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2019-01-05

家族の当たり前と非日常

この年末年始は妹も帰省したので、家族みんなで会えて嬉しかった。大晦日は父と妹と私そろって近所のスーパーで買い物をして、家に帰って年越しそばを食べ、父が寝ている横でNHKの紅白歌合戦を妹と観た。松任谷由実が出て、サザン・オールスターズが出た。ユーミンと桑田さんが、一画面にドアップで一緒に歌って踊って胸騒いで腰ついて笑っていた。平成30年が暮れた。

元旦は3人で近所のスーパー銭湯に行った後、母のお墓まいりへ。今回はお正月なので松を選んだのだけど、花筒にさすと、ひときわ凛として美しく華やかだった。

その後はお刺身やらお寿司やらスーパーで買い物して家に帰り、お昼すぎに兄一家を迎えた。居間と食卓をかねた広間に7人。奥の間で、母の写真がこちらを向いて笑っていて8人。集合写真を撮った。

甥っ子たちが年々大きくなっていくので、おせちもお刺身もお寿司もお雑煮も、どんどんなくなっていく。頼もしい。彼らが持参したお年賀の、どら焼きもみかんももぐもぐ甥っ子らの胃袋へ。持ち込んだものも結局全部持ち帰ってもらうので、「お年賀には自分が食べたいものをもってくるといいよ」と甥っ子らにアドバイス。2段重に減らしたおせち料理も、来年は3段重に戻してもいいかもしれない。

日が暮れだした頃、兄一家は義姉のほうの実家へ移動。私たち3人は、母の姉夫婦の家に挨拶に行く。父と私は、暮れに亡くなった祖母の葬儀で12月にも会っていたけれど、妹は数年ぶり。再会できて良かった。

そこで伯母から、祖母の遺産相続の話があった。うちは母(祖母の末娘)が亡くなっているので、相続権が私たち孫3人に移っていると言う。即答で、妹も私も辞退を表明。当たり前、という共通の感覚。家族だな、と思う。

翌日の1月2日は、恒例の成田山新勝寺へ3人で出かける。妹が帰省すると、車で連れて行ってくれるのでありがたい。朝早めに出たので、渋滞に巻き込まれることもなく、参道で牛歩することもなく、かなりスムーズに参拝できた。

それにしても朝8時、近所のパン屋でカツサンドやらカレーパンやら食べて出かけて、スムーズな参拝の後、10時半すぎには特上のうな重を食べられる父と妹の胃袋ってどれだけ活動的なのか。感心して2人が頬張るのを眺めつつ、私はお茶をすすってのんびりする。

さらに父と妹は、帰りの車の中で食べる甘栗を参道で買っていた。「これは助手席の人がむいて、運転手に渡すんである」と父が言うので、助手席の私はせっせと甘栗をむいては妹に手渡す。まさに助手。

それにしても、家族と恒例行事をするっていう当たり前は、なんだかすごく心地いい。家族と過ごすというのが非日常になって久しいけれど、それだけに味わい深い年末年始、歳を重ねるごと大事に感じられる。

2019-01-03

陸と海の境い目

波打ちぎわに行くと、陸と海の境い目はずっと揺らいでいる。波が寄せれば、そこは海となり、波が引けば、そこは陸となる。

ものの定義をたどれば、そんなことはないのかもしれない。0.0001秒ずつの変化をとらえれば、境い目は変化しながらも常にあり続けているし明解であると言えるのかもしれない。

でも、概念として常に明解に分けられるかどうかより、そこにあり続ける揺らぎのほう、明解に分かちがたいリアルワールドに目を向けたい。

そう思うのは、概念的に頭の中で考えて同定したり結論を出してしまいそうな危うさを恐れてのことかもしれない。

現実は、頭の中で思いえがく概念世界よりもっと境い目が曖昧で、ぐちゃぐちゃで、その時々で変化してってものなのに、概念世界だけにとどまって思案していると、そのことがわからなくなってしまう。

一方で、リアルワールドに直接触れてみれば人は一瞬にして理解することができるし、自然界は有無を言わさず人に飲み込ませる力をもつ。この世界の混沌を、この世界に概念上の矛盾があまた存在するという常識を。

というか、そもそも混沌とした世界への理解を進めたいがために、人が便宜的にあれやこれやに名前/言葉を与えてしゃべり出しただけで、リアルワールドは今も昔もぐちゃくちゃの混沌に変わりない。

自然界が創造した人の心も、混沌としていて矛盾に満ちている。相反する気持ちを両方とも内包している上、名前のつけられないどっちつかずのもやもやがまとわりついていて、一言ではこう思っている、こう考えていると言い切れないことが、いくらでもある。

一言考えを述べれば「でも反面、こういう気持ちもあって…」と、後追いで言葉を添えたくなる。そういうことは別に珍しいことじゃない。人の心とは、そういうものだと思っている。

やわらかい気持ちと、かたい気持ち。気高さと低俗さ。公平と差別意識。はねつけたい気持ちと、受け入れたい気持ち。ここを発とうとする気持ち、ここに留まろうとする気持ち。挑戦心と恐怖心。人なつこい気持ち、人を遠のけたい気持ち。

いつも揺らぎの中にあって、意思や運や縁や、ちょっとしたきっかけでもって、私たちはあたかもどちらかを自ら選んで意思決定したかのようにみえる外見上の変化を遂げたりもするけれど、変化の前も後も、変化のない日々も、内側には混沌とした気持ちがごちゃまぜにあって、いつもそれを一つの体の中に入れている。

意識できているものもあれば、無意識に潜んでいるものもあって、すがすがしい気持ちで丸ごと受け入れられることもあれば、一体の中に抱え込むのは到底無理ということもある。

概念世界のようにはなかなか、きれいに整理整頓や取捨選択ができないリアルワールドで、その混沌を、矛盾を、大事にみていきたい。ないものとして済まさないで、落ち着かないからと見て見ぬふりをしないで、「あって当然」と正面から受けとめて、両手を広げて受けいれて、今年はとりわけ人の心の揺るぎや多面性を丁寧にみて、大事に関わっていきたいと思う。そんな一年の始まり。本年もおつきあいのほど、どうぞよろしくお願いします。

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