« 2018年9月 | トップページ

2018-10-23

「Webクリエイティブ職の仕事と年収のリアル」を求めて

山口義宏さんの新刊「マーケティングの仕事と年収のリアル」*1が面白そうである。ということで、まだ読んでいない本について堂々と語ってみる。

私が長くキャリア支援の対象として関心を寄せてきたのは、マーケティング職というより、Web系のクリエイティブ職寄りなのだけど、このご時世、これとマーケティング職を分けへだてる厚い壁があるわけでもない。

いわゆるマーケティング職と比べると、Web系のクリエイティブ職にはさほど「華やかで稼げそうなイメージ」はないかもしれないが…、現代の2職種にはいろいろと共通点があるように思い、ゆえにこの本はきっとWeb系クリエイティブ職のキャリアにも役立つ内容が詰まっているに違いないと期待を寄せて、手にとってみた。

手始めに、この本の「はじめに」に書かれているマーケティング職のあれこれから、Web系クリエイティブ職との共通点らしきものを読み取って列挙してみたい(「はじめに」までは読んだ…)。

マーケティング職と、Web系クリエイティブ職の共通点らしきもの(私見)

●働く場を大別すると、事業会社と支援会社がある
●専門領域は細分化され、目につく仕事から地道な業務までさまざまある
●役割とする仕事範囲は、複雑化しながら広がっている
●給与の業界水準は決して高くない。高い稼ぎを得られるのはごく少数で、多くは経済的な処遇が期待に及ばない
●この職でやっていく成長の見通しや年収を高める道筋が見えず、閉塞感を感じている
●キャリアに閉塞感を感じる一因に、デジタル化によってマーケティング施策の専門分化が細分化された結果、自分の関わる仕事や事業、業界を俯瞰して見渡しづらい環境要因がある
●「実力を伸ばせば、年収も自然に高まる」ことを期待したい職人的指向が少なからずある
●汎用的な仕事能力の獲得を軽視し、専門知識・スキルに偏重しがち
●職務の専門知識や施策を解説する本は沢山あるけれど、職として市場価値を高め、稼げるようになるリアルなキャリアづくりの情報は少ない
●雇用する企業側も、業務理解が浅く、採用のミスマッチが頻発。育成も現場任せの徒弟制度を脱しきれず

念押ししておくけれども、ここで挙げたものは、著者の山口さん的にはマーケティング職の話として語っているものであって、「これってWeb系のクリエイティブ職にも通じるのでは?」と列挙しているのは、私の勝手な解釈にすぎない。が、どうでしょうか。なんか、うんうんって感じしませんか。誰となく。

3つ目に挙げた「役割とする仕事範囲は、複雑化しながら広がっている」とかは、そのわりに、大きく括れば1つの職種に役割が集約されつづけていないか、とかも気がかり。

マーケティング職事情は詳しくわからないが、Webの業界でいうと「いっぱしのディレクター(とかデザイナー)なら、これくらい知っておいてほしい、これくらい読んでおいてほしい、これくらいできてほしい」と求められる知識・スキルがどんどん膨らんでいき、一職種・一個人に求められる役割は肥大化していく一方。

中途採用の募集ページにあるジョブスクリプションは見直す度に厚くなり、「できれば尚可」に書き込めるだけ書き込んでいくものの、待遇面は数年前からさしたる変更なしとか…。一般の企業が求めるには、非現実的なスーパーマン像になっていないか、とか。

業界の発展とともに、年数をかけて一つひとつ知識・スキル・経験をモノにしてきた一握りの人を除くと、どうその肥大化した役割を果たせる人間になれるものかには、各方面で大きな課題を抱えているのではないか。

当事者としてのスキルの磨き方や経験の積み方も、組織としての若手の育て方も、組織としてこの職種分類のままでいいのか、もっと現実的な役割の再配分、チーム編成の見直しが必要なんじゃないかとかの課題もあるのでは。

各社によって提示できる年収だって違えば、採用できる人材も違う。社内メンバーの構成だって違ってくるし、扱う案件のタイプだってクライアント特性だってさまざま。やっぱり最終的には「我が社はどうしようか」と、それぞれの最適解を考えざるをえない。

だとしても、業界標準的な職種分類の見直しは、それはそれで意味をもつだろうか。あるいはヘタに体系化しようとせず、いろんな会社が自社のチーム編成や職種分類の考え方と実際を数多く事例共有して、意見交換して、持ち帰って各々活かすことに意味があるのか、とか。

そんなことをもやもや考えつつ、「はじめに」を読んだ。ということで、最近は垣根なくデジタルマーケティング界隈で働く人たちのキャリア支援、組織の人材育成をサポートする自分の役割にひき寄せて頭を働かせつつ、本篇のページをめくっていきたい。ご興味ある方は、ぜひお手にとってみてください&読んでみたら、ぜひ後で語らいましょう(私は読むの遅いですけど…)。

*1: 山口義宏「マーケティングの仕事と年収のリアル」(ダイヤモンド社)

「アタマのやわらかさ」の原理。を読んで

名だたる広告クリエイターの著書を手がけてきた編集者、松永光弘さんが著した「アタマのやわらかさ」の原理。*1を読んだ。

松永光弘さんが編集者として手がけた本は、広告・デザインをつくる仕事に従事する人なら誰でも一冊は手にしたことがあるのでは、というほど。

広告というのは常に、これまでにない新しい何かを求められ、「新しい価値の提示」を役割とする。それを作るトップクリエイターは、どんなアタマのつかい方をしているのか。そこに見られる「アタマのやわらかさ」とは何なのか。どういうふうに成り立っているのか。どういうふうに養っていけばいいのか。

松永さん自身がこれまでに見聞きし、経験し、学んできたことをベースに導きだした「こういう考え方をすると、いろんなことに説明がつくし、思考を進めやすい」という仮説が語られている。

これまで広告会社や学校などでお話ししてきた内容を整理しなおし、加筆、再構成して、4回の講義のかたちにまとめたものということで、平易な話し言葉になっているので読みやすい。例もふんだんに織り込まれているので、面白いし、わかりやすい。さすが本づくりのプロだ…と、それだけで敬服する。

そして書いてあることが、ロジカルで優しい。ときにロジカルな文章はゴツゴツしていて痛かったり、優しい文章は論理性を欠いていたりするけれど、松永さんのお話は両方とも見事にそなわっているので、腑に落ちるし、自分もやってみようって心持ちに自然ともっていかれる。それを、ただ優しい語り口やロジカルな文章展開でやっているんじゃなくて、お話の中身そのものでやってくれている感じ。

話し始めに、優秀なクリエイターがやわらかいアタマで新しい価値を提示するとき、「ひらめく」というより「見つける」という言い方をする、という話がある。

ひらめける人になろうと言われたら途方もなく感じて、んなのできる人はできるし、できない人は一生できませんよってな気分になっちゃうけれど、「優秀なクリエイターはひらめくより、見つけるって言う」ということになると、新しい価値を発見する機会は自分の外に点在していて、それをうまく見つけるコツなりスキルなりを身につければ、自分にも新しい価値を発見できそうな気がしてくる。

松永さんの話の中身には、そういう指摘の鋭さと、人を動機づける優しさが両方ある。

もちろん話はそこにとどまらない。松永さんは、広告クリエイターたちと一緒にブレストしたり、彼らを著者とした本を作ったり、お酒を飲みながら話したり、議論したりする経験からいって、

みずからの発想を体系化してメソッドのようなものを編みだし、日常的に用いている人はあまりいません。本で紹介されているような、いわゆる発想法をつかってなにか考えている人も、ほとんど見かけません。たいていの人は、なんらかの課題を投げかけると、ごくふつうに考え、ごくふつうに悩み、ごくふつうに自分の意見を話します。

読んでいて心地よく、励みになった一節。でも、じゃあ優秀なクリエイターは何を共通項として特徴づけられるかというと、さまざまな視点(切り口、アングルとも)で考えなおしつづけていることが語られる。

大切なのは、最初の反応ではありませんし、発想の瞬発力でもありません。どう考えなおすか。もっといえば、望むような結果にたどり着くまで、どう考えなおしつづけるか。

何かをみたときの最初の反応が優れているかどうか、何をひらめけるかどうかで決まるんだよってことではない。最初の反応は、ごく常識的なもので構わない。むしろ常識的なものの見方でまずは反応してみて、そういう自分の価値観なり世間の常識なりを認識した後、そこに価値を固定せずに、さまざまな視点で別の価値を探しにいって、新しい価値が見つかるまで探しつづけられるか、これだってものを見つけたときに目利き力を働かせられるかどうかってところだ。

とはいえ、この「視点」というのも、物理的なものを見るのに視点を切り替えるんだったら、横からみるとか底からみるとか替えてみるのはわかりやすいけれど、往々にして私たちがみる対象は概念的なものなので、ただ視点を切り替えるといっても、どう切り替えるのってことがわかりづらいですよねってことで、それも具体的に「組み合わせで見る」ということの意義や方法について、なるほど!という話が分かりやすく手ほどきされる。

そもそもモノや人、情報の価値は、組み合わせの中で決まる

という松永さんの解釈も、なるほど!と腑に落ちるし、

編集とは、組み合わせによって価値やメッセージを引き出すこと

という定義づけも、分かりやすく浮き彫りにされていく感じ。

多くのトップクリエイターと仕事し、議論し、おしゃべりし、たくさんの時間を共有してきて、彼らの資質や特性、価値観、共通項やそれぞれの個性を見分けて深い理解を獲得した編集者ならではの実践から編み出した本。「編集者が著した本」という価値が染みわたっているような本だった。

*1: 松永光弘「アタマのやわらかさ」の原理。(インプレス)

2018-10-14

自分のレベルに合った学習方法を選ぶこと

先週は、学習分析学会が主催する「教育効果測定の基本コース」を受講した。2日間のプログラムで、受講料5万円と値は張るが、参加して良かった。狙いどおりで、ちょうどいい講座だった。

ちょうどいいというのは、講座が設定している学習目標やターゲット、そこから落とし込まれたカリキュラム内容、講師の教授スタイルが、今の自分にちょうどフィットしたものだったということだ。お昼以外ほとんど休憩もない感じで、2日連続なのに宿題もあって、ずっと頭に汗かいていた感じだったけれど、自分の求めていた通りだった。

今回の講座の参考書籍にもなっている講師の著書は数年前に読んでいて、以来その方が副理事長を務める同会のメルマガに目を通したりして、この講座の存在は知っていたのだけど、年に1回くらいしか行わないので、タイミングを逃して早数年。

今回行ってみたら、年1開催ながら参加者は4人。だいぶマニアックな講座らしく…。が、おかげで講師を4人で独占でき、数々のケーススタディも個人ワークとペアワークでやって、一人で紙に起こし、二人でホワイトボードで詰めて、双方ペア漏れなく発表しては講師からフィードバックを集中投下してもらえて、だいぶお得だった。

また、この講座は「組織の人材育成部門か、教育ベンダー会社で3年以上の実務経験を有し、自分で研修企画や研修開発を手がけている人」が対象のガチ講座、全員が参考書籍を読んだ上で参加していたので、ぐずぐずっとすることがなく、講師の脱線話はあれこれありつつ、それも楽しみながらアップテンポで進行した。

講師は、日立グループの人材開発を手がける研究所を基本の職場としていて、学会などでアカデミックなところと交流しつつも、思想としては完全に実務畑の人。フィードバックに一つ「ん?」と思ったところもあったけど、あれはきっと宗派の違い…、全体的にはすごく性に合った。

ズバズバ物言うところも、ダメなところ抜けているところを雄弁に指摘してくれるので、人によってはきつそうだったけれど、弱点を突かれに行った私としては願ったり叶ったり。

いいのか悪いのかを誤魔化したようなフィードバックや、アカデミックな型にはめてみてどうかというフィードバックだったら期待はずれだったが、実務的にみて不備不足がどこにあるか、良いところは良いと褒めてくれた上で、さらに実務的なテクニックとしてはこういう観点も押さえたらいいなどのアドバイスをくれて、自分のアウトプットのレベル感も把握しやすかった。

本を読めば知れることは本を読めばいいのだけど、その次のステップとして、その本の内容を本当に理解できているのか?ズレなく認識しているのか?実践はできているのか?を確かめるのは、自己評価では無理がある。自分の死角になっているところも、人に指摘してもらわないかぎり一向にわからないままだ。

実務で得られるクライアントや、講師(研修テーマの専門家)、社内の評価は、プロジェクトや業績に対するフィードバックであって、私の職能を対象にしたものではない。それは同職種で働く人がいない環境でやっているのだから、そのほうが健全だと思っているし構わない。

だけど、自分の職能に対する適切なフィードバックがない状態でずっとやっているのもいかんなって思う。自分で、自分が納得いく客観的評価を得られる場に出ていって、自分の職能レベルを評価してもらって、自己評価力を洗練させる必要があるよなと。成長を自己管理していくというか。

自分のように職場内外と問わず同職種とのつきあいがなくて、なんとなく環境から自分の能力を相対評価して認識することができない環境にある場合、自分が一番全うに自分の能力を冷静に適正に絶対評価できる状態を、自分で作らないと不健全に感じる。

今の自分にどういう死角があり、何はきちんと理解していて、何はそこそこできるけれど、どの辺に詰めの甘さがあるみたいなことを、へたに低くも高くも見積もることなく客観的に評価できる環境整備を怠らないようにしたい。

これを得るには、人材開発系のセミナーに足を運んで人の話を聴いたり、懇親会などで同職種の人たちと交流してもあまり意味はなくて、実案件とはいかなくとも具体的なケースで自分の力量をアウトプットして適切な講師からフィードバックをもらえる講座を見定めて参加する。これが手っ取り早い。ものによるので吟味が必要だが。

私は実際講座に出てみて、この人に評価してもらいたいという一線の実務家に自分のアウトプットを見てもらって、まずまずな評価を得られた(ふうな)のにはほっとしたし、詰めの甘いところも具体的に指摘してもらえて、こういうところの詰めが甘いよなっていう「こういうところ」がわかったのも良かった。

あと、やっぱり瞬時にぽんぽんと高いレベルで情報を整理したりアイディアをまとめていくのは難しくて、精緻化するのに時間かかっちゃうなぁという再認識。これはあまり速くできるイメージがなく、自分は時間のかかる人間だから、時間をかけて丁寧に仕事しようと開き直ってしまっているけれど、まぁそれはそれでいいではないか。

他の人とのペアワークのやりとりや、もう一つのペアの発表を受けて自分が気づいたことを指摘したり、講師が指摘を加えるやりとりからも、なんとなく自分がどれくらい見通しよく物事が見えていて、どれくらい気づけない粗さをもっているかの感覚的な理解が進んだ。

またしばらくはコツコツ実践を積んでいこうと思うけれど、これをもって自己評価の解像度を一段高めて、都度振り返りから自分ツッコミを入れつつレベルアップしていけたらと思う。

そうそう。自分が受講する講座選びって、本当に大事だ。「人は学習の目標設定が下手」って話があって(*1)、コロンビア大学の心理学教授ジャネット・メトカルフェ氏によれば、

人は新しいことを学ぼうとするとき「すでに知っていることか、自分にとって難しすぎること」をめざしがちだ

なんか、ものすごい言い当てられた感があって、この一節が気に入ってしまった。

自分が、あぁその辺は全部知ってる、わかってるーと思いながら本読んだり人の話聴いたりしているときは、自分が有能なんじゃなくて、自分が学習レベルをあげずに同じところに停滞しているのだと、まずは疑ってかかったほうがいいだろうって思った。

自分が「理解している範囲の少し先にある教材」に取り組む選択を、できているかどうか。

学習の絶好の機会は常に動いている。たえず変わり続けるので、スキルを一つ学んだら、次のスキルにステップアップしなければならない

*1: アーリック・ボーザー「Learn Better――頭の使い方が変わり、学びが深まる6つのステップ」(英治出版)

2018-10-07

サプライズよりワクワクを

半日がかりで旅行の手配をした。父と一緒に九州を訪ねて、あちらに住む妹とおちあって、3人で二泊三日の長崎旅行をする計画を立てた。妹があちらに住むようになって、一度父と一緒に訪れて同じように3人で旅行したことがあるのだけど、それが熊本地震の1年前だから2015年のこと。

となると、3年ぶりの家族旅行。3年前は湯布院でゆったり温泉につかった後、南下して阿蘇のカルデラの雄大さにびっくりたまげて帰ってきたので、今回は長崎に行ってみることに。

旅プランは最初、旅行に良さそうな日程に当てをつけて、今から宿が押さえられそうか楽天トラベルで様子うかがいつつ、父と妹に候補日の都合を確認。双方ともOKだったので、とりあえず飛行機の往復チケットを、父と私の2人分ネットで手配してしまう。

妹のパートナーが、それなら最終日の午後に大相撲の九州場所を一緒に見に行かないかと誘ってくれたので、それはいい!と二つ返事で旅程に組み込む。

3日目の午前中に福岡に移動して4人でランチしてから観戦する前提で、1日目と2日目の行き先を妹に情報もらいつつざっくり目処つけて、近くの宿を押さえた。車は妹がレンタカーを押さえて、長崎の間は妹の運転ですいすいすい。あとはまぁ、なんとかなるさ。

それにしても、最終日に大相撲の九州場所というのは良い。妹のパートナーにも久しぶりに会えるし、父も快い時間を過ごせるだろう。

相撲観戦の誘いを妹から聞いたとき、これを父にだまっておいて、当日サプライズで連れて行くっていうのをふっと思いついたのだけど、すぐに、それはないなって却下した。

せっかくの旅の予定。行く前から、みんな同じだけ実の詰まったワクワク時間を共有できたほうがいいではないか。当日直前にワクワクが始まって、すぐに終わっちゃうなんてもったいない。仕掛けた側だけ楽しみが長くて、プレゼントされる側が楽しみ時間が短いなんて不公平だ。一瞬のサプライズより、支度から始まるワクワクを。そう思うのは庶民思考ゆえか、あるいは一通りを想定内に収めておきたいディレクター脳の所以かも。

まぁ好みは人それぞれだろうけど、もう父に言っちゃったからいいのだ。電話の声が嬉しそうだったからいいのだ。楽しみに待って、みんなでゆったり、いい時間を一緒に過ごしてきたい。

« 2018年9月 | トップページ