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2016-12-31

年末年始の役割変化

今回の年末年始の帰省は、ちょっと勝手が違う。料理担当の妹がいないのだ。ここのところは毎年妹も帰省していたので、大晦日は妹が作った年越しそばを家で3人で食べていた。元旦のお雑煮作りも妹が担当。私はおせち料理の手配、父の年賀状作り、洗い物と、不器用でもできることをわらわら担当…。

しかし今回は妹が帰省しない。それで、「2人だったら年越しそばは外で食べようよ、お雑煮もいいでしょう。2人分じゃ材料も余っちゃうし。そのほうが合理的だろ」と父。あっさり「じゃあ、お言葉に甘えて…」と誘いにのる私。そんなわけで今年の年越しそばは、父とふたり実家近くのお蕎麦屋さんへ足を運ぶ。

でも、さすがにお雑煮は作らないと。元日には兄一家が来るのだ。甥っ子たちには、やっぱりおせち料理とお雑煮を用意して迎えてあげたいじゃないの。兄一家と一緒なら、材料もそう余らないだろうし。そうくどくも、「いいよー、いいよー、家で食べるだろう」と父が言う。うーん、いやー、でもなぁ、やっぱり例年うちで食べているんだから、そこは期待に応えたいところ。

それで強硬策に出て、「おまえのお雑煮じゃ食べる気にならん、どうかお願いだから止めてくれというなら止めますけれども、そうでなければ作りますよ」と返すと、父も降参して「じゃあ作ったら」と話が落ち着く。そうだと言われたら後がなかった…が、想定どおりこちらに気を遣って言ってくれているだけだったようだ。

それでお蕎麦屋さんの後、父と一緒にスーパーへ移動。電車の中で、クックパッドのお雑煮レシピをいくつか読み比べてきたので、そのメモを見ながらお雑煮の材料あれこれを買い物かごへ。あと、甥っこたちが磯辺巻きも食べたりするので海苔と、ジュースとお菓子。それから、元旦に母方の伯父伯母と一緒に、祖母に会いにいくことになったので、それぞれにお年賀を用意。そんな買い物をしていると、ぎりぎりまでまったくなかった年末感が一気に出てくる。

そういえば、スーパーに向かう途中で、雲ひとつない夕暮れどきの空のもと、家々の合間から実に立派な富士山が見えたのだった。びっくりしたなぁ。あの美しさはいったいなんなのだ。目を奪われるとは、まさにこのことだ。

買い物を終えて外に出ると、日はとっぷり暮れていた。家に帰ると、仏壇で母に手を合わせ、なんとなく一息つく。

兄に、伯母にと連絡をして明日の予定をたてたり、甥っ子たちのお年玉を用意したり。年末年始なんて、母がなくなる前は、実家でただぼーっと過ごすばかりだった気がするけれど、ここ数年は家族行事の段取りを考えることが増え、年をおうごと役割というのを意識する。まぁ最低限のことしかやっていないのだけど。

もう、こんな時間。しっかり眠って、明日のお雑煮作りをきちんとやり遂げなくては(実は緊張している…)。というわけで、きっと今年も0時を迎える前に床についてしまうだろう。

今年を振り返ると、なんだろうな。仕事は、人のご縁でいろいろチャレンジしたり活動の場を広げていく機会に恵まれた一年だったな。気分的に、なんだか喪があけていくような感じもあったな。どきどきしたり、ほっとしたり、気合入れたり、辛抱辛抱と耐え忍んだり、ふわーっと開放感に満たされたり、いろんな気持ちがあった。

大切な人たちと時間をともにできたことにも、すごく感謝する一年。年末ぎりぎり、というか、ほんと昨日のことだけど、数十年ぶりの再会もスペシャルだった。時を重ね、年を重ねていくって、自分じゃコントロールできないし、受けて立つしかないすさまじいことでもあるけれど、やっぱり素敵なことだなぁと思う。そう思えるのはみんなのおかげで、今年も本当にお世話になりました。来年もどうぞよろしくお願いします。

2016-12-29

年末のラブリー案件

12月半ば、目の手術を終えた週の週末に、新規引き合いの連絡が入った。その週は自宅療養のため、ずっと有給休暇を取っていたのだけど、日曜の晩に家で会社のメールをチェックすると、社内の人からのメールで、研修というか何というか…なクライアントからの相談話があるとのこと。

手術が終わったタイミングで新規引き合いの連絡をくださるなんてラブリーすぎる!しかも、相談内容の模糊模糊(もこもこ)感が食欲をそそる。というので、身を乗り出して読んだ。今年はこうした「研修然」としていない人材開発に関わる相談ごとに数件恵まれた。すごく嬉しい。

メールには、電話でざっと聞いたかぎりのクライアントの相談ごとが記されている。とりあえず月曜のうちに、「そういう相談に対応できそうか&どれくらいの見積もりになるのか」を返事する必要があったので、与件に目を通してピンと直観が働いた「この人に参画してもらえたら!」という方に連絡をとって、いろいろ情報・意見交換させていただいた。

翌日の月曜日に一次対応を返すと、その週の木曜朝イチに直接訪問して、クライアントとお話しできることになる。水曜日の抜糸までは仕事に集中できる状態でなかったけれど、抜糸を終えた直後から一気に楽になることは前例から予想がついていたので、「ぜひ」と返して下準備を自宅で粛々と進めた。木曜の朝イチ、客先でいろいろ話をうかがい、年始早々に提案書を出す約束をして持ち帰ってきた。

すごく挑戦しがいのある案件だ。私は頭の回転が速くないので、これは、どういう案件なんだろうというのを整理するのに時間がかかる。この案件の複雑性を、どう読み解いていって、どういうプロジェクトと位置づけたらいいのだろう、それをどうカイロプラクティック的に提案書の前段にまとめて、クライアントと「こういうプロジェクトとして位置づけ直しませんか」という話に整理したらすっきりするだろうか、というようなことを、真っ白いA4紙にあれこれ書きなぐりながら、数日整理に明け暮れた。

それを提案書の前段部のドキュメントにまとめて、仕事納めの昨日夕方、参画してくださる方と打ち合わせ。私が組むのは教えるプロではなく、学習テーマの実務スペシャリストだ。彼も、クライアントが身につけたいスキルを本職として一線で活躍するプロフェッショナルであり、彼に向けて「先方からこういう話をいただいて、それを私はこういうふうな案件と捉えているんですけど…」と、まずは共有させてもらう。

そこで、素晴らしいご褒美をいただいた。その方は私がすごく仕事人として信頼&尊敬している人なのだけど、彼が私の作った提案書の前段部をみながら一通りの説明を聴いた後、感動した、こういうののバイトできないの?と言ってくれたのだ。いやぁ、これは年末に、この上ないフィードバックだった。

そういう前段部を作れると、相手の力をその場でぐいっと引き出せて、企画の骨もぐいっと固まる。あぁ、いい提案に仕上げて先方に提示したい!と思う。これも爽快なんだけど、きちんと具体的な仕事の中身について話しこんだ上で、自分の尊敬する人から、自分のアウトプットについて褒めてもらえるというのは稀有なことで、これがまたすごく嬉しかった。

私は、同じ職種の人が周囲にいる環境で働いていないので、人がこの手の案件に対して、どういうヒアリングをして、どういう提案を起こして、どんな提案書にまとめるかという比較評価が全然できない。だから、提案書に対する自己評価はあてにならず。あてにならないから、下手にしようとせず自己評価はくださない状態で、何年も走り続けている。とにかく案件ごと体当たりでやって、出してみて、クライアントの反応をもって内省する。それの繰り返しだ。それを何年もやっていれば、それなりに鍛えられて伸びていくところもあるだろう、という淡い期待…。

私の提案書のモデルは、前々職で一緒に働いていた凄腕の仕事人のそれで、もう10年以上前に目にしたもの。当時は、まさか後々、自分が法人向けに提案書を書くようになるとは夢にも思っていなかったけれど、彼女の提案書の校正を頼まれたりして読み込んでいたのが、私が書く提案書のモデルとなった。今でも、彼女ならもっとシャープな言葉で書くだろう、彼女ならもっと素早く論点を整理して仕上げるだろうなぁなどと思う。そういうモデルが実体としてあるのは、すごく健全だ。

ただ、優秀な人がどう書くかという具体的なモノをみる機会が、今はほとんどない。提案の基本型「問題をクリアに特定して、それをどうやって乗り越えるのを今回の課題設定として、それを具体的にどうやるか」という三段論法を理解したら、あとはやってなんぼ…のところが大きい領域だと思って、せっせと実践の日々。

今職場に何を求めるかといったら、オーダーメイドで、人材育成系の課題解決を求められている感じの多種多様な相談が、自分のところに舞い込んでくる、今の環境なのだ。そこで、1件1件いただける相談を大事にやるのが一番だと思っている。

自己評価力を高めようとか、同職種の人たちと切磋琢磨する中で自分の能力を鍛えあげようというふうに考えたら、人材開発系のコンサルティング会社に転職を試みて…という道もあろうけれども、今からそれをする気もわかない。気概が足りないからか?と自分を疑ってみないわけでもないけれど、冷静に考えるに、職場に同職種がうじゃうじゃいればいいというものでもない。いいメンターに出会えなければ転職の意味がない。わりと賭けである。

私が興味があるのは、自分のスキルアップより、求められる場所で自分のパフォーマンスを上げることだ。自己評価力を高めるために職場を変える年齢でもない気がするし、転職に時間と気力をあてる暇があるなら、一つでも今の環境でいただける案件に取り組んで、意味ある仕事をしたいと思う。

それにしても40歳は、年寄り発言をするには早すぎるが、もう若くもない。上に20歳分の先輩、下にも20歳分の後輩がいて、なかなか微妙なお年頃だ。

ともあれ、体当たりできる今の環境に身をおいて、自分が貢献したい場所で、貢献したい業界に向き合って、自分の力のかぎりを尽くして1件1件事にあたって、守備領域を広げていって、そのプロセスで着実に伸ばしていく環境づくりをしていくほうが肌にあう。

来年も模糊模糊した案件に取り組んで、それを、うーむと考え込んでA4紙に書きなぐったり、ドキュメント上で精緻化したり、尊敬するプロフェッショナルの方とのお話の中でいろんな刺激をもらって、揉んで揉まれて鍛錬して、少しずつでも自分のやれることを豊かにしていけたらいいなぁと思う。

2016-12-26

過剰に働くことの是非

自分のやりたいことが、たまたま仕事とかぶらなかったら好き放題にできて、たまたま仕事とかぶってしまって、それがいわゆるサラリーマンの仕事だった場合、1日何時間以内になさい、深夜労働はダメなどの不自由を強いられるのはちょっとおかしい気もする。

過剰に働かせてはダメという規制が、過剰に働いてはダメという規制と直結しない仕組みを練る必要があるということか。

組織が過剰に働かせることは規制しつつ、個人が過剰に働く自由を奪わない。

日々の暮らしを大事にして長生きしたい人もいれば、命を削ってでも何か一つのことをやり遂げたい人もいる。そんな単純な言葉で二分できず、仕事観も人生観も人の数だけあるし、ひとりの中でも変化する。

両極に価値が見出せる世界に生きている前提に立つと、個人の自由な選択を保障するには、知恵をしぼって中庸な介入方法を創り出さないといけない。おそらくは言葉を使って。

というようなことを最近もやもや考える。時勢に照らして、まともなことを言っているかどうかは、よくわからないけど。

2016-12-25

静けさという音

この週末はちょっとした旅に出て、ずいぶんと静かなところを歩いた。遠くに山が見えて、空には小ぶりの雲がいくえにも重なって、それでもだだっ広い空を埋め尽くすなど程遠く、視界には360度に青空が広がっていた。

せっかくなので、知らない土地をずんずん歩いた。目の前の景色も、さまざまに表情を変えていった。原っぱの乾いた土の上を歩いたり、足元にぐにゅっと懐かしい土の感触を覚える湿地を歩いたりした。自分の背たけの倍はあろうかというススキの草原に見下されて、その前にぽつんと立って一緒に風に吹かれたり、その脇をてくてく歩いたりした。暮れだした太陽が白い雲のふちを輝かせて、空に光の弧を描いていた。

歩きながら「静けさ」という音があるんだなと思った。静けさは、ゼロじゃないのだなと。自然がふかす、静けさという音のなんという心地よさ。家の中の「しーん」とした無音も好きだけど、それとまったく別の、独特の静けさ。自然のなす静けさは「しーん」ではないのだな。あれを音にするなら、なんて言葉になるんだろうと考えてみたけれど、うまい音を見つけられない。自然はなかなか言葉に展開できない。

河合隼雄さんの「昔話の深層 ユング心理学とグリム童話」に、こんな一節があった。

われわれは太陽について、雨について、あまりにも多くの知識を得たために、太陽そのもの、雨そのものを体験することができなくなった。

冷たい風が吹くと一気に寒くなり、日なたに出ると一気に温かくなった。ちっぽけで、かけがえない体験だった。

2016-12-21

目の手術リターンズ、抜糸終了

先週火曜に目の手術を受けて、その後の水曜から日曜まで5日間は自宅療養。ほとんど何もできず、ラジオとともに寝続けた。週明けて月曜日、ここからは通常出勤するつもりで、人の往来が少ない早朝のうちに会社近くまで移動。朝9時に出勤して無事&現状を報告。午前中は、あれやこれやと数十分ごとに案件を切り替えては、人と話す系の仕事を中心に進めた。その2〜3時間で、もうギブアップだった。

人と話すのは、家で過ごすのとはまったく違って、ものすごく黒目を動かすようで、とにかく明らかなる「痛み」を感じだした。途中から涙がにじんで、なかば泣きながら仕事することに。こりゃ不毛だと思って、午後は休みにさせてもらった。今何をとるかといったら、無事&早期快復のためになすべきことに違いないのだ。

帰り道の都会歩きは人の往来が激しく、目の休憩がてら長めの瞬きをしていると、目を開いたときに目の前を人が斜めに横切っていたりして危険。赤信号になった車道から自転車が急に歩道に乗り上げてきたりするのにも注意して歩かないといけない。

それでまた、家に戻って多くは横になって、目を閉じて過ごした。結局、月曜の午後から、水曜の午後の抜糸をするまで、ずっと休みをもらって自宅療養。この件のために遅ればせながらBYODデビューして、私用スマホで会社のメールをチェックできるようにしたので、メールやらメッセンジャーやらで最低限の連絡をとり、日に1〜2時間だけ仕事を進めつつ、ほぼ寝て過ごした。

そして本日は抜糸の日。やっぱり抜糸は怖いのだけど、早くこの糸を取りたい、この痛みから解放されたいという気持ちのほうが強い。さすがに一週間もこの異物を抱えた状態だと、精神的にもぐったり。緊張で顔はこわばり、眉間にしわが寄りがち。意識してときどき「いーっ」という顔をしたりしていた。

時間どおり病院に行くと、早速中へ通される。ここまでは、とにかく早く取りたい気持ちでいっぱいだったが、まぁいざベッドに横になってみたら怖いのなんの。手術のとき以上に、視界鮮明過ぎ、痛怖すぎ。ひと針、ひと針、14針分をピンセットみたいなので取っていくんだけど、ちょ、丸見えなんですけどーーっという。

でも、ともかく全部取り終えて、「終わりました」と言われたときには、またボロボロ涙がこぼれてきた。1分ほどそのまま泣かせてもらって、起き上がる。

次は3週間後に経過を見せにくること。それまでは、引き続き日に5回の目薬。今のところ順調ですよっと先生。今回は、抜糸直後でボロボロになっていても、無事に終わったら先生にこれを言おうと決めてきたので、「先生じゃなかったら、絶対2回目の手術はやっていないです」と、まさしく涙ながらにお伝えして、深く頭をさげて「ありがとうございました」とお礼を言った。先生は、「あはは」と笑って私を送り出した。

はぁ、痛怖かったーーー。もう二度とごめんだー。と深呼吸して、心配をかけた身内に連絡。父が「本当は心配で昨日よく寝られなかった」と返信をくれて、うぐぐっと再び目頭が熱くなる。

とにかく今は、あの、ずっとあった異物痛がない!という解放感というのか、気分的には開放感。抜糸中に目薬の麻酔の追加投入をお願いしたためか、まだぼやぼやするのだけど、とにかくほっと、ほっとした。

この後は、仕事モードに切り替えて頑張りたいなぁ。手術を終えた週末にいただいた新しいお客さんからの引き合いも、お役に立てるといいなぁ。あと、1〜2ヶ月おいて調子を戻したら、プールでのんびり泳ぎたいなぁ。あとは引き続き、紫外線をさけて再発防止にしっかり努め続けよう。

直接や、Facebookなどを通じて、応援やお見舞いのメッセージをくださった方、本当にありがとうございました!心から感謝しています。

2016-12-16

目の手術リターンズ

目の手術を受けて、3日経った。「目の手術、再び」の話の続き。まだ痛みがあるけど、手術日やその翌日に比べれば余裕が出てきた。痛いけど。来週の(恐怖の)抜糸を終えるまで、この違和感と痛みの間のような感覚は残るだろうから、もうしばらくは辛抱、辛抱だ。

手術の内容は、翼状片の切除と、結膜の移植。簡単にいうと、目の中にできた翼状片(よくじょうへん)という欠片(かけら)を切除して、そこに健康なところの白目から膜を移植して、縫いあわせてなじませるというものっぽい。

翼状片は切除するだけだと再発率が高いのだけど、結膜の移植をすると、再発率を5%まで下げられる。医師によっては10%台もあるようだから、その辺は人によるようだけど、私はたまたま、とても腕のいい先生に巡り会えた。

私は同じ内容の手術を、右目で2年前にやっている(当時の記録はこちら)のだけど、今回は左目。右目はその後再発することなく、健康だ。もちろん、原因であるところの紫外線を浴びないように細心の注意をはらって日常生活を送っているのだけど、とにかく再発なくやってこられている。

左目は手術なしに逃げ切りたかったが、そうもいかない進行具合になってきて、やるならお世話になっている先生が現役のうちにやっておいたほうがいいというので、今回思い切って左目も手術することにした。

そんなわけで、どれだけおぞましい手術、術後が待っているかは重々承知して臨んだ。あれをまたやるのかぁーと、手術が決まってから、ずっと気が重かった。いや、手術を決めた秋口からしばらくは一旦忘れた。努めずとも本能的に忘れた。のだけど、1ヶ月前ともなると、12月の予定が話題にあがる度、頭をもたげた。いよいよ手術日が迫り、会社は手術当日の火曜日から週末の金曜日まで、4日間の有給休暇を取得した。

当日は、食事制限が手術6時間前から、水も手術2時間前からNGだったので、朝7時に食事を済ませ、習慣にしている朝プールに泳ぎに行った。しばらく泳げなくなるので、いつもより長く泳ごうかとも思ったけど、この後夕方まで食事なしだし、手術は緊張で全身硬直状態の1時間半コースと分かっていたので、体がもたないと思って、いつもどおり50分をゆったり泳いだ。この時間がしばらくもてなくなるのは、たいそう惜しい。が、仕方あるまい。

プールの後は、そのまま病院近くのカフェに移動。すでに飲めなくなっている紅茶を注文し、満杯のマグカップを見ながら11時まで水を飲む。11時以降は水も飲めないので、そのまま冷えた紅茶をおいて本を読みながら待機。

13時に病院に行くと、血圧を測ったり、同意書を提出したり。執刀医の先生と少し話をして、じゃあ早速と、手術室のフロアに案内される。

先生には、「前に一回やっているのと同じだから」と言われて、「いや、それが困るんだって」と思いつつ、案内くださる女性の後について手術室のほうへ移動。すると、いやいや、前ともどうも勝手が違う。案内くださった女性が「前回が2Fだったなら、4Fの中央手術室はいろいろ勝手が違うと思うけど…」というようなことをさらりと言っていて、そのときはよく意味がわからずきょとんとしていたのだけど、いやー、大いに違った。

まず、入り口の所で、手首に自分の氏名と番号が入った札を巻かれる。続いて、着替え。前は着替えなどせずに手術室にすたすた入っていった気がするんだけど、色の濃い薬剤を使うので、かかるといけないとかで、手術される人っぽい衣装に着替える。この時点ですでに、手術っぽすぎて腰がひけている。

着替えから出てくると、助手のような女性が快活に挨拶をくれ、緊張をほぐすように私に笑いかける。「髪がサラサラねー、うまく収まらないわ」など明るい声で私の心を包み込みつつ、お風呂のときに使うシャワーキャップのようなので私の髪の毛を包み込む。完全に「手術される人」に仕上がっている。

「じゃあついて来てください」と言われて、後についていくと、ぐいーんと自動ドアが開いた先は、な、、、なんじゃ、こりゃーーだった。ものすっごい立派な手術室が眼前に広がっている。宇宙船かと思った。スタートレックのエンタープライズ号の中にある、みんながおしゃべりする居間みたいな所(ブリッジと言うらしい)っぽい。

50平米mはあろうかという広さで、白を基調とした円形構造、壁面にモニタやら操作パネルやらが備え付けられ(これは幻覚かもしれない…)、その向こうには宇宙が広がっているんですか?という感じ。青白い照明に照らされ、中央には人体実験でも行われそうなベッドが一つ備わっている。その周囲に、医者というより科学者に見える先生方が4〜5人立ったり座ったりしている。

2年前の2Fのフロアのときは、一応手術室と書いてあるようなところにトコトコ入っていって、治療器具が所狭しと並んでいる薄暗い部屋の一角にちょこんと腰かけ、ちょっと背もたれを横にして、じゃあ始めましょうという感じだった。人も執刀医の先生のほかに1人助手の人がいるのが音でわかったというくらいだったのに、今回の4Fはずいぶんと大仰だ。

「そちらのベッドに横になってください」と言われて、指示通り横になると、頭上には、目玉が10コくらい付いている例の手術室のライト。寝るやいなや、右腕に血圧器が装着され、左の人差し指に脈拍をはかる?器具がつけられ、少し離れたところからピー、ピー、ピーと音が聞こえだす。体に何かかけられ、顔にもビニールのようなものが巻かれ、左目のところだけあいた状態に。極めつけに、人工呼吸器のマスクが口元に置かれた。それっぽすぎる…。

「では始めましょう」と号令がかかって、4〜5人の返事が聞こえる。手術開始。この手術、何が辛いって、ずっと意識があることだ。先生の指示に従って、黒目を右上にやったり左下にやったりして固定しないといけない。白目を向いているわけにはいかないのだ。

しかも今回は、視界がわりと鮮明なままで、銀色の器具がこっちに近づいてくるのとか、糸を通しているのとか、何をしているのかがわりと目視できるという、前回以上におぞましい状況。

しかも、先生が若手に教えながらやっているので、「この血管をやっちゃうと出血がひどくなるから、ここを避けてこっちに通すんだ」とかいう解説付きで、すでに倒れているからいいものの、立って手術を受けていたら300回は卒倒しているだろうというくらい倒れどころ満載だった…。

けど、どうにもこうにも一旦始めたものは中断するわけにいかないし、弱音を吐いたところで長引くだけ。黙って、こらえるほかないのだ。全身が足先までかっちんかっちんに硬直しての1時間半。長い、長かった…。めちゃめちゃ怖かった。

14針縫い終えて、「終わりました」と言われたときには、もうほっとしてほっとして、右目から涙が流れた。ひょいと上半身を起こしてくれて、そのままシュタタタタ!と手術室を立ち去りたかったが、なかなか次の動作に移れない。寒さで指先は冷え冷えになり、足はガチガチの緊張から一気に弛緩して、女医さんに手伝ってもらって近くの椅子に移るのがやっと。

しばらく女医さんが私の背中をさすってくれ、どうにか立ち上がる気力を取り戻す。寒いので早く着替えをせねばと思い、もう大丈夫ですと言って席を立つ。先生方にお礼を言って手術室を後にし、着替えを済ませると、本当に心底ほっとして、また涙が出てきた。脱力。

その日は、会計を済ませて薬の処方を受けると、そのままタクシーで帰宅。もらった痛み止めと胃薬は、手術当日だけとりあえず飲んで、以降は飲まずに済ませている。膜が完全にかぶさるまでの3日ほどは痛みがあるが、じっと目を閉じているかぎりは、痛み止めを飲むほどではない。食事は、目を閉じたまま手探りで食べられるおにぎりかサンドウィッチ。娯楽はラジオ(これは平常どおりだが)。あとは、ひたすら寝るだけで過ごす。

手術の翌日から3日間は、午前中に通院して経過をみてもらう。これもタクシー移動。「順調です」という言葉にほっとして、軟膏をぬって眼帯を付け替えて帰る。後はとにかく、おとなしく目を閉じて過ごす。手術から3日後の今日の晩から、入浴、洗顔、洗髪を許され、目薬の点眼治療が始まる。あとは通院は無しで、来週半ばの抜糸を待つばかり。14針の抜糸が腰がくだける恐怖体験なのだけど、これが終われば爽快だ。あともう少しの辛抱、辛抱だ。

2016-12-12

それは知識不足の問題なのか

あるところで相談を受けた。スタッフの文章の質がいまいちなので、良くするために文章作成の勉強会を開きたいんだけど、そういうのを教えられる人を紹介してもらえないか?それが私がもらった相談だったが、いくつか質問を返して背景事情を聴かせてもらう。

文章の質はどんなふうにいまいちなのか。それで何が滞っていて問題なのか。その辺りを尋ねると、どうもまだ「個人の能力に起因する」ところまで分析できていないことがわかる。「○○力が足りないために、こういう文章になってしまっていて、結果○○というビジネス上の問題に発展している」という構造がつかめない。そうした場合は、研修や勉強会という施策を選ぶ前に、もう少し掘り下げて要因を探ったほうがいい。

問題の要因がスタッフの知識・スキルに起因するというのは、発想が楽なので安易に結論づけられやすい。確かに、それも一因であろうけれども、問題解決にあたる人間がまずすべきなのは、主だった要因をざざっと挙げてみて、そこから最もキーとなる要因を見定めることだ。

期待するパフォーマンスを阻害する要因というのは、一般に10~12はあると言われている。そこから、「これこそが真因!」を採るか、真因に食ってかかっても効果が期待できない場合は「最も効きそう!」な策と対称性をもつ主要因を採るかはやり方だけれども、とにかく解決のキーとなる要因を特定する。

そうやって探りを入れていく作業は、当事者の頭の中だけで自問自答するのが難しかったりする。そこを第三者として介入し、対話しながら一緒に掘り下げていくプロセスが、個人的に面白いと感じる。

例えば、そのスタッフは全力を使い果たして、その文章を仕上げているけれども、要件に満たないのか。それとも、そもそも時間に追われて「推敲する」という時間をとれていないのか。「推敲する」時間をとったら品質が上がる可能性はあるのか。そんなことを尋ねてみる。

すると、そう言われてみると「推敲する」時間はとれていないと思う、と返ってきた。スタッフはこれまでずっと、1件あたりの時間短縮を求められてきた。推敲すること、品質を上げることは明示的に求められておらず、時間を短くして仕上げる求めに応じてきた。

だとするならば、まずは「品質を上げたい」と方針をスタッフに示すところからやったほうがいいのではないか。そう返す。そして「品質を上げる」とはどういうことなのか、今のどういう状態を、どういうところまで引き上げたいのかという「規準」を明らかにして、言葉にして説明するところからやってみたらどうか。「推敲時間をもて」というなら、その推敲時間を、今のテンポを大幅に崩さずにどう実現できるのか、スタッフと一緒に知恵を絞るところから始める必要があるのではないか。

こうしたことをまずやっていくと、その過程で「今のどういう状態を、どういうところまで引き上げたいのか」のギャップ分析も自ずと組み込まれてくるので、そこも明確になり、その施策の一つとしてどういう勉強会が有効かも見えてくる。ここのところは皆で一緒に学習したほうが効率的だし、効果も期待できる。そういうものが浮き彫りになってくる。

一口に「書く力がない」といっても、てにをはからの文章講座が有効なのか、書くテーマの専門知識や表現力が足りないのか、フォーカスはいろいろだ。対象者が何人で、そのうちの何人が同質の課題を抱えているのかによっても、有効な施策は異なる。レベル差が大きければ、研修設計もそれを踏まえた構造が必要になるし、あるいは研修ではなく個別対応して指導したほうが合理的ということもある。

そんなこんなで、こういうことを精緻に考え込んでいくところに自分が熱くなることは理解しているので、そこんとこの研修枠組みにとどまらない、恰好よく言うとパフォーマンス・コンサルティングとか、ヒューマン・パフォーマンス・インプルーブメントとか言われるところの辺に軸足を移しながら働いていけるようにしたい。それを、ここのところよく考えるのは、そういう変え時ってことなのかなぁと、自分のことをぼーっと眺めている。

今は、書籍を読んで基礎固めしつつ、研修にとどまらず組織の人材課題についてクライアントにインタビューして分析レポートにまとめて出すといった仕事を、機会あればやらせてもらうようにしている。そうした経験を積んでいって、個人的に勉強も続けていって、できることを少しずつ広げたり深めていけたらいいなと思う。

だったら、こういうステップを踏んでいくといいよだとか、この本はオススメだよとか、こういうふうに一緒に組めるよとか、うちの組織の相談したいから壁打ち相手になってよとかいう方がいたら、ぜひお声がけください。来年はここんとこ深堀りして展開していけたらなぁ。

2016-12-04

朝っぱらの誕生日祝い

土曜は父のお誕生日会を予定していたのだけど、直前に甥っこが風邪をひいてしまい、もしかするとインフルエンザかも?という事態に。前日の金曜に義姉からの連絡を受け、じゃあ延期にしましょうと返して、父には詫びの連絡を入れた。

とはいえ…というので、東京で開く予定だった兄一家との食事会はキャンセルにしたものの、私は千葉の実家に帰ることに。せっかくなので、誕生日当日の日曜の朝に帰ることにするも、「食事会はキャンセルしたけど、私は実家に帰るよ」と言うのも、すわりが悪いし気恥ずかしい。結局、予告なしに帰省した。帰省というほどの距離でもないが。

朝8時過ぎに実家に着くと、「お、どうした?」という感じで父が居間で迎える。どでかいプレゼントを手に持っていたので、単刀直入に「お誕生日おめでとうございます!」とプレゼントを差し出す。「まぁこの歳になるとなぁ…」と始まるが、いいのだ。その歳になったら、本人がどうあれ、祝いたい人が祝って満足すれば。

今回はモンベルの、フリースとジャケットの間くらいのあったか上着を贈る。気持ちの明るくなる黄緑色のと悩んだのだけど、着なかったら仕方ないので、カーキグリーンの落ち着いた色にした。

サイズも悩んだ。身長はMだけど、腹まわりはLなのか…と思い、お店で店員さんに相談。すると、「僕と同じくらいおなか出てますかね?僕はLなんですけども」と言って、丁寧にも横を向いてくださる。思わずおなかを凝視。しかし父はもうちょい小回りかも?と思い、この後の返答に困った。「いや、そこまでは」というのも、「そうですね」というのも失礼な気がして、どうにか脇道にそれたような返しをして穏便に切り抜けたが、それもまた失礼な気がした…。

ともあれ、タグをそのままにして持ってくればサイズは取り替えてくれるというので、腕の丈があいそうなMを購入。合っていた。父が早速箱をあけて着てみると、腕の丈がちょうど良い。おなかは、まぁどうにか、収まっている。

プレゼントを贈ってしまうと、あとは特別何の用意もない…。仏壇のところへ行って母に手をあわせて挨拶すると、父の年賀状作成と配送の手配に取りかかる。父は予定を入れているというので、年賀状のデザインと文言の希望、送る人送らない人の確認をして、10時過ぎには「いってらっしゃーい」と送り出した。父の年賀状の手配を終えて、私も午前中には撤収。

滞在数時間のこさっぱりした帰省だったけど、作業しながら「いってらっしゃーい」と父を送り出せたのは、なんだか良かった。娘っ子ひとりの帰省じゃ華がないが、青空だったし、風も穏やかだったし。いいのだ。本人がどうあれ、祝いたい人が祝って満足すれば。

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