2019-10-20

「内容より、まずデザインをどうにかしましょうよ」と推したいときの説得材料

自社のウェブサイトをテコ入れしたいとき、「コンテンツが先か、デザインが先か」という問題が浮上したとする。一気に両方をどうにかすることはできない。優先順位をつけて、「今期はこっちをやって、そっちは来期予算でやりましょう」と、時期を分けて取り組まなきゃいけない、としよう。

そのとき、コンテンツを見直したい勢と、デザインを見直したい勢が出てくる。話し合いは平行線、互いに引かず、根性比べの様相。

とまでややこしい状況じゃなくても、一人の頭の中で、どっち先行で手をつけるべきかを根拠づけなきゃいけないシーンはあるかもしれない。ないかもしれない。よくわからない…。が、もしあったとしたら、次の研究結果は、話し合いを建設的に進める役に立つかもしれない。

エリザベス・シレンスの研究チームが、高血圧症の患者を被験者に、高血圧に関する情報をウェブで探してもらったところ、こんな研究成果が得られた。(*1)

人はまず、信用できないサイトを「デザイン」でみて排除してから、残ったサイトについて信用に値するかどうかを「内容」をみて判断するという。

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確かに、自分のウェブ検索行動を振り返ってみても、何か調べものをするときは、Google検索で上位にあがってくるページの数々をざざざーっとタブで開いていった後、まずは「信用できない」第一印象を受けるところを削って、絞り込み作業をしていたりする。フォントやレイアウトや色といったデザインから受ける漠とした印象から、まともそうで読む気がするところを厳選してから、内容を読み込んでいくステップを踏んでいる気がする。

とすれば、「デザインのテコ入れが先行」ということになる。

コンテンツの充実を先行したところで、デザインに問題があれば、まず見てもらえず意味がない。デザイン上の問題を先行して解決するのが賢明でしょう、という話。

とはいえ、「デザインの問題」が致命的なものでないかぎり、そう話は単純じゃないんだろう。デザインもそこそこ、コンテンツもそこそこというときに、この話がどれくらい使えるものかという現実問題は頭に浮かぶけれど、まぁ何かに使えることもあろうかなと、ちょっとスライドにしてみた次第。

これを踏み台にして、定量調査として「アクセス解析すると、〜から来訪したうち○%の人が1ページ目で離脱しているんですよ。見た目の第一印象で「信用できない」と判断されていることが懸念されます」というのとか。

定性調査として「同様の調査を、当社の事業領域をテーマにユーザーテスト形式でやってみたところ、○%の人が当社のサイトを「信用できない」と判断して1ページ目で離脱してしまったのです」とかいうのを入れて、肉づけていく感じなのか。

世の中そんな単純に話は運ばないのかもしれないけど、何かの検討の一助になればということで。

*1: Susan Weinschenk(著)、武舎広幸+武舎るみ+阿部和也(訳)「インタフェースデザインの心理学 ウェブやアプリに新たな視点をもたらす100の指針」(オライリー・ジャパン)

2019-10-09

[読書メモ]インタフェースデザインの心理学

スーザン・ワインチェンク著「インタフェースデザインの心理学 ウェブやアプリに新たな視点をもたらす100の指針」(*1)を読んでいる。翻訳本が出たのが7年前になるのだけど、今でも増刷を重ねている名著として知られる(のに今はじめて読んでいる)。けど、これは本当に名著だ!(遅)

おもしろく、わかりやすく、しっかりした根拠をもって、インタフェースデザイン実務に役立つ100の指針を丁寧に解説しているところが素晴らしい。

一言で言えば、そういうことなのだけど、この本のすごいところを個人的にもう少しくどくど書き連ねるなら、書いてあることを、この本づくりの中で体現して、手本として成立させているのがすごい。

この本の読書体験をもって、読者はその実践例を目の当たりにし、その指針を取り入れることの効果を十二分に体感できる仕立てになっている。つまり、この本のインタフェースが素晴らしい。

副題に「ウェブやアプリに新たな視点をもたらす100の指針」とある通り、この本は心理学の知見を「ウェブやアプリ」を作るのに役立つエッセンスに落とし込んだものなので、全部が全部、「本」という体裁に持ち込めるわけじゃない。けれども、本にも共通するエッセンスを多く含んでいて、それが余すところなく、この紙面で体現されている。

あらゆる標題や見出しが洗練された言葉で付けられているし、各項目のポイントは4つ以内に整理されて簡潔明瞭に示されているし、具体的な言葉や絵を見せてわかりやすく&記憶に残りやすく例示する工夫も随所にあるし…。

読者である私は、書かれている指針そのものに理解を深められるのはもちろんのこと、この紙面でもそれが実践されているからこそ、私の中に今この深い理解が成立しているのだという重層性に思いを馳せ、インタフェースデザインの心理学に基づく指針に倣うことの価値を実感させられる作りになっている。

10章100項目にわたる指針は、1項目2〜3ページくらいで小気味よく語られていくのだけど、私がこれまで読んだ中で最も心打たれた項目が、「人は物語を使って情報をうまく処理する」である。この項目は、こんな書き出しで始まる。

何年か前のある日、筆者はユーザーインタフェース関連のデザイナーが集まるセミナーの講師を務めました。部屋は満杯でしたが、参加したくもないのに上司の指示で参加している人がほとんどでした。

こんなふうに、「いきなり理屈」ではなく「著者の物語り」から、新たな項目が書き起こされている。

物語は、この項目の中で示されている通りに、「場面設定、登場人物、状況や(主人公が立ち向かう)障害を聞き手に説明」していく流れをたどっている。読者の私は、これを読んで「筆者はこの後、やる気もない参加者にどう立ち向かっていくのか」と、物語の次の展開が気になる。

それで自然と、その先を読み進めていく。すると、筆者が「物語」の力を使って、参加者の注意を引きつけ、このセミナーを成功におさめる着地をみる。その様子を、私たち読者に物語った後、こう続ける。

さて、ここまでの話も立派な「物語」であることに気がつきましたか?物語には説得力があります。相手の注意を引き、その後も気をそらさせません。しかし、それ以上の力もあります。物語は、人が情報を処理するのを助け、物事の関係を伝えてもくれるのです。

ここまで読み終えたとき、私は今しがた筆者の物語を読んだ体験をもって、物語には説得力があること、相手の注意を引き、その後も気をそらさせない力があること、人が情報を処理するのを助け、物事の関係を伝える力ももつことに、疑いの余地なく腹落ちした状態になっている。

しかも、こうした物語の挿入は、この「物語」の項目のところだけにとどまらない。100の指針のいろんなところで、著者の物語は書き起こされ、挿入されている。そんな書き出しに出会うたび、厚ぼったい本だけど、読み物を楽しむようにページをめくっていける物語の力を、読者として体感する。

自身の読書体験を通じて、「あぁほんとだ、筆者がいうとおりだ」と思う。「物語は人が情報を処理するのに適した自然な形式」であり、「物語を使えばわかりやすく、興味深く、記憶しやすいものになる」という物語の効果を、ひしひしと感じるのだった。

いちいちそれぞれの指針に自分の物語をこしらえるなんて、実に大変な仕事である。この重層的で、丁寧な本づくりに感服する。

そんなわけで、この本は私にとって、一冊で三重においしい本だった。まず、自分がサポートする対象の人たちが学ぶべきサイトやアプリのインタフェースデザインについて学べる(支援対象の学習テーマ)。

次に、私こそが学ぶべきインストラクショナルデザイン(私自身の学習テーマ)とも領域がかなりかぶるので、そこの指針としてもおさらいや知識補完ができる。

さらに先に述べた通り、この本自体の読者に対するインストラクションが見事で、事例として素晴らしい。何を具体例に示して納得を得るか素材選びもドンピシャだし、説明にどんな言葉を用いるかもシャープで、教え方や伝え方の手際も良く、素晴らしい学習体験だった。

ちなみに、まだ少し先が残っているけれど、今のところ(ラジオリスナー的に)この本の中で一番テンションが上がったのは、「人はどう見るのか」という章の中にあった一節。

あるものを実際に知覚しているときよりも、それを想像しているときのほうが視覚野の活性度は高くなります[Solso 2005]。活性化する領域は同じなのですが、想像しているときのほうが活性度が高いのです。ロバート・ソルソの説によると、刺激となる物体が実在しないため、その分、視覚野が奮闘しなければならないとのことです。

「実際にものを見ているときより、目の前にものがない状態で想像しているときのほうが、脳の視覚野は活性化している」というのだ。全ラジオリスナーにシェアしたい!と思った。

Susan Weinschenk(著)、武舎広幸+武舎るみ+阿部和也(訳)「インタフェースデザインの心理学 ウェブやアプリに新たな視点をもたらす100の指針」(オライリー・ジャパン)

2019-10-08

大きな街の、小さな親切

都心はターミナル駅を筆頭にして、ちょっと困っている人との遭遇率が非常に高い。目線を周囲に向けて歩いていれば、一日に一度はあっという場面に遭遇する。そこで、さっと手助けできれば一日一善くらい、たやすく達成できるレベルで、ちょっと困っている人に遭遇する。

人助けをさほど特別なものととらえず日常的にしている人は、道案内をしたとか、切符を買うのを手伝ってあげたとか、拾い物をして届けてあげたとか、優先席じゃなくても席を譲ってあげたとか、そういう親切をいちいちSNSに書き込んだりしない。

ときどき、そうしたことがSNS上で話題になるけれど、小さな親切の多くは、ネット上に記録されていないのだろうと思っている。不親切のほうが記録化されやすいのでは?とも。

小さな親切を当たり前にする人は、特別なことをしたと意識に刻んで反芻することもなく、あちこちに誇らしげに語ることもない。だけど日々そうしたことは、街のいたるところで実はあるのじゃないかな。私はそんなふうに東京をみている。

週末に会った同い年の友人は、そういうことを当たり前の所作としているような人で、そういう生き方をして歳を重ねてきた友人と話していると、とてもよい刺激をもらって、快いものが心のうちに浸透していくのを感じる。

私はまだ、道半ばにいる。あっと気づくと、さっと動けることは多くなったけれど、まだ自分の中で、よいしょって気持ちを起き上がらせて取りかかるようなこともある。躊躇して、結局動けずじまいになってしまうこともある。

それでも、ずいぶん変化しているのは確かだ。

以前は、街中で人助けするなんて1ヶ月に一回あるかないかくらいだった気がする。けれど、少し前を振り返ると1週間に一度くらいになっていて、そういえば最近はというと2日3日に一度くらいはやっている感じだ。

駅の改札口で困っている観光客を誘導したり、白杖を手にきょろきょろしている人に声をかけたり、ものを拾って届けたり、駅中や街中でなんやかんや、ちょいちょいやっていることに気づく。

そんな頻繁にあるかって話だけど、とにかくすれ違う人の数が多いし、土地に不慣れな人の行き来も多いから、都心の駅とか街とかって驚くほどそういう場面との遭遇に満ち満ちているのだ。

目を光らせてすべてに手を出していったら、いつまでも自分の目的地に到着できないんじゃないかとすら思う。だから自ずと、困っている人に無反応になっていってしまうとも言えるかもしれない。

今は、「よいしょ」くらいの感覚を覚えながら手を出すこともあれど、自然と気づいたら声をかけていることも増えてきたし、どっこいしょとか、よっこいしょってレベルで意を決して親切な行いに挑む心持ちもなくなった気がする。完成形まで、もう少しだろうか。

あとは慣れの問題という気もする。過去経験したのと同じようなシチュエーションだと無意識に手が出たり声が出ているのだけど、新しいシチュエーションだと検討モードに入ってしまったり。

でも、そのシチュエーションも対応レパートリーが増えていくと、さして似ていない状況下でも、あっ、さっ、ぱっと動ける応用力がついてくるらしい。こういうのにもキャズム超えみたいなタイミングがあって、一気に爆発的な成長を遂げる、とかあるのだろうかと期待してしまう。

細心の注意を払って探しまわる気合いもなく、毎日一日一善を成し遂げるぞ!という志しもない。ただ普通に日常生活を送って街中をてくてく歩いている中で、困っている人に遭遇したら自然とそれに気づける人でありたいし、あっと気づいたら当たり前に、さっと動ける人でありたい。

問題が大きくなった先に勇者が現れて人々を救う物語より、小さな親切をする街の人がそこかしこにいて問題が大きくなる前に互いが困りごとを摘みあっていく、そういう物語のほうが、実際に日常を営む街の住人としたら、断然いいと思うんだよな。地味だけど、みんなが主役だ。

まずまず、いい調子である。このまま自分の当たり前をアップデートできますように。

2019-10-07

答えは、人との対話の中にある

部署異動して1週間。実質は10月に入る少し前から、社内の仕事比率がずいぶん高まっているのだけど、それとあわせて、自分が社内でめちゃめちゃしゃべるようになっていることに驚く。この変化をもって、わりと仕事ががらっと変わった感を覚えている。

体感的には、この1週間で、自分の過去平均1年分の話量に達したといってもいいくらい。前の部署でどんだけしゃべっていなかったんだ…という話だけど、ずっと自分の話し相手は、社外のお客さんや、参画くださる講師の方がメインだったので、社内ではかなり寡黙だったのだ。

今は社内がメインなので、すぐそばにいろんな人がいるし、サポートする対象もいろいろ部署をまたぐし、近くにいる分、あぁしたらいいかな、ここはどうにかしたほうがいいんじゃないかなと、思いつく問題点・仮説・アイデアの量も増える。

取引・契約の云々関係なくさっさとやり始めたり声かけたりすれば進むことも多いので、意見出してなんぼという感じもある。

特に初めは、こちら側が出せるものを全力で出していかないと、向こうも私がどう使いものになって、どう使いものにならないか判断もできないのだろうと思うので自然と、懸念点もアイデアも仮説も言いまくり、しゃべりまくりの1週間になった。狙ってそうしたというより、自然体でそうなっていただけだけど…。

思うところを惜しみなく率直に話して、向こう側の意見も聴きまくって、腹割って話し合って、そこからこれというものを作り出すのが仕事だと思うのだけど、注意しなきゃいけないのは、相手には相手の仕事の流儀や常識というのがあって、いきなり腹割って話し出す人ばかりじゃない。考えることの量も解像度も方向性も違うし、今は自分がまだ見えていない相手に対面していることを重々自覚して、丁寧に論点をすり合わせて話を聴きだしていく、相手のことを理解していくという時間を大事にしないとなとも思った。

最初から思っとけという話だが、わりと野生の勘で生きているので、分け入って相手との対話の中で感じ取って改めるところも多分にあるのは仕方ない。これからちょっと心がけていこう。

自分が思うことが絶対じゃないし、意見を出しているだけなので、もっといいアイデアがあるかもしれないし、私のはヘタレな考えの可能性も十分にある。それでも、そのボールを投げてみたことをきっかけにして議論が深まったり、論点が整理されたり、新しいアイデアが出てきたりすれば御の字だ。

だけど、ぱっと思い切って出した意見が、「じゃあ、それで」と、そのまま通っちゃうようであれば、やり方を変えたほうがいいかもしれない。私が論破したいと思ってわーわー言っていると思われては、相手が私を勝たせてあげなきゃと思って引いてしまうかもしれないし、これまでのその人の仕事環境、仕事相手、その人が大事にしていること、大事にしていないことによって、私のふるまいの受け止め方もさまざまだろう。よい話し合いが深まるように、よい答えが生み出されるように、相手との対話の中で、自分のふるまいを見直していかないと。

先日、仕事の下調べでちょっと生身のマーケターの話に触れたいなぁと思っていたところにイベントの案内を見かけたので、「多様化するマーケターのキャリア」と題するイベント(*1)に参加してきた(といっても、前半のパネリストのお話だけ聴講して失礼した)のだけど、そこで登壇者の立川麻理さんから、こんな言葉を聴いた。

答えは、人との対話の中にある。
自分の過去の経験の中に閉じないこと。

確か、彼女が最近ドイツに足を運んで参加してきた研修か何かで学んだことだと言っていた気がするけれど(うろ覚え…)。ともあれ、今の自分に響く、いい言葉を聞かせてもらったなと温かく胸に残っている。

自分の中に閉じていないで、答えを相手との対話の中に見出そうとする姿勢を、新しいクライアントを前に、誠実にやっていこうと思う。

*1: SOCIAL INNOVATION WEEK SHIBUYAとの連動企画で、マーケターキャリア協会が主催したMCA Meet Up #02 。2019年9月18日の晩に渋谷ヒカリエ内で開催

2019-10-04

「○○人材の空洞化」問題を語るときの切り口

「○○できる人がいない」「○○人材の空洞化」といった問題提起がされるとき、話し合う人たちの間で、どの切り口で不足を問題視するのか前提をすり合わせないと、いまいち議論が噛み合わずに時間を消費しちゃうことがあるのかなぁと思って、オーソドックスな切り口を4つ整理してみたペライチ資料。

これは、Information Architecture / Information Architectの仕事を取り上げて考えたので、IAと入っています。ちょっとしたものですが、皆さまの応用力頼みで、どこかしらで何かしらになるかもと、とりあえずネット上にシェア。

Ia4

どこに実質的な問題が生じているのか。

1.この領域で「デキる人」が絶対的に少ないという問題なのか
2.チームの役割分担がうまくいっていなくて、そこがワークフローから抜け落ちちゃっている問題なのか
3.どこの領域を、どこまで守備範囲としてやるべき(とかできているかどうか)という要求水準が人によってずれていて問題視されているのか
4.どこの工程を、どこまで守備範囲としてやるべき(とかできているかどうか)という要求水準が人によってずれていて問題視されているのか

など。もっと別の切り口もあるかもしれないけど、ともかく、いろんな切り口があるから、この辺りを整理して論点を認識合わせすると、ちょっと話し合いがスムーズになるかも?ならないかも?自信は、ない。が、試みることは大事。ということで、お茶を濁す。

2019-09-29

脳内転職のつもりが、現実世界で部署異動

10月1日付けで、久々に部署異動することになった。先週金曜日に、人事通達が出た。

その少し前に上司から内示があったのだけど、その少し前からなんとなく察知していて、それよりもう少し前から、ちょうど今度の異動先で求められるような役どころに、私の仕事の軸を移行させたほうがいいのではないかという提案をまとめて、今の部署の上司らと話し始めていたところだった。

なので、渡りに船というか、そういう流れの中にあったのかもなというか。異動がなくとも、そういう役どころに舵取りするつもりでいて、今の部門の上司も、所属部署の枠を気にせず、その方向でやっていったらいいと合意していたので、私としてはこの秋から脳内転職するつもりで事を進めていた。それが、現実世界で、それをやるような部署に異動して、それをやることになったという感じだ。

9月のうちに新しい部署の上司に呼ばれて内々で話を聴くと、「これからは社外のクライアントではなく、社内に向けて人材開発の役割を担ってほしい」という趣旨の話。私は「ちょうどその話を、今の部署で話していたのです」と、自分が整理していた提案スライドを見せた。書き出しは、

自分の役立て方を変える
─クライアントを「社外」から「社内」へ

この一致には新しい部署の上司も驚いていて、やっぱりそういう流れの中にあったのだなぁと、勝手に思いを新たにした。

異動先は、半年前に新設されたできたてほやほやで、人材サービスを扱う事業部に移って(というか戻って)、「キャリア開発グループ」に所属する。なんというか、自分のこれまでやってきた仕事や専門性でいうと王道すぎる配置であり、座りはいいのかなと思う。

逆に言うと、今までしばらくなんでメディア事業部にいたんだという話だけど、まぁいろんな都合上とりあえずそうなっていただけで、私単体で、そこに必要で呼ばれたわけじゃない感は否めない。

ただ、その前からずっと、私はどこの部署に移ろうと、クライアントに研修を提供するB2Bビジネスを自分のメイン仕事として持ち歩いていたので、私をどこに置くかというのは組織上、さして時間を割いて検討すべき問題ではなかったのだ。

とはいえ所属する事業部は、私の勤怠管理や承認手続きなど面倒みつつ、私の社内人件費を受け持つことになるわけである。その事業部に対して何か貢献しているのかというと、全然役立っていない感というか、ひとりで全然別のことやらせてもらっていて、個人的にはありがたいんだけど、ひいてみてみると申し訳ない&所在ない&私はこの会社に厄介になり続けていいのだろうか問題は、ずっと抱えていた。

そういう心理状態は、Web担当者Forumの連載でも「デイリーポータルZ」編集長の林雄司さんを取材したときに吐露している…。

よくサラリーマンは年収の3倍、4倍の利益は上げないと雇う側はペイしないというじゃないですか。私もサラリーマンとして常に気にかけているものの、実際それほど稼げていません。会社としては、ペイしていないけれど雇い続けている状態。だから、もし会社から辞めろと言われたらすぐ辞める覚悟は常にもっている一方、言われないうちは会社に厄介になりつつ、自分なりの貢献のあり方を模索していこうという甘えがあります……。

というわけで、結局ずっと甘えてきたわけだ。社外の手厳しい先輩には、組織に貢献していないなんて給料泥棒じゃない?と突っ込まれたりもしていた。返す言葉もございませんとしか言いようがないなぁと思いながら、やはり会社に甘え、結局これといった変化は起こしてこなかった。会社の中の問題を何か取り上げて誰かにしゃべった後は、でもそれを自分でどうにかするわけじゃないんでしょ?という自分ツッコミが猛攻撃をしかけてきて、毎回自己嫌悪に陥った。

でも、先の取材のときの林さんの言葉を引けば、やはり「会社は一番のクライアント」なのだ。自分の勤め先こそ、自分にまとまったお金を払うだけの価値を見出してくれているありがたい存在である。私の働きに、そんな長期的に、まとまった金額を出してくれる組織など、他にないだろう。

これまでつきあいのあったクライアントの中には、私の裏方仕事に価値を見出して、明示的にありがたがってくださった方もいたけれど、それはやはり、私が自分の仕事に高額請求しない前提に立っている。私が自分の裏方仕事に対して高額の見積もりを書いて出したら、お金を出してまでお願いしたいとは思わないと手を引っ込めるクライアントが大半だろう。ご担当者が意味を見出してくれても、組織の決裁として、なかなか通すのは難しい。もちろん、それはこちら側の課題で、先方に問題があるわけじゃない。

私のような地味な働きに対して、その内訳はさほど知らないにしても、一定の価値を見出して雇ってくれるというのは、やはりものすごくありがたいことなのだ。

そこで、これまでだいぶ社内の中核事業のあれこれとは距離をおいて、単独でクライアント案件に注力してきた分、このさき半年とりあえず会社の事業のほうに向いて、これまで外で鍛錬してきた筋力を応用して、自分の働きどころを見つけては、あれこれやってみて、役に立てそうか様子をみてみようと思う。

自分のできることでいうと、一つひとつ、きちんと聴く、きちんと調べる、きちんと考える、きちんと要件と提案に展開させる、きちんと言葉に起こす、きちんと図解する、きちんと文書にまとめる、率直に物申すという感じかなと思われ、きわめて一般的な仕事力の集合体でしかないのだけど、そういうことを大事にやってきたので、そういうことを大事にやっていこうと考えている。それが役に立つ何かになったらいいなと。

すでに、新しい上司との打ち合わせでは、この辺りを意識的にやっている。打ち合わせで聴いた話を整理して、そのグループがやっている活動を整理して1枚ぺらでわかるよう要旨をまとめたり。こういう体制が望ましいのではないかと話題に挙がっていたのを図に表すなど。短時間に情報を編集して、言葉や図に展開して有形化してシェアして、次に話がつながりやすいように活動しているのだけど、なかなかこれが基礎体力の筋トレみたいな効果もあって良さそうである。

きちんと役立つようなアウトプットでないと、ただの自己満足になってしまうのでいけないが、そういう「物事を展開させるところ」が滞りやすいので、うまくそこで力になって、もやもやしているものを言葉にして顕在化させるとか、点在しているものをつなげて意味を見出すとか、滞っているものを発見して理由にあたりをつけて要因をつぶして始動させるとか、やりたいことを企画だててタスク出し&時間軸にのせてスケジュールを引くとか役割分担するとか。つなぐ、展開させる、始めさせる、前進させる、みたいな力になれるといいなぁと思う。まぁ、きわめて曖昧な役どころなんだけど。でも曖昧だからこそ社内で価値を見出してもらえる働きなのかもとも思う。

ちなみに、クライアント案件をゼロにするのではなく、今走っている案件も引き続き頑張っていきますし、新たにご相談いただける案件にもお応えしていく所存です。社内仕事も肥やしにして筋力を鍛えておきますので、社内外を問わず、お気軽にお声がけください。

また、社内に向くといっても、自社社員育成というより、人材サービス事業の人材育成にまつわるあれこれを手掛ける意味合いが強いので、事業主側として社外に向く感があります。これまでクライアント案件を手がけてきたときよりずっと自由に社外とコラボレーションする企画立案に動けると思いますし、自分が考えたことや作ったものを共有しやすいかもしれないと思っています。そういうところも、いろいろ形にしていければと思いますので、今後とも何卒ごひいきに。

2019-09-08

元どおりになるものなんてないのよ

新宿にある、ビル丸ごとが本屋さんの紀伊国屋書店は、文庫本コーナーだけでも大家族がゆったり暮らせる広さを有する。そんな中にあって、POP広告が目を引き、お薦め本として平積みされていた新刊の1冊を、ほとんどジャケ買いでレジに持っていった。

本を差し出したとき、レジの店員さんが少しばかり顔をほころばせたような気がしたのは、気のせいだったのかどうなのか。ふと、もしかして、この人があのPOP広告を書いた人では?と思ったりした。

POP広告の端っこに、作った人の苗字だけでもカッコ書きで添えておいてもらったら、客もレジで書店員さんの名札を見て、にやりとできるのに。その人の薦めるものにヒットが多ければ、POP広告を目当てに本屋を訪れる習慣をもつかもしれないし、書店員への情なりファン心理が育てば、Amazonではなく、その本屋で買って帰る愛着も醸成されるのでは…などと、ぶつぶつ考えながら本屋を後にした。

というわけで、少し前から「戦場のコックたち」という長編小説を読んでいる。文章を読むのが遅いのに短編小説が苦手という、都合の悪い性質…。500ページ強あるのを、のそのそ読み進めている。

いちおうミステリー小説という位置づけのようだけど、舞台は1944年、主人公はアメリカ合衆国のコック兵、海外文学と思いきや作家名は深緑野分(ふかみどり のわき)、ペンネームだろうが1983年の神奈川県生まれとある。

主人公のティムは、ノルマンディー降下作戦で戦地に立ち、戦闘に参加しながら炊事をこなす。戦場暮らしの中で遭遇する"日常の謎"を解き明かしていく推理小説であり、戦争小説でもあり、人間ドラマもあり、人種差別の問題にも丁寧に踏み込んでいる。

次の一節は、主人公の子供時代の回想シーンだが、ここを読めただけで、この本を読んでよかったと思う。

やっと掃除を終えた僕は、泣きながら祖母に「全部元どおりになったよ」と訴えた。けれど祖母はしゃがみ、僕の目線に高さを合わせると、「元どおりになるものなんてないのよ」と言った。

元どおりになるものなんてない。なんて、一言で“本当のこと”を言い得たセリフだろうか。小説にはこうした、この一言を伝えるがために、この物語が背景として存在するのではないかと思うような言葉のひとかたまりが、さりげなく話のド真ん中に埋め込まれている。

物語の中に出てくる「おばあさん」というのは、たいてい名ゼリフをはく。ずいぶん前に読んだ伊坂幸太郎の「モダンタイムス」で、

あなたはまだ実感ないだろうけど、人に会えるのはね、生きている間だけだよ

というセリフを決めたのも、わりとお年を召した女性だった気がする。わりと物語のド真ん中にあった気もする。

不可逆な時間軸にそって生きるほかない私たちにとって、すっかり元どおりになるものなんてないのだけど、ここにつながるのは決して絶望ではない。元どおりに戻せない前提は、それはそれとして腹くくって受け入れて、それを糧なり肥やしにして、新しいもの・こと・関係を作り出していく未来的な広がりを暗に指し示す。そうやって伝わるように、物語が下支えをしている。

ポール・オースターの「幻影の書」の中に、

危機的な瞬間は人間のなかにいつにない活力を生み出す。あるいは、もっと簡潔に訳すなら-人は追いつめられて初めて本当に生きはじめる。

というくだりがある。人って何かの前提条件を正面から受けとめて、それに向き合ったときに豊かな発想力を発揮する。元どおりにはならない現実を受け入れることで、元どおりに戻そうとするのではなく新しいものを作り出せばいいと、過去を割り切り、未来に目線を移して、より豊かに、より楽しく面白くなるように思考を巡らせることができる。

考えることは、今地点からあらゆる方向に解釈を広げ、可能性を広げる潜在能力をもつ。そうやって生きていくのが、人の営みの魅力の一つだ。

中村文則「何もかも憂鬱な夜に」には、

考えることで、人間はどのようにでもなることができる。……世界に何の意味もなかったとしても、人間はその意味を、自分でつくりだすことができる

とある。「考える」ということの尊さに思い巡らす中、ポール・オースター「幻影の書」の一節に。

結局のところ世界とは、我々の周りにあるのと同程度に、我々のなかにもあるのだ。

この一節を読んだことはすっかり忘れていたのだけど、何冊かの本を通じてこの感覚に触れた憶えはあり、私はもう何年も、宇宙と同じ広がりをもって、人間一人ひとりも内側に小宇宙をもっているという感覚をもって生きてきた。

読んだ本の中身は恐ろしいほど短期間に忘れちゃうんだけど…、自分の中にこういう一節一節の意味するところはしっかり刻み込まれていて、私の価値観を豊かにしてくれている気がする。気がするだけかもしれないけど。やっぱりなぁ、小説はちょこちょこ読まないともったいないなって思った。

2019-08-30

[読書メモ]伝わるデザインの基本 増補改訂版 よい資料を作るためのレイアウトのルール

新刊ではないのだけど、高橋佑磨氏と片山なつ氏の共著「伝わるデザインの基本 増補改訂版 よい資料を作るためのレイアウトのルール」(*1)が素晴らしく良書だったので、ちょいメモ。

非デザイナーなんだけど、スライドとか企画書とか、チラシとかポスターとか自分で作らなきゃいけないビジネスパーソンや学生向けに、デザインの基本ルールを教える本。

こうしたビジュアルデザインの入門書というのは、ここ数年のうちに出たものでも私が知るだけで、いくつかある。謳い文句は、だいたい「あなたはセンスがないからできないんじゃない。デザインのルールを知らないからできないだけ。デザインにはルールがある。その基本ルールを使えば、見違えるほどうまく作れるようになる!」というアプローチ。これは実際、間違っていない。デザインセンスのカケラもない私が責任もって保証する。

じゃあ、そんな類書の中で、この本に特徴的なところは何かというと、「著者がデザイナーじゃない」ことかと思う。お二人とも理学博士で、大学院で助教をされていたり、進化生態学とか植物とかがご専門の研究者。

「デザイナーではない人が、デザイナーではない人たち向けに、デザインを教える本」というと眉唾もの?と懐疑心をもってしまうかもしれないが、これがまぁ見事にうまいこと仕上がっている。マイナスにふれるどころか、確実にプラスに働いていると私は感じた。

デザイナーじゃないからこその、いい塩梅で、非デザイナー向けにちょうどいい範囲、内容量、語り口で解説をしている。

ビジネスシーンや学会発表などの場で、非デザイナーにどういう失敗が多いか。それがなぜわかりにくく恰好悪いか。わかりにくいとか恰好悪いって、実際問題どういう不都合があるのか。読みやすい可読性と、目立ちやすい視認性、読み間違えしづらい判読性をどう確保するか。どう改善して、例えば具体的にどう表現すると、どれくらい良くなるか。一言でスパっと根拠を示しながら、絶妙な加減で具体的な解決方法を記して、例えばこんな感じと作例で実証していく様がこぎみ良い。

例えば、デザイナー著作の本なら必ず出てきそうな「黄金比」という言葉は、この本の中に一度も出てこない。でも、「グリッド」について、「段組」については十分な説明がある。10ポイントくらいの文字サイズで長文を書く場合、ページ幅いっぱいにレイアウトすると、一行がすごく長くなる。すごく長くなると、読者が次の行に読み進めるときの視線移動が大変になる。つまり可読性が落ちるので、2段組み、3段組みでこうやって見せるのが良いとか。すごく実用的。

研究者だけあって、言葉の選び方がいちいち的確だし、根拠がいちいち簡潔明瞭だし、説明内容がいちいちちょうどいい塩梅。やり過ぎ感もなく、不足感もない。言葉による表現力に長けていて、さすが鍛錬されているなぁと感じた。

ビフォア/アフター、悪い例/良い例もふんだんに掲載されていて、並べて見比べてみると一目瞭然でポイントがわかるように、作例も丁寧に作られている。

デザイナーじゃないから、作例の仕上がりは「そこそこ」なんでしょう、「洗練されている」には遠く及ばずのクオリティ?いやいや、そんなことない。といって、センスの塊すぎて、自分には到底真似できないというのでもない。

デザイナーさんの著作だと、作例を見ていて、確かに書いてあるポイントも素敵さを実現している1要素なんだけど、説明していないあれこれのセンスやらノウハウやらも総動員されて全体が仕上がっている感のする作例もあったりする。これ1つやったからって、このすごいのができるわけじゃないんだよなっていう。だけど、この本の作例は「書いてあることをそのままやったら、このクオリティにできる」感があって、その点易しい。

使っているツールも、たいていはPowerPointとWordで、たまにIllustratorでどうやるか補足が入るくらい。なので、MS Officeさえパソコンに入っていれば、「具体的にどうやるの?」をすぐに一つファイルを作って試してみられる。「すぐおいしい、すごくおいしい」感がすごい。

プロのデザイナーに発注するレベルじゃない(=非デザイナーが自分でやらなきゃな)作り物であれば、これはもう十分なクオリティでは。と言っている私はデザインセンスがゼロなので、そこの評価は他所に委ねるが。

あと、デザイナーが教えるスタイルの本だと、「デザイン制作の流れ」を理解してもらおうという章立てになるのが一般的かなと思う。いきなり作り出さないで、まずは読み手が誰で、何の目的でこれを作るのかを明確にして、そのためにどういう情報が必要で、それをどうレイアウトして、配色はどうするか、文字・書体選びは?図解はどのようにというふうに、「全体から入って各パーツ」のデザイン作法に展開していく、本の構成。

正しい。正しいんだけど、それだとどうしても頭でっかちになるので、ちょっと試してみて、おぉこれは確かに!っていう体験を得るまで道のりが長くなってしまう。その途中で読み止まってしまうことも。

その点、この本は「各パーツから入って全体」へ、逆の流れで構成立てている。「書体と文字」「文章と箇条書き」「図とグラフ・表」といった要素を章立てて説明した後に、これらをどう「レイアウトと配色」してまとめあげるかを説く流れ。

門外漢だと、とにかくパーツレベルでちょっと気を付けると見違えるように良くなる一手から学んでいけたほうが、敷居が低く、手を出しやすかったりする。

ヘタに個性的なポップ体とか選ぶと読みづらいのかとか、和文をイタリックにしちゃダメなのかとか、じゃあ文字はシンプルなフォントを選んでとか、行間、字間、段落間隔をきちんと設定したり、全体を左に揃えるだけで、ずいぶんと洗練された雰囲気に変わるものだなとか。

ここを変えるだけでも、確かに良くなった!って体験が初っ端からあちこちでできると、その先も読んで試してみようというふうに動機づけられる。読んでは試す、読んでは試すと、頭でっかちにならずに読み進めて試せる構成が、非デザイナー向けとして、すごくうまい具合だと思った。

あと、アドバイスや指針が具体的。洗練されたフォントを使おうとか、格好悪いものはやめようとか言われても、それが何なのかわからないセンスない私たちには適用のしようがない問題というのがあって…。

そこんとこ、このフォントは洗練されているけど、これは美しくないとか。このフォントと、このフォントは相性が悪いとか。このくらいの線の太さは不恰好だとか、ここは余白を一文字分あけるといいとか、中に入る文字数が少ない場合は一文字分も余白をあけると不恰好だからこれくらいねとか、そういうのを視覚的に例示しながら丁寧に書いてあるのも良い。

あと、誤脱字レベルの校正ポイントを見つけたので、出版社に報告しておいたのだけど、数えたら17個。この手の本では、私の感覚だと少ないほう&ちょっとした間違いばかりだった。これらは次の改訂時とかに直してくれるっぽい。

まとめると、基本的なデザイン作法を身につけたい非デザイナーにすごくいい本。デザイナー入門書だと、デザイナーさんが書いた入門書のほうがいいかなとも思うんだけど、ビジネスパーソンという立ち位置の人であれば、これがまさしくフィットするんじゃないかしらと思う。

デザイナーさんとかだと、非デザイナーさんにお薦め書籍とか質問されることがあるかもしれないけど、私がこれを読んだ感覚だと、「デザイナー入門者」が読むべきデザイン入門書と、「非デザイナー」が読むべきデザイン入門書は、最適なものって違うよなぁという感覚。後者には、これ、いいと思います。という個人の感想メモでした。

*1: 高橋佑磨・片山なつ「伝わるデザインの基本 増補改訂版 よい資料を作るためのレイアウトのルール」(技術評論社)

2019-08-29

組織も個人も「分業型ー統合型」行ったり来たり

Creative Villageのネットイヤーグループ シニアアートディレクター・金 成奎さん×Webデザイナー/コンサルタント・長谷川 恭久さん対談 現在のWebデザインとUI/UX、課題と今後の理想形を拝見してのメモ。

長谷川恭久さんが期待を寄せる「分業化」への流れは、「デジタルデザインはスケールがより大きく、複雑になってきているのに加え、スピードも求められるようになり、分業せざるを得ない状況」ゆえという背景事情を前提におくと、確かになと思う。

一方で、あえて分業化の功罪の「罪」のほうにも目を向けると、変化が激しい時代に、専門外の経験をはなから排除していくキャリア形成になってもどうかなと思ったりする。

そこは、長谷川恭久さんも「若いうちはいろいろなことに挑戦すべきですが」と添えている通り、あまり分業化されていない環境で上流から下流までいろいろ挑戦できる職場も、それはそれで有用なんだろうなと思い。

とすると、つまり職場にも「分業型のところ」「統合型のところ」と両方が市場にあって、自分のキャリアステップに応じて、

(1) 統合型の職場(で、駆け出しのうちはいろいろ経験する)
(2) 分業型の職場(で、(1)で見出した自分の極めたい専門性を磨く)
(3) 統合型の職場(に戻って、専門性×マネジメント力とか別の専門性とかを掛け合わせて、複数のスキルの統合を図り、自分のキャリアのユニーク度を高めていく)

という感じで、行ったり来たりしながら個々人がキャリアステップを踏んでいける職場選択ができると良いのかもしれない。言うは易しだけど。

そう考えたとき、今は専門性を磨ける分業型の職場が国内に少ない(超すごい人の席しかない)ので、そこが日本も充実していくといいという期待なのかなぁなどと思いながら読んだ。

あと、国内市場だとやっぱり、「狭い範囲しか任せられない人は、たとえそこだけは優秀にできても採用できない」感じが結構ある気もするので、やっぱり最初の下地づくり(1)は、すごい大事なんじゃないかなぁなどなど。変化が激しい時代背景も鑑みると、この下地なしに変幻自在性を高く保つのは、すごく難しい感じがする。

個人だけでなく、組織もまた、成長フェーズによって分業型をとる時期、統合型をとる時期というのがあるし、同じ社内でも事業部門や拠点によって型を変えていることもある。そういうことだから、個々人も必ずしも(1)(2)(3)の都度、別の会社に転職しなきゃいけないわけじゃない。

全然あさっての方向に向かって話を展開しているかもしれないけど、興味深く拝読しつつ、思ったこと考えたことメモ。

2019-08-25

古い世代が向けるべき、若く優秀な人への眼差し

日経ビジネスの「期待の星」ほど早い決断 辞める理由の大誤解という記事が話題になっていたので読んでみた。

「一般論やステレオタイプから想像される退職理由」といえば、「愛社精神がなく、こらえ性もなく、給与や労働時間に不満で、若気の至りで会社を辞める」と扱われがちだが、「有望株が語る離職理由」は、さにあらず。

ゆえに、優秀な人に残ってもらうための施策として、給与を上げる、残業時間を削る、厳しいノルマやパワハラ的指導をなくす対策だけ講じても、優秀な人ほど、ほんとわかってないんだなと白けて離れていってしまう事案。

じゃあ、有望株は何にウンザリして辞めていくのかというので、記事で挙がっているのは、こんなところだ。

  • 改革せずには沈むこと確実なのに、上の人が改革に非協力的
  • 仕事ができないのに上ばかりみて仕事する人間が評価されて出世頭
  • 会社が本来社会に提供すべき価値とずれた、利益欲しさの経営方針
  • 自分が納得できないもの(相手が求めていない商品)を売らされる、自分なりの正義を感じられない仕事
  • 自分が唯一関心がある業務に異動できるのが20年後と言われた
  • 組織都合の配置転換で、まったく違う部署に異動。一向に専門性獲得できず、社内価値は上がれど、欲しいのは社外価値

まとめとしては、これがまさしく「優秀な若手を組織に定着させるための基本的な考え方」として必要なんだろうなと(青山学院大学経営学部教授の山本寛氏)。

この会社で働き続けても、他の企業で必要とされる能力は十分に身に付く」と社員が思えるようにすることです。仕事を通じて得られる汎用的な能力や専門スキルを押し出し、社員が自分のキャリアを長期的に考えられるようにする。つまり社員の「エンプロイアビリティ」(雇用される能力)を企業が積極的に保証するということが重要なのです。

で、この記事を読みながら思い出したのが、先ごろ読了した小松左京の「日本沈没」の一節だった。

この本、1973年の本だけど、「古い世代が向けるべき、若く優秀な人への眼差し」というのは、戦後と呼ばれた時期からずっと、今も昔もさほど変わっていないのかもなぁと思った。「教養ある原始人」というやつだ。

古い世代の幸長(ゆきなが)は、若い世代の小野寺に対して、ゆたかな時代の「新しいタイプ」の青年というふうに、こんな眼差しを向ける。

(▼は、私が勝手に入れた見出し)

▼一つの職場での実績や、安定したポスト、金銭や地位に執着しない

決して投げやりな仕事ぶりではないにもかかわらず、一つの職場での実績や、安定したポストをいともあっさり投げすて、何の未練もないように次の仕事へうつっていく。金銭や地位についても、また、認められたとか認められないということについても、まるでがつがつしない……。物質や地位に対する執着を持たずにいられるというのは、まさに、「ゆたかな時代」に成長してきたためにちがいない……。

▼「国」「民族」「国家」に宿命的な絆を感じていない(「国」を「組織」と読み替えてみて)

日本人として生まれながら、「国」だの「民族」だの「国家」だのに、暗い、どろどろした、宿命的な絆などまるで感じていない。それでいて、国に対する「貸し借り勘定」はちゃんと意識しており、決して「恩義」を感じていないわけではない。だが、その「恩義」の感情は、民族や国に対して無限責任を感じたり「運命共同体」の逃れられない紐帯を意識したりする形で出てくるものではなく、きわめてドライでクールで、「借り」を返しさえすれば、いつでも自由な関係にはいれるものとしてとらえられているのだ。

ここで注目したいのが、幸長がこの「新しいタイプ」をどう受け止めたのか、つまり肯定的に受け止めたのか、否定的に受け止めたのかという点だ。続きを引用すると…

「強制」や「義務」や「恩義の押しつけ」「忠誠と犠牲の強要」「血縁」など、あのさまざまな紐帯でがんじがらめになっていた戦前までの日本からは、想像もできないような「日本人」が、眼の前にいることをさとって、幸長はちょっとした戸まどいといっしょに、さわやかなものを見たうれしさと、くすぐったい笑いがこみ上げてくるのを感じた。「戦後日本」は、何のかのといわれながら、その民主主義とゆたかさの中から、こういう新しいタイプの青年を生み出してきたのだ。このドライで、クールで、しかも人当たりのいい、人好きのする、おとなの悪魔的な意地悪によってつけられたねじくれた「傷」を負っていない、べたついたところがなく、物質や権力に対する執着もなく、生活に対する欲望も淡白で、さらりとした感じの青年たちは、いわば戦後日本の生み出した傑作といえるだろう。

この新しいタイプを、「さわやかなもの」として「くすぐったい笑い」をこみ上げながら受け止める。「戦後日本の生み出した傑作」とまで評してみせる。私には、これが小松左京が読者に共有せんとする、新しく異質なものを受け止めるときの、あるべき眼差しのように感じられて唸った。

彼らは自分たちを「日本人」であると感ずるより、まず「人間」であると感じており、日本人として生まれたことは、皮膚の色や顔形のちがい、背の高さ、といったような、人間一人一人が持つ、しごく当然な「個体差・群差」としてしか意識していない。彼らは、自分たちを、「日本の中でしか生きていけない」と考えてはいない。地球上、どこへ行っても自分は生きていける、と思っている。生きていくことが、特定社会内における「立身出世」への妄執とつながっていないから、どこでどんな暮らしをしようと、自分の人生を「失敗」したとか、「だめなやつ」だとか考えてみじめな思いをすることもない。──それは、新しいタイプの、いわば「教養のある原始人」ともいうべき人間かもしれない。だが、彼らの闊達さ、寛闊さ、さわやかさを、古い世代の誰が非難できよう。

新しくて異質なものって、まずは抵抗を示し、否定的に見がちなのが人間の性(さが)かもしれない。けれど、一呼吸おいて、意識的に、肯定的な解釈を与えてみようとする試みもまた、私たち人間がもちうる教養・知性というものだよなぁと味わった。小松左京、すごい…。

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