2021-09-17

完全を求める愚かと不自然

村上春樹の長編小説「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」を読んだ。昭和60年(1985年)の作品なのだけど、なんだか機会を逸してずっと読んでいなかったので最近読んでみた。いやぁ、良かったなぁ。

もっと前に読んでおけば良かったと一瞬思ったけれど、いや今が1回目でちょうどいいくらいじゃないか、おまえさんには…と思い直した。村上春樹の作品を読みだした20年くらい前に読んでも、こんなふうに物語に埋め込まれたものを読み取ることはできなかっただろうし、こんなふうに主人公に共鳴したり境遇を重ね合わせて心を鷲づかみにされる感情体験は得られなかっただろう。

そう考えれば、自分がこの20年で負ったさまざまな心の痛みも、今もひりひりして時々すりすりしている思いも、意味のあるものに感じられてくる。ここにあるものなくして、この物語をこんなふうに味わうことは叶わなかったのだと思えば、曲がり角であちこち傷つくってきた経験こそ、私が人生で得た収穫とも解釈可能になるのだ。物語の力ってすごい。やっぱり人は、事実単体ではなくて、それをエッセンスに取り入れた物語を通して人生を生き、解釈し、味わっているのだと痛感する。

今回読み終えた後に、自分が折り目をつけたページを読み直してみると、「世界の終り」の章で「影」が僕に説いていることと、「ハードボイルド・ワンダーランド」の章で「老博士」が私に説いていること、ふたりが同じことを話しているのに気づいた。そして同じことを話している両方に、自分が感じいって折り目をつけていることに気づいた。

人は、過去の記憶を失おうが、自発的に何かする気力を損ねていようが、「自然とこうする、こうはしない」という行動原理を皆もっている。そして、それは人によって違う。この思考システムの独自性がアイデンティティーであり、もっと平易に言えば心のことだ。

世界の終りで、影は僕にこう言う。

心というものはそれ自体が行動原理を持っている。それがすなわち自己さ。

ハードボイルド・ワンダーランドで、老博士は私にこう言う。

人間ひとりひとりはそれぞれの原理に基づいて行動をしておるです。誰一人として同じ人間はおらん。なんというか、要するにアイデンティティーの問題ですな。アイデンティティーとは何か? 一人ひとりの人間の過去の体験の記憶の集積によってもたらされた思考システムの独自性のことです。もっと簡単に心と呼んでもよろしい。人それぞれ同じ心というのはひとつとしてない。

一方で人間は、その自分の思考システムのほとんどを把握していない。把握していなくても無意識にそうしている、という行動がたくさんある。多くの行動は、自分の意識のコントロール下になく無意識に選ばれている。

老博士は、こう続ける。

しかし人間はその自分の思考システムの殆んどを把握してはおらんです。私もそうだし、あんたもしかり。我々がそれらについてきちんと把握しているーーあるいは把握していると推察される部分は全体の十五分の一から二十分の一というあたりにすぎんのです。これでは氷山の一角とすら呼べん。

そこで私は、こう切り返す。

話の筋はわかります。しかしですね、行動の様式を現実的で表層的な行為の決定にまで敷衍(ふえん)することはできない。たとえば朝起きてパンと一緒にミルクを飲むかコーヒーを飲むか紅茶を飲むか、これは気分しだいではないのですか?

これに老博士は「実にまったく」と応じる。人の行動様式は、人の行動すべてを決定づけるものではない。その時どきで、ある行動を選んだり、別の行動を選んだり、何もしなかったりと行為を変化させる。

人は日々いろんなことを体験して行動様式を変化させていくし、さほど固定した行動様式をもたない、その時どきの気分や状況次第で行動を変える事柄もある。意識的にそうすることもあれば、無意識にしていることもある。

人の心、人の行動とは、そういうものなんだという前提は、きわめて重要なことだ。自分であれ、他人であれ、これを一つに固定してみるとか、ずっと変わらないものと決めつけてかかるとか、自分が多くを把握していてコントロールできるとみるのは、きわめて浅はかなことだ。

それは、「不完全さ」にも通じているように思う。

完全さというのはこの世には存在しない

と、影が僕に言う。私たちは不完全で、不完全な世界に生きている。だから変化のしようがある。変化する可能性をもつ。

不完全な世界に完全さを求めれば、必ず死角が生まれる。完全な世界を作ろうとすれば、そこには不完全なものを追い出す「壁」が必要になる。壁を作って、その中に完全な「街」を作る。そこに住み、その環境の維持に努めれば、その中では穏やかな安定が確保できるかもしれない。

でも「壁を作って、その中に街を作る」と、必ず「街の外」ができる。作らなくても、できる。その二項対立の関係からは、決して逃れられない。

だから、それが嫌な場合、街の中の人は「街の外」を見ないことにする、認めないことにする、無視する、排除するといったことを、やらざるをえなくなる。意識的であれ無意識であれ。そして心は変化を拒み、固定的に物事をとらえて、可能性を切り捨てるようになる。死角が生まれ、誤認が増え、「不完全さの中に成り立つ完全さ」という構図が見えなくなる。

私は、そういうのがダメだ。まったく受けつけないのだ。不自然なものがダメなのだ。そして決定的にダメなのは、その街の中では心が存在しえないことだ。私は心の生き物だ。穏やかな安定の中で心が不活性化して、いずれなくなり、心が通うということもなくなってしまうというのが、もうどうしたってダメだ。ということを、この物語を読みながら痛切に思った。

誰も傷つけあわないし、誰も憎みあわないし、欲望を持たない。みんな充ち足りて、平和に暮している。何故だと思う?それは心というものを持たないからだよ。(略)この街の完全さは心を失くすことで成立しているんだ

街の外は、心通ったり通わなかったりする、ずきずきしたり、ひりひりしたりすることも多いけれど、その混沌とした不完全を前提とした世界を私は自然に思うし、私は自分が自然と思う場所で生きていきたい。不完全で不穏な世界の中にこそ変化の可能性があり、その動きの中にこそ心の活性があるのだから、それを大事に生きていくほかない。そして閉じた街に迷い込んだときには体がびくっと反応して不自然さを覚え、街の外に出られる野生の感覚を持ち続けていたい。

戦いや憎しみや欲望がないということはつまりその逆のものがないということでもある。それは喜びであり、至福であり、愛情だ。絶望があり幻滅があり哀しみがあればこそ、そこに喜びが生まれるんだ。絶望のない至福なんてものはどこにもない。それが俺の言う自然ということさ

*村上春樹「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」(新潮社)

2021-09-05

滞在2時間の帰省

夏期休暇3日目を、また単発でぽつりと取って、9月頭に実家へ帰省した。といっても滞在2時間ほど。万が一、自分がコロナでも父にうつすことなく帰れるように、アルコールティッシュで手を拭き拭きしてから門に手をかけ、玄関をあけて「ただいまー」と父に軽く挨拶すると、洗面所に直行して手洗い。仏壇で母に手をあわせている間も、居間であーだこーだ父としゃべっている間も、ずっとマスク着用。

ちなみに、行きは昼間に移動して下りに、帰りは夜に移動して上りの電車に乗るようにして混雑を避け、車中はずっと腰かけずに窓に向かって立っている。そういうことで、東京からの江戸川越えを勘弁してほしいところ。年単位ともなると、心配るところはコロナだけじゃなく、いろいろあるのだ。

父と直接会って対面で話をする、時間と空間をともにするということが、大事なんである。帰省して滞在2時間というと、なんとまぁ短いという感じだけど、会議とか打ち合わせのシーンに差し替えて考えれば、2時間1対1で話しこむというのは相当なものである。対面で受け取る情報は多様で密度も濃いし、交換できるものは他で替えがきかない。動物だもの…。

話題は、最近観た映画や読んだ本に始まり、親戚の話、日常の細々としたこと、最近のお悩み解決、ワクチン接種のこと、政治のこと、社会問題のこと、いろいろだ。出来事だけじゃなく、それについてどう思う、自分はどう考える、おまえの周りではどういう意見を聞くのかなど、いろいろに展開する。

「夜に帰る」とだけざっくり言っておくと、2時間とかいう前提もなく、仕切りもポケットもないトートバックになんでもかんでも突っ込んでいくように、思いついた順にあれこれ話せる自由さがあって良い。今回はテレビのBGMもなく、ひたすら居間でしゃべり続けていた。

そういえばスマホで「パ」はどう入力するのか、このあいだ困ってたじゃない?と言って、私がスマホで「パ」を打つやり方を教えようとすると、いや「パ」はいいんだけど、それよりこれが使えなくなっちゃって困っているんだと、父がスマホを手にとって別の困りごとを持ち出してくる。

なになにと話を訊き、どれどれと操作を試みる。ふむ解決できそうだとなると最初の設定いじりは一通りやってしまって、日常的に使う部分だけ操作を模範演技して見せる。対面で指示語使いまくりの説明は、最強である。「ここをこうやって、こうすると、こうなるじゃん、ほら、これでできた」と、簡単さを印象づける。

「お、ほんとだ!」と向こうも乗ってきたら、「じゃあちょっと演ってみてよ」と、今私がやったのを自分で操作してもらう。途中でつまずけば、すぐフォローする。できたら、よかったよかったと祝う。やって見せて「へぇなるほど、よかった、ありがとう」で満足して終わらせてはいけない。

それから、自分が最初に手元でいじったのも、何を意図してどういじったか簡単な説明を添えておく。「お父さんがチェックしたいっていう5つを今ここで登録して、ここを押したらすぐ見られるようにしたんだよ」など。聞き流されているようでも、ここは律儀に添えておきたい。

それからまた、あーだこーだおしゃべりをして1時間ほどしたところで、買っておいてくれたという冷蔵庫の梨を食べようかと持ちかける。「むいてくれたら食べるよ」というので、台所に立って皮をむいて一口サイズにして皿に並べる。それを一緒に食べる。「果物ってなかなか食べなくなっちゃったんだよな」「私は、りんごはよく食べるよ。でも梨は久しぶり、名産ね」なんて、おしゃべりしながら。時間と空間をともにするというのは、そういうことだと思う。

うちの父はものすごいしゃべるので、2時間のあいだに健康チェックも。「もう認知症やから」が口癖の父だけど、べらべらしゃべっている中で「あー、あれは懲役ちゃうわ、禁錮やな」とか、いま自分がしゃべったことの言い間違いを、速攻で自分で突っ込んで訂正入れたりしているのに、ひそかに安堵したりもして。

自分が仕事していて、あぁ父譲りだなぁと思うところを話したりすると、父はちょっと恥ずかしそうにして「おまえたちを育てたのは、お母さんだ」と返してくる。私が「このおうちを新しく建て替えたのだって、お父さんが頑張って働いて建てたんでしょう」と言い返すと、「家のことだって全部、彼女がやってくれた、最期まで働いて」と譲らない。まぁそんなやりとりを何度となく繰り返しているんだけど、私は私でお父さんのおかげで今の自分があることを、ちょいちょい帰っては言い添え続けるのだ。

ちなみに「パ」の入力方法も教えて帰ってきた。短い時間だったけれど、帰って良かったな。

2021-09-02

「Web系キャリア探訪」第33回、社会の”当たり前”をアップデートする仕事

インタビュアを担当しているWeb担当者Forum連載「Web系キャリア探訪」第33回が公開されました。今回は、生まれつき全盲の辻勝利さんが中学時代にコンピュータを使い始め、1995年にインターネットにつながって、Webのアクセシビリティエンジニアとしてキャリアを積み、ミツエーリンクス、コンセントなど経て、今月からクラウド人事労務ソフトの「SmartHR」に参画するまでの道のりを取材しました。

障害者に「やさしい」は不要。アクセシブルが当たり前の世の中に変えたい!

いち早くコンピュータを使って「点字ではなく、文字で」読み書きコミュニケーションする手段を取り入れ、いち早くスクリーンリーダーを介して「文字を聴く」情報のインプット手段を取り入れてこられた辻さん。

コンピュータやインターネットが普及する以前から今日に至るまで、さまざまな制約に直面してこられた。けれど、その課題に対して受け身をとるというのではなくて、Webアクセシビリティエンジニアとしての職業的専門性を磨き上げ、真っ向から挑んできたことに敬服します。

視覚障害による制約って、視覚障害の側に問題をおくのではなく、それが制約になる社会環境のほうに問題をおいてとらえたほうが、いろんな人が課題解決に参画しやすいと思っていて。前者だと、どうしても医学とかに素人発想で偏っちゃうんだけど、後者の社会環境のほうなら、いろんな立場の人がいろんな切り口で、いろんな階層で手をくわえていって、大小さまざまの問題を軽くしたり無くしたりできるイメージを持っています。

また、例えば視力が低い人ってことで考えると、眼鏡やコンタクトなしで外に出歩くのは危険すぎるって人が現代はたくさんいると思うけれど、それでも大きな支障なく生活したり仕事したりできているわけで。技術って、その進化をうまく取り入れて社会をアップデートしていけるのがいいよなという思いがあります。

それがまた、コンピュータ、インターネット、Webっていうお膳立てあるところで仕事している職業に就いているんだったら、その「アクセシブルな社会を実現できる」って原点的な3種の強み、3層の厚みを生かさない手はないというか、封じ込めるのはナンセンスだよなと、そんなふうな思いがあって。そういう思いを、それぞれの持ち場で職能を磨いて、きちんと社会に実装していけるといい。

辻さんはその先頭で、奮闘している。クライアント案件にとどまらず、官民共同の研究会活動やオープンソースプロジェクトなど、活動領域も多岐にわたり、今月初めにはSmartHRに転職。受託サイドから事業会社に身を移して、自社プロダクトを普及させて「社内システムはアクセシブルが当たり前の社会を作っていく」というミッションを掲げています。

もはやコンピュータ、インターネット、Webを使うのが当たり前になった世の中で、視覚障害ある後輩たちが、当たり前に単独で人事労務の諸手続きや確認ができ、本業に集中できる環境づくりに邁進。ぜひお時間の良いときに読んでみてくださいませ。

2021-08-31

「均衡を保つ」という大仕事

小説を読んでいると、何か思うより先に一筋の涙が頬をつたっていて、なぜ泣いた?と事後的に確認作業にあたることがある。もう一度その辺りを読み直してみて、意識より先に心奥が反応した場所を探りあてる。村上春樹の「1Q84」(*1)を読んでいて、それが起きたのはここだった。

「この世には絶対的な善もなければ、絶対的な悪もない」と男は言った。「善悪とは静止し固定されたものではなく、常に場所や立場を入れ替え続けるものだ。ひとつの善は次の瞬間には悪に転換するかもしれない。逆もある。(中略)重要なのは、動き回る善と悪とのバランスを維持しておくことだ。どちらかに傾き過ぎると、現実のモラルを維持することがむずかしくなる。そう、均衡そのものが善なのだ。

気がついたら、泣いていた。自分は「均衡」に対する思い入れが強い。場の均衡を保つために、歯を食いしばって涙をのんだこともあれば、率先して人前で意見したことも。何が私を黙らせたのか、突き動かしたのか、もとをたどると「場の均衡を保つため」だったと思う例が少なくない。

均衡を保つというのは、実際やろうとすると、大変な大仕事である。全身全霊でやらないとできない。

そのことについて、あれこれもやもや考えたことを整理しようと試みつつメモったことを書き残すが、整理はまったくつかなかった…。

1)時間経過で、善悪は入れ替わる

まず、時間経過とともに善悪が転じうるとすれば、その転換が起きたとき、それに気づけないといけない。そのためには教養が必要になる。動き回る善と悪とのバランスが崩れ始めたとき、それに気づくためには、自分が物心ついてから何十年だか目の前で常識とされてきたことを絶対視しない状態をつくっておかないといけない。

山口周さんは、そこに教養をもつ意味があると、著書の中で説いていた。人は「目の前の常識を絶対的なものだと考えがち」であり、「厚い知識ストックを持つことで、目の前の常識を相対化できる」というようなことを書いていて、なるほどなと思ったメモが手元に残っている。これは、なにぶんこれまでの蓄えが少ないので、のんびり一生養っていくしかないけれど…。

ともかく、人は時間の経過から逃れられない。生きているかぎり、時間の進行にのっかって活動する。そこには必ず変化が加わる。時間も、時間経過による変化も、人には止められない。いくらかの抵抗はできても、完全に変化を静止して固定する力はもたない。人の体も脳も心も変わり続けるし、社会の構造も自然界のありようも変化する。それに気づいて適応できないといけない。

私は、道を歩いている間に雨がやんだら、それに気づいて傘を閉じたい。空を見上げて歩きたい。変化に気づいて、それに適応して生きていきたい。均衡を保つためには、変化に気づいて動的に適応できないといけない。話、つながっているかな(不安…)。

2)場所や立場の違いで、とらえ方は変わる

たとえ同じ時間の中にあっても、場所や立場によって、善悪のとらえ方は異なる。自分の側から見たそれと、あちら側から見たそれでは、見え方が違う。「1Q84」の中では、あゆみが青豆(主人公の一人)にかける、こんな言葉がある。

「世界というのはね、青豆さん、ひとつの記憶とその反対側の記憶との果てしない闘いなんだよ」

人は、一つの場所にしか存在できないし、一つの立場しかとれない。いろんな視点をもとうと努めることはできても、限界がある。物理的に自分がいられる場所は一箇所だ。たいてい、こちら側からみる景色のほうが鮮明で、向こう側からみる景色は想像の域。こちら側がおかれた環境には詳しく、向こう側がおかれた環境を十分に推し量ることは難しい。そこには当然、双方の闘いも生まれやすい。

一方で、人は複雑な環境の中で生きている。あることで加害者と被害者の立場に2人を分けてみても、また別の枠組みでみれば、加害者は何かの被害者でありうるし、一人の人間をそう簡単に1つのラベルづけで決着はできない。みんな、いろんな場所で、いろんな立場、背景、環境を複雑にからませて生きていて、結果責任を負っている。

こちらでは雨は止んでいても、向こうはまだ土砂降りかもしれない。こちらは雨あがれば万事OKでも、向こうでは川の氾濫や土砂崩れの心配がしばらく続くかもしれない。こちらは自分のことだけで済むかもしれないが、向こうは家族の世話、近所の見回り、仕事の特別なケアが必要かもしれない。話、つながっているのか(不安高まる)。

3)個性による価値判断の違いも

人の個性によっても、善悪の価値観、快・不快は違うし、信頼をおくもの、大事にしたいものには違いがある。自分とは違うものを他者がもっている、そのことを受け入れて、それはそれとして尊重する構えをとらないことには、世の中どうにも収拾がつかない。

やまだようこ氏の「ナラティブ研究 語りの共同生成」(*2)の言葉を引けば、

真実を一つとみなさないで、立場によって多様で多声的な見方があると考える

集約・到達・追求すべき「一つの善」があるという前提で世界を見だしたら行き詰まってしまう。いろいろあって、1つにはまとまらない前提で、均衡を保つこと。それが善を成り立たせる唯一の道のように思える。

傘さしっぱなしで何が悪い、むしろしばらく傘をさして雨の終わりを名残惜しんで歩きたい人もいて、それはそれで構わない。親切心で「雨やんでますよ」と声をかけるのが善か、かけないのが善か、答えは一つじゃない。もはや話が迷走しすぎて引き返す術もない(ので書き続ける)。

4)自然界にあふれる二項対立の概念

人間という生き物を含めた自然界には、二項対立した概念がある。二項対立というのは、「二つの概念が存在しており、それらが互いに矛盾や対立をしている一対の関係にあること」というのが辞書的な意味。

例えば陸と海。陸がなければ海という概念も成り立たない。1つだけでは、2つを区別する言葉は生起せず、そのコンセプトは成り立たない。そういうものが、自然界にはたくさんある。たくさんあるといえばいいのか、そういうものに対して人間が言葉を与えたといえばいいのか。

昼と夜、天と地、光と影、明と暗、運動と静止、生と死、白と黒、オスとメス、もっと人間社会に寄せると、善と悪、正と誤、自と他、愛と憎、表と裏、内と外、先と後、前と後ろ、右と左とか。

「1Q84」でいうと、先ほどの「男」が青豆に、こんな話をする。

「光があるところには影がなくてはならないし、影のあるところには光がなくてはならない。光のない影はなく、また影のない光はない。カール・ユングはある本の中でこのようなことを語っている。『影は、我々人間が前向きな存在であるのと同じくらい、よこしまな存在である。我々が善良で優れた完璧な人間になろうと努めれば努めるほど、影は暗くよこしまで破壊的になろうとする意思を明確にしていく。人が自らの容量を超えて完全になろうとするとき、影は地獄に降りて悪魔となる。なぜならばこの自然界において、人が自分自身以上のものになることは、自分自身以下のものになるのと同じくらい罪深いことであるからだ』

5)二項対立する概念の間には、補償関係が働いている

大事なことは、二項対立する概念の間に、補償関係があること。そのようにして、均衡は維持されるようにできている。

しかし大事なのは、彼らが善であれ悪であれ、光であれ影であれ、その力がふるわれようとする時、そこには必ず補償作用が生まれるということだ。(中略)そのようにして均衡が維持された。

自然界も、人も、2者の一方だけを追求しているとどこかで無理がくる。そして、均衡を維持する作用が働く。みんな、光も影ももっている。明のときもあれば、暗のときもある。一貫してずっと光の中にはいられない。無視していれば、いずれ影が勝手に暴れだす。一方で、影しかもたない人もいなくて、影を裏返してみれば、そこにはその人の光を探り当てることができる。

私はそういう前提で、人のサポートという仕事に関わりたい。必要ないときに、支援などいらない。でも入用なタイミングがあれば、そのときに働きたい。暗い中に光を探したいし、強い人の脆さを認めたいし、完璧じゃないところにゴールをつくり出したい。話がずいぶん混迷をきわめてきたな。なんで、こんなことを考えるんだろうな。やれやれだなぁ。まぁ、とりあえずメモできたからいいや。

*1: 村上春樹「1Q84」(新潮社)
*2: やまだようこ「ナラティブ研究 語りの共同生成」(新曜社)

2021-08-29

物語に埋め込まれた、もの語りの役目

8月は熱心に、村上春樹の「1Q84」(*1)を読んだ。3冊あわせて1,600ページに及ぶ長編小説。出版された直後にBOOK1、2は読んでいたのだけど、BOOK3が出るまで期間があいたので、そこで止まってしまっていたのを今回まとめて一気読みした。といっても、私は本を読むのが遅いので、読み終わるまでけっこうな日数をかけたけれど、毎日飽くことなく続きを読んでいるうち終わりに到達した。

読み進めながら改めて思ったのは、私が村上春樹の小説から読み取っているのは、ストーリーの行方というより、物語の文中に村上春樹が何を埋め込んでいるかなんだなということ。ゆえに結論BOOK3でどうなるか、どう話が着地するのかにさほど重きはなく、3冊の中のあちらこちらに埋め込まれた示唆に立ち止まっては、拾い集め、自分の中の何かに結びつけて咀嚼する、そこにこそ読み応えを感じているようなのだった。

「1Q84」の中には、この点でも考えさせられるところがあった。この小説の中には『空気さなぎ』という小説が出てくるのだけど、この作品を批評家の一人が、こう書評する一節がある。

「物語としてはとても面白くできているし、最後までぐいぐいと読者を牽引していくのだが、空気さなぎとは何か、リトル・ピープルとは何かということになると、我々は最後までミステリアスな疑問符のプールの中に取り残されたままになる。あるいはそれこそが著者の意図したことなのかもしれないが、そのような姿勢を<作家の怠慢>と受け取る読者は決して少なくないはずだ。(略)」

これを読んだ天吾(主人公の一人)は首をひねる。

「物語としてはとても面白くできているし、最後までぐいぐいと読者を牽引していく」ことに作家がもし成功しているとしたら、その作家を怠慢と呼ぶことは誰にもできないのではないか。

立ち止まって、ここのところを読み返してみると、これは村上春樹が「1Q84」という物語において、1Q84とは何か、空気さなぎとは何か、リトル・ピープルとは何かについて説明的な結論をつけず、読者をミステリアスな疑問符のプールに浮かばせたまま小説を終えたことと重ねて読める気もしてくる。

それは作家の怠慢か。もしかして読者の怠慢なのでは?とも思われてくるのだった。作家が読者に期待するところとも、言い換えられるかもしれない。残された疑問符を引き取って、それをどうするもしないも、それは読者の役目なのではないかと(私の勝手な解釈だが)。

また別の箇所には、「物語の役目」を率直に示す文も出てくる。

物語の役目は、おおまかな言い方をすれば、ひとつの問題をべつのかたちに置き換えることである。そしてその移動の質や方向性によって、解答のあり方が物語的に示唆される。天吾はその示唆を手に、現実の世界に戻ってくる。それは理解できない呪文が書かれた紙片のようなものだ。時として整合性を欠いており、すぐに実際的な役には立たない。しかしそれは可能性を含んでいる。いつか自分はその呪文を解くことができるかもしれない。そんな可能性が彼の心を、奥の方からじんわりと温めてくれる。

天吾を読者に読みかえれば、「読者はその示唆を手に、現実の世界に戻ってくる」と、私ごとにすることもできる。物語に埋め込まれた可能性を読み取り、心温め、自分で呪文を解く力に転換していって自分の現実世界で生きるのが、読者の役目とも思える。

天吾は、数学を得意とし、小説家を志す30歳の男性。数学の世界と物語の世界に通じる彼は、「数学」と対比する形で「物語」の、脆弱な整合性と、強みとなりうる可能性をとらえる。

数学と対比して、もの語り(ナラティヴ)の意義を解く文章は、別のところでも最近読んだ。やまだようこ氏の「ナラティブ研究 語りの共同生成」(*2)に書いてあったことが、これと符合するように思い出された。

この本によれば、心理学者のヴィゴツキー氏は次のような問いを立てたという。

「なぜ、芸術家は、出来事の単純な年代順の配列に満足しないのだろうか?なぜ、もの語りの直線的展開を避けて、二点の最短距離を進むかわりに曲線を好むのだろうか?」

なかなか色っぽい問いの立て方をするなぁと感服しながら読んだのだ。「1Q84」の中でも、時間について、人は「便宜的にそれを直線として認識」しているだけで、あるいは「ねじりドーナツみたいなかたちをしているのかもしれない」という話が出てきたことを思い出す。

ヴィゴツキーの問いを引き合いに出して、やまだようこ氏は「数学」と「もの語り」を比べてみせる。

数学的には、年代順に並べ、最短距離をむすぶほうが効率がよいでしょう。(中略)しかし、人間は数学的に生きているよりは、もの語り的な意味の世界に生きています。もの語りとして意味をもつ「連結」「構成」のルールは、数学的合理性をもつとは限りませんが、もの語り的合理性はあるはずです。

やまだようこ氏は、もの語りを「二つ以上の出来事を結びつけて筋立てる行為」と定義して、「事実は変えられないが、もの語りの意味は変えられる」と解く。

人間は、ナラティヴによって個々の行動を選択し、構成し、経験として組織し、出来事を意味づけている。個々の出来事や要素が同じでも、それをどのように関連づけ、組織立て、筋立て、編集するかによって、人生の意味は大きく変化する。また、もの語りは、完成品ではなく、たえず語り直しがなされ、構成と再構成を続けるとみなされる。

一つの出来事に続ける文が「〜ということがあった。だから自分は(ネガティブな見解)だ」とするのも、「〜ということがあった。だから自分は(ポジティブな見解)だ」とするのも自由。同じ出来事に、いろんな解釈を続ける自由があるし、一度どちらかに方向づけた解釈も結論も、別のかたちに変化させる自由と可能性を誰しも持っている。接続詞を「だから〜」から「それでも〜」とか「だが、しかし〜」に順接・逆説を行き来させることだって自在だし、「〜ということがあった」という出来事をどれくらい重視するか軽視するかだって変えられる。その変幻自在性を発揮できることこそ、人間の営みの最たる魅力の一つだよなぁと思う。

自分の生業として、私はこの可能性にかかわっていきたいんだよな。人の話を聴くのがおもしろいのも、人とじっくり話しこむ中で別の解釈が出てきたり、意味が深まったり広がったりポジティブに転じていくのも有意義。そういうところで仕事をしていきたいし、そういう底力を鍛錬していくのに小説を読むことはすごくよく作用するんだよな、とも思う。

*1: 村上春樹「1Q84」(新潮社)
*2: やまだようこ「ナラティブ研究 語りの共同生成」(新曜社)

2021-08-28

浮世絵展「江戸の天気」で心涼む

何やらいろいろなことに揺さぶられている間に、8月も暮れ。まだ夏期休暇を1日しかとっておらず、その1日もワクチン接種の副反応で床に伏していたので、夏休みらしい記憶が一つもないまま今に至る。例年そんなものだろうという気もするが、それにしても今年は格別だ。

私の勤め先は6〜9月の間に各自業務の都合をつけて5日間の夏期休暇をとることになっているので、あとひと月の間に隙きをついて夏を入れたいところ。9月後半は休めなさそうな気がするので、このさき2週間ほどのうちにポツポツ休みを入れて、あと4日分コンプリートしたい。

というわけで昨日は、あれこれの気晴らしに2日目の夏休みをポツリと取った。とりあえず一息入れよう…というくらいの感じで、ひっそり取得。

夕方くらいになって、会期終了間際の「江戸の天気」の浮世絵展を観に行こうと思い立ち、とことこ表に出ていって鑑賞してきた。場所はラフォーレ原宿の裏手にある、浮世絵専門の太田記念美術館。一度足を運んでみたかったのだ。

人家としてみれば大きなお屋敷だが、美術館としてみれば小ぶりの一軒家で、黄昏どきに出かけていって一周りするにはちょうど良かったし、来館者も数人しかいなかったので、1枚1枚時間をかけて静かに堪能できた。1時間ちょっと滞在。

ここにある浮世絵は、五代 太田清藏が蒐集したコレクション約12,000点にも及ぶというが、いろんなテーマを設けて定期的に展示作品を入れ替えているので、1回で見られるのは50点くらいか。この週末までは「江戸の天気」。このテーマに惹かれて、ずっと気になっていたのだ。

入館してみると、来館者は1階に1〜2人、2階に1〜2人。館内は適温に保たれ、絵が遜色しないように照明は抑えられ、人の声も物音も一切なく、しーんと静まりかえっている。

200年も前に描かれた江戸の風景、市井の風俗、庶民の生活をあれこれ眺めていると、心が涼やかになった。

展示作品は、1800年代のものが中心。浮世絵は江戸時代初期に墨一色から始まったようだけど、工夫改良されるうちに見事な多色摺りに発展、展示されている多くは実に色鮮やか。明治になると化学系の絵具が輸入されて使われるようになったようだけど、幕末までは植物の花や木の皮からとったものを色料としていたそう。

雪が降る隅田川沿いの屋根船の女性3人は、それぞれの着物の色の美しさに目を見張った。歌川国貞の「玄徳風説訪孔明 見立」(1820年)。見立というのは「歴史や物語の一場面を踏まえながら、江戸時代の人物の姿に置き換えること」らしく、今でいうパロディ。これは「三国志」の英雄、劉備玄徳が、雪が降りしきる中、諸葛亮孔明を訪れる「三顧の礼」のパロディだそうで、孔明の家を訪れる劉備、関羽、張飛の3人が、江戸時代の美女3人に置き換えられて描かれている。

あと、すごい時間をかけて見入ってしまったのは、潮干狩りの様子を描いた歌川貞秀の汐干狩の図(1849-52)。手前のほうでは女性や子どもたちが貝や魚をもりもり獲っていて、その背景には蕎麦の屋台があったり、船の上に立って酒や肴を売る商人、子どものおもちゃを売る行商人がいる。ワイワイにぎやか。女性と子どもは裸足なんだけど、右手の忍者みたいなかっこうした男性たちは足駄(あしだ)とかいう高下駄をはいている。

この展覧会は天気をテーマにしていることもあって、雨降りの絵が多く展示されていたのだけど、雨の中を傘さして、ぬかるんだ土の上を高下駄はいて歩く人たちが多く描かれていて、高下駄は今の長靴みたいな役割で使っていたのかーなんて思い巡らせながら、いろんな人たちの足もとを注意して観たりした。

この夏は、同僚の訃報があったり、あれこれの出来事や物語に触れる中で、今自分が「もっている」と感じている、大事な人たちと過ごしたかけがえない思い出も、一言で語りえぬ複雑な感情も、自分がなぜだか情熱的にもっていて手放せない考えや信念も、今この世界で自分が意識しているもの根こそぎ無に帰すらしい、いずれやってくる死というものに、怯えと諦観のないまぜを覚えたひと時だった。

私は絵の技法にも歴史にもうといので、この時代の人たちはどんなふうに生きていたんだろうな、どんな風景を見ながら暮らしていたんだろうなというふわふわした関心だけで鑑賞したが、このお出かけは心を涼やかにしたし、いくらか救われた気もする。日本橋川の透き通った水面は美しく、至るところから富士山が望める様子は開放的で、隅田川のあたりから富士山の絶景を眺める人たちの様子なども、気持ちをほころばせてくれた。

2021-08-17

ワクチン接種2回目の副反応を脱す

先週末に新型コロナウイルスのワクチン接種2回目(モデルナ)を終えましたが、いやはや副反応がきつかったです。7月半ばに1回目、モデルナは4週間あけて8月半ばに2回目接種です。

1回目は発熱なし、腕の重たみと腫れのみ(遅発性と呼ばれる接種1週間後とかから遅れて出てくるやつ)で済んだのですが。

2回目が大変。発熱はピークで38度台前半(平熱は35度台後半)、それはそれとして、とにかく頭痛がひどかった。ズキーン、ズキーンと頭の左側に激痛が走るのが、ひどい時は20〜30秒に1回のペースでやってきて、読書どころではない、ラジオも音楽も聞く気になれず、ひたすら静かな部屋で床にふせっておりました。

接種から36時間経過したくらいで峠を越えました。汗だくになって目が覚めたとき、「あ、脱した」と思いました。激戦を終え、痩せた時だけなる「よく見ると二重」を手に入れました…。

そこからまた半日くらいは微熱(私の場合36度台後半)が続き、時々、例の頭痛が走るも頻度が明らかに減って、今朝は熱も35度台に戻り、ジョギングができるまでに快復(接種から2.5日後)。

いやぁブースター接種とか、勘弁してほしい…。「1を聞いて10を知る体なので大丈夫です。撃退法、会得しました!」と拒否したいほど、きつかった…。

走って泳いで小説を集中して読める健康って、すばらしい。またしばらく「足るを知る」をスローガンにして静かに頑張れそうです。

2回目のほうが概ね強い副反応を覚えるようですが、「熱は出るけど熱が出るだけ」という話も聞けば、2回目のほうが軽かったという人の話も聞きましたし、個人差がすごくあるなぁと思うのですが、これから2回目の方(特に一人暮らしの方)は、くれぐれも潤沢な水・食料・解熱剤など最低2日分は整えて、ご自愛ください。

こうやって後から振り返ってみると、想定範囲内に収まっているんじゃないのって感じなんだけども、只中にいるときはどう転ぶか先が見えないからナーバスにならざるを得ないんだよなぁ。今回ばかりは注射嫌いの私も、その瞬間の先端恐怖そっちのけで、その直後にしびれが走ったりしないか、打った15分とか30分以内に急な体調の異変におそわれたりしないか、この頭痛が癖づいていつまでも残り続けたりしないかと、なんやかんやおっかなびっくりな時間を過ごしました。はぁ、こわかった…。必死に闘ってくれた体の頑張りに心から感謝。接種に対応くださった方々にも感謝、感謝です。

2021-07-29

「Web系キャリア探訪」第32回、よそ者の価値創造

インタビュアを担当しているWeb担当者Forum連載「Web系キャリア探訪」第32回が公開されました。今回は、新卒で朝日広告社、その後ツナグ(さとなおさんの丁稚奉公)を経て、現在は都内マーケティング支援会社BICPと、岩手県住田町(すみたちょう)の地域おこし支援活動を掛け持つ伊藤美希子さんを取材しました。

「二足のワラジスト」岩手と東京でパラレルワークする理由

何はともあれ、リンク先にとんで「住田町の上空写真」を見ていただくと、うわーっという開放感に満たされます。住田町は林業の町。山があり、川が流れ、町がある。しかし「町」といったって、岩手県といえば北海道の次に大きな都道府県。「住田町」の面積を調べてみると、東京23区の半分くらいはある広大さです。そこに人口5,000人。鹿、熊、ちょっと人がいると言っていたような…。

二束わらじを始めた当初は東京と岩手を行き来していましたが、のちに岩手に移住。その上、今年6月にはBICPの住田オフィスも構えられました。確か、もとは魚屋さんだったところを住田町の方が改築してくださったのだとか。住田オフィスの写真からも、魚屋さんだった面影が感じられます(とくに奥のほう右手)。

住田町の皆さんも、伊藤さんご自身も、伊藤さんの「よそ者」というユニークさを健やかなまなざしで認めて、活かして、手を取り合って住田町の地域おこしに取り組んでいる様子が伝わってきました。

私も言わば「よそ者」、そばにいる支援者として、当事者の輪から一歩外に出たところにいながら、どう別の専門性をもちこんで部外者ならではの貢献ができるものか思案しながら仕事してきたので、個人的にも共鳴するところが多くありました。

学生時代から関心があったという社会活動に、伊藤さんがどういう経路をたどってたどりついたのか。自分が意味を見出すところに、通りの名前などついていなくても、いい意味で「行き当たりばったり」の直観を大事にして、自分で道を拓いてこられた自然体の歩み、ぜひお時間の良いときに読んでみてくださいませ。

2021-07-28

「もしかして灰田が消えたのは1995年3月!?」という迷走の一部始終

これはもう、村上春樹の「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を再読するしかなかろうという気分に追い込まれて、週末に読みふけった。主人公つくるの自己像は、自分のそれと重なるところが多いのだ。つくるの描写を通して自分をとらえ直せるところが多分にあって、私にはとっておきの小説である。

さて一気読みした後、せっかく再読したのだからと、泳いだり走ったりちょっとした時間に、この本の未解決事項に思いめぐらせてみた。この小説は、「結局どうなったの?」「で、どういうことだったの?」という事柄を多く含んだまま終わる。読者によっては「粗い」「完成度が低い」と評する声もあるけれど、その一方「推理小説じゃあるまいし、なんでもかんでも回収される、解明されると思うなよっ」という気もする。

彼の意識のキャビネットの「未決」の抽斗に深くしまい込まれている問題のひとつだ。

なんて、あえて「未決」という言葉を刻み込んでもいるし。再読してみて思うに、意図的な未決も、意図せぬ粗も、どっちも含んでいるってことなのかもなって個人的感想をもった。

が、とすると、だ。完成度が低いんじゃなくて、作者があえて曖昧なままに終わらせただろうところに関心が向くのが、しがない1読者として健全である。

じゃあ村上春樹が「それは皆さんのご想像にお任せします」と、意図的に書かなかった事の顛末があるとして、いちばん私が気になるのはなんだろうな。なんて思い巡らしていると、あれとこれがばさっと頭の中で関連づいて、身も心もばさっとベッドから飛び起きた。

私が気になる一番は、大学時代に主人公つくるの前から忽然と姿を消してしまった大学1年生の「灰田がその後どうなったか」だ。それと、改めて読んでみて違和感を覚えた、物語の終盤も終盤で、1995年3月に起きた地下鉄サリン事件のことを、唐突に持ち出してきたのは、どんな意味があるんだろう問題がリンクした。

もしそんな極端に混雑した駅や列車が、狂信的な組織的テロリストたちの攻撃の的にされたら、致命的な事態がもたらされることに疑いの余地はない。(中略)そしてその悪夢は一九九五年の春に東京で実際に起こったことなのだ。

確かに、主人公は駅を作る職業だし、物語を通して「駅」や「電車」は大事な存在として位置づけられている。けれど、あれほど物語の終盤になって、東京の混雑した駅の異常さについて行数を割いて語り、1995年春の事件に言及するのには、ちょっと唐突感を覚えた。相応のワケがないとおかしい。この一節は、つくるの物語世界と読者の現実世界をつなげるように、村上春樹が大事な意味をもってそこに置いたように読めた。

それが灰田の行方とつながって、仮説がひらめいた。もしかして、灰田がつくるの前から消えてしまったのは、この1995年3月の事件に巻き込まれたってことなのでは!?と。いや、巻き込まれたって断定はしない。しないけれども、あるいはそういうことが背景にあったかもしれない、なかったかもしれないという話なのでは?と。

そう思い立つと、いても立ってもいられず、関連するページを再びわわわーっとめくり直して確認した。

まず、大前提を置く。地下鉄サリン事件は1995年3月20日に起きた。

村上春樹はこの事件について、被害者など62人の関係者を訪ね、丹念なインタビュー取材をして、事件2年後の1997年3月に「アンダーグラウンド」というノンフィクション作品を出している。事件への思い入れは相当である。

では、物語のほうの時間軸と照合してみよう。

つくるが灰田と出会って親しくなったのは、つくるが大学3年生、灰田が大学1年生のとき。つくるが最後に灰田と会ったのは、その学年末の「2月末」とある。灰田は「2週間ばかり秋田に帰ってきます」と言い残して、そこから一切つくるの前に姿を見せなくなった。

これを、灰田が3月20日の事件に巻き込まれたという仮説に照らすと、2月末からは2週間というより3週間経っていて、ちょっとずれている感もありつつ、誤差の範囲とも言える。なにせ長い春休みだし、本文にあるように実家の雪かきが大変だったのかもしれない。では、一旦これを1995年2月末のことと置いてみよう。

つくるは留年も就職浪人もせず、1995年4月に大学4年生になって、1996年4月に「今」も勤務する鉄道会社に新卒入社している(とみるのが自然だ)。「今の会社に入社して14年経つ」と言っているので、この小説で描かれている「今」は、仮説に基づけば2010年ということになる。

「主人公つくるが灰田と出会って別れた大学3年生の年」と「今」の間は15年間あいている必要があり、この小説が出たのが2013年4月、この話を構想だてたのが2010年〜2012年頃とすれば、今を2010年と置き、灰田が消えた当時を1995年2月とみるのは、そう違和感ないのでは。

と、あーだこーだノートに書きつけながら一人で興奮していたのだけど、もういくらか読み足したところ急ブレーキ。

灰田は、「学年末の試験が終わった直後に自らの手で、捺印した休学届と退寮届の書類を出している」とある。学年末の試験が終わって、行方をくらますまでの間に、灰田はつくると会っているが、「休学のことをつくるには伏せていた」。もともと灰田は1〜2月のうちから学校を休学する気があって、つくるにはそれを言っていなかった。その理由は、この仮説では解けない…。

また、灰田が消えたのは「たまたまのことではない」「そうしなくてはならない明確な理由が彼にはあったのだ」と明記している。「灰田は自分の父親と同じ運命を繰り返している」「20歳前後で大学を休学し、行方をくらましている」とも意味ありげに書いてある。うーむ、そうするとやはり私の仮説は、浅はかな文学素人の思い込みにすぎないということになるか…。再び「未決」の抽斗ゆき、とほほ。

でも、この読後の迷走は、私がこの小説をみる奥行きを、より豊かなものに変えた。村上春樹がノンフィクション「アンダーグラウンド」の丹念なインタビュー取材を通じて、あの事件によってその後の人生を大きく狂わされた、その日たまたまその電車のその車両に乗ってしまった人たちの話を深く刻み込んで生きていることは、時系列的にみても間違いない。また「アンダーグラウンド」の中で村上春樹は、あの事件の被害者は「誰でもありえた」ということを強調していた。

それが私の中では、「灰田だったかもしれないし、そうではなかったかもしれない」と言いたいように読めたのだった。こんなふうに読後にもあれこれ思い巡らして、もしかして!といろいろ仮説立てて読み返したりして、読者が勝手に読みごたえを増幅させていけるのも小説の愉しみだよな。「未決」を含む小説も悪くないし、再読も独特の愉しさ。だからまぁ、この迷走も無駄じゃなかったってことでいいのだ、うんうん。

2021-07-27

部外者の仕事

1年半続くコロナ禍、いよいよ東京オリンピック開幕の東京ど真ん中にいる。日に日に息苦しさが増していく中で、自分というものの空っぽさが際立って見えて青息吐息。

水泳とジョギングで、心身の健康を維持している。夏の夕景はすばらしく美しい。汗を流すと体が励ましてくれる。まぁまぁなんとか、走って泳げる健康があるんだもの、「足るを知る」ですよ、頑張りましょうと。

そして本とラジオに、救われている。なんだ、いつも通りじゃないかって感じだけれど。

出口治明さんの著した「哲学と宗教全史」は、締めも良かった。レヴィ=ストロースの

社会の構造が人間の意識をつくる。完全に自由な人間なんていない

という一節は、何ものにも代えがたい。このわさわさとしたときに与えてくれた心の森閑、思考の開放。

問題の原因を「一人の人間のせい」にして早期に事態を収拾させようとする人のさがに途方に暮れそうになるとき、この一節もまた人が遺してくれたものなのだと、ありがたく読む。

別に、誰かの行いに対して問題視するなと言っているわけじゃない。自分だって問題だと思っている。だけど「その人のせい」だけで済ませようとするのは問題の矮小化に思えるんだ。当事者じゃない人間こそ、その問題を引いてみて、その人個人のせいじゃないところにどういう間接要因があったかに思いをはせたいんだ。そちらからも問題解消の道筋を企てたいんだよ。そう叫んでいる人が、糾弾されているのを見て、自分は糾弾される立場なのかと言葉をなくす。

問題が起きた要因が、ひとつ、ひとり以外にまったく考えられないなんてことは、ちょっと想像できない。問題の要因はたいてい複数挙げられるものだ。その問題発生に影響を及ぼした、当事者を取り巻く環境、時代背景にも目を向けてみる。できるだけ複眼的に、できるだけ多層的に、さまざまな複合的要因をとらえてみようとしたい。

その問題に直接巻き込まれた人間がそれをするのは大変だからこそ、直接関わっていない部外者が、この役割をかってでるべきなんじゃないかと思う。そこから問題に対する合理的なアプローチをとって問題の解消にあたりたい、知恵をしぼりたい。

その活動は小さく、小さく、とても小さい。それまた途方にくれるネタだ。だけど、そのスタンスを手放すこともできない。静かに、大事に、その道を模索していくしかない。

それぞれの時代の、それぞれの社会構造が、人間の意識を形づくる。それは少なからずあって、私はこれを無視できない。もちろん、そこで生きる一人ひとりの個性が形作る意識も、ある。人も世の中も、バランスの中にある。ものごとの成り立ちを一つの要因に決め込んで単純化してみては、負けなのだ。私の勝負は、そこにある気がした。

いろんな影響を受けて人は成り、複合的な要因をもって事は起こる。そう見るからこそ解決アプローチも数を挙げられるし、あの手この手を企てられる。問題の責任も、人ひとりが請け負いきれるとみるのは人のことを頑丈に見立てすぎているように思う。人はもっと、もろいものだ。部外者の仕事、支援者の仕事を、自分なりに担っていきたい。

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