2021-04-16

つまみとレバー、ひもの昭和

今40代の私の幼少期というと、昭和50年代。この頃は、まだ暮らしの中にボタンが少なかった。物心ついたくらいの私の家では、家電の調節ごとは大方つまみとレバーによってなされていた。

テレビのチャンネルまわしが代表例だ。テレビ本体の所まで歩いていって、画面の右上についたつまみをつかみ、がちゃがちゃ大きな音を立ててつまみを回していた。子どもがまわすには、親指と人差し指だけで事を成すのは困難で、いつも中指も参加させて3本指で握って回していた。

千葉では、1、3、4、6、8、10、12チャンがイキで、2、5、7、9、11チャンは映らなかった。9チャンとかでつまみを止めると、ジーっという音がして、ザーッという黒い画面が表示された。1チャンから8チャンにしたいときは、6チャンくらいで一休み入れて、つかみ直して8に合わせていた気がする。

洗濯機も、ガスコンロも、電子レンジも、全部つまみをまわして、加減やら時間やらをセットしていた。炊飯器は、たぶんレバーだったような。天井の電気は、ひもをひっぱって点灯→豆電球→消灯を切り替えていた。エレクトーンは、ストリングスの音を入れるのか入れないのか、フルートの音を入れるのか入れないのか、ONとOFFをレバーの上げ下げで切り替えていた。私はもっとボタンを押したかった。ボタンを求めていた。

そんな我が家にインターホンが導入されたときは、たいそう興奮した。家の建て替えに伴ってインターホンもついてきた次第なので、家が新築されたことがビッグな話なのだけど、私が新しいおうちに入って興奮した思い出と言えば初インターホンだ。

「インターホン押してくる!」と言って、いったん入ったおうちから表に出ていって、外の門のところからインターホンのボタンを押したときの快感。おー、もう、これで、ボタンを押したいときには心置きなく押す場所があるという充足感というか、すごいものを手に入れてしまったと気分が高揚したのを今でも覚えている。

もともとの家には確か、インターホンがついていなかった。昔は大人でも「ごめんくださーい」と門の手前から叫んだり、玄関の扉をノックして呼び出していた。私も小学1、2年くらいの頃は、友だちの家に遊びに行くと玄関の前に立って「○○ちゃーん、あそぼー」と大声はりあげて呼び出していた。昭和だ。

この頃に、おそらくラジカセやらゲームウォッチやらファミコンやらどんどこ家に入ってきて、私のボタン生活は一気に華やいだ。そこに突入する前までは、お菓子の缶についてくる梱包材のプチプチつぶしが極上の喜びだった。(私が触れる)世界にはボタンが本当に全然なかったのだ。

「ボタン押すのが好き」という感覚は、その後もけっこう長いこと、色濃く自分の中に残っていたように思う。平成も一桁くらいまでは「パソコンを使う仕事がしたい」「コンピューターを使う仕事に就きたい」という言い回しが、わりとよく聞かれたと思うけれど、私の中にいくらかあったそれは全く高尚さを欠いていて、「ボタンを押す仕事がしたい」ではなかったかと今にして思う。プログラミング楽しいとか、デジタル社会が到来するとか、工学的なり概念的なり社会的なりの意図をもっていたわけではなく、もっとフィジカルなものだったような。

なんで唐突にこんな話を?というのは、疲れた平日の晩につまみ読みしていた春風亭一之輔さんのエッセイまくらが来りて笛を吹くで、サザエさんて昔、日曜の晩だけじゃなくて火曜の晩もやってたよねって話を読んでのこと。

そうだった!そうだった!と興奮を覚えた勢いついで。オープニングは「まーどを開けーましょ、ルルール、呼んでみましょー、サザエさーん」、エンディングは「たらちゃん、ちょっとそれとってー、母さん、この味どうかしらー」。どうしても節を思い出せなくて、結局YouTubeで調べて聴いてみたら、ほんと押入れの奥のほうから記憶がずるずるずるーっと引っ張り出されて、そーだったーと心ふるえた。ちなみに、日曜のお隣りさんは小説家の伊佐坂さんだけど、火曜のお隣りさんは画家の浜さん。お隣さんのペットの犬はハチじゃなくてジュリー、三河屋さんは三郎さんじゃなくて三平さん。いやぁ、なんとなく違うよなぁってくらいの認識で、ずーっと見てたなぁ。懐かしい。ずいぶん遠くまで来たもんだ。

2021-04-14

YouTube「キャリアデザイン講座」第12回を公開(キャリアの棚卸し)

勤め先のYouTube公式チャンネルで「キャリアデザイン講座」第12回を公開しました。今回のテーマは「キャリアの棚卸し」について。

【クリエイターのためのキャリアデザイン講座12】(キャリアの棚卸し)

自分の好きなこと、嫌いなこと、やりたいこと、やりたくないこと、得意なこと、苦手なこととかって、なかなかズバリとは言えないし、全容を把握しきれていないもの。また実際の自分というより、こうありたいという理想の自分像にゆがめられて認識しているケースも少なくありません。

そこで自分の実像に迫る自己分析アプローチとしてご紹介するのが、今回のキャリアの棚卸し。過去の自分の経験を振り返って、どんなときにどう思ったか、何を好み何を嫌ったか、何を楽しみ何にうんざりしたか、何を選んで何を選ばなかったか。何を身につけて、どんなふうに自分は変わったか。そうした自己理解を掘り下げていく段取りをご紹介しています。

会社で新卒5年目向けとか30歳向けとかでキャリア研修を行っている場合、キャリアの棚卸しがプログラムに組み込まれていたりするんじゃないかと思いますが、そういう機会なかったな、ちょっとここらで振り返ってみようかなという方は、転職するしないとかに関わらず、ぜひ活用いただければ幸いです。

ちなみに私は、キャリアカウンセラー資格をとるときに受講した講座の中で1回(20代半ば)、あと親会社主催でグループ各社の30歳社員を集めて行うキャリア研修みたいなので1回(30歳)、わりとがっつりやる機会がありました。個人的には去年も結果的に近いことをやった感あり(44歳)。それぞれに発見がありました。

が、真剣にやると疲れるし、やり始めるの億劫だし、時間もとるのは確か。会社の仲間でとか、同業者の寄り合いでとか、数人で集まって半強制的にやらねばな場を設えてやるのもありかと。ご興味あれば、ぜひ覗いてみてください。

中身はオーソドックスなキャリアデザインの基礎知識ですが、今の時代感をつかみながら、クリエイターの皆さんにできるだけ親しみやすく、1本10分程度で気軽に見られるものを念頭において作っています。2週間おきで更新していますので、どうぞ、ごひいきに。

2021-04-13

日常生活に変更を加える

4月に入って水泳を再開し、足元はニューバランスのスニーカーを常用しだし、食事は自炊を中心にし、ラジオは若干控えめ、ポッドキャスト番組を若干増し、本は仕事もの・エッセイ・自伝・小説と雑食して半月ほど過ぎた。あれこれ日常生活に変更を加えて歩みだした新年度。

キョンキョンが最近始めたポッドキャスト番組*で、ポール・ギャリコの「雪のひとひら」という小説の名を挙げているのを聴いて、興味をもって読んでみた。

擬人化された雪の誕生は、人が生まれる神秘と重なり合う。上空で雪が生まれて、ひとひらが地上へと一方向に向かって降りていく様子は、人が死に向かって直進しているのと重なる。でも、それが物語の始まりでもある。

そういえば人間は、こういう世界もイマジネーションを働かせて創作することができたんだったと、久しぶりに思い出させてもらったというかな。なんだかんだいって自分の想像領域、ずいぶんせせこましいことになっていたかもなぁと頭の中の境界線を融かしてもらった感じ。

この間、友人とのおしゃべりで、まりこさんは生きる意味をどうとらえているか聞いてみたいと言われて、マクロとミクロで率直に思っていることを話す機会があったんだけど、なんかシンクロニシティを感じたりもしたな。豊かなおしゃべりだった。さぁ新年度を歩もう。

*ホントのコイズミさん「#1本にわくわくした⻘春時代、時を経て今思うこと。」

2021-04-01

「Web系キャリア探訪」第29回、上司の器が規定するもの

インタビュアを担当しているWeb担当者Forumの連載「Web系キャリア探訪」第29回が公開されました。今回は、リーガルテック分野で急成長中のスタートアップ、LegalForceのマーケティング責任者、高品美紀さんを取材しました。

20代 キャリアに迷ったどうすべき?――急成長のスタートアップでマーケティング責任者の仕事観

マーケティング専任として入社して、わずか1年半の間に、マーケティング担当者が1名→10名に拡大、その責任者としてチームを率いています。

高品さんは30代で、たぶん私と一回りくらい年齢差あると思うんですが、なんともしっかりした歩みと志しで、以前ラジオで久米宏さんが言っていたけど「30過ぎたら関係ない」って、改めて本当だよなぁって思いました。

あと、なんとなく後引いたのが、社長から「上司の器がチームの成長上限」と言われているというお話。本編で述べたとおり、高品さんへの社長の期待が伝わってくるなぁというのが第一に思ったことなんだけど。おまけで考えたのが「上司の器が、部下個人の成長上限にならないようにマネジメントする」って上司の立ち回りも、けっこう大事かなぁなんて。チームの成長上限が、必ずしも部下個人の成長上限とイコールではないかとも、もにょっと考え転がしたりしました。

閑話休題、高品さんの今後のキャリアデザイン。自分で自分のキャリアの行く末を描くより、会社の成長に応えて自分のやるべきことをやっていくことで、自分の想像を超えたキャリアを実現したいというお考え、とっても素敵だなって思いました。ご興味ある方は、ぜひ読んでみてくださいませ。

2021-03-31

期をまたぐ前に

この4月から、いちおう部署が変わることになっている。といっても事業部は同じだし、最小単位のグループも変わらない。「事業部」と「グループ」の間に挟まっている「部」というのが、この春に新設される事業推進部に変わるという次第で、体感する震度は1に満たない。

なんて書くと、組織改編しているのに自分の役割を見直そうとしない意識低い系社員に思われるかもしれないが、ちがうのだ。すでにこの一年でやってきた仕事の体感7〜8割が、所属グループの枠をはみ出した事業推進としかくくりようがない仕事領域で占められていたのだ。なので感覚的にはこれまでと地続きの期初を、明日迎えることになる。気がつけば、また春到来だ。

私はこの一年、会社の人と新たな仕事を始める入り口でよく、自分が役立てる能力は「国語力」だと冗談まじりに伝えていたのだが、この何か言っているようで何も言えていないワードが、わりとうまく働いてくれたかもなぁと振り返る。

しょっぱな相手が「ふはっ?」という顔をするのだけど、「とりあえず、この辺相談してみっかな」と相手がイメージする領域をわりと広くとれる。曖昧だけど間口の広い言葉を採用するのも、ときには有効なのだなぁと思い新たにする今日このごろだ。

言葉選びひとつで、相手のうちで引き出される考えや感情は多いに変わってくる。無意識に「これは違うな」と思われて、想起されない領域も作り出してしまう。言葉は人を規定する力をもっているし、潜在的な何かを人のうちから引き出す力ももっているので、よい加減の言葉を選ぶことには慎重を期したい。

そうして、相手が何かやりたいことなり解決したい問題を抱えていて、私がもたない専門性や考え・思いをもっているのを、対面して話を聴いて、引き出す。それを読み解いて構造だててシナリオだてて、前に推し進めたり、形に起こして皆で共有できるようにしたり、価値ある実体に変える。

そういう推進力ひっくるめて、私は国語力というか「編集力」を主力に働いている感覚があり、これの動力となっているのが気合いと献身。編集力と気合いと献身、これで自分が働いている感覚を覚えることが多い一年だった。

そうやって来るボール、来るボール、とにかく自分なりに知恵をしぼって丁寧に打ち返していると、人づてに仕事の依頼主が広がっていって、依頼主が広がると、扱うテーマも広がっていく。アウトプットとしてどういう形に落とし込むのか、スライド、提案書、記事原稿、スピーチ原稿、動画、ナレーション、デリバリーの方法もバラエティに富んでいく。

社内仕事をするようになってから、扱うテーマもずいぶんと広域になった。クライアント仕事をしていると、ある程度先方が依頼してくるテーマも特定分野に絞られるのが常だけど、会社であれこれの依頼に応えていくと、依頼主も上司の上司、隣りの部署、経営企画、経営者、親会社と広がっていくし、あわせて扱うテーマもマーケティング、事業戦略、会社のビジョン、SDGsなど、いろんなテーマに広がりを帯びていく。この広がっていく幅とスピードが、社内仕事ならではという気がする。

お客さん仕事で私にそんなことを頼んでくる人はいないし、私もお客さんの仕事でそんな専門外は預かれない。しかし社内のこととなると、とにかくやれるところまでやってみるということになる。いろんな領域がいい意味で見境なく、タッチャブルである。いちいち営業しなくても、いちいち契約しなくても、自分の仕事領域が広がる機会にありつけるというのは、ありがたい環境だ。

なんといっても、これまで触れていなかった領域の人の想いとか考えとか、見ている景色とか、こういう視点でものを見ているんだなぁとかいうのに、一人ひとり直接触れられるのがいい。いろんな人の頭の中、心の中にふれて、理解を深められたり、気持ちを寄せられるのが味わいぶかい。

理解が深まると、その人のためにどう自分が動けるか具体的に考えられる。気持ちを寄せられると、その人のために自分が動けるかぎり動きたいという動力を得る。考えたことを「こう考えてみたんですけど、どう思いますか」「そういうことじゃなくて、こういうことが求められていると私は思うんですが、どう思いますか」と、社内だとかなり率直に訊きやすいし、こっちが率直だと、向こうも率直になってくれて、そういうやりとりから信頼関係も、話の濃度も深まっていく。そうやって、その人の中にあるものを汲んで何かに展開していくのは、とても創造的な仕事だ。

一方で、それがやはり一つの小さな村の中の依頼主に限定しているという意識も、欠いてはならないなぁと思う。扱うテーマは多方面に広がれど、社外に目を向けてみれば、どの領域にもすごいレベルというのがあって、その外のレベルを自分のモノサシとしてもって、自分のパフォーマンスを絶対評価していかないと、実はなんでもない無価値な仕事をして自己満足している状態に陥りかねない。そこのところの基準をしっかり自分で洗練させながら、今はここでいろんなバッターボックスに立ってバットをふらせてもらえる機会を大事にして、楽しみながら、この一年もしっかり役立てるといいなと思う。

2021-03-29

足が1cm小さかった

3月頭くらいからか体にガタがきて、ジョギングができていない。その一方で仕事のほうはかなり忙しくなり、頭と心の疲れぐあいに比して体の稼働があまりにも少ないアンバランスな日々を送っていた。

回復のきざしもないし、これはいいかげん先生に診てもらったほうがいいかもしれない。というわけで、週末の隙間時間を使って近所のクリニック的なところに行ってきた。この道中でやっと桜が観られた。

私は体の部位とか感覚を表す語彙力がかなり乏しく、どう困っているのかを医師に説明するのが、たいそう苦手だ。初診の「痛みのプレゼンタイム」には、いつも手を焼く。

名前を呼ばれて診察室に入ると、医師が「どうしました?」と尋ねてくる。自分の説明の至らなさは重々承知しているので、「説明がなかなか難しいんですけれど…」と切り出す。そして立ち上がる。

私、説明下手ですよ!でも一所懸命に伝える気はあるんです。だから先生も心して聴いてください!という関係づくりを頑張るのだ。相手にも頑張ってもらわないと、ここの情報交換が成り立たない。

さて、まず部位だ。部位の説明は、異文化コミュニケーションする意気込みで、立ち上がってやるのがよかろう。そう、クリニックまでの道中で心に決めてきた。とにかく全身を使って、お伝えするのだ。「ここからここら辺に痛みを感じるんですよね」。医師にも、私のから回った意気込みは伝わっているようだ。ふむふむという表情で、こちらの話を聴いてくださる。

次はなんだ、痛みの種類か。これは、難しい。痛みの種類を説明する語彙が全然浮かんでこない。ちくちくでもないし、ずきずきとも違う。0.5秒で断念する。脳内に「スキップ」という指示がとぶ。誰の声だか知らないが、次いってみよう。

痛いときは、どんな時か。これはどうだ?いけそうだ。えーと「じっとしている時には痛くないんです。でもジョギングするとなると、それはないなというくらいに痛む。歩いていても、数分歩き続けたり、小走りしたりすると痛みを感じる感じでして」。こんなんでいいんだろうか。よくわからないけれど、まぁ頑張って伝えているふうではある。脳内で及第点がつく。

とりあえず初手としては、これくらいの情報量でいいのではないだろうか。あまりべらべらしゃべりすぎるのもなんだし。あとは黙って、先生の質問に応じていくコミュニケーションに切り替える頃合いではないか。脳内の誰かから、また指令がとぶので、ここで黙ることにする。

そこから先生とのいくつかのやりとりがあって、先生のプレゼンタイムが始まった。つまるところ、そもそも歩くときに、足元のここがこうなっているから、それのバランスをとろうとして体のほうがこういう体勢になってだな、そういう歩き方のまずいところに、コロナで日々の運動を水泳からジョギングに切り替えて体にこれまで以上の負担をかけるようになって痛みだしたということだろうという説明を聴き、ふんふんなるほどと。授業を受けるように解説を受けた。

これをまた、理解はしたのだけど、うまくここに書けないくらいには体の部位や感覚に関する説明力が乏しい…。とにかく結論、

1.「かかと寄り&内寄り」な重心を「つま先寄り&外寄り」に直す意識で、「つま先と土踏まずで体重を分け合って支える」歩き方を意識すること

2.靴を変えること(平らな楽な靴を履いてりゃいいってわけではなく、前方しめるところをしめてかからないとダメ)

3.歩き方は意識することで治せるか微妙だし、治せるにしたってすぐに良くなるわけじゃないので、日々の運動はジョギングではなく水泳に戻すこと

持ち帰ってきたのは、この辺のことだ。2月くらいに、すごく気持ちよく泳ぐ夢を見て、あぁやっぱり私は走るより泳ぐのがいいのではないかとは思っていたんだよなー。

痛み止めとか湿布は特にいらないとお断りしたので、先生の儲けが全然でなかったようで申し訳なかった。「授業料でつけといてください」と言ったのだけど、「そういうとり方はできないんですよー」ということだった。800円くらいで、たくさんアドバイスをもらって帰ってきてしまった。

さて、この診察の中でもう一つもらった手土産が、足のサイズ情報である。私はずっと自分の足のサイズを24cmだと思って靴選びしてきたのだけど、実際に目の前で測ってもらったら23.1cmだった。これにはびっくりたまげたなぁ。靴も買いにいかないと。プールも、早く泳ぎたい。

2021-03-24

YouTube「キャリアデザイン講座」第11回を公開(自分が前提としている環境・条件)

ここしばらく猛烈に仕事する日々が続いておりまして、桜がすっかり散った頃には一息つけるのではないかという見通しをもってぜいぜいひた走っているのですが、こちらはこちらでせっせと作りおさめました。勤め先のYouTube公式チャンネルで公開している「キャリアデザイン講座」の第11回。

外のピーポーピーポー音を拾ってしまって録り直しなどという一幕もあり、相変わらずの家内制手工業ですが、今回のテーマは職探しの際これ1本単品でも、あるいは役立ててもらえるかもしれないという、ささやかな期待をもって送り出します。

【クリエイターのためのキャリアデザイン講座11】(自分が前提としている環境・条件)

キャリア選択するとき、平たくいえば職探しするときに「自分が前提としている環境・条件」を、あらかじめ一通り洗い出してから取りかかろうというリストアップのためのガイダンスです。

職探しの前提条件っていうと、職場の場所ひとつとっても「引っ越しは論外」の人もいれば、「移住も許容できる」、むしろ「どこかへ移住したい」人まで様々だし、今後は「在宅勤務」を前提とする人も増えるかもしれません。

一人の人の中でも時期によって環境・条件って変化するし、意識にのぼってこない実は前提条件とかも広範囲にあったりするので、そのへんを「あれはどうですか、これはどうですか」という私の話を聴きながら10分強で網羅的に洗い出してみようという趣向です。

大項目としては、次の5つの観点を網羅して探る内容になっています。

1. 経済的
2. 地理的・時間的
3. 身体的・精神的
4. 文化的・言語的
5. 職業倫理上、信条・信仰上

お手元に「こういう職場は嫌だ」みたいなネタ、じゃなくて条件リストみたいなものがすでにあるようでしたら、それに肉づける観点はないかなぁくらいの感じで、就・転職活動の際お気軽に使っていただければ幸いです。

中身はオーソドックスなキャリアデザインの基礎知識ですが、今の時代感をつかみながら、クリエイターの皆さんにできるだけ親しみやすく、1本10分程度で気軽に見られるものを念頭において作っています。2週間おきで更新していますので、どうぞ、ごひいきに。

2021-03-18

柳家小三治さんの「心の方針」

心をほぐすような一冊を…と、デスクの隅の積ん読本をしり目にジャケ買いしてしまったのは「どこからお話ししましょうか 柳家小三治自伝」*。名前のとおり、噺家の柳家小三治さんの自伝。表紙(Instagram)を見ているだけでも、ほっと一息。ここしばらく猛烈に忙しい日々なので、休日の隙間に一気に読んで、心ほぐしてもらった。

傘寿を迎えた小三治さんだけれど、自伝とあって若い頃のことから今までのことが200ページほどに凝縮して綴られている。なかでも二ツ目の頃の話には励まされた。

小三治さんは前座から二ツ目にあがるとき、ネタの数が少ないのを恥ずかしいと思っていた。二ツ目になるときには百くらい噺を知っている人もいるようだったし、同じ時期に入門した同期生2人も「3日あればひとつの噺をおぼえられる」と豪語していた。一方の自分は、ひと月たってもふた月たってもおぼえられない。稽古して練習してるんだけど、頭に入らない。

先へ行かないんです。これじゃあ違うな、こんな言い方ないなって。こういうときはこういう気分じゃなきゃダメだよなとか。ほんとに三歩進んで二歩下がっちゃう。

その頃から小三治さんは「落語をせりふでおぼえる、言葉でおぼえるっていうより、了見でおぼえていく。中の登場人物の気持ちになって、その人の発言としておぼえていく方法を取るようになった」と言う。

中の人の登場人物の心持ちに、すっかり沿えないと、せりふは出てこない。むなしいせりふは言えない。だから、遅々として進まない。仲間が3日後には全部すっとできるのを、ひと月もかかって半分も行かないと自分自身にいやになっちゃう、愛想が尽きる。「でも、しょうがねえから、また起き上がってムチくれてかけ出そうっていう、そういうジレンマ」を抱えながらやっていた。

時間はかかっても、表層ではなく奥をつかみにいく。形ではなく、中身を作る。中心をはずさず、まっすぐ向いて、まともにやっていく。そういう歩み方に、たいそう共鳴したし、励まされた。

私が普段たどる道のりは、回り道も多く、とろい。物事を咀嚼して、自分の中に編み込んでいって、自分で納得してから、何かに展開して、表に出していくまでにたどる道のりはややこしくて、人にばれれば何をやっとるのかと呆れられること請け合いだ。だから、どこを経由してそこにたどりついたのか、アウトプットまでの道のりを事細かに人に説明することはない。そこそこの時間内に、ほほぉというアウトプットを出せれば、誰も何も文句は言わないし、迷惑はかけない。いくらじたばたしても裏では時間がかかっていても、それはそれでいいことにした。

結局、私はそこをたどる以外の選択肢をもっていないのだ。何かをスキップして済ますのも性に合わなくて無理が出る。いったん割り切ってしまえれば、回り道も楽しめるし、自分の肥やしにもなる。時々自分の思考のとろさにやきもきしても、しゃーないと思って、あっちゃこっちゃ経由しながら丁寧にやっていく。選択肢をもたないなら、それを自分の道として楽しむ。

そうして鍛錬していく中で、小三治さんが目指す方角を切り替える、あるいは「自己を持つ」という舵をきる二ツ目時代の描写がある。

噺家になってこの世界に入ったときは、いつか文楽師匠のように完成された芸になりたいって思ってましたよ。文楽師匠は私の師匠の師匠ですし。でも、やってるうちに心の底から魂を揺さぶられるような芸になりたいって、まぁ、私の欲が出たんでしょうか。

単独での芸の完成形を目指さなくなる。ここには、噺を受け取る相手に対する期待とか信頼があると思うんだよな。自分が送り出したものを受け取った先で、相手が自分の中でそのイメージを立ち上がらせて、感情を揺らし、内容を咀嚼し、意味を作り出してくれるっていう受け手への期待とか信頼が前提にあって成り立つ話だ。

そういう想像のもとに、噺家の表現は、単独での完成を目指さなくなって、相手にどう届けるか、正解のない表現を目指して想像を巡らせ続けるようになる。それはいつでも誰でも完璧に届けられるという自分へのおごり、相手は受け取るだけという思い込みを排することでもある。相手先でどう転じるか、最後はわからない。

そういうところも自分の普段のコミュニケーションや編集業務に通じるところがあって、目指す先に共鳴するところが多分にあったんだよな。身のほど知らずって言われたら、それまでだけどもさ。

芸、芸術、人の生き方でもなんでも、いいんじゃないの、つまずいたって。その人がなにをしようとしているのか、目指していることが素敵だったら、拍手したいよね。また、拍手できる人間になりたいと思う。それにはまず自分の側を取り去ることしかない。

奥をつかみにいくっていうのは、そういうことでもあるんだよな。その人が今つまずいていることに目線をあわせて終わるんじゃなくて、その人が目指していることに目線を向けてみる。それが素敵だったら、拍手したい、応援したい、そこの目線あわせは、自分にかかっている。丁寧に、大事に、その人を見て、奥をつかみにいくのだ。奥っていうのは、先ってことにもなるのだ。

自分の大好き、自分の面白い、自分の良し、自分は何を目指して、何を素晴らしいと思い、何をみっともないと思うのか、小三治さんの心の方針がつづられていた本。

私はこれを受け取って、心の方針をもつって大事だよなって思ったし、自分の心の方針を大切にして生きるって大事だよなって思いを新たにした。私はそうやって生きていくんだ。

*柳家小三治「どこからお話ししましょうか 柳家小三治自伝」(岩波書店)

2021-03-12

Era Web Architects「写真展」という体験

先日こちらでご案内したEra Web Architectsの写真展が始まり、ただいま会期中(3月9日〜14日)。せっかくなので初日の晩のレセプションにあわせて観賞に訪れました。

そもそもポートレートの写真展に足を運んだのが初めてだったのですが、あんな立体的に人物を浮き彫りにする仕上げがなされているとは想像しておらず(感じたことを適切に言い表せている気はしない…)、ギャラリー空間の入り口に立って全景を見渡し、壁にかかるポートレート写真を視界におさめたとき、まずちょっとびっくりしました。

そして入り口付近から遠目にみても、自分が被写体になっているポートレート写真の中の人が明らかにびっくりしていて、それを観た私もびっくりしました。私一人だけ、びっくりしてない?と。

ただ少し遅れて伺ったため、まずは案内に従って静かに着席。(発起人の坂本貴史さん、写真家の坂本貴光さんのお話は聞き逃してしまい…)、ポートレート写真に取り囲まれながらバイオリンとビオラの生演奏を聴きました(旋律がロマンチックすぎて泣いてしまった)。ドイツではよく、個展の初日にこうしたもてなしをするのだそうです。

その後、自由に観てまわっていいタイムが訪れるや、立ち上がってうろうろ。写真家の坂本貴光さんによると、ポートレート写真は「目をデザインする」ものなのだそうで、実際、被写体それぞれの表情豊かな眼差し、潤いに満ちた瞳孔には、大いに惹きつけられました。

それでまぁ自分のポートレート写真にも近寄ってみるわけですが、間近でみると写真というより鉛筆画のよう。彩った黒のつややかなこと(言い表せていない…)。

被写体と私(Instagram)

ギャラリーに足を運んで、実物を観ることでこそ感覚に届くものが確かにあるなぁと私にもわかったし、数十のポートレートに取り囲まれる空間に身をおいてこそ味わえることも確かにあるなぁと思えたし、こうしたものの観賞はまったく素人ながら、たいへん新鮮な体験ができました。

また会期初日がたまたま自分の誕生日だったため、久しぶりの面々にレセプションでお目にかかることができて、とても素敵な誕生日になりました。心から感謝、感謝です。

被写体それぞれの表情の撮り方はもちろん、トリミングの仕方もいろいろで面白いし、紙も普通の人は買えない特別なものを使っているそうで、石灰で表面がコーティングされているのだとか、1年がかりで仕上がっていくのだとか。被写体を知らなくとも、坂本貴光さんの写真展として、写真を観たり撮ったりするのが好きな方から、それを専門とする方まで幅広く楽しんでいただけるかなと思いました。

今週末3月14日(日)まで恵比寿でやっていますので、ご興味ある方&お近くの方はぜひ足をお運びください。詳しくはPeatixのイベントページにご案内があります。被写体(私)の知り合いということで「入場券(関係者招待枠)無料」で事前申し込みいただければ、4千円いらず無料でお楽しみいただけますので、お気軽にどうぞ。

2021-03-11

3月の初詣、出雲がゆかりの地に

今週の月曜日、父を誘って成田山へ初詣に出かけた。3月に初詣なんて遅過ぎるけれど、コロナ禍でお正月恒例の参拝はひかえ、少し落ち着いた頃合いに…と思っていたら3月に。

再延長の緊急事態宣言下ではあるものの、有休休暇を取って平日の真っ昼間に決行すれば、電車は行きが下りで、帰りが上りだし、おおむね田舎から田舎への移動という感じだから(特に父は)人混みにあわず行き来できるのでは、と企てた。むしろ宣言明けのほうがリスクを感じる…。

この日なら仕事も都合がつくし、世の中的には普通の平日ながら、私の誕生日前日とあって父と私にとってはなかなかめでたいデーなので、ちょうど良かった。

その日を迎えると、天気はあいにく冷たい雨。しかしコロナ禍では絶好のお出かけ日和とも言える。父が朝に電話をかけてきたので、第一声「雨だねぇ」と様子を伺うと、父が「俺のメモには雨天決行と書いてあるよ」と返してきたので、「じゃあ行きましょ!」と応じた。

実際向かってみると、電車がらがら、参道もがらがら、食事処もがらがら、新勝寺もがらがらで、すばらしくゆったりのんびりできた。私は成田山てお正月しか訪れたことがなかったので、ギャップがすごかった。人混みなく歩く参道も境内も初めてで、こんなに大きいのか、こんなに広いのか、こんなに立派なのかーと、あちこちで感心した。同じ場所でも見え方ってこんなに変わるものなのか。

大本堂の中にも少しあがって、祈祷の様子を眺めた。お坊さんのお経を読む声が堂内に響き渡り、お坊さんの前には大きな炎があがっていて、端からは大太鼓を打つ音が鳴り響いていた。自分の心は、時を重ねるごと静寂さを得た。私は太鼓の音が好きだ。

食事処も、お正月だと食べたらすぐ出て行く混み具合なのだけど、今回ばかりはいつまででもゆっくりしていってくださいなーという竜宮城状態だったので、あれやこれや父とおしゃべりして長居した。

そこで、そういえばと思い当たったのが、私は父方の祖母のことをほとんど知らないまま今日までやってきたということだ。祖母は、私が生まれた20日後くらいに亡くなったので一度も会えずじまいで、入れ替わりのようにして私がこの世に生を享けた。彼女が、父とのおしゃべりの中で出雲の人だと知り、えぇ!と内心テンションがあがった。この歳まで知らなかった。

がぜん出雲行きたさが高まり、いや前から行きたいところではあったのだけど、急に「ゆかり」感が高まったのだ。人の認識っておもしろいなと思う。お調子者とも思うが…、いやぁやっぱり生きている間に一度は行かなきゃな、コロナが明けたら行きたいなぁと、「出雲」の地を心に書きとめた。

翌日の誕生日の晩、床について目を閉じた刹那、ふと、この、今生きている私の人生が幕を閉じ、いつか私の意識も無意識もなくなって、体もなくなって、土に帰るのか、天に向かうのか、それとも海に帰すのか、全部がなくなるんだなぁという核心に、触れた。こんな文章をしたためている、もととなっている心のうちが、何もかもなくなるのだ。それくらいちっぽけなものと認めながら、私は大事に、大事に、この人生を生きていく。感謝して、生きていきたい。

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