先月に出た、政府の「新しい資本主義のグランドデザインおよび実行計画2024年改訂版案」の関心あるところを読んでいて引っかかったことの一つに「ジョブ型」の扱いがある。
「ジョブ型人事」に対置させている「メンバーシップ型雇用」の内容が、「従来」というより「20世紀」すぎないか?というのと、それをもって極論対決させて「ジョブ型に全面移行」を迫らんとする論の立て方って、ちょっと乱暴すぎないか?というのと。
従来の日本のメンバーシップ型雇用とジョブ型人事(職務給)の違い
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2つ目のぽちで「制度に移行する必要。」とまとめているけれども、これって組織の人材マネジメントシステムやら人事制度として「これからの時代はジョブ型一択」ってメッセージに見えちゃう。表現上の問題で、そんなこと思っていないのかもしれないけれど。もしそうなら尚のこと、ちょっと踏みとどまって整理してみたくなった。
メンバーシップ型からジョブ型に移行するって、組織のあり方として大転換である。「人」ではなく「職務」にグレードを割り当てて、「職務A」はこのくらいのレベルだから基本給いくらと割り当てて、設定した基本給を「職務Aを担当する人」に支払う。
翌年度に「職務A」が不要になれば、「職務Aに支払う基本給」も消失、「職務Aを担当する人」もいらなくなる。あるいは1年後に「職務A」の市場価値(その仕事の採用市場相場、給与水準)が減じれば、「職務Aに支払う基本給」も降給する。
そういう論理で動く組織体では、この資料のジョブ型の「キャリア形成」の欄に書いてある、「社内公募・転職を活用し、従業員が望むキャリアを選択」とか「自らリスキル・スキルアップする強い動機」が求められるという話に読める。
「自分が担当する職務Aが、翌年度にはなくなります」となったら、「社内公募に応募して職務Bに就けるよう自らキャリア選択なさい」と。「自分が職務Bに採用されるにはリスキル・スキルアップする必要があるなら、強い動機をもってそれを習得して採用されるよう努力なさい」と。「職務Bの担当者に求める要件を満たすレベルに達せないなら、組織があなたを雇用し続けることは困難なので、あなたが活きる職場に転職なさい」と。
ざっくり言うと、そういう箇条書きに読める。そういう論理の人事制度、人材マネジメントシステムに乗り換えるべしという話に読めるが、私が何か曲解しているのだろうか。
いや、別にこのジョブ型を採択する企業のことを、ひどいとか悪いとか思っているわけじゃない。どの人事制度の会社に所属するにせよ、現代社会に生きる大人は「キャリア自律」の要請を免れないと思っているのだ。メンバーシップ型だったら「キャリア自律不要」と安易に紐付けられる時代じゃなかろうと。
大方の組織の旬の寿命より、個人の労働寿命のほうが長いと見立てれば、大方の人は終身雇用を前提に自身のキャリア形成を勤め先に委ねられないことは自明だ。組織がなくならずとも、親会社が変わる、経営者が変わる、買収されてほとんど別の会社になる、上司が変わり、同じ職場のメンバーが入れ替わる、自分に求められる仕事内容だって専門性だって役割だって変わる。到底その要求レベルや種別に応えられなくなって、組織は存続しても自分はリストラ対象になることも想定される。今の自分の想定外の環境変化も、想定内に入れなきゃいけない時代だ。
その環境変化にも呼応して、何十年という単位じゃ自分もまた、想定外に変わっていく。自分の興味も変われば価値観も変わる。家族構成も変わり、自身の健康状態も変われば、身内も成長したり年老いたり生涯キャリアを変化させていく。自分の関わり方や、時間のかけ方も比重が変化していく。20代は仕事一辺倒で比較的シンプルだった自分の役割も、30代、40代と進む中でいろいろ掛け持ちするようになっていって気力、体力、時間配分が複雑化していくのが一般的だろう。
だから「社員にキャリア自律を迫るなら、ジョブ型に移行しよう!」であれ「ジョブ型に移行して、社員にキャリア自律を迫ろう」であれ、2つを紐づけたロジックは、なんか筋が悪いと感じてしまう。特徴をわかりやすく伝えるため極論対決をとったのかもしれないが、もう少し現実的なのを一つ加えてみてもいいのではないかと仮説立ててみたのが、次の3つ並びだ。
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21世紀に入って四半世紀も経つ。メンバーシップ型も、HR業界でさまざまな紆余曲折とブラッシュアップがなされて今日に至る。そこに全く言及しないで、20世紀のメンバーシップ型とジョブ型の極論対決の構図でものを考えるのも堂々巡りに陥る危惧を覚える。
今では「メンバーシップ型2.0」のようなニュータイプとして、仮に「ミッション型」と呼ぶスタイルに乗り換えた企業が主流なのではないか?と思うのだ。いや実態としては、年功賃金的な運用が色濃く残っているかもしれない。としても制度上は、ここ20年かそこらのうちに「脱年功」を掲げて制度改革を済ませている企業が少なくないのでは?
上のスライドでいう真ん中のタイプ。社員の「能力・行動」レベルで等級(グレード)を定義して、◯等級はいくらと基本給のレンジを設定し、これに直近で達成した「成果・業績」を加味して賞与を支払う。
さすがに今の時代、メンバーシップ型(左列)の一辺倒で、「定年までの年功賃金」「新卒一括採用」それだけでやっていく運用は、ちょっと無理があると思うし。
といって、ジョブ型(右列)に転じて、一年ごとに前年度の処遇をひっぺがして、今年度はいくらとジョブを張り替え、給与を昇降させる運用も(そこまでしないのだろうが)、日本の雇用・労働慣行になじまず、全面・全社移行がフィットする企業はそう多くない気がする。
またミッション型(真ん中)の企業が、実質的には年功賃金が色濃く残った運用でうまくいっていないとすれば、そこにこそ問題の真因があるわけで、そのねじれ構造を改められないかぎり、ジョブ型に移行しても根本解決しないどころか、もっと問題は複雑化してしまうかもしれない。
人起点か、職務起点か、どちらで社員のマネジメントシステムを構築・運用するかは、極めて重要な経営判断だ。どちらにも一長一短あって「どのタイプをベースに敷くのが我が社にとって合理的か」「そのタイプをベースにして、どうチューニングする必要があるか」は各社各様だ。三菱電機は、上位層にジョブ型、一般従業員にミッション型を適用するハイブリッドを採用している。
自社にジョブ型を導入すべきかは、会社の人事ポリシーや組織風土、求める人材の採用市場環境とか、事業環境の変化スピード、先行き不透明さなど総合的に評価して、自分のところで導く結論であって、国が一様に推奨できるタイプはなかろう。組織の人材マネジメントはそんな単純な話じゃないし、ジョブ型はそんなに唯一無二の正解じゃない。
みんな大好き「多様性社会」だ「ダイバーシティ」だ言うのだったら、もともとあった従来の仕組みを軒並み排除していって、新しいものに全面移行を迫るよりも、前のものも改良を加えながらタイプとしては残しつつ、新しいタイプも増やしていったらいい。社会の中にいろんな選択肢があって、個々人が自分の志向性や価値観、その時々の状況にあわせて選択できる、融通がきく社会を作っていったほうが豊かだと思うんだが。
左列のメンバーシップ型だって、全部じゃなければ社会の選択肢の一つにあっていい勤め先だろうし、実際に寒天メーカーの伊那食品工業なんかは、あえて年功賃金を継続して、身の丈にあった「持続的な低成長」を志向し、高業績をおさめて組織に地域に貢献している。いろいろあって、それが表明され、自分に合ったところを選べる豊かさが好ましい。
社員の幸せを露骨に追求する会社 年功序列、終身雇用、低成長―伊那食品工業が問う「会社とは何か」┃日経ビジネス
他にもいろいろあーじゃこーじゃ考えたことがあるのだが、脳内うろうろしていて埒があかない。はぁ、自分の頭のまな板を拡張したい。といってもなかなか叶わないので、とりあえず一旦吐き出して、次行ってみよう。ぷはぁ。
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