2020-06-15

説明されるべきものではなく、呑み込まれるべきもの

最近は、わりと多くの時間を小説を読むことにあてている。村上春樹は「騎士団長殺し」「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を立て続けに読んだのだけど、後者→前者の順で書かれたものらしく、多崎つくるのほうが小説としては荒削りな感じがある。だけど、そのぶんメッセージが直截に語られている感じもあって、両者の行き来が豊かな読書体験をもたらした。

小説や音楽や絵画といったものが、どんなふうに私たちに働きかけているものなのか、私たちはそれにどう向き合うべきなのか、改めて感じ入った。それは、「騎士団長殺し」の中の一節で、騎士団長がはっきり言葉にあらわしてくれている。

なぜならその本質は寓意にあり、比喩にあるからだ。寓意や比喩は言葉で説明されるべきものではない。呑み込まれるべきものだ

騎士団長、かっこいい(し、かわいい!)。この小説の中では、別のところにも「呑み込む」という表現が出てくる。

真実とはすなはち表象のことであり、表象とはすなはち真実のことだ。そこにある表象をそのままぐいと呑み込んでしまうのがいちばんなのだ。そこには理屈も事実も、豚のへそもアリの金玉も、なんにもあらない。人がそれ以外の方法を用いて理解の道を辿ろうとするのは、あたかも水にザルを浮かべんとするようなものだ

自分が生業としている「学習の設計」にも思い馳せるところあり、表象をそのままぐいと呑み込むというのが、結局のところ一番能率的な「理解の道」ではないかなって思ったりもするのだった。

「呑み込む」という表現は、「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」にも出てくる。

不思議な話を、不思議な話としてそのまますっぽり呑み込んだのだと思います

これを発展させたのが、騎士団長のセリフなのかなぁとも思ったりして、2つの作品を立て続けに読む味わい深さも堪能した。

色彩を欠いているという無個性の自覚が根をはっている自分には、多崎つくるの思うところに共感するところ多く、そういう中でも他者に嫉妬することなく、穏やかに暮らせている理由も、たぶんに言葉に起こされていて、こっちの小説も、なんというか、自己肯定感が高まるというか、自分の幸いを再認識させられ、改めて今に感謝したりした。

読者に多くの考えごとを、さまざまな観点で呼び起こす力をもつ小説、やっぱりすごいなぁ。

2020-05-28

「Web系キャリア探訪」第21回、事例からの学び方

インタビュアを担当しているWeb担当者Forumの連載「Web系キャリア探訪」第21回が公開されました。今回はマネックス証券で、ロボットアドバイザーなど個人投資家の支援ツールを開発しているマネックス・ラボ長、斎藤翔太さんを取材しました。

マネックス・ラボを率いる若手マネージャー。テレワーク時代の新しいマネージャーの役割を模索中

新卒で入社した証券会社を1年で退職し、勃興するソーシャルゲーム業界へ転職、3社目のマネックス証券でラボを率いる32歳。

最後の編集後記(二人の帰り道)にも書いたのですが、「それぞれのお客さんに合ったものを個別最適で提供したいという斎藤さんの思いを形にする上で、インターネットというフィールドは非常に相性がよかったのだろうなぁ」という印象が強く残りました。

また「外から日常的にどう学びを得るか」という観点で、ぜひ共有したいと思ったのは、次のくだり。

ゲームに限らず世の中に出ている他のサービスは、「なぜこういう仕組みになっているのか」、「なぜこの機能が追加されたのか」を、自分で仮説を立てて考えることをしていました

「換骨奪胎」みたいな感じで、他社事例から学ぶときって、何のエッセンスを取り出して、何は捨て去って、自分の手元でそれをどう咀嚼して取り入れるのかしっかり見定めて応用プロセスをデザインしていくことが必要不可欠、そのままスライドするように持ってきてもうまくいかないし血肉にもならない。

そう言われりゃ、そんなの当たり前ってたいていの人が思うわけだけど、そうした一手間かかる外部からのインプットをどれだけ当たり前のこととして習慣的にやり続けられるか、そして本質的にやり遂げられるかというのが至難の業な気がします。

今ものすごいお気に入りで読んでいるのが、村上春樹の「騎士団長殺し」なんですが、その上巻「第1部 顕れるイデア編」の中に、ちょっと重なるシーンがあります。

洋画を専門とする絵かきの主人公が、著名な日本画家が描いた絵を見ながら、そこに描かれた人物を自分の筆致でデッサンするシーンがあるのです。5人の人物、一人ひとりの表情を精密に読みとって描いていくのだけど、そこのくだりがなかなかの読みごたえ。

「日本画はもともと線が中心になっている絵画」で、「その表現法は立体性より平面性に傾いている」、「リアリティーよりも象徴性や記号性が重視される」と。

そのような視線で描かれた画面を、そのままいわゆる「洋画」の語法に移し替えるのは本来的に無理がある

と主人公。それでも何度かの試行錯誤の末に、それなりにうまくこなせるようになったというのだけど、そのためにはどういうプロセスが必要なのか。

そのような作業には「換骨奪胎」とまではいかずとも、自分なりに画面を解釈し「翻訳」することが必要とされるし、そのためには原画の中にある意図をまず把握しなくてはならない。言い換えるなら、私はーーあくまで多かれ少なかれではあるけれどーー雨田具彦という画家の視点を、あるいは人間のあり方を理解しなくてはならない。比喩的に言うなら、彼の履いている靴に自分の足を入れてみる必要がある。

「他社事例に学ぶ」みたいなシチュエーションにも同じようなことが言えて、つまり相当に綿密な、この丁寧なプロセスを踏んでこそ、よその事例から学び得るんだろうなって思うのです。日本画はこうなのに対して、洋画はこうっていうのをしっかり意識した上で、実際に手を動かして洋画としてその人物を成立させる試行錯誤が必要なのと同じように、よその事例はどうなのに対して、自分とこはこうであるっていうのをしっかり整理つけて、何をどう取り入れていくのか見定め、自分とこに有用な形にリデザインする。

こういう学び取り方を修練しないと、よその事例に学ぶことはできないし、逆にいえば、こういう学び方を修練すると、あらゆる外の事柄が学習教材になるとも言える。そんなことを、インタビューと小説とを重ね合わせながら、じんわり考えました。

話を今回のインタビューに戻して…、「入社したときは、ロボットアドバイザーやツールのアドバイス通りに購入して頂ければいいというサービスだとイメージしていたのですが、それだけではうまくいかない〜」というのも、すごくいい転職をしたってことだなぁと勝手に思いながら、お話を伺っていました。

「お客さん」と一括りにみていた像が、入社後に洞察を深めていく中で、もっとずっと多様な像として見えてきた。それによって、入社時点で思い描いていたより一層掘りがいのある、広がりのあるサービス開発に従事する可能性を帯びていったわけですよね。

ただ役立つツールを一方向に磨き上げて優秀な頭脳を提供していくって追求の仕方ではなくて、多様なユーザー像を視野におさめながら、彼・彼女たちの伴走者としてどう長く有効に関わっていけるのかを探求・模索していく、そういう仕事との巡り合いによって、斎藤さんがさらにパワーアップして、創造的に、楽しく仕事に励んでいるように感じられて、画面ごしながら素敵なインタビュー時間を過ごすことができました。

自分を1市民としてみても、提供されるサービス単体の価値だけではなくて、こういう「中の人」がいる企業と長くつきあっていきたいという感覚が、ここ10年くらいで高まっていっているように感じています。というわけで、ぜひ一息入れたいときなどに、上のリンクからインタビュー記事をご一読いただければ嬉しいです。

2020-05-20

[共有]コロナ禍における企業の人材育成(WebSigモデレーターMTG拡張版)

昨晩は「WebSigモデレーターミーティング拡張版」なる、オンラインライブ配信のトークセッションにゲスト出演させていただきました。

先週お声がけいただいて、テーマは「ゲストが最近興味をもっているトピックス」ということだったので、じゃあ2部構成にして、私から最初「コロナ禍における企業の人材育成」の話を少しさせてもらって、その後みんなで「Webクリエイティブ職のマネジメント・評価」あたりに話を広げ、コロナ禍・リモートワーク下で、それぞれがどんな感じで会社やチームをマネジメントしているかとか、どんな課題に直面しているかとか、もう少し先の人のマネジメントスタイルがどう塗り替えられていくかみたいな未来像を聴かせてもらえたら面白いかなぁと思って、ネタ振り役的に参戦してみました。

内容は、今からでもアーカイブ動画を視聴できます。私のショートプレゼン(といっても30分くらいしゃべりましたが…)の内容は、スライドだけでささっとご覧いただくこともできるので、Webクリエイティブ職界隈の人のマネジメントにご関心ある方は、お時間のあるときに見てみていただければ幸いです。

アーカイブ動画(YouTube)

スライド(Slideshare)

私は、オンライン公開セッションぽいのに家から参加して話し手を務めるって初めての体験だったのですが、「緊張しているのに家にいる。家にいるのに緊張している」という感覚は、これまでに経験がない不思議な感じがしました。今、就・転職活動でWeb面接とか受けている方も、これに近い感覚を覚えているのかも。

やっぱり格好は整えておくべきで、「下はパジャマ」とかだとテンションが定まらないので、全身、普通に表に出ていく格好にしたほうがいいよなぁって改めて思いました、はい。実際、普段からパジャマは寝るときだけにしているのですが。

ともあれ、そんな感覚を味わっていられるのも本番始まったところくらいまでで、始まってしまえば、あとはせっかくいただいた機会、少しでも何か考える踏み台なり、選択肢を広げる情報なりを提供できればということで、事前に整理しておいたことを頑張って話すに尽きるのでした。

本編でも言い訳してしまいましたが、私は自分のうち側から出てくることって本当にオーソドックスなことばかりの人間なので、別段すばらしくハッとすることを言えるわけじゃないんですが、人というのは何か目の前に提示されると、それをきっかけにいろいろ考え始められたりもするものなので、皆さんの中で何か新しい考えなり選択肢なりを生み出す踏み台になれたら、これは大変うれしいことです。そう他力本願にかんがえると、腹をくくって人前でもしゃべれるもの。

今回は、私が1部で話した「同期・非同期」という言葉を、2部で皆さんがけっこう使って話してくださっていたので、それを静かに喜んでいました。踏み台として一定の機能を果たしたんじゃないか!と、そういうところで地味にひっそり自己満足しています。

2部では、リモートワーク下で社内のコミュニケーション空間をどう確保していくかとか、スタッフが困っていたり業務が滞っていたりするのをどう発見してケアしていけるものかとか、社内はわりと改善重ねてうまくまわるようになったけれどもクライアントとのコミュニケーションは相手があることなので、まだまだ…とか、そのための仕組みとか取り組みとかに話が及びました。

社内コミュニケーション的なところの話を聴いていて思ったのは、「せっかく作った仕組みなんだから、みんな使って!参加して!必ずやって!」と、全部の仕組みに全員を巻き込んでいくんじゃなくて、誰かがどれかを使って、あるいはたとえ新たな仕組みをどれも使わない人がいても、それぞれが、うまく会社と、上司と、同僚と、得意先と、取引先とコミュニケーションをとりながら、支障なく、良い形で仕事に取り組めているなら、それを各々のやり方として良しとする。そういう組織運営が、今後は多様性を受けいれた本質的で合理的なまわし方ってことで発展していくのかなぁという、なんとなくそんなことです。

世の中のサービスは、インフラやプラットフォームの進化に引っ張られる形で、どんどんパーソナライズされていっている。人は、よりパーソライズされた仕事空間や生活空間を求めていく。人も組織も、きっと多様な価値観を体現して、いろんな個性が表出してくる。人も組織も「一般的にこう」という画一性から解放されて、「うちは出勤するのが基本」「うちはリモートが基本」といろいろ出てきて、個々人も自分にあった組織を選んでいく。だから組織は、そういう個性を求人情報なり何なりを通じて表明していくことが大事になるし、人は自分がどういうところで働くと快・不快かをもっと自覚するようになって、そういう観点で会社選びする意識も高まっていくんだろうというような。

一方で、まだまだそういう人の多様性を受け入れるマネージャーの度量、同僚の度量、部下の度量、組織の度量、社外の人・社会の度量みたいなのは技術に対してふつりあいで、技術進化のようなスピードでは人の価値観は変容を遂げないから、これから少なく見積もっても何十年か100年単位かで徐々に変化していくってことなのかなぁとも思いました。もちろん、どんどんそういう組織、働き方、体現する人たちは出てくるのでしょうし、今もたくさんいらっしゃるのでしょうけれど。

表層的な仕組みだけ充実させていって中身の人が変わらないと、画一的に全員に参加を求め、可視化しなくていいものを可視化して掘り下げ、人のモチベーションを下げ、人を傷つけ、後に何も残らない改革すら起こしかねないことも危惧されます。私はその「人の多様性を尊重する部分」を損なわいように注視して、大事に大事にしながら変わっていけるように、この創造期、みんなと一緒に仕事していけたらなぁなんて思いました。

この辺、なかなか考えたことを言葉に表すのが難しいのですが、お時間ある方は2部のほうの皆さんのお話もあわせて、ぜひ「ながら観」とかでも、してみていただければと思います。

終わった後は、「大丈夫だったですかね!!!」という不安感に襲われていたのですが、ひと通り観てくれていた人が直後に連絡をくれて「問題なかった」という回答だったので、そのまま安眠に至りました…。朝振り返ってみると、「大丈夫だったか」「問題なかった」という、かなり最低限きわまった感じのやりとりで安眠に至れた自分にびっくりしてしまいましたが、まぁとりあえず問題なかったのだということで。刺激的な機会をいただき、本当にありがとうございました。

2020-05-14

[共有]IAワークショップ ー「新しい生活様式」の代替案を考える

身近で自分ごとの最近の話題を用いて課題にあたると、学習効果が高いことがわかっています。コロナ禍では、これを題材にIAについて課題を検討し、代替案を練ってみるのもよいでしょう。ということで、IAワークショップのネタ提供です。

IAワークショップ ー「新しい生活様式」の代替案を考える

どうも日々暮らしていると、これでひとネタ作ってみたいという職業病をもちだした。「使えるかどうかは受け手に判断を委ねる」というちょっとした迷惑行為かもしれないが…、自分のワークショップ設計の筋トレとしては良いことな気もする。使いものになりそうだったら、部分的にでも使っていただけたら嬉しいかぎりです。

2020-05-07

AirPods Proという「静寂」を買った

ゴールデンウィーク中に思い切って「AirPods Pro」を買ってみた。つけてみて、びっくりたまげた。噂には聞いていたが、本当に静寂。イヤホンではなく、静寂を手に入れたのだった。ノイズキャンセリング機能というやつである。21世紀は、こんな小型サイズで静寂が売られている世界なのかと、しみじみ感動した。

これまで使っていたイヤホンは、音の本体とはBluetooth接続できるものの、右と左のイヤホンは有線でつながっているタイプだったので、マフラーだったり帽子だったり襟だったり髪の毛だったりに絡まって、微妙なところで使い勝手が悪かった。しかも、どこかでイヤーピースを片方落としてしまって、あぁあーと思いながら片方だけで使っていたりした。

そこからのジャンプアップである。ひさびさに贅沢すぎる買い物をしてしまった。

まさに、時を忘れてしまう空間。今日も仕事のときに試しに使ってみたのだけど、ものすごい集中できちゃって自分じゃないみたいだった。私がこんなに長いあいだ集中できるなんて、何かの間違いじゃないかと。

静寂って、概念なんだなって思った。私のような人間1.0は、静寂っていうと誰もいない広い空間なんかのイメージが先にたっちゃうのだけど、そうやって場所をとるものって決まりはない。「これ」って指し示せるモノではなく、静寂は、やはり言葉どおりコンセプトなのだった。何らかの意味づけをして、人間が価値を認められるコンセプトなのだ。

このあいだ読んだ本(*)に、こんな節があった。

存在するというと、いつも空間的なものを考えてしまうのです。これは僕らの悟性の機能の習慣に過ぎない。存在するものが空間を占めなくたって、ちっともかまわないわけでしょう。空間的には規定できない存在も考えうるのです。むしろ、空間的に存在するものは、潜在的な存在が顕現するのを制限している機構だというに過ぎない。

むずカッコいい斬り方が印象的だったのだけど、この話が「AirPods Pro」を体験したときに呼び起こされた。

いま私たちが日常生活で使っている技術は、すでに概念の本質を多様に展開できる力をもって、いろんな有形・無形に体現されて、それを享受して私たちは暮らしているんだなぁと、しみじみ感動する機会となった。

「悟性の機能の習慣」からちょっと距離をとったところの目線は、こういう実体験を通してしか育んでいけなさそう。大事だなぁ。そういう意味でも、たいそう尊い買い物をした。音楽を聴くより、静寂を得るのに使いこんでしまいそう。

*小林秀雄「学生との対話」(国民文化研究会、新潮社)

2020-05-06

ともあれ英文読解の習慣をもつ

4月半ばに腰をぐきっと痛めてしまい、今年のゴールデンウィーク改めステイホーム週間は「腰痛を治す」ことだけに努めて地味に暮れていった。といっても過言ではないのだけど、完全にそれだけなのもやりきれないというので、こもるの必至な長期休暇、ずっと読み途中になっていた英文法のベストセラー本を手にとった。Amazonによれば購入したのは3年近く前のこと…。

NHKでラジオ英会話の番組もやっている大西泰斗さん、ポール・マクベイさんの「一億人の英文法 ーすべての日本人に贈る『話すため』の英文法」というの。凶器になるレベルの650ページを超える厚ぼったい本。

これを1から読み直す気にはとてもなれず、もちろんだけど読み途中だったところから最後を目指した。なので昔読んだ最初のほうに何が書いてあったか、説明しろと言われても無理なんだいという感じだけれども、まぁそんなことはひとまず気にしないことが大事なんである。

で、ともかく、この分厚い本を、ほぼほぼ最後まで読み進められた。ぜいぜい。正直、これを読了といっていいかは、だいぶ怪しいのだけど。

よく使う動詞、副詞、前置詞を一つひとつ取り上げては、これはこういうふうに使われ、こういうふうに使うのは違くて、ネイティブの人はこういう感触で使っていて、こう使うんじゃないんだな…みたいなのを事細かに書いてあるあたりは、むぎゅむぎゅ情報が詰まっていて、「読み終えた」どころか「読んだ」と表するのも躊躇われる。頭に残っている気が全然しない。

けれど、まぁ、ともあれだ、純粋に「英文法の理解」に焦点をしぼるなら、そうだそうだ、こういう感じだった、そうだったと思い出す機会としては有効に働き、自分なりに読んだ収穫があった感触はある。自分的には、これでいいのだ!という感じである。目標は低く狭く、現実的に…。

どういうBefore/Afterの変化があったかというと、英文法の理屈が理解できて(知識習得)、日常的に英語の文章を読もうという気になって(態度形成)、実際何らかの記事を最後までざっくり読めきれるようになった(スキル習得)ということである。

理屈の理解はしたが、記憶はできていない。読もうという気になるのは、関心あるネタにかぎって1日に数記事がせいぜい。Weblio英和辞典で単語を調べ調べ、Google翻訳に文脈を尋ね尋ね。のんびりゆったりしたもんである。

けれど、これまでは、それすら億劫だったし、読み解くあてとなる知識にも欠けて、お手上げだった。これが、なんとかできるようになり、英文に親しむスタート地点に立ったという感じだ。ここで、あれ、英文科じゃなかったっけ?とか野暮なツッコミはいいんである。

あとは、読む気になるこの心的状態を持続させて、日常的に読んでは、ふむふむと英語で書かれた文章から情報を得て実利を得ている状態にすること。この習慣づけ、生活づくりまでが当面の目標。習慣さえ身につけば、あとは10年も続けたら語彙力も今よりついているだろう(目標低い)。その土台づくりとして、自分にしてはよくやったゴールデンなウィークだったんである。ぱちぱち。

この本は、また読み直そう。いい本だった。持ち歩こうとすると腰の負担がものすごいという以外は、実にいい本。

2020-05-03

アンケートの選択肢の設け方

このあいだ仕事で、人が作ったアンケートのたたき台に、このままでは出せない!と前のめりになって全面的な加筆修正版を作って提案を返したのだけど(無事に通ったが、納得したためか私の過剰な熱っぽさによってかは不安が残る…)、アンケートの設問の構成・文面はもとより、選択肢をどう用意するかってのも、一言一句ものすごく繊細かつ大事なところで、回答者に対する誠意をもって臨まなきゃいけない仕事だと思っている。

アンケートで設問を送り、それに答えてもらうというのは、広義にとれば「人間同士の会話」とも括れるものだ(ということにして)。

批評家の小林秀雄さんは、「人間同士の会話とは意味と同時に言葉を植えつけることだ」と言っている。「学生との対話」*の中にある、こんな氏の言葉が頭の中に立ちのぼってくる。

問題を出すということが一番大事だ、問題をうまく出せばすなわちそれが答だ、いま物を考えている人がうまく問題を出そうとしない、答ばかり出そうと焦っている

憲法記念日の今日は、憲法改正に関する全国世論調査の結果が各メディアで報じられていて、改正賛否を問う回答選択肢(と回答率)に目がとまった。

▼読売新聞社
改正する方がよい(49%)
改正しない方がよい(48%)
答えない(3%)

▼NHK
改正する必要があると思う(32%)
改正する必要はないと思う(24%)
どちらともいえない(41%)

ちなみに、朝日新聞社も賛否を二分する訊き方で「その他・答えない(11%)」とあり、共同通信社は「どちらかといえば」どっちという選択肢を入れているよう、毎日新聞社は「わからない」を設けているようでNHKに近い。

2つ見比べてみて、読売新聞社は「どちらともいえない」という選択肢を設けなかったのだなぁというのと、人は「どちらともいえない」が与えられていない設問を提示されると、賛否のどちらかを選んでしまうものなのだなあというのを、感じた。

その結果、出てきた数字がコピーライティングされて、意味と同時に言葉を人々に植えつけ、人々の認識をぬりかえていく力をもつ。

自分が答える側の立場としては、与えられた選択肢から選ぶというだけでなく、与えられた選択肢をきっかけに自分でその問いに向き合い、自分の答えを検討する姿勢を大事にしたいって改めて思った。

自分が問う側の立場としては、相手の声を正しく聴こうとすること、引き出そうと努めること、問いかけるときに何を聴いて、どう訊かないか、言葉を丁寧に選ぶことを、改めて大切にしようって思った。

*小林秀雄「学生との対話」(国民文化研究会、新潮社)

2020-04-27

[共有]ワークショップの型「デザイン批評力を養う」

「デザイン批評力を養う」ワークショップの型を(ざっくりですが…)こしらえてみましたので、ネットの片隅に置いてみます。

ワークショップの型[デザイン批評力を養う]

こちらもまた、汎用的に使えるよう意識した分、オーダーメイドのような落としこみに欠ける枠組みですが、「チームでデザイン批評力を高めていきたい」という希望はあれど、まだ手を打っていない、どこから手をつけようかなという現場などあれば、その第一弾として使えるとこ使ってもらえたら。

まだ野暮ったい書き方で、道半ばな自覚はあるんですが、まぁ、そこは寛容に。うまいこと現場に合うようカスタマイズしていきながら洗練させていっていただければ、これ幸い…。

withコロナのもと、個人ワーク+オンライン会議で行う想定で、何らかのデザインプロセスに関わる職業人が集って、わりと気軽にデザイン批評を始められる小規模な勉強会イメージです。

ここは割愛していいなという部分を削ってライトにしていただくのもありだし、こういうアレンジもできるよという話は、最後の「補足」に入れておきましたので、そちらも参考まで。まぁ、とりあえず、置いても罪にはならないということで…

8分で泣きやむ

金曜日、ベッドで横になっていたら、なんだかぽろぽろ涙がこぼれてきて、止まらなくなってしまった。

打たれ弱いが、立ち直りが早い。すごくはないけど、そこそこタフ。頭は良くないが、ものの感受性はまずまず。心は揺れても、ことは淡々とやる、安定感はわりとあるほう。涙流れるなら流してしまえ、たいてい8分くらいで蹴りはつく。10分で泣きやんで、ひとりで態勢を立て直そう。

だいたいこういう自分観であれこれ凌いでやってきたのだけど(昔なにかで人が涙を流せるのはせいぜい8分という話を聞いて以来ずっとそれを頼りにしている…)、いやぁ、今回も地味にふさいで、地味に立ち直った。

理由は明確で、腰を先週火曜の朝に玄関先でゴキッとやってしまったからだ。それまでは毎日、早朝と夕方にジョギングしていたので、こんな時世で家にこもっていても、まずまず心身の健康を淡々と維持できていた。

空は青く、陽は春めいて、葉は日に日に緑豊かになっていって、そんな風景にふれながら、こんな日々でも自然に支えられて暮らしていたのだ。

が、火曜から運動がまったくできなくなって、よろよろの状態で1日、2日、3日と重ねていくにつれ、地味につらくなっていった。

毎日体を動かすことで、心身の健康を淡々と維持していたことを痛感。運動できなくなってしまったら、大事な人たちともまったく会えずに日々を重ねていることにも悲しみが募って、気持ちがふさぎ出した。

おっかさん、こりゃあ、まいったよ。さきざき人に会える見通しも立たないし、志村けんも岡江久美子も亡くなってしまったよ。

私にとっては岡江さんも、子どもの頃を思い出す尊い人だ。「はなまるマーケット」の人じゃなくて、夏休みに妹と一緒にくつろいで見ていた「天までとどけ」のお母さん役だ。

遠く子どもの頃の記憶まで引き戻されて、そこから来し方行く末に思いが巡りめぐって、悲しい気持ちに満たされてしまった。

まぁでも、世の中がどうあれ、自分がどういう人生を生きてきたにしても、孤独さを引き受けて生きなきゃいけないところからは逃れられないし、最後はひとりで死ななきゃいけないし、だから受けて立つしかないんだけどさ。でも、だからこそ、人に会えるのは生きている間だけで、今がかけがえなく大切なのにね。なかなかね、生きていると、世の中は時に、どうにも厳しい試練を与えてくるものだよね。

そんなんで8分ほどじっくり悲しみにひたったら、あとはまた1日、2日と時を静かに重ねていって、無理をせずに浮上を続けた。

昨日あたりから、多少はましになったような気もする腰をさすりさすり、よろよろと2キロほど外を歩くようにして、YouTubeで腰痛に効くストレッチを探してやってみるようにして、段階的に気持ちを立て直した。

しばらく辛抱だけど、無理せずウォーキングをのそのそ続けて、あと少しして整骨院が開いたら、そこで体を立て直して、またジョギングできるように体を戻したいところ。そこまで持っていけたら気丈に立ち続けられると思うんだよな。はやく早朝に青空の下を走りたいなぁ。

2020-04-23

「Web系キャリア探訪」第20回、年齢は関係ない

インタビュアを担当しているWeb担当者Forumの連載「Web系キャリア探訪」第20回が公開されました。今回は、「ガイアの夜明け」でも紹介されたベンチャー企業、サウンドファンでマーケティング部長を務める金子一貴さんを取材しました。

同僚には70代も。ベンチャー企業で自分を追い込み、チャンスを作り出す

サウンドファンは、耳が遠い高齢者や難聴者にも聞こえやすい「ミライスピーカー」を開発・販売するベンチャーで、70代のエンジニアも活躍するハードウェアメーカー。当初のB2B代理店販売から、ここ1年半でB2Cサブスクリプションサービスに事業を広げていく過程の試行錯誤、34歳の金子さんが70代エンジニアと進める製品開発のやりとりなど、じっくりお話を伺いました。

最も印象に残ったことは、本編の編集後記的な「二人の帰り道」に記したので、そちらでぜひ!ということで、もう一つ。取材を終えてしばらくしてから見かけた東洋経済の記事が今回の取材とリンクしたので、ここではそちらについてちょっとメモっておきたいと思います。

その記事とは、台湾政府のデジタル大臣として、その手腕が高く評価されているオードリー・タン(唐鳳)さんの取材記事。記者の「日本の情報通信技術政策担当相である竹本直一氏は79歳。台湾とは40歳以上の差があります」という投げかけに対して、唐さんは

「年齢による比較は公平ではありません」

と一刀両断しているんですよね。「台湾の科学技術部(省)の大臣や研究者の人たちは私の父と同世代で60、70歳代の高齢ですが、皆さん革新的な考え方を持っていますよ」と続けています。

このやりとりを読んで、ものすごい既視感を覚えたんです。というのは、私も今回の金子さんへの取材で、70代のエンジニアとのコミュニケーションで何か気をつけていることなどあるか問いかけてみたのですが、

「年齢によるコミュニケーションの難しさは感じないですね」

と、金子さん即答されたんですよね。

その場に同席くださっていた広報の方が、この発言に言い添えて、「金子さんはすごくフラットに人づきあいする向きがあること」に加えて、「一緒に働いている70代の方も、定年を迎えた後もベンチャーに場を移してものづくりに勤しもうという志しをもつエンジニア」なので、そういう前提もあってのことかも、とフォローを入れてくださいました。

なるほど、そうだよな、年齢じゃなくて、個々人のスタンス次第だよなぁと再認識させられた一件でした。そういえば前に、ラジオを聴いていて誰かが「30過ぎたら年齢は関係ない」って言っていて、それにもそうだよなぁと思ったことを思い出しました。そんなこんな、いろいろ詰まっておりますので、ぜひお時間があるとき、ゆったりご一読いただければ幸いです。

«研修講師するなら、うなずいて聴いてくれる人に満足してはいけない