2019-11-11

[共有]プロフェッショナルへのキャリアパス5段階

何らかのプロを目指す方が、自分のキャリア開発上の現在地を確認し、これまでの道のりを振り返って、今後すべきことを一歩踏み込んで検討するための補助ツールを作ってみました。

プロフェッショナルへのキャリアパス 5段階

使い方としては、リンク先のシートをダウンロードして、大きなA3紙で出力。自分が該当すると思う項目を□→■に塗りつぶして、現在地を把握する感じ。

リクルートワークス研究所所長の大久保幸夫さんの「キャリアデザイン入門[II]専門力編」*を読んでいたら、自分なりに整理したくなって、表にまとめつつ、自分なりの考えも盛り込んで肉づけてあったりする代物です。

5段階の
1.仮決め/見習い
2.腹決め/独り立ち
3.安定/活躍
4.開花/個性化
5.円熟/無心
は、この著作で紹介されている体系のまま。各段階の解説は踏襲しつつ整理してみました。

5つの段階ごとに、こういう「スタート地点」から始まって、こういう「活動・経験」をして、こういう「到達点・収穫」があるけれど、こういう「未成熟な部分」が残っているステージだよねっていうのを言葉に起こしています。

その下に、各段階の「キャリアデザイン上、大事にすべきこと」をちょこっとメモしました。

あくまでたたき台ですけれど、何もない状態で自問自答するより考えやすいねってことで、ご自身の考えを深めたり広げたりするのに、自由にお役立ていただければ幸いです。

また、部下との面談や、仕事仲間とキャリア話をちょっと掘り下げて話しこみたい夜とかにも使いものになったら嬉しいかぎりです。

*大久保幸夫「キャリアデザイン入門[II]専門力編 第2版」(日経文庫)

2019-11-04

[読書メモ]インタフェースデザインのお約束

先日ここでも取り上げた「インタフェースデザインの心理学」と同シリーズの新刊「インタフェースデザインのお約束 -優れたUXを実現するための101のルール」を、縁あって頂戴することに。

これまた良書だった。副題にあるとおり「優れたUXを実現するための101のルール」が詰まっている本なのだけど、UXデザインといって「ユーザーに驚きや感動を与えようとする前に、ユーザーのストレスを一掃せよ。話はそれからだ!」というような。んなこと書いてないけど…。

「フォーム」の章に40ページ近くの紙面を割いていたりして、サイトやアプリを使い勝手よく提供するのに欠かせない視点、実装願いたいものの具体的な指摘が勢ぞろい(実装方法がこと細かに書いてある本ではない)なので、ぜひご興味ある方はお手にとってみてください。

「インタフェースデザインの心理学」とは著者は違うのだけど、体裁は共通していて、101のルールが1〜3ページごと紙面を割いて、簡潔明瞭に解説されるテンポの良い一冊。

事例も多く含まれ、「見せて納得を得る」ことに心を砕いているし、最後にポイントが3〜4コ、箇条書きされているのもシリーズ共通のよう。

101各項のポイントが、本当によくポイントをついた箇条書きになっているので、時間のない玄人層はポイントだけ読んでいって、ん?と思うものだけ本文に目を移す読み方でも良さそう。

あと、「〜の心理学」著者のSusan Weinschenk氏以上に、今回の「〜お約束」著者、デザインにかけては純粋主義者(ピュリスト)を自認するWill Grant 氏は、単純明快で単刀直入な物言いをする印象。

まえがきで、

「これには賛成できない」と思えるルールもあるかもしれないが、それはそれでかまわない。なにしろこれは私が自説を披露する本なのだ。

と断りを入れたうえで、中身はばっさり、ぐっさり、小気味よく展開していく。「は、やめろ」「は、やめておけ」「なんて禁物だ」「なんて言語道断だ」「など作るな」「など使うな」が、あちらこちらに。べらんめえ口調?だが、頼れる兄貴的なテンションで読むと、気持ちよく読める。

ご指摘は実にまっとうなベスト・プラクティスのオンパレード感がある。1ユーザーとしては、指摘されるアンチパターンのどれも納得感がある。

作る側として読む立場にあっては、私のように頷いて読んでいるだけではなく、一通りを自分の作るプロダクト・サービスに埋め込んでいかなきゃいけないので大変だろうけど、101のうち、できていることはささっと読んで、できていないことをピックアップして自分の品質チェックリストに取り込んでいくように読めば、ぐっとアウトプットの精度をあげられるのではないか。

知れば簡単に実装できるものも、知ったところで実装するには一手間二手間かかりそうなものも含まれているけれども、知らないでは済まされない観点という意味では、一通りなめておきたい知識だ。

エピローグの章に、「ブランド」になど振り回されるな、という項がある。10億人規模の顧客を擁するグローバル企業のメガブランドと違って、多くのUXデザイナーが手がける「ブランド」なんて、誰も気にも留めないものだと言いはなった後、

ユーザーが着目するのは、あなたの製品あるいはサービスを利用すると何がやれるのか、あなたの製品が暮らしをどう改善し、生産性をどう上げるのか、といった点だ。つまり、あなたの製品(サービス)を利用する際のUXそのものがブランドとなる。そんなUXのデザインを担当するのは、だからマーケティング担当チームなどではなくUXのプロでなければならない。

と、落とすかにみえて、UXデザイナーを鼓舞している一節が印象に残った。

翻訳も安定のクオリティ。図版まで丁寧に翻訳してくれている。「金科玉条」(きんかぎょくじょう)とか、「苦心惨憺」(くしんさんたん)とか出てきて、手練の業を感じた…。感想や誤植もご報告してお役目も果たせた感。今回は、シリーズにして初だと思うけれど、大型本ではなく単行本サイズ。この週末、気楽に持ち歩いて読めました。

2019-11-02

「仕事は経験でしか学べない」と言いつつ、教える側にまわると講義に終始しちゃう問題

仕事は、経験でしか学べない。自分は現場で学んできた。と確信しているものの、自分が教える側にまわると、研修とか勉強会とか"現場から離れた"ところに学習者を呼んで、講師・講演者として話を聞かせる活動に終始してしまう、ということはないだろうか。

マネージャーとして部下の育成施策を講じる場合でも、メンバーをセミナールームに集めて、とりあえず講義、とりあえず研修をやろうという施策に、思考が閉じてしまう。

エキスパートの話を聴く中に、学びがある。これはこれで、確かなことだ。けれど、それはあくまでパーツの一つであって、それで学びが完遂するわけじゃないのは、誰もが知るところ。

ここで「話を聞いた後、伸びるか伸びないかは本人次第、あとは本人にしかどうしようもないでしょ」というのは早計で、「話して聞かせる」以外にも、他者の能力を伸ばすアプローチはいろいろある。

なぜ、教える側にまわったときに講義に終始してしまうか考えてみると、ざっとこんな要因が思いつく。

1. 講義以外の方法を知らない、思いつかない(知識不足)
2. 講義以外の方法は手間がかかるので、やる気・時間がなく手が出ない(時間・動機不足)
3. 講義以外の方法をうまくやる専門性がないので、できない(スキル不足)

そもそも、それを教える専門家ではなく、それの専門家なのだから、当たり前といえば当たり前の話。端的に(〜不足)と分けてみたが、こう表現するのも落ち着かない。

ともあれ、ここでは導入とも言える1を取り上げて、一枚のスライドを紹介したいのだ。マーク・ローゼンバーグ氏が"The Best Training is No Training" という題目で講演したときのスライドの1枚を取り出して意訳してみたもの。

Marcrosenberg

けっこう前に見たものなのだけど、印象的だったので、折りにふれ思い出すスライドだ。

これで共有したいことを2つ書き起こしてみると。

●育成施策には、Training(いわゆるフォーマルな研修、体系だてたカリキュラム)だけじゃなくて、ツールやソーシャルメディアを活用した支援もあれば、コーチングやメンタリングもあるということ

●学習者の習熟度合いによって、適する育成アプローチは変わる。Trainingは初心者には有効だが、習熟度が上がっていくにつれ、Trainingの必要性は減じていく。逆に、コーチングやメンタリングといった、インフォーマルで個別的な支援が有効になってくるということ

なので、自分が教えたい、育てたい相手が、習熟度としてどこに位置するのかを想定した上で、どういう育成施策が効果的なのかを、Trainingというアプローチに閉じずに発想するのが肝要だ。

「経験でしか学べない」という実感・実体験が、自分の中にあるならばこそ、教える側にまわったとき、「いかに話して聞かせるか」に閉じないで「いかに経験させるか」を問い、現場環境を中心に据えた育成施策の全体像を構想してみるほうが理にかなっている。

で、1はいいとして、2(時間・動機不足)や3(スキル不足)をサポートするところこそ、私の本領発揮しどころだ。人材育成を生業として、学び手も、教え手も、より専門的に手助けしていけるように鍛錬し続けていきたい。

*上記のスライドそのものはネット上で見つけられなかったが、ご本人の弁はこちらで確認できるので、ご興味があれば。
Marc My Words: New Ways to Enable Learning | Learning Solutions

2019-10-24

「Web系キャリア探訪」第15回、現代版しなやかなキャリアの歩み方

インタビュアを担当しているWeb担当者Forumの連載「Web系キャリア探訪」第15回が公開されました。今回は、Chatworkでプロダクトデザインを手がける守谷絵美さんを取材しました。

「デザインへの情熱は途絶えない」
WebサイトのデザイナーからWebプロダクトのデザイナーに転身した「しなやか」な生き方

守谷さんとは、ずいぶん前からお知り合いなのですが、じっくりお話しする機会がなかなかもてずじまいで来ていたので、今回たっぷりお話を伺えて大満足でした。

Webデザイナーからプロダクトデザイナーへ転身する、しなやかで自然体のキャリア話には、無理なく取り入れたいポイントが詰まっていました。

また、キャンペーンページ制作に感じた虚無感とか、3.11を契機に変わりゆく広告やデザインまわりの価値観とか、時代背景とともに自身のキャリアを振り返って、手探りで言葉に表していく感じが読みどころだなと思っています。

聞き手の森田さんがまた、当時の業界全体の空気感のようなものを関連づけながら合いの手を入れて、守谷さん個人のキャリア話に奥行きをもたせているのが、よい感じです。

デザイナー職に限らず、「現代版のキャリアの歩み方」のポイントがたくさん詰まっていたなぁとも、取材後に振り返りました。その辺りを、最後の「二人の帰り道」(編集後記のような文章)にしたためましたので、最後までおつきあいいただければ幸いです。お時間あるときに、ぜひ。

2019-10-20

「内容より、まずデザインをどうにかしましょうよ」と推したいときの説得材料

自社のウェブサイトをテコ入れしたいとき、「コンテンツが先か、デザインが先か」という問題が浮上したとする。一気に両方をどうにかすることはできない。優先順位をつけて、「今期はこっちをやって、そっちは来期予算でやりましょう」と、時期を分けて取り組まなきゃいけない、としよう。

そのとき、コンテンツを見直したい勢と、デザインを見直したい勢が出てくる。話し合いは平行線、互いに引かず、根性比べの様相。

とまでややこしい状況じゃなくても、一人の頭の中で、どっち先行で手をつけるべきかを根拠づけなきゃいけないシーンはあるかもしれない。ないかもしれない。よくわからない…。が、もしあったとしたら、次の研究結果は、話し合いを建設的に進める役に立つかもしれない。

エリザベス・シレンスの研究チームが、高血圧症の患者を被験者に、高血圧に関する情報をウェブで探してもらったところ、こんな研究成果が得られた。(*1)

人はまず、信用できないサイトを「デザイン」でみて排除してから、残ったサイトについて信用に値するかどうかを「内容」をみて判断するという。

Photo_20191020151501

確かに、自分のウェブ検索行動を振り返ってみても、何か調べものをするときは、Google検索で上位にあがってくるページの数々をざざざーっとタブで開いていった後、まずは「信用できない」第一印象を受けるところを削って、絞り込み作業をしていたりする。フォントやレイアウトや色といったデザインから受ける漠とした印象から、まともそうで読む気がするところを厳選してから、内容を読み込んでいくステップを踏んでいる気がする。

とすれば、「デザインのテコ入れが先行」ということになる。

コンテンツの充実を先行したところで、デザインに問題があれば、まず見てもらえず意味がない。デザイン上の問題を先行して解決するのが賢明でしょう、という話。

とはいえ、「デザインの問題」が致命的なものでないかぎり、そう話は単純じゃないんだろう。デザインもそこそこ、コンテンツもそこそこというときに、この話がどれくらい使えるものかという現実問題は頭に浮かぶけれど、まぁ何かに使えることもあろうかなと、ちょっとスライドにしてみた次第。

これを踏み台にして、定量調査として「アクセス解析すると、〜から来訪したうち○%の人が1ページ目で離脱しているんですよ。見た目の第一印象で「信用できない」と判断されていることが懸念されます」というのとか。

定性調査として「同様の調査を、当社の事業領域をテーマにユーザーテスト形式でやってみたところ、○%の人が当社のサイトを「信用できない」と判断して1ページ目で離脱してしまったのです」とかいうのを入れて、肉づけていく感じなのか。

世の中そんな単純に話は運ばないのかもしれないけど、何かの検討の一助になればということで。

*1: Susan Weinschenk(著)、武舎広幸+武舎るみ+阿部和也(訳)「インタフェースデザインの心理学 ウェブやアプリに新たな視点をもたらす100の指針」(オライリー・ジャパン)

2019-10-09

[読書メモ]インタフェースデザインの心理学

スーザン・ワインチェンク著「インタフェースデザインの心理学 ウェブやアプリに新たな視点をもたらす100の指針」(*1)を読んでいる。翻訳本が出たのが7年前になるのだけど、今でも増刷を重ねている名著として知られる(のに今はじめて読んでいる)。けど、これは本当に名著だ!(遅)

おもしろく、わかりやすく、しっかりした根拠をもって、インタフェースデザイン実務に役立つ100の指針を丁寧に解説しているところが素晴らしい。

一言で言えば、そういうことなのだけど、この本のすごいところを個人的にもう少しくどくど書き連ねるなら、書いてあることを、この本づくりの中で体現して、手本として成立させているのがすごい。

この本の読書体験をもって、読者はその実践例を目の当たりにし、その指針を取り入れることの効果を十二分に体感できる仕立てになっている。つまり、この本のインタフェースが素晴らしい。

副題に「ウェブやアプリに新たな視点をもたらす100の指針」とある通り、この本は心理学の知見を「ウェブやアプリ」を作るのに役立つエッセンスに落とし込んだものなので、全部が全部、「本」という体裁に持ち込めるわけじゃない。けれども、本にも共通するエッセンスを多く含んでいて、それが余すところなく、この紙面で体現されている。

あらゆる標題や見出しが洗練された言葉で付けられているし、各項目のポイントは4つ以内に整理されて簡潔明瞭に示されているし、具体的な言葉や絵を見せてわかりやすく&記憶に残りやすく例示する工夫も随所にあるし…。

読者である私は、書かれている指針そのものに理解を深められるのはもちろんのこと、この紙面でもそれが実践されているからこそ、私の中に今この深い理解が成立しているのだという重層性に思いを馳せ、インタフェースデザインの心理学に基づく指針に倣うことの価値を実感させられる作りになっている。

10章100項目にわたる指針は、1項目2〜3ページくらいで小気味よく語られていくのだけど、私がこれまで読んだ中で最も心打たれた項目が、「人は物語を使って情報をうまく処理する」である。この項目は、こんな書き出しで始まる。

何年か前のある日、筆者はユーザーインタフェース関連のデザイナーが集まるセミナーの講師を務めました。部屋は満杯でしたが、参加したくもないのに上司の指示で参加している人がほとんどでした。

こんなふうに、「いきなり理屈」ではなく「著者の物語り」から、新たな項目が書き起こされている。

物語は、この項目の中で示されている通りに、「場面設定、登場人物、状況や(主人公が立ち向かう)障害を聞き手に説明」していく流れをたどっている。読者の私は、これを読んで「筆者はこの後、やる気もない参加者にどう立ち向かっていくのか」と、物語の次の展開が気になる。

それで自然と、その先を読み進めていく。すると、筆者が「物語」の力を使って、参加者の注意を引きつけ、このセミナーを成功におさめる着地をみる。その様子を、私たち読者に物語った後、こう続ける。

さて、ここまでの話も立派な「物語」であることに気がつきましたか?物語には説得力があります。相手の注意を引き、その後も気をそらさせません。しかし、それ以上の力もあります。物語は、人が情報を処理するのを助け、物事の関係を伝えてもくれるのです。

ここまで読み終えたとき、私は今しがた筆者の物語を読んだ体験をもって、物語には説得力があること、相手の注意を引き、その後も気をそらさせない力があること、人が情報を処理するのを助け、物事の関係を伝える力ももつことに、疑いの余地なく腹落ちした状態になっている。

しかも、こうした物語の挿入は、この「物語」の項目のところだけにとどまらない。100の指針のいろんなところで、著者の物語は書き起こされ、挿入されている。そんな書き出しに出会うたび、厚ぼったい本だけど、読み物を楽しむようにページをめくっていける物語の力を、読者として体感する。

自身の読書体験を通じて、「あぁほんとだ、筆者がいうとおりだ」と思う。「物語は人が情報を処理するのに適した自然な形式」であり、「物語を使えばわかりやすく、興味深く、記憶しやすいものになる」という物語の効果を、ひしひしと感じるのだった。

いちいちそれぞれの指針に自分の物語をこしらえるなんて、実に大変な仕事である。この重層的で、丁寧な本づくりに感服する。

そんなわけで、この本は私にとって、一冊で三重においしい本だった。まず、自分がサポートする対象の人たちが学ぶべきサイトやアプリのインタフェースデザインについて学べる(支援対象の学習テーマ)。

次に、私こそが学ぶべきインストラクショナルデザイン(私自身の学習テーマ)とも領域がかなりかぶるので、そこの指針としてもおさらいや知識補完ができる。

さらに先に述べた通り、この本自体の読者に対するインストラクションが見事で、事例として素晴らしい。何を具体例に示して納得を得るか素材選びもドンピシャだし、説明にどんな言葉を用いるかもシャープで、教え方や伝え方の手際も良く、素晴らしい学習体験だった。

ちなみに、まだ少し先が残っているけれど、今のところ(ラジオリスナー的に)この本の中で一番テンションが上がったのは、「人はどう見るのか」という章の中にあった一節。

あるものを実際に知覚しているときよりも、それを想像しているときのほうが視覚野の活性度は高くなります[Solso 2005]。活性化する領域は同じなのですが、想像しているときのほうが活性度が高いのです。ロバート・ソルソの説によると、刺激となる物体が実在しないため、その分、視覚野が奮闘しなければならないとのことです。

「実際にものを見ているときより、目の前にものがない状態で想像しているときのほうが、脳の視覚野は活性化している」というのだ。全ラジオリスナーにシェアしたい!と思った。

Susan Weinschenk(著)、武舎広幸+武舎るみ+阿部和也(訳)「インタフェースデザインの心理学 ウェブやアプリに新たな視点をもたらす100の指針」(オライリー・ジャパン)

2019-10-08

大きな街の、小さな親切

都心はターミナル駅を筆頭にして、ちょっと困っている人との遭遇率が非常に高い。目線を周囲に向けて歩いていれば、一日に一度はあっという場面に遭遇する。そこで、さっと手助けできれば一日一善くらい、たやすく達成できるレベルで、ちょっと困っている人に遭遇する。

人助けをさほど特別なものととらえず日常的にしている人は、道案内をしたとか、切符を買うのを手伝ってあげたとか、拾い物をして届けてあげたとか、優先席じゃなくても席を譲ってあげたとか、そういう親切をいちいちSNSに書き込んだりしない。

ときどき、そうしたことがSNS上で話題になるけれど、小さな親切の多くは、ネット上に記録されていないのだろうと思っている。不親切のほうが記録化されやすいのでは?とも。

小さな親切を当たり前にする人は、特別なことをしたと意識に刻んで反芻することもなく、あちこちに誇らしげに語ることもない。だけど日々そうしたことは、街のいたるところで実はあるのじゃないかな。私はそんなふうに東京をみている。

週末に会った同い年の友人は、そういうことを当たり前の所作としているような人で、そういう生き方をして歳を重ねてきた友人と話していると、とてもよい刺激をもらって、快いものが心のうちに浸透していくのを感じる。

私はまだ、道半ばにいる。あっと気づくと、さっと動けることは多くなったけれど、まだ自分の中で、よいしょって気持ちを起き上がらせて取りかかるようなこともある。躊躇して、結局動けずじまいになってしまうこともある。

それでも、ずいぶん変化しているのは確かだ。

以前は、街中で人助けするなんて1ヶ月に一回あるかないかくらいだった気がする。けれど、少し前を振り返ると1週間に一度くらいになっていて、そういえば最近はというと2日3日に一度くらいはやっている感じだ。

駅の改札口で困っている観光客を誘導したり、白杖を手にきょろきょろしている人に声をかけたり、ものを拾って届けたり、駅中や街中でなんやかんや、ちょいちょいやっていることに気づく。

そんな頻繁にあるかって話だけど、とにかくすれ違う人の数が多いし、土地に不慣れな人の行き来も多いから、都心の駅とか街とかって驚くほどそういう場面との遭遇に満ち満ちているのだ。

目を光らせてすべてに手を出していったら、いつまでも自分の目的地に到着できないんじゃないかとすら思う。だから自ずと、困っている人に無反応になっていってしまうとも言えるかもしれない。

今は、「よいしょ」くらいの感覚を覚えながら手を出すこともあれど、自然と気づいたら声をかけていることも増えてきたし、どっこいしょとか、よっこいしょってレベルで意を決して親切な行いに挑む心持ちもなくなった気がする。完成形まで、もう少しだろうか。

あとは慣れの問題という気もする。過去経験したのと同じようなシチュエーションだと無意識に手が出たり声が出ているのだけど、新しいシチュエーションだと検討モードに入ってしまったり。

でも、そのシチュエーションも対応レパートリーが増えていくと、さして似ていない状況下でも、あっ、さっ、ぱっと動ける応用力がついてくるらしい。こういうのにもキャズム超えみたいなタイミングがあって、一気に爆発的な成長を遂げる、とかあるのだろうかと期待してしまう。

細心の注意を払って探しまわる気合いもなく、毎日一日一善を成し遂げるぞ!という志しもない。ただ普通に日常生活を送って街中をてくてく歩いている中で、困っている人に遭遇したら自然とそれに気づける人でありたいし、あっと気づいたら当たり前に、さっと動ける人でありたい。

問題が大きくなった先に勇者が現れて人々を救う物語より、小さな親切をする街の人がそこかしこにいて問題が大きくなる前に互いが困りごとを摘みあっていく、そういう物語のほうが、実際に日常を営む街の住人としたら、断然いいと思うんだよな。地味だけど、みんなが主役だ。

まずまず、いい調子である。このまま自分の当たり前をアップデートできますように。

2019-10-07

答えは、人との対話の中にある

部署異動して1週間。実質は10月に入る少し前から、社内の仕事比率がずいぶん高まっているのだけど、それとあわせて、自分が社内でめちゃめちゃしゃべるようになっていることに驚く。この変化をもって、わりと仕事ががらっと変わった感を覚えている。

体感的には、この1週間で、自分の過去平均1年分の話量に達したといってもいいくらい。前の部署でどんだけしゃべっていなかったんだ…という話だけど、ずっと自分の話し相手は、社外のお客さんや、参画くださる講師の方がメインだったので、社内ではかなり寡黙だったのだ。

今は社内がメインなので、すぐそばにいろんな人がいるし、サポートする対象もいろいろ部署をまたぐし、近くにいる分、あぁしたらいいかな、ここはどうにかしたほうがいいんじゃないかなと、思いつく問題点・仮説・アイデアの量も増える。

取引・契約の云々関係なくさっさとやり始めたり声かけたりすれば進むことも多いので、意見出してなんぼという感じもある。

特に初めは、こちら側が出せるものを全力で出していかないと、向こうも私がどう使いものになって、どう使いものにならないか判断もできないのだろうと思うので自然と、懸念点もアイデアも仮説も言いまくり、しゃべりまくりの1週間になった。狙ってそうしたというより、自然体でそうなっていただけだけど…。

思うところを惜しみなく率直に話して、向こう側の意見も聴きまくって、腹割って話し合って、そこからこれというものを作り出すのが仕事だと思うのだけど、注意しなきゃいけないのは、相手には相手の仕事の流儀や常識というのがあって、いきなり腹割って話し出す人ばかりじゃない。考えることの量も解像度も方向性も違うし、今は自分がまだ見えていない相手に対面していることを重々自覚して、丁寧に論点をすり合わせて話を聴きだしていく、相手のことを理解していくという時間を大事にしないとなとも思った。

最初から思っとけという話だが、わりと野生の勘で生きているので、分け入って相手との対話の中で感じ取って改めるところも多分にあるのは仕方ない。これからちょっと心がけていこう。

自分が思うことが絶対じゃないし、意見を出しているだけなので、もっといいアイデアがあるかもしれないし、私のはヘタレな考えの可能性も十分にある。それでも、そのボールを投げてみたことをきっかけにして議論が深まったり、論点が整理されたり、新しいアイデアが出てきたりすれば御の字だ。

だけど、ぱっと思い切って出した意見が、「じゃあ、それで」と、そのまま通っちゃうようであれば、やり方を変えたほうがいいかもしれない。私が論破したいと思ってわーわー言っていると思われては、相手が私を勝たせてあげなきゃと思って引いてしまうかもしれないし、これまでのその人の仕事環境、仕事相手、その人が大事にしていること、大事にしていないことによって、私のふるまいの受け止め方もさまざまだろう。よい話し合いが深まるように、よい答えが生み出されるように、相手との対話の中で、自分のふるまいを見直していかないと。

先日、仕事の下調べでちょっと生身のマーケターの話に触れたいなぁと思っていたところにイベントの案内を見かけたので、「多様化するマーケターのキャリア」と題するイベント(*1)に参加してきた(といっても、前半のパネリストのお話だけ聴講して失礼した)のだけど、そこで登壇者の立川麻理さんから、こんな言葉を聴いた。

答えは、人との対話の中にある。
自分の過去の経験の中に閉じないこと。

確か、彼女が最近ドイツに足を運んで参加してきた研修か何かで学んだことだと言っていた気がするけれど(うろ覚え…)。ともあれ、今の自分に響く、いい言葉を聞かせてもらったなと温かく胸に残っている。

自分の中に閉じていないで、答えを相手との対話の中に見出そうとする姿勢を、新しいクライアントを前に、誠実にやっていこうと思う。

*1: SOCIAL INNOVATION WEEK SHIBUYAとの連動企画で、マーケターキャリア協会が主催したMCA Meet Up #02 。2019年9月18日の晩に渋谷ヒカリエ内で開催

2019-10-04

「○○人材の空洞化」問題を語るときの切り口

「○○できる人がいない」「○○人材の空洞化」といった問題提起がされるとき、話し合う人たちの間で、どの切り口で不足を問題視するのか前提をすり合わせないと、いまいち議論が噛み合わずに時間を消費しちゃうことがあるのかなぁと思って、オーソドックスな切り口を4つ整理してみたペライチ資料。

これは、Information Architecture / Information Architectの仕事を取り上げて考えたので、IAと入っています。ちょっとしたものですが、皆さまの応用力頼みで、どこかしらで何かしらになるかもと、とりあえずネット上にシェア。

Ia4

どこに実質的な問題が生じているのか。

1.この領域で「デキる人」が絶対的に少ないという問題なのか
2.チームの役割分担がうまくいっていなくて、そこがワークフローから抜け落ちちゃっている問題なのか
3.どこの領域を、どこまで守備範囲としてやるべき(とかできているかどうか)という要求水準が人によってずれていて問題視されているのか
4.どこの工程を、どこまで守備範囲としてやるべき(とかできているかどうか)という要求水準が人によってずれていて問題視されているのか

など。もっと別の切り口もあるかもしれないけど、ともかく、いろんな切り口があるから、この辺りを整理して論点を認識合わせすると、ちょっと話し合いがスムーズになるかも?ならないかも?自信は、ない。が、試みることは大事。ということで、お茶を濁す。

2019-09-29

脳内転職のつもりが、現実世界で部署異動

10月1日付けで、久々に部署異動することになった。先週金曜日に、人事通達が出た。

その少し前に上司から内示があったのだけど、その少し前からなんとなく察知していて、それよりもう少し前から、ちょうど今度の異動先で求められるような役どころに、私の仕事の軸を移行させたほうがいいのではないかという提案をまとめて、今の部署の上司らと話し始めていたところだった。

なので、渡りに船というか、そういう流れの中にあったのかもなというか。異動がなくとも、そういう役どころに舵取りするつもりでいて、今の部門の上司も、所属部署の枠を気にせず、その方向でやっていったらいいと合意していたので、私としてはこの秋から脳内転職するつもりで事を進めていた。それが、現実世界で、それをやるような部署に異動して、それをやることになったという感じだ。

9月のうちに新しい部署の上司に呼ばれて内々で話を聴くと、「これからは社外のクライアントではなく、社内に向けて人材開発の役割を担ってほしい」という趣旨の話。私は「ちょうどその話を、今の部署で話していたのです」と、自分が整理していた提案スライドを見せた。書き出しは、

自分の役立て方を変える
─クライアントを「社外」から「社内」へ

この一致には新しい部署の上司も驚いていて、やっぱりそういう流れの中にあったのだなぁと、勝手に思いを新たにした。

異動先は、半年前に新設されたできたてほやほやで、人材サービスを扱う事業部に移って(というか戻って)、「キャリア開発グループ」に所属する。なんというか、自分のこれまでやってきた仕事や専門性でいうと王道すぎる配置であり、座りはいいのかなと思う。

逆に言うと、今までしばらくなんでメディア事業部にいたんだという話だけど、まぁいろんな都合上とりあえずそうなっていただけで、私単体で、そこに必要で呼ばれたわけじゃない感は否めない。

ただ、その前からずっと、私はどこの部署に移ろうと、クライアントに研修を提供するB2Bビジネスを自分のメイン仕事として持ち歩いていたので、私をどこに置くかというのは組織上、さして時間を割いて検討すべき問題ではなかったのだ。

とはいえ所属する事業部は、私の勤怠管理や承認手続きなど面倒みつつ、私の社内人件費を受け持つことになるわけである。その事業部に対して何か貢献しているのかというと、全然役立っていない感というか、ひとりで全然別のことやらせてもらっていて、個人的にはありがたいんだけど、ひいてみてみると申し訳ない&所在ない&私はこの会社に厄介になり続けていいのだろうか問題は、ずっと抱えていた。

そういう心理状態は、Web担当者Forumの連載でも「デイリーポータルZ」編集長の林雄司さんを取材したときに吐露している…。

よくサラリーマンは年収の3倍、4倍の利益は上げないと雇う側はペイしないというじゃないですか。私もサラリーマンとして常に気にかけているものの、実際それほど稼げていません。会社としては、ペイしていないけれど雇い続けている状態。だから、もし会社から辞めろと言われたらすぐ辞める覚悟は常にもっている一方、言われないうちは会社に厄介になりつつ、自分なりの貢献のあり方を模索していこうという甘えがあります……。

というわけで、結局ずっと甘えてきたわけだ。社外の手厳しい先輩には、組織に貢献していないなんて給料泥棒じゃない?と突っ込まれたりもしていた。返す言葉もございませんとしか言いようがないなぁと思いながら、やはり会社に甘え、結局これといった変化は起こしてこなかった。会社の中の問題を何か取り上げて誰かにしゃべった後は、でもそれを自分でどうにかするわけじゃないんでしょ?という自分ツッコミが猛攻撃をしかけてきて、毎回自己嫌悪に陥った。

でも、先の取材のときの林さんの言葉を引けば、やはり「会社は一番のクライアント」なのだ。自分の勤め先こそ、自分にまとまったお金を払うだけの価値を見出してくれているありがたい存在である。私の働きに、そんな長期的に、まとまった金額を出してくれる組織など、他にないだろう。

これまでつきあいのあったクライアントの中には、私の裏方仕事に価値を見出して、明示的にありがたがってくださった方もいたけれど、それはやはり、私が自分の仕事に高額請求しない前提に立っている。私が自分の裏方仕事に対して高額の見積もりを書いて出したら、お金を出してまでお願いしたいとは思わないと手を引っ込めるクライアントが大半だろう。ご担当者が意味を見出してくれても、組織の決裁として、なかなか通すのは難しい。もちろん、それはこちら側の課題で、先方に問題があるわけじゃない。

私のような地味な働きに対して、その内訳はさほど知らないにしても、一定の価値を見出して雇ってくれるというのは、やはりものすごくありがたいことなのだ。

そこで、これまでだいぶ社内の中核事業のあれこれとは距離をおいて、単独でクライアント案件に注力してきた分、このさき半年とりあえず会社の事業のほうに向いて、これまで外で鍛錬してきた筋力を応用して、自分の働きどころを見つけては、あれこれやってみて、役に立てそうか様子をみてみようと思う。

自分のできることでいうと、一つひとつ、きちんと聴く、きちんと調べる、きちんと考える、きちんと要件と提案に展開させる、きちんと言葉に起こす、きちんと図解する、きちんと文書にまとめる、率直に物申すという感じかなと思われ、きわめて一般的な仕事力の集合体でしかないのだけど、そういうことを大事にやってきたので、そういうことを大事にやっていこうと考えている。それが役に立つ何かになったらいいなと。

すでに、新しい上司との打ち合わせでは、この辺りを意識的にやっている。打ち合わせで聴いた話を整理して、そのグループがやっている活動を整理して1枚ぺらでわかるよう要旨をまとめたり。こういう体制が望ましいのではないかと話題に挙がっていたのを図に表すなど。短時間に情報を編集して、言葉や図に展開して有形化してシェアして、次に話がつながりやすいように活動しているのだけど、なかなかこれが基礎体力の筋トレみたいな効果もあって良さそうである。

きちんと役立つようなアウトプットでないと、ただの自己満足になってしまうのでいけないが、そういう「物事を展開させるところ」が滞りやすいので、うまくそこで力になって、もやもやしているものを言葉にして顕在化させるとか、点在しているものをつなげて意味を見出すとか、滞っているものを発見して理由にあたりをつけて要因をつぶして始動させるとか、やりたいことを企画だててタスク出し&時間軸にのせてスケジュールを引くとか役割分担するとか。つなぐ、展開させる、始めさせる、前進させる、みたいな力になれるといいなぁと思う。まぁ、きわめて曖昧な役どころなんだけど。でも曖昧だからこそ社内で価値を見出してもらえる働きなのかもとも思う。

ちなみに、クライアント案件をゼロにするのではなく、今走っている案件も引き続き頑張っていきますし、新たにご相談いただける案件にもお応えしていく所存です。社内仕事も肥やしにして筋力を鍛えておきますので、社内外を問わず、お気軽にお声がけください。

また、社内に向くといっても、自社社員育成というより、人材サービス事業の人材育成にまつわるあれこれを手掛ける意味合いが強いので、事業主側として社外に向く感があります。これまでクライアント案件を手がけてきたときよりずっと自由に社外とコラボレーションする企画立案に動けると思いますし、自分が考えたことや作ったものを共有しやすいかもしれないと思っています。そういうところも、いろいろ形にしていければと思いますので、今後とも何卒ごひいきに。

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