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2018-06-11

知識の伝承より、気持ちの伝染

部下や後輩に「教える仕組み」をいくら作っても、社内で「学び合う場」をいくら設けても、そこに学ぶ対象そのものをおろしろがっている人がいなければ循環しないだろうなぁと思う。逆に、それをとことんおもしろがっている人が一人そこに入れば、仕組みは未整備でも、その場の影響力は計り知れなくなる。

そんなことを考えさせられたのが、森毅(もりつよし)さんが「河合雅雄著作集十 学問の冒険」の月報に書かれたという次の一節だ。

学問というものは、伝承よりは、おもしろがることで伝染するものだろう

自分の学問を、後継者に伝承する気などない。「おもしろくてたまらぬ」から研究をする。すると、その傍にいる人に、その「おもしろさ」が伝染する。伝染した側は、別にうつした人の真似をするというのでなく、自分がおもしろいと思うことを、自分がおもしろいようにやる。そうすると、それぞれが自分の個性に従って独創的なことをしているんだけど、グループとしての相乗効果をもつことになる。

そういうことが述べられていて、すごくしっくりきた。「学問」を「仕事」に、「研究」を「学習」に置き換えても同じことが言えるよなって思う。この一節に私が触れたのは、河合隼雄氏の著書「『出会い』の不思議」(*1)を読んでのことだけど、河合先生も、この話を紹介した上で次のように述べていた。

学問研究にかぎらず、すべての創造性を必要とする領域に通じることである。知識を伝えるのではなく、態度が自然に伝わるのだ。

少人数で集まった空間に、そのテーマをめちゃめちゃおもしろがっている人がいるとか、いつも会社で斜め向かいに座っている人がめちゃめちゃ仕事楽しそうにしてるとかの影響力とかって軽視できない。会社の席の配置なんかは、考える人は相当に考えて人材育成施策に含んでいるだろう。

私もオーダーメイド研修を扱う仕事がら、人に講師をお願いするときには、やっぱりその研修テーマをおもしろがっている実務エキスパートに講師をお願いしたいって思う。あぁ、あの人を今回の受講者の皆さんに引き合わせたいって思って、お声がけすることが多い。そうして引き合わせた現場で、講師と受講者の間に生まれるもの、知識やノウハウを超えて講師から受講者に伝わっていくものを肌で感じると、すごく幸せな気分になる。

オンラインで学べる仕組みも、一斉に人を集めて講義をするのも、効率の良さを考えると良い仕組みなんだけど、効率がいいからといって、「全部これでやろう」とか「一元管理しよう」とかいって一つの手段にこだわりだすと、手段が目的化してバランスを崩す。狙う効果によって手段を選択できるのが良いのであって、効率的な手段に全面移行して、非効率だけどユニークな効果を生む手段を手放してしまっては、結局選択肢は豊かになっていないのだ。

少人数で人が人と直接会ったときに受け渡しできるものの計り知れなさを大事にして(合理化も、もちろん大事にして)、うまいバランスをとって学習環境をデザインできる仕事人でありたい。

先の本は、このくだりの後に、次のような一節が続いた。

グループとして共に仕事をしているものの、各人は別個の個性を生きる者として、強い孤独を感じる。共におもしろがりつつ孤独に耐える力をもつことが独創性を養うことになろう。

この一文には「孤独」の肯定的なとらえ方が感じられる。ひとつ前の話に、自立と依存は反対概念ではない、一切の依存をしないのは孤立だという話を書いたけど、それにのせて言えば、孤独と孤立は別物なんだよなって整理させてくれる一節でもある。孤独を抱えながら自立して生きるときに、人と健やかな依存関係をもって支え合えるのが自分の交友関係かなぁなどと思い、親しき友たちにありがとうって思った。

*1: 河合隼雄氏:「『出会い』の不思議」(創元こころ文庫)

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