つくり始めの人は、トゥーマッチになりがち
岡村靖幸・俵万智「短歌ご一緒しませんか」を読んだ話は先月もこのブログに書いたが、他にもいろんな観点で読めどころが満載で大満足だった。
そもそもこの本を手にしたのは、歌人の俵万智さんが短歌を「初心者にどう教えるのか、どう関わるのか、どう野暮から粋への手ほどきをするのか」を一冊を通して観察してみたかったから。なのだけれど、その収穫は多方面に及んだ。
その一つが「初心者はトゥーマッチになりがち」という俵万智さんの指摘に始まる金言の数々。その指南は胸に響くものばかりだった。
俵)短歌というコップの中に入るちょうどいい濃さというのがあるんです。濃すぎても美味しくないし薄くてもダメ
これって短歌以外にも言えるなぁと。ブログの文章でもそうだし、仕事のプロジェクト計画でもそう。「スコープと焦点を定めると洗練される」というのは共通するところ。
人に伝えたいことがあって、その相手に届けるために作るものであるなら、載せる媒体、入れる器に適した情報量や濃度に、中身をうまく合わせて作らないといけない、届かない。
なんだけど、このブログしかり、「うまく枠にはまっていない、容れ物に対してトゥーマッチ」と、それは承知しているもののうまく削れないのが初心者。せっかく思いついた言葉を削るのは惜しい、削りたくない、削ろうと思っても削り方が思いつかない、だからやっぱり削らない。結果トゥーマッチのまま、作者は初心者にとどまり成長実感もない。
俵万智さんの言葉は、そこで「やーめた」と匙を投げないでいいよう、初心者に救いの手を差し伸べる。トゥーマッチを「野暮」と突き返して終わらせるのではなく、その先に前進する道筋を大小様々に示す。
俵)三十一文字だからといって節約しながらあれもこれもぎゅうぎゅうに詰め込もうとすると、かえって伝わらなくなっちゃう。だから、バラして二首か三首にしたらけっこう良くなることがあるんです。
1首で詠みきろうとせず、2首3首に分けて作ってみたらいいよと。そうしたら3首作れるし、作品のくどさも回避できて一挙両得でしょうと。そんなふうに初心者の気持ちを盛りたてて、この先の創作活動を励ますように具体的に指南している、さすがだなぁと思った。岡村ちゃんとのやりとりの中で、それを自然と成しているのだ。作り手ならではの、すごく実践的で、初心者の気持ちを汲んだ関わり方だなぁと感服した。
小分けにして、削ったほうは別所で活かす。そういうスタンスに立てば、心置きなく手元の一つに集中して、今ここで最適なスコープや焦点を見直せるというものだ。こういう考え方って、短歌じゃないところでも大いに使いどころがある。「潔さの獲得」とでも言おうか。
仕事でプロジェクト計画を立てるときにも、適した情報量や濃度ってある。自分が今この状況でプロジェクト化してやるべきサイズ感。期間、予算、巻き込む人の数、達成水準や範囲など。見えない枠組みというのがある。そこをあんまり逸脱したプロジェクト計画を立ててしまうと実現性を欠いてしまう。自分もマネジメントできないし、人もついてこない。そうなんだけれど、机上で計画を立てている段階では初心者ほど、もりもりトゥーマッチな計画を立てがちだ。
私はプロジェクトの音頭を取るとき、大きな目的は見据えつつも3ヶ月程度に小分けして、フェーズ分けすることが多い。自分の身の丈サイズで短期プロジェクトを積みあげていったほうが、結果的に1年後の目的実効性が高い。自分も人も動きやすいし、途中で発生した調整ごとも、すぐ認識合わせして回収できてスケジュールを圧迫しない。そうして小プロジェクトを成功裡に終わらせ、その収穫を足場に3ヶ月後の現在地を見渡して次フェーズを計画したほうが能率がいい。
「トゥーマッチ」を逃れる方法は、この一冊を通してふんだんに指南されるが、「主語を大きくしない」という話をした後の、俵さんの一言も含蓄があった。
俵)「世界」とか「人類」とかが詠えないわけではないんだけれども、それを詠うためには、焦点を絞ったほうがいいってことですね。
大きなテーマを言いたいときでも、それを届けるためには焦点を絞ったほうがいい。これも短歌に限らない。
大きな言葉をそのまま出しても、ただの一般論で終わってしまう。受け取る方は「そうですね」としか返しようがないし、後にも残らない。せっかくの作品も没個性化してしまう。いかに大きなテーマが自分の内側にあっても、そこに創意工夫を加えて自分ごとに引きよせて焦点化した表現にこだわる。そこに創作の醍醐味がある。
具体的な何を自分は観察対象に取り上げて、それのどこに着目して、何を思い出したり考えたのか。それをどう表現しようか。そこに趣向をこらして詠んだ歌が、読み手に響いて、相手の手元で想像が広がっていく。この一冊を通して、いろんな投稿者さんの短歌を読ませてもらうことで、そういうことを体験させてもらった。こうして読者が自分の手元で想像を広げていける短歌的な一冊、重層的な読書体験だった。
ほんで結局、トゥーマッチなブログになっちゃうんだから、もう本当に。たくさん削って、これなのだ。ずっとこの調子、道のりは長いのだ。
* 岡村靖幸・俵万智「短歌ご一緒しませんか」(筑摩書房)









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