2020-01-16

似て非なる「スペシャリスト」と「プロフェッショナル」

「特定分野に専門性をもって働く人」という意味で共通イメージはあると思うのだけど、専門化の向かう先に実は大きな違いがある「スペシャリスト」と「プロフェッショナル」という話。

専門性を活かして働きたいという場合、スペシャリストの方では、この先なかなかつぶしがきかないのではないかと思い、2つの違いについてしたためてみることにした。

ちなみに、この分類はV.A.Thompson氏による「専門化の類型」らしい。私個人的には、この2つの方向性を見分ける分別さえつけば、その呼び名にさしたるこだわりはないので、「自分はここでいうプロフェッショナルの意味をもって、スペシャリストという言葉を使ってきたし、これからも使い続けていく!」という人は、それはそれで、そういうことで、斧をおいて穏やかな気持ちでおつきあいください。

大久保幸夫氏の著書(*1)によれば、スペシャリストとプロフェッショナルは混同されやすいけれども別物とのこと。頭の整理がてら起こしてみたのが、次のスライド(箇条書き以下、私の考えも混入している)。

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スペシャリストは、領域があらかじめ定義された仕事の一部を担当し、一定水準に達すると、その先の成長はスピードや正確さに限定される、一つの業務に精通する道。

対してプロフェッショナルというのは、専門性が高まるにつれ、自分で概念的な定義を加えながら自分の仕事や役割も上書きし、広がりや深みをつくりだして成長していく、終わりなき道。

と対比して2つ並べてみると、左方向のスペシャリスト的な専門化に向かうと、たいそう危ういなぁというふうに感じられる。

「一定水準の専門性をもって、一人前と呼ばれるようになりました。その後も、そのスピードや正確さを絶えず磨き上げてスキルアップしています」というだけの専門性では、その領域がなくなるや息の根が止まってしまう。

エリア固定というのが危ういのだ。地名がつくような領域は早晩、若者に取って代わられてしまうなり、自動化されて人間の仕事から取り上げられてしまう恐れがある。

地名がつくエリア=名前がつく職業ということは、それなりの労働市場があり、そこに今のところそれなりの人件費が割かれており、そこを無人化できたらコスト効率がいいなとか、その無人化を一極集中で預かるサービス作ったら一儲けできるなとか、誰かが思いついて実現しようと企むエリアだ。

その領域をカポッと、どこかのグローバルカンパニーに持っていかれたら、そこの労働市場は一気に沈没する。

そういう話じゃなくても、こういう変化の激しい時代には、今まで無法地帯だった領域に法整備が入って、今の仕事が数年以内に違法行為になるみたいなことも想定されるし、違法ならずともモラル違反になって実質まともな仕事でなくなることもある。人の価値観は変化するし、社会の常識も塗り替えられていくから、そういう意味でも、いつまでも市場ニーズが安定している仕事領域はない。

狭い専門領域に安住して、引っ越しを想定外にしていると、そこが消失したときに、にっちもさっちもいかなくなる。

ガラケーやFlashコンテンツの顛末、ネット広告の趨勢に思いを馳せつつ、思う。自分の役割・仕事領域を「私の専門はこれだ!」と絞り込んで固定してしまうのはリスキーである。

市場変化に応じて活動領域そのものを拡張したり軸足を移したりして、自分の役割・職域・職能を上書きし続ける人。エリア固定せず、上でいうプロフェッショナル方向に専門化の道を進む構えでないと、専門性を活かしたキャリア道は厳しそうである。

能力を階層的・複合的に構えて、表層が取られても足元は堅い、この範囲は奪われても隣りのエリアに活動拠点を移せるという職能を構築していくキャリアデザインが大事というか。

それはもう、勤め先に依存的ではなかなか難しくて、現実的には個人が生存戦略としてやらざるを得ないというか。そういうところを意識してクリエイティブ職のキャリア開発をサポートしていくのが自分の仕事なんだという心持ち。

*1: 大久保幸夫「キャリアデザイン入門[II]専門力編<第2版>」(日経文庫)

2020-01-13

さようなら、自己実現。自己はそこにない

仕事始めの1月6日、会社の勤怠管理システムから「リフレッシュ休暇が付与されました」という通知メールが届いた。私の勤め先は、勤続5年ごとに5日間のリフレッシュ休暇が付与される。

私はこれが3回目、つまり丸15年この会社に在籍していることになる。ということに、このメールで気づかされて、そっちのほうにびっくりした。この1月から勤続16年目に突入である。

20代に4回転職して、今の会社は5社目。ここに転職してきたときは、まだ20代後半だった。そこから30代まるまる、40代の今もって在籍中、たいそう長いことお世話になっている。

昨年10月に部署異動して、久々に自社の中核事業に仕えるようになったし、これまでとは意識を変えて…会社の事業展開にも寄与するかたちで社会貢献を自分なりにやっていけたらと思う新年。当たり前すぎるけど。

秋の異動では、2つの大きな転換があった。一つは、主な支援対象がクライアントではなく社内に向いたこと、自社やグループ会社の従業員、派遣スタッフになったこと。もう一つが、能力開発だけでなくキャリア開発の支援に、注力分野を広げて活動しだしたこと。これまでもゼロではなかったけれど、明らかに能力開発の方面に時間を割いていた。

というわけで秋口からは、キャリア関連の文献に目を通すことも増えたのだけど、年始に再読して目に止まったのが「自己実現」という考え方に関する言及(*1)。

「自己実現」って言葉は、「なぜ働くのか?」の選択肢に「自己実現のため」とあったりして、キャリアを語るときによく出てくる言葉だけれども、これは20世紀的で、とりわけ変化の激しい21世紀は「自己構築」にコンセプトを置き換えたほうがいいのではないかという話。

自己実現という考え方には、中核となる自己はすでに個人の中に存在するものであるという前提がある。しかし、21世紀においては(略)、基礎となる自己とは前もって存在するのではなく、自己を構築することが生涯のプロジェクトであるという考えへの置き換え

が必要ではないか、というメッセージ。

なんとなくよそから持ってきた言葉を借りて、自己実現のために仕事しているなんて軽々しく使ってしまいがちだけど、「自分は(努力もなしに)何かをあらかじめ持っている」感に懐疑心を向けてみるのは、なかなか健全な眼差しだなと思った。

私は、自己実現のために仕事するって思った記憶がなく、たぶんそういう志向性ではないのだけど…。ただ、近くに書かれていた、この一節には共鳴するところがあるし、いい考え方だなぁって思った。

自己とは一つのストーリーであり、自己を一連の特性によって定義される静的な実態とは捉えない

キャリアカウンセラーとして誰かの相談にのっているときにも、その人の話の中にストーリーを見出して、自分の解釈を話して聴かせてみることで、その人の活動の意味づけを一緒に検討する働きをしていることがわりにあって、なので、ストーリーっていう表し方は、なんかしっくり来るのだった。

と、そんなこんなで、今年も人から大いに学び、よく噛んでよく揉んで自分の内側を豊かに耕しつつ、人にも事にも素直に実直に向き合い、自分で考えられるかぎりを考え抜いて、伝えたい人に伝えたいことが伝わるように言葉を大切に表し、相手からのフィードバックを真正面からきちんと受け止めて、物ごとを前へ展開し、行けるところまで行ってみて、あとは野となれ山となれだ。頑張ろう。

*1: 編著者 渡辺三枝子「新版 キャリアの心理学[第2版]キャリア支援への発達的アプローチ」(ナカニシヤ出版)

2019-12-31

やわ心に触れ、腕まくる年末

10月の部署異動から年末にかけて、一気に社内の人たちの考えや思いが耳に入ってくるようになった。というか、今までが距離を置きすぎていたのだろう、いくらか人並みに近づいたということなんだろうけれども。

暮れも押し詰まるここ数週間は特に、ランチなり忘年会なり、社内のちょっとした隙間時間なりで、いろんな人と放談する機会をもった。人の苦悩に触れ、目のふちに必死にとどまる涙も見た。問題意識をともにする同僚から、それで今こういう取り組みをしているんだという話も聴いた。その時々で新たな発見があり、相手に気持ちを重ねた。自分に何かできないか、と心が揺さぶられた。

これまでは「クライアント・外部の講師・自分」という三者構造で、自分が手がけるクライアント社内の人材育成にどう貢献するかを考えている時間が圧倒的に長かったのだけど、10月を境にそうではなくなった。

うちの会社の、特に自分が所属する人材事業部門の社員、それを統括する上層部、映像・ゲーム・Web業界のクライアント、そこで働く派遣スタッフが目先のステークホルダーとなった。短・中期的な実務スキルアップではなく、中・長期的な仕事能力の開発と、自律的なキャリア形成のサポートをいかにすべきかが自分のテーマになった。

派遣ビジネスというのは、国から煙たがられているのはわかるけれども、そういうアゲンストの中でやる意味はあるのかないのか。政治がアゲンストだからというのですぐ意味がないと見立てるのも早計かもしれない。

派遣がそういう状況でも実際には数字が伸びているということは、その形態を選ぶ人にはその人たちのニーズがあるのかもしれない。それが正規社員を希望しているんだけれども叶わずの派遣という選択なら、正規社員化を推し進める支援が有効なのかもしれない。

一方で、派遣という形態にメリットを見出して本人が主体的に派遣を選んでいるのだとしたら、何をメリットに感じて選択しているのかを把握した上で、それを継続的に提供できる事業・サービスを、正規・非正規にとらわれず模索していく必要があるのかもしれない。

もうちょっと引いてみると、正規雇用にこだわる価値観は今後も大切にされる考え方なのかどうなのか、これについても懐疑的に評価し続けていかないと、と思う。個々人で望ましい答えが違うのは当然だけど、正規雇用こそが望ましいのか、現代の価値観の総意はどう変化していくのか。概念の表す中身も、それに対する人の評価も、時間とともに変わっていく。

私の中は「かもしれない」どまりのオンパレードだ。でも、たぶん私の役立てるところは、自分に有効な答えが出せるという過信をせずに、いろんな「かもしれない」を漂流させた状態で、皆で議論したり協力して調べる道筋づくりに寄与することじゃないかと、そんな気がしている。

「具体的で骨のある答えを導き出せそうな問いを立てること」「多様な人たちが有意義な情報・意見交換をできる場を構造だてて設えること」「集まった情報・意見を整理してストーリー化すること」「プロジェクトとしてゴール設定し、具体的な計画に展開して、進行・効果検証までサポートすること」、非力ながらそういう曖昧なところで働くのが、配役としては一番マッチするのではないかというのが現時点の見立て。

映像、ゲーム、Web、それぞれの業界を專門に手がける社内の営業メンバーや、2020年4月の派遣法改正にも精通する人事や法務專門の面々、長く人材派遣ビジネスに従事してきた彼らと力をあわせて、自分のこの、周囲にはよくわからないだろうけれども、自分にはなんとなく発揮どころがわかる曖昧な役割を果たしていくことができたらいいのかなと、そんなことを思っている。

そういう仕事の積み重ねが、関わる人たちの能力開発・キャリア形成にも意味ある活動に通じるように活動できれば、本質的な仕事になるなという淡い期待。

キャリア形成の主体が組織から個人へ変わり、否が応でも自律的に自分のキャリアを舵取りしていかないといけない時代だと言われる。若いときに身につけた専門技能、就職した会社、就いた職業で生涯やっていけない前提で、既成の境界線にしばられず越境し、キャリアの変幻自在性が求められる時代とも言われる。一つの山を決めて登りきるというより、ノンリニアなキャリア観のほうが現実的な時代になったと言われる。確かにな、と思う。そうした中で、どう本質的に人のキャリア形成のサポートに関われるのか、従来のやり方にダメ出ししてアップデートしていけるのか、模索は続く。

ただ、人のやわらかい心に触れて、腕まくりしたくなる感覚を覚えた年の暮れであるのは確か。ムキになる自分、よくしゃべる自分、古びた既成概念を叩き割りたくなる自分。思いつきでしゃべり過ぎて後で浅はかだった…と自己嫌悪する自分。なんかちょっと懐かしい感覚を覚えた。

来年はちょいと、自分の働き方とか、会社への向き合い方というのを模索してみようと思っている。それがどういう形になるかは手探りだけれども、手探りするというのは、なかなか創造的で面白いではないか、と。

こんな曖昧な文章に、ここまでおつきあいいただき恐縮です。来年も、あれやこれやよくわからない文章を書き連ねたりすることも多かろうと思いますが、2020年もおつきあいのほど、どうぞよろしくお願いします。どうぞ、よいお年をお迎えください。

2019-12-25

Web制作はいつの間にかチームスポーツに

「ルールを作りながらゲームをする時代」とは、よく言ったものだよなぁと思いつつ、誰が言ったんだっけな、よく言われているよな…?と不安になってGoogle検索してみたら、自分が2012年に書いたブログ記事が一番トップに出てきて、誰も言ってないってことが7年越しに発覚した…。

それでも、そういう前提でむりやり話を展開しちゃうと、ルールは新たに作られるだけでなく、ゲーム途中に変更が加わることもあるんだよなって最近思った。

Webデザイナー(便宜的に)をゲームのプレイヤーに見立てると、1990年代からこれまでの間のどこかで、個人スポーツからチームスポーツに、競技の根幹が変わっていったのかもなぁと(いや、全部が全部じゃない、同じ走るでもマラソンも駅伝もリレーもあるように、いろいろっちゃーいろいろなんだろうけれども)。

だから、もともと個人競技を志向して参入した古参の中には、時代が進むとともに肌に合わなくなっていった人もあるかもしれない。ずっとグラウンドに立ち続けているうちに自然とチームスポーツに順応できて楽しんでいる人もいるかもしれない。これから新たに参加してくる若者などは、最初からチームスポーツが好きで入ってくるのかもしれないなぁという、最近の、なんとなくな思いつき、思いこみ?推敲なしの呟きメモでした。

(文章はイメージです)

2019-12-19

「Web系キャリア探訪」第17回、「そうだ、向かうは個性化なのだ」

インタビュアを担当しているWeb担当者Forumの連載「Web系キャリア探訪」第17回が公開されました。今回は、日本印刷技術協会(JAGAT)やロフトワークの広報を経て起業されたオプンラボの小林利恵子さんを取材しました。

私は変人コレクター。複数の会社を経て「広報」を切り口に42歳で起業

取材の始まりに、同じ短大を卒業している先輩、専攻も同じ英文科であることがわかって、まずびっくり。'90年代に仕事でネットに関わりだし、セミナーなどの企画運営を手がけていた共通項もあって、自分のキャリアと重ね合わせるように話を聴き始めました。

が、話が進むごと、終始おだやかな語り口の中にも並々ならぬ底力を感じとり、ユニークな「変人」たちにも一目おかれる彼女の聡明さ、ビジョンをもって人を巻き込み形にしていくリーダーシップの手腕、事業家としての才覚など、自分と比べものにならない魅力をあびまくる取材となりました。

私も「変人リスペクト志向」で、変人と、未分化の変人予備軍を効果的にひきあわせて、変人化を促進する仕掛け・仕組み・学習の場を作る意識で仕事しているところがあるので、小林さんの活動には共鳴するところも多分にあって刺激的な取材でした。お時間あるときに、ぜひご一読いただければ幸いです。

私は、小林さんのいう「変人」を、「個性」とか「オタク性」といった言葉で表してきましたが、今回の取材は「そうだ、私の仕事は、ひとの個性化を支援する活動なのだ」という認識を新たにする機会ともなりました。私がクリエイティブ職のキャリア支援に仕えてきた二十何年の年月とは、そういうコンセプトのもとにあるもの。この軸、あらためて大事にしよう。

2019-12-17

知っていて損はない、自分の仕事観3選(仮)

能率的に自分の仕事観を探る問いってなんだろう、人のキャリアを支援するのに使える道具・有用な問いとは何なのか、逆にもはや時代感覚にそぐわず、ほころびを見せるキャリアデザイン論・不毛な問いとは何なのか、あれこれ思い巡らす日々。

仕事において、好きか嫌いか、得意か苦手か、前のめるか回避したがるかが人によって分かれる観点というのは、いろいろとあるだろう。自分のそれを知っておくことは、キャリア選択のときに一つの指針になる。自分の好み、適性、得意分野、テンション上がるものを選び、そうでないものを回避する選択をするには、自分にとってそれが何かを把握しておくのが話が早い。

でも、その観点って何なのさっていうので、知っていて損はないかなぁという観点を3つほど、ざっくり起こしてみた。それぞれの観点の分け方が妥当かどうかは、見た人がそれぞれ自分を実験台に検証いただきつつ、しっくりいかないところ、ブラッシュアップすべきところがあれば、ぜひフィードバックくださいという感じのたたき台、踏み台としてお取り扱いいただきたいのだけど。とりあえずネットの片隅に置いてみるところから。

1つ目は、自分が仕事において直接扱う対象は、「こと」」「もの」「ひと」のどれが良くて、どれは嫌か?これはけっこう「これが得意」「これを扱っていると没頭する」「これは苦手」「これよりは、こっちのほうが抵抗ない」とか、明確にもっている人が多そうだなと思う観点。この表の上ではかなりざっくり書いているけれど、1対1のカウンセリングではいろいろ個々人のイメージを紐解きながら話すのに使えそうな道具。

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2つ目は、どのフェーズで最も力を発揮するか。これもよく、ゼロからイチを生み出すのが好き・得意派と、イチをジュウに育てるのが好き・得意派に分けて語られるけど、試しに、くれぐれも試しに、「1を秩序立てて軌道にのせる」とか「10に起爆剤を与え100に躍進させる」とか「腰を据えて10を守り運用・改善し続ける」とかっていう分化がありうるのかしらと、いつかどこかで考えてみたりした。

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「腰を据えて10を守り運用・改善し続ける」なんて、やりたい人がいたとしても、早晩需要がなくなるでしょ、自動化・AI化されるでしょって話かもしれないけど、とりあえず入れてみたのは、ここってわりと、それ以外を志向する人たちから軽視されやすいのだけど、じゃあその人たちができるかっていうと飽きっぽくてできなかったりする。で、軽視もしているので、ここの人材確保が甘く、立ち上がったはいいものの運用フェーズからしばらくして最低最悪のサービスに成り下がってるケースって少なくないんじゃないかって気がしていて(私は、立ち上げ屋が去った後のすさんだサービス運営に遭遇した顧客体験が少なくない)。とすると、ここを実直にできる人って実は重要だったり、あるところには需要あったりするんじゃないかと思ったりもして、とりあえず仮に書き記してみた。

3つ目は、一人で仕事をするのが好きか、チームで仕事をするのが好みか。これもよく聞く問いで、わりと人によって分かれるかなと。自分はこれだと決めこんで束縛される必要はないけれど、自分の好みがあるなら認識しておいて、キャリア選択の場で必要なら判断材料の一つにするといいのかなと思う観点。

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以降は、キャリア支援に従事する、最近の心のうちメモ。

キャリアデザインって、考えれば考えただけ良いというものではなくて、どこかで割り切って、踏み出して、デザインから実行に移してみないことには何にもならない。

実践してみれば、自ずと新しい情報が自分に入ってくる。やってみたら、これはまさに自分のやりたいことだと思ったとか、意外とつまらなかったとか、全然別の景色が見えてきて、もっとこの分野を突きつめてみたいと思うようになったとか、やりたいかどうかは別として、とりあえず自分はこれが他の人より得意なようだとか、いろいろ気づきがある。より具体的な自分のキャリア選択の指針が見えてきたり、あるいは変化していったりする。

だから実践あってのキャリアデザインなのだけど、そういう実践を通じて得た気づきを材料に、節目節目でデザインするのは有用だろうとも思っている。「選択肢なんてない」と思いこんでいる人が、キャリアデザインの時間・視点・メソッドをもつことで、選択に幅が出る、自分の志向を肯定できる、開放的に考えられるようになる、自分の納得いく答えを見いだせるようになるというやりとりの経験はあるので、有用性はあると思ってキャリア支援に従事している。

有用なキャリア支援をしたいし、不毛な支援はしたくない。「こういうやり方がある」「そうやるべきと言われている」と、一般的なキャリアデザイン手法をもちだして、ただ盲目的に支援活動をしたくはない。

そうするためには、自分が身につけた従来のキャリアデザイン論に懐疑的な目を向け続けないといけない。実際どう役立つのか自分なりに問いをたてて検討し続け、いろんな人とその問いを共有して良いアプローチを模索し続け、アップデートし続けていかないと、たいそう危うい。

私がキャリア支援の対象とするのは、インターネット前提のビジネス環境で、どんどん従来のやり方を塗り替えていっている人たちだ。その人たちに、通りいっぺんの従来のキャリアデザイン論を伝授して仕事した気になるのは、すごく危ういし、不毛だし、無責任だという思いが、ここ最近強まっている(ここ最近かよ…って感じだけれども)。

例えば、「プロフェッショナルになるためのキャリアパス」としては、一つ山を決めて、それを人生かけて登っていくようなものという言われ方をするけれども、現代の時代背景で、どれほどそれが有用な教えとなるのだろうかとか、それを手本として生きていった場合にむしろマイナスを被ることはないだろうかとかを考えると危うい。登っている間に山崩れを起こしたり噴火したり、山自体がどうなるかわからないご時世って考えると、そう簡単に「山登り」でキャリアを語れない気分になる。

あるいは、「山」を何と見立てるかも、昔なら「寿司職人」とか「○○会社でトップに上り詰める」とかの固定的・安定的な共通イメージをもちやすかったのかもしれないけれど、今だと「登る山」をどういうものでイメージするかが人によっていろいろなんじゃないかって気もする。

インターネット界隈の職種なんて、今メジャーな職種名だって先々何年もつかわからないし、たとえ同じ職種名でも、それが表す役割・求められる職能・関わる人・使う道具がどんどん差し替わっていく時代に、何をもって「一つの山」と規定できるものか、とも思う。

そんな状況で「人生で登る山を一つ決める」って、なんか間違っていることを無責任に言っている気がして。ものの本にはそう書いてあるものの、口に出すのが躊躇われた。ここで躊躇いを覚えて、立ち止まり、見直していくのが、実務家として自分が現場でやるべき仕事じゃないかと思ったのだ。

もちろん、自分の中でアップデート版が完成できるわけじゃない。そのたたき台を作るのだって難しいだろうと思う。だとしても、従来の考え方を自分なりに咀嚼して、それに自分なりの見直しを入れられるなら入れてみて、みんなの異論反論オブジェクションを正面から聴いて、自分なりに反映してみて、アップデートを試みることは何かしらで、できるかもしれない。

それができないとしても少なくとも、従来版のメソッドを共有するとき、「こういうものです」「こういうふうに考えましょう」とただ提示するのではなくて、「こういう考え方があるんだけど、どう思います?」「こういう反論ももらったんだけど、どう思います?」「私は、ここはこうアップデートしてみたらどうかと思っているんですけど、どう思います?」と、一緒に考えるネタとして提示することは、できるかなと思ったりしている。

それはそれで、責任逃れしているだけにならないように注意しなきゃいけないけれど、きちんとその人に利があるように情報提供したり一緒に考えを整理する場をもてるよう、キャリア支援の現場に立てたらなぁと思う今日この頃。そんなわけで、上述のような事柄も、ちょっと整理してはシェアして、あちらこちらお知り合いなどに意見をもらい、いろんな見解から自分の見方をブラッシュアップしていけたらと思っている次第。

2019-12-14

「生涯発達の6つのモデル」にみる人生観の六変化

最近、人のキャリア形成に関する本をいくつか読み返していた中で手にとった1冊*に、やまだようこさんの「生涯発達の6つのモデル」(下の表)が紹介されていて、6つのイメージの違いに興味をひかれた。これって「人生観」の移り変わりみたいだなぁと、勝手に読みかえて味わってしまった。

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人の「発達」っていうと、子どもから大人になるまでの成長過程にフォーカスする(成長モデル)のが従来の見方だったけれども、人生100年時代それじゃあ、あんまりさびしかろうと。

成人して以降の変化も「発達」の枠に入れて解釈してみようよ、「人間は生涯を通して進歩、成長しつづける」っていうふうに考えようよって見方(熟達モデル)が出てきた。

そうすると、いやいや″何でも″成長っていうのはさすがに無理があるでしょ。ある機能は年齢とともに確かに衰退するんだけれども、一方で発達しつづける機能もある、そういうふうに分けて考えるのが適当では?という冷静な見方(成熟モデル)が出てくる。

すると、もういくらか引いてみて、いや何事も、ある観点からみればプラスであり、別の観点からみればマイナスっていうことなんじゃないの?という、ひとつの機能でも観方次第で発達とも衰退とも読み取れるんじゃない?って見方(両行モデル)も出てきた。

それとは別に、上がるとか下がるとか、発達するとかしないとかじゃなくて、ただ年齢を重ねていろんな出来事を経験する中で、現実的な変化を体験していくプロセスが人生ってやつなんじゃないの?みたいな見方(過程モデル)もあれば。

人生を通じて循環・回帰していく、最終的には無に帰すように時間軸をとらえる見方(円環モデル)もあろうなと。

本の中では、ものの見方のモデルパターンとして6つ紹介があっただけなので、「〜という見方が出てきた」というのは私が勝手に読みながら、そういう分化をたどったのかなぁと妄想した話にすぎないのだけど、いかにも人間の頭が作り出しそうなモデルパターンの分化プロセスではないか!と勝手に納得。

二十歳やそこらで後は衰退の一途をたどるっていうのはむなしいので、もっと長尺に発達する意味を与えるようになり、ポジティブな意味にこだわるようになり、意味を複雑に解釈するようになり、そこからもう少し死を間近に意識する老年になると、意味を問うこと・こだわることから解放されたくなり、無に帰するように導かれていく、と。人間、そういうの考えそう!という。

自分のことでいうと、おとなになる過程で解釈に多様性を求めだし、多様な解釈の中からよりポジティブな解釈を採用しようとし、もう一歩複雑に考えようとも試み、成長→熟達→成熟→両行モデルをたどってきた感じがする。さらに歳を重ねると、過程とか円環モデルに移行していくのかもしれない。その感覚もわからなくもないというか、そう遠くないところにある感じはする。

そう考えると、一人ひとりの中に、6つのモデルどれも多少なりとは感覚するところがあるのかなとも思う。歳を重ねながら、しっくりいくメインどころが移り変わっていくような。一方で、人によってしっくりくるモデルもあれば、そうでないモデルもあるというものなのかもしれないなぁとも思う。人生観の話、人間観の話、何について話しているのかもよくわからないけれど、思っちゃったんだからしょうがない、ということでメモ書きしておく。

*岡田昌毅「働くひとの心理学―働くこと、キャリアを発達させること、そして生涯発達すること」(ナカニシヤ出版)P76

2019-12-06

「Web系キャリア探訪」第16回、慢心に転じない謙虚な自信家

インタビュアを担当しているWeb担当者Forumの連載「Web系キャリア探訪」第16回が公開されました。今回は、SIer、SEO会社、求人メディアを経て、2017年にテレビ東京コミュニケーションズに入社、テレビ業界で活躍する明坂真太郎さんを取材しました。

20代は「自分のために」人の倍働くハードモード。30代は「人を幸せにするために」が働く理由

明坂さんが主体的にネットを使うようになったのは中学時代だそう。子どもの頃から、年齢・世代の分け隔てなく自分がコミュニケーションする世界を広げてこられた明坂さんのキャリアは、インターネットの本質的なパワーに下支えされているようにも感じられました。

実務の現場で活躍し続ける方というのは、特定分野における高い専門性もさることながら、複数の領域をまたにかけるバランス感覚&そのバランスの中でコトを生み出す推進力がすごいですよね。

確かな経験を積み重ねて、健全な自信を備えて、それを活かして活動しているのだけど、自信が慢心に転じることがないというか、おごった所までは決して振り切らないでいられる謙虚さを兼ね備えたバランス感覚を感じます。

自分と領域が異なる專門性をもった人たちの仕事に敬意をもって、そういう人たちと相乗効果があがる関わり方を模索して、お互いを活かしあったらもっと面白いことができるという眼差しで熱心に事にあたるから、どんどん人間関係も広がっていくし、深まっていくし、人間関係だけでなく自分の専門性も新しい領域へと広がり深まっていく。そういう好循環のおおもとには、こういう素直な眼差し、バランスのとれた健全な心持ちというのがあるんだろうなぁと、そんなことを思いました(いまいち表現しきれていない…)。

村上春樹のエッセイに「健康な自信と、不健康な慢心を隔てる壁はとても薄い」という一節があるのですが、こういうバランス感覚に長けた人に出会うたび、思い出されます。お時間あるときに、ぜひご一読いただければ幸いです。

2019-11-17

人のキャリア開発に関わる心構え

9月末にここにも書いたけれど、この10月から部署異動してキャリア開発グループに所属している。

これまでと大きく変わったことの一つは、支援対象が社外のクライアントではなく、社内のスタッフになったこと。

社内といっても、私の勤め先はクリエイティブ職の人材派遣業を営んでいるので、支援対象にはまず派遣先に就業しているクリエイティブ職スタッフが挙げられる。これに加えて、うちの会社に正規雇用されている、いわゆる従業員も対象だ。

中にもクリエイティブ職はいるし、広げれば傘下グループの映像関連各社の人材開発面のサポートも視野には入れているので、見据える対象は広範に及ぶけれど、当面はまず、クリエイティブ職の派遣スタッフと、同じ事業部内の営業職やバックオフィスのメンバーをサポートしていく感じ。

さて、もう一つ大きく変わったのが、これまでは能力開発メインだったのが、キャリア開発にも軸足をおくようになったこと。

長いこと、私はクリエイティブ職の実務研修を扱ってきた。今後も社内向けには、現場の実務能力を向上させる育成施策を(研修に限らず)扱っていくつもりだけど。派遣スタッフ向けの私の役どころは、彼・彼女らクリエイティブ職のキャリア形成をどうサポートしていくかがメインテーマになる。

もともとキャリアカウンセラーとして、キャリア開発支援の一環として、当面は実務能力の開発に力点をおいて仕事に従事するという構えで個人的にはやってきたつもりなので、広い意味での軸足に変更はないのだけど、活動領域を広げるタイミングなのか、いよいよキャリア開発ど真ん中に、本業で取り組むことになった。

とはいえ、能力開発のほうから遠のくのか?と自問してみると、そんな気はさらさらないという自答が返ってきたので、どちらも自分の専門としつつ、これまで1〜2割だったキャリア開発を5〜6割に引き上げて取り組んでいく感じだろうと、これを書きながら思い至る。

この週末も、これまで他部署の管轄で準備してきて、今後は自分が引き継ぐ前提の派遣スタッフ向けキャリアセミナーの本番に出向き、後ろで様子をみながら、いろいろ考えた。

人のキャリア開発に真正面から従事することについては、気の引き締まる思いを募らせている。

「能力」というのは、高いとか低いとかの評価が伴う概念だ。何か特定分野を掲げて、この人の遂行能力は秀でているとか、この人の能力は低くて要件に満たないとか、基準に対する優劣評価を成しうるのが能力である。

ゆえに能力開発というのは、基本的に「上を目指して、現在地からアップしよう」という方針や方向性が常識的に定まっている。時に、何かを学ぶために何かをunlearningすべき事案はあるけれども、それも何か新しい能力を獲得、向上、ひいてはうまく統合する一環である。

けれども、「キャリア」はそうじゃない。能力と地続きにつながっているようにも見える概念なので気をつけなきゃいけないけれど、キャリアというのは人の生き方の問題で、他人がいいだの悪いだの、縦軸で優劣をつけて評価が成り立つ概念じゃない。少なくともキャリア支援の専門家としては、そんな考え方、職業倫理上あってはならないと思っている。

ゆえに、皆に共通の「こうすべき」がある世界でもない。一方で、キャリア支援の専門家として活動していくからこそ、そこの落とし穴に堕してしまいやすい危機感も強く抱いている。

例えば、キャリアとはどういうものかを理論をひいて説明する、キャリアについてこういう考え方があると解説する、といったことを人前に立って講義なんぞしていると、何か自分が尊い教えを提唱して説法でもしているかのような勘違いを引き起こしやすい。「〜すべき」という盲信も育ちやすい。そうならない自制力は、キャリア支援の専門家に欠かせないスキルだと私は思う。

人に生き方を指南できるような何者でもないのに、なんだかしゃべっているうちに、そんな気分に飲み込まれそうになってしまうのを防ぐためには、心構えだけでなく、常に自分に懐疑的な目を向けてチェック機能を働かせるスキルをもって対処せねば、すごく危うい。

さらに、キャリアには「採用市場性」という側面があって、ここには高い低いという評価が伴いうるのが、ややこしいところ。高学歴だったり、誰もが知る大手企業に新卒で入社して経験を積んでいると「市場性が高いキャリア」と評価されるなどは実際にある。

けれど、キャリアの価値は採用市場性だけで語られるものでは決してない。何をおいても、本人にとっての納得感や充実感が優先される概念だ。こうした「ややこしさ」をしっかり分別して扱えることも、人のキャリア支援に仕える実務家として大事なポイントだと思う。

自分が何者であって、どんな支援はできるが、何はできないか。どんな支援はすべきで、どんな行為は愚かしいものか。常に自分の心の中も、人に向かう行為や言動・アウトプットも自己チェックして、本当に意味がある、相手に有用で本質的な働きかけを吟味してやっていきたい。

もしかしたら、キャリア開発の業界に行き渡っているキャリア形成の概論的知識が、今の時代には古びたものになっていて、それを手放しに人に伝えて活かしてもらおうとする試みは、かえって人のキャリア形成の足を引っ張ることになってしまうかもしれない。

今、自分の脳の中にインプットされている固まった理論的知識に甘んじることなく、今の時代をよく見て、自分の目の前で関わる人をよく観察して、自分なりのキャリア支援をしていきたい。自分に取りこんだ知識を盲信せず、感受性や洞察力をもって自分のやるべきこと・とどまるべきことを整理しながらアウトプットしていかないと、と思う。それがキャリアの研究者でなく、各々の現場でキャリア支援の実務者がすべき仕事だ。

そうした自分なりのアウトプットには、至らぬ点が含まれてしまうリスクもある。けれど、著名な教授の提唱する理論だって、そうした巨人の肩の上に乗って私が現場で考えたことのアウトプットだって、誰にも万能に働くツールじゃないのは同じこと。最終的には本人が自分に引き寄せて、自分のいいように道具として採用したり、しなかったり、加工して応用したりしないとどうにも役立たない。そこのサポートを身近でできるのが実務家の仕事だ。

そう割り切って、自分のアウトプットに対して返してくれるフィードバックを正面から受け止めて、よく噛み砕いて、自分のできるところから改めていって、柔軟に現場で役立つ仕事を磨いていけたらと思う。

自分の身の丈では、この構えで丁寧にやっていくことだけが、どうにかキャリア開発の従事者として真っ当に人の役に立っていける肝になるんじゃないかと、そんなふうに思っている。

キャリアについてなんて、自分で考えるもの。へたに他人が手を出すものじゃない。というゼロベースから、でもどんなことだったら、こちらから伝えて、知識をもつことが有意義に働くか。どんなことだったら、他人から問うて、考えてみてもらう時間が意味をもちそうか。どんな問いかけをしたら、その人のキャリアデザインを能率化したり、自分の現在地や目指す先の視界をクリアにする助けになるか。そういうことを丁寧に考えて、まずはできるだけ短時間に濃縮させたワークショップをリデザインしてみたいと思う。

2019-11-11

[共有]プロフェッショナルへのキャリアパス5段階

何らかのプロを目指す方が、自分のキャリア開発上の現在地を確認し、これまでの道のりを振り返って、今後すべきことを一歩踏み込んで検討するための補助ツールを作ってみました。

プロフェッショナルへのキャリアパス 5段階

使い方としては、リンク先のシートをダウンロードして、大きなA3紙で出力。自分が該当すると思う項目を□→■に塗りつぶして、現在地を把握する感じ。

リクルートワークス研究所所長の大久保幸夫さんの「キャリアデザイン入門[II]専門力編」*を読んでいたら、自分なりに整理したくなって、表にまとめつつ、自分なりの考えも盛り込んで肉づけてあったりする代物です。

5段階の
1.仮決め/見習い
2.腹決め/独り立ち
3.安定/活躍
4.開花/個性化
5.円熟/無心
は、この著作で紹介されている体系のまま。各段階の解説は踏襲しつつ整理してみました。

5つの段階ごとに、こういう「スタート地点」から始まって、こういう「活動・経験」をして、こういう「到達点・収穫」があるけれど、こういう「未成熟な部分」が残っているステージだよねっていうのを言葉に起こしています。

その下に、各段階の「キャリアデザイン上、大事にすべきこと」をちょこっとメモしました。

あくまでたたき台ですけれど、何もない状態で自問自答するより考えやすいねってことで、ご自身の考えを深めたり広げたりするのに、自由にお役立ていただければ幸いです。

また、部下との面談や、仕事仲間とキャリア話をちょっと掘り下げて話しこみたい夜とかにも使いものになったら嬉しいかぎりです。

*大久保幸夫「キャリアデザイン入門[II]専門力編 第2版」(日経文庫)

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