2024-04-22

SNSでこぼすより直接相手に働きかけること

今年に入ってまだ4ヶ月足らずだが、スマホを4台拾い、昨日は交通系ICカードのPASMOを拾って警察署に届けた。こんなハイペースで拾いものをしている年は、未だかつてない。

ものすごい勢いで、世にスマホやらなんやらが落としものされるようになっているのか。はたまた、私の落としもの発見率、遭遇率が急速に高まっているのか。いずれでもない気がするが、ともかく拾いものを届ける手続きに慣れをおぼえる今日この頃。

スマホの一つは最寄りの交番に届け、一つは店舗内で拾ったので店の人に引き渡した。電車内で拾ったのは本人に手渡しでき、駅のプラットフォームで拾ったのは音楽再生されていたので画面で停止ボタンを押したら、急にイヤホンから音が途絶えただろう落とし主がキャリーバッグをゴロゴロいわせながら焦った形相で引き返してきて、その場で手渡しができた。

店や駅で拾った場合、どの辺で拾ったかを申し伝えて近くの店員さん・駅員さんに渡すだけなので、1分とかからない。警察署や交番となると、場所によっては少し移動の手間がかかるが、中に入ってからは、ちょっとした書類にサインなどして、いつどこで拾ったかを伝えても所要時間5分とかからない。

拾ったときに、周囲をきょろきょろして「なんとか工務店の真ん前だな」と正確に場所を確認したり、時計をみて「16時15分だな」と時刻を確認するようにもなった。えらいもんだ。

それでスマホやICカードなど、財布と同等のたぐいが本人の手元に戻るのなら、お安い御用だ。そこらへんの人が道端のそれを発見しては届ける町に住みたいし、そういう町民の一人でありたい。

昨年の秋にいち町民の話を書いたが、それを自分が細々と実践できていると思うと、なんだかほっとする。やっていることより、発している言葉のほうが大きい人間になりたくない。

さて、この「町民しぐさ」って、ネット上でも変わらないよなって思うこの頃だ。

道端で落としものを見つけたら、さっと拾いあげる町民のように、Facebookとかで明らかな詐欺広告を見つけたら、さっと拾って報告を入れる。届くのか効くのかわからないSNSでこぼすより、Facebook本体で「広告を報告」をクリックして「この広告に関する問題をお知らせください」に返答するほうが、町もといプラットフォームの浄化活動としては実質効果が上がるんじゃないかなぁ、先なんじゃないかなぁと。

これは、私のような(いわゆる発信力強い人じゃない)一町民の所作としてはってことなのだが。

プラットフォーマーがすでに運用している仕組みにのっかって、そこに構えられたキャッチャーミットに向かってボール返したほうが即効性ありそうというか。そうすると、向こうが通常運用にのせてデータを処理し、あぁこれは良くない広告なんだなって1カウントされて、その仕組みのもとで低評価のアルゴリズムに組み込まれていく、みたいな。それが1件、100件、10000件とカウント数が増えていけば、自動的かAI的か知らんが、広告表示からはずされていく。

そこの活動にベットするほうが、一町民の所作としては賢明な気がして、これは明らかに詐欺広告だなっていうのに遭遇すると「この広告に関する問題をお知らせください」に対応する一町民を演じている。

ネットにおける一般ユーザー、社会における一般生活者が問題解消のためにやるべきは、SNSでこぼすより、まずは直接相手に働きかけることじゃないかなぁというもやもや感。SNSでさらすのは、自身の憂さ晴らしとしては一定効くのかもしれないけれど、サービスや社会の問題解消としては、そんな効き目がない気がしてしまう。

テック系の世界のこととかはよくわかっておらず、あくまで素人のイメージだけで言っているのだけども。

何かの製品に不具合があったとか、配送業者がどうだったとか、店員さんの対応がどうだったとかいうのも、SNSでこぼすより、まずは直接そこの大元に連絡して改善を求めるとか調整を図るとかいう所作を覚えたら、問題を一番小さくたためると思うんだよな。

その戦法が、SNSで言及するのに比して、あまり普及・一般化していないふうなのに、もったいなさを覚えるというか。単にそう見えるだけで実際にはそういうことがきちんと普及して世の中で行われているのかもしれないけれど、SNSでは顕在化しないから実際の普及ぐあいに心許なさを覚えちゃうというか。

まずは大元のメーカーなり業者さんなりに伝えてみて、改善を要望してみるなどしてみる。それでも当事者間では問題が解消されない、隠蔽されてしまったりして困っているときに、次の手で弱者側が何か他のところへ訴えるとかSNSで問題提起するのは、さもありなんと思うのだけど。

直接相手に働きかけてみるっていうのが、最初の一手の王道であってほしい。

そういうふうに市井の人のふるまいを整えていくことこそ難しい話なのかもしれないけれど。ネットリテラシー教育とか、善良な市民の当たり前として親のしつけとか、そういう話になるのかしら。

問題の要因て、たいてい複合的なものだから、一つのところが腰重たくても、別のところから問題を小さくする策は講じうるわけで、一町民としてできることをぽつぽつやっていきたい。まったく効き目ないかもしれないけれども。最後は、品の問題に帰するのかな。

2024-04-20

作品が描く年、作者が著した年、読者が読む年

今読んでいる小説に、こんな一節がある。ある読者には補足説明的に読まれただろうそれが、時を経て手にした読者に、重層的な意味合いをもたらす。そのことに作家は、著した当時どれくらい意識があったのだろうかと思いめぐらせる。

主人公は、事務所兼自宅の建物から一度表に出てきて、少し気持ちを回復させた後に、また玄関に戻る。しかし建物の中に「入るのは、出るより面倒だ」とあって始まる一節だ。なぜ、面倒なのか。

玄関のドアの脇の壁面にある鍵穴に部屋の鍵を入れて回さなければならない。すると、ドアのロックが二十秒ほど切れるのである。その間に入るという仕掛けだった。ついでにいえば、部屋に誰かいる時は鍵なしでもいい。インターフォンと並んでプッシュボタンがあり、部屋のナンバーを押すと、その部屋に声が届いた。誰であるかを名乗ると部屋の中で玄関のロックを切ることが出来る。それもやはり二十秒ぐらいで、その間にドアを押してロビーへ入るのである。

私は途中から、んん?と眉間に皺を寄せて慎重に読む。区切りのよいところまで読み終えると「玄関のドアの脇の」の辺りまで戻って、再び読み返した。

これって、オートロックのことだよな。オートロックのことを単に説明しているってことでOKかな?なにか「オートロック未満」であるとか「オートロックプラスアルファの機能を搭載している」とかじゃなくて、いわゆるオートロックの説明ってことでOKだろうか。

それを検品するのに時間を要したのだ。改めて、この作品の初出を調べもした。1987年だった。

つまり1987年当時はオートロックが今ほど普及していなかったから、オートロックについてこれだけの紙幅(全角211文字)を割いて説明する必要があったということでOKだよな、きっとOKだろう、というのに、2024年読者の私は立ち止まったのだ。

発刊早々に読んだ1987年の読者にとって、この一節は「ははぁ、都会にはそういう仕組みがあるのだな」という読まれ方をしたのかもしれないし、2024年読者の中でも「1987年の作品であることを念頭において読んでいる読者」には、時代背景を織り込み済みで立ち止まるところない一節として読んだ読者がいくらでもいるだろう。

が、私のようにいくらか訝しむようにして「これは、いわゆるオートロックでOKか?」と二度三度読み直してしまう人もあれば(そんな不器用はいないかもしれないが)、オートロックに説明が必要な時代もあったなぁと郷愁をおぼえつつ読む人もあろうなと思いを馳せる。

著者は当時、ここにどれくらいの意識を注いで書いたのだろう。全体からすると、かなりさりげない一節ではあるのだけれど。今、書き直すとしたら、ここはオートロックの一言に書き改められるのか、実際どのように書き直すのだろうな。そんなことで、けっこうな時間を過ごしてしまうから一層、私が一冊を読み終える時間は長くなる。

先日、今更ながらジョージ・オーウェル「一九八四年」を初読している旨Xにポストしたら、この作品を初めて読んだのが1984年より前だったという御仁の声に触れることができた。当時それは未来にあったわけで、それは今遠い過去になっている。作品世界を未来として味わい、今として味わい、過去としても味わえる人生というのは、なんとも豊かだ。

山田太一さんは昨年逝去されたが、先に引いた一節の「異人たちとの夏」は、今ここにも読まれている。それを原作とする「異人たち」が、このほどイギリスで映画化され、今週末に日本で公開される。ある人が完成させた作品が、変化する世の中に投じられて、時代を超え、変化に反応して、いろんな人のもとで咀嚼されて広がる波紋の行方に、心を揺さぶられている。

*山田太一「異人たちとの夏」(新潮社)

2024-04-18

絆創膏の陳列棚に3つの顔

先日、近所でずべべべべっとすっ転んでしまって、指に擦り傷と、脚に打ち身の軽傷を負った。子どもがよくやるやつだが、歳とると、すっかり青タンが消えるまでに下手すると一年かかるから恐ろしい。そういうすってんころりんを、最近は1年に一回ペースでやらかしているので、消えては作り、消えては作りである。

今回転んだときは、ちょうど通りかかった車が真横に止まって、運転手の男性が窓をあけるや「大丈夫ですかー?」と声をかけてくれた。How are you?と聞かれれば、Fine, thank you. と答えるよう条件づけられている私は、すかさず「大丈夫です」と答えていた。まぁ実際、一人で立ち上がれる程度だったのだが、車は私の返答を確認して、労りの笑みを浮かべ、颯爽と走り去っていった。

その声がけ一つで、転んだ私の心はどれだけ救われ、身を立て直す支えになったことか。道端で転ぶのって、ものすごく原始的なところで、心らしきものが傷つく、しょんぼりするのだ。これを立て直すのには、他者の力が効く。転んでいる人を見かけたら、声をかけよう、みんなで声を掛けあって労りあって生きていこう。そんな思いを新たにする。

足のほうの打ち身は、青タンが浮き出てくるまでに1.5日くらいかかった。1年くらい前に転んだときは、1.0日後だった気がするのだが、「ねぇ、延びてない?さらに反応遅くなってない?」と、わが肌に突っ込む。まぁ、年々そうなっていくものなのだろう、のんびりいくのだ。これから、すっかり消えるまでに一年がかりの長旅である。鷹揚に構えるのが吉。

指の擦り傷のほうはというと、これは分かりやすく転んだ直後から痛む。これはさすがに絆創膏が必要だなと、転んだその足でコンビニまで歩いて行って絆創膏を買い求めたのだが、レジを済ませて早速小箱をあけてみると、平面のそれではなく、チューブの形をした固体がぽとっと出てきた。

なんだ、これは。よくよく調べてみると今どきの絆創膏売り場には、スタンダードタイプのほか、湿潤療法タイプ、液体タイプの3種類が並んでいるらしい。チューブ型のそれは3つ目の液体タイプらしく、患部に塗ると、それが絆創膏の機能を果たしてくれるということのようだ。

なんとなく心許ない気もしながら、とりあえず買ってしまったのだからと使ってみた。消毒をした指に、オロナイン軟膏のようにして塗りこむ。しかし結局その日の夕方にはドラッグストアに出直し、スタンダードタイプの絆創膏を買い求めてしまった。

もう一つの湿潤療法タイプというのは前に試したことがあるが、これもやっぱり保守派の思考か嗜好か指向かがじゃまして、今回手が出せなかった。

湿潤療法(別称モイストヒーリング)タイプは絆創膏が治療してくれるようなもので、値段は張るが、治りが早いとか、傷跡が残らないとか、テクノロジーがのっかったもの。「これこそ人類の叡智だよ」と言われれば「立派なものですな」とは思うのだけど、いざ自分で使ってみると傷口のモイスト感に身震いしてしまって、無理無理、私はのんびり行きます、市道で行きます、各駅で行きます!と途中下車してしまう。

スタンダードタイプがいまだに店頭に幅をきかせて並び続けているのは、価格が安いというだけでなく、従来のスタンダードタイプで治したいという保守層がかなりの数でいるからこそだろう、きっとそうに違いないと、店頭の棚を眺めながら心強く思った。

ともかく、これから転倒に対しては一層構えていかないといけない。これの命取り度は増していく一方だ。週末、父に「その指、どうしたんだ」と問われて(めざとい)、「いやぁ、道端で転んじゃったんだよ。ずべべべべーってさ」と言ったら、うひゃひゃーと笑っていた。みんなで互いのすってんころりんを笑って労わって、あるよねぇってシェアして励ましあっていこう。

2024-04-16

春、2日だけ教壇に立つ

ひょんなことから大学で2日だけ授業を受け持つことになり、これの準備で水面下のじたばたを続けているうち、4月前半が過ぎていった。昨日、今日で90分×2回の本番を終えて、ようやっと一息ついたところ。

自分がとても「大事なことだ」「若人たちに伝えたいことだ」と思っていることが授業テーマであっただけに、「それを、おまえが伝えられると思っているのか」という自分ツッコミが速攻で返ってくる。一人芝居が続いた。

「いや、その器でないことは重々承知の上ですよ。そこを、自分という等身大をわきまえた上で、この演者をして、どう伝えたら届くか」を組み上げて、脚本も演出も事前に考え抜いて臨むということですよ。作、演出、監督も、ぜんぶ自分でやるチャレンジということです」、そう食い下がる自分Aに対し、「ふむー、そこをわきまえての挑戦ということなら、じゃあ、やってみぃ。途中で根を上げるなよ」と自分B。一人やんややんやして、本番までの準備に明け暮れたのだった。

一つの教室に150人入るから、同じ授業を2日に分けて300人に行うということになったのだが、300人に90分でものを伝えるというのは、大変なことである。

少なくとも私のような人間には大役すぎる話なのだったが、依頼くださった教務の方と話す中で「誰が適任か、より適任の教え手がいるのではないか」という問いはついてまわるけれど、この柔いテーマについて言えば、敏腕のクリエイターを連れてくれば一番うまくいくというのじゃない。それはそれで、そうなのだった。

ここは暫定的でも、これってものすごく大事なことなんだと、それをみんなに知っておいてほしい、こんなふうにわかっておいてほしいのだと、言葉を尽くし、趣向を凝らし、心を込めて届けられる人が、壇上にあがって一所懸命伝えるというゼロ→イチを立ち上げることが大事なんじゃないかと。それができる人が、暫定的に適任者なんじゃないかと。

そんな話をして、そうだなって励まされたのだった。その思いを汲めば、私は暫定的な適任者という役割を担って、務めを果たしたかったのだ。

それにしたって先生というのは、作、演出、監督、俳優、ぜんぶ自分。改めて脱帽した。

脚本をどこまで用意するか、スライドをどう機能させるために何を入れ込んで何は書き込まないか。演者としてどう立ちふるまい、どう学生と関わるか、どこでは一人しゃべりして、どこで相手の表情をうかがい、どこでどんな質問を投げて、どこでは問いかけにとどまらず相手の意見を発してもらうか。それを90分という枠組みの中で時間配分して、メリハリつけて、大事なところがきちんと伝わるよう差配していかねばならない。

私は裏方業として、授業設計はあれこれしてきたけれど、壇上に上がってのパフォーマー経験は乏しい。ふだんから先生をしている方は、上のようなごにゃごにゃしたことを現場決着させながら差配できるところも多分にあろうけれど、私のような単発&演者経験が浅い講師のばあい、舞台作りのように事前の作り込みをどうやっておくかが、ものを言う。

とりわけ、時間感覚が乏しいのが難点だ。どう話したら延長せず、早く終わることもなく、90分ちょうどの時間におさまるかがわからない。なので、これはもう脚本を書くしかないと、一通り書き出してみる。この話に3分、これに1分かかるのかと、しゃべってみれば具体的な数字が見えてくる。ありゃ、これにこんな時間かけている場合ではない。もっとあっちのほうに時間を使うべきところだ。調整、調整。

さて、ここで個々人に考えてもらうのに3分、もうちょっと考えたいという人がいたら、もう2分追加できるようにして5分とっておこう。その後、数人で見せ合いっこしながら意見交換してもらうのに、このケースだと10分ほど確保したい。自分の話、みんなの時間、積み重ねていくと、ふむ、これで全部が85分くらいで着地する。

そこの目処がついてからも、今一度全体を見渡してみる。何度読んでも、自分の台本の粗が目につく。何度読んでもだ。この言い回しでは伝わりづらい。こう説明したほうがいいのではないか。これは、さっきの話と重複している、取ろう。構成をこう入れ替えたほうが流れがいいよな。

何度見ても「修正するところなし」に至らない。90分のセリフを覚えられるわけでもなければ、覚えてその通りしゃべりたいわけでもない。しかし、自分が当日できるだけ自由にふるまえるようにするためには、この右往左往プロセスを踏むほか手段がない気がしたのだ。

そんなこんなで2日間終わるまで落ち着かず。それが今日をもって一段落した次第。ともかく、悔いは残すことなく終えることができた。みんな熱心に話を聞き、参加してくれて、ありがたかった。今は、自分で自分を褒めてあげたい小者感をじわじわ味わっている。一息いれて、今年度もちょこまか人様のお役に立てるように頑張ろうと思う。

2024-03-28

防潮堤がないから、とにかく逃げる

いとうせいこうさんの「東北モノローグ」*が良かった。東日本大震災の被災三県(宮城、岩手、福島)を中心に聞き書きを続けた17の記録(文藝、河北新報で連載をしていたもの)をまとめた単行本。話を聞いたのは2021年〜2023年だから、震災から10年を経た、ごく最近だ。

岩手県洋野(ひろの)町の防災アドバイザーの語りに、

この洋野では人的な被害が一件も出なかった。被災三県の福島、宮城、岩手の沿岸自治体で、人的な被害が出なかったのはここだけです。

という話が出てくる。なぜそんな防災が可能だったか、とにかくここの町民は「逃げる意識が高い」という。八木地区は明治と昭和の三陸大津波で、居住人口の半分くらいが亡くなっている。それを知っているご老人がけっこういるし、震度3とか2の地震でも逃げるのだと。

この地区には防潮堤がありません。だから、とにかく逃げる。即逃げる。八木地区は「地震が起きたら即逃げる集落」なんです。

防潮堤がない八木地区こそが人的被害を一切出さずに済んだというのは、ちょっと見逃せない現実だ。何が有効な施策なのか、何は有効そうに見えて実際には機能しない対策なのか、むしろ脚を引っ張りかねないのか。

もちろん八木地区の事例をもって防潮堤に意味がないと断じて、あらゆる地域に適用しようと考えるのも雑すぎるのであって、あれもこれも「単一の答え」でまとめようとしない丁寧さが、複雑な世の中を前提にして施策を機能させるには重要なことなのだ、ということを教えてくれる。

防潮堤というと「ないよりは、あったほうがいい。あとは、その地区にどれだけの予算を投じられるか。そこに優先順位がつく」という「防潮堤は良きもの」前提に思考してしまいそうになるが、それも単一の答えに立脚した見方だなと自戒する。

その地区ごと、地形によっても、人の営みごとにも違いがあって、海とともに生きている町に、高い高い防潮堤が築かれることが、町民にとって最適解か、そう雑には考えたくない。

そこに人の営みあってこそ、自然現象は自然災害と認識される。そこに生きる人たちの生き方の理解なしに解は見出せない。

ここにバランスがものをいう、デザインの仕事が求められるんだろう。全部・全体に、ばらばらの最適解を個別具体で作るのは現実的でない。一方で、個別具体を一切無視して全部・全体を一つの結論で決着させられるほど雑でもいけない。そこにこそ人の創造力を生かしたい。

全体を通して、市井の人たちの民話的な語りが人を動かし、人を救うことを切々と訴えてくる本だった。

仙台で出版社をやっている土方正志さんの語りが、いとうせいこうさんの、この仕事の意味を表しているように感じた。

結局、データとか客観情報とかというのは、それこそネットでもなんでも、まあ百年後、二百年後にネット空間がどうなってるかわからないけど、とにかく客観データはどこかに残る。でも、残らないのは感情だろうという気がしていて。形あるものとして伝えられないのは、その場にいた、その経験をした、その時代にいた人間の生の感情、気持ち、記憶。これを残すのが一番難しいのかなという気がするんです。
で、それはどうやって残すんだろうと考えると、それこそ今回がそうだったように「あ、昔の人がこう言ってる。やっぱり今と同じなんだね」っていう、その積み重ねでしか残す手段はないんじゃないか。

それから、これはまだうまく言葉で表せないのだけれど、民俗学の視点で、漁師さんの職業観を語りきかせてくれる川島秀一さんのお話は圧巻だった。

経済的な観点で問題を設定して、それに有効な解決策を示すというシナリオだけで洗練化されがちな洞察のあり方を突いて、その思考の貧しさにじっくり向き合わせてくれるというか。人のキャリアを支援することを生業とする私にとっては、とりわけ胸に響いて豊かさを育んでくれる語りだった。読み終えては、また開き、反芻している。読めて良かった、ほんとに。

*いとうせいこう「東北モノローグ」(河出書房新社)

2024-03-24

理論に順序あり、順序あると予測や計画に役立つ

この間ここに書いた「ブルームの教育目標のタキソノミー(改訂版)」の話を受けて、改めてマルザーノらの新提案*を読み直した。ブルームの分類体系の弱点を突いたもので、読み応えのある一冊。

マルザーノがブルームを突くところの一つが、ブルームのは「枠組み」やん、おいらのは「理論」やねん。自分は「人間の思考に対するモデル、あるいは理論」を提示しているという。

理論とかモデルというのは「現象を予測することができるもの」。一方で、枠組みっていうのは「現象を説明する原理をおおざっぱに整理したもの」と説く。

言い換えると、マルザーノが提唱しているのには順序がある。だから「こっちが先で、そっちはその後」という順番がつく。なので「これの後には、あれがやってくるぞ」という予測が立ったり、「それの前に、これをやらないと意味がないぞ」と計画立てるときに役立つ。そこに「枠組み」ではなく「理論」の価値を訴えているわけだ。

それでマルザーノが何の順序を説いているかというと、新しい課題に直面したときに人がどう思考して、やりだすか、やり遂げるかということについて。「3つのシステムとナレッジの相互作用で決まる」と説いているのが図にするとこんな感じ(クリック or タップすると拡大)。

新しい課題に直面したときに稼働する心的システム3ステップ

「新しい課題に直面したとき」というのを、「新しいことを学ぶシーン」と言い換えて想像してみよう。

まずステップ1は、取り組むかどうかを決める。それを学ぶこと(覚えることとか、できるようになること)が「重要だ!」とか「自分にもできそうだ!」とか「できるようになりたい、やってみよう」という積極的な気持ちが持てないかぎり、取り組もうとは思わない。

取り組むと決めたらステップ2、目標と方法を決める。せっかくステップ1で興味や危機感をもって取り組む気になっても、具体的に目指すゴールと、それを達成するための方法がイメージできないと、何かをやり始めることはできない。

目標と方法が定まったらステップ3、具体的な行動に取りかかって、ようやく眼に見える学習活動へ。が、ここでも「やってみたが、うまくできない」「一向に効率も効果も上がらないよ」「できないのをできるようにするための克服課題がわからない」と足踏み状態をメタ認知すると、やる気はそがれていって新しい課題をやり遂げずじまいになってしまう。

自分の学習をセルフマネジメントする上でも、誰かに何かを教えたり、誰かの学びをサポートする役回りにおいても、どこで立ち止まっているのかを捉えて介入策を手立てするのは有効だ。

やる気にはなっているのに(ステップ1突破)、目標と方法が立たなくて(ステップ2の壁)足踏みしてるなって思ったら、とっかかり簡単めの目標と達成方法をアドバイスしてあげると、その人は学習を断念しないでチャレンジし続けられるかもしれない。

また、どのステップでも、その人がそのとき持っているナレッジ(知識、スキル、運動能力とよばれるようなもの)が影響を及ぼす。もっている知識が乏しければ、「これは重要だ、自分に深く関わってくる」と思える範囲はひどく狭くなるし、いろんな知識があれば、あれもこれも自分との関連づけが起きやすい。これは想像に難くないだろう。

そう考えてみると、何か一つ二つ知識を授けてあげるだけで、部下や後輩が次のステップに踏み出すことを後押しできるかもしれない。

って、2016年にもほぼ同じことをここに書いてスライドも起こしているのだけど、こうやって図を作りながら咀嚼し直す中で深く浸透していくところがあるのだ、私の頭は…。

この辺って、どうなるんだろう、どうするんだろうなぁ、今後の教育界は。世の中いろんなことが楽に作れるようになっていっているが、こうやって「作る過程」の試行錯誤やら手間暇かけた時間・経験のなかで、人間はナレッジを体になじませ体得してきたんだと思うんだな。

これが「作るのはポンとできるんです」って合理化されたとき、人間は「作る過程」が排除されたのと一緒に「体得過程」をなくしてOKなのか?というのが疑問なのだが。

作られた高度な道具を有効に使いこなす力を、ポンと体得できるわけじゃないのでしょう?別の経路をたどって、応用的に使ったり、部分的に使う選択をしたり、故障したのを作り替えたり、できるようになるのか。私のような頭だと、そこへの疑問がぬぐえないが、新人類はまた別のアプローチをつくっていくのかもしれない。少なくとも私の場合は、この地道なプロセスをたどって生涯を生きていくほかなさそうなのではあるが。この辺は決め込まず心を開いて関わっていきたいところ。

*Robert J. Marzano, John S. Kendall (原著), 黒上 晴夫, 泰山 裕 (翻訳) 「教育目標をデザインする: 授業設計のための新しい分類体系」(北大路書房)

2024-03-20

几帳面な人にシェアしたい、ものさしの着脱発想

人間の習性には「自分のものさしを人にあてて、他人のふるまいを断罪しがち」というのがあると思っていて、それを無自覚にやっちゃっているところから脱すると人間社会生活はぐっと楽しく、おもしろくなるという持論がある。

例えば几帳面な人からみたら、自分より几帳面じゃない人なんて世の中うじゃうじゃいるわけだけど、その人たちに「几帳面のものさし」をあてて、足りない足りないと嘆いていても一向に得るものはない。

遅刻する人は、おもしろいほどずっと遅刻し続けるし。自分が「ふつう連絡をよこすだろう?」というやりとりを中断して連絡よこさずじまいになってしまう人は、注意を促したところで、そのさきふるまいを改めるミラクルを早々起こさない。

そこで相手を蔑んだりストレスためるより、もしかしてそれ以外の、自分が持っていないし知りもしない「別のものさし」を持って、この人らは生きているのかもしれないって発想したほうが断然、人間社会に生きることはおもしろくなる。チームを組んで人と何かすることも楽しくなる。

こう発想の転換を図りながら人とふれあったり協働作業をしたりしていると、自分自身が何のものさしを持ってこれまでスキルを磨いてきたか、自分が何を発揮してチームに貢献できるかも、つかめてくる。

几帳面な人同士が集まることでストレスなく進む作業もあるだろうが、さして几帳面でない人たちが集まっている中に自分をおいてチームを組み、自分の強みも他の人の別の強みも活かせて、みんなハッピーという作業もある。

自分の持っているものさしというのは、自分には当たり前すぎて意識化するのが難しいので、こうやって他の人とのふれあう中でこそ自覚できるという側面がある。

他の人が、これまで自分が頓着してこなかったどういう価値基準や美意識を磨いて生きてきたのか、いま何に意識を向けて、自分と同じ社会に生きていたり、自分と同じ協働作業に関わっているのかに意識を向けてみるのも、おもしろいものだ。それは新たな社会の見方、人の活動の可能性を教えてくれる。

自分の特長にも、周りの人の魅力にも気づきやすくなる発想の転換。これができるのは、そこそこ大きくなってからだけど、大人になってきたなぁという頃合いで、ぜひおすすめしたい。

もちろんビジネス社会などは、一定の「ふつう、こうするだろう」という社会通念や規範あってこそ成り立っているわけだけど、それはそれとして。絶対普遍の掟というのはそうそうないわけで、3000年後もそうか?3000年前もそうか?と自問してみてイエスと即答できない事柄に関しては、そんなに普遍性高くないなという鷹揚な構えで、自分のものさしを当てたり外したり自在にしておくことが、自分を楽にする。

以上、なんとなく数日前にスマホのメモアプリに書きとめたメモに過ぎないのだが、このさき他で披露することもなかろうから、ここに書き残しておく。

2024-03-17

1996年の自分に会いに行く会

昨日は、私が(事実上)新卒入社して1996年から4年間お世話になったデジタルハリウッドへ。創業期の面々で集まって、古希のお祝いをかねて学長の杉山先生に会いに行こう!という会に参加させてもらった。

企画してくれたのは、デジタルハリウッド創業期の親会社ビジュアルサイエンス研究所の方々。当時はちっちゃい会社を淡路町界隈にぼこぼこ作っていて、雑居ビル間、会社間を分け隔てなく行き来していたので、子会社所属の私たちもお声がけくださった次第。

おおかた20〜30代だった人たちが、今やアラフィフ、アラ還になっているのだから、まったく驚いてしまう。けれど、1994年とかに3DCGで恐竜を作っていた人、そういう人らを集めて会社を経営しだした人らを筆頭に、とにかく全員「只者ではない」ので、皆さん2024年に集まっても老け込むことなくエネルギッシュなままに笑顔の再会。嬉しかったし、楽しかった。

私は昔の面々と集まったときに昔話ばかりになるのが苦手なのだけど、この人らと会うとほんと、昔話も今の話もあっちゃこっちゃ自在にとんでおしゃべりするのが快い。

ビジュアルサイエンス研究所は今ニンテンドーピクチャーズになっているのだとか、デジタルハリウッドの卒業生が今回アカデミー賞を受賞した視覚効果賞の「ゴジラ-1.0」、長編アニメーション賞の「君たちはどう生きるか」、ノミネートされた「ニモーナ」に参加していたのだとか、華々しい話も挙がって皆で湧く。

組織としてはさまざまな変化を遂げて諸行無常なのだが、90年代にあったこの組織体が直接・間接に影響し、この30年間にデジタルとクリエイティブを掛け合わせた世界で人材育成面で働いた功績は大きいと感じないではいられない。

私なんぞは、そのご相伴に預かったという感じだが、世の中的貢献の大きさはさておき、私個人が杉山先生を筆頭に皆さんから授かったもの、影響を受けたものは計り知れない。ここに以前書いたことの繰り返しになってしまうのだけれど。

この90年代の出会いと経験、この人たちと昼夜ともに働いた日々をなくして、その先の私の人生はなかったのだ。わいわいみんなとおしゃべりしながら、改めてそのことに感謝した。

杉山先生が私を見て、二十歳だった娘っ子の私を見るのと同じまなざしで、やわらかく笑いかけてくださったのも嬉しかったな。「あぁ、まりちゃん。ほんと、あなたは変わらないねぇ」という笑顔。中身はね、杉山先生の薫陶を受けて、私なりにせっせと成長しておるのです。

年末に公開された「Agend」のインタビュー記事でも触れたけれど、

長く一緒に仕事することでしか若手に継承できない尊い仕事も、各職場にたくさんあると思うんですよ。だから、悪しき慣習や不合理な指導法とは断絶しつつ、社内で大事に引き継いできた専門性、醍醐味の伝承がなおざりにならないといいなと思います。

を念頭に、自分の縁ある現場で人材育成に仕えていきたい。

今の社会は「若手に引き継がないで、ここで断絶すべき施策」に余念がないけれど、全部を引き継がずに断絶すればいいっていうんじゃない。

先輩たちが教えてくれたこと、巻き込んでくれた社会の営み、仕事の面白さ、人が創ることに向きあう気高さやひたむきさ。そういうものの尊さを、私は私で、若い世代の方々に共有する働きをできたら、何かを手渡しで丁寧につないでいく働きができたらと思う。

最終的に、それを断じるか受け継ぐかは本人らに任せたらいい。けれど、自分が良きもの美しきものとして受け継いだ先人の営みを、教えない、伝えない、はなから断絶して引き継ぐ試みを全部放棄するのは何か違う気がして。私が自分のささやかな人生の中で体感してきた良きものを、自分の言葉や行為を通して伝えていけたらいい。選ばない自由を伝え添えながら。

2024-03-09

心還る京都旅、人と街と山と鐘

3月初め、観光&親戚に会いに京都を訪ねた。昨夏、父との思い出探訪で京都を旅した際に突撃訪問し、そこで初めてお目にかかった親戚が、またゆっくり遊びにいらっしゃいというのを真に受けて、今回は単身でさくっと一泊旅行。と思いきや、「さくっと」とは程遠い濃密な旅となった。

父と一緒だと先方も気を遣うだろうと思って単身で訪ねることにしたのだが、小娘一人でも身に余りまくる心配りで旅のほとんどすべてを面倒みてくださり、「これが生粋の京都人か」と旅に出る前からひれ伏したのだった。

どこまでが「ありがとうございます」と素直に甘えてよいもので、どこから先は「いやいや、そこまでは」と遠慮しないと非礼にあたるのか、生粋の千葉っ子には境かい目がよく分からない。

途中から、ええいままよと「郷に入りては郷に従え」を念頭に様々のもてなしに全乗っかりし、先方のご厚意に甘えまくって帰ってきた。お茶漬けは出されなかったが、大丈夫だったのか判断はつかない。

比叡山延暦寺、大原三千院、京都御所、二条城と、いろいろな観光地にも車で連れて行ってもらって京都を堪能したのだが、お墓参りや能楽堂巡り、食事処や車中でのおしゃべり、街歩きや土地の人との交流と、ならではの時間をともにできたのは、とりわけ格別の思い出となった。

昨年初めて会ったというのに、親戚というのは不思議な親しみがわくもので、おもしろいなぁと思う。これは、この歳になってこそ感じられていることでもあろうな。

もう、ただ、シンプルに、等身大で、ご縁を大事にして、自分が大切にしたいと思うことを大事にして、やっていけたらいいなと思う誕生日。嬉しいなって思うことに喜んで、ご厚意には素直に甘えさせてもらって、自分なりの心をもって身の丈で相手に返していく。常識より自分の思いをもって、人と親しむこと、人とふれあうこと。そうやって自分を生きていけたらいい。

リンク先の写真(Instagram)は、山道ドライブして訪れた比叡山延暦寺の鐘撞き。京都の底冷えに身を震わせつつも、雨上がりで観光客が少なく、西塔の鐘楼は他に誰もいない中で落ち着いて鐘を打てて、音が鳴り止むまで、ごーんという響きを耳澄ませて味わった。思いきりよく、いきましょう。

2024-03-08

「独創性がない」に噛みついて空回る

先日、話し相手が「自分のには独創性がない」と言うのに、噛みついてしまった。相手は卑下しているわけでもない、平常心で言っているだけなのに。はぁ、時々やってしまう私の悪癖だ。

相手に届いているかどうか、そのとっても大事なことへの感度が落ちまくった状態で、自分が伝えたいことがむくむくわいてくるのに任せて一区切りつくまで話し続けてしまう。その間、相手を観て相手に届けるという肝心かなめが疎かになってしまうやつ。

それが起こるのは局所的なテーマに限られるのだが、なってしまうとたいそう面倒くさい人となる。仕事場面ではそこそこ自制が効いていると思うのだが、飲み屋などで気を許した人と話し込んでいると、ついついやってしまう。今回も飲み屋でのことだ。

結局相手には、ややこしいことを饒舌に語っているなぁというふうにしか伝わらなかったし、そもそも別に卑下して言っているわけでもないから、私の熱弁も持論も反発も励ましも、相手の求めるところではない。これは今後の私の道のりにおいて一つのテーマになるかもしれないな。

それはそれとして、私がそのとき心のうちに何を持ったのか、それを書き残しておこうと思う。それでこそ、心のうちである。

私が相手の言葉を受け取って伝えたいと思ったのは、「創造するのに、独創性はマスト要件じゃない」ということだった。これは最近読んだ本*に、まさにそのことが書いてあって、その一節に感じ入って、おおいに支持することだったのだ。

まず、「創造する」というのは「要素を統合して、筋が通り、機能的な全体を作り上げること」とある。

文章を書くにせよ、絵を描いたり道具を作ったり、企画書・設計図・定義書を作るにせよ、情報、アイデア、物、人などの「さまざまな素材・パーツを再構築して、全体に統合する(synthesize)ことで、それまでは明らかに存在しなかった一つの様式や構造に作り上げる」、物的に・質的に存在を起こすのが創造する行為、そう置いてみよう。

その創造の過程なり結果において、作り手の「独創性」というのは、必要なケースもあるけれども、必要なく成立するケースもあるということ。

私が想定しているのは、作家やアーティストと呼ばれる人たちのそれではなく、私のような市井の人の日常的な「創る」行いについて。その場において、独創性の有り無しや、その度合いが、創ったものの良し悪しや優劣のモノサシとして働く場面は、そんなに多くないのではないかしら、と個人的には思っている。

それを何か、独創性ない創造など意味がないと頭でっかちになって、自分を卑下して創る手を止めてしまったり鈍化させてしまったり、どうせ私なんてという思いに絡めとられてしまっては、もったいないではないか。

たぶん、そういう思いがせっかちに働いて、頭でっかちな世の中への反発心が、そのまま言葉になって飲み屋で転げ出てしまったということだろう。時と場合と、人を選べという話なのだが。

「独創性」そのものが、曖昧なものではある。独創性を辞書で引くと「他人をまねることなく、独自の考えで物事をつくり出す性質・能力」とある。オリジナリティの日本語訳としても使われる。

しかし「他人にまねることなく」という線引きは、ひどく曖昧なものだ。「歴史に学ぶ」「先人の作り出したものを活用する」ということから現代人は逃れることができないわけで、そこではどうしたって「他人にまねること」「他人に学ぶこと」が下敷きになってくる。本人が認めるかどうかに関わらず、他人にまねてやっているところをゼロにはできない。

人にまねぶ舞台に立脚して、独自の要素を含んだ新しいものを作り出せるか、どうしてもそうなるわけだし、それこそが健全な眼差しだし、それでいいではないかと思う。

もう一つ、今回私が噛みついたのは、独創性があるかないかは、自己評価の及ぶところではないのかもしれないな、と感じたからだ。

独創性を追求している人のそれに、独創性がさして感じられなかったり。他方で、自分の作り出すものに独創性はあるか?に全く頓着していない人のそれに、他者から観れば存分に独創性が認められたり。そういうところが多分にあるのじゃないかなと思った。

よしよし、整理してみよう。私がこの一件で心のうちに抱いたのは、一つに「創造する活動に必ずしも、独創性はマスト要件じゃない」、もう一つに「独創性って、自己評価できるものじゃない」。そう私は思うのだが、どうだろうか?ということだ。

さらに、私がなぜ、それに熱をもって噛みついたかの大元を辿ってみると。私自身はなんら独創性など働かないし、働かせようともしてきていないけれども、先ほどの定義に沿えば地味に創る行為をしてきた実感はあって、そのとき自分の生命力が息づくのを知っている、それこそが尊いと感じているからだろうと思った。そんなの個人差があるだろうと言われれば、それまでなのだが。

アーティストとか作家活動とかと縁遠い、私のような市井の人にとっては、独創性なんかに頓着せず、日々の創る行為を通じておぼえる自身の生命力の息吹を実感できることが、何より大事で尊いことなんじゃないか。創ることに身を投じていると、独創性の有りや無しやに関わらず、人は内発的に息づいてゆく。そんなことを私は信じているようだ。

*ロリン・W・アンダーソン、デイビット・R・クラスウォール編著、中西穂高、中西千春、安藤香織訳「学習する、教える、評定するためのタキソノミー ブルームの『教育目標のタキソノミー』の改訂版」(東信堂)

«「記憶した」だけの学習成果を「理解した」と誤認していないか