2024-12-11

ネット上に流れづらい多様で小粒な数多くの伝承ノウハウ

しっかり校正者が入っていそうな大手出版社の本でも、私はかなりの頻度で誤植を見つけるほうで、「良い本だなぁ!」と思った本は、感謝の念をもって&重版も見込んで、出版社に「誤植かも?報告」を入れるようにしているのだけど。

下のスライドは、直近で出版社サイトの問い合わせフォームから連絡を入れたとき、その問い合わせ文面を作成するに際して配慮したポイントを、ざざっと挙げたもの。

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Inquiryformtext

言われなくても、わかっている。実にちっぽけなノウハウの列挙だ。

なのだが、世の中は実はこうした小さなノウハウに溢れていて、日常的にそこここで発揮されているのに、各々が物静かに行っているから​、情報としてはカスタマーハラスメント事情ばかり大量生産・流通されて、そっちばかり目立ってしまっているのではないかと、そうした疑念を抱いている。

前者は「口にするのは粋じゃない」ってカルチャーがあるから、流通する情報のバランスが悪いんじゃないかなぁと。家庭で親が子に示したり、職場で上司や先輩が教えてくれたり、そういうところでしか、なかなか伝承されていないとなると、実態より社会が汚く見える人も生み出しちゃっているようで、ちょっともったいないなぁと。

ちなみに上の問い合わせをする前には、出版社サイトで「正誤表」がすでに公表されていないか確認し、「よくあるご質問」ページに誤植報告用の手順説明がないか確認の上、特になかったので「問い合わせフォーム」から送る手順を踏んでいる。「問い合わせフォーム」のページにも、たいてい案内や注意事項が添えられているので、そこは一通り目を通して、必要な指示に従って問い合わせるのを礼儀としている。

そういう一つひとつを、小粒ながら丁寧にやっていきたい。子も、教え子もいないけれど、いろんなところにお世話になっている1市民、1カスタマーとして。

2024-12-10

10年前20代だった人たちの、ここ10年の「職業観」経年変化

厚生労働省が12年続けている調査で、2012年当時に20代だった全国の男女を対象に、結婚・出産や就業実態・意識の経年変化を追っている「21世紀成年者縦断調査」というのがある。

その中に「職業観」という項目があって、10年前(2013年)と最新(2023年)のデータを取り出して比べてみると、こんなグラフになる。

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Occupationalview

2013年に22〜31歳だった人たちが、2023年では31〜40歳になっている。会社でいったら若手から中堅に。

何を読み取るか人それぞれと思うのだけれど、超個人的には「社会に貢献するため」「働くことが生きがい」に、「あと5パー!」と一声かけてしまいたくなる。

昔の価値観を押し付けたいわけじゃ毛頭ない。ただ、仕事、職場、職業経験を活かすことで、単体・個人では生きられなかった人生を謳歌できることも多分にあり、私は平凡な人間ながら、その恩恵を受けて人生で経験できることを拡張させてもらえたような、仕事に生かされてきた感覚があるので。

私のように、個人として特別優秀でない普通の人たちこそ、そういうテコの原理みたいなのを活用したら、楽しく人生時間を過ごせると思うし、その意味では特別な人たちだけが「社会に貢献するため」「働くことが生きがい」を思うのではなく、普通の人たちこそそういうことを職業観としてもっている社会のほうが、なんかいいんじゃないかなぁとか思っちゃうのだ。

多様性社会と言われる中、そういう人の歩き方を撲滅するのではなく、それはそれで何割か残って尊重されていいんじゃないかなぁと。おもてだって下手に発言すると叩かれるかもしれないけれども。

2024-12-08

長篇でなければ実現不可能だった

先月半ばに分厚い長編小説を2冊読み終え、次はいくらか小ぶりな中編小説に手をのばすのかなぁと見立てて本屋を訪れたのだが、文庫コーナーの前に立つと、あいも変わらず600ページ級の長編小説になびく自分がいた。遅読のわりに果敢だなぁと感心しつつ、なびく理由はわからぬまま、自分のそれに従ってレイモンド・チャンドラー「長い別れ」*1を買って帰ってきた。

初めてのレイモンド・チャンドラー作品だ。この作品から入るの?と言われそうだけど、タイトルに惹かれて。原書「The Long Good-bye」は、1958年に清水俊二訳「長いお別れ」、2007年に村上春樹訳「ロング・グッドバイ」が出ているが、今回私が手にとったのは2022年に出た田口俊樹の新訳「長い別れ」。

とても好かった。他の訳者と比べた評は何も言えないけれど、すごく自然に脳内描写を誘う文章で読みやすかった。「訳者あとがき」からも、真摯な翻訳への向き合い方が伝わってきて職人魂を感じる。「解説」の591ページに、同じ箇所を3者がどう訳したか読み比べられるところがあるので、比較してみたい人は書店でそっと開いてみるとよいかも。とりわけ村上訳は個性的に感じた。

肝心の中身は、というと、読んでいる最中しばしば「小説を読むのに理由なんていらないんだわ、私はおもしろいから読んでいるんだな」と実感させられるおもしろさだった。それと相反するようだが「私が小説を読んで成し遂げたいことは、長篇でなければ実現不可能」なのだとも、読後に思い耽った。

というのは、「解説」で書評家の杉江松恋さんが書いていた、これの裏返しなのだけど。

彼が小説を書いて成し遂げたいことは、長篇でなければ実現不可能だった

まぁ、書き手のそれと、読み手のそれじゃあ、全然違う。読み手としての私は、長篇でなくとも様々に小説から恩恵を受けられているのが実際なのだが。それでも600ページ級の長編小説をこそ、いま自分が渇望していることに間違いはない。

そのことについて、最近いろいろと考えていた。うまく言葉にできなくて、自分の文章表現力にやきもきもしていた。同じところをぐるぐる思考巡らしているようで途方に暮れていた。

まだその只中にいるのだけど、とりあえず、最近のSNSにぐったりしてしまったことが一因にあっただろう。人を、出来事を、一面的、表層的に捉えて、何かを早々と結論づけてしまう。いったん結論つけたら、その結論ありきで単純なロジックを組み立てて、見立てを柔軟に変容させていくことをやめてしまう。どう見立てたら、より明るい光を先に見出せるかを思案し続けることをやめてしまう。その不健全で怠惰な流れが、きつかった。これは一方で人間の性でもあって、この先どんどんひどくなって、自分も知らぬ間にそれに飲み込まれていってしまうんじゃないか。いや今すでに、無自覚にその流れの中に浸かっているのじゃないかという恐れがあった。

端的に言えば、大江健三郎さんの本*2の中にあったチェコスロヴァキアの作家ミラン・クンデラが遺した言葉(「笑いと忘却の本」King Penguin版、1979)そのままなのかもしれない。

とにかく世界じゅうの人びとが、いまや理解するよりは判定することを好み、問うことより答えることを大切だとするように感じられます。そこで、人間の様ざまな確信の愚かしい騒がしさのなかで、小説の声はなかなか聞きとられがたいのです。

これは1970年代の言葉だけれど、今にも通じている。当時より増しているのか減じているのか、私にはよくわからない。けれど私個人として「小説の声が聞きとられがたい」時代を背景に、切実に、この流れに抗いたがっている。「小説の声を聞きとりたがっている」自分の渇望に応えて、長編小説に手を伸ばしている感じがする。

自分の終わる日まで、たおやかに育んでいきたいものがある。それが何なのかは、書き出すといつまでも止まらないで、だらだらとしたものになってしまって仕方ない。自分の中ではこれと分かるのに、なかなか言葉にまとまらない。でも、これと自分では分かるから、それを大事に育て続けようと思う。伸ばし続け、発揮し続け、縁ある人に役立てて、今の社会に還元して、終われれば良い。いよいよ砂嵐の中に立っているような風景に呆然としてしまうことが増える一方だけど、それもきっと一面的な見方にすぎないのだろう。

*1:レイモンド・チャンドラー著、田口俊樹訳「長い別れ」(東京創元社)
*2:大江健三郎「新しい文学のために」(岩波新書)

2024-11-24

ネガティブ感情とうまいことやるオーソドックスな方法

ネガティブな感情が湧きあがったとき、それとうまいことやる方法というのを、教わった覚えはあるだろうか。気をてらった方法でもなく、有名人の我流でもなく、基本的でオーソドックスな方法。私は、ないと思う。

昭和生まれで義務教育も今よりガサツだった時代に育ち、大手企業がやるような体系だった新人研修も、管理職が受けるアンガーマネジメント研修も受けたことがなく、記憶力もとぼしい私には、こう教わりましたと思い出せるものが、これといってない。

それが先日、とある本*の中で「あぁ、これならやってる、日常使いしてるぞ」と思う感情調整の理屈に遭遇した。普段の生活を送る中で、野良作業しながらスキル獲得していたというやつだろう。本を読みながら、うまいこと自分の感情とやってるもんだなぁと気づくところがあった。

その理屈というのを図示して、おいておきたい。困っている人がいたとき、ぱっとこれを見せながら説明すると話が早そうだ、という自分の説明用にこしらえた一枚なので、足場だけ組んである感じで人には物足りないと思うが。使えそうだと思う方は、困っている人に説明するときなんぞに使えたら使ってください…。

感情調整のプロセス、心の健康との関連性(画像をクリック or タップすると拡大表示する)。

ProcessOfEmotionalRegulation

ざっくり言うなら、同じ状況でも、その状況にはいろんな意味づけができるわけで、多様な解釈スキルを向上させることが感情調整力の肝、心の健康維持にも寄与するという話。

人に伝える場合、実際には、相手に合わせてお手製シチュエーションを具体例挙げて示したり、本人が直面している苦難シチュエーションをネタ提供してもらいながら理解をたどるキャッチボールしてやらないと、知的満足は得られても実用に到達しないと思うので、その伝え方こそが肝になるのだけれど。

以下、理屈メモ。あと、ちょっとしたシチュエーション例も添えておく。

私たちは、いろんな状況で日々、嬉しいとか楽しいとか、腹が立つとかイライラするとか、悲しいとか寂しいとか不安だとか、焦るとか落ち着かないとか退屈だとか、恥ずかしいとか情けないとか、罪悪感がわくとか嫌悪感を覚えるとか、闘争心が芽生えるとかしているわけだが、あれが「感情」である。

で、同じ状況でも、どんな感情を経験するかは人によって違うし、どう処理したり、どう表出するかも人によって違う。個々人の性質(タイプ)によって、何を楽しいと思い、何に退屈さを覚えるかに違いが出るわけだが、それはここで論点としない。

また同じ人であっても、その時々のコンディションや、ちょっとした状況の違いで変わってくる。ふだんなら気に障らないことが気に障ったり、その逆もある。が、それもここでは焦点化しない。つまり「状況同じ、人が違う」「人同じ、状況が違う」いずれによる感情の経験差でもなくて。

ここで焦点化したいのは、その人の「感情調整」の力量、言わば感情を扱うスキルによって、感情の経験の仕方に違いが出るという話題。

感情調整とは何か。

人が、いつ、どのような状況で、どのような感情を経験したり、表出したりするかに影響する一連の過程を捉える概念

「イライラする」「不安だ」という負の感情を抱いても、それを処理する方法は人によって異なり、調整する力量(スキル)次第で、ネガティブな感情に振り回される回数は減らせる。うまく活用できれば、ポジティブなエネルギーにも変えうるという話だ。

上の図は、日々ふつうにやっているプロセスを、くどくど図にしてある感じ。なのだけど、これを意識化して、脳で捕まえて、心で扱えるようになることが大事なので、あえてくどくど図の内容を言葉に起こすならば、

1.感情が4つのプロセス(状況、注意、評価、反応)を経て生起する中で、
2.5つの感情調整(状況選択、状況修正、注意配置、認知的変化、反応調整)が、それぞれ行われうる。
3.世界中に多数ある研究成果をメタ分析すると、5つの感情調整プロセスは「心の健康」と関連するもの、しないものに結果が分かれる。
4.「弱いか中程度の効果」が認められたのは唯一「認知的変化」のプロセスである。
5.「認知的変化」というのは、置かれた状況への評価や捉え方を変えること。

つまり、自分が置かれている状況に対して、それがたとえ自分の力では変え難いと思える状況や環境だったとしても、置かれた状況をどういうふうに解釈するかは、いくらでも発想のめぐらしようがあるということ。少なくとも、解釈が1つで終わる状況などない。そう思うなら、それはスキル不足による思い込みだ。

例えば、ファミレスでパソコン持ち込んで一人仕事をしていたとして、家族連れが隣りの席に座った。子どもらがわいわい騒いで一気にうるさくなり、仕事に集中できなくなった。最初にイライラする感情がわいたとして、「でも、ここ、ファミリーのレストランだしな」とか「静かな空間で仕事に集中したいんだったら、それをサービス料に含んだ場所に行くなり、職場なり自宅なり自由がきく場所に行かなきゃいけないのは自分のほうだ」というように、自分の状況解釈に変更を加えるのが「認知的変化」だ。

こういうプロセスを加えると、最初にわいたイライラ感というのが、少なくともそれ単体で自分の心を占拠している不健康状態から解放されているだろう。

このファミレスのシチュエーションで、他のプロセスを例示するなら、

「状況選択」は、そもそもうるさい環境を予見してファミレスには行かないとか。
「状況修正」は、人気が少ないほうに席を移動させてもらうとか。
「注意配置」は、自分の注意をそらすべくイヤホンをするとか。
「反応」は、深く息を吐くとか、むっとした表情をするとか、睨むとか目を閉じるとか、だろうか。

この辺を解説する本のくだりを読んでいて、確かに「認知的変化」は、心の健康確保に日常使いしているなぁと思ったわけだ。

「自分自身」あるいは「話す相手」が直面している状況に合わせて、認知的変化を加えながらポジティブ感情を引き出すアプローチを考えていければ、日常かなり開放的に心の健康を維持・運用できる。その感情をエネルギーにして、「反応」後の具体的な行動選択、あるいは回避行動、人間関係づくりを展開していくこともできよう。

結局やっぱり、ちょっとお堅い文章になってしまったが、日々いろんな状況に直面する中で、いらっとすること、しょんぼりすること、ネガティブ感情を抱えることはままあることであり、むやみに周囲に変更を迫ったり、我慢して心を疲弊させたりせず、自分の「状況の評価の仕方、捉え方」を、うまいことチューニングして再解釈を与える。このオーソドックスな方法は、もっと日常使いされていいのではないかと素朴に思ったのだった。

いや、私以上にうまいこと使えている人もわんさかいるだろうことは承知の上だが。このスキルのたゆまぬ鍛錬は、感情の味わい方を豊かにするばかりでなく、人生の味わい方を豊かにするんじゃないかなぁって思うのだ。

*小塩真司 編著「非認知能力: 概念・測定と教育の可能性」(北大路書房)

2024-11-16

長編小説「ザリガニの鳴くところ」が与えてくれるもの

先月半ば、本屋で平積みされていた分厚い文庫本を2冊買って帰った。いずれも600ページある長編小説で、ひと月近くかけて1,200ページを読破したのだけど、終えてみると、なんだか2つの旅を終えて帰ってきたような心持ちに。長編小説を読むというのは、ひとり旅をする体験に近いなぁと思った。

どちらもハヤカワの文庫本で、「未必のマクベス」「ザリガニの鳴くところ」も、同じような夕焼け色の表紙をしている。その静けさに惹かれて手に取ったのだけれど、中身を開けばまったく違う世界が広がる。かたや2000年頃からの香港の大都会を舞台に、かたや1950〜60年代のノースカロライナ州の湿地を舞台に、1ページ目から全然違うところに連れて行かれる。見た感じ、ほとんど同じ物体なのに(というと装丁家に失礼だけど、買ったのは装丁のおかげだ)。

私が大型書店で目にとめてひょいと気分で買って帰る小説というのは、つまり、すでにめちゃめちゃ売れていて、読んだ人が世の中にわんさかいる作品ということだ。「ザリガニの鳴くところ」は、2019年、2020年にアメリカでいちばん売れた本とのふれこみで、映画化もされているのだとか(知らなかった)。

そういう長編小説を読んでいる最中よく思うのは、「私の前に、こうして同じようにページをめくり、一人でこの小説を読み耽って時間を過ごした人が、この世界にはたくさんいるのだ」ということ。この読書時間を尊く思い、この物語に心をおいて過ごした人たちが、この世の中にわんさかいるという心強さ。その人たちは今この時も、私がまだ知らない別の物語を、ひとり読み耽っているかもしれない。そうして、この不穏で不透明な世の中への信頼を回復しながら、小説の続きを読む。

「ザリガニの鳴くところ」は、動物学者が69歳にして初めて書いた小説だそう。人間そのものの野生や、人間をとりまく自然界の底知れなさを全景にした物語には、彼女の人生経験を総動員して作り上げた作品の力が宿っている。

社会を騒がすトラブルが浮上するたび、人間のクリーンでない側面、倫理的に許しがたい素行を、その場しのぎで覆い隠して、個人を消して罰して、底浅く善悪判定をつけて片づけようとしている世の中を糾弾しているようにも感じられた。

人間の野生や、自然界がもつ野蛮さをさらしてみせ。人間のもろさ、不完全で、いびつで、偏ったものの見方・考え方から決して逃れられない性質を突きつけてみせ。その一方、人の、個人のもつ並はずれた環境適応のポテンシャルにも光を当ててみせる。

誰にも覚えがあるだろう「人から拒絶される」体験、誰とも分かち合えず抱え込んでしまう孤独感を、とことん掘り下げていく。

もし、もっと人間社会が成熟した先に、誰も「人から拒絶される」という体験を覚えることなく、孤独感に苛まれることなく、理不尽も不条理も経験することなく生きていけるようになったら、こうした小説の読書体験価値は衰えてゆくのかもしれない。けれど今の10代が経験した苦悩話を聞くかぎり、私にはまだ当面そうなる見通しをもてないし、それこそが人間の追求すべき未来展望かと問われて、安易に首肯もできない。

何十年と生きていけば、たいていの人が、むごたらしい現実に直面させられる。たとえ助け合ったり慰め合ったりできる仲間がいても、それだけでは根本解決ならず、本人が個として対峙しなきゃならない難局というのが、特別な人にだけではなく、たいていの人にやってくるものじゃないかと、私はそのように人の生を見立てている。

もちろん、おかれる境遇は千差万別で、人と比べて自分の境遇が軽く見えたり重く見えたりもする。けれど共通するのは、それぞれに自分のそれを抱え込むということ。だから、ノースカロライナの湿地に生まれて親にも兄弟にも置き去りにされ、たった一人で生きてきた少女の極限の嘆きにふれて、彼女と境遇は大いに異なるのに、読者はその痛みに共鳴する。だから、これほど読まれているのではないか。そこに私は、心強さと励ましを得ているように思う。

自分だけじゃない、他の多くの人たちも、人は代々、自分と同じかそれ以上の難局を個人で体験してきていて、それを歯を食いしばったり、やり過ごしたり、時間かけて乗り越えたり、それと共生する覚悟を決めたりして、どうにかこうにか生きているんだと発想が及ぶ。それを支えに、自分も自力で立ち上がって、自家発電で自走を再開する脳内展開力が働く。

人ひとりが普通に人生を全うするのは、なかなか難儀なもので、こうしたものを備えていかないと、なかなかどうして、やりきれないんじゃないかと。古い人間と言われればそれまでの話、20世紀人間の杞憂かもしれない。あとはもう、それぞれの世代が、それぞれの時代を生きてみて、その次の世代が振り返ってみるほかないけれど。

ともかく今を生きる私は「これを読んでいる人が、世界中にたくさんいるのかー。これを読んで、素晴らしいと評する人たちがたくさんいる世の中というのは心強いなぁ」と感嘆しながら、長編小説に力をもらって、のらりくらりやっていくのだ。

2024-11-07

親戚を訪ねて、再会と別れと再会の約束と

3連休明けの朝を迎えて世の中が気合いを入れ直しているさなか、通勤ラッシュが一段落した頃合いを見計らって父と私は東京駅に集合、新幹線に乗って京都・奈良旅行に出かけた。ちょっとした気晴らし旅行というふうをよそおって父を誘い、心のうちにはひそかな思いと、小さな企てがあった。

父のふるさとは京都だ。京都は本家に会いに、奈良は父の兄夫婦に会いに行く旅。きっかけは、最近足が弱くなって表に出歩けないと伝え聞いた父の兄(私の伯父)を励ましに行こうというもの。父も最近病院の世話になって、あれやこれや大変だったので、父に「兄を励ます」キャスティングをして舞台に上げれば、伯父を励ますだけでなく、父を元気づける作用もあろうかと期待したのはここだけの話。

やってみると一泊二日は強行軍で、父には申し訳ない気持ちもわいたけれど、誘って、行って、良かったと心から思える旅となった。それもこれも温かく迎えてもてなしてくださった親戚の皆さんのおかげで、濃縮度たっぷり満天の2日間を過ごした。

今回は、それぞれのお宅へ東京土産のほか、小さな写真アルバムをこさえていった。あまり大がかりなものを持っていっても、重いし、見る側にも無用の圧をかけてしまうので、良き時間があればさっと取り出して、ささっと見てもらえるようにしたい。

というわけで、L判(通常サイズ)の写真を24枚だけ入れられる手のひらサイズのアルバム(ナカバヤシのコット)を買って、そこに私の子どもの頃の分厚いアルバムから父方の親戚が写っている写真を24枚厳選、それをスマホで撮ってセブン-イレブンでカラー写真印刷して挟みこんで持っていった。

写真には40年前とかの、みんながよく知る懐かしい顔が並んでいるので、これが誰々ちゃんで、これが誰々さんで、これが誰それさんの家のお庭で、これが玄関前で…とページをめくる度に指さして説明を加えていく。すると、ほぅ、ははぁ、若いなぁ、パーマかけてるやん、これは誰や?などと声があがる。

私は見ても分からないけれど、皆さんであれば、ここがどこなのか分かるかもしれないと思い、背景に何が映りこんでいるかも気にかけて写真選びしたのだけど、このお店は、どこそこや。ここは今もほとんど変わっていないだとか、これはどこのお寺さんや?とか、しぜんと背景にも意識を向けて見てくださっている声を聞くことができて、幸せな気持ちに満たされた。

父は親戚と時間をともにしている間、ずーっとずーっとしゃべり続けていた。人の発言も制する勢いでずっとテンション高く、とってもごきげんで、皆さんにはずいぶんとご面倒をかけたけれど、これぞ我が父という感もあり、みんな寛容に、親切に、そんな父の奔放をにこにこと受け止めてくださった。

ここで「みんな」というのは、親戚の皆さんはもちろんのこと、晩にごちそうになった割烹料理屋の大将、お若い店員の皆さんがたに加え、カウンターに並ぶお客さんがた全員ひっくるめてだから、本当に「皆さんがた」がすぎるのだが。私が折を見て平謝りすると、皆さん柔らかく親密な笑顔を浮かべて、時にはそれも味わいとでもいうような寛容さをたたえて微笑み返してくださった。これが千年の都のふところか。

またいとこ夫妻にすっかりおんぶに抱っこでお世話になって、2日目は京都の旅館から、近鉄線に乗って奈良へ向かう。最寄り駅までは、父の兄の奥さん(私の伯母)が車で迎えに来てくれた。と思ったら、足を弱くしている父の兄(私の伯父)もわざわざ車の後部座席に乗って出迎えに来てくれていて、そわそわして家で待っていられなかったのだろう、父を心待ちにしてくださっていたことが伝わってきた。

奈良で過ごした時間は短く、お宅を訪問してお茶菓子をいただきながら、先のアルバムをめくったりして談笑した後、お寿司屋さんへ行ってごちそうになりつつおしゃべり。あっという間に帰りの時間を迎えてしまった。

もっと長居できるようにすべきだったのか。父が軽口をたたくように、長居すると喧嘩になるから、これくらいがちょうどいいというのが正解なのか。私には答えがない。

父が、足を弱らせて寡黙になった兄を見つめる眼差しには、深く複雑な思いが去来しているふうが感じられて、私にはどうにもほどきようがない。けれど、アラウンド・エイティーな兄弟を引き合わす機会を作ったことに、後悔はない。私にできることは、それくらいしかないし、それ以上に何か働こうとするのも違うだろうし。引き合わせたら、あとはただ隣に腰かけて、たわいもないおしゃべりを挟みつつ、兄弟の再会を邪魔せぬよう見守るばかりだ。

お寿司屋さんを出ると、もう一度一緒に家に戻ってゆっくりしていったら?ととめてくださるのを父は断って、駅へと頼む。最寄り駅まで車で送ってもらって、車道の脇に車をとめて降りると、伯母が数百メートル先の改札口まで案内してくれる。

伯父は車の助手席にかけたままだが、50メートル先で振り返っても、100メートル先まで歩いたところで振り返ってもなお、助手席からこちらに向かって大きく手をふってくれていて、その姿を思い出すと今でも、というか今だからこそ、涙がぽろぽろこぼれてきてしまう。その時は私が泣くわけにいかないし、気が張っていたのだけど。伯父の思いは、父の思いは、いかばかりかと、推しはかる力量もないのに思いが募ってしまって、私のどこにもそれを収められる器はなくって、ただあふれてしまう。

伯父は車から、伯母は駅の改札から、私たち二人が見えなくなるまで、大きく手をふってくれていた。間をおかずに再訪の機会を作って、ちょこまか再会できるのだと、父にも伯父と伯母にも思ってもらえるように働けたらなと思う。

親戚というのは、この歳にもなると妙に深みを帯びて、独特の親しみを覚えるところがある。私は生来人見知りで、若い頃はずいぶん遠い存在に感じていたのだけれど、人生も終わりが見えてくると、これほど深いご縁もないように思えてくる。顔を合わせると、すっと手をさしのべて、ふわと包みこみたくなるような気持ちがわいてくる。それと同時に、ふわと自分の身を包みこんでくれるような温もりも感じられる。

たぶんそれは、私が親戚として出会うお一人おひとりに恵まれているからなのだろう。親戚だからというコンセプトワードに丸呑みされてはいけない、この人だから、あなただから、ということを一人ひとり、一つひとつのことを大事にして、この世界を見つめていかなければもったいない。大事なことを、見誤ったり、見逃してしまう。

帰りの新幹線で東京に着く手前、父が「充実した旅だったなぁ」と口にした。私は、みんなに見せた小さなアルバムを、父にプレゼントした。

2024-10-31

サービス劣化を食い止める、真っ当なクレームは存続するか

私が一方的にフォローしている藤野英人さん(SBIレオスひふみCEO)のFacebook投稿にふれて、自分が思ったことメモ。

元の投稿(2024年10月28日23:22)を、ざっくりまとめてしまうと、藤野さんが2年ぶりの引っ越しに際して日本のサービスのポンコツ化を実感した話。引越業者、小売店、運搬業者とのやりとりで、日にち間違い、忘れ物、連絡の行き違いなど大小さまざまなミスに遭遇し、2年前と比べて引越業者の仕事も明らかに雑になっていたと言う。

カーテンが届かないのも、運搬業者と小売店の言い分が食い違っていて、なんだかなぁという感じだったのだが、次のとおり、あまり事を荒立てず、現場対応にあたった様子がうかがえる。

まあそこを解明したところで意味はなく、カーテンの取付は明日以降に。

しかし、これを愚痴りたいわけではなく、次の胸のうちのほうが投稿の主旨と見受けられる。

しかしそれは、人手不足による人材の品質と教育機会の低下が背景にあるだろうし、「運んでいただけるだけ感謝」というように顧客側も思わなければいけない。時代はそう変化しているのだ。お客様だから威張れる時代ではない。

投稿の最後の一文は「全般的には日本のポンコツ化はすすんでいるような気がする」で終わるのだが、これを読み終えて私が思ったことを書き留めておきたい。藤野さんが書きたい論とは軸のずれた話を展開しているのは承知の上で、なのだけども…。

知性的で誠実で善良な市民こそ、一顧客としてトラブルに遭遇しても、背景事情を慮って現場でクレームを言わず、打開コミュニケーションを図らなくなっていることも、ポンコツ化の歯止めをきかなくしている一因では?と思うところがある。

「一因がある」というのは、責任の一端があるという意味ではなくて、ポンコツ化を好転させるのに影響を及ぼせる余地をもつのに、その力を眠らせているという意味で言っているのだけども。

その場でクレームをあげる、率直に思うところを相手に伝えてみるという平易な行為が、ずいぶんと平易でないところに遠のいてしまったな、とも思うのだ。

「この人に言ってもな」という物分かりの良さ、背景に理解を示して現場の個別具体より社会情勢に焦点をあわせようとする知性が働いて、知性的で誠実で善良な市民こそ、現場でもの言わなくなっていく。それは事を荒立てない道筋であると同時に、事態の好転をあきらめる道筋でもある。

そうすると、いよいよクレームというものが、無知性で不誠実なカスハラ的な人の行為として色濃さを増していって、一般の人が「クレームを言う」行為に対する抵抗を頑なにしていく。それはそれで社会全体でみると悪循環にはまっているようにも思えてくる。

カスハラに括られるような極端な顧客は声をあげるけれども、真っ当な顧客は事情を慮って現場でも何も言わないし、カスタマーサポートセンターにもクレームをあげない。そうすると企業の上層部もなかなか問題を検知できない、そうして静かに着実に、組織も社会も腐っていく。

善良な市民こそが顧客として、その組織がサービス改善する機会提供をできないものだろうかとも思う。「威張って文句を言う客」と「一切文句を言わない物分かりのいい客」の間に、いくらでも真っ当な客としてコミュニケーションを作り出す余地はあるのではないか。

現場でクレームを飲み込み、その後一切のコミュニケーションを断つのではなく、あるいは抽象化して世を憂いたり嘆いたり社会問題的に語るばかりでなく、直接に被害を受けた顧客として、現場で伝えてみるとか、組織に伝わるように問題点を送ってみるとか。

それで動くか動かぬかは組織の力だけれど、そこに網をはっている経営層はいなくはないだろうという期待がある。それでも言おうか言うまいか、今言おうか、後でサポセンには送ってみようかと、遭遇するたびに逡巡する小市民ではあるのだけれども。一切合切のコミュニケーションをあきらめたくはないなぁとは思う。

2024-10-24

遊びと研究と仕事がない交ぜになった、エキサイティングな場所としての会社組織

CG・映像の月刊誌「CGWORLD」が、今月号で「デジタルハリウッドの30年」を特集している。デジタルハリウッド株式会社は、私が社会人になって(ほぼ)最初に勤めた会社、1996年から2000年まで丸4年お世話になった。

ちょうど今、同大学の卒業生が「第51回学生アカデミー賞」のアニメーション部門で銀賞を受賞した快挙で話題になっている。が、私が所属していたのは時をぐるんぐるんと巻き戻して、今から20年以上前のことだ。

1990年代後半、世の中はインターネットが普及していく黎明期にあった。会社は設立2年足らず、創業期から急成長期へと移行する只中だったろうか。猫の手も借りたい時期に、猫の手としてなら役立つことを認められて転がりこんだかっこうだ。別に、コンピュータやインターネットに詳しかったわけでもないし、工学や建築、CGを専攻していたわけでもない。私は「とらばーゆ」で、たまたま引っかかっただけだ。

当時はまだ数十人のスタッフが、淡路町の雑居ビルに散らばって、ビル間を行ったり来たりしながら昼夜なく事業をしていた。生みの親会社であるVSL(研究所)も、そこから生まれた小会社も、同じように近所の雑居ビルに点在し、親も子もまるで同じ会社の部署違いのような緊密さでやりとりしていた。「システム関係は、VSLのTさん」みたいな感じで、私のような小僧の入社時の初期設定からマシントラブルまで親会社の人が親身に面倒をみてくれた。

特集では、はじめに「杉山知之学長の巻頭インタビュー」が展開される。杉山先生は、社会人なりたてほやほやの私に「会社」というものを具現化して見せてくれた人だった。それに気づいたのは会社を辞めた後、長い年月を経て振り返ったときのこと。会社も、仕事も、事業も、ビジネスも全部、有意義なものなのだという当たり前を、私にインストールしてくれたのは杉山先生だったなと。それが、私が社会人として仕事場に立ち続ける足場になっていた。

という話は以前ここにも書いたことがある(「みんなを生きるな。自分を生きよう。」に触れて)ので、これくらいにして、今回の特集である。

特集では、設立当初や、会社設立前の話を、とりわけ興味深く読んだ。

1987年からのMITメディア・ラボ客員研究員の任を終え、杉山先生はデジタルハリウッドの生みの親の研究所(VSL)の所長に就き、「日本大学理工学部の建物の空き部屋を占拠して、経済産業省や国土交通省からの委託でVRコンテンツを制作していた」、1992年のことだ。

杉山:やってみると困難の連続で、人が足りず、なんとかツテを頼ってCGがわかるプログラマーを雇用したのですが、会社組織の中では、はみ出していた人ばかりでした。とにかく働きたいように働いてもらい、やりたいことを追求して、開発できるように心がけていました。

数年経てVSLに入社した90年代中頃の職場環境を、インタビュアの広川さんが語る。

広川:当時のVSLは、遊びと研究と仕事がない交ぜになった、エキサイティングな場所でした。僕も含めて、普通の会社だと「社会人失格なんじゃない?」と言われるような人も多かったと思うのですが、自分の個性をなくすことなく、ちゃんと居場所がありました。それぞれが好き勝手なことをやっていながら、ひとつのコミュニティの中に収まっていて、理想的な環境だったと思います。

重ねて、当時のデジタルハリウッドの学校環境を杉山先生が語る。

杉山:学校の中はカオスそのもので、学生たちは徹夜で作品をつくり、廊下で仮眠をとっていました。朝になると、男女を問わず学校の洗面所で頭を洗い、会社に出かけたりしていました。VSLもデジタルハリウッドも、そこにながれるエネルギーは、まさにMITメディア・ラボと同じでしたね。よく「デジタルハリウッドって、ほかの学校と何がちがうのですか?」と聞かれるのですが、ちがいは受け継いでいる文化なのですよね。

「文化」という言葉が、心にとまる。「文化を受け継ぐ」という文化が、どのように伝承・継承していけるものかなと、最近立ち止まって思い耽ることが多い。文化を受け継いでいくことに、現代どれほど慎重に、軽視せずに取り組めているだろうか。

悪きを断ち切ろうキャンペーンは旺盛だが、そこで一切合切を分別つけず断絶して、良きをも断ち切っては、人間の営みとして、あまりに杜撰だろうと思う。人間は基本、伝承して、継承して、生きてきたのだ。その尊さが減じているわけじゃない。

閑話休題。たぶん上位のエリート層には、そこ独特に受け継がれていく文化、引き継がれていく価値観があるんじゃないかとも思う。あるいは、それと真逆の底辺意識をもったアンダーグラウンド層にも、それはあり続けるかもしれない。

けれど日本の個性は、そのどちらにも所属意識のない私のような凡庸な6割の層に「たまたま転がりこむ」チャンスが、ごろごろと転がっているところにあったように思えてならない。学歴エリートでも家柄エリートでもなく、IT強者でも情報強者でもない、意識高い系でも低い系でもない、ぼんやりと社会人になった人間が、社会に出てから遭遇する機会に乗じて「化ける」ような化学反応を起こすところに豊かな恵みがあった。

それを安易に手放してしまうと今度は、欧米社会が抱えている「ごく一部のエリートと、それ以外との格差問題」に飲まれてしまうだけなのではないか。日本には、日本人の文化にフィットする、もう少し別のアプローチがありそうで、それについて悶々と考えている。

もちろん、ワークとライフをライフ重視でバランスとりたい人が、それを叶える道を選択できる社会は豊かだと思う。一方で「遊びと研究と仕事がない交ぜになった、エキサイティングな場所」も、若者の選択肢としてあり続けるのが、本来目指す多様性社会じゃないのかなと。今は多様性多様性と謳いながら、「Aの画一性社会」から「Bの画一性社会」へと大移動しているだけのように感じることも多い。どちらも選べる、選び直せるというポジションどりが、社会の中の6割の民にも開かれていてほしい、そんなことを思うのだけれど。なかなか、うまく表現できなくって、毎回こんな文章にとどまってしまう。

*CGWORLD 2024年11月号 vol.315(ボーンデジタル)

2024-10-14

限定公開と一般公開のはざまにある文章

14年近く前、母の末期がんが発覚して、いきなり余命何ヶ月かということになったときには、日ごとに揺れる自分の胸のうちを、かなりこまめにブログに書きつづっていた。文章にすることで、どうにかこうにか乗り切っていたのだと、遠い目で振り返る。

そうして14年ほど経過、ずいぶんと自分なり身内なりの機微情報にふれそうなところをネット上に記述することは、その一切が憚られるようになったなぁと肌で感じる。共有するメリットより、開示するリスクが圧倒的に前景化して見える。そこに、時間の経過を感じている。

でも、なのだ。これも、その昔という話だが。私は「翼状片」という目の病気を患って、両目とも手術をした。その顛末をグロテスクにブログに書きつけていたのだが(ちなみに先月で術後10周年を迎えた)、あれには今なお断続的にアクセスがあり、また患者本人や、親御さんなどから私に質問も入る。

「翼状片」や「目の手術」などで、患者本人の声、手術の体験記を読みたい人らがやってきては、読んで励みにしてくれたり、情報を活用してくれている。エントリーにコメントをつける形、あるいはメールを使って質問を寄せる方も、これまでに一人や二人ではない。つい最近もあった。

私にとっては、インターネットの価値実感って、ここに原体験がある。エンジニアでもデザイナーでもない私は、ごく普通の社会人として七六世代を生きてきたので、インターネットを一市民として使ってきた感覚が強く、ただの人である自分がブログを書いて、それが、「誰それのブログ」として価値をもつのではなく、「見知らぬ人のブログだが、その中の1エントリー」が誰かにとって意味をもつことの実現を、体感してきた。

生活地域が異なっても、共通する悩みや課題、希望や興味をもっている市井の人らがネットを介してつながり、情報や意見やノウハウが有意義に交換される。そういう野良作業に魅了されたわけだが。

ここ10年だけ振り返っても、ずいぶんと風向きは変わってしまった。そういう野良に価値を求め続ける指向にしがみつかず、さらりと別のものにアップデートしなくてはならないのかもしれない。できれば、その別のものと共存して、ココログの片隅とかに残り続けないものかなと、そんなことも思わないではないが。まぁ、世の流れに身を任せるほかないか。

そんなわけで、これの一つ前のブログエントリーは、前日にはひとまずFacebookに友人限定で公開した文章を、いくらか手直ししてのっけた次第。これにあたって、こんな長い文章を書いてしまう自分は、なんだか、おじいさんの気分である。

1枚ペラの「入院のしおり」を作る心根と工夫

ここ数ヶ月、親の病院の付き添い、検査や手術のための短期入院の手伝いがちょこちょこありまして(ちょいと一段落)、病院で渡される書類やら説明資料やらは束となり、院内の各所からは大量の説明を浴び続け、自分が親の年齢になったら、こんなの一人でさばききれない…と、たじろぐこと度々でありました。

で、わが予行演習も兼ねて、親の背後に立っては、いろんな人らの説明を聞きまくり、メモにとりまくり、持ち帰っては情報を整理し、自分がやることと本人(親)がやることに仕分けし、折々に「検査のしおり」とか「入院のしおり」とかを作って、A4紙に印刷して本人に手渡してきました。

その「しおり作成で工夫したこと」、及び「しおりのサンプルファイル」を、インターネットの片隅で共有したい次第(庶民の元来のインターネットの使い方)。

まず、作成上の大前提。しおりは必ず、A4紙1枚ペラ(両面印刷は許容)に収めて、父が携行できるようにする。文字サイズは、老眼鏡がなくても本人が読める10ポイント以上を確保し、これで1枚に収めること。

文字数的にも、行間の確保・レイアウト的にも、もちろん書いてある内容的にも、父が過剰な圧迫感を覚えず、気が滅入りすぎないで、読む気になる、携行して役立てる気を持ち続けられることを重視しました。

むしろ、いくらかは、しおりによって心強さを覚えたり、先々の見通しの良さを覚えてもらうことが、しおり作成の狙いです。

さて、そうするためには、内容量を削ぎ落とすための工夫が必要です。それでも病院側に問題が生じず、本人も困らない、というより安心材料として意味をなすためには、どうするか。思案して実践したところを、ざざっとですが書き出してみます。

1)入院パンフなど、病院でもらった情報・資料から、父には該当しない・関係ない情報を削ぎ落としまくる(例えば、持参するものに「薬・お薬手帳」はいらないとか、本人が気にしない細かな注意点・院内の施設案内とか)。

2)細かいタスクは私のほうで巻き取って済ませ、しおりには載せないようにする。

3)入院前にやっておくことリストは、「入院の前月までに済ませておくこと」と「入院前日にやっておくこと」の2つに項目立てて、箇条書き。

4)一方、入院中の段取りは「入院初日(午前)」「入院初日(午後)」「入院中(標準スケジュール)」というふうに分けて、日ごとでなく意味的に期間を区切って項目立て、情報の詳細度を調整。

あとは、安心感や、良き見通しを持ち続けられるように、

5)「退院」の期間見通しは、ちょっと辛抱したらすぐ出られる感を強調すべく、あえて「入院中」とは分けて項目立てて示す。

6)万一地震など起きてスマホがバッテリー切れしても、父が院内の公衆電話を使って自分で家族に連絡をとれるように、家族の携帯電話の番号、院内の公衆電話の場所を書いておく。

下にざざっと、サンプルファイルに工夫ポイントを書き込んだイメージを置きました(クリック or タップすると拡大表示します)。

Sample_guideforhospitalization

しおりは、自分のために娘が作ってくれたというのも込みで、気丈に気持ちを保つ御守り効果を発揮したようで、折々にしおりを作ってもっていくと、「おぅ、これこれ!」と言って受け取り、ずっと大事に持って、きちんと中身を読んで、活用してくれていました。

もちろん人によって、気にすること気にしないことが違うし、物の覚えとか、自分でどこまで入院準備をできるかとか、後期高齢者ともなると個人差も大きいので、わが父向けに情報構造化された形式がどれほど使えるかはわかりませんが、GoogleDocumentでサンプル化しましたので、たたきとして使えそう・使いたいというタイミングがあったら、ここからコピーしてカスタマイズして使ってください。

«「企業文化をデザインする」仕組み化と余白確保の按配