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2016-07-09

職人のダイナミズム

是枝裕和監督が著した「映画を撮りながら考えたこと」(*1)を読んでいる。代表作は「誰も知らない」「そして父になる」「海街diary」「海よりもまだ深く」。是枝監督はテレビディレクター出身の映画監督だ。まえがきの中で、こう語っている。

僕が語っている映画言語は、間違いなく映画を母国語とするネイティヴなつくり手のそれと違って、テレビ訛りのある「ブロークン」な言葉である。

本書も、「映画監督としてではなく、テレビディレクターである自分が自作を通して行う現在の映画づくりや映画祭についての、内側からのルポルタージュ」として記されている。

最初は「絵コンテにしばられていた」是枝監督の映画が、どんなきっかけを得て、誰とのどんな会話を通じて考えを深め、作品の形を変えていったのかが読めておもしろい。

例えば、ドキュメンタリーのカメラマン田村正毅(現・たむらまさき)さんとの「やらせ」に関するやりとりがある。

やらせを批判する側というのは「ありのままを撮れ。脚色するな。演出なんかいらない。撮った順につなげ」と無謀なことを言います。しかしそれでは、究極的には「隠し撮り」になってしまう(だって相手が撮られていることを気づかないように撮るのだから)。この疑問に対して田村さんは、「隠し撮りでは相手の自己表現になりませんね。そんなものは撮ってもドキュメンタリーにならないし、撮りたくはない。カメラを意識して相手がどう演じようとするのかということが美しく、おもしろいのだ」と答えてくれました。

ありのままを撮るのがドキュメンタリーだろうというのは、素人がなんとなくで発想してしまいそうな見方だけど、カメラを向けた時点で取材される側は、自分をこう見せたいと少なからず演じようとする、それが撮影現場の必然だろうとは、こうした話を読めば素人でも想像ができる。

ドキュメンタリー監督の小川紳介さんの言から、是枝監督は「取材者がこう撮りたいという欲求と、被取材者がこう撮られたいという欲求が衝突するところからドキュメンタリーは生まれていくのだ」との解釈を述べている。

私はこうした、AとBを一方通行の上下関係でなく、双方向の対等な関係に配置する概念のとらえ方、そのAとBの衝突から想像力やら技術やらを総動員して何かを創りだす人間のはたらきが大好きだ。

大島渚監督は、記録映画(ドキュメンタリー)を満たすつくり手の条件の一つとして、「取材を通して撮る側に起きた変革も含めて作品化すること」と書き残しているそう。

こうしたものを、作品づくりを通して是枝監督が経験、実感していくさまが、この本にはぎゅっと記されている。人にとって思い出とは何か?を問う『ワンダフルライフ』という映画の話は、おもしろかったな。

死者たちは初めて辿り着く施設で、職員から「あなたの人生を振り返って、大切な思い出をひとつだけ選んでください」と言われます。選ばれた思い出のシーンは、職員の手によって映画化され、死者たちはそれを観ながら、思い出とともに天国へと旅立つことになる。

この映画づくりの過程で、是枝監督は「この施設に集まってきた死者たちがどのような“思い出”を選ぶのか」を、一般の人にリサーチする。学生を数人アルバイトで雇い、ビデオカメラを持たせて街でインタビューしてもらい、600人ほどの映像が集まった。

途中まで、それはあくまで脚本を書くためのリサーチだったのだけど、学生が集めた映像が思いのほかおもしろくて、これはそのまま本人を撮ったほうが、当初の趣旨に近付けるのではないかと思い直す。カメラマンもドキュメンタリー畑の山崎裕さんにお願いすることにして、絵コンテは一切描かず、一般の人が思い出を語りやすい状況を是枝監督がつくって、山崎さんにそれを自由に撮ってもらう、という方針にした。

当初是枝監督は、一般の人たちが自分の思い出について「こうだったかな」「ああだったかしら」とスタッフとやりとりしているシーンを映画に使うつもりはなかった。メイキングはアリバイ的に使うだけだから、ちょっとだけあればいいと、カメラマンの山崎さんに何度か言った。

けれど山崎さんは、監督がちょっと撮影現場から離れたときにもカメラを回していて、プロデューサーが「もうフィルムがないですよ」と注意すると、「じゃあビデオでもいいから回す」と、撮ることをやめなかったと言う。

しかし、その映像は僕にとって、“発見”でした。編集をスタートしてみると、上映用に撮った再現フィルムよりも、一般の人が思い出を語り、再現の場に立ち合って悩むメイキングで撮った映像のほうが、生々しくてリアルだった。つまり「再現」ではなく「生成」であった。それで、方針を変えて、メイキングの映像を映画に残して、完成品のほうは作品には入れずに構成することにしました。

現場でおもしろいと感じたものに、「脚本から外れようが監督から望まれなかろうが、撮りたいものは撮るのだ」とカメラを向ける、その姿勢に是枝監督は驚く。でも、本来カメラというのはそうあるべきなのではないかと、このとき感じたと言う。

これが1998年、今から20年近く前の話。一つひとつの作品づくりを通じて、こうした撮る人、撮られる人のダイナミズムにもまれながら、「取材を通して撮る側に起きた変革も含めて作品化すること」を積み重ねてこられて、今の是枝監督があるんだろうなぁという感慨を覚える。

これをまた7年さかのぼって、テレビディレクターとしてデビューして間もない1991年のドキュメンタリー番組制作のことを振り返るところで、すでにこう述べている。

取材で発見したものを構成に組み込むことで、番組はより複雑な現実に対峙できる強度を持つ、ということを僕はこのとき身をもって実感しました。それは、自分の先入観が目の前の現実によって崩される、という快感でもあったのです。

テレビ番組、映画を撮りながら二十数年と考えてきたこと。読みながら、こうした「つくり手」のサポーターの端くれとしてお仕事ができていることを、改めてありがたく思う機会にもなっている。

*1: 是枝裕和「映画を撮りながら考えたこと」(ミシマ社)

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