何度となく受けてきたのは確かだが、皆慣れてくるとそういう指摘をしなくなるので、私も意識しなくなる。そうしてまた人との出会い時期がやってくると、「おかしい」「変わってる」「不思議」という反応をもらい、そこではっとさせられるのだ。あぁ、私はまだおかしいままだったのかと。
今回もそういう展開で、まだおかしいことが実証されたわけなのだが、それはそれで自分らしさが持続しているということで、まぁいいかなぁという思いもある。しかし、昨日出会ったばかりの人に昨日だけの会話でそう思われてしまう原因って何なんだろう。何をもってそうなっているのだろう。それは相変わらず私の中で謎のままだ。
■2003/11/4(tue) 納品
前の会社からいただいていたライティングの仕事を、昨晩のうちに納品した。平日やろうと思っていたのだが、先週は入社一週目ということもあって、おうちに帰ってからもう一頑張りする気力を奮い起こすことが難しく、結局週末にしわ寄せがきてしまった。というわけで、とても真面目な3連休を過ごした。
今日は会社帰りに前の会社に立ち寄り、納品した原稿についてちょっと打合せをした。お仕事をくれた方から「大幅な修正なく進められるだろう」との言葉をもらい、ほっと胸を撫で下ろした。これで、本件はほぼ終了となりそうだ。
業務委託でもの書きの仕事を受けるなんて、自分でも想像していなかった。そんな経験を自分のキャリアに一つでも書き込めるなんて、なんだか嬉しい。ものを書くことは、文章表現の難しさを知れば知るほど仕事にはできないなぁと感じていたので、曲がりなりにもライターっぽい仕事をさせてもらえたのは、素直に幸せである。
といっても、今回の仕事はあくまで「ライターっぽい仕事」であって、本業のライターさんにしてみれば、「もの書きの仕事はそんな生易しいもんじゃない!」と思われることだろうと思う。となると、この先今回のような「っぽい仕事」がまたやってきてくれるかはなんとも怪しいところである。
しかしまぁ、また何かの折「なんちゃってライターに頼んでちょうどいいぐらいの仕事」が出てきたら、どうぞよろしくお願いしますと思う。つまりそれは、今回の仕事を「やって良かった!」ということなのだろう。お世話になりました。
■2003/10/31(fri) 鉛筆と焼き鳥の夢
今朝、夢をみた。会社の研修のようで、私はテストを受けていた。時間に追い立てられながら、必死にカッコ問題を解いていた。周囲にはすでに全問解答し終えたらしいメンバーたちの姿があった。向かいには入社以来講師を務めてくださっている二人の上司の顔があった。私は問題用紙とにらめっこしながら、右手に鉛筆、左手に焼き鳥を持っていた。なぜかそこは居酒屋だった。10数人は周りを囲めそうな大きなテーブルに所狭しとおつまみやらビールやらが並べられていて、そのテーブルの片隅で私は必死に問題を解いていた。
左手の焼き鳥には口をつけていなかった。なのに、何で私は焼き鳥の串を持ち続けていたのだろう。夢を上映する側の私は、目が覚めてからそれについて考えていた。例えばこんなのはどうだろう。現実世界では、個々に課題に取りかかる時、講師の方はにんまりと笑って「途中で適宜休憩をとっていいですからね」と声をかけてくださる。その気持ちは大変ありがたいのだが、私はこれまで課題の最中に休憩をとれた試しがない。時間が無い。びっちり時間を費やしても終わらないと思われ、実際たいていの課題は時間ぎりぎりまでアチョーアチョーと課題と格闘しているので、そんな余裕はないのである。
ここから発想してみると、この夢も、上映されていないこの前のシーンで、講師の方はにんまりと笑って「食べながらやっていいですからね」と声をかけてくださったのではないか。そうして焼き鳥のお皿がまわってきて、皆で一串ずつ手に持った。しかし、まだテストを終えていない私にはそれを口にする余裕などなく、結局置くに置けず、食べることもできずに、手にもったままテストに向かっていた。我ながら鋭い推論ではないか。さて、私は上映されていないこの後のシーンで、無事焼き鳥を食べることができたのであろうか・・・。
こんなことを書くと、不健康にてんぱっているような感じもしないではないが、実際は結構健康にやっていると思う。自分を買いかぶっていない分、また新しい環境を受け入れてゆこうという意識を働かせて通っている分、本当にゆっくりとではあるが順応していけているのだと思う。前の転職時よりは、自分の状態を日々客観的に冷静に見えているとも思う。まぁ課題をやっている時間はそれとはほど遠い状態だけど、一日を終えて一週間を終えて振り返ってみると、腰を据えてやっていきたいなぁという気がする。とりあえず、新しい会社に勤め始めて一週間が終了、本当にあっという間だった。
■2003/10/30(thu) 亀吉
今週月曜から新しい会社に出勤し、研修を受けている。いっぱいいっぱいである。「息つく間もなく」とはまさにこのこと。講義に課題、課題、課題でまた講義といったスケジュールで、朝から晩まで大変なことになっている。周囲から見ても息していないかのような形相でやっているらしいが、顔つきにまで配慮している余裕はないのだ。必死なのだ。
でもとても勉強になっているし、実務に入る前に必須の過程であることは日々痛感するばかり。毎日研修の講師をしてくださる方も、通常業務だけでも多忙極めるであろうに、本当にわかりやすく、丁寧&和やかに話を進めてくださってとてもありがたい。この方にとっては、いきなり五つ子の親を任されたようなものなんだろうなぁと思うと、私も子どもの一人ながら大変だろうなぁと思う。
右も左もわからないといった状況は相変わらずだが、環境面での力みは少しずつとれてきた。1日が終わると、ふぅーーーと深い一息。まだまだこれからという感じだが、じっくり腰を据えて頑張るつもり。人よりちょっと遅れを感じないでもないが、亀ペースでも一歩ずつ前進してゆこうと思う。・・・って、ものすごく「ただの日記」化してるかも。まぁそれだけいっぱいいっぱいというわけです。
■2003/10/28(tue) 混沌とした中で
自分自身やその周辺がどうも混沌としているなぁと感じた時は、受講者だったりユーザだったりクライアントだったり、お客さんの顔を頭に浮かべてみる。今現在もそうであるように、それはまだ見ぬ顔という場合もあるが、それでもこれから支援しようとする対象の姿や表情を思い浮かべると、これまでの不安定さが嘘のように、自分の足場が確かなものになったりする。それは私の特長の一つでもある。
それを自分で認識してからは、時々意識的にこの特長に寄りかからせてもらっている。今はまさにそんな時期のような気もする。何のためにやっているのか、目の前にある課題のその先を見つめて取り組もうと思うのだ。
■2003/10/27(mon) 社長室で
今日は新しい会社の入社日。朝は少し余裕をもって起き、「めざましテレビ」の占いなんかも見てしまった。私の星座は、順位は下から数えた方が早く、今日のお告げ?は「足元注意」だった。まぁ気を引き締めて行けってことかと前向きに受け止めて家を出た。
緊張というのはさほどない。何かと勝手がわからなくてどぎまぎしてしまったりはするが、同時期に同職種で入社したメンバーが私を含めて5名いるし、しばらくはあれこれ研修を用意していただいているようなので、皆でこれにもまれているうちに少しずつ慣れてゆけるのかなとも思う。
午前中いろいろな説明を受けていたところ、急遽皆で社長のところへ挨拶に伺うことになった。これはさすがに少し緊張。質問にもあまりきちんと答えられず、ややしょげ。ついでに、社長室を退室する際、扉の手前で靴がすっぽり脱げてしまってものすごく間抜けな姿に。「あー、靴、靴・・・」と。社長室でやることじゃないよなぁ。幸い他のメンバーの影になって社長の目にはとまらなかったようで、ほっ。足元注意、大当たり。あぁせめてあと一歩待ってくれれば部屋を出ていたのに。やはり私はそういう星の下に生まれたということなのか。
そんな感じで、どうにか1日目をクリア。説明やら講義やら課題やらの過密スケジュール。とりあえず、1日1日頑張ろう。帰ったら別の仕事が待っていた。
■2003/10/25(sat) 文学との再会
今日は昼過ぎから友だちの家に遊びに行った。ドイツ旅行のお土産をもって、歩いて15分ほどのところに住む中学時代の友だちの家に。しばらくあれこれおしゃべりをして、最後は作家村上春樹さんの話になった。
彼女は彼の本が大好きで、ほとんどの作品がおうちに揃っている。お気に入りの本は、同じ作品で単行本と文庫本の両方を揃えるほどだ。彼女はある短編集からいくつかの作品を選び、私に読んで聞かせてくれた。それを聞いて私も彼の作品に大変興味をもち、最初はこれがいいんじゃないかと彼女が薦めてくれた一冊を借りて、持ち帰ってきた。
おうちに帰ってから、早速借りてきた本を読み始めた。その本は、彼女がとりわけ好きだという彼の初期の頃の作品で、1980年代に出版されたものだ。80 年代に書かれた本を、80年代に出会った友だちに借りてきて、80年代に聴いたユーミンの曲を聴きながら、80年代に暮らした家でごろんと横になって読んでいた。それにハタと気づいた時、どれもとくに意識したわけではないのにそうなっている重なりに、その重なりが今この瞬間に起こっているという現実に、なぜだか強く「必然」を感じた。
この人の話を読んでいると、その小説の主人公の気持ちになってドキドキしたり不安に駆られるような疑似体験を味わうのではなく、私自身が私の人生に立ってその作品の一節一節に心を揺さぶられる感覚を味わう。それが大きな驚きだった。一つ一つの作品をじっくり読み込んでいきたいなぁと感じる。
私は少し前によしもとばなな著「デッドエンドの思い出」を読んで、小説(架空の話)を読むことの深さが見え始めたばかり。この先、この文学との出会いを大切にして過ごしてゆきたいなぁと思っている。
先日、知人のお見舞いに訪れた時にこの本を持参した。なんとなく好きかなと思ったのと、他の人からは難しい本ばかり差し入れされているのだろうなと思って。実際とても気に入ってもらえたようで、私は新鮮な喜びを味わった。文学を媒介にして人との関わりを深められるというのも、なんだか素敵なことだなぁと思ったのだ。
■2003/10/24(fri) B'zファン
事の発端は「B'zの稲葉さんて、本名は“ひろし”なんだって!」という友人の一言。B'zのボーカル稲葉さん、稲葉浩志と書いてイナバコウシと読む。私にはその衝撃をB'zファンの彼女と共有することはできず(だって漢字を見れば確かに「ひろし」って読めるし)、「3へぇ」くらい。しかし、彼女にしてみれば「20へぇ」どころか、「へぇ」という単位じゃ表せない衝撃的事実だったようで、そのあまりにショックな思いやら、その情報の出所からまず間違いないという解説やら、非常に興奮した様子で話してくれた。
彼女のショックを言葉にすると、とにかく「フツーじゃん」ということが最大の問題らしい。この「コウシ」という読み方、ファンの間では随分と思い入れのあるものらしいことが窺えた。そうして、彼女は私たちにそれを伝えてゆくことで、その痛みを友と分かち合い、克服しようとするのであった。(注:勝手な想像)
それがなんだかとても不思議に思えて、私は昨日B'zファンの妹にそれを話したらどういう反応が得られるかという実験を試みた。「B'zの稲葉さんて、本名は“ひろし”なんだって」とぽつり。「え、えぇーーーー!」とまず絶叫。「ウソ!ヤダ!だって、それじゃフツーじゃーん!」全く同じ反応じゃないか。普段は普通の人なんだからしょうがないじゃんと思うのだが、そういうことでは済まないらしい。なんだか随分と尾を引いて傷ついていた。悪いことしたのか、私・・・。でも、妹はしばらくして静かに「教えてくれてありがとう」と言った。尚怖い。
そして、改めて今日その話に触れてみた。「誰かに言ったでしょ」って訊いたら、「たくさん言った」と返ってきた。やっぱり。彼女は友と分かち合ったのだ。皆の反応をきいてみると、やはり皆「それじゃフツーじゃん」という反応だったらしい。フツーなのが受け入れがたいようだ。出産間近の友だちなど、それを聞いた直後に産気づいたのだとか。なんだか大変なことになっていたみたいで、あんまり口にしてはいけなかったのかなぁと、ちょっと稲葉さんに申し訳ない気持ち。今ごろもっといろんなところに情報が散らばっているのだろうか。
っていうか、それじゃ世の中の「ひろし」に対して失礼じゃないか、君たち・・・。まぁ、確かに「ひろし」には独特のイメージがあるのかもしれない。うーん、私のイメージでは演歌の細川たかしが「ひろし」っぽい。って、そもそも「ひろし」じゃないじゃん。「ど根性ガエル」のピョン吉の飼い主?は「ヒロシ」だったね。あ、布施博さんとか男優さんもいるよね。そうだそうだ!ひろし、ガンバレ!
そんなわけで、B'zよりB'zファンに強い関心を抱いた一件でありました。
■2003/10/23(thu) 自分の居場所づくり
今週は結構忙しい。この先来週の初出勤日まで休む間がない。といっても、半分はプライベートな用なのだが、半分は仕事だ!(えばることでもない・・・)前のとは別に単発仕事の誘いがあり、今週から2週間ほどライターの仕事をすることになったのだ。
仕事で文章を書くのは苦手な方なんだけど、そう難しい仕事じゃないということで(うまく乗せられたともいう)、せっかく最後の無職期間だし、やらせてもらえることはやっておこうということで、仕事を受けることにした。
といいつつ、気がつけば今日明日で取材、来週いっぱいでライティングというスケジュールに落ち着いたので、新しい会社に入社早々一週目から仕事を掛け持ちすることになりそうなのだが、個人での仕事も、それをできるスキルとそれに対する興味、あと縁と体力と時間さえあれば・・・継続してゆきたいと思っているので、今回も良い仕事をしたいなぁと思う。
反面、新しい会社を本拠地として自分の意識改革を行ってゆくことも大切にしたい。新しい会社で自分の居場所を作るのって、ものすごくパワーのいることだと思う。これは、今は良いおつきあいをさせてもらっている「前の会社」に入社した頃に痛感した。私は、周囲の人たちのあたたかい支えがなければ、会社をすぐに辞めていたかもしれない。自分の居場所を自分自身で築いてゆかなければならないという意識が、当時は著しく欠落していたのだ。
前の会社が、その前にいた会社と多少つきあいのある企業だったということもある。業態も文化も違うが、全く知らない土地に移り住む感覚ではなかった。自分自身を買いかぶっていたこともある。仕事面でも環境面でも、自分は順応性の高い方だと信じていた。そういう甘さからその過程に本来必要とされる気合いが不十分だったことが一番の要因ではなかったかと今では思う。
こういう反省を無駄にはしたくない。これまでに築いた居心地の良い空間に戻りたいと衝動に駆られることもあるのかもしれないが、そんなことをしていたって今をイキイキと生きることは一向にできない。前の会社の人とも、これからの会社の人とも、今の自分として向き合ってゆきたいから、新しい会社できちんと立つことには注力してゆきたいと思う。
新天地に行くんだという気合い。程よい緊張感。自分を買いかぶらないこと。自分の考えをきちんと発信してゆくこと。人との出会い、関わり、人への感謝の気持ちを大切にすること。自分らしく、素直であること。無理せず、焦らず、自分の新しい居場所を作っていけたらいいなぁと思う。
■2003/10/22(wed) ハローワーク
今日は一日中予定が詰まっていた。最初に訪れたのはハローワーク。新しい会社に採用をもらった直後にも手続きに出向いたのだが、入社日まで2ヶ月ほどあるので「入社間際にまた来てください」ということになり、今日再び足を運んだのだ。
ここには手続きで何度か訪れたが、本当にいい思い出がない。来る時にはたいてい雨が降っていて、しかも本降り。しかも駅から徒歩20~30分。バスも出ているが1時間に一本ぐらいで、それがまた時間になってもやってこない。結局歩いた方が早いということで、土砂降りの中をテクテク歩くことになる。
「この日の何時に必ず来てください」と指定された日もちょうどお盆時期だったりして、家族旅行の初日だったけどもらえるもの(失業保険)はもらいたいと、旅行に一人遅れて参加することになったり。そうまでしたのに、仕事も決まり結局失業保険が支給されるのは3日分だけだったり(最長は半年分です)。まぁ、仕事があるという幸いは他に変えられないものなのでいいのだが。
今日も行き来は雨降り。加えて、今日記入&提出した書類と全く同じ書類を、別途新しい仕事を始めて以降の日付で改めて記入&提出しなければならないそうで、入社早々仕事を休んでここに来なくてはならない。他の書類は郵送で済むのだが、よりにもよってその書類だけは、仕事を始めてから平日の日中に本人が持参しなくてはならないそう。
そういうのを淡々と説明されて、「じゃあ、皆さん(入社早々)仕事を休んで提出しにいらしてるんですか」と尋ねると、そこでようやく窓口の男性が無表情を崩した。「そうなんですよ」と苦笑する。それを見て、もういいやと思った。嫌な意味ではなくて、顔を崩したのにほっとしたのだ。仕事を休むことより、その人がそういうことを早口で淡々と無表情で説明しているのがやるせなかったのだろう。一応その人の本物の表情が見られたので、もういいやと思った。そして、また雨の中駅までテクテク歩いて駅まで戻った。
その後は都内まで出ていって、知人のお見舞い、その後元同僚の結婚披露飲み会に参加。楽しいひと時を過ごした。今日もこっちを本題で書こうと思ったのにハローワークの話で終わってしまった。これについてはまた折りをみて。
■2003/10/21(tue) ムツカシイ顔
電車に揺られている時って、ムツカシイ顔して結構バカなことを考えている。で、「あ、そうか」って何かに気づく沸点に達すると、目の辺りにちょこっとだけ変化が起きる。眉がぴくっと動いたり、目がぱちっと見開いたり、そんなわずかな変化。
例えば今日の私。ムツカシイ顔して、どこからわいて出たのか「私のボケはいつから始まったのか」について考えを巡らせていた。ほんと意味ないのだが、なぜだかたいそう真剣に。そうして電車に揺られているうち、「あ、そうか」の沸点に達した。答えは「生まれる前」じゃないかって。
私は予定日より3日も遅れて生まれた。なんでそんなにチンタラしていたかといえば、母いわく、首がへその緒に絡まってなかなか出てこられなかったんだとか。そんな私の大ボケで、母は帝王切開をする羽目に。身体も3日分普通の子より大きくなって出てきた。
そうか、もともとそういう星の下に生まれたってことなのかなんて、妙に納得してしまったりして。そんなことを考えながら、ムツカシイ顔して揺れている私。そして、きっと皆もそんなツマラナイことを考えながらムツカシイ顔して揺れているに違いない!と勝手に決めつけてその表情に目をやると、たまたま乗り合わせた人たちの顔もちょっと愛らしく見えるのだ。
■2003/10/21(tue) 人の縁について
ときどき、雑誌の隅っこになんでもないような顔をして佇んでいる言葉たちに、ふと心奪われてしまうことがある。最近心に引っかかったのは、こんな言葉。
望んでも手に入らないものがあることも、知った。
それを知ることは辛くもあるけれど、逆に縁を信じることにも繋がる。
(作家の廣瀬裕子さん)
世界はゆるぎない絆じゃなくてかすかな交差で繋がっている
(「ダ・ヴィンチ」編集長の横里隆さん)
どちらも心に染み入ってくるんだけど、両方いっぺんには受け入れられない。この2つは背中合わせにして立っているように見える。
言葉にすると、それがすべての事柄に通じる真実のように一瞬思えるけど、上に挙げた言葉も、それ以外の言葉も、そうであるかもしれない事柄もあれば、そうでないかもしれない事柄も身のまわりにはあるわけで、といってその事柄が「そうだ」とも「そうでない」とも断定する根拠は何もないわけだけど、その事柄が「そうだと思う」ことも「そうでないと思う」ことも、それはそれで本人の自由なのだ。
だからといって、その言葉との出会いをきっかけに、「そうだと思う」事柄に対し今日や明日の自分をそう簡単にどうにか変えられるわけでもないわけだけど、ただこのままこの言葉たちを放っておくわけにもいかず、どこかに大切にしまっておこうと思う自分もいて、とりあえずここに書き留めておくことにした。(すみません、わかりにくくて・・・)
※前者はメディアファクトリー「ダ・ヴィンチ」10月号のインタビュー記事、後者は同誌11月号の「今月のプラチナ本!」より
■2003/10/20(mon) 食べ過ぎた
風邪をひいたままここ数日あちこち出かけていたので、今日は久しぶりに家でのんびり、というか、ぐったり。パジャマのままだらだら過ごし、お風呂に入ったり、雑誌をぺらぺらめくったり(読んでない)、食べ物をつまんだり、つまんだり、つまんだり・・・。うー、食べ過ぎた。なんなんだ、この気持ち悪いくらいの満腹感は・・・。苦しいよー。
このところ、風邪でプールにも行かず身体を動かしていない。その上、実家に戻って以来なにかと間食の多い食生活。今日は極めつけに怠惰な生活×食べ過ぎ。あぁ、身体が重い。そろそろ運動を始めて、食事にも気をつけよう。本当に。ここで宣言。あぁ、これ8月26日の「話」で反省してたことなんだよなぁ。今度こそ本当にやらないと・・・。
■2003/10/16(thu) そばをすする
久しぶりに会社に行った。会社とは前に勤めていた会社のこと。今のところ、「会社」というと「前の会社」のことを指す。でもあと1週間少々すると、「会社」とは「今の会社」のことを指すようになる。私は10月最終週から新しい会社に勤める。そうしたら、前の会社のことは、必ず「前の会社」と言うことになるし、前の前の会社のことは、長ったらしいけど「前の前の会社」と言うしかないのだろう。だけど、そうなったとしても、前の会社の人とも、前の前の会社の人とも、良いおつきあいを続けてゆければいいなと思う。そう思ってもらえるような自分であるように、己を磨き続けたいなぁと思う。
今日「会社」に行ったのは、皆さんにドイツ土産のお菓子を渡したかったのと、ここ2ヶ月ほど受けていた単発仕事の件で数時間会社で仕事をしたかったのと、ずっと一緒に仕事をしてきたパートナーの女性と久しぶりにおそばをすすりたかったのと。それでお昼過ぎに会社を訪れたのだが、気づけば本当に久しぶりに彼女とおそばやさんに行った。そばをすすりながらあれこれおしゃべりをして、自分がこの時間を何気にかなりお気に入りだったということを、帰り道に振り返って実感した。前にも彼女からそういうことを言ってもらえてとても嬉しく、また私も同感だと思ったのだけど、今回は思ったとか考えたとかいうより、ふとある瞬間に「実感した」。これって、すごく幸せなことだ。
■2003/10/13(mon) ドイツみやげ
初めての海外一人旅で一週間ほどドイツに行っておりましたが、先週土曜日に無事帰国しました。というわけで、ドイツからいろいろお土産を持ち帰ってきたのですが、風邪もその一つ。ベルリンはまだ氷点下にはなっていないものの東京に比べればはるかに寒く、気温は日中でも一桁台だったのではないかと思います。お天気も、1日中雨が降っているということもなかったかわりに、全く雨が降らない日もなかったような・・・。傘をささずに歩いていたので、急な気温の変化と雨に濡れたせいで、風邪まで持ち帰ってきてしまったようです。
というわけで、今日はじーっとおうちの中にいました。なんだか外も大荒れで、強い雨風が雨戸をたたきつける音がおうちの中まで鳴り響いていたので、何の用もない一日でよかったなぁと、ぬくぬくごろごろして過ごしました。
■2003/10/6-11 ドイツ旅行
※前のページに少しずつ掲載していく予定。
■2003/10/3(fri) 丸の内を歩く
数日前、ドイツ旅行のために日本円をユーロに両替しようと思って銀行を訪ねたら、そこでは米ドルの両替しか扱っていないとのことで、対応している店舗のパンフレットをもらって帰ってきた。銀行ならどこでも何の外貨でも両替してくれると勝手に思い込んでいたが、そういうわけでもないんだな。
パンフレットによると、千葉県内でユーロに両替できるのは成田空港内にある店舗だけのよう。しかし、成田は結構遠い。両替のためだけに事前に成田に行くのもどうかという気がするし、かといって出発当日に空港で両替というのもなんだか落ち着かない。他の銀行なら近くで替えられるところもあるのかもしれないが、まぁどこも似たようなものかなぁと思って、今日はパンフレットにある東京駅近くのその銀行の本店まで出向いてユーロに両替をしてきた。
丸の内を歩くなんてめったにないことで、その街の姿にちょっとドキドキしてしまった。丸の内のビジネス街は、新宿のそれとは全く装いが異なり、私が昔イメージしていた「東京」のイメージに近い。小学生の頃、東京は会社のあるところで、千葉は人の住むところ、東京には人が住んでいないと信じて疑わなかった頃の、東京のイメージに合っている。決してうるさくない都会的な街並み。重厚感漂う建物が立ち並び、まっすぐ伸びる道には都会にふさわしい程よい人の流れ。そうか、ここまでが「都会」という言葉の範疇なのだと思った。新宿や渋谷はその先をいっていて、もはや「都会」という言葉の枠に収まりきっていない、もっと別の言葉を用意する必要があるように思われた。
目指す銀行は、もう目の前だというのになかなか中に入れない。金持ちの家みたいに玄関が遠い。やっと入り口までたどり着くと、これって一般客が入っていいものだろうかという構え。天井が高く、舞踏会でも開かれそうなフロア。端に法人向けの受付スペースがあるが、あとは何があるわけでもないというのに、民家が4、5軒は建ちそうな広大なスペースが広がっている。ドレスでも着てくれば良かったか、リュックはないだろうリュックは・・・と勝手にドレスコードを設けて入り口で立ち尽くす。
臆病者の私は、入り口の警備員さんに、私みたいな一般客がここに足を踏み入れていいものか、恐る恐る尋ねてみる。人に止められるより先に、自ら止まっておいた方がお互い気持ちがいい。警備員さんは、何の事件も起こさなそうな平凡な私に、笑顔でそこを通してくださった。どうやら私は法人向けの入り口に来てしまったらしく、そこを抜けると一般客向けの店舗に通じている造りになっていた。程よく配置された数人の警備員さんに、私は安全ですよーというオーラを発しながら中を通り抜ける。そしてまた店舗も同じようにすごい。お客さんはみんな、ムッシューにマドモアゼルって感じだ。よくわからないが、やっぱりリュックはまずいだろう・・・と思った。
まぁ、そんなわけで生まれて初めてユーロを手にした。ユーロの話を書こうと思ったのに、丸の内の話になってしまった。落ち着きがあって、なんだか良い感じだ。今度ゆっくり散策してみよう。
■2003/9/29(mon) この頃とその後
先週いっぱいはほとんど仕事をしていた。事務局の仕事を手伝っているビジネスセミナーの本番が先週金曜日にあったので、その関連で結構慌ただしくしていたのだ。それをどうにか無事に終えて、今週はそのまとめの仕事をぼちぼちと・・・。
しなくてはならないのだけど、週末はいいとして今日も日中だらけてしまって仕事に向かうことができなかった。昼寝なんかしてしまって、近所に薄い水色のヘリコプターが墜落する瞬間を目撃してしまうカラー版の夢など見ていた。どういう意味があるんだろう。そんなこんなでダラダラしているうち日もとっぷり暮れてしまって、さすがにこのまま放っておくとまずいかもと思い始め、夜から仕事を口実に外へ出かけた。
とりあえず今の自分がのぼれる限りでいいから一番高いところまで上がっていって、そこから自分の人生を俯瞰してみたくなる。すいた電車に揺られてぼーっと過ごす時間は、こういうときにちょうどいい。今日日中のダラダラとした過ごし方を省みつつ、明日からのことを想う。どんな気持ちで明日を迎えようかと。
靄のかかった心の中に奥へ奥へと入っていって、自分の素をつかまえる。そして話し合う。しっかり自分の素と一体化して生きてゆけるように。なんとなく生きていかないように。そんなことを、ある日、ちょっとだらけた日中を過ごした夜なんかに、やってみたりする。
■2003/9/27(sat) 電車に揺られる犬とボク
今日、山手線の車内で盲導犬を見ました。身体の大きなラブラドールです。四足でバランスをとりながら電車に揺られる犬、たぶん初めて見ました。盲導犬を連れた中年の女性は、一駅区間乗って降りてゆきました。
彼女らが乗車してきた時、ある親子が一緒に乗り込んできました。お母さんと4歳くらいの男の子です。私でさえ初めて見るのだから、小さな男の子がその光景を疑問に思うのも無理はありません。男の子は不思議そうな顔つきでお母さんに尋ねます。「どうしてワンワンが電車に乗ってるの?」お母さんは一瞬困った顔をして身をかがめ、男の子の耳元まで近づいて小声でこう言います。「目の見えない人の目になってあげてるのよ」お母さんは、そう一言言い終えると膝をすっと伸ばして、身体でその話の終わりを男の子に告げました。
男の子はしばらく一点を見つめたまま動きません。お母さんの言ったことを理解しようとしているのか、それは理解した上でその先の何かに考えを巡らせているのか、お母さんが身をかがめて小さな声でそれを話した理由を考えているのか。答えは当然わからないわけですが、何かとても深いことを考えているように思われて、私はその男の子から目が離せませんでした。それでも(長く感じましたが、おそらく10秒くらいでしょうか)しばしの静止状態を経て、彼はまったく関係ない話を始めました。それもまた、探していた答えがわかったからなのか、答え探しをあきらめたのか、あるいは最初から頭の中は空っぽだったのかわかりませんけれども。
それにしても、お母さんはこういうふうに次々湧き起こる子どもの疑問に一つ一つ応えながら、子どもを育ててゆくんですね。親が子に与える影響力の大きさを痛感する日常の中の1コマでありました。子どもは成長過程で数え切れないほどの質問を親に投げかけるのでしょう。そして、その問いに対してどう応えてゆくかは親の数だけあるといえる。応えの内容もさることながら、怒鳴って、笑って、小声で、叫んで、応え方にもいろいろある。答えを与えないという「応え」だってある。そのやりとりを通じて、子どもは大きくなってゆく。親って、「親をする」って、スゴイことです。今日はそんなことを思いました。
■2003/9/22(mon) 良い知らせ
一昨日事故に遭った方について、新しい情報が届いた。その後の容態は安定しており、心配されていた腹部の内出血も経過が良好のため、開腹手術はしないで済みそうだとのこと。ほっとした。本当に良かった。頭部を15針縫い、鎖骨と右足を骨折。重傷に変わりはないが、意識も非常にはっきりしているそうで、早ければ2、3日で一般病棟に移れるらしい。
これからしばらくは安静にして、その後はなまった身体を動かして・・・。完全にもとの状態に戻すにはやはり長い道のりがあって大変なのだろうけれど、身体の健康を取り戻すことに焦って心が疲れてしまわないように、ゆっくりと心身の健康をバランスよく取り戻していってほしいと願う。
とにかく、本当に良かった。
■2003/9/21(sun) 静かな一日
今読んでいる本、保坂和志さんのエッセイ「言葉の外へ」は、今日のような一日にうってつけの一冊だった。この嵐の中、静謐で豊かな一時を私にくれた。
■2003/9/20(sat) 悪い知らせ
早朝、電話が鳴った。悪い知らせだった。数秒前まで眠っていたのが嘘のように、気づけば身体は飛び起きていた。仕事で長くお世話になってきて、今も一緒にお仕事させていただいている方が、今日未明交通事故に遭われたというのだ。身体中に重傷を負っており現在病院の集中治療室に入っている。意識はあり命に別状はないとのことだが、家族以外は面会謝絶という状態。
私の頭の中には2つの世界があった。表層部分はとてもせわしなく動いていて、いろんな考えや感情が出たり引っ込んだりを繰り返していた。彼本人の容態のこと、一緒に進めている仕事のこと、ご家族のこと、事故を目撃してしまった知人のこと、ひき逃げして今も捕まっていない犯人のこと、こんなことが日常化してしまった世の中のこと・・・。その一方で、心の奥の方はとても静かで、何ものからも守られた空間で、ただひたすら彼の快復を祈り続けていた。
私は会社に行った。今進めている仕事をどう進めてゆくか話し合った。夜遅くまで会議室にこもった。自分がこの場にいることだけがまだ救いだった。もし会社を辞めてから、とくに今回の仕事を受けることもなく、そのまま疎遠になって、ずっと先になってから「大変でしたね」って口にすることしかできない状態でこんな事態になっていたことを知ったら、それはとても辛いことだ。今はとにかく自分のできる限りを尽くそうと思った。
こういう非常事態にこそ、それまで育んできた人と人のつながりのようなものの持つパワーが、目に見える形であらわれてくるのだなぁと思った。それは、涙が出るほど美しい情景だった。そして、私がここで社員として仕事をしていた間も、ずっとずっとこの人たちに支えられてやってきたんだよなぁということを、外に出て改めて痛感する機会にもなった。また、いつも感謝するばかりではなくて、微力ながら自分もそういうふうに関わってゆける人間になれるように前進していこうと、自分自身を省みる機会にもなっていた。
その晩、私はその方の夢をみた。元気な身体で、いつものように洒落たスーツを着こなし、穏やかな笑顔で舞台裏に姿を現した彼は、マイクを持って壇上に上がり、なぜか歌をうたいだした。あれ、講演するんじゃなかったっけ?と不思議に思って舞台に目をやると、そこにはいつの間にか舞台用の衣装に着替えてカラオケを楽しんでいるその人がいた。なんなんだ、この夢は?もうそれでもなんでもいいから、とにかく一日も早い快復を祈るばかりだ。そして、今は自分のできる限りを尽くして、仕事に臨むほかない。
■2003/9/17(wed) 日常のテーマソング
きっと誰にもあるだろう。ごく日常の中のあるシーンに出くわすと、自分の頭の中にだけ突然意味もなく鳴り響いてしまう、そのシーンのオリジナルテーマソングのようなもの。
私のはこれ。買い物をしてレジでお釣りを受け取ったときに、手にしたお札が上下逆さになっていることがあって、上下を直して入れないとちょっと気持ちわるいけど、荷物もあるし次のお客さんも並んで待っているなんて場合には、逆さのままお釣りのお札をお財布に入れてしまう。その瞬間である。私の頭の中には決まって中森明菜の「DESIRE」のサビの部分が流れる。
真っ逆さーまーにー堕ちてDesire
炎のよーうーにー燃えてDesire
というの。今日もドラッグストアで買い物をした時に、図らずも聞いてしまった。実際には「炎の・・・」までいかないで、1行目だけで終わる。
こういうの、私以外にも持ち歌ある人いるのかなぁ、きっといるんだろうなぁ、あればぜひ聞いてみたいなぁと思う。私ももう何曲かもっているような気がするんだけど思い出せない。思い出したら、また報告します。
くだらないなぁ・・・。
■2003/9/15(mon) ドイツ鉄道の旅
2003/8/29の「話」のとおり、私は来月ドイツを旅行する予定。といっても、期間も1週間足らずの旅なので、フランクフルト空港からそのまま友人の住むベルリンに移動し、その近辺に腰を据えてゆっくり観光するつもりでいる。
そんなふうに漠然と考えていたのだが、日本からフランクフルトまでの航空券を手配して、迎えてくれる友人に連絡を入れたところ、フランクフルトからベルリンまではかなりの距離があるから、国内線に乗り継いでベルリンまで飛行機で来てしまった方がいいのではないかと返ってきた。あらまぁと思って旅行会社に確認したのだが、飛行機では片道でも33,000円かかるそう。往復では7万円近い。これがプラスされるのはちょっときついなぁと思って、友人に鉄道での移動手段を調べてもらった。
今朝方その連絡が入って、帰り道のベルリン→フランクフルトの切符は問題なくおさえられるとのこと。ドイツにはICEと呼ばれる日本の新幹線のような鉄道が走っており、ハノーファというところで乗り換えすれば、2本で空港までたどり着けるらしい。これは多少でも街に慣れた頃だし、まぁどうにかなるかな。
しかし、問題は行きである。ドイツは夜の便が非常に少ないらしく、フランクフルトからベルリンまで行ける最終列車は、私が空港に到着する予定時刻から1時間後に出発するという。飛行機が予定通りに到着すれば、帰りと同じようにハノーファ乗り換えで2本の電車でベルリンに到着できるのだが、飛行機の到着が遅れたり、税関や入国審査の混雑で終電を逃してしまった場合には、ちょっと厄介な経路をたどることになる。つまり、着いてみないとわからない。
フランクフルト空港駅は、遠距離用と短距離用2つの駅に分かれるらしいのだが、まず短距離用の駅を見きわめ、そこからフランクフルト中央駅まで市内列車に乗って移動。その後、駅構内を(迷わなければ)7分ほど歩いて移動の後、ハノーファ行きのICEに乗り換えて長距離移動。ハノーファには、彼女が車で迎えにきてくれるというので、それに乗っけてもらってベルリンまで大移動という流れ。
もしこの列車にも乗り遅れたとなると、あとはもうフランクフルトに宿をとって一泊するしかない。どのコースをたどることになるかは着いてのお楽しみだが、旅慣れていない私には、初日だけでかなりの大冒険となる。しかし、これはチャンスでもある。今回の旅ではゆっくりといろんな土地をまわることができない分、車窓からの眺めや車内でのくつろぎタイム、そしてこの大冒険を楽しんで過ごせたらよいなと思う次第である。
■2003/9/14(sun) ウナギのたたり
今日の晩ごはん、妹がウナギにやられた。もぐもぐしていた口をぴたっと止めて、「ウナギの骨が喉に刺さった!」と妹。私、「イヤァーーー」と思わず悲鳴。人が刺さったのを見聞きするだけでも、喉の痛む感じがする。「だから言わんこっちゃない。ウナギのたたりだよぉ」と私。私はウナギが大の苦手なのだ。
我が家では、毎年お正月は成田山に出かけ、お参りの後にうな重を食べるのが恒例となっている。あれはもう20年ほど前のことだろうか。親にそそのかされて初めてウナギを口にした時のこと。ビジナーズアンラックとでも言えばいいのか。しょっぱなからウナギの骨が喉に刺さってしまい、その後長いこと骨が刺さったままたいそう苦しんだ思い出がある。それ以来私はウナギとの接触を絶ったのだ。
それでも、娘の一人や二人ウナギが食べられないからといって、うちの親が(彼らには)おいしいお正月の恒例行事を取り止めるはずもない。私は以来そのお店に入ると、皆と同じようにうな重を注文し、上に乗っかっているウナギを丸ごと兄にあげて、下のタレ付きごはんをいただくようになった。あれはおいしい。私にとって、ウナギを無理に食べさせられないのであれば、ウナギやさんに行くのは楽しみなことだった。兄も私と行くのは楽しかったと思う・・・。
そうして、私は今日に至るまでずっとウナギをよけて生きてきた。食卓にウナギが登場しても見向きもせず、常にかたくなな姿勢を崩さなかった。ウナギはもはや私にとって食べ物ではないのだ。父と妹がおいしそうにそれを食べていても、悔しくもなんともないのである。今日もそんなわけで私は一切箸をつけずに晩ごはんを済ませたが、そんな私の目の前で「痛い、痛い」と騒ぎ出したのが我が妹である。
ごはんのかたまりをのみこんでみてはどうか?サイダーを流し込んだら溶けるかなぁ?と策を練っては、「あ、取れたかも」「あ、まだ残ってる」を繰り返す。骨はなかなか抜けない。懐中電灯で口の中を照らしてみても、骨らしきものは見つけられない。いつになったら取れるのだろう。「おやすみなさい」しても、尚ぶらさがっているのだろうか。明日の朝「おはよう」と言っても、まだ居座っているのだろうか。
あぁ、人はなぜそんな危険を冒してまでウナギを食するのか。そこにスリルでも求めているのだろうか。私にはまったく理解できないが、まぁ止めやしません。ウナギやさんに行くのなら、(上のウナギを食べてくれるなら)ご一緒します。そうして私は安全な道を歩みつつ、皆様の身の安全を祈るばかりです。
■2003/9/11(thu) タマゴ
卵焼きをつくろうと思って、タマゴを割って小皿に入れた。かきまぜようと思って、菜ばしで黄身の真ん中にプスッと箸を入れた。その瞬間、人って実はものすごいことを日常何気なくしているんだな・・・と、突然恐怖を覚えた。
もっと深く、もっと広く、自分の日常を見つめ直してみたいと思った。きっと、まだまだたくさん眠っているのだろう。まだまだたくさん眠らせているのだろう。日常という闇の中に、「ものすごいこと」を。
■2003/9/10(wed) 赤井英和が我が家に
晩ごはんを終えると、私は自室にこもって読みかけの本に没頭した。しばらくして、喉が渇いたので階下に下りていくと、母がちょっと興奮ぎみに話しかけてきた。
「さっき、赤井英和から電話があったのよ!」と母。え?あの、元ボクサーで今は俳優をしている赤井英和?ちょっとセリフが棒読みの、あの赤井英和?私は「偽者なんじゃないの?声だけだし。物まねとかして・・・」と疑ってかかるが、母は「あの感じは本人よ」と確信した様子で私に返してくる。「あの感じ」ってどの感じだろう。それは母にもよくわからないらしい。
で、何のために電話をかけてきたのかと尋ねると、インターネットの接続環境などについて4、5コくらい質問を投げかけられ、それに回答したら終わったのだそうな。アルバイトでもしてるんだろうか。なんかのキャンペーン中?
でも、その作戦は見事成功しているらしい。母は「普通のアンケートだったらすぐ切っちゃうけど、赤井英和ですって言われたら、一応全部答えちゃうじゃない?」と、本当に全部回答して電話を切ったそうです。
果たして赤井英和は、何時から何時まで、何日間、何件のお宅に、どれくらいのギャラで、電話をかけているのでしょうか。ちょっとだけ気になります。
■2003/9/9(tue) 畑のトマト
今日も歩いて出かけた。途中、両脇に畑の広がる通りを行く。昔はもっと広大な土地を使って農作物を育てていたのだが、ここ数年で一気に畑は消えて、かわりに家々が立ち並んだ。そんな中でも必死に守り続けられた畑には、にんじん、ネギ、なす、トマト、とうもろこし、じゃがいもなどが元気に育っている。
なかでもトマトはとっても表情が豊かで、青いのが黄色に、黄色いのがしだいに色を増し、それがどんどん真っ赤になって。一日一日、しっかりと生きてるんだなと感心させられてしまう。隣りのは真っ赤で、自分のはまだ青っちろくても、そんなのお構いなしでピチピチしたお肌をして元気に生きている。
いいんだよ。きっと、これからどんどん赤くなる。真っ赤になるよ。トマトは別に何にも気にしちゃいないのに、そうやって応援している自分がいた。トマトの先に、人の影を見ていたのかもしれない。自分を重ね合わせていたのかもしれない。
■2003/9/8(mon) 長い夜
今日は朝からめっきり落ち込んでいる。お昼前にてくてく歩いて外に出かけ、カフェでぼーっとしていたら夕方になって。おうちに帰ってくると、また自分の部屋にこもってぼーっとした。
時々頭の中にぼろぼろ言葉がこぼれてくるのだけど、溢れるだけ溢れてじゅうたんの上にごろごろ転がってゆく。落っこちた言葉たちは降り出したばかりの雪のようにあっという間に解けて、ふと我に返るともう何がなんだかわからなくなっている。
それを繰り返しているうち、足元は水びたしになっていて、あぁあーと息をつき気分転換に何か始めようとする。でも、例えば本を読んだり、例えば音楽を聴いたりしてみても、やっぱりいろんなことが「それ」に関連づけられてゆく。落ち込んでいるときってそういうものなんだな。
だから、今日はとことん「それ」と向き合おうと思った。今日も終わらぬうちに気分が持ち直してしまうこともまた、なんだかうしろめたいような気がしてならなかった。答えは出なくても、無理にそっぽを向くことはしたくなかった。
時間に身をゆだねれば、「それ」を忘れてしまうこともできるのかもしれない。だけど、意志の力に身をゆだねたら、明日の私は、「それ」とどんな距離感をもって向き合おうとするのだろうか。今日の夜を終えるには、もう少し時間がかかりそうだ。
■2003/9/7(sun) 進歩のない奴
今朝、プールに出かけようと思って車に乗り込み、駐車場を出ようとしたら、やってしまった。ギギギィーというすごい音。あちゃーと思って、そこから脱しようと車を動かしたら、またもやギギギギィーとすごい音。ま・・・まずいかも。家の中にいる家族も、皆一斉にリビングの大きな窓のところに集まってきた。「さて、これからどうしましょう」といった半笑い顔の私をみて、皆さん「進歩のない奴」とあきれ顔。
父は、「待て、待て、もうこれ以上おまえが動かすな」というジェスチャーをして、窓から姿を消した。どうやら私・・・じゃなくて車の救助にやってくるらしい。ブレーキをかけたまま待機する。外に出てきた父は、車の様子をみて、「こりゃ、前にも後ろにも行きようがない」とため息をつく。「とにかくおまえは降りろ」と言いたげに運転席のところにやってきたので、私は言われる前に席をゆずった。父の救助活動を静かに見守る。車は、それ以上の傷を負うことなく、無事救助された。
通りに安全に停車させたところで、父が車から出てきた。父から母からあーだこーだと注意を受け、返す言葉もなく一心に受け止める私。そこで妹が一言。「そんなに言ったらお姉ちゃん帰ってこれなくなっちゃうよ」うぅ。なんて優しい言葉だ。妹とは思えない・・・。この言葉に救われて、私は再び車に乗り込み、おうちを出発。ところで、さっき家を飛び出してきた父、Tシャツにパンツ姿だったような気が・・・。ま、幸いボクサーパンツだったし、通行人もいなかったし、みんな気づいてないみたいだったから良しとするか。
その後、プールから戻ってきてお小言を言われることはなかった。プールの駐車場でもっと怖い思いをしたことは秘密にした。アクセルとブレーキを思いっきり踏み間違えて、駐車料金を払う出口のところで、車を通せんぼする遮断機の棒にブォーンと突進してしまったこと。幸い目撃者もなく(キョロキョロ辺りを見回した)車にけがもなかったが、車内は大変なことに。助手席においていたカバンやらCDケースやらが、ぐっちゃぐちゃになって前に転がり落ちた。人じゃなくて良かった。やっぱりまだまだ車に人は乗せられないと再認識した。
■2003/9/5(fri) 原点に寄り道
晴れわたる空の下、夏の終わりの太陽の熱っぽいぬくもりを、涼やかな秋の風がさらってゆく。今日はいい日になりそうだな。そう思ってうちを出た。今日はプールに美容院、その後今度お勤めする先に入社手続きの書類をいただくため訪問する予定。
まずはプールだ。先週久しぶりにプールで両足をつってからというもの、泳いでいると「あ、足つりそう」という感覚に何度も襲われて、なかなか長時間泳ぐことができないでいる。悲しい。といって、無理して再びあの痛さにもがき苦しむのは絶対にいやだ。おとなしくほどほどに水泳を楽しむ。次行ってみよう。
原宿に大移動して美容院へ。もう9年間もお世話になっている美容師さんに、相変わらず「いつもと同じように」の注文で髪の毛を切ってもらう。が、初めから終わりまでその方のお客さんは私一人だったので、いつもよりゆっくり丁寧にやってもらえて、とても良い仕上がりに。あ、見た目変わってません・・・。
きれいにしてもらった髪で気持ちよく美容院を後にして、今度は新宿の新しい勤め先へ。選考段階からお世話になっている開発部門の責任者の方が対応してくださる。この方は、いつもこちら側への配慮を忘れずに接してくださる。決してえらぶった態度をとることはなく、しかしながら責任者としての風格を漂わせる。こういうの、品っていうのかな。私は品のある人が好きだ。
一通り今日の予定を終える頃、私はちょうど帰り道の途中にある「原点」に立ち寄っていこうと思いついた。私が前の前に勤めていた会社のことだ。会社といっても、スクールを運営している会社なので、建物の中は「学校」になっていて、多くの受講生が出入りしている。私が会社を辞めたのは3年前のことで、いまや私の知るスタッフはほとんどいない。しかも、ここのスタッフはいつも忙しくしているので、直前に思いついたことだし、誰にも会えなくても仕方ないと思った。それでも、自分が社会人生活を送る上で原点と思える場所を訪れて、懐かしさとともに「がんばれよ」と背中を押してもらえるような空気に触れられれば、それだけでいいと思って寄り道をすることにした。
しかし、実際行ってみたらご無沙汰しているいろんな人に会うことができた。それも最初に顔を合わせたのが、偶然目の前を通りかかった学校長。彼は本当に忙しい毎日を送っていて、その建物の中にいることも珍しいことなのに、いきなり建物の入り口で再会できてしまった。何度か外でお顔をチラッと拝見することはあったが、やっぱり校内で会うときが一番いい表情をしているなぁと思った。そのすぐ後、ずっと北海道に転勤していて1ヶ月前に帰ってきたという私と同日入社だった女性と再会でき、彼女が校内を一緒にまわって昔からのスタッフに声をかけてくれた。地方から東京に戻ってきている創業期からのメンバーにも再会できて、本当に素敵な寄り道となった。
思い立ったが吉日ってホントなのだ。「今だ」って直感が働いた時実際にそれをやってみると、神さまが自分の味方についてくれているかのような幸いが訪れたりする。私はこういう感覚を大切にしたいと思っている。そう意識しだしてしばらくしたところでのこの一件。少しずつこの感覚が研ぎ澄まされているのかも、と期待してしまうような出来事だった。やっぱり今日はいい日になった。
■2003/9/2(tue) 平均寿命
今から4000年前、人間の平均寿命は18歳ぐらいだったという。紀元元年、今から2000年前は22歳。人間は2000年もかけて、寿命を4歳延ばした。そして、明治時代初めの日本人の平均寿命は33歳。今度はおよそ1900年かけて、11歳寿命を延ばした。(鎌田実著「がんばらない」/集英社文庫より)
さて、現代の日本女性の平均寿命は85歳(男性は78歳)を超えた。日本はたったこの100年ほどで、一気に50歳以上寿命を延ばしたことになる。どう思うだろうか、この数字。私の第一印象は、行き過ぎじゃない?生き過ぎじゃない?である。これまで、500年に1歳、もしくは173年に1歳という単位で寿命を延ばしてきたのが、この100年ではいきなり2年に1歳の延命を果たした。
これを知ったとき、私には人間が本来もつ生命力を無視して、無理やり生き長らえているように思えてならなかった。じゃあ何歳までだったら無理していないといえるのかと問われると、それはそれで答えはない。ただ、その無理がたたって、人間の肉体や精神、また私たちの生きる環境にも、様々なひずみが生じているように思えた。
人はとかく「できるだけ長く」「できるだけたくさん」と望んでしまうものだけど、人間の寿命を延ばすということは本当に正しい人の道なのか、ここまでくると疑問に思えてしまう。どこまで命を延ばしたら、「もうこれくらいにしておこうよ」と思えるのだろうか。はたまた、不老不死の肉体を手に入れるまで続いてゆくのだろうか。
別に文句をいわれる筋合いはないといわれればそれまでなのだけど、なにか「長く」より「たくさん」よりもっと大切なものがあることを見失ってしまいそうで、すでに見失っているような気がして怖くなる。平均寿命80歳。私たちは、この知識とどうやってつきあっていったらいいのだろう。もしそれが、80年ではなく、30年とか40年とかもっと短い期間だったら、私たちはもう少し生きることの本質を見つめやすかったんじゃないか、私の人生観はまた今とは違うものになっていたんじゃないか、という気もするのだ。
とまぁいってみたところで、結局のところ平均寿命が何歳だろうとその歳まで生きられる保障はどこにもないわけである。それでも、時々こんな話に頭を悩ませながら、「もっと大切なもの」を意識して生きてゆければいいかなと思う。なんだかんだ言ったわりに、あっさりとしたまとめである・・・。うーん、そういうところがまだまだ小物なのだなぁ。
■2003/7/31(thu) 蝉の声
夕暮れ時、電柱の上の方から蝉の鳴き声が大音量でふってきました。この声を聞くと、なんだかわくわくしてきますね。興奮して、思わず一人で声をあげてしまいました。明日から8月。いよいよ梅雨明け、真夏到来か。暑さに負けず(暑くなるかなぁ)しっかり夏を楽しみたいものですね。7月さん、さようならー。
■2003/7/28(mon) 悩むということ
「どうすればいいかわからなくて悩んでいる」とは、誰しも経験のあることではないか。それに対して、哲学者の池田晶子さんは、著書「14歳からの哲学」の中でこう話している。
もし本当にそれがわからないことなのだったら、君は、悩むのではなくて、考えるべきなんじゃないだろうか。あれこれ思い悩むのではなくて、しっかりと考えるべきなんじゃないだろうか。(中略)それがどういうことなのかを考えてわかっていなけりゃ、それをどうすればいいのかわからなくて悩むのは当然じゃないか。
「ごもっとも!」と一人うなずいてしまった。自分の頭の中にある悩みを一つ取り出してみる。「それをどうすればいいか」ではなく「それがどういうものか」を考えてみる。確かに、それを知らずして悩んでいても埒があかないのである。
なんだ、そうか。それならはなっから悩むなんてことはやめて、考え始めればいいんだ。悩むなんて時間の無駄。弱虫な自分が感傷にひたりたがっているだけのこと。そう思った矢先、いやいやそう無駄なものでもないかなぁと思い直した。「悩む」ということは、一種エネルギー充電期間のようなものだと思えたのだ。
「悩む」とはとても感情的な状態で、おっしゃる通りおそらくその状態から直接何か答えを探しあてることはないのだろう。ただ、じゃあ苦境に立たされた人間がすぐに冷静に考える頭をもって答えを見つけられるかと考えると、どうもそれはそれで無理があるような気がする。確かに無理をすれば最短時間で解決できる策なのかもしれない。ただ、そういきなり考えようとしても、結局うだうだしてしまって前に進めないというのが人の常という気もするのだ。
だから、私は悩んでいいと思う。しばらくうだうだ悩んでみる。悩んでいるときの対処法は人それぞれあるだろう。気の置けない人に会ってとことん話を聞いてもらうもよし、ちょっと深酒しちゃうもよし、一人になってぼーっとしてみるもよし、部屋の片隅で「中島みゆき」かけてとことん泣いてみるもよし。そんな決して前進とは思えない時間が、後に大量消費するエネルギーの充電期間になるのではないかなぁと思うのだ。
とっぷり悩んでみる。で、その後気分を入れ替えて、しっかり考えてみるのがいい。そうして「それがどういうものか」が見えてくれば、自ずと「それをどうすればいいか」も見えてくる・・・と信じたい。少なくとも、悩み続けるより、考え続けるより、はるかに健康的。悩んで、考えて、前進。そうして焦らず一歩一歩前に進んでゆければいい。そんなふうに思う。
■2003/7/26(sat) 一寸先
一年後、三年後、五年後の自分もいいけれど、
まずは明日後悔しないように今日を生きること。
■2003/7/23(wed) 貧乏性
部屋の片付けぐせが始まった。気分がめいってくると、部屋の片づけをする。いつものパターンだ。いつまたおうちを出てゆくかわからないので、本や書類などはダンボールに収まったまま部屋に置いてある。そこから一人暮らし期間中にもらった友だちからの手紙など出して、一つ一つ目を通しながら、また大きな封筒に戻してゆく(結局掃除になってない・・・)。目頭が熱くなる。懐かしさとともに、何かいろんなことを遠い昔に置いてきてしまったかのように感じられて、今回ばかりは一層さびしい気分になる。スピーカーから流れてくるピアノの音色が一層涙を誘う。泣きはしないが、なんだかこれという理由もなく、泣きそうな気分。
しばらくいろんなことに平気な顔をしていたら、ちょっと疲れてきてしまったようだ。動いていて疲れたのではない。たぶん、前進しないで立ち止まっている自分、そんな自分に平気な顔をしていることに、疲れてきてしまったんだろう。車の免許を取り終えて1週間足らず。これくらいの期間でそんな時期を迎えてしまうなんて、私って貧乏性なんだろうか。こういうのは自由って気もしない。そろそろ腰をあげないと。自分が自分であるために。
私はやっぱり仕事をしたいんだな、きっと。仕事を通じて社会とつながっていたい。仕事を通じて自立した社会人のキャリア支援をしたい。なんだか理由はよくわからないが、そんな気持ちがあるのは確かだと思う。その空間に身を置くことで、私はこれまでずっと、そこに集う人たちに生かされてきたのだ。私はこれからも、人に生かされることでしか生きていけない。そんな気がする。
■2003/7/20(sun) やけど日和
今日はプールの後父の迎えがあって、昼過ぎ車で兄の家に遊びに行った。といっても、兄はこのところフル回転で働いているらしく(もともと日曜は出勤日らしいが)、家には奥さんしかいない。最近は夫婦で過ごす時間がほとんどもてていないそうで、なんだかかわいそうだ。
しばらく歓談していると、父がお昼をおごってくれるというので、お姉さんを乗せて私の運転で回転寿司やさんに行く。またまた車線変更できなかったり、ブレーキを踏み遅れたりで、助手席の父は「あれをこうしろ」「それをどうしろ」と始終大忙しである。後部座席のお姉さんはおっとりした方なので結構穏やかに見守ってくれていたが、私が「あ、ブレーキとアクセル踏み間違えちゃった!」と呟いた時には、「そ、それはちょっとぉ・・・」と不安を隠し切れない様子だった。我ながら、この運転技術で毎日車に乗って事故に遭っていないのがスゴイと思う。すべては助手のおかげである。今日も無事、回転寿司やさんでお寿司を頬張り、お姉さんを家まで送って、スーパーで買い物、祖母の家にもご挨拶に立ち寄って家まで帰ってきた。
しかし、今日のように夏の日差しを浴びて真昼間に運転するのは、とんでもなくまずいことだと思い知った。黒い長袖のシャツを着ていたのに、運転している最中から腕がじりじりと焼けてゆくのを感じるのだ。紫外線を通しにくいという「黒」だが、生地が透ける素材だったためか、ずんずんと日差しが肌に押し迫ってきて腕を真っ赤に染めていった。ひぇーっと思って、おうちに到着するやいなや即効氷水で腕を冷やす。ここ数年日光を避けて生活してきたので、一層肌が弱くなっているのかもしれない。
その後、夕方からは母と妹とテニスをしたのだが、そこでの私のスタイルはまさに「ねずみ男」。これが、私が家族とテニスするときの定番スタイルになりつつある。フード付きの長袖Tシャツに長ズボン。首まわりにはタオルを巻き、フードをかぶった上に、黒いハットをぎゅぎゅっと目深にかぶる。かなり怪しい。が、効き目は確かだ。1時間半テニスを楽しんで、おうちに戻ってお風呂からあがると、晩はすき焼き大会。久しぶりに上等のお肉をいただいたためか(お中元で頂戴しました)、その後お腹を痛めてしまった・・・。
■2003/7/19(sat) 午前中の日課
今日からフィットネスクラブの本会員としてプールを利用し始めた。毎朝、仕事に行く母の車に乗せてもらって駅まで運んでもらう。そこから電車に乗ってゆくと、ちょうど開館時刻に着くので都合が良い。午後になるとプールも混み出すというので、この流れで通うのがいいかなぁと思っていた矢先、その朝一番の時間帯が今ちょっと困ったことになっている。
今日から子どもたちは夏休みのようで、ちょうど今日からその時間帯に子どもたち向けのプールプログラムが始まったらしいのだ。今朝プールに行くと、 40~50人(いや、もっといるかも)の幼稚園児や小学生低学年層に周囲を完全に包囲されて(ついでに、一つ上の階の観覧席から我が子を見守る多数の保護者たちに見下ろされて)泳ぐ状況である。7レーンあるうち中央の1レーンだけが一般に解放され、あとの両脇6レーン分はすべて子どもたちのプログラム向けに使われている。
普通に訪れた一般人は、その騒がしさに圧倒されつつ皆中央の1レーンに流れてくるので、一人1レーンを使って優雅に、というわけにはいかなくなってしまった。とはいっても、朝一番なので来て3人程度ではあるのだが、かなりやりづらいことは確か。たぶん時間帯をずらせば逃れられるのだと思うが、とりあえずしばらくは周囲をできるだけ気にせずに、駅まで車に乗っけてもらうことを優先するつもり。怠け者・・・。
プール後は、近くのスターバックスでコーヒーを飲みながら読書する。午前中はこの流れが日課になりそう。こんなことしているとあっという間にお金が底をつきそうだが、ここでの時間は今後のことをあれこれ考えるのにも良い時間なので、きっと私がこれから前進してゆく上で必要な時間なのだろうと勝手に思いこんでしばらく続ける予定である。
■2003/7/18(fri) プール再開
車の免許も取り終え、これからしばらくは実家で暮らすことになりそうなので、ここから通える新しいフィットネスクラブの入会手続きをしてきた。今日「お試し」でひと泳ぎしてみて、まぁまぁな環境を確認。そのまま契約してきた。即日申込むとお試し料1,500円が全額返金されるのだ。
決め手はプールが大きいこと。レーンの幅は狭いが、全部で7コース用意されており、午前中に行けば一人で1レーン心置きなく使えそうな人の数も良し。そしてお値段。私はプールしか利用しないので、それ限定の会員種別を選ぶと、入会金千円、月会費7千円。安いっ!先月まで利用していた東京のフィットネスクラブに数年間自分がつぎ込んできたお金の額を思うと、ため息がこぼれる。まぁその分ここには無い細やかなサービスがあったわけだけど。
本当は市民プール通いしようかと考えていて、昨日試しに市営のスポーツ施設でひと泳ぎしてきたのだけど、総合的にみるとやっぱりこっちの方が買い。毎日のように通い続けるとなると、おそらく市民プールよりこっちの方が安く利用できそう。これはもう、とことん利用しなくては。
なんか千葉に戻ってくると一気に感覚が所帯じみてくるのが不思議。そんなこんなで、このところにわかにこの先のことを考える時間ももつようになってきた。と言いながら、今のところさして焦りもなく、かなりのん気な構えではあるのだが。
■2003/7/17(thu) 発車の3秒後
今日は車の運転の練習をした。まず朝。うちの父は毎朝最寄駅まで母に車で送ってもらっているのだが、その運転をやってみないかと母に誘われ、私「大丈夫かなぁ」母「大丈夫よ」ということで即決。朝っぱらから両親を乗せて(母は教官)10分間ドライブすることになった。
家の前の駐車場から発車。3秒後、早速車のホイールにすり傷を負わせた。そこから100m走った先では、人の家の壁に激突しかかった。両親とも朝からテンション上がりっぱなし。「ストップストップぅ!」「ぶつかるっ、ぶつかるぅ!」「バックバック、一旦戻って!」と首をぐるぐる前後左右に回して大騒ぎ。私は「えっ」「あっ」「うっ」ときょろきょろするばかり。とりあえずそれ以降は「円滑」とは程遠いのろのろ運転でどうにか事なきを得て、無事家まで戻ってきた。
運転中、いつもは突っ込み役の父に、「大丈夫、すぐに慣れるって!」と励まされた時は、「あぁ、本格的にまずいんだな・・・」と不安を覚えた。これまで兄と妹の教官を務めてきた母も、私が一番ひどいという顔を隠しきれずにいる。まぁ、頑張って乗り慣れるしかないわな。
そして夕方。仕事を終えた母が練習につきあってくれるというので、二人で今度は長距離ドライブへ。免許証持った、初心者マーク貼った、さぁ行こうか!と思ったら、車が発進しない。家の中に車の鍵を忘れてきた。そりゃ走らん。ほんと先が思いやられる。母、絶句。
今度は発車早々車を傷つけることなく、無事近所を脱出。海沿いに車を走らせ、幕張、稲毛、千葉と南下していった。幕張あたりまで出ると道路も広くてきれい、とても気持ちよくドライブを楽しむことができる。気分爽快!あぁ、早く一人で近所を脱出できるようにならないと。そこクリアしないとどこにも行けないもんなぁ。それから、早く一人で車線変更できるようにならないと。左折だけで家に帰れる場所しか行けない・・・。はぁ、道のり長し。
しばらくはこの道30年の母の実践教習を受けて、一人で乗れるようになるまで頑張ろう。というわけで、血縁関係のない皆さんを乗せられるのは遠い先の話になりそう。え、頼まれても嫌だって?そうでしょう、妹も嫌だって言ってます・・・。
■2003/7/16(wed) 免許取得しました
本日、免許センターの学科試験に見事一発合格し、車の免許を取得してまいりました。今日の合格率はいつもより高めだったそうで、70.9%だったとか。それでも3割落ちてるってどうなんだろう・・・。何はともあれ、ここ2週間強の苦労が実を結んで、ほっと一息。
一定期間一つのことに集中して頑張って、その最後に確かな成果が得られるというのは、なんだかとても清々しい気分だ。合宿免許なんて決して人には勧めないし(とくに20代後半以降は精神的にきついと思う・・・が、行こうという人もまれか)、教習所なんてもうこりごりだけど、終わってしまえば行って良かったなぁと思う。もし通学だったらまだ教習所通いしているんだろうし、毎日欠かさず通っているとも思えないので技能の上達にもっと時間を要している気がする。合宿だったから技能1コ落としただけで済んだのだろう。結果オーライ。よく頑張りました。
といっても、これからが本番。千葉県は、交通事故による死亡者数が全国でワースト1位。とても危険な県なのだ。昨年一年間に起こった県内の交通事故はなんと20万件以上、一日当り550件もの事故が発生している計算になるそうだ。しばらく助手席は親だけ、その名のとおり「助手」してもらいながら練習しようと思う。いつか東京まで出ていけるかなぁ。早く自他ともに認める一人前のドライバーになりたい。
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