活かすか捨てるかは若者が判断すればいい論
自分と同世代か、その周辺の、年齢にして40〜60代くらいの人たちが、「自分たちのやり方は今の時代にそぐわないだろうから、若い人は若い人たちのやり方でやったらいい」というのに、「ちょっと待った!」と思うことがある。
実際そうすべき現場やシチュエーションというのも、世の中には多分にあるのだろう。現場現場で個別具体の事情が異なるから、長いこと不特定を相手にもの言う気にはならなかったのだが、ここでぼそっと書きながら自分の脳内にうごめく考えを整理してみたい。
私は「その取捨選択って、年輩の自分たちが判断することじゃなくない?」って胸がざわつくことが、ままあるのだ。
次の時代・次の世代に「それまでのやり方、考え方」が使えるのか使えないのか。ちょっと応用することで使いものになるから基礎としては知っておきたい、身につけておきたいことなのか、そういうものじゃないのか。断じて使いものにはならないが、それを下手に使わないためにも年輩者からじっくり教わっておくのが得策か、話半分で切り上げたいか。そうしたことは、受け取る側の若者が判断することであって、受け渡す側の年輩者が判断つくことじゃなくないか?と。
それを、何を勝手に、自分にその判断ができると思い込んで、あれもこれも渡す前から「若い人には使えないもの」と決めこんで、「教えない、伝えない、授けない」に、謙虚な風情で断定しているのだ?と。
アナログな作り方。基礎から作る工程や要諦。一定のストレスを自分にかけて突破していく面白さ。見知らぬ人と仕事を通じて出会い、少しずつ信頼関係を結んでいって志しが通じ合い、活動を励まし合って多様な世代と親しんでいく楽しさ。自分ひとりではできなかったり思いもよらなかったことを、勤め先や業界の後ろ盾をもって自分が社会的役割を果たしていくやりがい。
そうだな、こう書いていると私は「自分が経験的に嫌だった、不毛だと思ってきた」慣習などを、年輩者が自分のところで断ち切っている様をみても、別に「ちょっと待った!」とは思わない。
どういうときに「ちょっと待った!」と思うのか自己洞察してみると、自分では経験的に「楽しかった、面白かった、充実感をおぼえて今も自分はそのやり方、生き方を大事にしている」ということを、若者に教えない、伝えない、「いやいや、今の若い世代は違うんでしょう?」と勝手に決めつけて「私らおばさんおじさんは、とち狂っちゃってるけどさ。気にしないで若い衆は若い衆で自分たちの楽しいこと自由にやんなさい。押しつけたりしないから」みたいなことを見聞きする場面だ。
そんなに世代で全部を言い切れるもんじゃなかろう?人間という生き物は、ひと世代でそんなにがらっと一斉に、興味関心を総入れ替えして、画一的に性質を変えるものだと思うのか?と。
それを、さも自分が寛容で賢明で、新しい時代精神をわきまえている人間のようなふるまいをしているのに「ちょっと待った!」って思っちゃうのだ。
自分は上の先輩たちから、上の先輩たちはさらに上の先人たちから、たくさんのものを教わり、たくさんの人や新しい機会との出会いを授けられてきたのに、なぜその伝承・継承のあれもこれも思慮浅く、自分のところで断絶していいと思っちゃうのか。その判断の根拠は、どれほど確かなものなのかと。
とりあえずは押し付けでなく若者に伝えてみて、それをどうするかは若者に判断を任せたらよかろう。そうしたものが、今伝えることを差し控えている年輩者の「楽しい」「面白い」「有意義」な経験の中に、まだたくさんあるのではないか。
いらなかったら若手が捨てる。いるなら若手が活かす。今流に改良を加え、自己流にアレンジして活かすものもあろう。なぜ、そのリソースの提供を出し惜しむのだ。押し付けでなく、いったん教えてみたら、伝えてみたら、披露してみてもばちはあたらないんじゃないかと。
勝手な決め込みをはたらく腹のうちを探っていったとき、実は「教えたくない、自分の仕事や役割、ポジションをとられたくない」という保身のためであったり、「教えるのが面倒くさい、面倒くさい人と思われたくない、自分のことだけこのままやっていたい」という怠惰のためという自分都合ってことはないかと。
もしそうだとすると、これは一度じっくり考えてみたほうがいい案件だ。自分は分をわきまえた賢明で寛容な人間だから、老害をはたらかず若手を自由にしてやっているのだと思い込んでいる場合、そのまま行った先で自分自身のキャリアが急に断絶してしまうリスクもある。
率先して引き継ぐ、教える、伝授する、そうして徐々に自分の役割や立ち位置をずらしていく。空いた時間で他をやってみる体勢にシフトしていくほうが、実はキャリア選択の柔軟性が帯びていって、仕事を長く続けやすくなったりするかもしれない。逆に、出し惜しんで自分の仕事を自分の手のうちに囲っていると、その仕事は組織の中で価値を停滞・後退させていって、気づいた時にはどうとも選択肢を失っているかもしれない。
実際には、丁寧に年輩者から若手に教えている現場というのがいくらでもあるのだろうし、へんな言説がメディアにのって悪目立ちしているだけだとも思うのだけども。
自分の脳内をこうして探ってみるに、自分が面白いと思って生きてきたことは、若者にも出し惜しみせず、まずは教えたれよ、共有してみようよってことかな。自分は先輩たちにたくさん教えてもらって、今ここにいるのだから。









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