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2001-11-11

2001年の話(まとめ)

■2001/12/30-2(sun) なりたい自分になるために

ここ数日で思ったことを、少し時間を置いて考えてみようと思います。

ふと気づいたのは、「文章を書く」ということは目的ではなくやっぱり手段に過ぎないんだなぁということ。自分や他人、自然や社会、時間や空間・・・いろんなものをもっと大切にするための手段なのだなぁと。目に見えるもの、目に見えないものの1つ1つ、その意味を自問自答し続けるのに、自分に最も適した手段なのではないかなぁと思いました。

今までその手段がわからなかったことで、人生を問うたり心が宙に浮いたような気持ちになった時、何をどうすればよいものやら困ってしまうことが多々あったけれど、今回「文章を書く」ことにこんなに感動を覚えているのは、そんな自分を支えてくれる最も適した手段を発見できたからではないかと思います。「手段と目的を見間違えては命取りだなぁ」と時間を置いてみて思った次第です。

・「なりたい自分像」を日々探求し少しずつ明らかにしていくこと。
・それを形作っていくこと。
・現在位置は低くても構わないからそれに近づいていくこと。
・常に向上し続けてゆくこと。
・向上している自分を実感しながら、あたたかく柔らかい心をもって、より深く人と社会と関わっていくこと。

日常生活の中で生まれる様々な経験や気持ちを持ち帰って「文章を起こしていく」という作業は、私がこういう人生を送ってゆくための第一歩のように思います。時間とともに流されてゆく身のまわりの出来事1つ1つをとりあげて文章に残していく過程で、自分を省みる機会を得、自分やその周囲に興味をもつことによって、自分の望む自分、人、社会を探り明らかにしていく時間がもてるのではないかなぁと。(そーんなたいそうなものではない気がしますけど・・・)自分の目の前の道を掘り起こしていくような時間。それを日常化していくことを試みようとしています。

だから、やっぱり嘘偽りを書いていても、まったく目的に適わないのは明らかで、手段が目的に勝ってしまっている滑稽な状態に陥るだけ。なぜ文章を書きたいのか、何を言葉に表し残したいのか、原点を見失わないように書き記していきたい。そんな時間を大切にもち続けていきたいと思います。

というわけで・・・来年に続く。これまでは序章ということで、この収拾つかない走り書きをお許しください。来年からはもう少しまとまった良い文章を書けるよう頑張ろうっと・・・。

■2001/12/30-1(sun) 続けることと素直であること

日常を言葉に起こしていくことが私を支えてくれる。この気づきを無駄にしないためには、具体的な行動として、「書く」という時間を自分の生活の中に意識的に設けることが必要なのだと思います。習慣づくまで根気よく。でなければ、結局この気づきも一時的な感動で終わってしまう。失いたくないもの、自分に残していきたいもの、積み重ねていきたいものは、自身で意識して体得できるまで努力をしていかなくては。そうやって小さな気づきによって大きな何かを得られた時こそ、本当の価値が生まれるのではないかなぁと思います。といって、いやいや続けても意味がないので、楽しく努力したいなと思っています。

また、文章を書くときにいつも心がけていたいことがあります。それは、文章の展開としての美しさに酔いしれて、自分の心にも無いことを書き記すことはしないようにしようということ。12/27の日記を例にとれば「彼女を助ける気なんてさらさらなく悩みもしなかったのに、それでも反省し次回は必ず助けようなどと書き連ねてしまう」。そんなことをして何になるだろう。行動も心も、他人の目に触れる触れないの問題で捉えてみても、結局なんの本質にもたどりつけない。誰かが見ているから人に親切にしてみるとか、誰かが読んでいるから格好いいことを書いてみるとか、そんな繰り返しをしていても、本物の自分は一向に磨かれていかない。自分の中の真実をごまかすことなんて結局できないし、そもそも本来的な意義がない。逆に自分が自分を見失ってしまうだけ。私自身が真実であると思える気持ちを、たとえそれが醜いものであったとしても、直視して自分のそのさまを自分で認めていければ、それが今より素敵(まし?)な自分になっていくための近道になるのだろうなぁと思います。

■2001/12/29(sat) 文章を書くこと

12/27の日記を書いていて、はっとしました。文章を書くことで、私にとって「なりたい自分」がどんなものか、そのためにどんなことをすればよいかを明らかにしていくことができるのではないかなと感じました。書いていく過程で、自分の中に少しずつ道がみえてきて、あの時こうすれば!とか、私はこうしたい!といった気持ちが心の中で意識化されてゆくような感覚。文字とともに心に刻まれる反省を胸に、より磨かれた心で人に、社会に向き合っていける、それは私にとって人生的な幸いになるんじゃないかなぁと思いました。

これまで、人生的な価値をもって「~~したい」と思ったことはあまりないような気がするけれど(ちょっと大げさか?)、今、私は「文章を書きたい」ということを実感しています。それなしに生きていると「なんのために私は生きるんだろう」なんて考え事が頭を占領し出したとき、ただただ深みにはまりこんでしまうけれど、これからは文章がそんな自分を支えてくれそうな気がします。

12/27の日記、最初はその日出会った愛らしいおじいちゃんの話を言葉に残しておこうと思って手をつけただけだったのに、こんな人生的な発見を与えてくれた、この場所とおじいちゃんに心から感謝します。

今日の空は、いちだんと美しく遠くまで澄んでみえました。

■2001/12/27(thu) 「きもちわるい」人に出会ったら

日本中あちらこちらで忘年会が催されているようだけど、私の体にはほとんどアルコールが入っていない。今年参加した忘年会は会社のが1つと、前の会社の OBで集まったものが1つ、後者は仕事を23時半過ぎにやっとこさ切り上げ、最後の20分足らずどうにか顔を出せた。12月はかなり淡白に、お仕事とともに過ぎていった気がする。しかしながら、街や駅、帰宅途中の電車内では忘年会帰りの酔っ払いさんを多く見かける。私の中ではいつのまにか「夜気持ち悪がっている人=酔っ払い」と捉えていた、そんなある日に起こった出来事。

今日は少し早めに仕事をあがり、夜9時ぐらいには山手線に乗っていた。右の視界に入るは、気分が悪いのか眠いのか?下向き加減の女の子。うな垂れたような彼女のそばで、私もドアにぴとっとくっついてやや混雑した電車に揺られていた。

原宿駅に到着。こちら側のドアが開く。その瞬間、それまで鈍い動きを見せていた彼女が、目にもとまらぬ早業でスタートダッシュを決め、勢いよくホームに飛び出したかと思うと、「うぎゃっ・・・」もどしてしまった。私の視界には、乗り込んでくる乗客の向こうに、しゃがみこんでいる彼女の背中が見えた。ホームの人の群れは、彼女を振り返っては汚いものを見るような目つきで見下ろし、そのまま足早に通り過ぎていく。

そんな中、原宿から乗り込んできたおじいちゃん二人組。その彼女を電車から見下ろし「よぅ頑張った。偉いぞぉ。寸前までためておったんだねぇ。」なんてリアルに解説している。彼女には届いていないであろう声量だったことがなにより。しかし彼女の頑張りを褒め称えるこのおじいちゃん、なかなかの大物。その後に続くは「でも、わしらは電車に乗っていっちゃうもんねぇ。頑張ってねぇ。」・・・なかなかの小物。

しかし、私もこのおじいちゃんの発想の転換に感化され、「そうだ。彼女があと1秒我慢できなければ、確実に私に100%かかっていた。彼女よ、どうもありがとう。」と感謝の気持ちを抱く。と同時に、急いでどこかに向かっているでもなし、あとはおうちに帰るだけ、介抱しに降りようかとも思った。ただ、このときの私には、このシーズンの夜時間、彼女は忘年会で酔っぱらって気持ち悪いのだという勝手な大前提が掲げられていて、私が降りても背中をさするか、トイレに連れて行くぐらいのもの。酔っ払い経験豊富な私からしてみれば、気持ち悪い時は1人にして放っておいてほしいと思う。皆が皆そうでないにしても、いきなり見ず知らずの人が介抱してくれても逆にはた迷惑になりかねない。そう思って、そのまま電車に残ってしまった。

家に帰る頃はっとしたことは、原因はお酒かもしれないし、病気かもしれない。なんであれ、事実としてあるのは、彼女が具合が悪いということと当時1人でいたということ。それだけなのだということだった。そこで誰が助けになれるか、それはその辺の誰かなのであり、どちらかというと同姓の方がよかったのだろう。つまり、私はその1人であったということ。彼女が実際に助けを欲しているか、どういう助けがいるかは話してみないとわからない。でも、少なくとも彼女はその時大声で助けを求めることはできない状態だったはず。私は降りるべきだったんだ。そして何か手助けできることがないか、まずは彼女の側に行くべきだった。「何もしてくれるな」というなら、ベンチに腰掛けさせて、3分後にやってくる電車に乗り込めばよいだけだったのに。

当たり前と思うことが、よく考えないとできなくなっていることがある。次回はその場で決断が下せるよう、この反省を心に刻んでおこう。

ふと気づくと、これを書いているうちに自分がどうすべきだったのか、自分の答えが見えてきたような気がする。そして次どういう行動をとろうか答えを出して決意している。日常を振り返って反省したり、自分がどうあるべきか考える時間というのは、とても大切。私はこうやって言葉を残しているとき、そんな時間を得ているような気がする。

■2001/12/17(mon) トイレ閉じ込められ事件

一昨日ブクブクをしていたら、小学生の頃治療した歯の詰め物がぽてっととれてしまった。虫歯が潜んでいるであろうことを予期しつつも、放ってここ10年ほど近づかなかった歯医者さん。これを機に意を決し、歯医者さんに行ってきた。予想通り・・・。詰め物もこのために重い腰を上げて落っこちてくれたのではないかと思うほど、あちらこちちにざっくざく虫歯くんが発見され、年始まで歯医者通いになりそうな年の瀬の憂鬱。

まぁ、そこまでは良しとして。この日最後の患者だった私が無事治療を終え、ちょっと体調が悪かったので、歯医者さんを出たところにある同ビル内のお手洗いで休憩していた時のこと。

と・・・、およ。ぱちん、かちゃり。あれっ、えっ。皆さん仲良くおかえりで?辺りは一気に真っ暗に。といっても、まさか奥にトイレしかないドアにまで鍵があるとは思わなんだ。不気味な静けさにちょっとどきどきしながらも、暗闇の中落ち着いてトイレの入り口のところまでやってくると、擦りガラスのドアの向こうには「もう誰もいません」と言わんばかりの薄暗いクリニックの影。目の前には、なぜか、なぜか私の意に反して一向に開く気配を見せない頑丈な扉。うぅ、後ずさり。女性用トイレにも男性用トイレをちらっと覗いちゃっても窓1つない。歯医者さんがいっせいに帰ってしまったビルの1Fにひとりぽっち。このままここで朝を迎えるのかぇ。

「最近充電したのは1週間ぐらい前のことじゃったろかぁ…」と遠い記憶をたどりながら、4年前に20円で購入した切れる寸前であろうPHSをカバンから取り出し、暗闇の中恐る恐る覗き込んでみると、おぉ!ドアに「ぴとっ」とくっつく瞬間、電波の線が1本たつではないかっ!そのままドアにはりついて迷うことなく110。「すみません。トイレに閉じ込められました…」数十分後、無事おまわりさんに救出していただきました。なんともいえない表情のおまわりさんに、名前、住所、電話、生年月日を聞かれ素直に回答。この実に情けない出来事がなんらか公式な記録に残ると思うと、なかなか感慨深かった。

後日この一件を妹に話したところ、生きる勇気がわいてきたとのお言葉を頂く。「ドジは人を救うのだ!」ちなみに、友達に話すネタにも使ってくれるらしいのだけど、ここでの登場人物は「姉」ではなく「友人A」にすり替えられるらしい。なかなか賢いぞ、妹よ。

■2001/12/10(mon) 母とのランチ

今日はお昼時に母が私の勤務地までやってきたもので、一緒にランチをとりました。母は平日休みの仕事をしており、今日はお休みなのだそう。たわいのない話をしただけだけど、別れた後にとても切ない気持ちになって不思議だなぁと思いました。毎度のことだけど、母は久しぶりに会ってもまったく距離感がなくて、いつも心地よく私にフィットします。

別れ際、なんだかものすごく切なくなって、一緒におうちに帰りたくなりました。そんな顔、母の前では決して見せないけど、あぁ大切な人なんだなぁって感じる日常の中の1コマでした。

もう少しで年末年始のお休み。今年は実家で少しのんびりしようかなぁという気にもなる。と・・・毎年そんなことを思いつつ、結局一泊二日コースになっちゃったりする親不孝者なのだけど。今回はがんばって二泊三日に!千里の道も一歩からということで…。

■2001/11/11(sun) 父への甘え

今日は最近入籍した兄夫婦のおうちにお呼ばれ。お義姉さんお手製の素朴でおいしい夕食をごちそうになった。と同時に、一人暮らしの私には家族と久々の再会でもあった。

久しぶりにやってしまった父との討論。というより父から振られたネタに私が一方的に話し続け、父を理屈で攻め倒してしまうといったもの。罵声を浴びせてその場の雰囲気を壊すようなものではないけれど、淡々とコレをやってしまった後はきまって自己嫌悪に陥る。父からしょぼんとした顔で「久しぶりにおまえの理屈ぜめを聞いたな。」と言われ、(あっ、やっちゃった・・・)と気づく頃にはもう遅い。結局、(謝るのもまたちょっと違うだろう)と澄ました顔を保ちつつ、といって良い感じに話をまとめてフォローする心の余裕もなく…、父にこんな言葉で話の締めくくりを依存してしまうのは、やっぱりまだまだ父に甘えている証拠なのだと頭が下がる。

(自分で言うのはとんでもなくいやらしいけれど)普段は人に「癒し系」と評される私も、家族の前では結構ズケズケと物申してしまう。(癒し系というのは容姿に関係ないのだ)原因を考えてみるに、対家族となると変に配慮して言葉を選ぶのもどこかこっぱずかしいというのがあるのだろう。

今回の一件でいろいろと考えてみたけど、正直なところ、こういう事態に陥るのは「家族に対する絶対的な愛情」に起因しているのではなかろうか。今回でいうなら「久しぶりに会った父にどうにかエールを送りたい」、ただそれだけのことではなかったか。それが、この不器用な娘にかかると、気持ちが空回りしてこんな結末。なんらか熱い気持ちを心に潜ませつつポーカーフェイスで口を開くと、堤防が決壊するかのごとく一気に表現のコントロールができなくなって口が暴走する。私がこれだけ計算無しに饒舌に話すことも最近ではずいぶん珍しくなった。(話すべきなのに話す内容を整理しきれずに話さないでいて後悔することはしばしばあるけど…。)気づいた頃には、後で自己嫌悪に陥るぐらいしか気持ちの整理のしようがなくなっている。結局、私はなんとも腑に落ちないまま、ただ「自分の心無い言葉の攻撃によって父を傷つけた」という事実だけを背負ってトボトボ家路を歩くことになる。

なんだかんだ言っても、結果的にうまく伝えることができなかった私に努力すべき点があるのは明らかで、「家族に対する心遣い、来年の目標にしよう!」と、この年末も年中行事のようにそんなことを思うのである。

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