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2017-10-29

人材育成施策は「研修」だけじゃない

先日お客さんとの打合せの席で話題にあげて、久しぶりに思い出したスライドがある。人材開発コンサルタントの Marc J. Rosenberg氏が作成したもので、人が熟達に向かうまでの学習ステージを4つに分けて図示している。「うまくできるようになるにつれて、学ぶ方法は変わるんだよ」という話だ。

"Learning Through Four Stages of Mastery" (*1)
Marcrosenberg

まず4つのステージとは。スライドの左から、1.初心者/見習い(Novice)に始まり、2.有能な職人(Competent)になっていき、3.経験を積んで老練な職人(Experienced)となり、ついには4.熟練者/専門家(Master/Expert)になるまで。

1は、ほとんど何も知らない状態。2は、まぁベーシックなことは一通り自分でできる感じ。3は、定型からはずれるような状況でも柔軟に対応を変えて事をこなせる感じ。4は、新しいこと、より良いやり方を発明したり、他者に教えられる域。段階的に流暢にこなせるようになり、さらなる学習も俊敏にこなせるようになり、共有できるナレッジも増えていく。

こうして4ステージに便宜的に分けてみたとき、Novice寄りであればあるほど、一般的な学習ニーズをまずは持ち、Master寄りになればなるほどユニークな学習ニーズに変化していく。

とするとNovice寄りでは、公式の構造化されたトレーニングプログラムが有効に働きやすいが、Masterに寄るほど、ソーシャルな活動だったり、個々人や各々の職場に基づく非公式な学習が有効に働きやすい。

つまるところ、学習のアプローチとして、Novice寄りだと教育的なトレーニング、E-ラーニング、反転授業やシミュレーションなど、いわゆる「研修」っぽい構造化されたプログラムとの相性がいいけど、Masterに寄っていくと、実践機会の提供、コーチング、ソーシャルメディア活用、熟達に向けて欲しい情報にアクセスできる環境づくり、コラボレーションなどと相性が良くなっていく。

Masterに近づいていくと、研修の有効性は一切ないと断じるような話ではないので、そこはうまいように解釈してほしいが、組織視点で人材育成施策を考えるとき、若手には◯◯研修をやって底上げ施策を打つけど、中堅には何研修やって更なる戦力化を図るかと、研修一辺倒に考えている場合は、少し育成施策アプローチの幅を広げて考えて見るのに使えるスライドだと思う。ということで、プチ共有まで。

*1: Beyond Competence: It's the Journey to Mastery That Counts : Learning Solutions Magazine

2017-10-22

男の子だけで決めた結論

先月、父が急に「手術をする」と言い出した。急といっても、それなりにステップはあったのだけど、もともと治したいといっていた症状(足のほう)の原因は特定できておらず、検査で発見された症状(頭のほう)を処置する手術で、症状(足のほう)が改善する可能性はあるけど、変わらないかもしれない。症状(頭のほう)は、絶対手術しないとまずいレベルではない。さて、どうしますか?ということになった。

けっこう大きな手術なので、判断をする前に簡易の実験(簡単にできるが、もし効き目があったとしても1週間しか効果が見込めない)をはさんでみて症状(足のほう)がどう変化するか見てみようということになったのだけど、ある程度予想したとおり、んー、なんとも言えない、はっきり良くなった自覚症状はないけど、もしかしたら多少良くなっているのかもしれないし…という結果。

で、簡易の処置から一週間経ち、翌日には病院に行って、医師に「症状がどう変化したかレポート、手術するのかしないのか意思表明する」という前夜になった。私は父に電話をかけて、明日どうお医者さんに話すのかと尋ねた。すると、まぁその時の気分やな…と言う。こりゃ明日診察を終えてから話聞かないとわからんな…と思い、翌日改めてTEL。

「で、どう言ったの?」と尋ねると、「手術する」と言ったという。私の第一声は「あぁ、男の子だけで決めたって感じねぇ…」だった。この件では兄が全面的に診察とか検査とかの立ち会いをしてくれていて、この席も、父と、男性医師と、つきそいの兄の三者面談。そのシーンを想像するに、なんとなく、そういう流れにしかならない気がした…。

すると、どうやら図星だったらしく、父は苦笑して「そんな大きな手術とは思わなかった」と、少し揺れる想いを吐露したように思われたので、私は「大事な体のことなんだから、今からでも嫌だったら全然やめていいんだよ!」と二度三度伝えた。が、まぁ一度言っちゃったものはやっぱりなかなか…なのだった。

加えて、兄に話を聞くと、先述したとおり「症状(頭のほう)を手術して、症状(足のほう)の改善をも見込む」という話をするんだけど、父から別に話を聞くと、「症状(頭のほう)を放っておくと、認知症になるリスクがあるっていうんだよ」と言う。それで、どうやら父の中では、この段で論点が認知症リスクに置き換わっていることを察した。父は、認知症になって子どもたちに迷惑をかけるのが嫌だという気持ちを前々から強くもっているふうなので、これが判断の決め手になったのではないかとも思われた。

ということで、翌10月をむかえて先日手術をした。手術はしっかりと成功して、家族一同、心からほっとした。術後に見舞いに行くと、開き直ったのか、おしゃべりの中で「いやぁ、長男坊がいて、どうするかって判断迫られて、そりゃ引くに引けなくなるだろ」と、こぼしていた。お気にめしたのか、「おまえが言う、男の子だけでってあれだ」と、あのフレーズを持ち出して笑っていた。

男女の別を言いたいわけじゃない、実際どちらの性別にも多様な選択があって当然で、それは人によっても、その時々でも違う。ともあれ、まぁ大事な結論はうまく「男の子的・男性的・父性的」なのと「女の子的・女性的・母性的」なのと、両者引き合わせて導きたいもの。そして、自分の大切な人が素直な気持ちをこぼせる関係とか時間とかを大事につくりたいと改めて思った。とにかく、無事に手術が成功して良かった!

2017-10-20

伝えたいことがある

一昨日の晩は「セガゲームス社員のキャリア話」というイベントだった。私は第1部(概論)の講演20分と、第2部(トークセッション)では事前に登壇者お三方のインタビューを行って、当日の50分枠を構成だてる構成作家(ってなんだかわかっていないけど)のような仕事を担当(本番は会場後方で応援)。

どちらの役割も(過剰な)期待に応えられるか不安抱えつつだったけど、それぞれに独特の面白さと私なりの挑戦があり、楽しくお仕事させていただいた。当日もなかなか良い感じに進んで、懇親会にも多くの皆さんが残ってくれて盛り上がり、イベントは成功裏に終わった。ご参加者、ご関係者の皆さまに感謝。

ところで、今回は準備段階から当日登壇する直前まで、頭のなかに何度か思い出されるフレーズがあった。あれはいつのことだったか、ちょいと年上のお姉さまと二人で飲みに行ったときに言われたひと言だ。「はやしさんは、伝えたいことがある人だと思うよ」、彼女は私にそう言った。

そのときは確か、私が「基本的には裏方仕事のほうが性に合うし、目的や対象者や実施条件を踏まえて、それに適った仕組みを裏方で構造化する仕事が面白いと感じる」みたいなカクカクした話をしていて、それを聞いた彼女の切り返しが先のひと言だったと思う。

そう切り返されたとき、すーっと、そうかもなぁと思うところがあった。ただ、その後に続く彼女とのおしゃべりで私が認識したのは、私には確かに「伝えたいことがあるようだ」という一方で、「それを自分で伝えたい欲はさしてない」ということだった。

伝えたいことが、伝えたい相手に、しっかり効果的に伝わることにプライオリティがある。そのために、より適した語り手・場面設定をデザインすることに、私がしたい仕事の核がある。そして、だいたい私が採用したい語り手が、私になることはない、別の誰かだ。そういう意味では、やっぱり裏方のほうが自分の自然な役割選択なんだろう。

そんなことを再認識した飲み屋話から、また何年か経ち、今回まれな登壇機会をいただいて準備している中、彼女の言葉がふいに思い出された。が、その言葉には今回、ちがう含みがあった。自分には、裏方仕事を好む自分のほかに、「自分が伝えたいことを、自分で伝えたい」という思いや事柄もあるのかもしれない。それはそれで、別に認めていいよなと。まぁ考えてみたら、個人に「いろんな面がある」「いろんな時がある」なんて普通のことなのだ。

そんなことを考えたりしながら準備して臨んだ本番。今回ご参加くださる方に自分が伝えたいことを素で話すという気持ちを大事にして話せて、薄っぺらい殻を一枚やぶれた気がする。話の上手い下手とはまた別の話なので、あくまで個人的な感覚だけど、悔いのない形でお話しできたのは良かった。

あと、本番を終えて冷静に振り返るに、「私が伝えたい&話せること」というのは限りなく狭く、また部分的だということ。これをしっかりわきまえておきたい。5分枠であろうと、30分枠であろうと、私の話がはまるのは大概、全体の中の「前説」に位置づけられ、どう「前説」として機能させられるか、いかに「本編」に効果的につなげられるかが肝だなぁと。

そうやって考えてみると、普段からクライアント案件でやっている研修開始時の「前説」と同じで、登壇者という位置づけになっても、相変わらず黒子である。つまり裏とか表とか関係なく、全体構造の中に、うまく自分を配役して役割を果たせるよう日々精進と。そういうことなのだ。だいぶややこしいひとり語りを書き連ねてしまったので、そろそろ。

今回、ご参加の皆さんも素敵な方たちで、だからこそ得られた気づきや思いもいろいろあった。第1部の話し始めから20分ほどの講演時間、ずっと顔をあげて目を合わせてくださる方が多く、時おり頷いたり表情も豊かだった。私がほぼほぼ一方的に話しかける体裁だったのだけど、こちらが伝えたいことを、正面から汲み取って言葉を吟味してくれているような顔つきで、そのキャッチボールがすごくありがたかった。時間もちょうどに話し終えられて安堵。冒頭、頭が真っ白になって5秒ほど間をおいていたのも誰にも気づかれていなかった。よかった…。

2017-10-08

直やりとり

今期はなんだか案件の引き合いが多い。予算や期間など規模はさまざまながら、半年間に13社ほどとおつきあいがあるのは、自分が法人案件をメインにやり出して10年弱、前例がないんじゃないかと思う(曖昧な記憶…)。というわけで、大変だけど彩りがある。

受託ビジネスに関わる面白みの一つは、「いろんな業種」のクライアントさんと「どっぷり仕事の話」ができること(*1)。生来アクティブな人なら、仕事に関わらずいろんな業種の人と知り合う機会を持つのだろうけど、私は人の集まる場に出ていくタチではないし、そういう場に出ていったとしても、仕事の具体的な話、業務環境や組織の内情をそうそう赤裸々に腹わって話せるものでもないだろう。

一方、人材育成の受託ビジネスとなると、社内でどんなパフォーマンス上の問題があって困っているかを話さないことには提案もできないから、初回訪問して、いきなり話題はそこに入る。初めて会ったその日のうちに、そこを1対1で話し込むのだ(人数は1人とは限らないが)。

私は初対面の人と会って誰とでも軽やかに会話を楽しむ技量に乏しいので、最初から1対1で本題に入って深掘りしていく会話は、性に合っている気がする(頭がおっつかない不安もあるけれど…)。それに問題が鮮明になって、これなら何か役に立てるかも、役に立ちたいという自分の役割が具体的につかめてくると、がぜん話もはずむ。

私は、人が問題を抱えていると思ったときに問題が生起すると思っているので、人が思わないかぎり、そこに問題はないという考え方をする。どんな地球の危機が訪れようとも、それを問題視するのは常に人間であって、地球はそれを問題とは認識しない。問題という概念は常に人間が作るもので、人間だけが事象を「これは問題だ」とか「たいした問題ではない」とかより分けるのだ。

というわけで、解決したいほどの問題意識が当事者にないところに割って入っていって、「これは問題です!解決しましょう」という気概がない。問題を抱えていないというAさんに、外野からBさんが「あなたは問題を抱えている」というのは、それって実はBさんの問題であって、Aさんが問題を保有しているわけではないのでは?という仮説のほうが先立ってしまう。

他者に問題提起することの有意義さは、それはそれであるとも思っているので、もちろん一概には言えないのだけど。世の中のあれこれは概ねバランスの中にあると思っているので、一概には言えないことだらけで何を書くのも大変だ。

って、話が遠くに行き過ぎてしまった…。まぁまぁともかく、そういうわけなので、私にとってクライアント案件は相性がいい。クライアントさんは基本的に問題の認識をもったところで、社外の人間に相談を持ちかけるのだ。

受託側の私はのこのこ出ていき、問題を抱えていることを自認する人にお話を伺う。あれこれ直に質問できて、それを持ち帰って対応策を練り、それを整理して、また直接に提案できる。最初から最後まで直接できる受託ビジネスは、私の性にものすごく合っていると、よく思う。

緊張するし、難しいし、大丈夫かなぁという不安も抱えつつだけど、自分の力のかぎりやってみて、どうでしょうか!って「直接」相手に出してみて、正面から相手のフィードバックを受け止めていく以外にやり方もない気がするし。そうやって素直にやっていくのが一番自分に合うステップの踏み方なんだろうなぁと思う。

なんか、前にも同じような話を書いた気がしてならないのだけど、自分の受託ビジネスのフィット具合いというのは、ときどき言葉にしたくなるのだ。この環境を支えてくれている人たちに感謝する気持ちも、こういう過程をとおして、自分の中でちょこちょこ確認したい。

このところ案件が多いのは、戦略的にどうこうした結果ではなくたまたまなので、山谷の自然現象でいくと、いずれ谷がやって来るだろう見通しなのだけど、とにかく今いただいているお仕事を一つひとつ大事にやっていこうと思う。結果的にそれがまた次の何かにつながっていくのであれば、それが一番いい。自然が一番性に合う。

*1: といってもクライアントは広告、メディア、ネット系(たまにゲーム、映像)にだいぶ偏っているし、クリエイティブ関連の人材育成テーマに限った仕事の話なんだけど

2017-10-04

30過ぎたら関係ない

10月から「TBSラジオクラウド」が大幅リニューアルということで、スペシャル企画のPodcast番組(*1)がやっている。久米宏×ジェーン・スー特別対談「ラジオが踊る未来」、荻上チキ×津田大介 特別対談「ラジオの現場から考えるジャーナリズムのこれから」、どちらも面白く聴いた。

ラジオ番組らしさがよく出ていて、30分強のおしゃべりをじっくり聴き入ってしまう。久米さんが番組の中で、テレビを観るよりラジオを聴くほうが、はるかに脳内作業量が多いんですよ!という話を力説していて、「だなぁ」と思いつつ聴いた。そりゃ個人差やその時々の状況次第ってのはあるだろうけど、ラジオを好んで聴く人の多くは、「だなぁ」と思うのではないか。

ラジオを聴いていると、自分の頭の中でやることがたくさんあって、考えて、想像して、作り上げていくことになる。テレビのようには「見えない」ことこそがラジオの魅力、強みであるという久米さんの話に聴き入った。

久米宏さんは御年73歳。「ザ・ベストテン」をやっていたのが30代で、「ニュースステーション」の番組を引き受けたのが41歳。「ニュースステーション」は、それから18年間続いた。そのくだりでジェーン・スーさん、「40代って、どうやって乗り切ったらいいんですかね?」と久米さんに問いかける。

このときの久米さんの返しが、また「だなぁ」だった。

「今から振り返ると、40代でニュースステーション始めたとか、30の時にベストテンとか、そりゃ、あんまり関係ないよね。40代も50代も30代も、20代はちょいと若いけど、自分が思うほど周りはね、あなたの年代は気にしてませんよ。自分が気にしてるだけ、自分が41だって。周りはね、ジェーン・スーだっていうのを気にしてるだけ」

私はあまり(良くも悪くも)年齢って気にしていないので、この返しには、なんとなく自分が思っていた感覚を言葉にして提示してくれたような感じがあって、すごく良い話を聴いたなって思った。

「40とか55の人って、そんな差別してないもん。できるかできないかくらいでしょ。イイやつか悪いやつかとかさ、センスがいいか悪いかとかね。何が趣味かとか、そういうことで、歳のことって、もうそんな関係ないと思う、30過ぎたら」

「だなぁ」と。って、そんな感想だけじゃ「引用」条件に見合わないんだけど…。こういう話を長尺で、いろいろもやもや考えつつ、想像しつつ、自分の頭の中であれこれこねながら「だなぁ」と聴けるのがラジオの魅力。ちゃんとした話はラジオじゃないとできない、考えていることをちゃんと話せるのがラジオという媒体の特性なのだという話をしていて、それも「だなぁ」と。

*1: 「TBSラジオクラウド」大幅リニューアル記念のスペシャル企画Podcast番組:ここでしか聴けない&3ヶ月限定配信なので、ご興味のある方はお早めに。

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