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2016-12-25

静けさという音

この週末はちょっとした旅に出て、ずいぶんと静かなところを歩いた。遠くに山が見えて、空には小ぶりの雲がいくえにも重なって、それでもだだっ広い空を埋め尽くすなど程遠く、視界には360度に青空が広がっていた。

せっかくなので、知らない土地をずんずん歩いた。目の前の景色も、さまざまに表情を変えていった。原っぱの乾いた土の上を歩いたり、足元にぐにゅっと懐かしい土の感触を覚える湿地を歩いたりした。自分の背たけの倍はあろうかというススキの草原に見下されて、その前にぽつんと立って一緒に風に吹かれたり、その脇をてくてく歩いたりした。暮れだした太陽が白い雲のふちを輝かせて、空に光の弧を描いていた。

歩きながら「静けさ」という音があるんだなと思った。静けさは、ゼロじゃないのだなと。自然がふかす、静けさという音のなんという心地よさ。家の中の「しーん」とした無音も好きだけど、それとまったく別の、独特の静けさ。自然のなす静けさは「しーん」ではないのだな。あれを音にするなら、なんて言葉になるんだろうと考えてみたけれど、うまい音を見つけられない。自然はなかなか言葉に展開できない。

河合隼雄さんの「昔話の深層 ユング心理学とグリム童話」に、こんな一節があった。

われわれは太陽について、雨について、あまりにも多くの知識を得たために、太陽そのもの、雨そのものを体験することができなくなった。

冷たい風が吹くと一気に寒くなり、日なたに出ると一気に温かくなった。ちっぽけで、かけがえない体験だった。

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