2019-09-08

元どおりになるものなんてないのよ

新宿にある、ビル丸ごとが本屋さんの紀伊国屋書店は、文庫本コーナーだけでも大家族がゆったり暮らせる広さを有する。そんな中にあって、POP広告が目を引き、お薦め本として平積みされていた新刊の1冊を、ほとんどジャケ買いでレジに持っていった。

本を差し出したとき、レジの店員さんが少しばかり顔をほころばせたような気がしたのは、気のせいだったのかどうなのか。ふと、もしかして、この人があのPOP広告を書いた人では?と思ったりした。

POP広告の端っこに、作った人の苗字だけでもカッコ書きで添えておいてもらったら、客もレジで書店員さんの名札を見て、にやりとできるのに。その人の薦めるものにヒットが多ければ、POP広告を目当てに本屋を訪れる習慣をもつかもしれないし、書店員への情なりファン心理が育てば、Amazonではなく、その本屋で買って帰る愛着も醸成されるのでは…などと、ぶつぶつ考えながら本屋を後にした。

というわけで、少し前から「戦場のコックたち」という長編小説を読んでいる。文章を読むのが遅いのに短編小説が苦手という、都合の悪い性質…。500ページ強あるのを、のそのそ読み進めている。

いちおうミステリー小説という位置づけのようだけど、舞台は1944年、主人公はアメリカ合衆国のコック兵、海外文学と思いきや作家名は深緑野分(ふかみどり のわき)、ペンネームだろうが1983年の神奈川県生まれとある。

主人公のティムは、ノルマンディー降下作戦で戦地に立ち、戦闘に参加しながら炊事をこなす。戦場暮らしの中で遭遇する"日常の謎"を解き明かしていく推理小説であり、戦争小説でもあり、人間ドラマもあり、人種差別の問題にも丁寧に踏み込んでいる。

次の一節は、主人公の子供時代の回想シーンだが、ここを読めただけで、この本を読んでよかったと思う。

やっと掃除を終えた僕は、泣きながら祖母に「全部元どおりになったよ」と訴えた。けれど祖母はしゃがみ、僕の目線に高さを合わせると、「元どおりになるものなんてないのよ」と言った。

元どおりになるものなんてない。なんて、一言で“本当のこと”を言い得たセリフだろうか。小説にはこうした、この一言を伝えるがために、この物語が背景として存在するのではないかと思うような言葉のひとかたまりが、さりげなく話のド真ん中に埋め込まれている。

物語の中に出てくる「おばあさん」というのは、たいてい名ゼリフをはく。ずいぶん前に読んだ伊坂幸太郎の「モダンタイムス」で、

あなたはまだ実感ないだろうけど、人に会えるのはね、生きている間だけだよ

というセリフを決めたのも、わりとお年を召した女性だった気がする。わりと物語のド真ん中にあった気もする。

不可逆な時間軸にそって生きるほかない私たちにとって、すっかり元どおりになるものなんてないのだけど、ここにつながるのは決して絶望ではない。元どおりに戻せない前提は、それはそれとして腹くくって受け入れて、それを糧なり肥やしにして、新しいもの・こと・関係を作り出していく未来的な広がりを暗に指し示す。そうやって伝わるように、物語が下支えをしている。

ポール・オースターの「幻影の書」の中に、

危機的な瞬間は人間のなかにいつにない活力を生み出す。あるいは、もっと簡潔に訳すなら-人は追いつめられて初めて本当に生きはじめる。

というくだりがある。人って何かの前提条件を正面から受けとめて、それに向き合ったときに豊かな発想力を発揮する。元どおりにはならない現実を受け入れることで、元どおりに戻そうとするのではなく新しいものを作り出せばいいと、過去を割り切り、未来に目線を移して、より豊かに、より楽しく面白くなるように思考を巡らせることができる。

考えることは、今地点からあらゆる方向に解釈を広げ、可能性を広げる潜在能力をもつ。そうやって生きていくのが、人の営みの魅力の一つだ。

中村文則「何もかも憂鬱な夜に」には、

考えることで、人間はどのようにでもなることができる。……世界に何の意味もなかったとしても、人間はその意味を、自分でつくりだすことができる

とある。「考える」ということの尊さに思い巡らす中、ポール・オースター「幻影の書」の一節に。

結局のところ世界とは、我々の周りにあるのと同程度に、我々のなかにもあるのだ。

この一節を読んだことはすっかり忘れていたのだけど、何冊かの本を通じてこの感覚に触れた憶えはあり、私はもう何年も、宇宙と同じ広がりをもって、人間一人ひとりも内側に小宇宙をもっているという感覚をもって生きてきた。

読んだ本の中身は恐ろしいほど短期間に忘れちゃうんだけど…、自分の中にこういう一節一節の意味するところはしっかり刻み込まれていて、私の価値観を豊かにしてくれている気がする。気がするだけかもしれないけど。やっぱりなぁ、小説はちょこちょこ読まないともったいないなって思った。

2019-08-30

[読書メモ]伝わるデザインの基本 増補改訂版 よい資料を作るためのレイアウトのルール

新刊ではないのだけど、高橋佑磨氏と片山なつ氏の共著「伝わるデザインの基本 増補改訂版 よい資料を作るためのレイアウトのルール」(*1)が素晴らしく良書だったので、ちょいメモ。

非デザイナーなんだけど、スライドとか企画書とか、チラシとかポスターとか自分で作らなきゃいけないビジネスパーソンや学生向けに、デザインの基本ルールを教える本。

こうしたビジュアルデザインの入門書というのは、ここ数年のうちに出たものでも私が知るだけで、いくつかある。謳い文句は、だいたい「あなたはセンスがないからできないんじゃない。デザインのルールを知らないからできないだけ。デザインにはルールがある。その基本ルールを使えば、見違えるほどうまく作れるようになる!」というアプローチ。これは実際、間違っていない。デザインセンスのカケラもない私が責任もって保証する。

じゃあ、そんな類書の中で、この本に特徴的なところは何かというと、「著者がデザイナーじゃない」ことかと思う。お二人とも理学博士で、大学院で助教をされていたり、進化生態学とか植物とかがご専門の研究者。

「デザイナーではない人が、デザイナーではない人たち向けに、デザインを教える本」というと眉唾もの?と懐疑心をもってしまうかもしれないが、これがまぁ見事にうまいこと仕上がっている。マイナスにふれるどころか、確実にプラスに働いていると私は感じた。

デザイナーじゃないからこその、いい塩梅で、非デザイナー向けにちょうどいい範囲、内容量、語り口で解説をしている。

ビジネスシーンや学会発表などの場で、非デザイナーにどういう失敗が多いか。それがなぜわかりにくく恰好悪いか。わかりにくいとか恰好悪いって、実際問題どういう不都合があるのか。読みやすい可読性と、目立ちやすい視認性、読み間違えしづらい判読性をどう確保するか。どう改善して、例えば具体的にどう表現すると、どれくらい良くなるか。一言でスパっと根拠を示しながら、絶妙な加減で具体的な解決方法を記して、例えばこんな感じと作例で実証していく様がこぎみ良い。

例えば、デザイナー著作の本なら必ず出てきそうな「黄金比」という言葉は、この本の中に一度も出てこない。でも、「グリッド」について、「段組」については十分な説明がある。10ポイントくらいの文字サイズで長文を書く場合、ページ幅いっぱいにレイアウトすると、一行がすごく長くなる。すごく長くなると、読者が次の行に読み進めるときの視線移動が大変になる。つまり可読性が落ちるので、2段組み、3段組みでこうやって見せるのが良いとか。すごく実用的。

研究者だけあって、言葉の選び方がいちいち的確だし、根拠がいちいち簡潔明瞭だし、説明内容がいちいちちょうどいい塩梅。やり過ぎ感もなく、不足感もない。言葉による表現力に長けていて、さすが鍛錬されているなぁと感じた。

ビフォア/アフター、悪い例/良い例もふんだんに掲載されていて、並べて見比べてみると一目瞭然でポイントがわかるように、作例も丁寧に作られている。

デザイナーじゃないから、作例の仕上がりは「そこそこ」なんでしょう、「洗練されている」には遠く及ばずのクオリティ?いやいや、そんなことない。といって、センスの塊すぎて、自分には到底真似できないというのでもない。

デザイナーさんの著作だと、作例を見ていて、確かに書いてあるポイントも素敵さを実現している1要素なんだけど、説明していないあれこれのセンスやらノウハウやらも総動員されて全体が仕上がっている感のする作例もあったりする。これ1つやったからって、このすごいのができるわけじゃないんだよなっていう。だけど、この本の作例は「書いてあることをそのままやったら、このクオリティにできる」感があって、その点易しい。

使っているツールも、たいていはPowerPointとWordで、たまにIllustratorでどうやるか補足が入るくらい。なので、MS Officeさえパソコンに入っていれば、「具体的にどうやるの?」をすぐに一つファイルを作って試してみられる。「すぐおいしい、すごくおいしい」感がすごい。

プロのデザイナーに発注するレベルじゃない(=非デザイナーが自分でやらなきゃな)作り物であれば、これはもう十分なクオリティでは。と言っている私はデザインセンスがゼロなので、そこの評価は他所に委ねるが。

あと、デザイナーが教えるスタイルの本だと、「デザイン制作の流れ」を理解してもらおうという章立てになるのが一般的かなと思う。いきなり作り出さないで、まずは読み手が誰で、何の目的でこれを作るのかを明確にして、そのためにどういう情報が必要で、それをどうレイアウトして、配色はどうするか、文字・書体選びは?図解はどのようにというふうに、「全体から入って各パーツ」のデザイン作法に展開していく、本の構成。

正しい。正しいんだけど、それだとどうしても頭でっかちになるので、ちょっと試してみて、おぉこれは確かに!っていう体験を得るまで道のりが長くなってしまう。その途中で読み止まってしまうことも。

その点、この本は「各パーツから入って全体」へ、逆の流れで構成立てている。「書体と文字」「文章と箇条書き」「図とグラフ・表」といった要素を章立てて説明した後に、これらをどう「レイアウトと配色」してまとめあげるかを説く流れ。

門外漢だと、とにかくパーツレベルでちょっと気を付けると見違えるように良くなる一手から学んでいけたほうが、敷居が低く、手を出しやすかったりする。

ヘタに個性的なポップ体とか選ぶと読みづらいのかとか、和文をイタリックにしちゃダメなのかとか、じゃあ文字はシンプルなフォントを選んでとか、行間、字間、段落間隔をきちんと設定したり、全体を左に揃えるだけで、ずいぶんと洗練された雰囲気に変わるものだなとか。

ここを変えるだけでも、確かに良くなった!って体験が初っ端からあちこちでできると、その先も読んで試してみようというふうに動機づけられる。読んでは試す、読んでは試すと、頭でっかちにならずに読み進めて試せる構成が、非デザイナー向けとして、すごくうまい具合だと思った。

あと、アドバイスや指針が具体的。洗練されたフォントを使おうとか、格好悪いものはやめようとか言われても、それが何なのかわからないセンスない私たちには適用のしようがない問題というのがあって…。

そこんとこ、このフォントは洗練されているけど、これは美しくないとか。このフォントと、このフォントは相性が悪いとか。このくらいの線の太さは不恰好だとか、ここは余白を一文字分あけるといいとか、中に入る文字数が少ない場合は一文字分も余白をあけると不恰好だからこれくらいねとか、そういうのを視覚的に例示しながら丁寧に書いてあるのも良い。

あと、誤脱字レベルの校正ポイントを見つけたので、出版社に報告しておいたのだけど、数えたら17個。この手の本では、私の感覚だと少ないほう&ちょっとした間違いばかりだった。これらは次の改訂時とかに直してくれるっぽい。

まとめると、基本的なデザイン作法を身につけたい非デザイナーにすごくいい本。デザイナー入門書だと、デザイナーさんが書いた入門書のほうがいいかなとも思うんだけど、ビジネスパーソンという立ち位置の人であれば、これがまさしくフィットするんじゃないかしらと思う。

デザイナーさんとかだと、非デザイナーさんにお薦め書籍とか質問されることがあるかもしれないけど、私がこれを読んだ感覚だと、「デザイナー入門者」が読むべきデザイン入門書と、「非デザイナー」が読むべきデザイン入門書は、最適なものって違うよなぁという感覚。後者には、これ、いいと思います。という個人の感想メモでした。

*1: 高橋佑磨・片山なつ「伝わるデザインの基本 増補改訂版 よい資料を作るためのレイアウトのルール」(技術評論社)

2019-08-25

古い世代が向けるべき、若く優秀な人への眼差し

日経ビジネスの「期待の星」ほど早い決断 辞める理由の大誤解という記事が話題になっていたので読んでみた。

「一般論やステレオタイプから想像される退職理由」といえば、「愛社精神がなく、こらえ性もなく、給与や労働時間に不満で、若気の至りで会社を辞める」と扱われがちだが、「有望株が語る離職理由」は、さにあらず。

ゆえに、優秀な人に残ってもらうための施策として、給与を上げる、残業時間を削る、厳しいノルマやパワハラ的指導をなくす対策だけ講じても、優秀な人ほど、ほんとわかってないんだなと白けて離れていってしまう事案。

じゃあ、有望株は何にウンザリして辞めていくのかというので、記事で挙がっているのは、こんなところだ。

  • 改革せずには沈むこと確実なのに、上の人が改革に非協力的
  • 仕事ができないのに上ばかりみて仕事する人間が評価されて出世頭
  • 会社が本来社会に提供すべき価値とずれた、利益欲しさの経営方針
  • 自分が納得できないもの(相手が求めていない商品)を売らされる、自分なりの正義を感じられない仕事
  • 自分が唯一関心がある業務に異動できるのが20年後と言われた
  • 組織都合の配置転換で、まったく違う部署に異動。一向に専門性獲得できず、社内価値は上がれど、欲しいのは社外価値

まとめとしては、これがまさしく「優秀な若手を組織に定着させるための基本的な考え方」として必要なんだろうなと(青山学院大学経営学部教授の山本寛氏)。

この会社で働き続けても、他の企業で必要とされる能力は十分に身に付く」と社員が思えるようにすることです。仕事を通じて得られる汎用的な能力や専門スキルを押し出し、社員が自分のキャリアを長期的に考えられるようにする。つまり社員の「エンプロイアビリティ」(雇用される能力)を企業が積極的に保証するということが重要なのです。

で、この記事を読みながら思い出したのが、先ごろ読了した小松左京の「日本沈没」の一節だった。

この本、1973年の本だけど、「古い世代が向けるべき、若く優秀な人への眼差し」というのは、戦後と呼ばれた時期からずっと、今も昔もさほど変わっていないのかもなぁと思った。「教養ある原始人」というやつだ。

古い世代の幸長(ゆきなが)は、若い世代の小野寺に対して、ゆたかな時代の「新しいタイプ」の青年というふうに、こんな眼差しを向ける。

(▼は、私が勝手に入れた見出し)

▼一つの職場での実績や、安定したポスト、金銭や地位に執着しない

決して投げやりな仕事ぶりではないにもかかわらず、一つの職場での実績や、安定したポストをいともあっさり投げすて、何の未練もないように次の仕事へうつっていく。金銭や地位についても、また、認められたとか認められないということについても、まるでがつがつしない……。物質や地位に対する執着を持たずにいられるというのは、まさに、「ゆたかな時代」に成長してきたためにちがいない……。

▼「国」「民族」「国家」に宿命的な絆を感じていない(「国」を「組織」と読み替えてみて)

日本人として生まれながら、「国」だの「民族」だの「国家」だのに、暗い、どろどろした、宿命的な絆などまるで感じていない。それでいて、国に対する「貸し借り勘定」はちゃんと意識しており、決して「恩義」を感じていないわけではない。だが、その「恩義」の感情は、民族や国に対して無限責任を感じたり「運命共同体」の逃れられない紐帯を意識したりする形で出てくるものではなく、きわめてドライでクールで、「借り」を返しさえすれば、いつでも自由な関係にはいれるものとしてとらえられているのだ。

ここで注目したいのが、幸長がこの「新しいタイプ」をどう受け止めたのか、つまり肯定的に受け止めたのか、否定的に受け止めたのかという点だ。続きを引用すると…

「強制」や「義務」や「恩義の押しつけ」「忠誠と犠牲の強要」「血縁」など、あのさまざまな紐帯でがんじがらめになっていた戦前までの日本からは、想像もできないような「日本人」が、眼の前にいることをさとって、幸長はちょっとした戸まどいといっしょに、さわやかなものを見たうれしさと、くすぐったい笑いがこみ上げてくるのを感じた。「戦後日本」は、何のかのといわれながら、その民主主義とゆたかさの中から、こういう新しいタイプの青年を生み出してきたのだ。このドライで、クールで、しかも人当たりのいい、人好きのする、おとなの悪魔的な意地悪によってつけられたねじくれた「傷」を負っていない、べたついたところがなく、物質や権力に対する執着もなく、生活に対する欲望も淡白で、さらりとした感じの青年たちは、いわば戦後日本の生み出した傑作といえるだろう。

この新しいタイプを、「さわやかなもの」として「くすぐったい笑い」をこみ上げながら受け止める。「戦後日本の生み出した傑作」とまで評してみせる。私には、これが小松左京が読者に共有せんとする、新しく異質なものを受け止めるときの、あるべき眼差しのように感じられて唸った。

彼らは自分たちを「日本人」であると感ずるより、まず「人間」であると感じており、日本人として生まれたことは、皮膚の色や顔形のちがい、背の高さ、といったような、人間一人一人が持つ、しごく当然な「個体差・群差」としてしか意識していない。彼らは、自分たちを、「日本の中でしか生きていけない」と考えてはいない。地球上、どこへ行っても自分は生きていける、と思っている。生きていくことが、特定社会内における「立身出世」への妄執とつながっていないから、どこでどんな暮らしをしようと、自分の人生を「失敗」したとか、「だめなやつ」だとか考えてみじめな思いをすることもない。──それは、新しいタイプの、いわば「教養のある原始人」ともいうべき人間かもしれない。だが、彼らの闊達さ、寛闊さ、さわやかさを、古い世代の誰が非難できよう。

新しくて異質なものって、まずは抵抗を示し、否定的に見がちなのが人間の性(さが)かもしれない。けれど、一呼吸おいて、意識的に、肯定的な解釈を与えてみようとする試みもまた、私たち人間がもちうる教養・知性というものだよなぁと味わった。小松左京、すごい…。

2019-07-31

「コミュニケーションは、慣れの問題」と置いてみる

5月に、ここに書いた「寛容になろう」が生みだす不寛容を読んでくださった方から、1冊の本を紹介されて読んでみた。「その島のひとたちは、ひとの話をきかない―精神科医、『自殺希少地域』を行く」(*1)という、精神科医の森川すいめいさんの著書だ。

日本の「自殺希少地域」(自殺で亡くなるひとが少ない地域)を5か所6回にわたって足を運び、それぞれ1週間ほど滞在したときの記録に考察を加えた文章。

現地で出会う人にできるだけ声をかけ、雑談をし、少し関係が深まったと感じたときに、なぜこの地が自殺希少地域なのかを、自然な会話の中で尋ね歩いたという。

岡檀(おかまゆみ)さんの「自殺希少地域」の研究(*2)によれば、自殺が少ない地域では、隣近所とのつきあい方は「立ち話程度」「あいさつ程度」と回答する人たちが8割を超え、「緊密(日常的に生活面で協力)」だと回答する人たちは16%程度にとどまった。一方で、自殺で亡くなる人の多い地域は「緊密」と回答する人が約4割に達したという。

人間関係が緊密だと、つながる人の数は少なくなる。合わない人の排除が始まって、孤立が生まれる。

自殺が少ない地域では、ふだんの人間関係は緊密でないが、コミュニケーションの量は多い。ゆるく多くの人とつながっている状態、たくさんの知り合いがいるから、完全な孤立にはならない。

こうした中で、多様な人とのコミュニケーションに慣れていくし、合わない人を排除せずとも、あいさつ程度のコミュニケーションは成り立つから、困ったときには必要に応じて必要な分だけ手助けしあえる。

コミュニケーションが多いと、その人のことも手助けの方法も、手持ちの情報が豊かになる。困っている人がいると、何に困っているのかだいたい見当がつくようにもなる。車椅子の人だったら、あそこの段差のところを行き来するときだけはサポートが必要だなとか。それで、さっと声をかけて手助けして、段差のところだけ手助けしたら、あとはもうバイバイすればいい。

自殺が少ない地域は、手助けに慣れているという。そこに恩着せがましさがない。自分がただ、黙ってみていられないから、手を貸す。自分が助けたいと思うから助ける。気がかりだから、放っておけないから、声をかける。自分がどうしたいか。原動力がシンプルだ。

自殺が少ない地域の人は相対的に、自分の考えをもっているという。

自分の考えがあるゆえに他人の考えを尊重する。ひとは自分の考えをもつと知っている。違う意見を話せる。だからある人間の側やグループにつくのではなく、どの意見かによって誰と一緒になるかが決まる。ゆえに派閥がない。

また、次の老人のことばを受けた著者の弁は、私にもまったく同じように働いた。

「困っているひとがいたら、今、即、助けなさい」私は島を一周する途中で会った老人のこのことばを聞いて、そうだよなと思うようになった。ひとを助けるにおいて、少し、それまでは動き出す前に考えてしまうことがあった。ここで助けることが本当に本人にとっていいことなのか、ためになることなのかどうか、と。そのつど悩んだ。しかし、このことばを聞いてからそれを実践するようにした。

行動に起こさないこと、足が動かないこと、口が開かないことが、ままある。タイミングを逃してしまい、後でやらなかったことを後悔した経験は数しれない。

自分が直観で「これは、やったらいいよ」と思うことは、たぶん自分がやりたいことなのだ。そういうことに、別の自分が耳を貸さず、真剣にとりあわずに、やらずじまいで済ませてしまったことがたくさんある。

これを躊躇せずにやっていくことが、自分をありたい自分に近づけていくんだろうなと思う。

困っているひとがいたら考える前に助けたらいい。大切なことは自分がどうしたいかだ。

コミュニケーションに慣れている、手助けに慣れている。コミュニケーションも、人助けも、慣れの問題。そう置いてみると、気持ちが楽になった。善い人ができて、そうじゃない人はできないとか、優秀な人、心根のやさしい人、親切な人、よく気のつく人じゃなきゃできないとかじゃない。

慣れの問題なら、慣れればいいだけだ。そして慣れるためには、慣れるまで意識的に自分でそれをしていく働きかけが必要だ。そこを通過して、それをするのが当たり前になったら、もうこっちのものである。今は道半ば、躊躇してしまうこともあるけれど、わりと躊躇なくできるようになったこともある。発展途上である。

せっかく、自分が気づいたこと、思ったこと、考えたことを生かしていかないともったいない。自分が気がかりに思うことに、きちんと私が耳を貸して、立ち止まって、向き合って、それに関わって、声をかけていく、行動に移していくということを大事にしたい。そう、思い直す一冊だった。

*1:森川すいめい「その島のひとたちは、ひとの話をきかない―精神科医、『自殺希少地域』を行く」(青土社)
*2:岡檀さんは和歌山県立医科大学保健看護学部講師。詳しくは著書「生き心地の良い町 この自殺率の低さには理由(わけ)がある」(講談社)

2018-12-18

読書メモ:「Design Systems - デジタルプロダクトのためのデザインシステム実践ガイド」

元上司でボーンデジタル編集者のおかもとさんから、新刊「Design Systems - デジタルプロダクトのためのデザインシステム実践ガイド」(*)をご恵贈いただいた。

Webデザイナーは、「モジュール型でパターン主導のデザイン」を取り入れ始めている。というのは肌感でもわかるところ。利用者視点でみても、パターン化されていて使い勝手がいいWebサイトが多くなっていると思うし、Webデザイナーの周辺で働く身としても、デザインガイドライン、パターンランゲージ、パターンライブラリ、スタイルガイドといった言葉はよく見聞きするようになった。

これにはちゃんとした理由があって、近年のWebはユーザーの画面・デバイス・地域の別を問わず、より多くの人々に、さまざまな環境から利用できる提供の仕方を求められているから。

提供する情報・機能だって、日々の連絡、情報収集や意見交換、調べ物や記録、買い物、役所手続き、ラジオや映画など、もはや日常生活に不可欠なインフラだから、「こういう条件を満たさないと使えません」なんて言っている場合ではない。

紙のチラシやパンフレットの置き換えとして“静的なページ”をデザインする移行期は、とうに終わりを告げたのだ。

というわけで、いろんな人・環境・利用シーンにあわせて自在に組みかえられるよう、再利用可能な細かいモジュールに分割して、パターンを利用し、柔軟&迅速にプロダクト・機能・インターフェースを構築する必要が出てきた。

そのパターンには2つあって、この本では「機能パターン」と「認知パターン」に分けて解説している。

●機能パターン
行動に関連するもの。インターフェースを構成する具体的な要素のこと。ボタン、ヘッダー、フォーム要素、メニューなど、実体のあるインターフェースの部品モジュール。これが一貫したデザインで作られていないと、使う側は大変な困難を強いられる。

●認知パターン
ブランドや外観に関連するもの。プロダクトの個性を視覚的に表現するエモーショナルな外観のこと。口調、タイポグラフィ、色の選択、アイコンのスタイル、余白、レイアウト、形状、インタラクション、アニメーション、サウンドなど。こっちはこっちで、抽象的ではあるものの、無意識的にユーザーが大いなる影響を受けているもの。

機能パターンは名詞や動詞に似ていて、認知パターンは形容詞に近い。あるいは、前者は常にHTMLベースで実装し、後者の多くはCSSプロパティで実装するという分け方も、わかりやすい説明だ。

2つのパターンは、連携してプロダクトのインターフェースを作っており、その大元締め「デザインの原則」に基づいて展開されるもの。

この本では前半で、「プロダクトの目的とエートス(価値)の明確化→デザイン原則の定義→原則からパターンへの落とし込み(機能パターンと認知パターンの定義)→チームでの言語の共有」といった流れで、基礎編を構成している。

じゃあ後半は…というと「応用編」は、監訳者の佐藤伸哉さんが前書きで「デザインシステムとは、単にデザインガイドラインを作ることではなく、むしろ組織論や運用論です」と記している、ここかなと。

デザインシステムを組織で確立・維持していく上では、作って納品して終わりでは済まされない。サイトを公開した当初はデザインの一貫性があったが、時間経過とともに崩れていってしまって今や見るにたえない状況…といった話はよく聞くけれど。

一旦公開した後、品質維持できるかどうかは相手次第というのではなく、最初から「長持ちする」ように作るの含めて作り手の手腕ととらえて、「長く一貫性を保てて、それでいて拡張性があるデジタルプロダクトをどう構築するか」という高みを目指すのに良書ではないかと思った。

対象読者は、「デザインシステム思考を組織の文化に組み入れることを目指している、小中規模のプロダクトチーム」、特にお薦めしたいのは「ビジュアルおよびインタラクションデザイナー、UX実務者、フロントエンド開発者」とのこと。ご興味ある方は、ぜひお手にとってみてください。って、まだ読み始めなんだけど…、ご紹介まで。

おかもとさんがnoteに「Design Systems日本語版の作りかけ断片集」を公開しているので、ご興味ある方は、こちらもどうぞ。

*:著者はアラ・コルマトヴァ氏。原著は「Design Sytem - A practical guide to creating design languages for digital products」(Smashing Magazine刊)

2018-10-23

「Webクリエイティブ職の仕事と年収のリアル」を求めて

山口義宏さんの新刊「マーケティングの仕事と年収のリアル」*1が面白そうである。ということで、まだ読んでいない本について堂々と語ってみる。

私が長くキャリア支援の対象として関心を寄せてきたのは、マーケティング職というより、Web系のクリエイティブ職寄りなのだけど、このご時世、これとマーケティング職を分けへだてる厚い壁があるわけでもない。

いわゆるマーケティング職と比べると、Web系のクリエイティブ職にはさほど「華やかで稼げそうなイメージ」はないかもしれないが…、現代の2職種にはいろいろと共通点があるように思い、ゆえにこの本はきっとWeb系クリエイティブ職のキャリアにも役立つ内容が詰まっているに違いないと期待を寄せて、手にとってみた。

手始めに、この本の「はじめに」に書かれているマーケティング職のあれこれから、Web系クリエイティブ職との共通点らしきものを読み取って列挙してみたい(「はじめに」までは読んだ…)。

マーケティング職と、Web系クリエイティブ職の共通点らしきもの(私見)

●働く場を大別すると、事業会社と支援会社がある
●専門領域は細分化され、目につく仕事から地道な業務までさまざまある
●役割とする仕事範囲は、複雑化しながら広がっている
●給与の業界水準は決して高くない。高い稼ぎを得られるのはごく少数で、多くは経済的な処遇が期待に及ばない
●この職でやっていく成長の見通しや年収を高める道筋が見えず、閉塞感を感じている
●キャリアに閉塞感を感じる一因に、デジタル化によってマーケティング施策の専門分化が細分化された結果、自分の関わる仕事や事業、業界を俯瞰して見渡しづらい環境要因がある
●「実力を伸ばせば、年収も自然に高まる」ことを期待したい職人的指向が少なからずある
●汎用的な仕事能力の獲得を軽視し、専門知識・スキルに偏重しがち
●職務の専門知識や施策を解説する本は沢山あるけれど、職として市場価値を高め、稼げるようになるリアルなキャリアづくりの情報は少ない
●雇用する企業側も、業務理解が浅く、採用のミスマッチが頻発。育成も現場任せの徒弟制度を脱しきれず

念押ししておくけれども、ここで挙げたものは、著者の山口さん的にはマーケティング職の話として語っているものであって、「これってWeb系のクリエイティブ職にも通じるのでは?」と列挙しているのは、私の勝手な解釈にすぎない。が、どうでしょうか。なんか、うんうんって感じしませんか。誰となく。

3つ目に挙げた「役割とする仕事範囲は、複雑化しながら広がっている」とかは、そのわりに、大きく括れば1つの職種に役割が集約されつづけていないか、とかも気がかり。

マーケティング職事情は詳しくわからないが、Webの業界でいうと「いっぱしのディレクター(とかデザイナー)なら、これくらい知っておいてほしい、これくらい読んでおいてほしい、これくらいできてほしい」と求められる知識・スキルがどんどん膨らんでいき、一職種・一個人に求められる役割は肥大化していく一方。

中途採用の募集ページにあるジョブスクリプションは見直す度に厚くなり、「できれば尚可」に書き込めるだけ書き込んでいくものの、待遇面は数年前からさしたる変更なしとか…。一般の企業が求めるには、非現実的なスーパーマン像になっていないか、とか。

業界の発展とともに、年数をかけて一つひとつ知識・スキル・経験をモノにしてきた一握りの人を除くと、どうその肥大化した役割を果たせる人間になれるものかには、各方面で大きな課題を抱えているのではないか。

当事者としてのスキルの磨き方や経験の積み方も、組織としての若手の育て方も、組織としてこの職種分類のままでいいのか、もっと現実的な役割の再配分、チーム編成の見直しが必要なんじゃないかとかの課題もあるのでは。

各社によって提示できる年収だって違えば、採用できる人材も違う。社内メンバーの構成だって違ってくるし、扱う案件のタイプだってクライアント特性だってさまざま。やっぱり最終的には「我が社はどうしようか」と、それぞれの最適解を考えざるをえない。

だとしても、業界標準的な職種分類の見直しは、それはそれで意味をもつだろうか。あるいはヘタに体系化しようとせず、いろんな会社が自社のチーム編成や職種分類の考え方と実際を数多く事例共有して、意見交換して、持ち帰って各々活かすことに意味があるのか、とか。

そんなことをもやもや考えつつ、「はじめに」を読んだ。ということで、最近は垣根なくデジタルマーケティング界隈で働く人たちのキャリア支援、組織の人材育成をサポートする自分の役割にひき寄せて頭を働かせつつ、本篇のページをめくっていきたい。ご興味ある方は、ぜひお手にとってみてください&読んでみたら、ぜひ後で語らいましょう(私は読むの遅いですけど…)。

*1: 山口義宏「マーケティングの仕事と年収のリアル」(ダイヤモンド社)

「アタマのやわらかさ」の原理。を読んで

名だたる広告クリエイターの著書を手がけてきた編集者、松永光弘さんが著した「アタマのやわらかさ」の原理。*1を読んだ。

松永光弘さんが編集者として手がけた本は、広告・デザインをつくる仕事に従事する人なら誰でも一冊は手にしたことがあるのでは、というほど。

広告というのは常に、これまでにない新しい何かを求められ、「新しい価値の提示」を役割とする。それを作るトップクリエイターは、どんなアタマのつかい方をしているのか。そこに見られる「アタマのやわらかさ」とは何なのか。どういうふうに成り立っているのか。どういうふうに養っていけばいいのか。

松永さん自身がこれまでに見聞きし、経験し、学んできたことをベースに導きだした「こういう考え方をすると、いろんなことに説明がつくし、思考を進めやすい」という仮説が語られている。

これまで広告会社や学校などでお話ししてきた内容を整理しなおし、加筆、再構成して、4回の講義のかたちにまとめたものということで、平易な話し言葉になっているので読みやすい。例もふんだんに織り込まれているので、面白いし、わかりやすい。さすが本づくりのプロだ…と、それだけで敬服する。

そして書いてあることが、ロジカルで優しい。ときにロジカルな文章はゴツゴツしていて痛かったり、優しい文章は論理性を欠いていたりするけれど、松永さんのお話は両方とも見事にそなわっているので、腑に落ちるし、自分もやってみようって心持ちに自然ともっていかれる。それを、ただ優しい語り口やロジカルな文章展開でやっているんじゃなくて、お話の中身そのものでやってくれている感じ。

話し始めに、優秀なクリエイターがやわらかいアタマで新しい価値を提示するとき、「ひらめく」というより「見つける」という言い方をする、という話がある。

ひらめける人になろうと言われたら途方もなく感じて、んなのできる人はできるし、できない人は一生できませんよってな気分になっちゃうけれど、「優秀なクリエイターはひらめくより、見つけるって言う」ということになると、新しい価値を発見する機会は自分の外に点在していて、それをうまく見つけるコツなりスキルなりを身につければ、自分にも新しい価値を発見できそうな気がしてくる。

松永さんの話の中身には、そういう指摘の鋭さと、人を動機づける優しさが両方ある。

もちろん話はそこにとどまらない。松永さんは、広告クリエイターたちと一緒にブレストしたり、彼らを著者とした本を作ったり、お酒を飲みながら話したり、議論したりする経験からいって、

みずからの発想を体系化してメソッドのようなものを編みだし、日常的に用いている人はあまりいません。本で紹介されているような、いわゆる発想法をつかってなにか考えている人も、ほとんど見かけません。たいていの人は、なんらかの課題を投げかけると、ごくふつうに考え、ごくふつうに悩み、ごくふつうに自分の意見を話します。

読んでいて心地よく、励みになった一節。でも、じゃあ優秀なクリエイターは何を共通項として特徴づけられるかというと、さまざまな視点(切り口、アングルとも)で考えなおしつづけていることが語られる。

大切なのは、最初の反応ではありませんし、発想の瞬発力でもありません。どう考えなおすか。もっといえば、望むような結果にたどり着くまで、どう考えなおしつづけるか。

何かをみたときの最初の反応が優れているかどうか、何をひらめけるかどうかで決まるんだよってことではない。最初の反応は、ごく常識的なもので構わない。むしろ常識的なものの見方でまずは反応してみて、そういう自分の価値観なり世間の常識なりを認識した後、そこに価値を固定せずに、さまざまな視点で別の価値を探しにいって、新しい価値が見つかるまで探しつづけられるか、これだってものを見つけたときに目利き力を働かせられるかどうかってところだ。

とはいえ、この「視点」というのも、物理的なものを見るのに視点を切り替えるんだったら、横からみるとか底からみるとか替えてみるのはわかりやすいけれど、往々にして私たちがみる対象は概念的なものなので、ただ視点を切り替えるといっても、どう切り替えるのってことがわかりづらいですよねってことで、それも具体的に「組み合わせで見る」ということの意義や方法について、なるほど!という話が分かりやすく手ほどきされる。

そもそもモノや人、情報の価値は、組み合わせの中で決まる

という松永さんの解釈も、なるほど!と腑に落ちるし、

編集とは、組み合わせによって価値やメッセージを引き出すこと

という定義づけも、分かりやすく浮き彫りにされていく感じ。

多くのトップクリエイターと仕事し、議論し、おしゃべりし、たくさんの時間を共有してきて、彼らの資質や特性、価値観、共通項やそれぞれの個性を見分けて深い理解を獲得した編集者ならではの実践から編み出した本。「編集者が著した本」という価値が染みわたっているような本だった。

*1: 松永光弘「アタマのやわらかさ」の原理。(インプレス)

2018-09-30

エンジニアがマネージャーになるキャリアパスの再考

及川卓也さんが「まえがき」を寄せているというので興味をもって買ってみた「エンジニアのためのマネジメントキャリアパス ―テックリードからCTOまでマネジメントスキル向上ガイド」(*1)。

この本を読み始めてまず気づいたのは、自分が「エンジニアが経験を積んでマネージャーになる」というキャリアパスに対して、ちょっと距離をおいて見ていたんだなということだ。

なぜ?いつから?と記憶をたどってみたところ、当時NHN Japan執行役員/CTOだった池邉智洋さんをインタビュー(*2)したときのことを思い出した。その席で池邉さんから聴いた組織づくりの話に、私はとても共感したのだ。

「うっかりすると,エンジニアとして評価の高い人を“マネージャー”にしてしまう」けれど、「研鑽を積んだエンジニアは,単に“⁠すごいエンジニア⁠”でいいんじゃないか」「技術が優れているなら,人を束ねるより自分で書いて一騎で突っ込んだほうが効率いい」「あんまりマネージャーの数を増やしてもしょうがないかなとも」という話。

それ以前から、エンジニアがマネジメントへの転向に抵抗を示す傾向、願わくばずっと現場で開発を続けたいという志向をもつ人の声はよく聞いていたし、「エンジニアが評価されると、マネージャーに上がる」一択しか組織として昇格のしようがないのはどうなのかと思っていたので、そうじゃない組織づくりをしているところが現にあるのだなと印象深かった。

そんなことから、エンジニアを続けたい人がエンジニアであり続けられる組織づくりとかキャリアパスの整備のほうに、自分の意識も寄っていたのかなと振り返る。

でも、池邉さんも「もちろんマネージャーも1つの大事な役割⁠で」と話しているとおり、エンジニアリングマネジメントという役割・機能は、それはそれで必要不可欠なわけだし、この本の及川さんの「まえがき」によれば、エンジニアリングマネージャーは不足している状況にある。

エンジニアとしてずっとやっていけるキャリアパスの整備も大事だけど、一方でエンジニアがマネジメントを志向し、そこにやりがいをもって取り組めるような環境づくりや支援も大事なんだよなと、そういう認識を新たにした。

及川さんの「まえがき」から一部引用させてていただくと、

日本でエンジニアがマネージャーになることを嫌うのは、尊敬できるマネージャーに出会ったことがなかったとか、ついこの間まで一緒に開発していた先輩がマネージャーになったらすっかり変わってしまったとか、自分の上司は営業からの要求と部下からの要求の板挟みになり、いつもため息ばかりついているなど、エンジニアから見て、マネージャーが楽しく、やりがいのある仕事に見えていないからです。

と、そのものずばりな「あるある」感が漂う。しかし、この文章は次のように続く。

実際には、エンジニアリングマネージャーのエンジニアリング組織を健全に発展させるという役割は、ソフトウェア開発に対して技術を駆使し難局を打開していくのと共通する面白さがあります。スキル面においても類似点は少なくありません。

こう言い切って、なるほどと思わせる力をもつのは、及川さんのキャリアあってこそ。また、この本の内容も著者Camille Fournier氏の積み重ねてきたエンジニア軸のキャリアに下支えされ、説得力をもって伝わってくる。

この本は、章が進むごとに管理職のランクが上がっていく構成になっている。
1.部下(の目線でマネジメントの基本を押さえる)
2.コーチ役/メンター
3.テックリード(技術者のまとめ役)
4.人の管理
5.チームの管理
6.複数チームの管理
7.複数の管理者の管理
8.経営幹部
9.チームの文化を構築する管理者
と、はしごをのぼっていく。

新任管理者なら1〜2が該当。9はスタートアップとかの採用・評価を手がける人事担当者も良さそう。

著者が経験してきたこと、考えてきたことが丁寧に言葉に起こされて話に説得力をもたせているものの、彼女個人の経験に偏っているわけでもないし、精神論に依っているわけでもない。

エンジニアリングの世界で現場からマネジメントまで実践してきた経験なしには書けない内容だし、マネジメントに必要なスキルを分解してノウハウを解説するところもあれば、心のもち方や人への関わり方をやわらかい言葉を使って解きほぐしていくところもあり、どう振る舞うと自身のキャリア形成上どういう利があるかを理知的に語るところもあれば、こういうことを本当にあなたはできているのか?こんな考えに陥っていないか?とえぐるように詰め寄ってくる文章もある。

エンジニアという人種をよくよく理解しつつ、またその中にも多様な志向性があることを承知して、いろんな人に届くようにバランスよく言葉が編まれている感じがした。

すごく特別なことが書いてあるかというと、そうではない気もするけれど、タイトルにガイドとある通り、網羅的にエンジニアのキャリアパスを捉えて類型化してあるので、全体イメージをもつ羅針盤とするのにちょうど良い本なのではないか。

一つの職種にフォーカスしてそういうガイドが出るというのは、やはりエンジニアという職業が社会にとって存在価値があるからなんだろうなぁと思う。私はエンジニアではなく、エンジニアのキャリアを支援する舞台袖の立場だけど、うまくこの本の内容を吸収して役立てていきたい。

*1:Camille Fournier著「エンジニアのためのマネジメントキャリアパス ―テックリードからCTOまでマネジメントスキル向上ガイド」(オライリー・ジャパン)
*2: 第10回 NHN Japan執行役員/CTO 池邉智洋氏に訊く(後編)│Webクリエイティブ職の学び場研究(gihyo.jp)

2018-09-25

読書メモ:「著作権トラブル解決のバイブル!クリエイターのための権利の本」

これは買おう!と思っていた「著作権トラブル解決のバイブル!クリエイターのための権利の本」*をご恵贈いただいてしまった。本の編集者が元上司なのだ。実際に手にとってみてもタイトルどおりにコンセプト立った良い本だと思ったし、クリエイター個々人が備えておくべき基礎知識だと思うので、私なりに本の中身と魅力を紹介してみます。自分は無問題という方も、部下や後輩にいいかも?ということで。

身近なところだと「フリー素材」の扱いとか。フリーといったって、なんでもかんでも無料で自由に使っていいわけじゃなくて、大方は使用許諾する範囲が設定されているから、それを守らないといけないよっていうのが具体的にどういうことかとか。主だったところだと、次のような制限があるなぁと読みながら整理。

●商用利用はNG
個人利用に限る。自社ビジネスの利用に限らず、デザイナーやライターとしてクライアントに制作物をおさめる場合も、お金を払って使ってねというもの

●使い方を制限
モデルの写真を何か特定の商品を試しているように見せて使ってはダメとか。あとはアダルト、公序良俗に反するものには使っちゃダメなど

●使用点数を制限
素材何個までは無料で使っていいというもの。何個を超えたら有料で使ってねというもの

●ロイヤリティフリー
最初に使用料を払うなどの使用許諾手続きをしたら、あとは何度でも使っていいよというもの

●ライツマネージド
使用媒体や期間を特定した使用許諾を受けたら、その範囲内で自由に使えるよというもの

結論、フリー素材を使うときは必ず利用規約を確認すること。

「あらゆる自由は制限の中に在る」という有名な言葉がありまして(今作った)、人間が認識しうる自由は常に何かしらの制限の中にあって、その不自由を知ってこそ自由を謳歌できるものだなぁなどと想いを馳せながら読みました。死という概念を知ってこその生を生き、使用制限を知ってこそフリー素材を活かせる私たち…。

さて、「転載」と「引用」の概念も、クリエイティブ職ならしっかり押さえておきたい基礎知識。

例えば、Webサイトやアプリのスクリーンショットとか、書籍の表紙や中身を撮影した写真をSNSにアップロードとかはよく見かける。けれど、こうした他媒体への「転載」は複製権を侵害しているので原則NG。でも、「引用」の範囲内ならOK。じゃあ、引用って何?どういう条件をクリアしたら引用扱いになるの?ということになる。

本を読みつつの私なりの整理だと、このあたりがポイントか。(以下は引用でも転載でもなく、読んで整理した個人的メモのつもり)

●引用部分と、オリジナルの文章を明確に区別してあるか(カギカッコとか斜体とかで)
●オリジナルの文章(主)と引用部分(従)の主従関係が逆転していないか(量的にも、質的にも)
●引用する必然性があるか(主となるオリジナルの文章を書くのに、そこを引用する必要が本当にある?必要最低限の量にとどめてある?)
●出典が明記されているか(タイトルとURL、著者と書籍名と出版社名など)
●引用部分を改変していないか(変えちゃだめ)
●そもそも公表された著作物か(メールとか手紙とかはそもそも未公表で対象外)

プレゼンや講演資料でも、出典名の抜け落ちなんかは結構ある。クリエイターとして人前で話すときに、他のクリエイターの権利を侵害するような落ち度は避けたいもの。「そんな法律知らなかった」もまずいし、「知っていたけど軽視してor不注意でやっちゃった」もまずい。どっちにしても、すごくまずい。

あと、街並みを撮った写真に道行く人が写り込んじゃったくらいは問題ないよね、ネットにあげても。も、ちょっと待った!人物が特定できる写真は肖像権を侵害する恐れがあるし、子どもの映り込みなんかは特に慎重に扱わないと大ごとになりかねない。写真だけじゃなくて、本人とわかる似顔絵も肖像権&著作権的にNGになる恐れがある。有名人だと、パブリシティ権も要配慮。

この辺も「法的にグレイでしょ」とか「みんなやってるでしょ」とかで軽視すると、静かにクリエイティブ職としての信用を失って、無言で周りから人と仕事が去っていくので自ら注意しておきたい職業倫理。

えー、じゃあフォントやレイアウト、配色に著作権はあるの?キャッチコピーは?写真のトレースは?Googleマップは自由に使っていいの?オープンソースは無料&自由なんでしょ?

などなどに一通り答えてくれる一冊。まえがきによると、イラストレーター、Webデザイナー、ブロガー、プログラマーあたりの職種の方を読者層にイメージしているもよう。章立ても「写真・イラスト・デザイン」「文章・コピー」「プログラマーコード・ライセンス」に分かれていて、ものすごく具体的で「あるある!」なシチュエーションを取り上げて、いいのか悪いのか、どういう著作権侵害の恐れがあるのか、実際どういう判例があるか、どう使えば侵害にあたらないのかなど、丁寧に解説されています。

クライアントさんから権利関係が怪しい素材を提供されて「これ使って」って言われたら、どう対応する?とかの実務ノウハウにも言及しているし、契約書や見積もりはどう作る?とかも解説とサンプルがそろっている。法的にどうこうだけじゃなくて、各社のサービスの利用規約上こういう制限がされていることがあるので注意!とかも記述あり。自分が権利を侵害されたときの対処法もあります。

こうした知識は、もっていないと悪意なく他人の著作権を侵害してしまうリスクがあり、訴えられれば損害賠償だったり、信用失墜だったり、会社やクライアントに大打撃を与えてしまう問題にも発展しうるから、職業上しっかり押さえておきたい基礎知識。

「現場あるある!」「そう、それどうなってるの?」な問いに対して2or4ページで答えていく構成なので、ざっと目を通した後は、都度「逆引き」的に使えそう。語り口も平易だし、かわいいイラストが随所に散りばめられているのも読みやすさを後押ししています。よろしければ手にとってみてくださいませ。

*: 木村 剛大 (共著、監修)、大串 肇、北村 崇、染谷 昌利、古賀 海人、齋木 弘樹、角田 綾佳(共著)、小関 匡 (編集)「著作権トラブル解決のバイブル!クリエイターのための権利の本」(ボーンデジタル)

2018-09-22

円グラフと帯グラフは使い分けるものだった

お恥ずかしながら、円グラフと帯グラフの使い分けが、ずっと曖昧なままだった。両方とも全体における部分の割合を示すもんでしょ、A部分とB部分とC部分の割合を見比べるもんでしょと。円と帯をどう使い分けるか、さぁそれは個人の好きずき?と。

違った…。それぞれ使い分けねばならない明白な違いがあった。ということを教えてくれたのは、「説明がなくても伝わる図解の教科書」*という桐山岳寛さんの本。

いやいや、超お薦めである。メッセージがシンプルで分かりやすいし、例がいちいち的を射ていて、ズバっ!と理解できる。

そこで数ページ割いて説明しているのが、円グラフと帯グラフの使い分けである。この本では、帯グラフではなく分割棒グラフと呼んでいるけれども、とりあえずここでは(30年くらい前)小学生のときに覚えた帯グラフのまま書き進める。

まず、著者は「円グラフほど誤った用途に使われているグラフはない」と記している。

円グラフが伝えるのは「全体に対してどれだけの割合が占めるか」であり、ある割合が他の部分より大きいか小さいかを伝えるものではない。

説明を読んでみると、納得である。円グラフでA部分とB部分の量感を比較しようとすると、向きの異なる扇形の面積をもって比べなければならないので難しい。

円グラフ(Aが55%、Bが28%、Cが11%、Dが6%)

AはCの何倍か、直感的にわからない。BはAの半分より大きいか小さいか、わからない。

でも、Aの割合をみるには効果的な表現だ。半分をちょっと超える程度と瞬時に伝わる。円グラフが伝えられるのは「全体に占める割合」だけ、「部分と部分の割合を比較するには適さない」のだ。

そこで、帯グラフ(分割棒グラフ)の出番である。部分と部分の割合を比較するには、こっちを使う。

円グラフがつくり出す二次元の“広さ”よりも、一次元の“長さ”のほうが比較が簡単なのだ。

って、言われてみれば当たり前の話だ。それにしても説明の仕方が秀逸である。

上の図は帯グラフ(Aが33%、Bが25%、Cが22%、Dが20%)、下の図は円グラフ(割合は帯グラフと同じ)

CとDは2%の差しかないが、帯グラフだとCのほうがDより大きいと、パッと見でわかる。円グラフのほうだと、CとDを見比べても、その差に瞬時に気づくのは難しい。

一方、帯グラフでは「全体に占める割合」は把握しづらい。B部分の割合をざっくり1/4だなって把握するには、円グラフのほうが瞬時に読み取りやすい。

ちなみに折れ線グラフと棒グラフの使い分けも、わかりやすく説明されていた。折れ線グラフは"時系列に沿った動き”を伝えるときに限って使うのが間違いがない。数値と数値の間に見える関連性や連続性を示したいときは、折り線グラフ。一方、“数値の差”を直感的&正確に伝えたいときには棒グラフを使う。

よくリンク先のような折れ線グラフ(総務省「平成30年版情報通信白書のポイント」より)を見かけることがあるけれど、例えばピンク色(英国)の線の「自社内の組織の見直し」60%弱と「ICT人材の育成や雇用」30%強の間に引かれている、60%から30%に下落している線に意味はないわけで。こういう使い方は良くないなぁと思う。

この本は、図解する重要性、図解の役割・機能、実際にどう図解したら伝わりやすくなるのかが、驚くほど理解しやすくシャープにまとめられている。図解がうまい人でも、もともとセンスのある人は「悪い例」「失敗例」と合わせて良いアプローチを解説することができなかったりするんだけど、この本ではこれでもか!これでもか!というぐらい、「悪い例/失敗例」と「良い例/改善例」をセットにしてポイントを解説してくれているので、ものすごくわかりやすいのだ。

しかも、「悪い例/失敗例」がよく見かけるものであり、「良い例/改善例」が明らかに見違えるほど良くなっている。こういう一つひとつの教材を良質に作り上げるのは、実際のところたいそう骨の折れる仕事だ。

さらに、この本自体が、この本の中で紹介している図解のポイントを実践した作りになっていて、そのために大変伝わりやすい本に仕上がっている。二段構えで分かりやすく説得力のある本で、ほんと敬服する。なんらか資料を作って人に伝える仕事をする(けどデザインは門外漢という)あらゆる人に役立つ本だと思う、いい本でした。

*: 桐山岳寛著「説明がなくても伝わる図解の教科書」(かんき出版)