2020-09-16

転職活動する思考実験

8月末からの流れで、出来損ないな自分もこみこみで「自分を楽しもう」という標語を掲げるに至り、忘れないように立て看板を頭の中に取りつけているような9月初旬に、人材育成の案件が舞い込んできた。「今日ちょっと話す時間あります?ちょっともやもやっとした相談ごとがあって…」と、会社に出勤しているときに声がかかった。「あります、あります、何時以降だったら、いつでも」と応じると、思いがけず人材育成の相談ごとだった。

私はここ数ヶ月、人材育成の案件から遠のいていた。もう何十年とやってきた仕事領域である。言葉の分類の仕方によっては、やっていないこともないのだろうけど、「キャリア開発か、能力開発か」で分けると、最近はキャリア開発に寄った案件に偏っていたし、より多くの時間を割いてきたのは「事業をどう立て直すか」案件の編集者のような役まわりだった。

元となるネタがごちゃっと山になっているのを整理して、問題と要因を分けて構造化したり、問題と課題とアイデアを紐づけて順序立ててシナリオに起こしたり、使う言葉を自分なりに洗練させたり、枝葉を切って論旨をすっきりさせたりする感じの仕事だ。

それはそれで、サラリーマンだからこそ、ちょっと手伝って!と仕事をふられるのであって、私が個人でぼーっと突っ立っても、そんなやったこともない仕事、やって!とは振られないので、良い機会だと思ってやっている。役割に対して力不足なのは否めないけれど、いくらかでも人の力になれるのは嬉しいことだし、助かるよと言われれば良かったなと思うし。

が、キャリア開発寄り、事業開発寄りの仕事で就業時間が埋め尽くされ、人材育成の仕事に関わっていない状態でしばらく過ごしたとき、ふと思ったのは、私はやっぱり人材育成の仕事を軸に仕事がしたいのだろうなぁということだった。

それで全部を埋め尽くしたい潔癖さはもたないし、その周辺のいろんな仕事に関われることは、それはそれで有意義だと思う。自分で企てられる機会なんてたかが知れているし、いろんな広がりを与えてもらえることは、ありがたいことだと率直に思う。ただ、人材育成に従事する仕事は、手放したくなさそうなのである。決めつけられないけど、なんとなく、そんな気がしている。

そんなわけで、先ほどの人材育成の話が舞い込んだときは、これはやりがいあるなぁと前のめりになった。ひと通り話を聴いて、自分なりにあれこれ意見を述べると、じゃあ一緒に協力して話を前に進めようということになり、そこからプロジェクトに参加することになった。

そんな折Facebookで、とある方が勤め先で人材開発系の人材を募集しているという投稿を見かけた。その方は人材開発の界隈では著名な方で、明らかに見識豊かで、仕事ができそうな方である。こういう方と仕事をご一緒すると、きっと学びが多く、やりがいもあるのだろうと想像して、その場で自分がその募集にエントリーする思考実験をしてみた。

具体的に、自分が今、転職活動するイメージをすると、いや、今、少なくとも半年は、手放すわけにはいかない案件が4つは手元にあると、自分の脳内で早々に「待った!」がかかった。

一つは事業立て直しプロジェクトの編集者として、一つは若手の仕事基礎力の習得〜実際に現場でパフォーマンス発揮するまでを支援するインストラクショナルデザイナーとして、一つはクリエイティブ職のキャリア形成を支援するキャリアカウンセラーとして、一つは人と仕事をマッチングする能率的な仕組みを作り変えるエンジニアとビジネスサイドの架け橋として。とりあえず直近、自分が果たすべきこと、自分が果たしたいことがあり、「すべき」と「したい」が結束している感覚があった。それであれば、まずはそれをやろう。

いずれにしても、これくらい具体的に、自分の今〜今後というのを生々しく考えて、選んで、生きていくのが本当なんだろうなぁと思った。個人で仕事するにしても、どういう形で市場が成り立って、どれくらい一人で開拓しうる市場があるかないか、まったく情報をもっていない自分がいる。なんか、やっぱり、ちょっと他人事だったんだろうな。それが癖づいているんだろうから、ちょっと注意していかないといけない。来年3月に、直近半年の自分を、自分ごととして振り返ってみたい。今の感じを忘れないで、振り返れるといいんだけども。世の中にも、もう少し個として関わっていきたい。

2020-09-15

低い自己評価

実際に何が影響して、いつからそうなったのか自分でも一言では言い切れないのだけど、私は自分の人生に対して、そう長い見通しというのをもたなくなり、それが過剰に前景化してしまっていた。

別段ひどく沈んだ状態で鬱々と過ごしていたわけではないし、楽しく人と過ごす時間もあれば、熱心に仕事に打ち込む時間ももってはきていたのだけど、いつからか「今を大事にするほかない」という刹那的な感覚が足元をひたすようになり、(過去自分比でいえば)自分の将来を志向する感覚から遠のいていた。

あと30年とか40年とか生きる想定で、自分の先々に具体的な期待をもって計画立てたり活動を仕掛けていくという自発的な生命力は、どこかの時点から手放してしまっていたような。悔いが残らないように頑張るというより、いつ終わってもさほど悔いがわかないように抑え込んできたような。

今あるものを、ありがたくいただく。今あるものに満足し、今ある立場に安住し、今いただける機会を活かして、その役割を果たせるように努める。いつか、どこかで、などと言っていても今しかないのだから。それは死生観によるところもあるし、無価値な自分をどう健全に受け止めて平静に生きていくか考えた末の苦肉の策でもあった。

常にニュートラルに自分を置いて、自然の巡りに身をゆだねる。それが私個人として快いこともあれば、不快なこともあるかもしれないが、いずれも自然現象として受け止め、外の世界の動きに身をゆだねる。上がった気分はゼロに戻し、下がった気分はゼロに引き上げる。そうやって、できるだけ淡々と毎日を、できるだけ丁寧に生きていく。そんな心もちに落ち着いていた。

それは静かで穏やかで、ある意味では平和だったが、一方で人間味を欠いていた。当然、ただの人間である、何も達観していない私には、いよいよちょっとつまらない、物足りないということになり、その無理が今頃ようやく、わかり出してきたということかもしれない。いや、もう少し主体的に生きたいのだと、私の中の小僧がうごめきだしたということなのか。

凡人、サポーター、脇役、裏方、下支え、無為自然、そういう言葉をかぶせにかぶせて、自分で自分の役どころを縛りつけ、役割を型にあてはめすぎてしまっていたような。

でも、人間も人生も、そんなに単純ではない。それは凡人だろうが変わらない。多面性をもつのが人間であり、人の生きる道なのに、何をやっているのか。定義することで、思考停止して楽をしたかったのだろうか。

今その紐をほどいて、とかしている。自然界に、人間界に、そんな縛りは別にないのだ。そんなのは自分で作ったただの紐に過ぎないじゃないか。自分の意識から消失させてしまえば、ただの野っ原である。そっち側の人とこっち側の人と分類する紐は、どこにも見当たらない。

世の中視点で自分が脇役スペックだろうとも、それはそれで。そうであっても自分の人生はとりあえず、自分を主人公に自分でとりまわすほかないのだし、それは逃れられない配役なのだ。遠のけても遠のけてもついてきて、逃げ腰ではつまらなくなってしまうのだ。

何者でもない無価値な自分というものの自己評価にくたびれて、くたくたになって、それを前向きに受け止めて健全な心もちで生きていけるように、いろんな自分の位置づけ方というのを頭の中で思考巡らし、たどりついたのが、これまでのスタンスだったのかもしれない。

が、それなら低くしか見積もれない自己評価そのものを手放してしまえば良かったのだ。自分ではなく、自分がやることに集中して、それが意味あるものになるように、そちらに焦点をあわせて、やっていったらいいのだ。やれやれ。

2020-08-31

撃沈からの復活

8月末の夕暮れどき、私はぽろぽろ泣いていた。泣きながら、御茶ノ水の坂下あたりを歩き続けた。久しぶりに涙が止まらなかった。時々しゃくり上げて泣いた。ときどき足に力が入らなくなって、立ち止まって泣いた。それでも歩くのを止めるわけにはいかなかった。だから3駅だか4駅だか、泣きながら通りを歩き続けた。

頭の中では、たくさんの言葉が私を責め立ててきた。ときどき無が訪れた。またしばらくすると、たくさんの言葉に飲み込まれた。それでも、おぼれなかった。私はオールをしっかり握りしめた。これは、私のボートなのだ。手放すわけにはいかない。手放したところで、これは私のボートなのだ。難破したボートの主人として、やはりこのボートに私は乗り続けるしかないのだ。なのだから、やはりオールを手放すわけにはいかなかった。

私は、できるだけ自分の中にわいてくる考えだとか気持ちだとかの動きを精細にとらえようと、内側に注意を向けて、自分のことを理解しようと努めた。

自分は、何を考えているのだろうかと。自分は何に泣いていて、どうしたくて、私は何によって咎められていて、何ができていないんだろうかと。自分は開放的にものを考えたとき、どうしたいのだろうかと、そういうことに耳を澄ませた。

そういうことは案外、きちんと向き合わないと見えてこないし、きちんと向き合ったところで、なかなかわからない。言葉でわかりやすく説明してくれるほど、自分の言語化力は優れていないし、私は自分の本当のところを理解していない。

それでも、誰かに説明する用の言葉ではなく、自分が私だけに説明する用の言葉でしゃべるように、私は自分に問いかけ、自分に率直な答えを求めた。耳を澄ませて、夕空を見上げて、夏風に吹かれて、歩き続けた。

あぁもう一度、生きなければ、どうしようもない出来損ないの自分でも、それはそれとして、自分を楽しんで生きなければもったいないのだと思い直した。ようやっと、喪があけるのかもしれない。

2020-08-27

「Web系キャリア探訪」第23回、やりたいことは1つに絞らなくていい

インタビュアを担当しているWeb担当者Forumの連載「Web系キャリア探訪」第23回が公開されました。今回はパナソニック株式会社コネクテッドソリューションズ社でPR、ブランディングを手がける鈴木恭平さんを取材しました。

キャリアの軸はPR。軸からスキルを広げてパラレルキャリアを見据えた働き方をしたい

新卒時から「終身雇用の発想はなかった」という鈴木さん、キャリア遍歴をたどるとPR会社→外資系PR会社→外資系事業会社のPR→日系事業会社のPRと、経験豊かなフィールドに片足を残しつつ、もう一方の足をコンフォートゾーンの枠外に一歩踏み出すようにして専門性を広げてこられた挑戦の軌跡が見てとれました。

自身の成長に貪欲であるとともに、それを社内外に役立ててもらおうという活動にも精力的で、会社の枠を超えた学びを「越境学習」と呼ぶのが仰々しく感じられるくらい、開放的な活動を当たり前のものとしている感じがしました。中途入社した先で人間関係を築いて社内に自身の知見をシェアしていくふるまいも、Web広告研究会などの業界コミュニティでの活動も頼もしいかぎり。

また、やりたいことを1つに絞る必要はないし、やりたいことは必ずしも「仕事でやる」ことを前提にしなきゃいけないわけじゃない。漫才をしたり、DJをしたり、プライベートも込みで自分がやりたいことを自分の人生の中でやっていく自然体のパラレルキャリア観が伝わってきた取材でもありました。ご興味ある方は、ぜひ読んでみてくださいませ。

2020-08-20

「スキル習得には練習期間が要る」という話

この間、おしゃべりの中で「練習って大事だねぇ」っていう話になった。

何かを習得するっていうと、それを「知った、わかった、理解した」ってところで身につけた気分になりやすいのは、もう人のサガと言っていいと思うのだけど、それであれば、そのサガの存在を意識してうまくつきあっていくことで、まっとうに何かを習得しやすくなるとも言える。

「知った、わかった、理解した」では終わらないよ。スキルを身につけるには、もう少し入り組んだプロセスが必要なんだっていう知識をもっておいて、何かを習得する時そのことに注意を働かせられれば、落とし穴を回避できる。

特に大人になってからは、自分で学習プロセスを計画立ててマネジメントすることが多くなるし、学習に失敗していても注意してくれる人が年々減っていくので、早いうちに自分への注意喚起のアラーム機能を搭載しておきたい。そうでないと、その先の生涯さまざまな学習が、ままならなくなってしまうし、身につけ損なっていることにも気づけず空回りし続けてしまう。

世の中には、練習しないと身につかないものというのが、たくさんある。知った、わかった、理解したの後に、練習を繰り返してものにするって学習工程が必要だ。仕事で求められるスキルなんかは、そういう類いのものが多分に含まれている。だからこそ仕事として成り立ち、お金をもらえるわけなのだし。

練習を繰り返して、その過程で自分で内省して改善を試みるのはもちろんのこと、他の人からフィードバックをもらって、他者の目で(できれば、その熟練者から)どこができていてどこが足りないかを指摘してもらい、どうしたら良くなるかという方法をアドバイスもらいながら修正を加えられれば効率が良い。

ここで見逃しちゃいけないのは、必然ながら「期間を要する」ということだ。知った、わかった、理解したというのは、ものにもよるけれども、例えば1分とか、1時間とか、1日で事足りることも往々にしてあるわけだけど、練習するには、それと比にならない「期間」が要る。

一度にまとめてやっても、習得はままならない。期間をかけて練習を重ねるうち上手くなるというのは誰もが、これまでの経験を振り返って、まぁそりゃそうだわなって納得を覚えるのではないか。

走るスキルだって、「1日24時間走り続けて、その翌日から23日間ぼーっと暮らす」よりも、「1日1時間ずつ、24日間走り続ける」というほうが身になりそうだし。車の運転だって、1日に2時間ぶっ通しで車庫入れの練習するより、1ヶ月半かけて1日20分を6回に分けて1週間おきにやったほうが身になる感じがする。英語の発音とかを身につけるのだって腑に落ちる。

同じ時間かけるなら、一度に学習するより、期間をかけて時間を小分けして学習したほうが効果が高いとされている。目安としては15~30分を一区切りにすると費用対効果が高い。

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とはいえ、短期間で習得できるならそれに越したことはないし、学習意欲を持続させるのも大変なので、できるだけ短期間に押し込めたくなるのが、これまた人の常。

さらに、これまではなんだかんだ「教える・運営する側の効率・コスト」の観点から、一度にまとめて教えるというやり方が当たり前に採用されてきた。短期集中を売り文句にする教育商材はたくさんある。私たちの頭は、そういうやり方が一般的なやり方というふうに、想像以上にひたひた浸かっているようにも思う。

しかし、本当にその学習は成り立っているのか、成功しているのだろうか、学習効果をあげる最良の策なのだろうか。コロナ禍にあってあらゆるやり方が抜本的に見直されている今、学び方も教え方も、教える側の都合・諸事情から解放されて、「学ぶ側の学習効果」の観点から、やり方を一から見直すチャンスなんだろう。

学習者中心設計へ向かえ!という問題提起はもう何十年と言われているけれども、実際的に変更を加えていくという意味では、今がまさに好機。

オンラインで事が進めやすくなった今、誰かに何かを教えるプロセスも、ただ教室空間をオンラインに置き換えるだけじゃなくて、プログラムをもっと小分けにして時間を分散させて、回数を増やして、期間を長めにとって、練習を積む機会を設けて、こまめな個別フィードバックから効果的にスキル習得していくアプローチに見直していく検討を要する。

教材はそのまま統一したものを使うにしても、「時間の使い方」は真っ先に学習方法をパーソナライズできるところかなって思うので、そこからでもこれまでのやり方を崩して、学び手その人にとって学習効果が高い方法を模索したいところ。

頭が凝り固まっていて、なんとなく従来の方法を採用しているところがあるから、注意深く「効率じゃなくて、効果が高いほう」のやり方を一から見直して創り出していく注意が必要なときだなと思う今日この頃。

2020-08-16

かたくなな知識と、柔軟な知恵

「中心がいくつもあって、外周を持たない円」というのが、村上春樹の新刊「一人称単数」という短編小説集の中ほどに出てくる。「クリーム」というタイトルの話だ。

この短編集に編まれた小説は「一人称単数」という名の通り、どれも主人公が村上春樹本人と読んでいいと思う仕立てになっているのだけど、その主人公が少年時代に出会った老人から、こう問われる。

中心がいくつもあって、ときとして無数にある、しかも外周を持たない円を、きみは思い浮かべられるか?

これは、難しい問いとして設えられている。主人公の少年は困惑する。そりゃ、そうだ。円とは「中心をひとつだけ持ち、そこから等距離にある点を繋いだ、曲線の外周を持つ図形」なのだから。

でも私の頭には、わりとすんなり、こんな感じだろうというイメージがぼんやり描かれた。なぜかと言えば、それはたぶん、私が著しく数学的センスを欠いているからだ。数学的センスがある人ほど難しい問いに聞こえるのではないだろうか(数学を得意としたことが一度もないので実際のところはよくわからない)。

私は極めて非数学的に、これを読み、これをイメージした。定義に即した「円」ではなく、幼少期におぼえた「丸」で頭に描いたというのか。あるいは、文学的に読んだといえばいいのか、自然界の実線で描いてみたら、幾何学の厳密さから解放されるのはそう難しいことじゃなかったといえばいいのか。

例えば、山の稜線というのは、遠くから眺めているときれいな線に見えるけれども、山の中に分け入ってみれば樹木ごとに葉や枝がじくざくしていて、直線的とも曲線的とも言い表せない。海岸線にしても、地図で見ている分にはきれいな線に見える海辺が、実際に行って歩いてみると、波が打ち寄せるごとに陸と海の境い目が変わり続けていて、幾何学的には語れないものがある。

そういう話なのだが、この説明で腑に落ちているのは自分だけかもしれない、とは自覚しながら書いている。

概念としての「円」は極めてきれいな線をもつのに違いないのだけど、自然界というか、実社会というか、そうした現実世界ではむしろ、「中心がいくつもあって、外周を持たない円」を探すほうが容易なのではないか。そういう複雑性をもった事物をこそ、当たり前のものとして折り合いをつけていくのが、世の常、人の常なのではないかと。

大人になった主人公は、その円をこのように言い表す。

それはおそらく具体的な図形としての円ではなく、人の意識の中にのみ存在する円なのだろう。たとえば心から人を愛したり、何かに深い憐れみを感じたり、この世界のあり方についての理想を抱いたり、信仰(あるいは信仰に似たもの)を見いだしたりするとき、ぼくらはとても当たり前にその円のありようを理解し、受け容れることになるのではないか──それはあくまでぼくの漠然とした推論に過ぎないわけだけれど。

概念的な言葉で語ることの役割と、その限界のようなものが、大人になるにつれて分別ついてきて、「あれはこれでない」と断じるのでなく、あれとこれに違いを認めつつも、双方を丸めこんだり、飲みこんだり、包みこんだりするようになっていく。

このお話を読み終えて、私が思ったのは「かたくなになってはいけない」ということだ。世の中も、人の心も、そんなにぱっきり線を引いて分けられないものばかり。そういう中で私たちは、その都度都度で、便宜的にあれとこれと分け、言葉を選び、線を引いて、物事に対峙し、人と対面し。ままならないことがあれば、あれとこれをもう一度もとに戻して、やっぱり分けないでおこうとか、違うやり方で分けてみようとかして、言葉を与え直したり、線を引き直したり、気持ちを立て直したりする。

りきんで立ち向かっていることって、本当に大事にしたい中心点から、ちょっとずれたところのものになっている気もするのだ。りきみをほどいて、力が入っているところをほぐして、そうやって大事な人のことを大事にしよう、大事にしたいことを大事にしよう、そうじゃないことに心奪われないようにしよう、そんなことを思うのだった。

小林秀雄が「学生との対話」の中で、「かたくなな知識と反対の、柔軟な知恵」という言い回しをしていた。知識を身につけた先には、確かな知恵を使える成長が約束されていそうなものだけれど、「かたくなな知識」と「柔軟な知恵」を対置させて示されると、なるほど、そういうことにもなるかもしれないと思う。知識には、人をかたくなにさせる副作用がある。そうかもなと、どきっとさせられる。かたくなになってはいけない。

2020-08-14

コロナ禍の母のお墓参り

昨日は、母のお墓参りに行った。お盆の立ちまわりとしては、できるだけオーソドックスな日どりで母を迎えに行ってあげたいという気持ちがあって(正式な立ちまわり方がどんなものかしらないが)、父と兄も都合がついたので8月13日に行くことにした。

これまでお墓参りはだいたい3ヶ月おきに行っていたのだけど、今年はコロナの影響でゴールデンウィークに身動きがとれず、2月の命日に行って以来、半年ほど間があいてしまった。

二人は千葉県在住で、お墓も千葉県。私は都民なので、となりの県に行くのにまったく抵抗がなかったとはいえないが、夏の間じゅう父を一人で過ごさせる気にもなれないし、兄も行く気になっているし、さすがにそろそろお墓を掃除してあげなきゃというのもあり。

これまでは父の運転で、父と私の二人で行くことも多かったのだけど、父が昨年、車の免許を返納して車を手放し、私は相変わらずきれい過ぎるペーパードライバーなので、今年の初めからは兄に車を出してもらって行くのが基本スタイルになろうかというところ。

そんなわけで最初、兄と連絡をとっているときは、父と兄と私の3人で行くものと思っていたのだけど、前日になって兄が一家4人全員で行けそうだという。それはぜひ、父に孫を会わせてあげたい。けれど、さすがに兄の車1台に6人乗り込むのは密が過ぎるなと思い、父と私はタクシーで移動することに。ほとんど気分の問題だが…。

兄一家とは、墓地で待ち合わせ。私たちのほうが早く着いたので、タクシーを降りるや掃除を始める。カンカン照りで猛烈な暑さ、気温は35度くらいだったか。こんな中で父に掃除をさせたらぶっ倒れるなと思い、さりげなく父には線香を取りに行ってくるよう促し、その間に水を汲んで掃除を終わらせようとテキパキ動く。

一人で黙々とお墓を掃除していると、なんだか清々しい気分に。炎天下、墓石に水をぱしゃぱしゃかけると、石がきらきら輝いて、いかにも「あぁ気持ちいい」と応じているように見える。

とはいえ、石は水をかけたそばから陽射しに照らされてどんどん乾いていく。私は墓石に半分よじのぼるようにして、石面をあちこち布でふきふきして全身の汚れを落とす。一通りふき終えたところで、またきれいな水を頭からかけると、お風呂あがりのようにすっきりして、再びきらきら石が輝く。

半年ぶりだったのもあって、けっこう汚れがついていたので、それを全部洗い流すと、とってもきれいになった。

汗だくのふらふらになっていたためか、掃除途中で濡れた墓石に足をすべらせてつるっと態勢を崩し、墓石に頭を打ってそのまま遠くへ行ってしまいそうになったのだけど、そこはやっぱり母の墓前。私にしては珍しくさっと態勢を戻せて事なきを得た。

全身を使ってせっせとお墓を掃除したから守ってくれたのかしら、なんてことを思いつき、母に掃除のお礼を言われたような、なんとなくコミュニケーションが通じたような気分になる。いっとき、母と私、二人の時間がもてたような今回の墓参りだった。

ほどなく父が戻ってきて、兄一家もやってきて、みんなで手を合わせる。みんなで健康にやってこられて良かった。家族の健康は、本当に嬉しい。

母を見送って、9年半が経つ。お盆に戻ってきたら銀座をぶらぶら散歩するんだって言っていた気がするんだけど、ほんとかな、いつ言ってたっけ、どんな顔して言ってたっけなと、記憶が曖昧になっていることに気づいて、ちょっとしょんぼりもした。でも、おりに触れて懐かしむとともに改めて悲しむことも、きっと尊いことなんだろう。静けさの中であなたを思い、心通わせられたような気分になるのも、きっと尊いことなのだ。

2020-08-01

「Web系キャリア探訪」第22回、「業績を上げること」と「人を大切にすること」の両立

インタビュアを担当しているWeb担当者Forumの連載「Web系キャリア探訪」第22回が公開されました。今回は旅行サイトを運営するエクスペディア・ジャパンで、アジア圏のSEOチームを率いる田中樹里さんを取材しました。

プレイングマネージャーの今が楽しい! チームマネジメントは「褒める」「期限を設ける」で円滑に

田中さんは、自分がその時どきで何に関心が向いていて何をしたいのかについて、きちんと意識が働いていて、実際にそれができるよう自分の居場所を移すという行動に出ていて、それをすごく自然体でやってこられた印象を受けました。

だから発言としては「あまり絞り込んで何か目指してという感じでもなかったのですが」とか「流されるまま今に至っているような気がしているのですが」というふうにも出てくるんだけど、具体的なキャリア変遷をたどっていくと常に、イヤイヤじゃなく自分が好きなこと、関心が向くこと、意味を感じられる仕事、伸ばしたい能力を選んで、キャリアを歩んでこられているという感じがしました。

SEOのスペシャリストであり、かつエクスペディアのアジア圏のSEOチームを束ねるマネージャーでもあり、今はちょうど五分五分で、プレイヤーとマネージャー両方の役割を務めているそう。

上司も部下も全員海外なので、コロナ以前からネットごしにマネジメント業務をされていたということで、オンラインでの部下とのコミュニケーション、会議のファシリテーションなども、いろいろエッセンスを伺うことができました。

素敵なマネージャー、上司なんだろうなぁっていうのが、チームメンバーとどう関わっているかというお話から伺えて、ブレーク&ムートンが提唱した「マネジリアル・グリッド」のことを思い出しました。

「業績を上げること」と「人を大切にすること」、「仕事ができる能力があること」と「人間関係を円滑に保つこと」は、必ずしも相反するものではなく、両方に対する関心を高めて統合することが可能であるという話。

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※詳しくは、以前書いた「トレードオフの関係」に分け入るにて。

田中さんは、まさにこの両立の実践者という感じ、直接お目にかかることができず残念でしたが、とっても健やかな気持ちになるインタビューでした。よろしければ、ぜひリンク先でご一読くださいませ。

2020-07-13

村上春樹の「アンダーグラウンド」を読んだ

村上春樹の「アンダーグラウンド」*を読んだ。1997年に出た本で、1995年3月20日に起きた地下鉄サリン事件について、被害にあった62人の当事者たちへのインタビューを行って、実に丁寧にまとめられたノンフィクションだ。

特別、今をねらって読みだしたわけじゃないのだけど、読後に振り返ればカミュの「ペスト」以上に、こりゃ絶妙なタイミングで読んだものだなぁと思った。

本が出た当時の私はちょうど、それまでに出ていた村上春樹の作品をあれこれ読みこんでいた時期にあたると思うのだけど、この本は遠のけて手に取らなかった。村上さんの言葉を借りれば、この事件の「名状しがたい嫌悪感」や「理解を超えた不気味さ」が、当時の私には手に負えないと本能的に判断したんだろうと思う。なにせ20歳かそこらだ。

1995年は、1月に阪神・淡路大震災、3月に地下鉄サリン事件があった。村上さんは、この2つに共通性を見いだす。不可避な天災と、人為的な犯罪、そうみれば全く別物だけれど、被害を受けた側からすれば両者とも「圧倒的な暴力」であり、「それらの暴力の襲いかかり方の唐突さと理不尽さは、地震においても地下鉄サリン事件においても、不思議なくらい似通っている」「怒りや憎しみの向けようがもうひとつはっきりしない」という、それは被害者の声を読んでみると確かにそのように思う。

私たちの社会はそこに突如姿を見せた荒れ狂う暴力性に対して、現実的にあまりにも無力、無防備であった。我々はその到来を予測することもできず、前もって備えることもできなかった。またそこに出現したものに対して、機敏に効果的に対応することもできなかった。そこであきらかにされたのは、私たちの属する「こちら側」のシステムの構造的な敗退であった。

このようなことは、コロナ禍にあって、容赦ない天災も続き、大小さまざまな対立も深まるばかりの25年後、今もまさに私たちが直面しているところだなと思った。

村上さんは事件当時、連日の報道にふれる中で一般マスコミの文脈が、被害者たちを一括りに「傷つけられたイノセントな一般市民」というイメージできっちりと固定してしまいたがっているように感じた。

被害者たちにリアルな顔がない方が、文脈の展開は楽になる。「(顔のない)健全な市民」対「顔のある悪党たち」という古典的な対比によって、絵はずいぶん作りやすくなる。
私はできることなら、その固定された図式を外したいと思った。その朝、地下鉄に乗っていた一人ひとりの乗客にはちゃんと顔があり、生活があり、人生があり、家族があり、喜びがあり、トラブルがあり、ドラマがあり、矛盾やジレンマがあり、それらを総合したかたちでの物語があったはずなのだから。ないわけがないのだ。それはつまりあなたであり、また私でもあるのだから。

これを丹念にインタビュー取材して文章にしたのが「アンダーグラウンド」だ。

事件の前後のことばかりじゃなくて、その人の生まれがどこで、何人兄弟の何番目で、なんて話も描かれている。例えば、牛乳搾取業の牧場に生まれた人の話なんかだと、

牛は一日二回搾ってやらないと、乳がぱんぱんに張ってしまう。だからどこにも行けない。家を離れられない。春夏秋冬、雨が降ろうが槍が降ろうが、ぜったいにやらぬといかぬです。正月もなにも、休みなんか一日もありません。しかし牛乳はほんとうにうまかったね

なんて話が出てくる。またある人は「兄貴は戦争が終わったあと、満州からウクライナのタシケントに送られまして、そこで強制労働をさせられていました」とか。

農家の人、高級車を売る人、呉服卸し業の人、コンピューターソフトを作る人、印刷会社の人、駅員さん、駅の売店の女性…。年齢もさまざま。亡くなった被害者の親御さん、奥さんも出てくる。それぞれの人生もよう、そして村上さんの人物描写を、事件のことと同等、あるいはそれ以上に、ものすごく興味深く読んだ。

こうした一人ひとりの描きこみがあった上で、事件当日が本人にとってどういう一日だったのか(それは本当に、いろんな背景をもった一日だった)、実際どういう目にあって、現場をどう対処して、その後をどのように過ごしてきたのか、その時々でどのようなことを思い、感じ、考えてきたのかが、丁寧にひも解かれていた。

実際には、多くの人が「いつも乗っている時刻に、いつもの電車のいつもの車両のいつも決めている何番目のドアから乗った」わけじゃなかった。その日、たまたまその電車に乗った人がなんと多いことかと思った。家を出るときにこういうことがあって、たまたま一本遅い電車に乗ったというようなことは、決して稀な例外ではない。

それに、たまたま風上にいて軽症で済んだとか、たまたま風下にいて重症になったとか、とにかくよく聴き込んでいくと「たまたま」のオンパレードなのだ。そこから読者の脳裏に自ずと浮かび上がってくるのは、「遭遇者は、誰でもありえたんだ」ということだ。

こうして一人ひとりの話にふれていくと、安易に一括りにするということは、認識を誤り、真実を揺るがすことに通じる、そんな恐れを覚えた。「こちら側」を雑に扱っては「あちら側」も捉え損ねてしまうし、当事者以外の人たちがこの事件に関心を寄せて問題意識を向けることは同時代の私たちですら困難になる。

当時の警察や消防の救助の態勢、要領を得ないふるまいには、少なからぬ批判の声もある。それはそれで見直すべき点が多分にあるのだろうと思う。

一方で、当日現場に居合わせた人たち、大勢の乗客、営団地下鉄(今の東京メトロ)の駅員さん、地下鉄の駅の出口付近で遭遇した人たちの動きをもって考えさせられるのは、警察や消防が機能しない中でも私たち一般市民が当たり前に協力して、助け合える、そこで必要な役割をかって出られることのプリミティブな強さ、社会の健全さというものだ。

当日、乗客はみんなで協力して、タクシーを停めては症状の重い人から順に車に乗せて病院に行かせたり、軽症の人は声をかけあって4人相乗りで病院に向かったりした。

地下鉄の駅の出口付近でやっていた工事現場の人は、具合の悪い人に声をかけ、通りかかる車を片っ端から止めて、次々に被害者を乗せ、病院まで積んで行かせてくれたという。「ワゴンなんかが来ると、そこにどんどん詰め込んでという感じで。小伝馬町の場合は、一般車にずいぶん助けられたと思いますね」という。

警察や救急がないでは安全に社会がまわらないだろう現実はわかっている。だけれども、理想形をイメージするとき、警察や救急の態勢がより万全である社会システムとは別に、警察も救急も法律もルールもなくても市民一人ひとりがそこで必要な役割を演じて立ち上がった問題を回避できる、あるいは最小限にとどめられる方向にも、私の想像はふくらんだ。

もともとそういう志向性はあったのだけど、改めてそういうことを考えさせられたし、その中で自分は果たして、どういう役割を演じられるものか、その場で機動力をもってどれだけ立ち回れるものか、自分の気概のようなものを再点検する機会にもなった。

これらの事実を前にしていると、私たち個人個人が本来的に持っているはずの自然な「正しい力」というものを信じられる気持ちになってくる。またこうした力を顕在化させ、結集することによって、私たちはこれからも、様々な種類の危機的な事態をうまく回避していけるのではないかと思う。そのような自然な信頼感で結ばれたソフトで自発的で包括的なネットワークを、私たちは社会の中に日常的なレベルで築き上げていかなくてはならないだろう。

*村上春樹「アンダーグラウンド」(講談社)

2020-06-15

説明されるべきものではなく、呑み込まれるべきもの

最近は、わりと多くの時間を小説を読むことにあてている。村上春樹は「騎士団長殺し」「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を立て続けに読んだのだけど、後者→前者の順で書かれたものらしく、多崎つくるのほうが小説としては荒削りな感じがある。だけど、そのぶんメッセージが直截に語られている感じもあって、両者の行き来が豊かな読書体験をもたらした。

小説や音楽や絵画といったものが、どんなふうに私たちに働きかけているものなのか、私たちはそれにどう向き合うべきなのか、改めて感じ入った。それは、「騎士団長殺し」の中の一節で、騎士団長がはっきり言葉にあらわしてくれている。

なぜならその本質は寓意にあり、比喩にあるからだ。寓意や比喩は言葉で説明されるべきものではない。呑み込まれるべきものだ

騎士団長、かっこいい(し、かわいい!)。この小説の中では、別のところにも「呑み込む」という表現が出てくる。

真実とはすなはち表象のことであり、表象とはすなはち真実のことだ。そこにある表象をそのままぐいと呑み込んでしまうのがいちばんなのだ。そこには理屈も事実も、豚のへそもアリの金玉も、なんにもあらない。人がそれ以外の方法を用いて理解の道を辿ろうとするのは、あたかも水にザルを浮かべんとするようなものだ

自分が生業としている「学習の設計」にも思い馳せるところあり、表象をそのままぐいと呑み込むというのが、結局のところ一番能率的な「理解の道」ではないかなって思ったりもするのだった。

「呑み込む」という表現は、「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」にも出てくる。

不思議な話を、不思議な話としてそのまますっぽり呑み込んだのだと思います

これを発展させたのが、騎士団長のセリフなのかなぁとも思ったりして、2つの作品を立て続けに読む味わい深さも堪能した。

色彩を欠いているという無個性の自覚が根をはっている自分には、多崎つくるの思うところに共感するところ多く、そういう中でも他者に嫉妬することなく、穏やかに暮らせている理由も、たぶんに言葉に起こされていて、こっちの小説も、なんというか、自己肯定感が高まるというか、自分の幸いを再認識させられ、改めて今に感謝したりした。

読者に多くの考えごとを、さまざまな観点で呼び起こす力をもつ小説、やっぱりすごいなぁ。

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