クリエイティブ業界でキャリアについて考えている方・マネジメントに携わっている方が参加対象という一般社団法人 I.C.E. (Interactive Communication Experts)主催のトークセッションがあり、興味をもったので昨晩参加してきた。イベント概要は、下のリンク先にて。
I.C.E.セミナー ~奪われるか、ともに創るか。選ばれるクリエイターへの第一歩~ 『AI時代のキャリア戦略』
リンク先には、I.C.Eが実施した「クリエイティブ業界のキャリアプランを考える」調査レポート(抜粋版)へのリンクもある。スタッフ編と役員・マネジメント編に分かれている。
抜粋版にあるのは、昨日の話題のとっかかりになるようなもので、昨日トークで提示されたレポートには、その先の問いや、回答者のコメントなども含まれていて興味深かった。
この調査は3年続けている継続調査ということなのだけれど、今回はやはり「生成AI」関連の質問が加えられたよう。回答者は「生成AI」を取り入れることにポジティブが優勢であり、「業務効率や生産性を高める」ことに前向きだ。
私も基本このスタンスだが、一方で「業務効率や生産性を高める」道と、「若手が学習効果・能率を上げる」道とでは、生成AIツールの使用の是非が相反する現場シーンもあろうな、と思っている。そこのところを聞きたかった。
私が第一部のQ&Aコーナーで質問させてもらったのは、こんなことだ。
ご登壇の皆さんは、これまで生成AIツールとかがない時代に十年二十年と現場経験を積みながら「仕事の基礎力」を備えてきた。その立場で今生成AIツールを使うのと、新卒採用で入ってきた新人や若手社員が、その仕事基礎力をこれから身につけていくという段で生成AIを使うのとでは、事情が違う。場合によっては、若手が仕事の基礎力を鍛錬し損ねることを危惧する。
例えば、客先打ち合わせに行って議事録を作るのも、たたき台を生成AIに作らせるとか、録画しておいて何かあったときに振り返れればOKとかいうので業務効率を採り、新人に「議事録作成はいいから、こっちやっておいて」と指示する選択もある。
が、議事録を作成する過程は、新人の仕事基礎力の学習機会とも捉えうる。目の前でリアルタイムに行われる話し合いに対して、何が論点で、どう結論して、持ち越し事案が何なのか整理する鍛錬の機会とみるなら、先の差配はその学習機会を取り上げることになる。
後から先輩が見て、捉え違えていることを指摘してあげたり情報整理の仕方を助言するフィードバックによって、漸次的に情報を扱う能力が養われていく、そういう機会を失ってしまうことになるのを危惧する。
その辺の按配を、現場では実際どんなふうに分別つけて、若手育成における生成AIの取り扱いというのを対応されているのか伺いたい。
あれ、もう少し手短に質問した気がするのだが、いや、これ以上に実際はまわりくどくしゃべっていたのかもしれない...。でもそこは皆さん、さすがのもので、がっしりと私の意図を汲んで受け止めてくださり、議事録作成という一例に閉じず話を広げてトークを展開してくださった。
こんなことを手元のメモに残した(私の解釈に誤りがあるやもしれないが)。
- 生成AIツールの「有料プラン」は原則、シニア以上に限定して導入している。
- 若手は、基本「たたき台は自分で起こす」ものとし、後から不足を補うのに生成AIを活用している。
- 生成AIツールを、ここで「使う用途」「使用範囲を限定する理由」「使ってはいけない理由」など、きちんと文脈を説明して、本人が理解・納得するプロセスを踏んで制限している。
とはいえ、若手に「これ、やる意味あるの?」と内心では思われていないか不安はあるとも吐露。目の前のことをやるためには必ずしも必要ではない、非効率な作業とも映る「量のかさばる経験」をどう本人に納得してこなしてもらったらいいか、労働時間の超過にも目配せしつつマネジメントすることに、少なからぬ難しさを抱えながら、手探りして模索している只中の様子がうかがえた。
そういうことも込み込みマネジメント側と若手側が、ときには腹をわって話し合っても良いのかもしれない。とくだん一つの正解が定まっている世界でもないし、会社単位、事業単位、職場のカルチャー、その上司や先輩と、その部下や後輩との関係性や個々のキャリア観によっても、正解の導き方は異なっていいのではないかな。
面倒くさいなぁ、非効率だなぁとか思いながらも、2時間って決めて、いろんな切り口をアイデア出ししながら調べ物なんかしてるとさ、思わぬ拾い物とかもあって、これには使えないけど、あの案件には使えるな、みたいなこともあって、それがけっこう面白かったり蓄えになるんだよ。なんてしゃべるのも、ありの関係ではありだろう。
自分の思い出話なんて老害と思われるから聞かせられないと完全ゼロにするのではなくて、先人が果たしてきた若手への継承を断絶することなく、断つものは断ちながら、継承することもやめないスタンスが尊いと思う。それをどう取捨選択するか、咀嚼吸収するか、応用展開するかは、渡す側の人間ではなく、渡した後に若者が差配したらいいことだ。と、私はそう思うのだけどな。また、いつかと同じことを書いてしまっている感があるので、この辺で閉じよう。
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