2022-05-13

「良いものを真似してみる」という学習の基本

人が作ったものをそっくりそのまま真似して、作ったものをネットに公開した行為が問題視されることがある。それは確かに著作権侵害であって違法だ。ただ、そのときに勢い「その行為の一部始終」を分別なく全否定するSNS上の発言も見られる。

「持論だけど、人のものを真似するより、一から自分でオリジナルのものを作る経験を数こなしたほうが力がつく」とか言われると、そう、かも?と思うかもしれない。

けれど、ここには一つ落とし穴がある。それを続けているかぎり、自分が思い描けるかぎりのゴールしか目指せないし到達できない。その人が初心者の場合、設定できるゴール自体が低く偏狭になりがちだ。熟練者が到達するレベルとはどんなものか、それを具体的に思い描いて設定することがまず難しい。

「良いものはたくさん観ればいい、真似なくていい」と思うかもしれないが、観るのと真似るのとでは取り込めるものに雲泥の差がある。冷静に考えて、「良いものを真似してみる」という行為そのものは尊いことだ。そうやって人は人から学んできた。

人のものを真似しちゃダメなんだというところまでまるっとひっくるめて冒頭の行為を否定してしまうと、良いものに真似ぶ行為いっさいに手を出せなくなる。すると初心者が、初手からいきなりオリジナリティあるものを作り出すお題を抱え込む。それでは一歩も踏み出せずにおじけづいてしまう人も出てくる。そんなの、むちゃな話だし、それを求める人も自分がさんざん先人のやり方を真似して生きてきたことに対して無自覚すぎるのではないかとも思う。

良くできているなぁと思うものを真似すること自体、腕を磨くトレーニング法として否定される筋合いはない。手を動かして真似てみないと気づけない職人の技というのが、良い作品にはたくさん詰まっている。

何の道具を使って、どこの線をどう表現したら、この絵が再現できるのか。どうしたら、この色が出るのか。ここに壁の傷を描いたのはどうしてなのか。光のあたり方は、なぜこうなっているんだろう。ここに陰影をつけることで、何を印象づけたかったのか。なぜ被写体をこういう表情・姿勢にしたのか。この構図を決めるには、最初にどういう思案があったのだろう。美術館を訪れる人が一枚の絵にかける時間は平均17秒だそうだが(*1)、そうやって観るだけでは気づけないものが模写する体験の中にはたくさんある。

文章だって、ポール・オースターが「幽霊たち」(*2)の中で

書物はそれが書かれたときと同じ慎重さと冷静さとをもって読まれなければならない

と書いているのを読んだときは、んな無茶な…と思ったが、実際に部分的でも自分の心に刺さったところの文章を書き写してみると、なぜこの言葉を選んだのか、なぜこういう比喩表現を作り出せたのか、これを伝えるためにもってきたエピソードがこれとは見事だなと、文章を書く行為を追体験したからこその感嘆ポイントに遭遇することがある。

もちろん、真似する中で何をどこまで発見するか、何を受け止めるかは人によって千差万別。表層的な再現に留まる人もあれば、なぜ作者はここでこういう作り方を選んだのだろうといくらでも掘り下げて再現性あるスキルとして自分に取り込む人もある。「きっとこういう意図があったんじゃないか」とか「自分も、こういうときには、こういうアプローチをとってみよう」とか仮説立てて考えている時点で、それは作者の模倣行為から離れて、自分独自の学びの世界に足を踏み出しているとも言える。

教科書、参考書、入門書で学ぶところのさまざまな分野の「一般的な型」も、これと同じように思う。まずは型通りやってみる、型を覚える、型通りできるようになるという足場づくりは、たいそう意義深い学習ステップだ。

佐渡島庸平さんが著書(*3)の中で、型とオリジナリティの関係をこのように書いているのが刺さった。

こうして型を更新したときに現れたものこそが、「オリジナリティ」だ。逆に、型のないまま、自己流だけでたどり着くのは、大抵、もうすでにある型の劣化版だったりする。

オリジナリティとは、型がないのではない。型と型を組み合わせるときに生まれる。いかに遠い型と型を組み合わせるかが革新を生み出す。だから、「革新は、辺境から生まれる」と言われるのだ。オリジナリティがあるものをつくるためには、型を携えて、辺境へ行く必要がある。

型によって「伝わる」が担保される。その型の中に、書く人の「記憶」が詰め込まれる。その記憶の部分に個性が宿る。

オリジナリティにこだわって、真似ることを嫌う人が、型を使わずに自由に語ろうとする。すると、とにかく、伝わらない。そうではなくて、自分が語りたい記憶・体験を物語の型に入れて話すから伝わるのだ。

オリジナリティって、そんなに気張らず、ゆっくり着実に育てていったらいいんだ、いけるものなんだ。そういう考え方は、平凡な自分を大いに励ましてくれた。

*1:エイミー・E・ハーマン「観察力を磨く名画読解」(早川書房)
*2:ポール・オースター「幽霊たち」(新潮社)
*3:佐渡島庸平「観察力の鍛え方 一流のクリエイターは世界をどう見ているのか」(SBクリエイティブ)

2022-05-12

わーっと立ち上がってくるときは境界線なんて踏み倒している

4月にちょっとしたテスト問題を作ったのだけど、やっぱりテスト作り、楽しいなぁって思った。回答者の心理をあれこれ推し量りながら、うまいこと誤答しやすい選択肢を作りこみ、簡潔に要点がつかめる解説文を推敲し、原点に立ち返って目的に適っているかの確認、こういうのは実に創造的で職人的なおもしろさを覚える仕事だ。

テストというのは、学校でやるテストじゃなくて、会社でやるテスト。部門のメンバーが業務に使う専門分野の理解度を腕試しするミニテスト。

テスト作り単体でいうと、実質かけた時間は半日程度。ひとり工房にこもって(自宅だが)黙々と作ったようなものなのだけど、この地味な創意工夫の時間が、実に豊かなひとときだった。

その夕方、できたてほやほやのプロトタイプ的なのを関係者にやってみてもらったら反応が良く、結果も意図した通りにはまって、求めていた効果が発揮されることも確認でき、よしよしとプチ達成感を得た。

今回作ったテストは「事前テスト」という位置づけで、次ステップの「勉強会」に呼び込むための踏み台。ミニテストを受けてもらうことで、内心「やばっ、できてない」と思ってもらって、「お、ちょうどいいところに、自分で情報かき集めなくても、教えてくれる勉強会やってくれるんだ、じゃあ効率いいし参加しよっかなぁ」と思ってもらえたら、という設え。

だから、全問正解できる簡単な問題では、その役目を果たせない。とはいえ、知らなくても支障なさそうな問題で打ち負かしても意味がないし、くだらないひっかけ問題で減点したって回答者(=能力開発を支援したいメンバー)との信頼関係を結び損ねるだけ。間違っちゃうんだけど、これは知っておかないとなぁと思えるところに心情を着地する問題かが問われる。

見た感じはあくまでライトに、気軽に受けてもらえるよう5問のみ、すべて択一式、さくっとブラウザ上で答えられるGoogleフォームで用意。

しかし実際に解いてみると満点がとれない。回答後そのまま自分で答え合わせができるようになっていて、短い解説もついている。人の目を気にすることもないので、そのままの流れで採点と解説を読む。すると、へぇ、知らなかったー、でも、これは知っておかないとまずいなぁという気になる。そこに来て、さくっと教えてくれる勉強会が開かれるという。ならば参加しようということになる。

この間コンテンポラリーダンスのパフォーマンスや振り付け、演出など手がける方とおしゃべりする機会があって、それって構想のとっかかりは、「客席」から見た構図の視点から発想が広がっていくのか、「自分」の内側から感受したものに身体的な動きをつけていくところから発想が広がっていくのか、最初どういうふうにイメージが出てくるものなのか?という素人質問をしたら、両方とも同時にイメージが立ち上がってくるという回答があって、うわーすごいなぁと思ったんだけど、翻ってみるとテスト作りのときは私もそうかもって思った(一気に話を戻す…)。

何のためには何が必要かという全体の設えや、受ける人の感情の動きのようなもの、そのためにはどういう作りこみが必要かは、私も同時に立ち上がってくる。小さすぎるか、地味すぎるか、コンテンポラリーダンスと重ねていい話じゃない気もするが、そこは穏便に。

こう立ち上がってきたものを、まずは粗い全体構想としてスケッチして、各要素に分けていって、イベントを時系列に並べたり、それぞれの要件を書き出して、その要件を満たすためには、事前にこういう下ごしらえも必要だなとステップを追加したりして、行ったり来たりしながら体系を詰めていく。

どこまでを実務的に担当できるかは、確かにそのときの自身の立場・役割・環境が関わってくる。だけど、どこまで自分が関われるかに関わらず、全体構想が立ち上がってくるときに、自分の脳内で職域とか職階とか私の担当範囲はここまでとかいう境界線は踏み倒して考えたほうが自然なんじゃないか、そこは止めないほうがいいんじゃないかと思う。

社外クライアントの社員研修プログラムを作っていた頃は、研修単体の予算しか割けないことも多く、勝手にテストを作って取り入れるわけにもいかなかった。何のために、どこをゴールに、誰向けにという分析を手際よくやって、それを足場にして筋の通った研修カリキュラムをいかに短時間で済むよう組み上げて提供できるかという知恵しぼりが求められる。

それでも時にはじっくり関わらせてもらえる案件も巡ってきて、研修前後にテストを組み込んだり、評価のフィードバック、OJTプログラムを組んだり。そこで、こういう(研修単体にとどまらぬ)包括的な組織の人材育成、パフォーマンス向上の施策に、戦略から戦術まで関わることの意義と面白さを覚えた。

これが自社内の事業推進的な役どころに身を移した今、私が動く分には原価が発生するわけでもないし、私が工房にこもって、ここでは勉強会を開く前にテストを組み込むと良さそうだなと勝手に発想して勝手にプロトタイプを作って勝手に提案しても、良ければ「おぉ、いいね、ぜひやろう」っていうぐあいに事を進められる自由を得た。

ここの創意工夫をインストラクショナルデザインの専門性として認めてくれる職場環境ではないけれど、事業推進に貢献することならわりと職域だのセクションだの職階だのの境界線は踏み倒していける往来自在な環境は、野生児には都合がよく好ましい。

繰り返しになるけれど、確かに今の役割・環境だと、職種や職階で自分の立ち回りに制限が加わることは現実的にあるだろうけれど、それっていつ崩れるかわからない不確かなものだ。自分の中に全体構想がうわーっと立ち上がってくるときには、既成の枠組みなんてなぎ倒して、境界線なんて踏み倒してもの考えるのが自然と思う。それはそれで大事にした上で、各工程、各パーツの中身を冷静に詰めていったり洗練させていく部分は、ときには分業して自身の担当範囲を預かり詳細に作りこんでいく。両方そなえて、行ったり来たりの往来は、へんに意固地にならず、自由にしておいたほうが健康的なんじゃないかなと思ったりした。

2022-05-01

妹が見てきた「この世界」の物語り

このゴールデンウィークは、コロナ禍ずっと帰省を控えていた妹が、久しぶりに千葉の実家に帰ってくるというので、私も日を合わせて帰省した。

その日は雨天で風も強く、飛行機が飛ぶか、飛んでも途中で引き返すかもしれないという空模様だったけれど、いくらか遅れる程度で済み、夕方のうちに成田空港に着いた。

私は地元のほうの駅近くで、その報をLINEで受け、そのまま妹を待つことにした。実家に帰って父と一緒に待ってもよかったのだけど、父はすでに晩酌を始めており、これから家を出てくる様子でもない。家にごはんを用意しているわけでもないから、二人で外で食べてきたら?と父も言っている。ならばと駅近くのお店を探して、どこかで妹と二人で晩ごはんを食べてから一緒に実家に帰ろうと企てた。

というのも今回、妹が数年ぶりに帰ってくると聞いて、なんとなくぼんやり、妹から見た、この世界の話、彼女の歩んできた道とはどんなものだったのかを、ゆっくり聴いてみたいなと思いついたからだ。

近いようで遠い、というか、よく考えてみれば小学高学年くらいからは友だちと遊ぶ時間のほうが圧倒的に長くなって、4つ離れた妹とは、そんなに時間をともにしなくなった。大人になってからでいえば、さほどじっくり話しこんだ思い出もない。

会えばたわいのない話を普通に交わす仲だが、とくべつ仲良し姉妹というのでもないし、おたがい独立した人生を歩んできた。母が亡くなるときの壮絶をなんとか乗り越えた共通体験には思い重なるところもあるだろうけれど、それだってやっぱり、かなり各々に母との思い出も違えば、乗り越え方も独自だった。

ここにきてなんとなく、私とさして同じところがないように見える妹から見た、この世界とか、この時代とか、自分の人生をどうやってきたのかとか、彼女はどんな物語を生きているのかといった話を、率直に聴いてみたいと思ったのだった。

これが実に、とっても豊かなおしゃべりとなった。地元の商店街に「こんなところに、こんなオサレなお店が?!」と妹もびっくりな(失礼…)ビストロを見つけたので、そこに妹を呼んで、あれこれつまみながらお酒を酌み交わし、気がつけば3時間ほど話しこんでいた。

まず彼女が笑顔で店に現れて健康な姿を見せてくれたとき、姉というより半分母ごころで喜ぶ自分があって、なんだか不思議な気分になった。それに妹が瓶ビールをついで、ぷはっと飲んでいるのを真正面から眺めるのも、なかなか乙なものであった。

さらに、妹が見てきた世界、妹自身のこと、子どもの頃のことや、大人になる過程で自分のことをどんなふうに捉えて、どんなふうに生きてきたのか、今の仕事のこと、健康のこと、いろーんな話をたくさん聴いた。

いろいろ聴いてみると、案外私のほうが図太いのかもなぁと思えてきたり、まったく違う性格だと思っていたけれど案外こういうところは同じなんだなぁと思えるところが見つかったり。私がもっていたぼんやりした妹の像が、いろんな方角に広がったり、塗り替えられたり、豊かに彩られたりした。

父は、さすがに3時間も話しこんで帰ってくるとは思っておらず、21時過ぎに帰って実家の玄関を開けると、眠たそうな目をしてソファに座って出迎えた。30分かせいぜい1時間、なんかつまんで帰ってくると思っていた。こんなに遅くなるなんて、二人で喧嘩してるのかと思ったと言っていたが、ちょっとすねていたのかもしれない。

翌日は、朝から三人でお出かけだ。この日は終日お天気が良くて、陽は暖かく、風はひやっとさわやか。妹にレンタカーを借りてもらって、彼女の運転で東京までドライブ。京葉道路にのって江戸川を越えていくと、真っ青に広がる空のもと、右手にスカイツリー、左手に雪をかぶった富士山が見える絶景。

首都高を下りると、大手町のビル群を抜け、日比谷から皇居にかけて、まっすぐにのびる大通りを走る。いくらかぐるぐるして辿り着いたのは帝国ホテル。ランチなら入れてもらえるでしょうと、17階にあるビュッフェ形式のレストランを予約しておいた。テーブルを囲むと、三人でたくさんおしゃべり、自然と子どもの頃の思い出話もたくさん話題にあがった。

小学生のとき、私たち一家は夏休みに伊豆大島に行った。そこでみんなでサイクリングしたとき、私は頭にポトっと何か落ちたのを感じて、自転車を止め「なんか頭に落ちた、なんか乗ってる!」と興奮して、頭を前に突き出した。すると母が私の頭の上を確認して「毛虫がいる」と言った。私はもちろん「きゃーっ」っとなって「誰か取って、早く取って!」と涙目。それを意を決してはらおうとしてくれたのは、そのときお母さんだけだったと述懐。すると妹が「そのとき、お父さん何やってたの?」と突っ込む。父は「そんなことあったっけ、笑って見てたかな、うひゃひゃひゃ」と笑う。

私は伊豆大島と言えば、まず「毛虫ぽたり事件」が思い出されるのだけど、もちろん他の面々はそんなこと覚えちゃいない。同じ場所で同じ出来事を体験していても、そのときの体験をどう感覚して、どう解釈して、どんな思い出として記憶しているのか、何を背負って、何を刻んで、何を抱え込んでその後の人生を生きてきたかは人それぞれ全然違う。同じ境遇なり体験なりを持っているからこそ、そのギャップがすごくおもしろい。

数十年前のことなんて、大方忘れている中で、相手は何をどう憶えているか。その話を聴くことで、自分の中では眠らせていた出来事が数十年ぶりによみがえってきたり、記憶が塗り替えられたり、アップデートしたりもして。年を経てから、思い出にひもづく心の交換こをするのって、新しい発見があるなって思う。

そんなこんなで、あれこれ食べて少し落ち着いたところで、妹がローストビーフをもぐもぐ食べながら「お父さん、もうお腹いっぱいなの?早くない?」と尋ねる。すると父が「お腹いっぱいっていうか、娘二人に囲まれて食事して胸がいっぱいになっちゃった」と口にした。あぁ、この時間を一緒に過ごせて良かったと思った。

そのうち、お店の人がイチゴのショートケーキにロウソクを立てて持ってきてくれた。妹の誕生日が近かったので、予約時に伝えておいたのだ。店のデジカメで写真も撮ってくれて、すぐにカラー出力してカードに入れてプレゼントしてくれた。妹もすごく喜んでいて、ほんと良かったなぁと思った。

せっかくなので母にもインペリアル気分を!ということで、帝国ホテルの地下に入っている日比谷花壇で、その後に行くお墓参りのお花を買うことにした。真っ白とピンクのカーネーションに、黄色いアルストロメリアというユリの花を合わせた。

帝国ホテルを出た後は、少し皇居外苑の北の丸公園を歩いて森林浴。私は昔から大木を見るとテンションが上がる(Instagram写真)のだけど、そこらじゅう樹齢いくらだろうという先輩たちに囲まれて、青い空に新緑がまぶしく映えて、人の混雑もなくて、家族でのんびり散策できて、たいそう元気をもらって帰ってきた。今回はまた独特の、家族の時間を過ごせたな。

2022-04-28

「Web系キャリア探訪」第39回、語られがたい光

インタビュアを担当しているWeb担当者Forumの連載「Web系キャリア探訪」第39回が公開されました。今回はSBテクノロジーでWebフォントサービス「FONTPLUS」を手がけ、エバンジェリスト(またの名を「フォントおじさん」)としても知られる関口浩之さん(の裏の顔?というか、今日に至るまでの分厚いキャリア)を取材しました。

「50歳を過ぎたら知見の伝承を」Web黎明期を支えた“フォントおじさん”が長年働いて気づいたこと

関口さんの講演を以前に拝聴したことがあって、私のような門外漢でも、お話を聴く数十分のうちに「フォント」への関心がぐいっと引き上げられるのを感じて、これがエヴァンジェリストの手腕かぁと感心してしまったのが数年前のこと。

表層的なプレゼンの巧さっていうのではなくて、ほんと(あ、ダジャレじゃなくて)フォントへの造詣が深くて、一つひとつの書体の個性にも通じていて、それぞれを愛情豊かに紹介する雄弁さも人並みはずれていて。

その一方、私たち聴衆に向ける表情は好奇心旺盛な少年そのもの、ずっとにこやか&なごやかで、会場中みんなが快く関口さんの語りに巻き込まれていく舞台パフォーマンスには、ものすごいインパクトがありました。

そのイベントの懇親会で少し立ち話をさせていただいたのですが、当時は定年を間近に控えていらした時期だったかな、それまでの激動のキャリアにも話がおよび、ぜひゆっくりお話をうかがえたらなぁと思っていた方だったのです。そんなわけで、この度そのものずばりキャリアについて取材させていただく縁に恵まれて、記事としてシェアできることを大変うれしく思っています。

あれから数年が経ち、現在はすでに定年を迎えられて、SBテクノロジーには嘱託社員という契約に切り替えてお仕事されていますが、今も超ご活躍。SBテクノロジー在籍27年をひも解き、1995年からビジネスプロデューサーとして数々の新規事業を立ち上げ、今に至るまでのキャリア変遷をうかがいました。

記事内の「二人の帰り道」にも書いたように、旺盛な好奇心が底力として働いてきたのであろうなぁと強く思う次第なのですが、そうした少年の魂と同居するようにして関口さんに一貫して感じられるのは、人・こと・ものに真摯に向き合う姿、それをすごく大事にしていること。

その心持ちが、関口さんの包容力、にとどまらず、深い洞察力や、多方面への目配せ力、いろんな人を巻き込んだり巻き込まれたりする中での事業推進力やチーム統率力、関わる人・こと・ものの全部を有機的につないで事業を軌道にのせていく、もう一つの底力としてずっと働いてきたのだろうことが察せられました。

関口さんも記事内で、専門職へのコンプレックスがあったと言及されていますが、上に書いたような働きというのはなかなか具体的な言葉が追いつかなくて、周囲もそこに専門性を見出して褒めたり評価したりというのが、その場で直接的には難しかったりする。

けれど関口さんだからこそ場面場面で人から引き出せたこと、目配せできたこと、あって気づいたけど口にせず相手を信じて待ったこと、誰かの訴えを咀嚼して別の誰かに翻訳してうまく伝えられたこと、一見つながらない何かと何かを結びつけて発想できたこと、リスクを前もって回避できたこと、いろんな壁を乗り越えて前進させられたことが、これまでにたくさんたくさんあったんだろうなって思うのでした。関口さんがそこにいなければ、そうは成らなかったということが。

結局私も「なんとなく、そう思いました」にとどまっているのが、まったく力不足なわけですが…。でも、誰に認められるか、どれだけ多くの人に認められるかって話とは別に、「こういう役割を果たせた」って自分で自分を認められるキャリアの満たされ方もあるんじゃないかって思っていて、そういう充実感を関口さんの笑顔に覚え、勝手に受け止めながらお話をうかがいました。

いろんな世代、いろんな職種の方に、何か思ったり思い出したり、考えたり感じたりするきっかけをお届けできるんじゃないかなと願っています。自分がごきげんに仕事を楽しめるように、深い自己理解のもとにキャリアを舵取りしてこられた軌跡も読みごたえあり。ぜひお時間よろしいときに、ご一読いただければ幸いです。

2022-04-24

赤と青とエスキース、作る心、作り手の心

この小説は、読んで良かったなぁ。青山美智子さんの「赤と青とエスキース」。そろそろ小説が足りないと体がピコピコ言いだしたので、気分で手に取ってみた。紹介文もレビューも読まず、ページをめくり出す。恋愛小説?と思いきや、それで終わらない。短編集?と思いきや、次へ、次へとバトンを渡しながら、「エスキース」と題する絵の存在、「エスキース」を描く行為の奥行きが深まっていく。

エスキースとは、下絵のこと。画家が本番を描く前に、いったんイメージを落とし込むものだそう。「漫画でいうネームみたいなことか」というセリフが出てくるが、画家や漫画家にかぎらず「作る」という行為に勤しんでいる人であれば、自分の活動でいうと「あの時間、あの工程か」と結びつけられる下準備のプロセスはありそうである。

そして、それは「作る」という行為の中で本来的に最もいきいきとする時間、作る面白さを覚える工程の一つではないかしら。

この小説には、そういう作り手の心の躍動が、丹念に書き表されている。私はそこに一番惹かれた。

画家は、こう言う。

構図を考えてるんだ。君をどれくらいの大きさに、どんなふうに紙にのせようかって。実際に描く前に、イメージの中で遊ぶのが好きなんだ。たぶん、このときが一番、頭の中で完璧な傑作が出来上がってる。

漫画家は、こう言う。

体感的には、ここが一番おもしろいよな。頭ん中にあるイメージが、わあっと手からあふれ出てきて、紙の上で踊りはじめて。誰があーしてこーして、こう言って、こういう構図で、場面展開でって。描き直しなんか何度だってきくから失敗したってかまわねえ。自由に鉛筆を走らせて

私は芸術作品を作っているわけじゃないけれど、何かを構想するときには、とりあえず粗い図を描くとか、ざっくり言葉に書き起こしてみるというのは、よくやる。いったん頭の中に漠然とあるものを、自分の外に出してみて、いくらかでも具体的な形を与えて観察できる状態にしてみる。そうすると必ず「粗いな」「ちょっと違うな」「こうじゃなくて、こういう軸の引き方もあるかな」など自分突っ込みが入る、入らないことがない。それで書き足したり、書き直したりする。作るって、こういう時間のことだよなと思う。

何の作り手であれ、丁寧に何かを作っていく過程では、「本番を作る前に」とわりきって、「描き直しも書き直しも上等よ」とわりきって、人の目を気にせず自由に、下絵を描くという過程をもっているものなのだよな。

「できるだけ効率的に」「最初から本番と思って、うまいこと一回で」なんて思わずに。それって、より良いものを作るためにって作用を期待するところもあるけれど、もっと根本に立ち返ると「作る」という活動の本来的な面白さをはずさない、とりあげないってことなのかもって思った。

でもね、描いているうちに、自分でも予想できないことが起きるんだ。筆が勝手に動いたり、偶発的な芸術が生まれたり。思ったとおりにすらすら描けたらそりゃあ気持ちいいだろうけど、どちらかというとそっちのほうがおもしろくて、絵を描くことがやめられない。たとえ完璧じゃなくても

奔放に、無邪気に、面白がって、描き散らかしてみる、描き直したかったら何度でも描き直せばいいというスタンスで下絵を描く。そうすることで、偶発的な何かに出会う。描き出さなければ、その偶発性には出会えないし、最初から「本番」と思って描き出せば、その偶発性を快く受け止めることはできないだろう、無視して強行突破してやり過ごしてしまうのではないか。

形にして見せないと、知ることもできない

額の職人が放つ一言が、なかなか丸ごとわかったと言えるには至らぬまま。だけど、誰かに見せるのじゃなくて、まずは自分に対して「形にして見せないと、知ることもできない」というのは体験的にすごく腑に落ちる。まずは、そこから。

不思議なことに絵画は、たくさんの人に見られて、たくさんの人に愛されていくうちに、勝手にどんどん成長していく気がするのだ。描き手から離れたあと、自ずと力がついていくような。あれはなんなのだろう。芸術作品はみな、人々の目に映ること、心に住むことで、息吹いていくものなのかもしれない。発する側ではなく受けた側が何かに込める祈りや念のようなものを、私はシンプルに感じ取っている。

作品が作品を呼ぶ。誰かの作る行為が、誰かの作る行為を連鎖的に作り出していくこと。そのことの尊さを思う。小説も、そうだろう。私はこの小説を「受けた側として」、自分が何を祈り、何に尽くしたいと思っているのかを感じ取った。私はやっぱり、作り手のサポーターとして尽力したい。私のこの熱を、どう形にしていいかは、いまだ手探り状態のままだけど、エスキースを描きだす手を止めてはならない。

*青山美智子「赤と青とエスキース」(PHP研究所)

2022-04-18

怒りに優しく、大切にしたいものを観る

怒りについて、話を聴いていた。こんなことがあって、どうにも怒りがおさまらなくて、その感情を落ち着かせるのにけっこう時間がかかって、何日も消えなくて、そのうちいつまでもこだわり続けている自分に嫌気が差してきて。

私はその話を、その心をさするように聴いた。聴いているとき、人が「怒り」を感じているときに注意を向けている対象とは何かという佐渡島庸平さんの著書(*1)の中の一節が、頭に浮かんだ。予防医学研究者の石川善樹氏によれば、

「怒り」というのは、大切なものがおびやかされることに注意が向いている状態だそうだ。自分の価値観が否定される、というときに怒りはわきやすい。また「悲しみ」は「ないもの」に注意が向いている状態だという。

話を聴きながら、あぁだから私はこの怒りを、静かに心さするようにして受け止めたいと思うのだなぁと合点がいった。その人が大切にしたいものが話の中に汲み取れたし、それが尊いものだと私も価値観をともにしていた。暗黙的であれども、吐露される感情とともに、語られぬその人の価値観も汲みながら、人の話って聴いているものなんだなと思った。

その怒りは悪くない、とがめなくていい。感情そのものに、いいも悪いもないし、怒りを感じる自分そのものを否定しにかからなくていい。どう対処するかは別として、そこに生まれた怒りは尊いものとして認めていいんじゃないか。そう思いながら、大事に話を聴いた。

先の本には、こんな一節もあった。

感情の中に、感じてはいけないものはない。ずっと幸せを感じているのがいい、とも限らない。むしろ、たくさんの感情を感じたほうがいい。避けたほうがいいのは、一つの感情に浸って、ずっとその感情に支配されてしまうことだ。全ての物事に複数の解釈が可能なように、感情が一つに支配されているというのは、解釈が固定化されているということ。全ての感情は、ヒトが生き延びるために大切な感情で、全てを感じているほうがいい。

一つの感情に飲み込まれずに、複数の感情を、複数の解釈を、複数の視点をもてればいい。ほんと、そう思う。

佐渡島庸平さんは、怒りに限らず「感情」について、こんな表し方をしている。

感情とは、自分が今、何に注意を向けているのか、を自覚するツールだということができる。

そして次のように、いろいろな感情を挙げて、それぞれ「人が何に注意を向けている状態か」を提示している。


  • 不安:わからないものに対して、注意が向いている
  • 恐怖:手に負えないものに、注意が向いている
  • 悲しみ:無いことに、注意が向いている
  • 怒り:大切なものがおびやかされることに、注意が向いている
  • 喜び:獲得したことに、注意が向いている
  • 安らぎ:満たされていることに、注意が向いている

鈴木伸一氏「不安症をどのように凌ぐか 不安の医学」第23回都民講演会(2016)を参考にしているとのこと。

左に並べた感情を覚えたとき、右側を問うてみる。「自分が何に注意を向けているか」を探り当ててみる。そういう観点で解釈を試みることで気持ちはほぐされ、一つの感情に飲み込まれた状態から解放できるのではないか。感情の選択ができるようになるのではないか。最初に抱いた感情をすっかり手放すことは難しいかもしれない。けれど、

一つの出来事に対して、たった一つの感情にしかなれないことはない

として佐渡島さんは「複数の感情をもって、対象を見るクセをつけるようにする」ことを勧める。複数の感情で、その出来事を受け止められるようにできれば、だいぶ風通しが良くなる。けっこう使えそうではないかしら。怒りに優しく、感情に優しく。

*1:佐渡島庸平「観察力の鍛え方 一流のクリエイターは世界をどう見ているのか」(SBクリエイティブ)

2022-04-17

夜更けのバーテンと馴染み客の会話

都心の路地裏にあるオーセンティックバーで、夜更けまで友人と語らう。友人がお手洗いに席を立ったところで、逆側に座っている男性客の声が耳に入ってくる。歳の頃は50代半ばくらいか。ここは馴染みの店のようで、カウンターの中の店員さんに「B-29」ってカクテルを知っているかと問うている。知らないと返す彼女に、男性客はカルーアとなんとかとなんとかとで作るんだとレシピを披露する。私は前を向いたまま、その会話を聞くともなく聞いている。

店員さんが男性客に、召し上がります?と尋ねる。あぁ、そうしようと男性客は応じる。店員さんは、カウンターの中央で立ち働くバーテンの女性に近づいていって小声で確認をする。B-29って、ご存じですか?というぐあいに。

バーテンの女性は、知るとも知らぬとも反応を示さぬふうのまま、すーっと奥へ消えていく。私は彼女が現れるのを待つともなく待って、前に並ぶお酒のボトルを見るともなく見つめて過ごす。

ほどなく、バーテン女性がカウンターに戻ってくる。私の前を通り過ぎ、一番左端に座る男性客の前まで行って、B-52、ですかね?あれとこれとそれで作る、とレシピをそらんじて穏やかに語りかける。男性客は、あぁーそうだそうだと応じる。バーテンさんは、ふふ、B-29だと爆撃機になっちゃう。男性客も、本当だ、本当だ、B-29じゃ爆撃機だよ。

これがオーセンティックバーのバーテンと客の会話か…と、私は静かに聞き耳を立てつつ、目線を正面のままとする。ここで身動きをしては、この会話に反応していることがばれてしまう。バーの客しろうとは、この会話に立ち入らぬほうが安全だ。なんとなく、そう思って、姿勢を固定する。でも、ちょっと口角があがってしまう。

翌朝ふいにそのことが思い出されて、B-52についてぐぐってみる。するとB-52もアメリカのボーイング社の爆撃機の名前由来だった。オーセンティックバーのバーテンと客の会話。しばし、その場に居合わせた隣席の客として添える気の利いた一言選手権を脳内で催してみたが、なかなかいいセリフが思いつけない。口を開かないのが、やはりスマートということなのか。こういう日が、たぶんあっていい。日常の一コマに、きっとあっていい。

2022-04-11

小瓶の水を差し替えてくれる人たち

ひと月前に姐様からいただいた花束、主役らが退場した後のみんなの息が長くて、我がごとのように励まされる。えぇ、えぇ、小瓶の水の差し替えだけで静かに健やかに生きていきますぞ。このひと月、ひょんなきっかけも重なって立て続けに水を差し替えてくれる人たち現る、ありがたみ深し。

Instagramにあげた写真

3月から4月にかけて、ふらり、ふらりと予定が入り、立て続けにいろんな人と会って、おいしいゴハンをつまみながら話しこむ機会に恵まれた。春ってこともあるんだろう、いや春になったから、かな。

週一ペースでってくらいなのだけど、ふだん本当に「自分の名前を知る人」と対面することがない暮らしぶりなので、あぁ私を知っている人ってこの世界にいたんだなという感慨からして、ありがたみが深い。

しかも世界に存在するだけでなく、私と会うのに表に出て店までやってきてくれているというのは、それがどれほどの暇つぶしだったとしても、何かのついでだったとしても、口がすべって約束しちゃったということであったとしても、ありがたい。しかも会えばそこそこ遠慮なくべらべらと話しこんでしまうので、時間もけっこう使わせてしまっている。

まぁそこまでぐにゃぐにゃ考えなくてもいいんだろうけど、そうだとしてもありがたいって思っちゃうくらいの心境なんである。こんな時間が生きている間にまた自分の人生に巡ってこようとは。

春って、やっぱり、なんかエネルギーを生命に与えるものだなぁ。最近、早朝に駅で寝っ転がっている人もよく見かけるようになった。春だなぁ、生き物だなぁって眺めている。これでまたしばらくやっていけそう。

2022-04-01

海色の「顔出しパネル」を彼女に

1996年8月のお盆明け、だから今から25年ほど前にさかのぼるが、彼女と私はデジタルハリウッドという会社に同日入社した。おたがい社会に出たばかりのひよっこで、猫の手も借りたいほど忙しすぎた創業2年目のデジハリに、ころりんと転がりこんだのだ。

当時のデジハリは、御茶ノ水駅から神田川を背に坂をくだっていった先の淡路町の界隈にあった。親会社や兄弟会社が半径数十メートル以内のビルに点在していて、センタービルだ、東誠ビルだ、MHビルだ、何か会を開くときは龍名館のセミナールームだと、用事に応じて淡路町内を行ったり来たりしていた。

彼女と私はビルが違ったので、おたがいを認識するのはもっと先のこと、同日入社だったと知るのなんてもっとずっと後のことなのだけど、あのとき確かに「淡路町の一角で同じ空気を吸っていた」という感覚は、年を経るごとに深まっていく。

その彼女が、この3月末でついに退職すると聞き、びっくりたまげた。私は丸4年勤務した2000年夏に退職したのだけれど、彼女はその後もずっとずっと残って四半世紀にわたるデジハリの発展、スクール事業にとどまらず大学の立ち上げや運営までをも、中核も中核メンバーとして支え続けてきたのだ。

とはいっても契約を変えて4月からも継続的に関わっていくようなので、その辺は心配ご無用なのだが、それにしたって大きな節目。久しぶりに会って一緒に食事をしようということになった。また、その際オフィスで待ち合わせて、フロアで一緒に写真を撮ろうと、彼女から誘いがあった。

それがなんだかすごく嬉しくて、ありがたくて、せっかく久々に直接会えるのだし、そんな節目に一緒に写真を撮れるのだから、これは何か、私なりの思いを私なりの形にして持っていきたいと思案した。

それで思いついたのが、顔出しパネルである。よく観光地においてある、あれがぱっと思い浮かんだのだ。お手製の顔出しパネルを作ってだな、そこから二人で顔をひょいと出して一緒に写真を撮るのだ。

大きな模造紙の真ん中を、二人がちょうど顔を出せるくらいの大きさの円にくり抜く。

円の周りは、海の色で彩る。私たちが入社した当時、親会社だった研究所が3Dで描いたクジラを、グラデーション美しい海の中へ泳がせていたイメージが頭に浮かんだからだ。

海は、千代紙をちぎって作る。小さくちぎって散りばめた千代紙の一枚一枚が、彼女がこの四半世紀をかけてデジタルハリウッドで経験したこと、思い出の数々というわけだ。たくさん、たくさんの思い出で、海を描こう。

正直言えば、その海にクジラを泳がそうだとか、当時の初代ロゴを中央にでっかく配置しようとか、いろいろ考えたのだが、圧倒的に絵心もデザイン力もなくて、そういう技量が一切ない。そんな私でも、ひたすら頑張ることによって思いが形になる「海のちぎり絵」作りに専念するに至ったのだった。

なんといっても「ちぎり絵」には失敗がない。ぐぐった先の、シニアにおすすめ趣味講座の案内文に、そう書かれていた。なんてたのもしいメッセージ、美術おんちの私の心をわしづかみした。

そうだ、これは絵心もデザインセンスもない私が、それでも私なりに頑張って作るところに、私らしさが出るのだ。ちぎった紙の数だけ、貼った紙の数だけ、それがいかに不器用な仕上がりだろうと思いは届く、物理的には伝わる、それがちぎり絵だ。

と自分勝手に納得して、必要なものを洗い出し、世界堂でコンパスやら千代紙やら模造紙やら買い出しして、帰宅するや模造紙に大きな円を描き、ハサミでチョキチョキ円型にくり抜き、せっせと千代紙をちぎっては、のりでペタペタ、メッセージは背景の海色に映える色紙で文字の形にして、あれやこれや。やればやるほど自分の不器用さを思い知らされて笑ってしまう。

当日、それと花束を大きな袋に入れて静まりかえったフロアを訪ねると、「まりちゃーん」と、すぐに彼女が迎え入れてくれた。本当に久しぶりの再会。おつかれさまでした!と言って、花束を渡す。

会社の中の人にお願いして、花束を手に彼女と私のツーショットで写真を撮ってもらう。数枚撮ってもらったところで、「あともう1枚、いいですか」と二人に背を向け、椅子においておいた大きな袋の中をがさごそ。「えーと、処女作なんですけど、写真用にね、顔出しパネルを作ってきたので、これに二人で顔出して写真を撮れたらなって思って」と、思い切ってバッと模造紙を広げてさらす。

いやぁ、ドン引きされなかった、(たぶん)喜んでくれた。写真とってくださった方も、近づいたり一歩下がったりしながら撮ってくれて、顔も(たぶん)ひきつっていなかった、優しい人だ。

さぁ、撮影を終えたら顔出しパネルはささっとしまって小川町にあるカジュアルなビストロへご案内。お店に向かいながら、御茶ノ水から淡路町のほうへ、昔の通勤路だった坂をくだっていく。淡路町時代の思い出話をしながら、夕刻の町並みを一緒に歩いた。

スパークリングワインで乾杯。ずーっと昔の話も、ごくごく最近の話も、これからの話も、くだらない話から大事な大事な話までごたまぜに行ったり来たりして話し込む。とっても、とっても豊かな時間。私はやっぱり、私の五感を通して直接に感触できるものをこそ第一にして、かぎりある人間1.0の人生を味わっていきたいと思い新たにする。

人の入れ替わりが激しい中にあって、90年代に創業した会社に勤め続け、内外のすさまじい変化と自身に期待される役割の大きな変化に実直に芯をもって応えてきた彼女に、心から拍手を送りたい。

また、これから新しいつきあいもできそうで、すごく嬉しい。歳をとるって、こういうところに醍醐味がある。ある時期、同じ空気をともにした人と、しばらく全く離れて過ごす時期が流れるんだけど後に、それぞれの人生経験を持ち寄って再会して、すごく豊かな時間、新たな関係がもてるってことがあって。それはまぁ多くの出会いのうち、ごくわずかでしかないんだけど、そういう体験は歳をとって味わえる人生の醍醐味だなぁって思う。

あぁそれにしても今日、会った日に撮った顔出しパネル写真をもらって見てみたら、思った以上に幼稚園児かって作品レベルで、見た瞬間に私がドン引きして笑ってしまった…。やれやれ。

2022-03-31

「Web系キャリア探訪」第38回、文化人類学とUXリサーチをつなぐふらっと

インタビュアを担当しているWeb担当者Forum連載「Web系キャリア探訪」第38回が公開されました。今回は大学で文化人類学を専攻し、リクルートを経て、現在はメルペイで活躍するUXリサーチャーの松薗美帆さんを取材しました。

「リサーチは思ったより深い沼だった!」ストイックに学び続けるメルペイUXリサーチャーのキャリア観

今のところデジタルプロダクトのUXリサーチ業務を手がけている実務家の中で、もともと大学で文化人類学を専攻していたという方は、まだ希少ではないかなと推測。松薗さんも就活していた時には「UXリサーチ」という仕事領域があることを認識していなかったそう。

「文化人類学とUXリサーチ」のように、実は深いつながりをもつんだけど、今の自分の中では点と点がつながっていないコンセプトをぱっと結びつけてくれるのって、ふらっと訪れる機会、周囲の人の一言だったりしますよね。自分の内から生まれるというより。

ある外的なきっかけによって、自分の内にあるバックグラウンドと、外にある新しいものが「ぱっ」とつながって、「はっ」とすることがあるなって思うんです。それを活かすも流すもあなた次第ってところ含めてキャリアを歩む醍醐味かなとも。

松薗さんのお話からは、そういう機会をオープンな眼差しで受け入れて、自分のキャリアの可能性をぐんぐん広げて舵取りしていく様子が存分に感じられました。

キャリア論として「キャリアはデザインすればするほどいいわけじゃなくて、一旦大まかに定めたら、そこでキャリアドリフト(漂流)の期間をもってしっかり目の前の仕事・役割を果たす中で経験・能力をものにしていく」重要性が説かれますが、松薗さんのキャリアはそれを地で行く。

今自分がいる場所、役割、立ち位置、周囲との関係性の中で「今の自分ができること」を導き出して、着実に成果を出して組織に貢献し、人の信頼を得て、次のステップを手繰り寄せていく丁寧で誠実な仕事ぶりも、キャリアの初期からうかがえて脱帽。

それからまた「リサーチ1本、これの専門家」というのではなく「リサーチの軸を持ちつつ、事業をリードするキャリア」を目指したいというふうに、自身の役どころを別に立てているところにも、ご自分の志しや心模様をこまやかに汲んでいる感じがうかがえて素敵でした。

本業を務めながら、本を執筆する、大学院に通う、大学の非常勤講師を務めるなど、様々な活動を並行して展開する様子も、今どんどん遭遇機会が増えている「本業一本ではない働き方、社会とのつながり方」を模索する方の刺激になるかも。ご興味ある方は、ぜひお時間のあるときに読んでみてくださいませ。

«自分のキャリアをあらます言葉スケッチ