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2012-11-19

熊野ひとり旅

和歌山県は熊野のほうへ、ひとり旅をした。熊野に行ったのも、ひとり旅をしたのも、これといって理由と言えるものはないのだが、足が向いたのだから仕方ない。前日に決めて発った。吹いてくる風の意向に沿うことは、比較的大事にしている。

それにしたって、いたるところ、ひとりが多い旅だった。ひとり旅だから当然といえばそうかもしれないが、行く先々どこもかしこも人がいないか少ないか。もっと観光客がうようよしていると思っていたのだが、バスでも駅でも通りでも、浜でも河原でも崖っぷちでも、参道から神社にいたるまで、そこら中でひとりになった。

Img2_2まず南紀白浜の空港から目と鼻の先にある白良浜に出たのだが、浜辺には人が数人しかおらず、一人あたり何百メートルか割り当てられる感じ。文字通り波の音だけを聴きながら、透き通る海をしばし眺めて過ごした。

その後、三段壁洞窟・千畳敷のほうへ海岸にそって2kmほどてくてく歩いたが、その間もあるのは車の往来のみ、歩きの人にはほとんど出くわさなかった。

Img_0423_2洞窟の中では1人、2人すれ違ったが、日の入りを眺めに千畳敷の崖っぷちに出ると、またひとり。遠くのほうに2人ほど地元ふうのおじさんを確認したが、あっちから見た私は身投げでもしにきたように見えたんじゃなかろうか。というほど、ひとりぽつねんと断崖絶壁に立っていた。が、そこから水平線に沈む夕日をひとり眺めるのは実に贅沢なものだった。

そこからまた空いた特急列車に乗って夜遅くに熊野入り。翌朝、熊野速玉大社に向かうが参道にも人影なし。鳥居をくぐってもひとり。社殿の前まで来てもひとり(巫女さんはいた)。

Img4_7Img5_6Img6_6

ここまで来ると、こりゃ実はなにか縁の深い場所で、いたるところ神秘的な力によって私ひとりの空間が意図的につくられているのでは…と妄想の一つも膨らませたくなったが、まぁ単純に人が少ないんだろう…と現実に着地。

Img7_2近くに熊野川が流れているなと思い河原に出てみた。しかし、ここもひとり。あっちからこっちまで、ものすっごーいただっ広く続いているのに、誰1人いなかった。

それから熊野本宮大社に向かうため山道を行くバスに乗るが、こちらも1時間半ほどの道中で1時間は乗客ひとり。町中から山道に入る手前でもう1人いた乗客が降りていき、偉大なる熊野川にそって山道をあがっていく間ずっと、ひとりでその景色を堪能した。図らずもバス貸し切り状態、これも贅沢すぎた。

Img9_4本宮大社の中はそこそこ人がいたのだが、そこからほど近い旧地(水害に遭う前はそこにあった)の大斎原に興味を引かれて足を運んでみると、こちらはまた人がいない。途中で2人組、3人組のグループとすれ違いはしたが、鳥居の奥に進んで神さまに手をあわせている間に誰もいなくなっていた。

Img10_4目をあけて向き直ってみたら、ただっ広い社地に人影なし。旧地は、通ってきた林の向こう数百メートル先まで様子が見えるのだが、人っ子ひとりおらず。跡地なので管理する人も特に置いておらず、神さまと私、以上という感じ。そんなわけで、そこを後にするのももったいない気がして、次の参拝客が来るまでしばしそこで過ごした。雨が降っていた。

Img_0453_3あくる日は結局、時間がなくて那智大社を詣でることができなかったのだが、とりあえずバスに乗って那智駅には行った(行く途中で、こりゃ時間がないと気づいた…)。那智駅は無人駅で、駅員さんだけでなく乗客もいなかったから、ここでもまた駅に私ひとり。

Photo_3窓の向こうには海が広がっていた。

2005-07-10

ロンドン一人旅

2005年7月、ちょうどロンドン同時多発テロがあったときに一人で訪れたロンドン旅行の話。

■2005/7/10 ロンドン一人旅の幕開け

今年の初めからお世話になっている会社では、夏休みを7~8月の間に5日個別に取ることになっている。前後に土日をつけると9日間の連休になる。せっかくお盆時期をはずして休暇を取れるなら、やっぱり海外一人旅でしょう!ということで、なんとなくピンときたロンドン行きの航空券とホテルを予約。

今日が出発の日。諸々の仕事たちを置き去りにして、とにかく発つ。数日前にロンドン同時多発テロがあったけど、とにかく発つ。というわけで、朝5時起床、6時家を出発、6時半成田エクスプレスに乗り遅れ、30分待ちぼうけの後、当日予約のため「立ち席」で成田まで立ちぼうけ。まぁま、そんな感じでゆるい旅の幕開け。

しかし、私にだって学習能力はあるのだ。前回のドイツ行きで飛行機を遅らせた過ちはもう二度と繰り返さない。空港に着くと、チェックインして手荷物検査して出国審査して、とにかくすべての手続きを早々にこなす。行けるところまで行く。いやいや、見事でした、とても普通の人でした、私。今回はキャセイパシフィックを利用して香港経由でロンドンへ。次回はやっぱり高くとも直行便にしようと思いつつ、午前10時成田発、同日午後8時頃のロンドンに到着。

テロ事件があって1週間も経っていない気難しい時期ながら、私の風貌が「こいつは何もせんだろっ、はい、次」的扱いを受けやすいことに変わりはなく、ヒースロー空港も比較的スムーズに。入国審査ではお兄さんに"Kanko?"と尋ねられ、"Kanko."と首を縦に振ったら、そのまま審査終了。

荷物検査は5つくらい質問されて少し回答に窮したけれど、"What ~?"なら目的(観光)、"How long ~?"なら滞在期間、"How much ~?"なら所持金と、頭の2語だけを頼りにとりあえず回答。が、大方当たっていたようだ。

一つ後で気がついたことには、私"How much ~?"と尋ねられた時に"~pounds."で返した記憶がまるでない。そういえば、"How much~?"だけ2回尋ねられたような記憶。そしてまた同じ答えを真面目顔で返したような記憶。私、数字はポンドなのに、単位はドルで答えてしまっていたに違いない。ずいぶん貧乏な旅行者だなと思われたか、こいつ単位間違えてるよと思われたか。大雑把に言うと1ポンド200円、1米ドル100円。実際の1/2くらいの所持金を申告したことになるんだけど、とりあえず問題なかったらしい。

さらに、ずっと6泊8日の17日帰国と思っていたんだけど、実は5泊7日の16日帰国だと旅の途中で知った私。そんな旅人を受け入れてくれた寛容な国。

■2005/7/11 ひたすら歩く

ロンドンに行くと決めてから、何度か「何しに?」と尋ねられたのだけど、答えは「散歩」。街を歩きたいのが一番なのであって、それ以外の目的意識はこれといってない。あとは夏休みなのだから、のんびり本でも読んで過ごせれば尚いいね、という感じ。観光名所をできるだけ多く回ろうという意欲もなく、買い物をしようとかおいしいものを食べようという意識にいたっては全くもってかけらも無かった。旅行者にあるまじき意識の低さ……。

それで、とにかく歩いた。この日は一日中歩き続けた。はじめの2時間ぐらいはその地の地図を持っていなかったので半分迷子ともいえる状態で歩いていたのだけど、途中で大きい駅を見つけてロンドン中の道の名前が記された地図を買ったので、午後からは自由自在。ロンドンは通りに全部名前がついているので、地図さえあれば自分がどこにいるのかすぐに(ある程度)わかる。

よく知らない街はやっぱり足をつかって歩いてみるに限る。時間をかけて街に触れていくことで、その街のありようみたいなものがなんとなく肌で感じ取れるようになっていく。方々の商店街に異様にバスタブ屋が多いことから、ロンドンという街が人種のるつぼであることまで、2時間くらい街をさまよっていれば自然にわかってくる。「自然に」わかってくるというのが散歩のすごいところ。

私にとって海外を旅するというのは、「その国を知る」というより「自国を知る」という方が合っている。老若男女を問わず、都会のど真ん中を裸のような格好をして食べ歩きしている人の多さも、夜9時半を過ぎてようやく日が沈みだす街並みも、すべてはロンドンというよりイギリスというより、日本の私の日常空間がどういうものなのかを改めて意識化させてくれるために機能している。

旅行中はずっと村上春樹の「海辺のカフカ」を読んでいたのだけど、その中にヘーゲルが規定した「自己意識」について書かれているところがあった。簡単にまとめてしまうと、自分がいて相手がいる、お互いがお互いを交換し投射しあう、そうすることによって自己意識が確立される、相手が存在し相手を意識することで初めて自分というものを深く理解できるといったもの。私にとっての海外旅行って、そんなものなのかもしれないなぁと思う。

■2005/7/12 夕暮れまで歩く

昨日はロンドンの西側に位置するホテルを基点に南へ、東へと10数km歩いた。速くもなく遅くもないペースでてくてくと。天気は晴れ。夕暮れ時を迎えると、遊びつかれた少年のような疲労感を抱いて帰途についた。帰りも歩き。

翌日の今日は地下鉄に乗ってロンドンを横断し、東側をまたてくてく歩いた。大英博物館を見学し、ここから徒歩で南下。ロイヤル・オペラ・ハウスに酔いコヴェント・ガーデンで一息、サマセット・ハウスにしびれナショナル・ギャラリーでうっとり。まったくの門外漢ながら建物フェチな私の心をわしづかみにするロンドンの街並み。はぁ、なんて素敵なんでしょう。なんて隙なくどこもかしこも英国的なんでしょう、とものすごくおのぼりさんな感動にひたりつつ、今日も炎天下を10km近く歩き、へとへとになってホテルに帰る。帰りは地下鉄。

朝9時過ぎに出て夜9時過ぎに帰ってくる。勘狂うのはこちらの日没のせい。この時分、ロンドンは夜の9時半を過ぎてから日が暮れだす。日暮れを目安に行動していると、日本でいう夜時間に知らぬ間に突入している。

しかし、私は言わずもがな日本生まれの日本育ち。幼少の頃から「カラスが鳴くから帰りましょ」と自然の成り行きとともに時間を察し、それにあわせて家路につくことを正しいと心身にたたきこまれてきた生粋の日本人なのだ。日が暮れるまで外で頑張って、日が暮れたら家に帰る、これこそが善行。守る守らざるに関わらず、そういう倫理観をもって生きてきた私に、夕暮れの時間を無視して一日の外出を終える行いなんて難しすぎるのだ(元気なうちは)。そうして知らぬ間に思いのほか一日の活動時間が延長してしまいへとへとに。

果たして、夏は午後10時、冬は午後4時に日が暮れる世界に生きるイギリス人は、子供の頃どんなふうにしつけられるんだろうか。冬は4時までに、夏は10時までに帰るようにって言われるのか、それとも「カラスが鳴こうと鳴くまいと、6時になったら帰りましょ」なんてややこしい歌を耳元でささやかれながら大きくなるのだろうか。「腹の虫が鳴いたら帰りましょ」とか、もう少し言い回しを変えたほうが心に響くかな。

どちらが良い悪いの問題でもないんだけど、夕暮れ時が午後4~10時と季節によって大幅に変わる国では、自然と切り離して「人が時間を管理する」意識を子供の頃からしつけられる環境にあるのかなぁなんて考えてみたり。そうすると仕事に就いてからも「日が暮れたから帰ろう」と帰宅の判断を太陽に委ねたり、「日が暮れちゃえば21時も0時も同じだ」と投げやりに残業することもなかったりするのか。しないのか。しないよね。

■2005/7/13 テロ事件後の地下鉄事情

今日はロンドン中心部から電車に乗って50分ほど南下したところにある海辺の街、ブライトンを訪れた。日本でいえば鎌倉のようなところ。イギリスから望める海に寄り添いながら一日をのんびりと過ごす。

ここで穏やかな風景に触れていると、少し先で少し前に同時爆破テロ事件があったことなどまったく想像できない。しかしやっぱりそれは確かに起こったことなのだ。ほんの数日前に。

実際ホテルでテレビをつければニュースの多くはこの事件に関することだし、地下鉄の一部路線(区間)は運行されていない状態が続いている。そうすると必然的に運行している電車に人が集中するから、私は通常より混雑した地下鉄を利用しているのだと思う。

通常と比べることは私にはできないわけだけど、様子を見ていると、こっちの人はある程度電車に人が乗り込んでしまうと、東京で暮らす私からすればまだまだ乗れる!という状態でもあっさり電車を一本見送る。無理に電車に乗り込もうとせず、次の電車を待つ。東京だったらすし詰めになったって今目の前にある電車に乗ろうとするのが普通だ。でもロンドンの人はそれをしない。それは、この混雑した息苦しい状態がテロ後の「非日常」だから、東京のように「日常」のことではないからではないかなと思った次第。でも、単にロンドンの人は東京よりスマートに生活しているだけなのかもしれない……。

加えて、ロンドンの地下鉄(とバス)にはほとんど冷房がついていないようで、なおかつ窓も開かない(か開けない)ので、人が多く乗り込むと、もうそれは大変な蒸し風呂状態になり、一気に東京の満員電車以上の劣悪環境となる。電車をあっさり見送るのはそのせいかもしれない。実際この日帰宅ラッシュ時に乗った地下鉄の車内は、誰か気が狂って暴れだすんじゃないかと真剣に心配してしまうほど重々しくよどんだ空気を背負い込んでいた。

そう映ったのは、日頃ほとんどお目にかからない日の光を浴びすぎて私の体が疲労困憊していたこともあるのだけど。というわけで、この日は9時までも体が持たず、明るいうちにホテルに戻って晩ごはんも食べずに眠りについた。

■2005/7/14 ロンドンしっかり観光

今日はロンドンの街をしっかり観光。実は昨日今日と2日間、友だちの友だちとして知り合ったロンドン在住の方が、初対面ながら仕事を休んでガイドをしてくださった。もう大変ないたれりつくせり状態でちょっと恐縮してしまう。恐縮されると相手もかえってやりづらいだろうというのは重々承知なのだけど。

そしてさらにたちの悪いことに、私は恐縮しつつも、かなりマイペース&観光客らしからぬ落ち着きモードなテンションで通してしまったので、ものすんごいガイドしづらかったと思う。もっとキャピキャピッ!としたテンションだとガイドのしがいもあると思うのだけど。

さらに普通は胸ときめかせるだろう、目輝かせるだろうという買い物にも食事にも無反応とキタ。君は本当に女なのか?でも自然にはそうならない人間が意図的にそれするとかなり気色悪いし。意図的にできるほど器用でもないし。

だから、これでもうこの先ガイドするのがいやになっちゃったかも、というのが心配。いやいや本当に申し訳ないことをしました。申し訳ないとは思っているのに改善ができない自分勝手な私。反抗期の少年少女が「悪いと思っているのに、つい親にきつくあたってしまう」やりきれなさに近い?近くないか。でも私ほどやりづらい人は早々現れないはずなので、その点は安心してほしい。

しかし、本当にたくさんの感動をいただいたのだ。何よりこの日連れていっていただいて感動ひとしおだったのがセント・ポールズ大聖堂。ここに行けただけでもロンドンに来た甲斐あり、というものすごい建築。一日中ここにいたいと思ったし、写真でも映像でもなく、現地に行ってその空間に身をおいて五感で味わう旅行というものの価値を強く感じさせられる空間だった。

その後、ミレニアム・ブリッジを渡ってテート・モダンを訪れ、さらに船に乗ってテムズ河を行く。ウエストミンスターの国会議事堂&ビッグ・ベンに始まり、どこもかしこも英国的な風景を眺めつつ、ゴール地点のロンドン塔に到着。木陰のベンチに座って目の前のテムズ河にかかるタワー・ブリッジ(ロンドン橋)を眺め、のんびり時を過ごす。ロンドン観光も最終日。また訪れたい街だなぁとしみじみ思いつつ、月光が少しずつ存在感を増してくる。帰りも船で。

■2005/7/15 おこづかい2万円

朝6時過ぎに起きてシャワーを浴び、いつも通りホテルで朝食をとる。フライトは正午過ぎ、ホテルから空港までは30分くらいで着くのだけど、お土産を買う時間をとるのと、何かがあって乗り遅れては大変!ということで、7時半頃にはチェックアウトして空港に向かう。さすがに早すぎだけど。

そうそう、これまで枕元には1ポンドのチップを置いていたのだけど、この日は1ポンド硬貨を切らしていて、とはいえその上となると10ポンド紙幣になってしまうので、小銭の有り金をすべてかき集めて枕元に塔にしてきた。でも数えてみると、1ポンドに若干満たない。とにかく有り金(の小銭)全部置いていきます、という心意気は伝わったと思うのだけど気を悪くしなかったかどうか心配。

最寄り駅では下り電車となる空港行きの本数が少なく、プラットフォームでぼーっと電車を待って結局8時半頃に空港に到着。空港のチェックインカウンターでも、キャセイパシフィックだけが9時過ぎに開くらしくて結局30分ほど列に並んで待ちぼうけ。ただ、その甲斐あってか通路側の席を取れた。通路側の席が実際人気なのか不人気なのかは知らないけど。

その後、また出国審査、荷物検査など?よく覚えていないけどとにかく行き着くところまでひたすら必要なプロセスを進み、あとは飛行機に乗るだけの状態にして免税店で気の済むまでゆっくりお土産を買うことに。ここで1万円強のお金を使い、実はここでの買い物がこの旅一番の支払いとなった。

往復航空券で14万円強、朝食つきの宿泊費で5万円弱、あわせて19万円の大金は確かに出発前に支払っていたのだけど。それ以外の旅費として7万円分の外貨を用意して、実際帰国して残金を日本円に戻したら4万円強戻ってきた。ということは、旅の間に使ったお金は3万円弱。そのうちの1万円強がお土産代。つまり私のおこづかいは2万円強だったということがわかる。

最近のお姉さまがたの海外旅行で使うおこづかいの相場がどれくらいのものなのかよくわからないけど、ロンドン1週間の旅行でおこづかい2万円、旅費総額22万円はきっと質素な方なのでしょう。そんな感じで控えめに何事もなく帰国の途についた。

■2005/7/23(sat) 編集後記

振り返ってみると、あっという間に終わってしまったロンドン一人旅。でも短期間ながら一日一日を満喫した感があって、名残惜しいというより、また遊びに行こう!って元気よく思える後味だ。

これまでいろんな人に面倒をみてもらって海外旅行を実現してきたおかげで、一人で海外を旅することへの漠然とした不安がずいぶんと軽減されてきた。英語はやっぱりさっぱりだし、これといって自信のネタになるようなものは何もないんだけど、とにかくささやかに一人旅を楽しむにあたってはどうにか乗り切れるんじゃないかなぁというところまで(気分的に)到達した。

なんというか、世界は一つでつながっているのだし、新宿駅には一人で行けるのにロンドンには一人で行けないってのはわけわからない話だろう、という今回の旅の着地点。次回辺りからは、気を抜かず、でも意気揚々と一人旅を計画してふらっと出かけていけるかなぁ、なんて。来年もどこか行きたいなぁ。

2003-10-06

ベルリン旅行

2003年10月初旬にドイツの首都ベルリンを旅したときのお話。現実逃避にお一つどうぞ。

■2003/10/6(mon) 飛行機を遅らせた女

朝5時起床。6時過ぎには家を出発。7時半、成田空港着。チェックイン完了。初の海外一人旅も、ここまでは順調だった。荷物も預けてほっと一息。9時半の出発までだいぶ時間があるなぁと思ってぼーっとしていたら、あっという間に9時になっていた。あぁ、そろそろ飛行機に向かわないと・・・と立ち上がる。

すると目の前には長蛇の列。なんでこんなに混んでいるのだろう。月曜日だから?まぁ焦っても仕方ない、待つしかないか。そう思ってまたぼーっと順番を待っていた。ここで私が並んでいたのは何の列か。それは搭乗待ちの列ではない。手荷物検査待ちの列である。つまり未だこれから同じ飛行機に乗る人の群れではなく、これから海外に出るあらゆる人の群れの中にいたのだ。

これが誤りだったということに気づいたのは、数日後帰国の際にフランクフルト空港を利用した時のことだった。チェックインを終えたらそのまま手荷物検査→ 出国審査を済ませ、搭乗ゲートまで行ってから一息しなくてはならないところを、私はチェックインした時点で一息入れてしまって、多くの手続きを残したまま出発時刻までの時間をつぶしてしまっていたのだ。

というわけで、この時点では何の問題意識もなく、また出発時刻がせまっていることにも気づかず、のんびりと手荷物検査を終えてエスカレーターを下り、出国審査待ちの列に並ぼうとしていた。その時である。係員の女性が私の名前を叫んでいる。あれ、私のことだ!と思って、その女性に「私です」と声をかけると、「お急ぎください!列の前の方に割り込ませてもらってください!もう出発時刻です!」と、一言一言「!」マーク付きでせかされる。そういえば、並び出してからすでに20~30分経過してしまっているような気もする・・・。

ぺこぺこと謝りながら列の前の方に行き、割り込みさせてもらう。手荷物検査を終えると、先ほどの女性が「走ってください!走ってください!」と私を追い立てる。猛ダッシュ。搭乗ゲートまでたどり着いてチケットを見せると、確認もそこそこに受付の人が「早く!早く!」と引き続き猛ダッシュを促す。飛行機に駆け込み、最後の客を待ち構えていた乗務員さんや整然と着席している乗客の皆さんに申し訳なさそうにして、自分の席へと急ぐ。

着席してふぃーと一息つくと、隣の席の男の子に「出発時刻を3分過ぎちゃいましたねぇ」といじめられる。それでもまだこの時点では、本質的な問題は自分ではなく、空港内の混雑にあったと信じていた。なんと恐ろしいことだろう。そんな気の抜けた出会いで、この男の子とあれこれおしゃべりしているうち、あっという間に経由地ソウルに着いてしまった。

■2003/10/6(mon) 若者

成田から韓国までの飛行機で隣り合った男の子は、私より5歳は年下だったと思う。まだ学校を出て間もないと言っていた。お父さんがやや長期の出張でジュネーブだったかそちらの方に滞在しているらしく、その期間中にロンドン一人旅を経由して、お父さんのところへ仕事の手伝いに行くと言っていた。

最初の出会いが出会いだっただけに、またお互いに一人旅だったこともあり、その男の子は気さくにこちらに話しかけてきて、私たちは韓国に着くまでほとんどずっとおしゃべりをしていた。話す量はお互い半々くらいだったと思う。

その男の子は定職には就いておらず、音楽活動に励んでいるようだった。既成の枠組みのようなものにおさまるのがいやで、大きい野望をもって生きたいと切望しているようだった。こういうことを言う若者の中にはいろんな人がいるが、私には彼が自分なりにしっかり自分の人生を考えて生きている男の子に見えた(なんか偉そうだな)。

ただ、彼にとって学校を出た後の「一般社会」の風景はひどく薄汚れていて、くたびれていて、創造性のかけらもないような世界に見えているようだった。サラリーマンという生き方に対する拒否反応に、それは如実に表れていた。何も生み出すことなく、上司にへつらって毎日を送る組織の歯車的イメージ。新橋で酔っ払ってTVのインタビューにつかまり、真っ赤なほっぺで不景気を嘆き、小泉批判のためのマスコミの道具にされているようなイメージ。そんなものがしっかり植え付けられているように感じられた。

私は彼から、また彼と同世代の若者たちから、その偏見を少しでも取り除きたくて、いろんな話を聞き、いろんな話をした。私は今学生時代に戻りたいとは思わないし、教育の仕事に出会えたことをとても幸せに思っていること。最初は何がやりたいなんてものが全然見えていなかったこと、だけどやってみて初めて仕事の面白さを知ったこと。仕事って面白いんだよ、やりがいをもってやっている人ってたくさんいるんだよってこと。それから、サラリーマンといってもものすごくたくさんの仕事があって、ひと括りに語れるものではないこと。それでもどんな仕事にもクリエイティビティは必要だし、私の周りにはそういう力を発揮して仕事をして輝いている人がたくさんいること。そういうことを、できるだけ彼がイメージしやすいように、お説教に受け取られないように、ただの何でもないおしゃべりのように、内側に熱い想いをこめて一生懸命に話した。

彼はひどく驚いていた。「仕事が楽しいって言う人に生まれて初めて会った」と言っていた。それに私も内心驚いた。「今まで一度も聞いたことがなかった、話を聞けてよかった」と言ってくれた。とても嬉しかった。

大人は若者にもっと伝えていかなくてはならないと思う。新橋で酔っ払っているお父さんたちだって、昼間はびしっと格好よく戦士みたいに仕事に励んでいることだろう。だけど、そういう映像はなかなか伝わっていかない。マスコミも私たち一人一人も、伝えるべき対象に、伝えるべきものを、しっかり届けていかないといけない。そういう姿勢がとても重要だと痛感したひと時だった。

やる前からくたびれた印象ばかり吸収して、頭でっかちに「社会に出たくない」「フツーの大人になりたくない」なんて足踏みしてしまうのは、とてももったいないと思う。勿論いろいろな生き方があるのは良いことだ。話を聞く限りでは、彼の望む道はサラリーマンという分類ではないようだった。だけど、逃げ場ではなく自ら選んだ道が、分類するならサラリーマンに属するという生き方だって必ずあるはずだ。だから、若者が壁を作らず不安と期待両方をしっかりもって、もっと生き生きと大人社会に入ってこられるようにできればなと思う。そのために私たちができることは、きっとたくさんあると思う。

■2003/10/6(mon) 電車に乗り遅れた女

ソウルのインチョン空港着。ここでフランクフルト行きの飛行機に乗り換え。出発までは1時間弱。今度は余裕をもって乗り込もうと、次の搭乗ゲートに向かう。向かっているつもりなのに、視界からはどんどん人が消えてゆき、ついには誰もいなくなってしまった。それでも「ソウルの空港は空いているなぁ」なんて、のん気なことを考えながら写真を撮っていたら、警備員さんに「ここは写真撮影禁止」、ついでに「ここは進入禁止」と注意を受ける。じゃあ私はどこに行けばいいの?と尋ねると道案内してくれた。その後にも迷子になって危うく乗り遅れそうになったが、どうにか人並みに時間どおり搭乗することができた。

今度は周りが韓国人だらけ。黙々と10数時間の空の旅を終え、フランクフルトに着いた。続いては電車の旅。ICEという日本でいう新幹線のような電車に乗って、目的地のベルリンを目指す。が、ここでもまたトラブル発生。フランクフルト空港駅まで乗り入れているベルリン行きのICEに余裕で間に合うと思っていたら、ふと目に入った駅の時計が自分の時計より1時間先を刻しているではないか。あぁそうか、ドイツは今サマータイムなんだ!と気づいた時、本物の時計は当初乗車を予定していたICEの出発時刻を1分過ぎたところ、私はまだホームまで数100m残された地点を歩いていた。あーぁ。

それでも、もともと飛行機が遅れることもあるだろうと、我が友はこれに乗り遅れた時の経路も案内してくれていたので、作戦変更で第2の策に沿って動く。途中まで来た道を引き返し、短距離用の電車に乗ってフランクフルト中央駅に移動。そこから別のICEでハノーファまで行って、そこまで車で迎えにきてもらうことに(乗り遅れたICEがベルリン行きの最終列車だったのです)。

中央駅で友人に電話を入れ、無事ハノーファ行きのICEに乗車。これで一安心。座れるといいなぁと思ったが、乗った車両がずいぶん立派なシートだったので、これは怪しいなぁと思って制服を着ている人に尋ねると、ここはファーストクラスだと言う。何も考えず空いている席に座らなかった自分の判断に心の中で拍手喝采、スタンディングオベーション。「セカンドはあっちにあるよ」と指差しで案内してくれたが、どこからがセカンドクラスなのかわからないし(隣の車両も席が結構立派だった)、これからまたセカンドを探し、それが本当に座っていい席なのか不安に思いながら過ごすのも面倒になって、荷物を通路に置き、荷物に寄りかかって眠りに入った。とにかくとても眠かったのだ。後から友人に聞いた話によると、セカンドクラスも結構立派な席だというので、おそらく隣に見えていた車両は座っていい席だったんだろうと思う。

数時間後、寝ぼけまなこでハノーファに到着。時間はもう夜中の11時過ぎ。友人に電話を入れると、今こちらに向かっているところだと言う。そう、ハノーファは彼女が住むベルリンからまだ随分離れたところだったのだ。しかし、真夜中友人の彼が長時間車を走らせてくれて、私たちはこの数十分後無事に再会することができた。数年ぶり、それも異国の地で再会、私たちは思わずハグして挨拶を交わした。ベルリンの友人宅に到着したのは深夜2時過ぎ。夜食にドイツの黒パンをいただき、ふわふわのベッドで寝かせてもらった。

■2003/10/7(tue) 心豊かなドイツ

朝9時頃に起きてシャワーを浴び終えると、友人がパン屋さんに朝食を買いにゆくというので、子どものようについていった。昨日フランクフルトに降り立った時にはすでに日が暮れていたので、ドイツの街並みを目にするのはこの時が初めてだった。

彼女はベルリン郊外のアパートに住んでいる。ベルリンは東京23区より広い面積を有しているが、人口は少なく自然の多い街だという。実際、彼女の住むアパートの近くは、本当に緑が多くて落ち着いた環境だ。住んでいる部屋は60平方mほどあって、私や彼女が東京で一人暮らししていた部屋と比べると3倍の広さ。にも関わらず、家賃はその頃の半額以下なのだ。天井が高く窓も大きくて、とても開放感のある造りだ。

彼女は道を歩きながら電車に揺られながら、本当にいろんな話をしてくれる。ドイツに移り住んで1年足らずなのに、これだけこの国のことに通じていることに心から感心してしまった。ドイツ語を覚えるだけでなく、この国の暮らしや習慣を吸収し、文化や歴史、政治にまで関心を寄せて生活を送っている。本当にすごいなぁと思った。

彼女から聞いた話で、強く印象に残っている話の一つは、原則としてあらゆるお店は、週末一切営業してはいけないことになっているということ。スーパーもデパートも週末は一斉にお休みするのだそうだ。日本のスーパーやデパートが年々閉店時刻を遅らせ、今や食料品売り場を24時間営業にするところも出てきたことにひどく疑問を感じていた私には、この決まりがとても素晴らしいものに思えた。

これは小さな商店を守るための策とのこと。この国はそういう小さなビジネスを大切にする意識が非常に高いのだそうだ。そして、大手のスーパーやデパートに勤める従業員が土日働かずに家庭生活や余暇を楽しめるという点でも、これはとても大切なことだと思う。「できること」を片っ端からやっても意味がない。私たちは、できることだったら何でもやるのではなくて、やるべきことをやるようにしなくてはならない。最終的に人が豊かになるための取り組みでなければ意味がないのだ。

いろんな話を聞きながら一通り観光を終えておうちに戻ると、次は晩ごはん。今日は、彼の幼なじみや、彼女がこちらで知り合った日本人の友だちを呼んでにぎやかにラクレット(ドイツを代表する料理)パーティー。ドイツ語と英語と日本語でコミュニケートする大変な会だったが、派手に会を催すのではなく、こうやっておしゃべりを楽しみながら豊かな時間を共有しようとするところが、純日本人が思わず共感してしまう「ドイツ人の素敵なところ」かなぁと感じた。

つづく…としたまま、結局書かずじまいに…。

2002-12-23

ニューヨーク旅行

2002年12月末にニューヨークを旅したときのお話。どうぞご賞味ください。

■2002/12/23(mon) へぼい旅路

いよいよ出発の日。今日から7泊9日のニューヨーク旅行が始まる。うふ。素直にとても楽しみである。「胸が躍る」とはこういうことをいうのだろう。こういう感覚を味わえる要素って、自分の人生の随所に自ら散りばめてゆく努力が絶えず必要だよなぁと思う。

成田空港までは、最もお金のかからない経路を選択。JR山手線で日暮里駅まで出て、そこから京成本線の特急で成田空港駅まで。日暮里駅から片道千円で着く。「成田エクスプレス」やら「京成スカイライナー」なんて、そんなゴージャスな乗り物は利用しないのだ。いや、単にできないだけなんだけど。

とはいっても、選択理由はそれだけではない。京成線は、名前の通り「東京」と「成田」をつなぐ千葉県民御用達の電車。千葉県のローカル線だけあって、実は JRより断然短距離で東京-成田間を結ぶ線路を持っているのだ。JRの場合、東京から千葉県の中央部(千葉)まで下ってから、再び千葉県の北東部(成田)に這い上がってくる経路でしか線路をもっていないため、たどる道のりが非常に長ったらしい。まぁ、一旦乗車してしまったらさほど気にならない話で、今調べたら乗車時間も変わらないようなので、最終的に「格好良さ」では圧倒的に負けてしまうわけなのだが。

いやいや、ここで少し、千葉県生まれ千葉県育ちの私から、京成線の魅力的な一面を紹介させていただこう。子供の頃、一人で京成の電車に乗った時のこと。とある駅で、やってきた電車に乗り込んだところ、ガタンゴトンと走り始めた後に、「ガーッ」と全車両のドアが一斉に開いたことがあった。それでもなお走り続けている。何かはさまったまま走り出してしまったのか。なんにせよ、普通ブレーキをかけないものだろうか。子供ながらに疑問符を打った。電車はそのままドアを閉めて、車内放送で詫びることもなく、何事もなかったかのように走り続けた。その日は休日で車内もさほど混雑していなかったので事なきを得たようだったが、私含めドア付近に立っていた乗客は冷や汗ものである。そんな電車である。

高校時代は、江戸川の土手で鉄橋をわたる京成線を寝ぼけまなこでぼーっと眺めていた時のこと。目に入る車両ごとに次々外観が変わってゆくので、一気に目が覚めてしまった。使える車両をつぎはぎに組み合わせて、3種類の柄の車両をくっつけて1本の電車を走らせていたのだ。そんな電車である。

なんでこんな話をするかって?「格好良さ」でJRと競い合ったところで勝ち目はないのだ。京成は「へぼさ」で勝負だ。愛らしいではないか、このへぼへぼ感が。人から長く愛されるものとは、どこか「へぼい」ものなのだ。・・・というのは、たいてい地元民だけに生まれる感情だったりするのだが。

なにはともあれ、そんなへぼくも愛らしい電車に揺られて、ニューヨーク旅行は始まったのである。で、空路はユナイテッドエアライン。どうやら、そろそろつぶれるらしいという噂。おやつの時間に、お湯入れて4分のカップラーメンを出されたときには唖然とした。こちらもまた、地元民には「へぼい」感じで愛されているんだろうか。うーん、気持ちは少しわかる気がする。

■2002/12/23(mon) 「かっちょいい」

さて、14時間ほど飛行機のエコノミー席に縮こまっていたら(これはかなりきつかった)、ジョン・エフ・ケネディ(JFK)空港に到着した。「日本23日 17時」を出発して、「ニューヨーク23日15時過ぎ」にたどり着いた。ニューヨークは日本より14時間遅れの時間を生きている。私はこれから半日近く、ニューヨークの23日を過ごすことになるのだ。

JFK空港は現在修築中らしく、(そのせいではない気もするが)到着ロビーはひどく寒々しかった。キオスクのようなお店が1つ、あとはトイレだけ。すぐに外に出てタクシー乗り場へ向かった。空は晴れわたり、寒さはさほどでもない。油断大敵だけど、この穏やかな出迎えは実にありがたい。一気に風邪をひいて初日から倒れるということは、とりあえずなさそうである。白タクの運ちゃんにつかまることもなく、無事黄色いタクシーに乗って一路マンハッタンへ。

「トンネルを抜けたら、マンハッタンだった。」しばらくもぐっていたトンネルを抜けて目に飛び込んできた光景は、私の頭にそんな一行を思い浮かべた。まさに、ここがニューヨークである。第一印象、それはもう「かっちょいい」の一言に尽きる。「かっこいい」じゃなくて「かっちょいい」。尊敬語的に相手を高めて称えたい気持ちと、謙譲語的に自らをへりくだって相手を称えたい気持ちが、興奮でぐっちゃぐちゃになって、それでもとりあえず言葉に表現してみようと試みたら「かっちょいい」って、あらまぁスラングになってるやん・・・みたいな(ニュアンス伝わるかしら?)。

とりあえず、立ち並ぶ建造物がすべて「かっちょいい」のだ。ホテルもアパートメントもショップも、石造り、煉瓦造りの独特な重厚感を漂わせている。私はこの重厚感に人一倍弱いのである。格子状に区画整理された通り、10人並んでも歩けそうな幅の広い歩道、大人の雰囲気漂う街の灯り。うーん、うっとり。

初日から4泊するホテルに到着する頃には、すでに辺りが暗くなっていた。チェックイン後、荷物を部屋に置いて間もなく外出。SOHOまで徒歩で下り、早速数点洋服を購入。なんだ、こんなにあっさり買い物するんだったら、本当に服などあまり持ってくるんじゃなかった。が、今回は初体験なので仕方ない。次回は身軽にやってこよう。それにしても安い。ニューヨークとはいえ、東京と比べるとやはり格差があると思う。私はブランドもの情報にうといので、カジュアルな服やさんのお値段比較しかできないけど、それにしてもこりゃ「海外でまとめ買い」したくなる日本女性の気持ちもわかるわなぁ、と思った。

街を実際に歩いてみた印象は、「よくしゃべる」である。複数でいる人はもちろん、一人でも歌を歌っていたり、はっきりした口調で独り言を言っていたり、見えない誰かに熱く語りかけているふうな人もいる。「I love you. You love me.」とかなんとか。大通りの向こうの人に話しかけるような大声で叫んでいる人も見かける。そういう人が決して珍しくない。地下鉄では、ホームのみならず車内でも、アカペラで歌を歌ったり、ギターを持ち込んで弾き語っていたりする。車もよくしゃべる。何かっていうと、「プッププップ」とすぐクラクションを鳴らす。サイレンの音もよく耳にする。でも、そういうふうに人が発する音たちを、街並みが全部吸収しちゃってる感じがあったりするんだな。だから最終的にはやっぱり「かっちょいい」んである。これから1週間、短期間ではあるけど、いろんな表情を見てみたいと思う。

■2002/12/24(tue) アメリカンな心の表出

今日は主にSOHO地区を散策。とりあえず、買い物に際しての基礎英会話として、「Can I try this on?」で試してみて、「Can I have...?」で注文し、他に何か相手に望むことがあれば「Can you...?」で伝える。これでどうにか転がってゆくものなのかなぁということを理解した。といって、習得できたわけでは全くないのだが。同行する友人の見様見真似。娘になったような気持ちで、親の振る舞いをみながら1つずつ覚えてゆく。あとはもう、頻出の単語や熟語、構文やら文法なんぞ思い出しつつ調べつつ、実際に英語で表現し続けてみるほか上達の道はないのだろうなぁと思う。

で、伝えるのはできたとしても、相手の言うことを理解するのが、これまたとても難しい。早口だし、人によってなまりがあるし、しゃべっているときの表情が怖いし。そこで、うぅっ!と怖気づきそうになった時に、最後「にこっ」と微笑まれたりすると、もう最高潮に幸せな気分になってしまって。こういうところが日本人の弱っちいところなのかなぁ、なんて心の中で苦笑してみたりする。

しかし、しばらくすると、こういう最後の「にこっ」が逆に自然に感じられるようになってくる。日本の接客は一般的に微笑みを絶やさない。日本にいるとそれが自然であって、それがないと逆に「感じが悪い」ととられかねないようなところがある。だけど、こちらのお店をいくつかはしごしてみると、とくにレジなどは、みんなぶっきらぼうな顔をしているのが一般的で、だけど最後に自然な笑顔を浮かべて「Good holiday!」と声をかけてくれたりする。人によって表情は様々で、それこそレジの故障で機嫌の悪い人なんかはめちゃめちゃ怖い顔をしていたりしたのだが、その人本来の個性が覆い隠されていないという意味では共通している。それが、私にはとても新鮮に、また人として自然に感じられたのだった。

また、慣習的に交わされているらしい挨拶も、実に素晴らしいと思った。お店に入ってゆく時には、「Hi.」と交わし合う。お店を出てゆく時には、購入したしないに関わらず、「Thank you.」と交わし合う。「感情」が先行して「言葉」が生まれると考えるのが一般的だと思うけど、私は慣習的に発する「言葉」が、心に自然と「感情」を生むこともあると考えている。ここでいうと、店員と客が慣習的に発しているこれらの言葉たちが、自然と互いの心を通じ合わせ、緊張を解き、感謝の気持ちを生んでいる気がするのだ。言葉ってそういう力を持っていると私は信じている。

言葉については、日本人がなんでもかんでも「すいません」で済ませてしまいがちなところを、こちらでは「Excuse me.」「I'm sorry.」「Thank you.」ときちんと使い分けている点も、とても素晴らしいと感じた。言葉と感情のつながりをもっと大切に、私もきちんと「すみません」「ごめんなさい」「ありがとう」を使い分けたいなぁと思った。

ここでは、一人一人の個性がきちんと立っていて、その上でそれぞれが自分の役割を担っているんだなぁと思った。日本がそれを見習ってしっくりいくのかといえば疑問だけど、とにかくこの辺りは実にアメリカらしいなぁと感じた。

■2002/12/25(wed) 極寒のクリスマス

さて、今日はクリスマスだ。日本ではクリスマス・イヴに重きが置かれているけど、こちらではクリスマス当日がメインのご様子。といっても、外出しても街ににぎわいはない。とにかく、どこのお店も閉まっているのだ。みんな家族や友達とパーティーを楽しんでいるに違いない。ついでに、今日は朝からどしゃぶりの雨。お昼ぐらいから、それが雪に変わって積もりに積もったのだった。そんなこんなで、街は一層閑散としている。静かなホワイトクリスマスだ。

お店が閉まっていることについては、悪い気はしない。むしろ喜ばしいことだ。こういう感覚は、日本が最も異国から学ぶべきところだと思う。お金至上主義にならず、また古いものだったり面倒くさいものだったりを短絡的に排除しようとせず、人が生きてゆく上で最も大切にすべきものが何なのか、もっと真剣に考えて答えを出すべきだと思うのだ。例えば元旦にお店を開くべきかどうか、例えば「~~の日」と定めたその経緯を無視して、休日を月曜日に移動させ連休を増やすべきかどうか。例えば古い建物を取り壊して、新しく建て替えるべきかどうか。新しく築いてゆくことや、簡便化してゆくことばかりに目を向けてしまうと、これまで築いてきて守るべきものを見失ってしまいがちだ。本当は新しくものを築いてゆくのと同じくらい、またはそれ以上に、それを守ってゆくことの方が大変なことなのだと思う。守るものとそうでないものを適切に取捨選択し、それを保ち続けながら、時に修正を入れたり、時に向上させてゆかなければならないのだから。

とはいえ、ホテルでじっとしているのもつまらない。ニューヨークに来たら、絶対にベーグルを食べよう!と心に決めていた私は、ホテルから歩いていける距離のベーグルやさんまで、大雨の中とりあえず朝食に出かけた。ほとんどのお店が閉まっているところ、そのベーグルやさんはオープンしていてくれ、私は念願のベーグルを食すことができた。私が注文したのはアボガドをはさんだベーグル。とってもおいしい。ものすごいボリュームだけど、朝食と昼食に、それを半個ずつ食べた。この地で一品頼むと、たいてい私の普段の食事の三食分の量が出てくる。そしてまた味が実に濃厚。恐るべし、アメリカ人。

午後はどう過ごそうかというので、とりあえず映画館をあたってみることに。ただいま上映中の「007」に狙いを定める。毎回裏切ることなく爽快なストーリーが好きなのと、あれなら英語がわからなくても楽しめそうとの理由から。ハリウッド映画を多く上映しているという映画館まで地下鉄を使って移動。映画館はやっていたのだが、「007」がやっていない。受付のお姉さんに他の映画館を紹介してもらい、徒歩でそちらに向かう。しかし、そこもやっておらず、次へ。そんなことをしているうちに、大雨は大雪に変わってしまい、まさに極寒。その後も強い風吹く雪の中を悲鳴をあげながらさまよい歩き、ようやく数軒目で「007」に巡り会えた。その後「The Lord of the Rings」も観て、とりあえずどうにか「映画を堪能した一日」にまとめあげることができたかなというところ。想像どおり「007」はわかりやすかったが、「The Lord ~」は日本に帰ってからおさらいしないと観たことにはならなさそうである。

それにしても、アメリカ人が皆笑っているところで、自分が笑えないのは切ない。笑いが起きる前に、「あ、ここ笑うところだ。」とは読みとれてしまう不思議を味わいながら、それはわかっても意味わからずして一緒に笑うこともできない自分がひどくかわいそうであった。んー、しょぼい。

■2002/12/26(thu) 寒さに完敗

実のところ時差ボケである。一昨日は13時起きだった。さすがに午前が全くないのはまずいだろうということで、昨日は10時半に起きて、どうにか午前中にホテルを脱出。今朝も同じだ。夜ホテルに戻ると、一旦は疲れて眠りつけるのだけど、2、3時間で目が覚めてしまって、そこから延々朝6、7時くらいまでおめめぱっちりである。それでも、身体の疲れだけでもとろうということで、ベッドに入って目を閉じて、静かに眠気の再来を待つ。お昼寝の時間に一人なかなか寝付けない保育園児の気分。朝方になるとようやく意識を失う。結構厄介だ。早く慣れたい。

さて、昨日と打って変わって今日は朝から良いお天気。しかし、ものすごーく寒い。絶えがたい。にも関わらず、今日はマンハッタンをずっと南に下り、海近くのグラウンドゼロを見に行ってきてしまった。2001年9月11日のテロ事件で崩壊したワールド・トレード・センターの跡地だ。普通こういうのはじっくりと見て、いろいろ感じとって、ものを考えて、しばらくその場所で時を過ごしたりするのが普通なのだろうけど、寒さの極限で自分の身を守るのに精一杯だった私は、情けないかな、かなり短い時間で退散してきてしまった。その先に自由の女神もあるというが、とてもじゃないが、これ以上海に近寄ることなんて絶対にできない!そう確信した私は、極寒の地専用の厚手のコートを買ってまた戻ってくればよいではないか!と、風が吹く度奇声を発しながらかなり怪しい感じで、自由の女神に背を向けてその場を後にした。

SOHOまで引き返して、コートを探しながら散策。で、結局コートを2着も買ったのだけど、どちらも日本で着る用になってしまった。極寒の地専用のごっついコートは買えずじまいで、夜が更けてしまったのだった。でも、日本から着てきたコートよりあったかくてとても幸せ。

こちらに来て以来、本当によく歩いている。今日は、これまでに蓄積された足の疲れとひどい寒さのため夕食に出る気力もなく、ホテル内のレストランで軽食をとって休むことにした。

あたたかい部屋に戻って振り返ってみるに、この目でグラウンドゼロを見たからといって、何かを改めて感じるというのはあまりなかったというのが正直なところだ。飛行機がビルに突っ込む瞬間、煙にまかれて逃げ惑う人たちのリアルな映像に勝る衝撃はない。現在工事中のグラウンドゼロを見るより、頭に残るその映像を思い出す方が、ひどく苦い味がする。ただ、周辺のビル群も一部が崩壊したままになっていたりして、未だ事件の爪あとが見られる光景だったのは事実である。

■2002/12/27(fri) 洗濯ネット

今日はお引越しの日。今朝まで泊まっていたホテルは4泊しかとれなかったので、別のホテルを今日以降3泊予約してある。別のホテルとは「Hotel Chelsea」。アレン・ギンズバーグ、ジャニス・ジョップリン、ジミー・ヘンドリックス、アーサー・ミラーなど、数多くのアーティストがそこで生活したのだそうで、今なおアーティストの生活拠点となっているようだ。私が宿泊した部屋の隣りも、おそらく絵描きと思われる男性がそこを住まいとしているようだった。

ロビー、受付、1階からおそらく最上階までの階段の壁面には、そこで暮らしを営んだのであろう様々な画家の絵が数多く掛けられていて、その建物全体にアートの香りがぷんぷんと漂っている。1880年代に建設された建物。部屋の扉の閉まりは今ひとつ、鍵をかけるのも一苦労だったが、人の温もりが感じられるような、なんだかとてもあたたかいホテルだった。

無事ホテルの引越しを済ませると、ベーグルやさんでまずは朝食。その後、昨日たどりつけなかった自由の女神を見ようと、新しいコートを着てマンハッタン南端に向かった。海の向こう遠くに見える女神さまを拝んで、トリニティ教会などを訪れ、Wall Streetを散策して、18時過ぎくらいにはホテルに戻った。コインランドリーで洗濯をすることにしていたためだ。ホテルから徒歩5分ほどのところに見つけたコインランドリーに洗濯物を持ち込み、いざ洗濯へ。今日の一大事は、日も落ちきったその時から始まったのだった。

洗濯ネットをホテルに忘れてきてしまったのだ。下着が痛んだり他の洗濯ものにひっかからないようにするためのネットである。んー、これがないのは辛い。ということで、友人をそこに待たせてネットをとりに帰る。すると、今度はホテルの鍵が開かない。うぅ。数分ドスドス頑張った後、やっぱり無理だということで、受付に助けを求めにゆく。エレベーターの中でセリフの練習である。「Excuse me, I can't open my room's door.」あとは「Help me!」か何か言えば要件は伝わるだろう。

受付で「Help me!」の手前まで伝えると、電話中だった中年男性がちょっと待つようにというので、その場で静かに待機。しばらくしてがたいのいいお兄さんが受付に入ってくると、彼が私を助けてくれることになった。見かけがごつい割りに、お兄さんはとても穏やかな人だ。エレベーターの中で、あの鍵はtrickyでねぇと、開け方を丁寧に教えてくれた。左に回しきった後に、一旦ドアノブを手前に引っ張って、そこから鍵を左に強く押し込むとかなんとか、ものすごく高度というか、ややこしいコツが必要なのだった。自分でやってみて!というので、レッスンの通りにそれをやると、本当に開いた。コツをつかんだ私は、めちゃめちゃハッピーな笑顔で「Oh! I see. Thank you so much.」かなにか言って、お兄さんにお礼を言った。お兄さんも笑顔で返してくれた。

だいぶ時間をとってしまったので、急いで部屋に入ってバッグに手をかける。ガーン。また失敗である。洗濯ネットはスーツケースの中。スーツケースには鍵がかかっている。その鍵はリュックの中。そのリュックは・・・、コインランドリーに置いてきてしまった。とほほ。こんなに苦労して部屋の中に入ったのに。すでにこんなに時間がかかっているのに、この上もう一往復友人を待たせるわけにもいかない。結局ネットに入れて洗う系統のものは洗濯をあきらめて、手ぶらで友人の待つコインランドリーに戻る。事情を説明するやいなや、「しょぼい」と言い放たれる。確かに、しょぼい。まぁ、いいんだ、英会話できたし。

コインランドリーは、また実に興味深い空間だった。東京のコインランドリーはとても薄暗くて汚い印象がある。私は洗濯中おじちゃんに水着を盗まれたこともあるので、あまりいい印象がない。一方、ここのコインランドリーは実に居心地が良い。室内の幅は東京のそれとさほど変わらないものの、奥行きは東京の3、 4倍くらいあってとても広い。天井も高いので閉塞感がない。右側に洗濯機が、左側に乾燥機がずらーっと整列していて、そのうちのいくつかがグルングルン回っている。お掃除のお兄さんもいて、とても清潔な環境だ。

「庶民のふれあいの場」みたいな感じもあって、新しい人が入ってくると「Hi!」と声をかけあったりする。洗濯が終わるのを待っている間にやってきたお兄ちゃんには、そこで販売しているいくつかの洗剤の違いを尋ねられたりもして、私にはわからないと答えるしか脳がなかったけど、私の友人が「これで良ければ使って」と使いかけの洗剤を差し出すと、彼は本当に嬉しい様子で元気にお礼をいってその場を去っていった。どうやら洗濯をしにきたのではなく、ここには洗剤を買いに来たらしい。なにかそういう自然な触れ合いを体験できたことが、ここでの大きな収穫となった。

■2002/12/28(sat) 美術と私

私は「美術」なるものに非常にうとい人間なのだけど、せっかくニューヨークに来たのだからということで、グッゲンハイム美術館に出かけてみた。休日のためか館内は大変混雑していて、ゆっくり鑑賞するという感じでもなかったが、とりあえず渦巻き上の建物を上から下まで作品を観ながら歩いた。

感想を一言でいうと「よぅわからん」ということになるのだけど、そこには単に不明快な感じだけではなくて、「痛い」感じとか「怖い」感じなんかがつきまとう。私が訪問した時にはちょうど映像と写真を中心に展示物が構成されていて、その多くがとても繊細で、シリアスな感じ。あったかい感じやコミカルな感じのものってなくて、どれも鋭くずっと背後をつきまとってくる感じがするのだ。

映像や写真は、本来現実をそのまま映し出すものだから、基本的にはものすごく直接的で、尖っていて、触れるととても痛いもののような気がする。その形態の特性が、映し出されるもの自体、またその演出によって、柔らかくなったりあたたかくなったりするのかなぁと勝手に考えてみたりしているのだが。今回観た作品は、どれもすごく痛かったのだ。たぶん目の肥えていない私が観ていることが多いに関係していると思うのだけど。そう考えると、結局「よぅわからん」ということになる。一人消化不良を起こしているような感覚に陥る。

まぁ、わからないならわからないなりに、つべこべ言わず、「なんかいい感じ」とか単純に好き嫌いの感覚で楽しめばいいのだろうけど。そういう意味では、私は若い頃のピカソの絵が一番「いい感じ」かなぁ。観ていて疲れないし、それを見ている目に柔らかい感触を味わうのだ。ただそれだけの理由。

映像と写真の世界を脱して絵画のコーナーに入ったら、一気に眠気が襲ってきた。興味がわかないから眠くなったのか、その空間が急に柔らいだように感じたから眠くなったのか。今もって私にはどちらの理由かわからない。なんにせよ、私にとって美術作品とは相変わらず未知の世界で、相変わらずとても謎めいている。

■2002/12/29(sun) サプライズ

明日にはもうここを離れなくてはならない。あっという間の1週間。そんな気もする一方で、ふとニューヨークに来た1週間前を思い出そうとしたら、それがひどく昔のことのようにも思われ、不思議な感覚に落ちた。浦島太郎が龍宮城に行く逆バージョンのような感じ。随分長いことここにいるような気がするのに、日本に帰国してみたら実はそんなに日が経っていなかったのね、と安堵するような気がして。

今日は週末に各地で開かれるフリーマーケットの1つを覗いてみたり、SOHOの辺りを散策したりしながら、帰りの荷物を入れるためのバッグと明日午前中に発つ飛行機に乗り遅れないための目覚し時計を探して歩いた。しかし結局収穫はなくて、バッグはホテルの近所で半額で売っていたDIESELのバッグを購入。ここには後半結構通ったが、わかりやすくゲイのお店だった。店員さんはしゃがむとお尻が半分見えちゃうし、ムキムキ男性のポスターがでかでか貼ってあったり、奥の方には「I'm a gay.」と書かれたTシャツが売られていたりした。ちなみにチェルシーはゲイの街らしい。私にはある意味安全な街である。話を戻して、目覚まし時計はもともと気に入ったものがあったら買おうぐらいに考えていたので、ホテルのモーニングコールを依頼することにした。

ホテルに戻って一息した後、受付までモーニングコールの依頼に出向いた。このホテルにそんなサービスがあるのかどうかが不安の種。また、この私が正確に依頼内容を伝えられるのかどうか、これまた一層不安。これに失敗すると、まず乗り遅れる。それはまずい。エレベーターの中で、用意したセリフを口に出して練習しながら受付に向かう。受付に着くと、先日部屋の鍵が開けられなかった時に助けてくれた強面のお兄さんが一人腰掛けていた。

「Excuse me. Can I make a wake-up call tomorrow morning?」と、用意していた言葉を、つまずかないようにゆっくりと口にした。すると、すぐにOKの返事をくれて、部屋番号と呼出時刻を尋ねられた。すべて回答用意済みの質問。「8 o'clock.」との答えに、「朝早いねぇ」(英語を思い出せない)と反応していたが、その理由を説明する言葉がすぐに出てこなくて、「そうなのよぉ」という顔をして「Yes.」と答えた。んー、情けない。何はともあれ、しっかりとお願いできて一件落着。「よろしくお願いします」という顔をしながら「Thank you.」と伝え、私はその場を後にしようとした。

その時である。すでに彼の視界から消えている私に、「君は日本から来てるの?」と受付奥から声がかかった。彼の英語はとても聞き取りやすくて、すぐに意味が理解できたので、そのままYESと返事をし、受付の前まで戻って彼の話に耳を傾けた。彼が今おつきあいしている女性は、小林さんという日本人なのだそう。彼はまだ日本に来たことはないそうだけど、彼女から話に聞いている日本についてのあれこれをいろいろと話してくれた。

しばらくすると、受付に「お菓子の家」を手にした中年男性が陽気な顔をしてやってきた。受付のカウンターの上に、それをドスンと勢いよく置くと、「お菓子の家」の屋根もまたドスンと落っこちてしまって、外壁の1つもバタン。一気におうちが崩れた。私は思わず声を上げた。びっくり顔の私を見て、その男性はバリバリとそのお菓子の一部を割って、かわいいキャンディーのくっついたビスケットを私に分けてくれた。そこからしばらく受付のお兄さんとその中年男性と私で会話を楽しんだ。

「お菓子の家」をもって現われた男性は、ここのホテルの住人なのだそう。ドイツからいらしたバイオリン奏者。普段は音楽の先生をしているそうで、この「お菓子の家」はその生徒さんからの手作りプレゼントなのだそう。その男性は、「このホテルにいるみんなでこのお菓子を分けてほしい」と受付にやってきたのだった。なんて素敵なお話。そして、話の一部始終を聞き取れた自分にも感動。いくつか自ら質問できた自分にも感激。ハハ、しょぼくて結構である。思いがけない体験を持ち帰って、幸せに床につく。旅終盤にしてようやくきちんと眠れるようになった。

■2002/12/30(mon) 最後の失敗

朝、結局モーニングコールより早く目が覚める。8時前に起床、お風呂に入って、荷造りを完了させ、最後にアメリカンな食事をとろうと朝食に出かける。

ホテル近くの「VENUS」というお店。アメリカンな料理を楽しむならココ。さて、今日はいつも見ていたメニューと違う。朝食メニューは別にあるようだ。私は、店員のお姉さんに「Brown bread」と「One egg, scrambled on the roll」を注文。スクランブルエッグをパンで挟んで食べようと考えた。しばらくして、トーストにマーガリンがぬられた「Brown bread」が到着。そのまま手をつけずに、タマゴの到着を待つ。またしばらくして、お姉さんが「One egg, scrambled on the roll」を持ってきた。そこで、私はショックのあまり、思わず声を上げてしまった。「タマゴ」じゃなくて、「タマゴを挟んだパン」が出てきたのだ。

「タマゴ」が単身でやってきてくれるのを心待ちにしていた私と一人身のトーストの心は無残にも引き裂かれた。私のショックな悲鳴を聞いて、お姉さんはいたずらに笑ってみせた。「わーん、それならそうと最初から言ってくれー!」と涙しつつ、でもそんな想いを英訳することもできず、とりあえず気を取り直して「タマゴを挟んだパン」をいただくことにする。うっ、でも最初に到着したトーストの方があったかくておいしそう。途中からタマゴだけ単身トーストのパンに移し変えていただくことにする。うぅ。最後にしてやられた。

アメリカのメニューを理解するには、食文化への理解を含めて相当時間がかかりそうである。まぁ、それも一つの楽しみ。ニューヨーク旅行、最後の朝食の美しい思い出。お姉さん、どうもありがとう。

■2002/12/31(tue) 旅の終わり

ニューヨークから日本に戻る機中で、大晦日を迎えた。帰路もやはりユナイテッドエアライン。で、おやつの時間、懲りずにまたカップラーメンが出た。とある日本人の「日本人はおやつ感覚でカップラーメンを食べるよ」なんて一言に端を発しているのだろうと勝手に推察しているのだが、あながち間違っていない気がするのは私だけ?

行きの飛行機で見かけた乗務員さん数人がまた乗っている。疲れているのか、座席のボタンで人を呼んでも数回に渡って誰も来てくれなかったり、食事を出すのにものすごい時間がかかっていたり。人のアサインも大変な状況なのかなぁと勝手に心配してしまった。大きなお世話である。そんなこんなで、飛行機はやっぱり狭いところでじっとし続けるので、とんでもなくしんどかったが、無事成田に到着することができた。

ニューヨークに旅立つ際には、早くから自分の腕時計をニューヨークの時刻に合わせていたのだが、日本に戻る機中はなかなかそうもいかない。時計を日本の時刻に戻さなくてはならないことはずっと気にかけていたのだが、もったいなくてなかなか行動に移せない。結局そのまま飛行機を降りて、電車に乗って、家までたどり着いてしまった。今日は大晦日。さすがに年明けまでには直さないと、とどこかで思った記憶はあるのだが、おうちに着いた時点で、いろんな力がひゅーと抜けてしまいさっさと眠ってしまったので、未だ私の時計は14時間前を刻している。さて、いつ時計を戻そうか。いつ旅を終えようか。

とはいえ、高校時代に修学旅行で訪れたカナダから帰国する際に感じた「やだー、帰りたくないー!」というだだっこみたいな気持ちと、今回はだいぶ異なる気がする。かなり冷静な感覚だ。予想どおり、海外でしばらく暮らしてみたいという思いは強くなって帰ってきたが、当時に比べればあまり無防備にものを考えることをしなくなったのだろう。でも、考えたことを推し進める実行力は、昔よりも格段伸びているはず。あの頃には結局実現できなかった夢をこの先実現できればいいなぁと、静かに思いを巡らせている。

■2003/1/2(thu) 旅とは

旅とは、他人の鏡を借りて己を省みる機会を得るものである。
旅とは、己を日常生活から引き離す手段である。
旅とは、ただ単純にいいもんである。