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2016-05-29

40歳の肖像

5月某日、「パーティー行かなあかんねん!」という機会に乗じて、せっかくなのでおめかしした。髪を巻いて、メイクアップして…というのは、私には5年に一度くらいの珍しいイベントだ。40歳の肖像を控えめに残す(誰もいないお手洗いで撮った…)。

私は手先が不器用で、手の込んだことが一切できない。面倒くさがりも相まって、この手の類い(装うこと?)に最も手先を使った記憶をたどっていくと、高校時代の「おさげ」にまで遡る…。

以来ずっと野放しで、厚化粧したり、パーマをかけたり、髪の色をつけたり抜いたりしない、とにかく不自然な負担はかけないから、どうか髪の毛もお肌も各々で健康面は自己管理して頑張ってくれと自立的な関係づくりをしてきた。

そんなわけで、いざおめかししようとしても、手先が器用に言うことをきくかどうか以前に、髪もメイクも何をどうしていいのか勝手がわからない。なので、そこはもうお金を出してやってもらう一択。髪を巻いたり、アイメイクしたりの軽めコースを事前に予約しておいた。

しかし、「普通に手先が使いこなせる人ならお店の人に頼まない程度のことを、自分は不器用なので発注している次第なのです」という認識のすり合わせを冒頭でお店の人としておかないと、とんでもなく濃くなってしまうのではないかと気が気でならない。というので、先述したような事情を切々と語り、「ほんとに軽く、ほどほどでいいんです!」とお伝えして、着手いただく。

お店の人が大変いい方で、じゃあ控えめに、自然体で、アイライン軽く入れてみますか、マスカラして大丈夫ですか、スプレーしてもいいですか、と都度声をかけてくださる。はい、控えめに。えぇ、軽めでしたらと、こちらは尻込み&後ずさりなレスポンスを繰り返す。

仕上がりは、私からすると、まぁしっかり化粧した顔だわぁと思ったけど、だいぶ控えめにやってくださったということで、実際ドレスに着替えてみるとちょうど良い感じに顔がのっかっていた。

思えば今日着たドレスも、十年ほど持っているものの、表に出してやるのは今回で2度目。30歳手前ごろだったか、なんとなくデパートを歩いていたら目にとまり、妙に心惹かれるものがあって、何の用途もなしに買うという暴挙に出たが、やっぱり私の生活にドレスを着る機会など一切なく数年が経過。

数年後に、友人の結婚披露宴に呼ばれたところで、はたと気がつく。このドレス白地で、結婚披露宴に着ていけない…。かろうじて自分に巡ってくるパーティー機会が白地NGだなんて、もはやこのドレスに外出機会など一生訪れないではないか。というので、あんまり不憫に思い、結局その結婚披露宴には、真っ黒のストールのようなものを巻きつけて黒を大増量し、黒地ドレス風を装って、そのドレスを着ていったのだった。そして、また眠りについた。

今回は結婚祝いじゃなかったので、その点では心置きなく着られたが、今度は年相応でなくなってくる問題が差し迫る。5年に一度とかで着ていると、これは着れてあと一回くらいになるのかもしれない。そう考えると、このドレスには、ちょっとかわいそうなことをしてしまった。もっといいとこの子にもらってもらえれば…。とりあえず、あと数年のうちに、できればあと一度くらいは表に出してあげたいと思うのだった。

とにもかくにも、今回はパーティー仕掛け人としていろいろ仕込みをして臨んだのだけど、たいへん快い時間を過ごせて良かった。

2016-05-25

スマートデバイスのIAパターンなるもの

つい先日、「スマートデバイスの情報アーキテクチャのパターンについて」みたいなおしゃべりになった。

ネタ元は、以前にElaine McVicarさんが「モバイル情報アーキテクチャ」を6パターン1セットで提示したもので、検索してみたら、UX MILKの翻訳記事の途中から「モバイル情報アーキテクチャ」という見出しのところで確認できた。

この記事で、「モバイルデバイスは、それぞれ情報アーキテクチャのパターンを1セット所有してい」るとして6つのパターン紹介しているんだけど、このパターンって、違うレイヤーの話が1セット内にごちゃまぜになっていて、かえって混乱を招くのでは?というのが、おしゃべりしていたこと。

その後も、むぐぐーむぐぐーと関連書籍をめくったりして頭の整理がてら考えていたのだけど、この下に書き綴っているのは、この6パターンの説明はすっ飛ばして、これについて私の頭の中で生じている混乱をせきららに書き述べた文章…。では早速、脳内にズームイン。

(1)階層型
「階層型」は、ナビゲーション設計なり画面設計なりする以前の、コンテンツをどう分類・構造化するかってレイヤーの話で、マトリョーシカ型でも、ハブ&スポーク型でも「階層型」と両立しうるんじゃないの?ってなると、このパターン分けって何を整理した6パターンとして”タイトルづけ”できるんだろうか…という疑問にぶち当たる。

「パターン化」って、同格・同一レイヤー上にあるものを特徴ごとに分けることで、それぞれの特徴の理解を深めたり、うまく使い分けることを助けるものだよなって考えると、うーむ…となってしまう。

(2)「マトリョーシカ型」と「ハブ&スポーク型」
「マトリョーシカ型」と「ハブ&スポーク型」を取り出してみると、この2つってコンテンツを分類・構造化して、ナビゲーション設計するまでは一緒で、どちらも
・コンテンツをカテゴリー分けして「概観ビュー」1ページをハブにする
・「詳細ビュー」nページに、各スポークを伸ばしていく
・「概観ビュー」を経由して、他の「詳細ビュー」へ行き来させる
って動線の特徴は同じじゃないのかなと。

「ハブ&スポーク型」の特徴に「スポーク間を移動するとき、ハブ画面に戻る必要がある」って挙げられているけど、提示されている模式図を前提に画面遷移をイメージすると、「マトリョーシカ型」の場合だって、ハブ画面に戻らないと他のスポークに移動できないことってないっけ…と。

だとすると、ここで「マトリョーシカ型」と「ハブ&スポーク型」をパターン分けしているのは、画面構成レイヤーの話で、

「マトリョーシカ型」は
・すべてのページは「1カラム」の画面構成で見せます
・「概観ビュー」→「詳細ビュー」→「もっと詳細ビュー」と画面遷移します

対する「ハブ&スポーク型」は
・「概観ビュー」のページは「1カラム」ではなく、「複数のタイル」を並べる感じで画面構成します
・「概観ビュー」のタイルを1つ選ぶと、「詳細ビュー」に画面遷移します

って画面の見せ方の話をしているってことなのかと。

(3)「ハブ&スポーク型」と「フィルタービュー型」
「ハブ&スポーク型」と「フィルタービュー型」をナビゲーション設計のレイヤーの話ってことでパターン分けするなら、

「ハブ&スポーク型」は
・あらかじめ整理してあるコンテンツのカテゴリー分けをもとに、静的にナビゲーションしていく

対する「フィルタービュー型」は
・複数の検索軸を提示して、搭載するフィルター機能をもとに、動的にナビゲーションしていく

ってナビゲーションの仕方について話をしているってことなのかと。

(4)「タブビュー型」と「弁当箱型(ダッシュボード型)」
「タブビュー型」と「弁当箱型(ダッシュボード型)」は、どちらかというと「情報」というより「機能」ベースでの画面構成のレイヤーの話で、

「タブビュー型」は
・全画面に、主要な機能群をツールバーとして画面の下なり上なりに一列に並べて配置する

「弁当箱型(ダッシュボード型)」は
・「概観ビュー」(インデックスページ)で、主要な情報の詳細までけっこう見せちゃう一覧性の高さが売りです

って感じでは対比してパターン化できるのかなとか。

って2つとか3つとか取り出して考えていくと、いろいろ特徴とか使い分けとかについて考えを深められる機会にはなるのだけど、6パターンで捉えようとすると混乱してしまう。

実際のところ門外漢で、先日のおしゃべりの後、ひとりで本を読みかえすほどに混乱が深まりゆくばかりのような気がするのだけど、頭を動かすトレーニング(ボケ防止)効果はあったと思う(前向き)。

2016-05-22

[EDIXメモ] 「間違えない達人」から「うねりをつくる人材」へ ~子どもたちにプログラミング教育を~

前書きは二つ前の話(大規模な展示会の歩き方)に…ということで、第7回教育ITソリューションEXPO(EDIX)内で開催されたセミナーの受講メモ2/2。

「間違えない達人」から「うねりをつくる人材」へ ~子どもたちにプログラミング教育を~
南場 智子 氏(ディー・エヌ・エー取締役 会長)

●日本から、これぞ!というサービスが出てこない
日本から、あっと言わせる夢のあるサービスや、生活インフラとなるサービスが出てこない。自分たちが注目している企業として、Google、Apple、Amazon、Bitcoin、23andMe、Tesla Motors、Airbnb、Uberを例に挙げ、これらはすべて他国であると。

●日本は、他国と比べて圧倒的に起業に対する意欲が低い
日本は、他国と比べて圧倒的に起業に対する意欲が低く、失敗に対する恐れが高いというのをデータで示していた。起業に対する印象や意欲は70カ国中68~70位で軒並みびりっけつ、その一方で失敗に対する恐れだけは70カ国中2位で上位を獲得。

●日本の教育は「正解を言い当てる」ための教育
日本は「間違えない人づくり」の教育システムを築いてきた。DeNAの新卒採用には数万人の応募者があり、東大、慶応、早稲田など優秀な大学からやってくるが、学生の中に創造力を探しだすのが難しい。就職活動でやってくる学生と接すると、面接の最後にする「何か質問はありますか」という問いにすら、ここでどういう質問をするのが正解かを考えてしまう。そういう教育を受けてきたのだから仕方ないが、これでは会社に入ってからロクな活躍はできない。私が言ったことを答えだと思われては、議論する意味がない。

今日、日本が直面している課題は、経済にしても外交にしても何にしても、前例のない状況下にある。産業界からの視点から言わせてもらえば、「間違えない人」を育てても意味がない。「新しい価値が作れる人」じゃないと意味がない。これまでの常識や、上司の言うこと、前例に答えを求めがちな若者は、ほぼ無価値になってしまう。

●何が足りないのか
1.一つの正解を言い当てるのではなく、今までにないアイディア・付加価値を創造する力
2.パッション(熱意)を伝える力
3.文化的な背景の異なる人たちと協業する力(コラボレーション)

シリコンバレーでは小学1年生から「Show & Tell」という授業?があって、自分が素晴らしいと思うもの、はまっているものをスピーチする時間があるらしい。対する日本は、本人がはまっているものがあっても、それはそれ、学校は学校と切り分けて、そういう変わった趣味の話などは学校では披露しないほうが一般的(という話を実体験を通して説明)。

小1からパッションを伝える教育を受けてきた人間と、将来競争するのは大変だろう。米国の教育の全部を礼賛する気はなく、あっちにはあっちで教育格差などの根深い問題を抱えているが、日本で将来のうねりを作り出すリーダーが育まれていないのは残念。

大学でも、アメリカではハーバード・ビジネス・スクールなど米国人を一定数にとどめて多国籍・様々な宗教の多様な学生を受けいれるよう意図的に環境づくりをしているが、それに比べると日本の大学は同質性が高すぎる。そういう環境にいれば、多様性の高い環境は苦手になって当然。

でも今日、国境に閉じた問題解決はないと考えている。オープンでいることで、問題解決の質もスピードもインパクトも変わってくる。

●コンピュータとの関わり3タイプ
オックスフォード大学のオズボーン博士は、今後47%の仕事がAIに置き換わると言っている。これに対して、リーダーにならなくともなんとか食べていければいいんじゃないの?という意見もあるかもしれない。

でも今後、人材は次の3つのタイプに分かれる。
1.コンピュータに使われる人材
2.コンピュータと競争する人材
3.コンピュータにコマンドを出す人材

1と2は賃金が安くなる。どういう人材がいるかが、その国の競争力に直結するし、その子の幸せにも大いに関与する。仕事の範囲も、収入も、生活レベルも違ってくる。これが、今後の日本の教育課題だと捉えている。

●進化する「デジタル・デバイド」の意味
これまでのデジタル・デバイドは、スマートデバイスを「使える」「使えない」で語られてきた。でも、これからの日本では、隔離でもしないかぎり「使えない」人は出てこない。これからのデジタル・デバイドは、「作れる」「使える」の差異になる。「作れる」人は、うんと大きな自由度を手に入れることができる。

●だから、プログラミングはほぼ全員に学んでほしい
DeNAも、今のところ事業として展開できているわけではないが、実証研究を実施している。公立の小学校で、武雄市で2件、横浜市で1件行った。

CTOが自ら学習用のアプリを開発し、先方の担任の先生などと入念な打ち合わせを行って、ビジュアルプログラミングの授業を小学1年生に対して全8回(後半4回で作品制作)で行った。

児童はひとりずつタブレットを手にし、自分の描いたイラストをカメラで取り込んで、キャラクターや背景にできる。そこにコマンドを入れていって、ゲームやアニメーションを作る。最後には、自分の作ったものの発表会をする。

実際、小学1年生が作ったものがスクリーン上に投影されたが、ゲーム性をもったものもあった。どんなお話にして、どんなキャラクターを登場させて、どんな背景の中に置いて、どういう刺激に対してどういう反応を返すシナリオにするのか、全部自分の頭で考えて、それを作って、アウトプットしている。

小学1年生では、「もし~だったらこう、そうでなかったらこう」というifを使ってものを作り、2年生では変数も取り入れて「何回~したら、こうなる」を使って作品を作っていた。

自分(子ども)がいて、テーブルの上にケーキが置いてあって、その間にお父さんが立ちはだかっている。自分が10回、お父さんにハートマークを送りつけると、お父さんはメロメロになって、テーブル前をどく。自分はテーブルの上のケーキを食べられる。と、そんなようなのを作っていたり。あと、サウンドを取り入れて鍵盤を作ってメロディを奏でている子もいた。

この授業で設定した「子どもに身につけてほしいこと」は、
・アプリやゲームは、自分で作れるものだと自然に思えるようになること
・より豊かな創造力を働かせられるようになること
・楽しい、もっと学びたいと思うこと
というようなゴール設定だった。

CTOと担任の先生との事前打ち合わせでは、ビジュアルプログラミングのコマンドを出すブロックを「指示」といった言葉ではなく「お願いブロック」と言い換えて説明するようにしたり、「これから大事なことを言います」と間に挟んで説明するなどを話し合い、授業の最後には担任の先生が「まとめ」をするなど、コラボレーションしながら進めた。

小学低学年でビジュアルプログラミング、小学高学年でコーディングへ、その後グループワークで遠隔地(他校や他国)との連携作業、ロボットなどモノを動かすプログラミングへと、段階的に進めていけたらいいのではないか。

小学1年生の段階からプログラミングには触れていければ、20年後は大きく違う。もちろん他の教科と同様に得意な子もいれば苦手な子もいるだろうけれども、そうやって裾野を広げていければ、一握りのマーク・ザッカーバーグも出てくる可能性は高まる。

「使える」ではなく「作れる」人になっていくために、こうした取り組みで創造する力を養っていくことはとても大事だと。こういう授業をやると、同じプログラム、同じシナリオは決してできない。コラボレーションはどこでもできるし、発表会を通じてパッションを伝える力も養われる。英語も学びたくなる。ITが子どもの将来の扉を開く。

と、こちらも走り書き的メモですが、ご参考まで。こういう「作り手」の頭の動かし方を、幼い頃から経験しておくこと、今後主流となる道具を前提にした創造力を養う機会提供は、大変に有意義だと思った。

[EDIXメモ] Pepperと子どもたちが「学び合う」、未来の教室

前書きは一つ前の話(大規模な展示会の歩き方)に…ということで、早速第7回教育ITソリューションEXPO(EDIX)内で開催されたセミナーの受講メモ1/2。

Pepperと子どもたちが「学び合う」、未来の教室
中山 五輪男 氏(ソフトバンク/ソフトバンクロボティクス 首席エヴァンジェリスト)

●ソフトバンクはPepper以外のロボットも販売していく(Musio)
ソフトバンクは人工知能を搭載したPepperを開発・販売している。これはよく知られるところだが、AKAが開発したMusioという英語学習を目的とした人工知能搭載ロボットも、今秋より販売していく。Musioは学習者の顔認識もでき、過去のやりとりも憶えている。Pepperだけでなく、世界のさまざまなロボットを販売して家庭に広めていきたい考え。

Musioが子どもと英語でコミュニケーションしている動画が流れたが、この会話をしているときは「クラウド上にある人工知能ーWifi経由ーロボットー子ども」とつながっていて、ロボットの目の部分に位置するカメラが子どもの顔をとらえて、人物を見分けたり、表情をとらえたりでき、機械学習していくという。

ちなみに、Musioは72,000円、英語学習用のキットのような材料が12,000円、今は先行販売でセット価格75,000円とのこと。今秋より正式に販売を始める予定。法人のお財布で考えると、そう無茶ではない価格設定か。

同志社大学や京都大学でもロボットの実証実験を展開しており、これを今後は高校、中学と広げていきたいとのこと。

●Pepperアプリの開発・活用事例
最近のPepperアプリを開発・活用している企業を挙げて、いろいろ事例紹介してくださったメモ。

◇ベネッセ・コーポレーション(Pepper導入)
現在5台購入していて、最近展開しているリアル店舗(エリアベネッセ)をまわって全国各地をまわっているそう。子どもたちも、大変喜んで集まってくるという。

トライオン(ペッパーえいご)
もとはソフトバンクの孫さんの秘書・カバン持ちをしていた三木雄信さんが立ち上げた会社。Pepperを活用した「ペッパーえいご」アプリを開発。

◇アップフロンティア(かたりべ)
幼児向けに、先生が紙芝居を作ってPepperで読み聞かせできる「かたりべ」というPepperアプリを開発。スマホで撮った写真なども取り込んで、紙芝居の絵に使える。

◇ジーアングル(Pepperホームステイ)
映像・動画制作やナレーション制作・収録など手がける会社で、社内にスタジオ有り。こちらは大人向けの語学学習を用途として「Pepperホームステイ」アプリ開発を手がけた。家庭でPepperがそばにいて、英語でコミュニケーションする、日本にいながらホームステイ感覚で仮想英語環境を手に入れられるというもの。

ただ、このアプリは今のところ人工知能を用いず、管理者側であらかじめシナリオを作ってアプリに登録しておき、人の反応に応じてPepperが返答を変えるというもの。これを前提にすると、現状の役立て方としては、このシナリオ作成を教え手が作るのではなく、学び手が作って登録するようにすると、楽しみながら学べそうという話。20カ国以上の多言語対応が可能とか。

◇エクスウェア(ペップレ)
「Pepper+iPad+ディスプレイ」を1セットとしてプレゼンを実現するペップレというアプリを開発。iPadが頭脳となり、画面に表示したいものは大型ディスプレイに表示しながら、Pepperが身振り手振りでプレゼンできるとか、そんなだった気がする。

※この辺はソフトバンクロボティクスのデベロッパーポータルサイトのショーケースでまとめて見られそう。

◇ペッパーアプリ開発ツール「Choregraphe」(コレグラフ)
フランス産のペッパーアプリをビジュアルプログラミングで簡単に開発できるツール。文科省が2020年度を目処に、小中高でプログラミング教育の必修化の検討を進めており、これに、こうしたロボットアプリ開発ツールを取り入れると、楽しく学べるのではとの提案だった気がする。

これは軽くデモをしてくれたが、手軽に始められそうで面白そうだった。Pepperがそばにいなくても、画面上でPepperの動きを確認することができ、プログラムもボックスライブラリをベースに作れる。Win/Mac対応で、90日間試用版が使える。

これを使った開発体験ワークショップがPepperアトリエ秋葉原 with SoftBankで行われているらしく、Pepperが20~30台あって、実際に自分の作ったプログラムで動かすことができて人気らしい。

●おばかなロボット
スイス連邦工科大学では、あえてロボットにいろいろ間違えさせて、ロボット側に「できない子」を演じさせ、子どもが間違いを見つけてはロボットを正して教える役割を担わせることで、子どもの学習を促進する実験を紹介していた。2015年の(IAAJ)主催のWorld IA Day Tokyoで「弱いIA」の話題が出ていたのを思い出した。

●IBM Watsonを搭載したPepper
今は第3次人工知能ブームと言われる。人工知能をどう学習に活用していくかという観点では、ソフトバンクはIBM Watsonと協業。Watsonは150社に導入されている。
IBMはWatsonをAIと表現することを好まず、cognitive computingと表現するが、膨大なデータから仮説を抽出し、経験から学習して成長できる。繰り返し使い込んでいくことで賢くなっていく。
IBM Watsonの頭脳を入れたPepperが、ヤマダ電機やみずほ銀行での接客係として、実証実験かな、展開されているらしい。

と、非常に走り書き的メモですが、ご参考まで。

大規模な展示会の歩き方

先週は、3日間の会期で催された第7回教育ITソリューションEXPO(EDIX)に行ってきた。会場が東京ビックサイト、出展社が680社といった大規模な展示会に足を運ぶのは、前の記憶がたどれないくらい久しぶり。ああいう情報が大量に一気に投下される環境って、自分の処理能力がおっつかず得意ではないため長らく足が遠のいていたのだけど、友人が出展するというので、久しぶりに行ってみようかなぁと思い、会期中の初日(2016.5.18)に都合がついたので終日参加してきた。

とはいえ前述の苦手意識も相まって貧乏性が働き、事前にセミナー受講の予約を3つしていったため、展示会場はそんなに落ち着いてまわれず。セミナー会場が2棟先の別ビルだったりもして、セミナー会場と展示会場の2往復で1時間近く使った…。その日一日で10km以上歩いていて、良い運動になった。

展示会場は、eラーニングのプラットフォーム系、デジタル教材コンテンツ系、学校業務支援系、障害者向け支援ツール系、セキュリティや災害対策系、ICT機器系など、ゾーンに分かれていたけれど、プラットフォーム系も「コンテンツも作ります」だし、学校系も「法人にも提供しています」だし、どこも「いろいろやっています」なので、こちら側がまずは自己紹介して自らの立ち位置を表明し、何を知りたいのか話題を絞り込んでいかないと埒が明かない。

というので、eラーニングのプラットフォーム系のブースで、自分は法人向けに研修コンテンツを作って納めるところを専門にしているので、案件によっては必要となりうるプラットフォームサービスの協業先の情報収集をしているなどと、その場でこしらえたような理由を述べて、そっち系の話を聴く。

どんなお客さんに売っているのか。やっぱり従業員数の多いところとか、拠点が全国や世界に点在しているとか、毎年行う研修コンテンツを数十抱えているようなところが多いのか?どんな見積もりで?期間で契約するの?など、あれやこれや質問したりしていると、1社で15~20分くらい経っている。2社それをやってしまうと、もう30~40分経っていて、セミナー会場に向かわないと間に合わなくなって、急いで数キロ歩いて移動。

という感じで、全然立ち回りがなっていない。大規模な展示会にそぐわない…。やっぱり、ああいう場での仕事能力の発揮は難易度が高いなぁと思いを新たにした。あんな、わーっとした環境下で自分の嗅覚を頼りに欲しい情報を探り当てて能率よく情報収集したり、分析的に展示をみて質問したりとか関係づくりしたりとか、どう考えても難しい。まぁ、さして明確な課題をもって出かけていないからというのも、そもそもあるのだけど…。

というわけで振り返ってみるに、やっぱりセミナー受講を中心に組んでおいたのは、自分に合っていて良かったんだろう。職業柄、こうしたセミナーを作って人に提供する裏方としては、いろんなタイプの登壇者のパフォーマンスを見て目を肥やしておくのは大事なことだし、大規模な展示会ともなると、なかなか普段お目にかかれない方のお話を聴くこともできる。

ひとりのお客さんとしてイベント会場に身を置くのは手持ち無沙汰で苦手だし、どちらかといえば静かな環境を好み、イベント会場に足を運んでばかりいると自覚症状なきまま「仕事してる気になってるだけの非生産的人間」に堕してしまうのでは…という不安にかられて、なかなか頻繁には足が向かない。が、そっちに偏りすぎても、それはそれでバランスが悪い。ほどよく、多様なタイプの人の講演・講師活動には触れていきたいところ。

今回は、ソフトバンクのエヴァンジェリスト中山五輪男(いわお)さんと、DeNA会長の南場智子さんの講演を拝聴できたのが大変良かった。とりわけ、今回初めて直接お話をうかがった南場さんの講演は、裏で組まれた構成はシャープで、ポイントとなる言葉も選択的に厳しく発せられる一方で、人の心に訴えかけてくる柔和な壇上パフォーマンス。このバランスの妙を直接味わえただけでも良かった。数百人の聴講者がいたので、ほんと遠くからお話を伺っただけであるけれども。

もう1つ事前予約していたのは、これだけ有料セミナーだったのだけど、どうもぼやっとしていた。それはそれで、なぜぼやっとした印象だったのか、それは私だけなのか聴き手の多くにとってそうだったのかと分析的に見ていくと、これまた刺激的で良い体験となった。セミナー自体がやや期待はずれでも、別の意味で有料の価値を味わえるのは役得である。めでたし、めでたし。

※次の2つのセミナー受講メモは、リンク先にて。

Pepperと子どもたちが「学び合う」、未来の教室
中山 五輪男 氏(ソフトバンク/ソフトバンクロボティクス 首席エヴァンジェリスト)

「間違えない達人」から「うねりをつくる人材」へ ~子どもたちにプログラミング教育を~
南場 智子 氏(ディー・エヌ・エー取締役 会長)

2016-05-14

母が居間をはずしている間のこと

今週末は父を誘って、母のお墓参りに行く。本当は先週末の「母の日」に行きたかったんだけど、仕事が立て込んでしまい、1週間遅れにさせてもらった。母の日当日は胸のうちで「ごめんよー」と詫びながら、ある日のことを思い出していた。

ある日というのは、母が亡くなるひと月ほど前、忘れもしない2011年1月2日のことだ。病気発覚から2週間足らず、余命宣告から1週間足らず、年の瀬に突如「もって2~3ヶ月か」という事態に追い込まれて、本人も家族も心中もみくちゃ状態だった。

それでも私たち家族はそれぞれに、心の中のわずかな落ち着きをかき集めて、できるだけ平静に母に接した。限りがあるとしても、できるだけ母が穏やかな日々を送れるよう最期まで守りぬこうと踏ん張っていた。そんな頃だ。

年が明け、母はお正月だからというので外出許可をとって、元旦に病院から自宅に戻ってきた。その翌日のこと、父と兄一家はそれぞれ初詣に出かけ、私と妹は家に残って、母と一緒にゆっくり過ごしていた。薬のおかげで母の体調は安定していて、お天気も良かった。穏やかな一日で、居間の大きな窓からぽかぽかと陽がさしていた。

お昼すぎ、しばらく居間をはずしていた母が、しっかりメイクをした状態で「写真を撮ってほしい」と居間に入ってきた。

ずぼらで不器用な私とちがって、母は普段からきちんとお化粧をする人だったから、その顔は見慣れたものだったけれど、病気の発覚からはずっとお化粧していなかったから、私は寝巻き姿にばっちりメイクの母を見て、静かにはっとした。一瞬にして、あぁこれは「自分のお葬式のときの写真を撮って」ということなのだと察し、胸がしめつけられる思いがした。

それでも、母はただやさしく微笑んで「写真を撮ってくれる?」とだけ言うので、私も母と同じやわらかさで微笑んで「うん、そうしよう」とだけ返した。自然光がさす居間に立って笑う母は、きれいで、きれいで、本当にきれいだったのだ。ここに一枚の写真がある。

私は母が他界してからも、その日のことを時おり思い出してきた。それは日が経つごと、懐かしく、好ましい思い出となっていった。お天気もよくて、いい笑顔も撮れたし、母も気に入ってくれたようだったし。実際、その時撮った写真は葬儀のときに使ったし、今も遺影として仏壇のところに飾っている。

だけど、今年の母の日を迎えて、母のことを思い出しているときに、あれから5年も経った今になってようやっと、あの日の裏面に思いが及んだのだ。私と妹が居間にいる間、母が居間をはずしている間のことに、思いが及んだのだ。

彼女はきっと、メイクだけじゃなく、上衣だけでも寝巻きから着替えることを考えたんじゃないかしら。でも、そこまでの気力・体力がなくて、逡巡したあげく、寝巻きのままの撮影を受けいれる時間をもったのではないかしら。

そして彼女はあの日、居間を離れて、ひとり鏡の前に立って、どんな思いで化粧をしたのか。また写真をひとしきり撮り終えた後、居間を去ってメイクを落とすとき、どんな思いを抱え込んだことだろうかと。毎日毎日、何十年と続けてきたお化粧を、彼女はあの日、それが自分の人生で最後の化粧になることを感じずにはいられなかっただろう。

その「母が居間をはずしている間のこと」に、私の想像は5年もの間、及ばなかった。私はそのことに愕然として、自分の想像力の貧しさに、自分の浅薄さに、言葉を失った。そして心の中で、5年前に鏡の前に立って最後の化粧を落とした母のことを抱きしめた。

その思いをもって、今週末は母のお墓参りに行く。人のネタで勝手に妄想して感傷にひたらないでよ!って母は笑っているかもしれないけど…。

*2011年1月2日に書いた話「母帰ってくる」

2016-05-08

一足早くGW離脱

今年のゴールデンウィークは、4月中が山だった気がする。5月に入ると、2日(月)に出社した時点であれもこれもやらなきゃ感が高まり、3~5日は6日(金)の客先訪問に向けていろいろ考えたり緊張したり…。6日に客先を訪問したら、当初の想定以上にいろいろ宿題をいただけて、しかも3つとも急ぐものだったから一気に戦闘モードに。

こりゃ7~8日のうちに3つとも与件整理して提案の方針固めておかないとむずいなぁということで、一足早くゴールデンウィーク離脱。この週末はあーだこーだとノートに書き出しては提案内容の検討。頭からは湯気…。

でも、先方の与件を整理して、あれやこれや考えて提案骨子を組み上げて、提案書の言葉に一つひとつ落とし込んでいくときの、自分の持ちうるかぎりの知力、体力、精神力を総動員してどうにかしていく感じは、すごい疲れるけど、割りと好きだ。

ご相談くださったクライアントご担当者その人を憑依させるようにして、自分がその人だったら、その会社の経営陣に、その人の上司や関係部署に提案書を出すとき、どう提案を構成し、どう言葉を選んで置いていくかを考えるようにする。自分を呼んでくださったその方が、社内を口説いて回るのに、そのまま使いたくなるような提案書にできたら一番いいのかなと。

こればかりは、ずっとずっとやり続けて、試行錯誤して、ブラッシュアップして、出してみて、反応をみて、フィードバックをもらって反省して直してって、やっていかないと、どうにもならない。ヒアリングも、提案書書きも、プレゼンも、カリキュラム設計も、教材開発も、研修運営も、効果測定も、プロジェクトマネジメントも、全部やらなくなったら確実に弱体化する自分がありありとイメージできる。なので、とにかくいただけた機会を一個一個、大事に丁寧にやっていくしかない。緊張するし、時間も使うし、知力も体力も精神力も使ってへとへとになるけど、こうやって全身に汗かく感じはゴールデンウィークだろうと決して悪くない。

とにかく日曜の晩までに、A社向けの3つの宿題の提案骨子はまとまった感じ。ただ、まだ全部ノートに手書きの状態だから、この後ドキュメント作成で精緻化する段に、けっこう時間を要しそう。その上、手をつけられなかったB社の件を明日月曜のうちに、C社の件を木・金曜にやることにして、A社の件は火・水曜に集中して仕上げるという猛烈な一週間の始まりだ。まったく気が抜けない。すでに、ものすごい緊張感のただ中にいるので、ゴールデンウィークからの復帰自体はまったく怖くないのが、小さくとも確かな幸せ。その点だけは準備万端すぎる。

そんなことを書き連ねつつも、この休暇中は毎日、泳いだり読書したり散歩したり買い物したりをはさんで地味に楽しんだ。とくに、この休暇中の都内はずっとお天気がよかったので、晴れ渡る空のもと(主に夕方以降だけど)よく歩いた。なんだかんだと毎日平均して10キロ近く歩いていた。この時期の夕方の散歩は、ほんとうに気持ちいい。見上げる空も、吹く風も気持ちいいし、私がよく行き来している散歩道は草の匂いが体を包みこんでくるし、背の高い木々に見下されててくてく歩くのも気分がよい。ありがたい休暇だった。

2016-05-06

「ヒアリング」というライブパフォーマンス

一般に研修屋さんというのは、4月に新入社員研修が集中して、そこが一年で一番の書き入れ時と聞くが、私は研修屋と呼べるほどおっきくビジネスしていない&実務的なテーマに偏った研修を扱っているからだろうか、どちらかというと期があけて各社が新体制で動き出した後、ちょっと一段落した今頃に、現場のマネージャーさんから引き合いをいただくことが多い気がする。

それで今時分は、下調べしてヒアリングに行って提案書を作ってプレゼンしたりだとか、受注が決まった先で現場の方々に業務ヒアリングさせていただいて講義や演習を設計したりだとか、下ごしらえをしている。4月に研修本番があった案件も、特に4月限定の新卒ものというのではないので、それの見直しをかけて5月以降の準備をしたり。

というので、会社にこもってデスク前であーだこーだやっている時間も長いのだけど、客先に出向く機会もままある。これが一向に慣れることなく緊張する。慣れて緊張しなくなるより、慣れずに緊張し続けていたほうがいいと自分では割り切っているのだけど、とはいえ頻繁に緊張に向き合うわけだから大変は大変だ。

今日も客先にヒアリングに行く機会をいただいていて、考えてみればヒアリングってプレゼン以上に緊張する。プレゼンでも打ち合わせでも、お客さんを訪問するときは何しに行くのでも緊張するのだけど、ヒアリングというのは、また格別だ。

その理由の一つに、その後こちらが作って出すものの精度に大いに影響を与えるというのがある。初回のヒアリングであれば、そのヒアリングの出来不出来によって提案書の質は大いに変わるし、受注後に現場の皆さんに業務や参加者の実際をヒアリングする際も、その巧拙によって実際に提供できる研修の中身の精度がもろに影響を受ける。

加えて、結局のところヒアリングというのは、ライブパフォーマンス力が大いに問われるというのがある。いろいろ下調べや準備はして臨むものの、これで万全ということはなく、その場のやり取りの中で出てきたものに対して、どれだけ即時的に反応しながら話を深められるか、引き出せるかというのは、結局その人間のもつ器によるところが多分にある。

現場で求められる瞬発力については、自分が苦手とすることを大いに理解しているので、下調べしたり、事前にお客さんと同等かそれ以上にあれこれ考えておくことによって、「それは私も考えてみたのですが…」と即時対応できるよう努めている。あとはまぁ、これまでの経験も総動員して、その場で考えられるかぎりの最適解を出す。

として、この「人間の器」については、事前の準備をいくらやってもどうしようもない。ふだんの自分づくりが物を言うというか、準備万端ということがない。ゆえに緊張も避けられない。いや、いいんだけども。つまるところ、今の自分ができることを、やるっきゃないということだわなぁと。

その会社の問題意識や目指す先が何であるのか、対象となる社員の方の状態はどうであるのか、研修という施策のゴールイメージをどのようにみているのか、実施に際して制約・前提条件は何であるのかなど話を聴きながら、最も効果的で効率的で魅力的な育成アプローチを模索する。

模索しながら話を聴きこむわけだけど、話を聴きながら相手が見えてくるわけなので、どうしたってライブのパフォーマンス能力が問われる。

下の一文は「哲学」について言及したものだけど、これを読んだときに、なんとなくしっくりいく感じをもった。

方法は、ある意味では対象のほうがいわば強いてくるものだ。あるいは、対象との接触のなかではじめて見えてくるものである。対象にかかわる前に方法があるわけではない。(*1)

そうなのだ。日頃からいろんな方法論を学んだり、このお客さんにはこんなやり方がいいだろうかと訪問する前に下調べしたり模索したり、それ自体は決して無意味なことと思わない。けれども、結局行ってみて話を聴いてみて、「対象」たるお客さんが見えてきたときに、「対象」のほうが、あるべき「方法」を強いてくる。「対象」がよく見えれば見えるほど、こうしたらいいんじゃないかという「方法」が鮮明に描き出される。いいヒアリングができると、こうすべきという「方法」はおのずと浮かびあがってくる。逆に、「対象」に深く話を聴きこむ前に、「方法」をこれと定めることはできない。

だからこそ、ヒアリングの緊張から解放されることはないわけだけど、まぁなんとなく腹に落ちたところで、今日も頑張ってこよう。中心を外さずに聴くのだ。

*1:鷲田 清一『「聴く」ことの力―臨床哲学試論』(ちくま学芸文庫)

2016-05-05

水のゆらぎの中で

毎朝50分、水のゆらぎの中に身をあずけている。つまりは、プールで泳いでいる。うまいターンができないので、25mおきに壁に足をついて向き直っているのだけど、地に足つけることなく水のゆらぎの中に50分間、体を浮かべて過ごすというのは、私にとってかけがえのない時間だ。

私の泳ぎはクロールながらスピードがなく、音をつけるなら「どんぶらこーどんぶらこー」がぴったりである。左右に多少体をゆらしながら、のんびりと同じ速さで、ひたすら泳ぎ続ける。

ガラス越しにプールを見渡せるジムがあり、そこでよく運動しているお姉さんに「気持ちよさそうに泳いでたねぇ」と、脱衣所のすれ違いに声をかけられる。泳ぎ方を褒められたことはないが…、とにかく「気持ちよいのだー、至福であるー」というのは全身に表れているらしい。

水の中って、絶えずゆらぎの中にいる感覚がいい。実はさほどでもない地の確かさを放棄して足を浮かせ、世の真実たる不確かさを快く受けいれて水中に体を浮かべる、そこに前者とは対極の心の安定を感じる幸せ。

世界は基本的に、ゆらゆらしていて、不確かさの中にある。とすれば、ほどほどに確かさを求め、その構想力や構築力を養っては形づくっていく一方で、抗いようのない不確かさを快く受け入れる態度も育み続けていきたいもの。はぁ、なんて快いのだと、この水の中のゆらぎを味わい続ける日々には、そんな意味も含まれているのではないか。というのは考えすぎか。考えすぎですね。つまり、プールは気持ちいいなぁというだけの話…。

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