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2018-06-27

人間はクリエイティブな仕事を

もうずいぶん昔のことになるのだけど、あるクライアントに呼ばれて上司が企業訪問するのに、ついていったことがあった。

当時、私はまだ法人相手の仕事をし始めたかどうかという20代の小僧で、そうした商談の場にはたいそう不慣れ。発言したのは最初と最後の挨拶くらいで、あとはただ上司のとなりに座って先方の話を聴くばかりだった。

社会科見学みたいな感じで、まったくの役立たず。最初から「見学させてもらう」前提で上司が連れていってくれたので(たぶん)、その場の舵取りをすっかり上司にゆだねて、のんきに話を聴いていた。実際はガチガチに緊張していたけれども、今思えばのんきなものだった。

ともあれ、話を聴いていると、どうにも解せないことが出てきた。お客さんは、契約社員にこれをやらせたくて、アルバイトにこれをやらせたくて、外部パートナーにこれをやらせたくて、そこをうまいことうちの会社にハンドリングしてほしいというような相談をしていて、じゃあ、この会社の中の人たちは何をやるのだろうかなと。

なんだか話を聴いていると、事業の根幹まで全部手放して、外にお任せしてしまうように感じられて、そんなふうにしちゃったら、この会社の中は空っぽになってしまうのでは?という疑問が膨らんでいった。

でも、おっかなびっくりだったので質問できずじまい。今だったら率直に訊いてみるのだろうけど、そのときは、「こういうの訊くのは法人相手に失礼なのかもしれない」とか、「この手の領域は当たり前にアウトソースするもので、もっとこういう上位レイヤーを正社員は担うのだっていうビジネスの常識を私が知らないだけかもしれない」とか思って、口を開けなかった。

それで帰り道に、上司にその疑問を投げてみると、いい質問ですねぇという感じで(当時その言葉はまだ流行っていなかったけど)「そういう疑問、直接訊いていいんだよ」と促された。

そうなのかー、そうだよなぁと思って、それは20代の法人ビジネス駆け出しの私にとって、一つの貴重な学習経験になった。疑問に思ったことは、相手が法人だとか関係なく、直接当事者に訊いちゃうのが一番いいよなって、力みをほどいて考えられるようになった。今でも、あれこれ考えて聞き損ねてしまうことはあるけれど…。

そのときの疑問はそのまま十数年。でも、たまに思い出す。効率を追い求めて、あれもこれも自分から引きはがそうとしているような話に触れると、この思い出が脳裏に浮かびあがってくる。

そこまで効率を追い求めた先で、では何を得ようとしているのか。どんどん手放していって、どんどん効率化していって、手元に何を残したいんだろうなと。それが、話を聴くかぎり見当たらないことがあって、自分で自分の身ぐるみをはぎとっているような不思議な光景に見えることがあったり。きっと答えは間にあるのに、中間地点を通り越して、逆の極まで到達せんとしていないか、とか考えてみたりする。

この先、だいぶ迷い子のような文章を書き連ねて、上と下がつながっているのかわからない感じで最後までいくけれども…。

例えば「会社で」働く前提から解放されて、「自宅でも会社でもどこででも」仕事場を選べることに豊かさがあるのに、必死に会社から自宅に仕事場を移行しようとして、「会社に行かない」環境作りが目的化してしまうとか。

できるだけ人と会わないで済むように、一人で完結するように、外に出ないで済むように。その極をゴールに設定しちゃうと今度、そもそも人は個人ではできないことをチームでならできる可能性に目覚めて組織を形成したのではなかったかとか、直接人と人が空間をともにして交わったときに人間がどれほどの情報、あるいは情報におさまらぬ交信を行って物事をうまく展開していける能力をもつかとか、活力を得ているかとかが軽んじられているのではないかとか、人と人が接触しない世界づくりが大事だったのだっけ?とか、「そもそも何のためだっけ」というのがもみくちゃ状態になっていく。

「ルーチンは機械に任せて、人間はクリエイティブな仕事を」というのもよく聞くけれども、人間は、やることがクリエイティブな仕事だけになったとき、果たしてそんな能率よくクリエイティブな仕事だけぐっとパフォーマンス発揮できるものなのだろうかとか考えてしまう。

私もルーチンワークは遠退けるほうだけど、とはいえ自分がすべき仕事が隙なく創造力を120%発揮して取り組む類いの仕事一色になったら、ちょっとやっていけないだろうなと怖気づいてしまう。

そういう人は淘汰されていくんですよと言われたらそれまでだし、1週間に8時間×5日間働こうという前提で考えるからいけないのであって、その分仕事時間そのものを減らして、あいた時間を自由時間にすれば苦しくないでしょっていうのは、まぁ話としてわかるのだけど。

とはいえ働く時間を何時間に減じようと、自分の仕事の創造力発揮仕事が、自分の仕事全体の100%を占めて、それ以外なしとなると、それって人間の創造活動において現実的な環境なのかなぁと疑問符も。

創造的な力を120%発揮する仕事もあれば、80%くらいの仕事もあれば、30%くらいの作業もあって、そういうごた混ぜの緩みの中にアイディアがさしこんできて、あぁこうしてみたらどうだろうなとか、何かひらめいたり思考が開けていくようなこともあるんじゃないのかなぁと。まぁ、それは20世紀生まれの平凡な人間の生身の感覚の一例にすぎないのだけど。

クリエイティブな仕事っていうのは、それ単体で成立するわけじゃなくて、現場の細々とした一連の仕事の中に生起するような気もして、「ルーチンは機械に任せて、人間はクリエイティブな仕事を」ってコピーには、なんとなく乗り切れない自分がいる。もちろん程度の問題はあって、全然機械化しないのも違うんだけど、完全に手放しちゃうのもどうなのかって、やっぱり答えは間にある気がしている今のところの自分。

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コメント

こんにちは~

> 創造的な力を120%発揮する仕事もあれば、
> 80%くらいの仕事もあれば、30%くらいの作業も
> あって、そういうごた混ぜの緩みの中にアイディア
> がさしこんできて

そうそう、1つ1つが均質化することは難しいんですよね。一方で、均質化する時代を育ってきている世代だからなおさら折り合いをつけるのが難しいというかw

もう1つはクリエイティブワーク>ルーチンワークって思いがちですけど、継続性の観点から見たらルーチンワークのほうがすごく価値があったり。

やっぱりまぜこぜの中でどう仕事をしていくかっていうのが大事だと、最近とみに思います。

あと自分にとって便利なものを使うスキルはこれからの時代大事だなーと(みんなが便利と言っても使う必要性はない)

長文失礼しました~。ちかいうちにまた近況報告会しましょう~ :-)

こんにちは!よく、この乱文におつきあいくださいました。
そうなんですよね、雑多な中からコンセプトを見いだせるところに人の創造性の面白さがあったり、人の活動の面白さがあったりして。それをきれいに整理整頓しようとすると、どんどん面白くなくなっていってしまうような、立ち返って何のためにやっているのか考えると辻褄があわなくなっているような。
いろいろ考えていると、クリエイティブってなんだっけ?ということにも考えが及ぶのですけど、「日々のことあっての創造」って気がして、クリエイティブ単体で世の中に成り立つイメージがもてなくなっていきます。
ぜひ近々、会をもうけましょう!

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