2024-04-16

春、2日だけ教壇に立つ

ひょんなことから大学で2日だけ授業を受け持つことになり、これの準備で水面下のじたばたを続けているうち、4月前半が過ぎていった。昨日、今日で90分×2回の本番を終えて、ようやっと一息ついたところ。

自分がとても「大事なことだ」「若人たちに伝えたいことだ」と思っていることが授業テーマであっただけに、「それを、おまえが伝えられると思っているのか」という自分ツッコミが速攻で返ってくる。一人芝居が続いた。

「いや、その器でないことは重々承知の上ですよ。そこを、自分という等身大をわきまえた上で、この演者をして、どう伝えたら届くか」を組み上げて、脚本も演出も事前に考え抜いて臨むということですよ。作、演出、監督も、ぜんぶ自分でやるチャレンジということです」、そう食い下がる自分Aに対し、「ふむー、そこをわきまえての挑戦ということなら、じゃあ、やってみぃ。途中で根を上げるなよ」と自分B。一人やんややんやして、本番までの準備に明け暮れたのだった。

一つの教室に150人入るから、同じ授業を2日に分けて300人に行うということになったのだが、300人に90分でものを伝えるというのは、大変なことである。

少なくとも私のような人間には大役すぎる話なのだったが、依頼くださった教務の方と話す中で「誰が適任か、より適任の教え手がいるのではないか」という問いはついてまわるけれど、この柔いテーマについて言えば、敏腕のクリエイターを連れてくれば一番うまくいくというのじゃない。それはそれで、そうなのだった。

ここは暫定的でも、これってものすごく大事なことなんだと、それをみんなに知っておいてほしい、こんなふうにわかっておいてほしいのだと、言葉を尽くし、趣向を凝らし、心を込めて届けられる人が、壇上にあがって一所懸命伝えるというゼロ→イチを立ち上げることが大事なんじゃないかと。それができる人が、暫定的に適任者なんじゃないかと。

そんな話をして、そうだなって励まされたのだった。その思いを汲めば、私は暫定的な適任者という役割を担って、務めを果たしたかったのだ。

それにしたって先生というのは、作、演出、監督、俳優、ぜんぶ自分。改めて脱帽した。

脚本をどこまで用意するか、スライドをどう機能させるために何を入れ込んで何は書き込まないか。演者としてどう立ちふるまい、どう学生と関わるか、どこでは一人しゃべりして、どこで相手の表情をうかがい、どこでどんな質問を投げて、どこでは問いかけにとどまらず相手の意見を発してもらうか。それを90分という枠組みの中で時間配分して、メリハリつけて、大事なところがきちんと伝わるよう差配していかねばならない。

私は裏方業として、授業設計はあれこれしてきたけれど、壇上に上がってのパフォーマー経験は乏しい。ふだんから先生をしている方は、上のようなごにゃごにゃしたことを現場決着させながら差配できるところも多分にあろうけれど、私のような単発&演者経験が浅い講師のばあい、舞台作りのように事前の作り込みをどうやっておくかが、ものを言う。

とりわけ、時間感覚が乏しいのが難点だ。どう話したら延長せず、早く終わることもなく、90分ちょうどの時間におさまるかがわからない。なので、これはもう脚本を書くしかないと、一通り書き出してみる。この話に3分、これに1分かかるのかと、しゃべってみれば具体的な数字が見えてくる。ありゃ、これにこんな時間かけている場合ではない。もっとあっちのほうに時間を使うべきところだ。調整、調整。

さて、ここで個々人に考えてもらうのに3分、もうちょっと考えたいという人がいたら、もう2分追加できるようにして5分とっておこう。その後、数人で見せ合いっこしながら意見交換してもらうのに、このケースだと10分ほど確保したい。自分の話、みんなの時間、積み重ねていくと、ふむ、これで全部が85分くらいで着地する。

そこの目処がついてからも、今一度全体を見渡してみる。何度読んでも、自分の台本の粗が目につく。何度読んでもだ。この言い回しでは伝わりづらい。こう説明したほうがいいのではないか。これは、さっきの話と重複している、取ろう。構成をこう入れ替えたほうが流れがいいよな。

何度見ても「修正するところなし」に至らない。90分のセリフを覚えられるわけでもなければ、覚えてその通りしゃべりたいわけでもない。しかし、自分が当日できるだけ自由にふるまえるようにするためには、この右往左往プロセスを踏むほか手段がない気がしたのだ。

そんなこんなで2日間終わるまで落ち着かず。それが今日をもって一段落した次第。ともかく、悔いは残すことなく終えることができた。みんな熱心に話を聞き、参加してくれて、ありがたかった。今は、自分で自分を褒めてあげたい小者感をじわじわ味わっている。一息いれて、今年度もちょこまか人様のお役に立てるように頑張ろうと思う。

2024-03-28

防潮堤がないから、とにかく逃げる

いとうせいこうさんの「東北モノローグ」*が良かった。東日本大震災の被災三県(宮城、岩手、福島)を中心に聞き書きを続けた17の記録(文藝、河北新報で連載をしていたもの)をまとめた単行本。話を聞いたのは2021年〜2023年だから、震災から10年を経た、ごく最近だ。

岩手県洋野(ひろの)町の防災アドバイザーの語りに、

この洋野では人的な被害が一件も出なかった。被災三県の福島、宮城、岩手の沿岸自治体で、人的な被害が出なかったのはここだけです。

という話が出てくる。なぜそんな防災が可能だったか、とにかくここの町民は「逃げる意識が高い」という。八木地区は明治と昭和の三陸大津波で、居住人口の半分くらいが亡くなっている。それを知っているご老人がけっこういるし、震度3とか2の地震でも逃げるのだと。

この地区には防潮堤がありません。だから、とにかく逃げる。即逃げる。八木地区は「地震が起きたら即逃げる集落」なんです。

防潮堤がない八木地区こそが人的被害を一切出さずに済んだというのは、ちょっと見逃せない現実だ。何が有効な施策なのか、何は有効そうに見えて実際には機能しない対策なのか、むしろ脚を引っ張りかねないのか。

もちろん八木地区の事例をもって防潮堤に意味がないと断じて、あらゆる地域に適用しようと考えるのも雑すぎるのであって、あれもこれも「単一の答え」でまとめようとしない丁寧さが、複雑な世の中を前提にして施策を機能させるには重要なことなのだ、ということを教えてくれる。

防潮堤というと「ないよりは、あったほうがいい。あとは、その地区にどれだけの予算を投じられるか。そこに優先順位がつく」という「防潮堤は良きもの」前提に思考してしまいそうになるが、それも単一の答えに立脚した見方だなと自戒する。

その地区ごと、地形によっても、人の営みごとにも違いがあって、海とともに生きている町に、高い高い防潮堤が築かれることが、町民にとって最適解か、そう雑には考えたくない。

そこに人の営みあってこそ、自然現象は自然災害と認識される。そこに生きる人たちの生き方の理解なしに解は見出せない。

ここにバランスがものをいう、デザインの仕事が求められるんだろう。全部・全体に、ばらばらの最適解を個別具体で作るのは現実的でない。一方で、個別具体を一切無視して全部・全体を一つの結論で決着させられるほど雑でもいけない。そこにこそ人の創造力を生かしたい。

全体を通して、市井の人たちの民話的な語りが人を動かし、人を救うことを切々と訴えてくる本だった。

仙台で出版社をやっている土方正志さんの語りが、いとうせいこうさんの、この仕事の意味を表しているように感じた。

結局、データとか客観情報とかというのは、それこそネットでもなんでも、まあ百年後、二百年後にネット空間がどうなってるかわからないけど、とにかく客観データはどこかに残る。でも、残らないのは感情だろうという気がしていて。形あるものとして伝えられないのは、その場にいた、その経験をした、その時代にいた人間の生の感情、気持ち、記憶。これを残すのが一番難しいのかなという気がするんです。
で、それはどうやって残すんだろうと考えると、それこそ今回がそうだったように「あ、昔の人がこう言ってる。やっぱり今と同じなんだね」っていう、その積み重ねでしか残す手段はないんじゃないか。

それから、これはまだうまく言葉で表せないのだけれど、民俗学の視点で、漁師さんの職業観を語りきかせてくれる川島秀一さんのお話は圧巻だった。

経済的な観点で問題を設定して、それに有効な解決策を示すというシナリオだけで洗練化されがちな洞察のあり方を突いて、その思考の貧しさにじっくり向き合わせてくれるというか。人のキャリアを支援することを生業とする私にとっては、とりわけ胸に響いて豊かさを育んでくれる語りだった。読み終えては、また開き、反芻している。読めて良かった、ほんとに。

*いとうせいこう「東北モノローグ」(河出書房新社)

2024-03-24

理論に順序あり、順序あると予測や計画に役立つ

この間ここに書いた「ブルームの教育目標のタキソノミー(改訂版)」の話を受けて、改めてマルザーノらの新提案*を読み直した。ブルームの分類体系の弱点を突いたもので、読み応えのある一冊。

マルザーノがブルームを突くところの一つが、ブルームのは「枠組み」やん、おいらのは「理論」やねん。自分は「人間の思考に対するモデル、あるいは理論」を提示しているという。

理論とかモデルというのは「現象を予測することができるもの」。一方で、枠組みっていうのは「現象を説明する原理をおおざっぱに整理したもの」と説く。

言い換えると、マルザーノが提唱しているのには順序がある。だから「こっちが先で、そっちはその後」という順番がつく。なので「これの後には、あれがやってくるぞ」という予測が立ったり、「それの前に、これをやらないと意味がないぞ」と計画立てるときに役立つ。そこに「枠組み」ではなく「理論」の価値を訴えているわけだ。

それでマルザーノが何の順序を説いているかというと、新しい課題に直面したときに人がどう思考して、やりだすか、やり遂げるかということについて。「3つのシステムとナレッジの相互作用で決まる」と説いているのが図にするとこんな感じ(クリック or タップすると拡大)。

新しい課題に直面したときに稼働する心的システム3ステップ

「新しい課題に直面したとき」というのを、「新しいことを学ぶシーン」と言い換えて想像してみよう。

まずステップ1は、取り組むかどうかを決める。それを学ぶこと(覚えることとか、できるようになること)が「重要だ!」とか「自分にもできそうだ!」とか「できるようになりたい、やってみよう」という積極的な気持ちが持てないかぎり、取り組もうとは思わない。

取り組むと決めたらステップ2、目標と方法を決める。せっかくステップ1で興味や危機感をもって取り組む気になっても、具体的に目指すゴールと、それを達成するための方法がイメージできないと、何かをやり始めることはできない。

目標と方法が定まったらステップ3、具体的な行動に取りかかって、ようやく眼に見える学習活動へ。が、ここでも「やってみたが、うまくできない」「一向に効率も効果も上がらないよ」「できないのをできるようにするための克服課題がわからない」と足踏み状態をメタ認知すると、やる気はそがれていって新しい課題をやり遂げずじまいになってしまう。

自分の学習をセルフマネジメントする上でも、誰かに何かを教えたり、誰かの学びをサポートする役回りにおいても、どこで立ち止まっているのかを捉えて介入策を手立てするのは有効だ。

やる気にはなっているのに(ステップ1突破)、目標と方法が立たなくて(ステップ2の壁)足踏みしてるなって思ったら、とっかかり簡単めの目標と達成方法をアドバイスしてあげると、その人は学習を断念しないでチャレンジし続けられるかもしれない。

また、どのステップでも、その人がそのとき持っているナレッジ(知識、スキル、運動能力とよばれるようなもの)が影響を及ぼす。もっている知識が乏しければ、「これは重要だ、自分に深く関わってくる」と思える範囲はひどく狭くなるし、いろんな知識があれば、あれもこれも自分との関連づけが起きやすい。これは想像に難くないだろう。

そう考えてみると、何か一つ二つ知識を授けてあげるだけで、部下や後輩が次のステップに踏み出すことを後押しできるかもしれない。

って、2016年にもほぼ同じことをここに書いてスライドも起こしているのだけど、こうやって図を作りながら咀嚼し直す中で深く浸透していくところがあるのだ、私の頭は…。

この辺って、どうなるんだろう、どうするんだろうなぁ、今後の教育界は。世の中いろんなことが楽に作れるようになっていっているが、こうやって「作る過程」の試行錯誤やら手間暇かけた時間・経験のなかで、人間はナレッジを体になじませ体得してきたんだと思うんだな。

これが「作るのはポンとできるんです」って合理化されたとき、人間は「作る過程」が排除されたのと一緒に「体得過程」をなくしてOKなのか?というのが疑問なのだが。

作られた高度な道具を有効に使いこなす力を、ポンと体得できるわけじゃないのでしょう?別の経路をたどって、応用的に使ったり、部分的に使う選択をしたり、故障したのを作り替えたり、できるようになるのか。私のような頭だと、そこへの疑問がぬぐえないが、新人類はまた別のアプローチをつくっていくのかもしれない。少なくとも私の場合は、この地道なプロセスをたどって生涯を生きていくほかなさそうなのではあるが。この辺は決め込まず心を開いて関わっていきたいところ。

*Robert J. Marzano, John S. Kendall (原著), 黒上 晴夫, 泰山 裕 (翻訳) 「教育目標をデザインする: 授業設計のための新しい分類体系」(北大路書房)

2024-03-20

几帳面な人にシェアしたい、ものさしの着脱発想

人間の習性には「自分のものさしを人にあてて、他人のふるまいを断罪しがち」というのがあると思っていて、それを無自覚にやっちゃっているところから脱すると人間社会生活はぐっと楽しく、おもしろくなるという持論がある。

例えば几帳面な人からみたら、自分より几帳面じゃない人なんて世の中うじゃうじゃいるわけだけど、その人たちに「几帳面のものさし」をあてて、足りない足りないと嘆いていても一向に得るものはない。

遅刻する人は、おもしろいほどずっと遅刻し続けるし。自分が「ふつう連絡をよこすだろう?」というやりとりを中断して連絡よこさずじまいになってしまう人は、注意を促したところで、そのさきふるまいを改めるミラクルを早々起こさない。

そこで相手を蔑んだりストレスためるより、もしかしてそれ以外の、自分が持っていないし知りもしない「別のものさし」を持って、この人らは生きているのかもしれないって発想したほうが断然、人間社会に生きることはおもしろくなる。チームを組んで人と何かすることも楽しくなる。

こう発想の転換を図りながら人とふれあったり協働作業をしたりしていると、自分自身が何のものさしを持ってこれまでスキルを磨いてきたか、自分が何を発揮してチームに貢献できるかも、つかめてくる。

几帳面な人同士が集まることでストレスなく進む作業もあるだろうが、さして几帳面でない人たちが集まっている中に自分をおいてチームを組み、自分の強みも他の人の別の強みも活かせて、みんなハッピーという作業もある。

自分の持っているものさしというのは、自分には当たり前すぎて意識化するのが難しいので、こうやって他の人とのふれあう中でこそ自覚できるという側面がある。

他の人が、これまで自分が頓着してこなかったどういう価値基準や美意識を磨いて生きてきたのか、いま何に意識を向けて、自分と同じ社会に生きていたり、自分と同じ協働作業に関わっているのかに意識を向けてみるのも、おもしろいものだ。それは新たな社会の見方、人の活動の可能性を教えてくれる。

自分の特長にも、周りの人の魅力にも気づきやすくなる発想の転換。これができるのは、そこそこ大きくなってからだけど、大人になってきたなぁという頃合いで、ぜひおすすめしたい。

もちろんビジネス社会などは、一定の「ふつう、こうするだろう」という社会通念や規範あってこそ成り立っているわけだけど、それはそれとして。絶対普遍の掟というのはそうそうないわけで、3000年後もそうか?3000年前もそうか?と自問してみてイエスと即答できない事柄に関しては、そんなに普遍性高くないなという鷹揚な構えで、自分のものさしを当てたり外したり自在にしておくことが、自分を楽にする。

以上、なんとなく数日前にスマホのメモアプリに書きとめたメモに過ぎないのだが、このさき他で披露することもなかろうから、ここに書き残しておく。

2024-03-17

1996年の自分に会いに行く会

昨日は、私が(事実上)新卒入社して1996年から4年間お世話になったデジタルハリウッドへ。創業期の面々で集まって、古希のお祝いをかねて学長の杉山先生に会いに行こう!という会に参加させてもらった。

企画してくれたのは、デジタルハリウッド創業期の親会社ビジュアルサイエンス研究所の方々。当時はちっちゃい会社を淡路町界隈にぼこぼこ作っていて、雑居ビル間、会社間を分け隔てなく行き来していたので、子会社所属の私たちもお声がけくださった次第。

おおかた20〜30代だった人たちが、今やアラフィフ、アラ還になっているのだから、まったく驚いてしまう。けれど、1994年とかに3DCGで恐竜を作っていた人、そういう人らを集めて会社を経営しだした人らを筆頭に、とにかく全員「只者ではない」ので、皆さん2024年に集まっても老け込むことなくエネルギッシュなままに笑顔の再会。嬉しかったし、楽しかった。

私は昔の面々と集まったときに昔話ばかりになるのが苦手なのだけど、この人らと会うとほんと、昔話も今の話もあっちゃこっちゃ自在にとんでおしゃべりするのが快い。

ビジュアルサイエンス研究所は今ニンテンドーピクチャーズになっているのだとか、デジタルハリウッドの卒業生が今回アカデミー賞を受賞した視覚効果賞の「ゴジラ-1.0」、長編アニメーション賞の「君たちはどう生きるか」、ノミネートされた「ニモーナ」に参加していたのだとか、華々しい話も挙がって皆で湧く。

組織としてはさまざまな変化を遂げて諸行無常なのだが、90年代にあったこの組織体が直接・間接に影響し、この30年間にデジタルとクリエイティブを掛け合わせた世界で人材育成面で働いた功績は大きいと感じないではいられない。

私なんぞは、そのご相伴に預かったという感じだが、世の中的貢献の大きさはさておき、私個人が杉山先生を筆頭に皆さんから授かったもの、影響を受けたものは計り知れない。ここに以前書いたことの繰り返しになってしまうのだけれど。

この90年代の出会いと経験、この人たちと昼夜ともに働いた日々をなくして、その先の私の人生はなかったのだ。わいわいみんなとおしゃべりしながら、改めてそのことに感謝した。

杉山先生が私を見て、二十歳だった娘っ子の私を見るのと同じまなざしで、やわらかく笑いかけてくださったのも嬉しかったな。「あぁ、まりちゃん。ほんと、あなたは変わらないねぇ」という笑顔。中身はね、杉山先生の薫陶を受けて、私なりにせっせと成長しておるのです。

年末に公開された「Agend」のインタビュー記事でも触れたけれど、

長く一緒に仕事することでしか若手に継承できない尊い仕事も、各職場にたくさんあると思うんですよ。だから、悪しき慣習や不合理な指導法とは断絶しつつ、社内で大事に引き継いできた専門性、醍醐味の伝承がなおざりにならないといいなと思います。

を念頭に、自分の縁ある現場で人材育成に仕えていきたい。

今の社会は「若手に引き継がないで、ここで断絶すべき施策」に余念がないけれど、全部を引き継がずに断絶すればいいっていうんじゃない。

先輩たちが教えてくれたこと、巻き込んでくれた社会の営み、仕事の面白さ、人が創ることに向きあう気高さやひたむきさ。そういうものの尊さを、私は私で、若い世代の方々に共有する働きをできたら、何かを手渡しで丁寧につないでいく働きができたらと思う。

最終的に、それを断じるか受け継ぐかは本人らに任せたらいい。けれど、自分が良きもの美しきものとして受け継いだ先人の営みを、教えない、伝えない、はなから断絶して引き継ぐ試みを全部放棄するのは何か違う気がして。私が自分のささやかな人生の中で体感してきた良きものを、自分の言葉や行為を通して伝えていけたらいい。選ばない自由を伝え添えながら。

2024-03-09

心還る京都旅、人と街と山と鐘

3月初め、観光&親戚に会いに京都を訪ねた。昨夏、父との思い出探訪で京都を旅した際に突撃訪問し、そこで初めてお目にかかった親戚が、またゆっくり遊びにいらっしゃいというのを真に受けて、今回は単身でさくっと一泊旅行。と思いきや、「さくっと」とは程遠い濃密な旅となった。

父と一緒だと先方も気を遣うだろうと思って単身で訪ねることにしたのだが、小娘一人でも身に余りまくる心配りで旅のほとんどすべてを面倒みてくださり、「これが生粋の京都人か」と旅に出る前からひれ伏したのだった。

どこまでが「ありがとうございます」と素直に甘えてよいもので、どこから先は「いやいや、そこまでは」と遠慮しないと非礼にあたるのか、生粋の千葉っ子には境かい目がよく分からない。

途中から、ええいままよと「郷に入りては郷に従え」を念頭に様々のもてなしに全乗っかりし、先方のご厚意に甘えまくって帰ってきた。お茶漬けは出されなかったが、大丈夫だったのか判断はつかない。

比叡山延暦寺、大原三千院、京都御所、二条城と、いろいろな観光地にも車で連れて行ってもらって京都を堪能したのだが、お墓参りや能楽堂巡り、食事処や車中でのおしゃべり、街歩きや土地の人との交流と、ならではの時間をともにできたのは、とりわけ格別の思い出となった。

昨年初めて会ったというのに、親戚というのは不思議な親しみがわくもので、おもしろいなぁと思う。これは、この歳になってこそ感じられていることでもあろうな。

もう、ただ、シンプルに、等身大で、ご縁を大事にして、自分が大切にしたいと思うことを大事にして、やっていけたらいいなと思う誕生日。嬉しいなって思うことに喜んで、ご厚意には素直に甘えさせてもらって、自分なりの心をもって身の丈で相手に返していく。常識より自分の思いをもって、人と親しむこと、人とふれあうこと。そうやって自分を生きていけたらいい。

リンク先の写真(Instagram)は、山道ドライブして訪れた比叡山延暦寺の鐘撞き。京都の底冷えに身を震わせつつも、雨上がりで観光客が少なく、西塔の鐘楼は他に誰もいない中で落ち着いて鐘を打てて、音が鳴り止むまで、ごーんという響きを耳澄ませて味わった。思いきりよく、いきましょう。

2024-03-08

「独創性がない」に噛みついて空回る

先日、話し相手が「自分のには独創性がない」と言うのに、噛みついてしまった。相手は卑下しているわけでもない、平常心で言っているだけなのに。はぁ、時々やってしまう私の悪癖だ。

相手に届いているかどうか、そのとっても大事なことへの感度が落ちまくった状態で、自分が伝えたいことがむくむくわいてくるのに任せて一区切りつくまで話し続けてしまう。その間、相手を観て相手に届けるという肝心かなめが疎かになってしまうやつ。

それが起こるのは局所的なテーマに限られるのだが、なってしまうとたいそう面倒くさい人となる。仕事場面ではそこそこ自制が効いていると思うのだが、飲み屋などで気を許した人と話し込んでいると、ついついやってしまう。今回も飲み屋でのことだ。

結局相手には、ややこしいことを饒舌に語っているなぁというふうにしか伝わらなかったし、そもそも別に卑下して言っているわけでもないから、私の熱弁も持論も反発も励ましも、相手の求めるところではない。これは今後の私の道のりにおいて一つのテーマになるかもしれないな。

それはそれとして、私がそのとき心のうちに何を持ったのか、それを書き残しておこうと思う。それでこそ、心のうちである。

私が相手の言葉を受け取って伝えたいと思ったのは、「創造するのに、独創性はマスト要件じゃない」ということだった。これは最近読んだ本*に、まさにそのことが書いてあって、その一節に感じ入って、おおいに支持することだったのだ。

まず、「創造する」というのは「要素を統合して、筋が通り、機能的な全体を作り上げること」とある。

文章を書くにせよ、絵を描いたり道具を作ったり、企画書・設計図・定義書を作るにせよ、情報、アイデア、物、人などの「さまざまな素材・パーツを再構築して、全体に統合する(synthesize)ことで、それまでは明らかに存在しなかった一つの様式や構造に作り上げる」、物的に・質的に存在を起こすのが創造する行為、そう置いてみよう。

その創造の過程なり結果において、作り手の「独創性」というのは、必要なケースもあるけれども、必要なく成立するケースもあるということ。

私が想定しているのは、作家やアーティストと呼ばれる人たちのそれではなく、私のような市井の人の日常的な「創る」行いについて。その場において、独創性の有り無しや、その度合いが、創ったものの良し悪しや優劣のモノサシとして働く場面は、そんなに多くないのではないかしら、と個人的には思っている。

それを何か、独創性ない創造など意味がないと頭でっかちになって、自分を卑下して創る手を止めてしまったり鈍化させてしまったり、どうせ私なんてという思いに絡めとられてしまっては、もったいないではないか。

たぶん、そういう思いがせっかちに働いて、頭でっかちな世の中への反発心が、そのまま言葉になって飲み屋で転げ出てしまったということだろう。時と場合と、人を選べという話なのだが。

「独創性」そのものが、曖昧なものではある。独創性を辞書で引くと「他人をまねることなく、独自の考えで物事をつくり出す性質・能力」とある。オリジナリティの日本語訳としても使われる。

しかし「他人にまねることなく」という線引きは、ひどく曖昧なものだ。「歴史に学ぶ」「先人の作り出したものを活用する」ということから現代人は逃れることができないわけで、そこではどうしたって「他人にまねること」「他人に学ぶこと」が下敷きになってくる。本人が認めるかどうかに関わらず、他人にまねてやっているところをゼロにはできない。

人にまねぶ舞台に立脚して、独自の要素を含んだ新しいものを作り出せるか、どうしてもそうなるわけだし、それこそが健全な眼差しだし、それでいいではないかと思う。

もう一つ、今回私が噛みついたのは、独創性があるかないかは、自己評価の及ぶところではないのかもしれないな、と感じたからだ。

独創性を追求している人のそれに、独創性がさして感じられなかったり。他方で、自分の作り出すものに独創性はあるか?に全く頓着していない人のそれに、他者から観れば存分に独創性が認められたり。そういうところが多分にあるのじゃないかなと思った。

よしよし、整理してみよう。私がこの一件で心のうちに抱いたのは、一つに「創造する活動に必ずしも、独創性はマスト要件じゃない」、もう一つに「独創性って、自己評価できるものじゃない」。そう私は思うのだが、どうだろうか?ということだ。

さらに、私がなぜ、それに熱をもって噛みついたかの大元を辿ってみると。私自身はなんら独創性など働かないし、働かせようともしてきていないけれども、先ほどの定義に沿えば地味に創る行為をしてきた実感はあって、そのとき自分の生命力が息づくのを知っている、それこそが尊いと感じているからだろうと思った。そんなの個人差があるだろうと言われれば、それまでなのだが。

アーティストとか作家活動とかと縁遠い、私のような市井の人にとっては、独創性なんかに頓着せず、日々の創る行為を通じておぼえる自身の生命力の息吹を実感できることが、何より大事で尊いことなんじゃないか。創ることに身を投じていると、独創性の有りや無しやに関わらず、人は内発的に息づいてゆく。そんなことを私は信じているようだ。

*ロリン・W・アンダーソン、デイビット・R・クラスウォール編著、中西穂高、中西千春、安藤香織訳「学習する、教える、評定するためのタキソノミー ブルームの『教育目標のタキソノミー』の改訂版」(東信堂)

2024-02-28

「記憶した」だけの学習成果を「理解した」と誤認していないか

セミナーや研修・勉強会で人に教えてもらった、本で読んだ、検索したら書いてあったというので「新たに知ったこと」を何も見ずに言えるようになったら、それは確かに「一つの学習プロセス」だが、「一つ目の学習プロセス」に過ぎないとも言える。

それで何かできるようになったかというと、何もできるようになったことはないということが多いのではないだろうか。聞かれたら答えられるとか、「あぁ、聞いたことはあります」とは答えられても、それで人の役に立つことは難しい。概ね、仕事では役に立たない。キャリア上の戦力アップとも言いがたい。

アンミカさんのいう「白って、200色あんねんで」以上に、ブルームさんの「理解するって、7プロセスあんねんで」は、もっと理解されたい。図にしてみると、左から2番目のステップである(画像をクリック or タップすると拡大表示する)。

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ブルームの教育目標のタキソノミー(改訂版)*はいろんな示唆を与えてくれるが、今回は上図の通り「認知プロセス次元」の2つ目「理解する」まわりに焦点を絞りこんで書いてみる。

これに関連した私の気がかりを挙げると、企業の人材育成施策で、多くの学習はせいぜい「記憶した」どまりになっているのを「理解した」と誤認されているのではないかということ。学んだことを「応用する」まで持っていけていないことを問題視する声はよく聞かれるが、そもそも「理解する」に至っていない事案が多いように思うのだ。

ブルームの分類体系に照らせば、研修や勉強会で学んだことをそのまま「思い出して言える」だとか、テストをやったら「選択肢から正解を選べた」だとかは、複雑さが一番低い「記憶する」どまりである。

じゃあ「記憶した」にとどまらず「理解した」状態に達したとはどういうことを言うのかというと、図に並べた「理解する」列の7項目ができるかどうかで検証できる。

解釈すること
例示すること
分類すること
要約すること
推測すること
比較すること
説明すること

といっても、こんな概念的な言葉の羅列では、まだまだ分かりづらく誤認を呼んでしまうこと請け合いなのだが、これを詳細に「理解する」となると、どうにも専門書をきちんと読む工程なしに難しいところがあるので、それは下の書籍紹介にとどめるとして。ここでは「理解する」1語を7項目で言い換えることで、いくらか詳細度をあげて「理解する」ことまでを目標としたい。かように「理解する」への到達は複雑なのだ。

「理解した」状態というのは、それを「自分の言葉で言い換えられる」とか「具体的な例を挙げられる」とか「その上位概念にあげて正しいカテゴリーに当てはめられる」とか「要約ができる」とか「それが該当するパターンを推測できる」とか「それの因果関係を説明できる」とかをもって、はじめて到達したことを検証できる。

はたして、こうした検証作業をもって「私は理解した」と言える学習者、「私は理解するレベルまで教えた」という指導者、「私は理解するレベルまでの育成施策を講じた」と言えるマネージャーや人事担当者は、なかなかいないのではないか。

私も1学習者の立場で、自分の学習の出来栄えを振り返ると、理解するまで到達できている学習プロセスなど、なかなか踏むのが難しいものだとため息が出る。

しかし企業が、一定の時間的・金銭的投資をして人材育成施策を講じるという場合、この辺の目標設定と到達度の検証、到達するための仕組みづくりをもう少ししっかり仕込む必要があると思うのだ。

「目標設定が重要だ」とはビジネスの現場でよく言われる。「SMARTの法則」(以前ここでも書いた)なんかもビジネス・リテラシー的によく知られているが、企業が社員研修するだとか人材育成施策を講じるだとかっていうときに、どこを到達点にするかという目標設定はひどく曖昧なまま実施されていることが多い気がする。

効果検証も、受講した人の満足度レベルの確認にとどまっていたり、記憶度を測っているのか理解度を測っているのか定まっていなかったり、現場でどれだけ応用できているかまで追わず、あとは本人次第になっていたり。

下記の書籍は私の大好物で、これを読みながら改めて、私はここんところの専門性をこそ発揮して人材開発の施策精度を上げるとか、現場貢献をしたいとかいう思いが強いんだなと染み入った。むちゃんこ分かりづらい専門性で、なかなか売り物としてメジャーにはならないけれども、活かせるところせっせと自分で発掘して、あらゆるところでこの知見は活かしていきたいと思った。これは人事評価制度の設計や運用においても、人材育成施策の設計や運用にも、水面下でむちゃんこ使えるノウハウである。

*ロリン・W・アンダーソン、デイビット・R・クラスウォール編著、中西穂高、中西千春、安藤香織訳「学習する、教える、評定するためのタキソノミー ブルームの『教育目標のタキソノミー』の改訂版」(東信堂)

2024-02-23

病床で「吸血鬼ドラキュラ」に励ましてもらった

実は、父娘の熱海旅行から帰って間もなくコロナに罹患してしまって肝を冷やした。自分の症状はともかく、高齢の父がかかってしまったら、もうこれは後悔してもしきれないと気が気でなかった。が、1週間しても父に症状が出ないのを確認し、ようやっとほっとした次第である。

私も週末2日間は高熱にうなされたものの、月曜から回復基調にのって今はほぼほぼ落ち着いた。クリニックの医師によると今は隔離期間が5日間のようで、それも開けた。

高熱がおさまってくると、ベッドの中で読みかけの怪奇小説「吸血鬼ドラキュラ」を開いて過ごしたが、思いのほか、この物語が私を励ましてくれた。

1897年に発表された、アイルランドの作家ブラム・ストーカーの長編小説で、ホラー映画はまったく観られない私だが、どう映像化するかが私自身にゆだねられている小説形式なら怪奇ものも読めないことはない、というのは発見だった。私の脳内監督は、一貫してピンボケ映像化に努めていた…。

このお話、メインキャラクターによる日記(あと手紙とか新聞記事とか)をつないで展開される「書簡体小説」という形式をとっていて、これが複数の主要人物による文章でつながっていくことで、立体的に状況が見えてくる物語になっている。

そこのおもしろさも多分にありつつ、私にとっては「知性とまごころの物語」と読めて、それが大いに励ましと示唆を与えてくれた。

長編小説には、本当に人を「大事にする」とはどういうことかが汲み取れる作品が多いと感じる。私が、それをこそ読み取ろうとする性向にあるというだけのことかもしれないが。

「大事だと言う」のは簡単だし一瞬だが、「大事にする」ということは難しく時間を要する。それがどういうものかを伝えること、二者の違いを伝承することも、また容易ではないし紙幅を要する。きちんとした物語世界を構築しないと、なかなか人から人へ伝えるということが叶わない。

単純な結論の導き方をすれば、例えば「高齢の父を旅行に連れ出し、コロナ罹患のリスクを負った」ところから「今後、安易に旅行に連れ出すべきではない」という結論も導けるわけだが、知性を働かせて、まごころを尽くして、人を思い、人を大事にするということの中で結論を導かんとすると、そこにはまた違った結論が起こしうる。むしろ、さきの結論の導き方は単純すぎて、軽薄で、浅はかで、無知性ともなる。そこにはいろんな結論の導き方があり、その選び方・作り方に個性も出てくる。

私は私で、自分なりの結論を、一つひとつのことに対して大事に導いていきたい。思慮深く、知性をもって、まごころを尽くして、私はどうするか、どうしないかを作っていきたい。それを豊かにするのに、こうした長編小説は大いに示唆を与え、励ましてくれる存在だ。まさかドラキュラを読んで、そんな励ましを得られるとは思わなかったのだが。

人は言葉に酔い、言葉に溺れやすい。自分を振り返って、「大事にする」行為より「大事だと言う」発信活動によっていると察したら要注意だ。しっかり立ち止まって、例えば長編小説を開き、居住まいを正す必要がある。そう思うのもまた、私の個性なんだろう。

*ブラム・ストーカー「吸血鬼ドラキュラ」(創元推理文庫)

2024-02-22

母の命日、父娘の旅路

2月は、母の命日がある。今年は土曜日だったので、父と二人でその日にお墓参りへ行った。空は晴れ渡り、風もなく穏やかな日和、柑橘の匂いでも香ってきそうな大輪の菊の花を供えて(Instagram写真)、陽光が射すお墓に手を合わせた。

母が他界して13年になる。母の歳に13歳も近づいてしまった。私は写真の中で笑う59歳の母よりよぼよぼするまで生きながらえるだろうか。あと一回りすると、母と同い年になる。

父と毎週末、地元の映画館へ行くようになって一年が経つ。この一年で48本の映画を一緒に観た。前後にランチや買い物もするので、父とはその間にいろんなおしゃべりをするのだが、いつだったか、母親がいなくなっておまえはさびしくないのかと、父に尋ねられたことがあった。

おまえは彼女との死別を、どう乗り越えているんだ?と、そんな問いかけのように聞こえて私は「同化した、取りこんだ、お母さんを吸収合併したんだ」と笑って応じた。父は「なるほどな」と笑った。親子というのは、そういうのが成り立つものかもな、そういうのが健全であろうなとでもいうように、私の返事に頬をゆるめた。夫婦はそうはいかんのよと、苦笑いしているふうでもあった。

先週は、父を誘って熱海旅行に出かけた。父娘の旅は、昨年7月の「京都思い出探訪」以来か。ふだん乗らない特急列車に乗って、海か山、温泉があるところに宿をとって出かければ旅行に成る。私にはそういう思い込みがあり、今回は「踊り子」「熱海」「温泉宿」をそろえたところで準備万端、勝手にコンプリート感。

熱海は移動疲れもしないし、「さくっと海」にはちょうどいい旅先だった。お天気にも恵まれて、2月とは思えない穏やかな陽気のなかで海風を浴び、青い海と青い空しかない水平線をのんびり眺め、ふぃぃぃーと息をはいて、はぁぁぁーと息を吸った。沈んでゆく太陽を静かな部屋から、昇ってくる太陽を朝風呂に浸かって見届けた。

広大な海を目の前にして、心の中に何を思い描くか。昔の自分とは全然違うものを今、海の視界に覚え、思い耽る自分に気づく旅だった。父がこの海を前に何を思っていたか、私にはわからないし尋ねもしないけれど、この先も穏やかに、海を目の前にする時間をプレゼントし続けられたらなぁと思いながら背中を見ていた(Instagram写真)。

*昨年が13回忌だったので、今年は14年としばらく思い込んでいたが、今年は14年目の丸13年だった…ので後から訂正しました。

«生活と終活を淡々と両立するアラフィフ