2024-05-17

新しいこと探しより、ありふれていること始め

今朝がた「スタートアップの成功モデル」について書かれたFacebookの投稿に触れて、勝手に「個人のキャリア論」と重ね合わせて読んでいた。最近自分が考えていたことと通ずるところを覚えたのだ。

クラシックな市場・ビジネス領域で、高い組織ケイパビリティを発揮してどんどん規模化していく

というスタートアップの成功モデルを提示してあるのに触れ、自分の頭の中で勝手に、個人のキャリアについても「まだ誰もやっていないことを」とか「他の人がたやすく手を出せない専門性を」と最初から気張らずに、「世の中にありふれたことを、自分でやってみること」で、「高い能力・パフォーマンスを発揮」して、「どんどんキャリアを育んでいく」というのが手堅い王道なんじゃないかなぁと読みかえた。もちろん私の勝手解釈だ。

キャリアを論じるところ「自分らしさ」とか「オリジナリティ」といった言葉の呪縛が花ざかりだけど、それは結果的な到達点であって、最初からそこを目指そうとすると、多くの人間は入り口で詰んでしまうと思うのだ。どこから登り始めたらいいか、そもそも登山口を定められず足踏み状態になってしまう。

まだ、誰も立ち入ったことがない登山口をあっちこっち探しまわっているうちに、山を登り始めることなく時間は何年でも何十年でも経過してしまう。時間は止まってくれない、そのまま人の一生は暮れていってしまう。これってタイパ悪いんじゃないのか。

経験的にみても、私を含む多くの一般人を見回してみて、「登山口はここだ」というひらめきやら神の啓示やらが、社会に出る前ある日突然ふってくることはない。すごい人から「君はこれをやるべきだ、君にはとてつもない才能がある」と導かれることも、そうそう起きない。

それで先の話に戻るのだけれど、たぶん職業キャリアを歩みだす登山口は「世の中にありふれていることを、自分でやってみる」ことだと思うのだな。「何をやるか」で奇をてらおうとするのではなくて、「自分がやる」ことによって自ずと、自分なりのものが出てくるのに任せたほうが自分にも無理がかからないし、自然の摂理にかなっている感じがする。

ありふれたことを始めるときは、マラソン大会のスタート地点のように、うじゃうじゃ人がいるように感じるだろうし、スタートを切ってからもしばらくは、わんさかと人がいて芋洗いの芋になった気分を味わうかもしれない。けれど長距離マラソンにおいて、芋洗いのままゴールまでみんなが固まって走り続けるなんてことは、ない。だいたい徐々にばらばらになって、ほどけていく。その見通しをもっていったん芋感も受け入れてみる。

山の中腹まで登った頃には、つまり「ありふれたことを、しばらくやってみた」頃に振り返ってみると、ありふれたことを他の人と同じようにやってきたようであっても、違いが出ていることに気づく。そこには、そんなに難しい観察眼は求められない。現実的な中腹時点での人と自分との違いを観察して、自分にはこういう特徴があるんだと観察結果から自分を知って、それを材料に自分のキャリア戦略を立てればいい。

中腹まで待てなかったら、もう少し手前で振り返ってもいいし、もっと先までがむしゃらに登り続けてみても、その振り返りタイミングの加減は自分で決めたらいい。いずれにせよ、そうやっていったん登山を始めてみて、都度振り返って道を選び直していったほうが、キャリアを歩む上ではずっと能率がいい。

同じ業界、同じ職種で、似たような案件を手がけてきた同世代の一人と比べてみる。その人と自分とでは、好みも違えば、得意と不得意にも違いがある。人との違い、自分の特徴というのは、中腹まで登ってこそ鮮明に見えてくる。

見える景色だって、登山口より中腹のほうが開けてくる。あっちにもこっちにも道筋が見えるし、あそこには他の山に300円で渡れるロープウェイがあるのかーと、山脈を見渡すこともできる。

そうした材料をもとでに戦略を立てられれば、無理がなく自然だし、現実的で建設的だし、道を誤っているんじゃないかという極端な不安感情からも解放される。

こんなことをだらだら書いていると、結局はごくごく王道のキャリア論に帰結するだけなのだけど、登っては振り返り、登っては振り返りで補正していくのが現実的だよなぁと改めて思う。

登ってみることで、見えてくる景色があるんだ、進む道の具体的な選択肢をもてるんだというのは、多くの人が自分のキャリアを考えるときに大事なメンタルモデルって気がしている。

人は、下から見上げて行く先の世界を見通せたり、自分の行く先を見定められたりするほどの力量はもたないし、だからこそ可能性に開かれた世界観で冒険心をもって生をたのしんでいくことができるのかなぁとも思うのだ。はぁ、勢いごにょごにょ書いてしまった。

2024-05-13

幕府がカレンダー販売禁止してデザイン文化が花開いた話

土曜の朝、落語家の立川談笑さんの話に聞き入った。年末になるとカレンダーをもってお客さんとこに挨拶まわりに行くという風習は、そういう起こりかぁと合点がいった。が、それ以上に「制限や不自由」といったものを「環境や前提条件」と捉えて創作につなげていく人の力、人の営みみたいなものに心を惹かれた。

NHKラジオ第1「マイあさ!」6時台後半サタデーエッセイ「知っていますか?カレンダーの歴史」立川談笑(2024年5月11日)

※2024年5月18日6:55配信終了までは、リンク先で「聞き逃し配信」が聞ける。サタデーエッセイ開始は4分30秒後にスタート。

今の日本は、太陽暦(グレゴリオ暦)。4年に一度、調整が必要で「閏年(うるうどし)」がある。これが江戸時代までは、太陰暦だった。これは、月の満ち欠けで暦をたてる。

太陰暦だと毎月、何月だろうと「15日の夜」は必ず満月。これが、いわゆる「十五夜」。月明かりで、夜でも表は明るい。反対に、月末や月初は必ず新月。月が見えず、真っ暗い闇。16日は十六夜(いざよい)、17日は立待月(たちまちづき)と風流だ。

ただ太陰暦も微調整する必要はあって、とくに大規模なものに「閏月(うるうづき)」があった。一年が13ヶ月、ひと月増えちゃう年があったのだ。

ただ基本的には一年は12ヶ月。で、大(だい)の月、小(しょう)の月があった。「大の月」は30日まであって、小の月は29日まで。

これの不便なのが、何月が大か小かは、年ごとに変わった。なのに幕府によって暦(カレンダー)の販売が禁止されていた。これでは日々の生活を送るのに不便で仕方ない。それで江戸の市民たちはどうしたか。

「自分の家で使うためにカレンダーを作る分には問題ございませんよね?」って確認して、「それはよかろう」と許可を得た。それで自分でこしらえた。

さらに「お金をとって販売しなければ、お友達にあげるぶんには問題ございませんよね?」と許可を得た。これもお咎めなしになった。そうして自分で作ったカレンダーを、他の人に配る人が出てきた。

これをおもしろがって、年末になると、来年の暦を作って自作のカレンダーを作っては束にして持ち歩いて「おぅ、これ俺が作ったの、あげるよ」と配る人が出てきた。暦がないと生活に不便だから、たいそう喜ばれた。

これを真似る人が次から次へと出てきて、江戸の大ブームになった。町民から大名まで、自分でデザインして、オリジナルのカレンダーを作って、人にプレゼントしだした。

「当家で作ったものです」「これは見事ですなぁ」と、名刺交換みたいなことにまで発展していった。

「かっこいい」「粋だねぇ」というので、文字・数字を入れるにとどまらず、意匠に工夫を凝らすようになっていく。おめでたいイラストを入れるようになったり、パズルや謎解きなど仕掛けを工夫したもの、極彩色などギンギラしたもの。

さらには、今年の一番の暦を決めようと、暦のデザインコンテストを始めた。

そうして木版印刷の需要が増え、木版を手がける職人さんも増え、多色刷りも生まれ、プロのイラストレーターも出てきた。

浮世絵の祖とされる菱川師宣(ひしかわもろのぶ)も手がけ、浮世絵の文化につながっていった。幕府によってカレンダーの販売が禁止されたのが、江戸文化の発展に大いに寄与したというのは乙な話じゃないかと、いい調子で聴かせてくれるのだ。

自分の目の前に広がる光景を、「自由を縛る制限」とみるか、「何かを作りだす上での環境・条件や足場」としてみるか。解釈は、こちらに委ねられている。がんじがらめだと思っても、いくらか検討の余地は残されていることが多い。

どちらの箱に入れて見立てるか、私たちの頭は両方の箱をもっていて、後者の箱に入れる癖をつけると、目の前の光景はずいぶんと彩りが変わって見えてくる。誰かが感じている不自由も、むしろ腕がなるモチベーションとして働いたりする。

後者と見立てられれば、その環境・条件をこそ踏み台に利用して、少しずつのジャンプを積み重ね、飛躍することもできる。素敵な励ましのメッセージだし、いいないいな、人間っていいなと思うお話だった。

2024-05-11

「教える」ことは手段であって

恩田陸の長編小説「蜜蜂と遠雷」を読んでいる。とても面白い。数年前に映画化されているらしいが、そうとは知らず、本屋でジャケ買いした。表紙も素敵なのだ。とある国際ピアノコンクールを舞台に物語が展開されるのだが、エンタメ性も高く、奥が深く、筆致が素晴らしい。

こちとら一般庶民からすると、登場人物の誰も彼もが神童という感じなのだが、なかでも風変わりなのが16歳の少年、風間塵(かざまじん)。彼の演奏は、審査員の評価を二分する。「アンビリーバブル、ファンタスティック、奇跡的だ」と絶賛する派と、「下品だ、いたずらに煽情的だ、サーカスだ」と批判する派。

少年の演奏に、なぜ拒絶感を覚えるのか。これを審査員の三枝子が分析するくだりが時間をおいて二度、三度と出てくるが、その深掘りと変化していく様は実に読み応えがある。

私の脳内では、音楽業界に限定しない、さまざまな産業に拡張しうる話として解釈された。それは私が、クリエイティブ職の人材開発まわりを生業にしているからだが。それを、いくつかつまんでみる。

この、いわば苦労や勉強のあとが全く見えないことも、審査員の拒絶を招いているのではないだろうか。

審査員を「若手を育成するエキスパート・年配者」に置き換えると、さまざまな仕事現場で、なくもない気がしてこないだろうか。たたき上げの玄人からすると、若手に「苦労や勉強のあとが全く見えない」ことには拒絶感をおぼえやすい。

そして、昨今の風潮のくだりに入る。

近年、演奏家は作曲者の思いをいかに正確に伝えるかということが最重要課題になった感があり、いかに譜面を読みこみ作曲当時の時代や個人的背景をイメージするか、ということに重きが置かれるようになっている。演奏家の自由な解釈、自由な演奏はあまり歓迎されない風潮があるのだ。

私の脳内では、演奏家が「実務家」に、作曲者が「研究者・理論家」に置き換えられた。

若手の実務家が、自分の業界で基本とされるセオリーに学び、セオリーに従って実践することを重視するあまり、あるいは自社より市場で評価されるキャリアを積むことに傾注するあまり、「目の前の案件で人の役に立つ」「今ここで自分が何をすべきか、自分で考えて動く」という当たり前の大前提が、二の次になっていく危うさ、そこに底流する世の風潮を覚えなくもない。

そんなふうに勝手解釈をくわえながら読んでいると、次の「音楽教育に携わる者」が「産業界で若手の人材育成に携わる者」的に読めて、ここらを言ったり来たりしてしまった次第。

だが、風間塵の演奏はそんな解釈からは自由なところにある。もしかすると、作曲者の名前すら知らないのではないかと思わせる、真の自由とオリジナリティに溢れているのだ。曲そのものと、一対一で生々しく対峙しているような印象を受ける。それなのに、演奏は完璧─確かにこれは、今の音楽教育に携わる者にとっては受け入れがたいに違いない。

分析を加える三枝子が、少年への評価を変えていく様は、読者にも学びを分け与えてくれているように読めた。

最初のオーディションのときは、三枝子も拒絶感を覚えて、高く評価する他の二人の審査員に抵抗を示していたのだ。その主張は、少年が師事した巨匠の音楽性を真っ向から否定するようなスタイルの演奏は許しがたいというものだった。

まるで、師匠の音楽性を冒涜し、師匠に喧嘩を売っているようなものではないか。それは音楽家の態度としていかがなものか。彼が音楽家として独り立ちして、改めて師匠のスタイルから離れていくというのなら分かる。だが、この段階で師匠の音楽を全く理解していないというのは問題だと思う。

これに対して、少年を高評価する他の二人は、彼女に理解を示しつつも、こう切り返す。

彼に頭抜けたテクニックとインパクトがあることは認めるね?ならば、彼の音楽を許すの許さないのというのは我々が決めるべきことではない。ある一定ラインに達していれば、機会を与える。それがこのオーディションの目的なのであって、候補者の音楽性が気に入るか気に入らないかは、現時点では問題ではない。

自分たちは「許すの許さないの」を決める立場にない。「機会を与える」のが我々の役割だ。我々が提供する場の目的は「機会を与える」ことである。というのは、多くの教え手が一度は吟味しておきたい着眼点で、核心をついているんじゃないかなぁと読んだ。

教えることが目的化してしまうと、許す・許さないもうっかり顔を出してきかねないんだけれど、あくまで教えることを手段としてとらまえておくと、うまく「教える」という行為とつきあっていける気もする。

教える者の役割も、教える場の目的も、機会を与えることにあるんじゃないか。学ぶ機会を与えること、活かす機会を与えること、伸びる機会を与えること。役割を果たす機会を与えて、それによる充実感を覚えたり、それが社会の豊かさにつながる支援をすること。そうやって若手に、社会的役割を継承していくこと。

「教える」というのは、そういうことの手段の一つ、みたいにとらえると、より健全につきあいやすくなるかもなぁなどと思い巡らせながら読んでいる。文学は、心の柔らかいところをすくい上げて読者の意識にのぼるよう独特の働きをしてくれて尊い。

*恩田陸「蜜蜂と遠雷」(幻冬舎)

2024-05-09

構造を理解し、批評視点を養い、作品を味わう

ここひと月ほどは静かな読書時間をたしなんでいる。思うところあって、物語の作り手がどう物語を構造立てて作っているのか、それを批評家はどういう視点をもって批評しているのか、そうしたものの入門書をいくらか読んだ。

それと行ったり来たりしながら実際に作品そのものを味わってみると、作品上に表面化されていない作り手の創意工夫、物語構造の成り立ちに思いはせる領域が広がった感覚を覚えた。

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作家がはたして何をしてくれているのかというのが、(当社比だが)より深く理解できるのは至福だ。私には、そこのところを自分でより深く知覚して、作り手の手腕だとか思慮深さ、態度などに想像をめぐらせて頭を垂れたい欲求があるようで。この3つを行ったり来たり脳内で訪ね歩きながら、作品一つひとつを味わっていく時間の過ごし方が、とても好みのようだ。

作品というのは、もちろん小説に閉じたものではない。最近話題の映画「オッペンハイマー」と、19世紀初頭にメアリー・シェリーが著した小説「フランケンシュタイン」、二人の性格描写に共通性を見出して感嘆したりもした。

廣野由美子「批評理論入門:『フランケンシュタイン』解剖講義」で叙述されているフランケンシュタインの性格描写を引くと、次のようなのが挙げられるが、この辺を読んでいると、最近観た「オッペンハイマー」が、自然と脳裏に浮かんでくる。

興味・関心をもっぱら自然科学に向ける
その探求活動に集中投下する熱中癖がある
英雄的行為に憧れのぼせ上がりやすい気質をもつ
自分の能力に対する自信と野心が半端ない
激しやすく孤立しがちな傾向
ときに陰気になったり荒々しくなったり気性が激しい

こうした性格が結びついて破滅的な行動に走り、道を踏み外していくという物語は多いなぁなどと認識新たにする。

私は名作のたぐいを、ほんと若いときに読んでこなかったので、これから熱心に読み続けても(遅読もあいまって)ほんの一握りの作品しか読むこと叶わずに終わってしまうだろう。

これまで読んできた本、ふれてきた作品のあれこれも、薄っぺらいまま終えてしまっているものが多く、たくさんの発見を残したままになっていることは想像に難くない。

なので、数を追わず、読みきれないのは割り切った上で、縁ある作品を一つひとつ丁寧に、そして二度三度と繰り返し読んでは、手にとれた作品の作り手のなした創意工夫にふれて、そのテーマの本質に近づけるよう努めて、作り手に頭を垂れ、自分なりに味わいを深めながら過ごせたら幸せだなと思う。余生の弁はなはだしいやもしれぬが。

そこのところを深めずして、自分にとって良い仕事を果たすことも叶わないだろうし。歳をとると、何をわりきって、どこに焦点をあてて過ごしたいかがシンプルに考えやすくなってよいな。

廣野由美子「批評理論入門:『フランケンシュタイン』解剖講義」(中央公論新社)

2024-05-02

タイパの「パフォーマンス」って何さ問題

タイパというと、動画の倍速再生だとか、名著をあらすじだけ押さえておく方法だとかがあれこれ情報流通しているけれども、方法以前にそもそも、その期待するところの「パフォーマンス」って何を指しているのかなというのが気になって、ちょっとググってみた。

タイムパフォーマンス、略してタイパ、訳して時間対効果。つづけて語釈っぽい文章を読んでみると、かけた時間に対する「満足度」としているのと「効果」としているのとあった。

「満足度」というのであれば、それに使った時間の直後に本人が満足した度合いということだろうから、本人が満足しているなら、ようござんしたで結構だ。

が、いや「直後の満足度合い」では物足りない、もっと先々の自分の人生に役立つかどうかとか、そういう「中長期的な効果」を得るための効率のことよ!ということだとすると、話は変わってくる。もう少し「パフォーマンス(効果)」というのを、案件ごと、自分ごととして都度、特定してみたほうが道筋を誤らないではないか?と思ったのだ。

私は一考した。そうして自分に引き寄せてタイムパフォーマンスを考察してみると、むしろ一つの作品を二度、三度と繰り返し味わったほうが、自分にとっては大方のこと、パフォーマンスに好影響を及ぼすだろう気がしてきた。

なので最近は、同じ本を二度読んだり、同じ映画を二度観たり、そうしてじっくり味わう繰り返しを、好んで実行してみている。そうすると二度目の拾いものが、たいそう多いのだ。

二度目に整理されて理解できること、知識として定着するもの(というより定着させたいと思いついて編集したり記録したりするもの)、二度目になって初めて発見したり味わえたりするもの。二度目は、そんなことの宝庫だ。

それにとどまらず、今読んでいる本と、一つ前に読んでいた本、その間に観た映画、最近やった仕事、今やっている仕事、あれこれが私の頭の中で勝手に交流を始める。それぞれの作者たちが、私の頭の中で、自分の訴えと、私の経験とをつなぎ合わせてものを言ってきたりする。

あっちの作者と、こっちの作者が、勝手に話し合いを始めるような饗宴もある。私は引き合わせ役にして、鑑賞者の役得を得る。二度目だと、私の脳内にも余裕が生まれるからこそ、そんなミラクルが起こる。

一つひとつを効率重視で手短に切り上げて、直後の一時的な満足感に満足して、それを日々積み上げていくと、それは足し算にしかならない。掛け算や指数関数的な手がらの増大は狙えない。「効果」の要件定義しだいでは、タイパ上たいそう効率が悪いことをしていることにもなる。

一度手にしているモノサシが正しいか見直してみる必要があるし、都度都度でも何のモノサシで自分がタイムパフォーマンスを測ったらいいかを吟味してかかる必要がある。そんなことを考えたのだった。

もちろん、一度読んで、観て、ぱっと頭に入って、理解したり定着させられる人だったら、それで構わない。私の頭だと、そうはいかないという話だ。

ここまで二度目の味わいが深いと、一度目というのは自分にとって「読みました」「観ました」のアリバイ作りでしかないのではないかと、しょげる。そこそこしっかりした作品群は、はなから「二度味わう」のをデフォルトとしておいたほうが自分にはいいのではないかと思う今日この頃。

情けなさがわかないではないが、一つのことをしっかり味わい、自分に根づかせて、次の何かと勝手に紐づいてゆくくらいに自分に浸透させないと、先々の役立ち度のメーターが全然振れないのだし。仕方ないというより、それも人生、それこそ人生の味わいかと思えるくらいに歳もとった。

タイムに比してパフォーマンスは、かなり個人ごと、案件ごとで何とするか設定が異なる。そこばかりは人任せにしようがない。そこをはずすと、潜在的に自分が欲しているのと真逆の効果を獲得してしまうことを、くれぐれもわきまえてかからねば。

2024-04-26

自分の時代、自分の環境を特殊化して見がち

今週はだいぶ余暇があったので、春の館めぐり週間と題して、いろんな館を訪ね歩いてみた。

月曜日は美術館へ。六本木にある国立新美術館の企画展「遠距離現在 Universal / Remote」(6月3日まで)。「マティス」展で人が多かったが、こちらはゆったり鑑賞。個人的には木浦奈津子さんの油絵が好きだった。抽象と具象の間のちょうどいい按配を表現していて身にしみた。

火曜日は文学館へ。横浜の港の見える丘公園内にある神奈川近代文学館の特別展「帰って来た橋本治展」(6月2日まで)。こちらも人少なく静かにゆったり。

彼を一躍有名にした第19回駒場祭の真っ赤なポスター「とめてくれるな、おっかさん。背中のいちょうが泣いている。男東大どこへ行く」の原画を観て、自分のおぼろげな記憶と、橋本治という人物が邂逅。私が人物を明確に認識したのは月刊誌「広告批評」の連載だったか。その後、人の薦めで「青空人生相談所」(ちくま文庫)を読んで強烈に印象づけられた。相談者に対して「さもしい」を連発する劇薬だった。

今回の会場で紹介されていた「'89」(河出書房新社)の一節に触れ、AI対比で人間像を模索する今の時代、橋本治の著作は読むのにちょうどいいタイミングかもしれないなぁと思う。

「自分が生きてる」という理由だけで、「自分の時代=現代」を、そんなに特殊化しない方がいいと思う。「自分達の時代」というのは、しょせん「相変わらず、おんなじ人間の作った歴史の延長線上にしかない」んだから。

自分の時代、自分の環境を、人は特殊化して見がちだという忠告を受け取る。「あなたはオンリーワンだ」「カスタマイズ・パーソナライズの時代だ」というメッセージが幅を利かせる時代には、「それほど特殊じゃないよ」というブレーキを自分の側でもっておかないとバランスを欠いてしまう。ブレーキをうまく利かせる必要があるかもなぁなどと思った。

水曜日は映画館へ。今や映画館は毎週父と通っているので久しぶりでも何でもないのだけど、一人でふらっと東京で観られるものということで「ブルックリンでオペラを」

チケットをとった後、近くの本屋をうろうろ、3冊ほど文庫本を買って、コーヒー屋で時間まで読み耽り、映画館へ戻る。夜遅い時間に一人で映画館に足を運ぶことってないのだけど、レイトショー手前の時間帯だったらありかもしれない。なかなか贅沢な過ごし方だった。

木曜日は写真館へ。恵比寿にある東京都写真美術館の「TOPコレクション 時間旅行 千二百箇月の過去とかんずる方角から」(7月7日まで)。百年前を始めとして5セクションに分けて37,000点超の写真・映像作品、資料を展示。とりわけ大正・昭和初期の写真や、彩り豊かな広告ポスターに見入った。

青空を背景に新緑が映えて、散歩も気持ちよかった。これから週末にかけては、手元の本を味わいたい。良い季節だ。

海も、樹木も、人の創作も、受け取るもの全部がぜんぶ、既成観念、言語的な分類、勝手に引いている境界線を溶かせ、解かせ、融かせと心のうちに響いてくる。こちらの都合か、あちらのメッセージか。

2024-04-22

SNSでこぼすより直接相手に働きかけること

今年に入ってまだ4ヶ月足らずだが、スマホを4台拾い、昨日は交通系ICカードのPASMOを拾って警察署に届けた。こんなハイペースで拾いものをしている年は、未だかつてない。

ものすごい勢いで、世にスマホやらなんやらが落としものされるようになっているのか。はたまた、私の落としもの発見率、遭遇率が急速に高まっているのか。いずれでもない気がするが、ともかく拾いものを届ける手続きに慣れをおぼえる今日この頃。

スマホの一つは最寄りの交番に届け、一つは店舗内で拾ったので店の人に引き渡した。電車内で拾ったのは本人に手渡しでき、駅のプラットフォームで拾ったのは音楽再生されていたので画面で停止ボタンを押したら、急にイヤホンから音が途絶えただろう落とし主がキャリーバッグをゴロゴロいわせながら焦った形相で引き返してきて、その場で手渡しができた。

店や駅で拾った場合、どの辺で拾ったかを申し伝えて近くの店員さん・駅員さんに渡すだけなので、1分とかからない。警察署や交番となると、場所によっては少し移動の手間がかかるが、中に入ってからは、ちょっとした書類にサインなどして、いつどこで拾ったかを伝えても所要時間5分とかからない。

拾ったときに、周囲をきょろきょろして「なんとか工務店の真ん前だな」と正確に場所を確認したり、時計をみて「16時15分だな」と時刻を確認するようにもなった。えらいもんだ。

それでスマホやICカードなど、財布と同等のたぐいが本人の手元に戻るのなら、お安い御用だ。そこらへんの人が道端のそれを発見しては届ける町に住みたいし、そういう町民の一人でありたい。

昨年の秋にいち町民の話を書いたが、それを自分が細々と実践できていると思うと、なんだかほっとする。やっていることより、発している言葉のほうが大きい人間になりたくない。

さて、この「町民しぐさ」って、ネット上でも変わらないよなって思うこの頃だ。

道端で落としものを見つけたら、さっと拾いあげる町民のように、Facebookとかで明らかな詐欺広告を見つけたら、さっと拾って報告を入れる。届くのか効くのかわからないSNSでこぼすより、Facebook本体で「広告を報告」をクリックして「この広告に関する問題をお知らせください」に返答するほうが、町もといプラットフォームの浄化活動としては実質効果が上がるんじゃないかなぁ、先なんじゃないかなぁと。

これは、私のような(いわゆる発信力強い人じゃない)一町民の所作としてはってことなのだが。

プラットフォーマーがすでに運用している仕組みにのっかって、そこに構えられたキャッチャーミットに向かってボール返したほうが即効性ありそうというか。そうすると、向こうが通常運用にのせてデータを処理し、あぁこれは良くない広告なんだなって1カウントされて、その仕組みのもとで低評価のアルゴリズムに組み込まれていく、みたいな。それが1件、100件、10000件とカウント数が増えていけば、自動的かAI的か知らんが、広告表示からはずされていく。

そこの活動にベットするほうが、一町民の所作としては賢明な気がして、これは明らかに詐欺広告だなっていうのに遭遇すると「この広告に関する問題をお知らせください」に対応する一町民を演じている。

ネットにおける一般ユーザー、社会における一般生活者が問題解消のためにやるべきは、SNSでこぼすより、まずは直接相手に働きかけることじゃないかなぁというもやもや感。SNSでさらすのは、自身の憂さ晴らしとしては一定効くのかもしれないけれど、サービスや社会の問題解消としては、そんな効き目がない気がしてしまう。

テック系の世界のこととかはよくわかっておらず、あくまで素人のイメージだけで言っているのだけども。

何かの製品に不具合があったとか、配送業者がどうだったとか、店員さんの対応がどうだったとかいうのも、SNSでこぼすより、まずは直接そこの大元に連絡して改善を求めるとか調整を図るとかいう所作を覚えたら、問題を一番小さくたためると思うんだよな。

その戦法が、SNSで言及するのに比して、あまり普及・一般化していないふうなのに、もったいなさを覚えるというか。単にそう見えるだけで実際にはそういうことがきちんと普及して世の中で行われているのかもしれないけれど、SNSでは顕在化しないから実際の普及ぐあいに心許なさを覚えちゃうというか。

まずは大元のメーカーなり業者さんなりに伝えてみて、改善を要望してみるなどしてみる。それでも当事者間では問題が解消されない、隠蔽されてしまったりして困っているときに、次の手で弱者側が何か他のところへ訴えるとかSNSで問題提起するのは、さもありなんと思うのだけど。

直接相手に働きかけてみるっていうのが、最初の一手の王道であってほしい。

そういうふうに市井の人のふるまいを整えていくことこそ難しい話なのかもしれないけれど。ネットリテラシー教育とか、善良な市民の当たり前として親のしつけとか、そういう話になるのかしら。

問題の要因て、たいてい複合的なものだから、一つのところが腰重たくても、別のところから問題を小さくする策は講じうるわけで、一町民としてできることをぽつぽつやっていきたい。まったく効き目ないかもしれないけれども。最後は、品の問題に帰するのかな。

2024-04-20

作品が描く年、作者が著した年、読者が読む年

今読んでいる小説に、こんな一節がある。ある読者には補足説明的に読まれただろうそれが、時を経て手にした読者に、重層的な意味合いをもたらす。そのことに作家は、著した当時どれくらい意識があったのだろうかと思いめぐらせる。

主人公は、事務所兼自宅の建物から一度表に出てきて、少し気持ちを回復させた後に、また玄関に戻る。しかし建物の中に「入るのは、出るより面倒だ」とあって始まる一節だ。なぜ、面倒なのか。

玄関のドアの脇の壁面にある鍵穴に部屋の鍵を入れて回さなければならない。すると、ドアのロックが二十秒ほど切れるのである。その間に入るという仕掛けだった。ついでにいえば、部屋に誰かいる時は鍵なしでもいい。インターフォンと並んでプッシュボタンがあり、部屋のナンバーを押すと、その部屋に声が届いた。誰であるかを名乗ると部屋の中で玄関のロックを切ることが出来る。それもやはり二十秒ぐらいで、その間にドアを押してロビーへ入るのである。

私は途中から、んん?と眉間に皺を寄せて慎重に読む。区切りのよいところまで読み終えると「玄関のドアの脇の」の辺りまで戻って、再び読み返した。

これって、オートロックのことだよな。オートロックのことを単に説明しているってことでOKかな?なにか「オートロック未満」であるとか「オートロックプラスアルファの機能を搭載している」とかじゃなくて、いわゆるオートロックの説明ってことでOKだろうか。

それを検品するのに時間を要したのだ。改めて、この作品の初出を調べもした。1987年だった。

つまり1987年当時はオートロックが今ほど普及していなかったから、オートロックについてこれだけの紙幅(全角211文字)を割いて説明する必要があったということでOKだよな、きっとOKだろう、というのに、2024年読者の私は立ち止まったのだ。

発刊早々に読んだ1987年の読者にとって、この一節は「ははぁ、都会にはそういう仕組みがあるのだな」という読まれ方をしたのかもしれないし、2024年読者の中でも「1987年の作品であることを念頭において読んでいる読者」には、時代背景を織り込み済みで立ち止まるところない一節として読んだ読者がいくらでもいるだろう。

が、私のようにいくらか訝しむようにして「これは、いわゆるオートロックでOKか?」と二度三度読み直してしまう人もあれば(そんな不器用はいないかもしれないが)、オートロックに説明が必要な時代もあったなぁと郷愁をおぼえつつ読む人もあろうなと思いを馳せる。

著者は当時、ここにどれくらいの意識を注いで書いたのだろう。全体からすると、かなりさりげない一節ではあるのだけれど。今、書き直すとしたら、ここはオートロックの一言に書き改められるのか、実際どのように書き直すのだろうな。そんなことで、けっこうな時間を過ごしてしまうから一層、私が一冊を読み終える時間は長くなる。

先日、今更ながらジョージ・オーウェル「一九八四年」を初読している旨Xにポストしたら、この作品を初めて読んだのが1984年より前だったという御仁の声に触れることができた。当時それは未来にあったわけで、それは今遠い過去になっている。作品世界を未来として味わい、今として味わい、過去としても味わえる人生というのは、なんとも豊かだ。

山田太一さんは昨年逝去されたが、先に引いた一節の「異人たちとの夏」は、今ここにも読まれている。それを原作とする「異人たち」が、このほどイギリスで映画化され、今週末に日本で公開される。ある人が完成させた作品が、変化する世の中に投じられて、時代を超え、変化に反応して、いろんな人のもとで咀嚼されて広がる波紋の行方に、心を揺さぶられている。

*山田太一「異人たちとの夏」(新潮社)

2024-04-18

絆創膏の陳列棚に3つの顔

先日、近所でずべべべべっとすっ転んでしまって、指に擦り傷と、脚に打ち身の軽傷を負った。子どもがよくやるやつだが、歳とると、すっかり青タンが消えるまでに下手すると一年かかるから恐ろしい。そういうすってんころりんを、最近は1年に一回ペースでやらかしているので、消えては作り、消えては作りである。

今回転んだときは、ちょうど通りかかった車が真横に止まって、運転手の男性が窓をあけるや「大丈夫ですかー?」と声をかけてくれた。How are you?と聞かれれば、Fine, thank you. と答えるよう条件づけられている私は、すかさず「大丈夫です」と答えていた。まぁ実際、一人で立ち上がれる程度だったのだが、車は私の返答を確認して、労りの笑みを浮かべ、颯爽と走り去っていった。

その声がけ一つで、転んだ私の心はどれだけ救われ、身を立て直す支えになったことか。道端で転ぶのって、ものすごく原始的なところで、心らしきものが傷つく、しょんぼりするのだ。これを立て直すのには、他者の力が効く。転んでいる人を見かけたら、声をかけよう、みんなで声を掛けあって労りあって生きていこう。そんな思いを新たにする。

足のほうの打ち身は、青タンが浮き出てくるまでに1.5日くらいかかった。1年くらい前に転んだときは、1.0日後だった気がするのだが、「ねぇ、延びてない?さらに反応遅くなってない?」と、わが肌に突っ込む。まぁ、年々そうなっていくものなのだろう、のんびりいくのだ。これから、すっかり消えるまでに一年がかりの長旅である。鷹揚に構えるのが吉。

指の擦り傷のほうはというと、これは分かりやすく転んだ直後から痛む。これはさすがに絆創膏が必要だなと、転んだその足でコンビニまで歩いて行って絆創膏を買い求めたのだが、レジを済ませて早速小箱をあけてみると、平面のそれではなく、チューブの形をした固体がぽとっと出てきた。

なんだ、これは。よくよく調べてみると今どきの絆創膏売り場には、スタンダードタイプのほか、湿潤療法タイプ、液体タイプの3種類が並んでいるらしい。チューブ型のそれは3つ目の液体タイプらしく、患部に塗ると、それが絆創膏の機能を果たしてくれるということのようだ。

なんとなく心許ない気もしながら、とりあえず買ってしまったのだからと使ってみた。消毒をした指に、オロナイン軟膏のようにして塗りこむ。しかし結局その日の夕方にはドラッグストアに出直し、スタンダードタイプの絆創膏を買い求めてしまった。

もう一つの湿潤療法タイプというのは前に試したことがあるが、これもやっぱり保守派の思考か嗜好か指向かがじゃまして、今回手が出せなかった。

湿潤療法(別称モイストヒーリング)タイプは絆創膏が治療してくれるようなもので、値段は張るが、治りが早いとか、傷跡が残らないとか、テクノロジーがのっかったもの。「これこそ人類の叡智だよ」と言われれば「立派なものですな」とは思うのだけど、いざ自分で使ってみると傷口のモイスト感に身震いしてしまって、無理無理、私はのんびり行きます、市道で行きます、各駅で行きます!と途中下車してしまう。

スタンダードタイプがいまだに店頭に幅をきかせて並び続けているのは、価格が安いというだけでなく、従来のスタンダードタイプで治したいという保守層がかなりの数でいるからこそだろう、きっとそうに違いないと、店頭の棚を眺めながら心強く思った。

ともかく、これから転倒に対しては一層構えていかないといけない。これの命取り度は増していく一方だ。週末、父に「その指、どうしたんだ」と問われて(めざとい)、「いやぁ、道端で転んじゃったんだよ。ずべべべべーってさ」と言ったら、うひゃひゃーと笑っていた。みんなで互いのすってんころりんを笑って労わって、あるよねぇってシェアして励ましあっていこう。

2024-04-16

春、2日だけ教壇に立つ

ひょんなことから大学で2日だけ授業を受け持つことになり、これの準備で水面下のじたばたを続けているうち、4月前半が過ぎていった。昨日、今日で90分×2回の本番を終えて、ようやっと一息ついたところ。

自分がとても「大事なことだ」「若人たちに伝えたいことだ」と思っていることが授業テーマであっただけに、「それを、おまえが伝えられると思っているのか」という自分ツッコミが速攻で返ってくる。一人芝居が続いた。

「いや、その器でないことは重々承知の上ですよ。そこを、自分という等身大をわきまえた上で、この演者をして、どう伝えたら届くか」を組み上げて、脚本も演出も事前に考え抜いて臨むということですよ。作、演出、監督も、ぜんぶ自分でやるチャレンジということです」、そう食い下がる自分Aに対し、「ふむー、そこをわきまえての挑戦ということなら、じゃあ、やってみぃ。途中で根を上げるなよ」と自分B。一人やんややんやして、本番までの準備に明け暮れたのだった。

一つの教室に150人入るから、同じ授業を2日に分けて300人に行うということになったのだが、300人に90分でものを伝えるというのは、大変なことである。

少なくとも私のような人間には大役すぎる話なのだったが、依頼くださった教務の方と話す中で「誰が適任か、より適任の教え手がいるのではないか」という問いはついてまわるけれど、この柔いテーマについて言えば、敏腕のクリエイターを連れてくれば一番うまくいくというのじゃない。それはそれで、そうなのだった。

ここは暫定的でも、これってものすごく大事なことなんだと、それをみんなに知っておいてほしい、こんなふうにわかっておいてほしいのだと、言葉を尽くし、趣向を凝らし、心を込めて届けられる人が、壇上にあがって一所懸命伝えるというゼロ→イチを立ち上げることが大事なんじゃないかと。それができる人が、暫定的に適任者なんじゃないかと。

そんな話をして、そうだなって励まされたのだった。その思いを汲めば、私は暫定的な適任者という役割を担って、務めを果たしたかったのだ。

それにしたって先生というのは、作、演出、監督、俳優、ぜんぶ自分。改めて脱帽した。

脚本をどこまで用意するか、スライドをどう機能させるために何を入れ込んで何は書き込まないか。演者としてどう立ちふるまい、どう学生と関わるか、どこでは一人しゃべりして、どこで相手の表情をうかがい、どこでどんな質問を投げて、どこでは問いかけにとどまらず相手の意見を発してもらうか。それを90分という枠組みの中で時間配分して、メリハリつけて、大事なところがきちんと伝わるよう差配していかねばならない。

私は裏方業として、授業設計はあれこれしてきたけれど、壇上に上がってのパフォーマー経験は乏しい。ふだんから先生をしている方は、上のようなごにゃごにゃしたことを現場決着させながら差配できるところも多分にあろうけれど、私のような単発&演者経験が浅い講師のばあい、舞台作りのように事前の作り込みをどうやっておくかが、ものを言う。

とりわけ、時間感覚が乏しいのが難点だ。どう話したら延長せず、早く終わることもなく、90分ちょうどの時間におさまるかがわからない。なので、これはもう脚本を書くしかないと、一通り書き出してみる。この話に3分、これに1分かかるのかと、しゃべってみれば具体的な数字が見えてくる。ありゃ、これにこんな時間かけている場合ではない。もっとあっちのほうに時間を使うべきところだ。調整、調整。

さて、ここで個々人に考えてもらうのに3分、もうちょっと考えたいという人がいたら、もう2分追加できるようにして5分とっておこう。その後、数人で見せ合いっこしながら意見交換してもらうのに、このケースだと10分ほど確保したい。自分の話、みんなの時間、積み重ねていくと、ふむ、これで全部が85分くらいで着地する。

そこの目処がついてからも、今一度全体を見渡してみる。何度読んでも、自分の台本の粗が目につく。何度読んでもだ。この言い回しでは伝わりづらい。こう説明したほうがいいのではないか。これは、さっきの話と重複している、取ろう。構成をこう入れ替えたほうが流れがいいよな。

何度見ても「修正するところなし」に至らない。90分のセリフを覚えられるわけでもなければ、覚えてその通りしゃべりたいわけでもない。しかし、自分が当日できるだけ自由にふるまえるようにするためには、この右往左往プロセスを踏むほか手段がない気がしたのだ。

そんなこんなで2日間終わるまで落ち着かず。それが今日をもって一段落した次第。ともかく、悔いは残すことなく終えることができた。みんな熱心に話を聞き、参加してくれて、ありがたかった。今は、自分で自分を褒めてあげたい小者感をじわじわ味わっている。一息いれて、今年度もちょこまか人様のお役に立てるように頑張ろうと思う。

«防潮堤がないから、とにかく逃げる