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2016-04-04

気持ちを重ねること

ここ数日、飛鳥時代にタイムスリップしている。先日なぜだか本屋で手が伸びて、井上靖の「額田女王」(*1)という文庫本を買ってきた。600ページある大作で、今400ページを過ぎたところ。小説というのは本当にすごい、一千年の行き来もなんのそのだ。

額田女王(ぬかたのおおきみ)は「大化の改新」後の激動を生きた宮廷歌人で、巫女でもある。彼女の生涯を“著者独自の史眼で”綴った歴史小説とあって、歴史にとんと疎い私には何が史実に沿っていて何がそうでないかよくわからない。けれど、百済、新羅、高句麗、唐との関わりや朝鮮半島への出兵、中大兄皇子・大海人皇子の性格など、「日本書紀」の記述を読みこんだ上で物語を膨らましていった感があって、あるいは丸ごと全部、本当にそうだったかもしれないとも読めて楽しい。

こんな歳にもなると、少女マンガの主人公ではなく、井上靖の描く額田女王に「わーかーるー」とか思っちゃうもんなんだなと共感を覚えつつ読めるのも楽しい。

そういえば、額田の生きざまに触れながら、対比的にふと思い出したのが河合隼雄「コンプレックス」(*2)の中の一節。話は現代に戻るけれど、今の時代は一般に男性的役割を重視する傾向が強いことを背景として、

女性が男性に対抗しようとするとき、女性の役割の重要性を主張するよりは、むしろ、女性も男性的役割を遂行できることを示そうとする

という話。これを読んだとき、あぁ確かにそういう面はあるかも…と思った。もっと力まず、気張らず、女性が女性的役割を肯定的に受け止めてふるまっていったら、そのほうが自然だし、男女持ちつ持たれつやっていける気がするんだけど、なかなかそうもいかないもんだろうか。はたで見ていると、女性の側がむしろ、性別に関して過剰な対抗心をもって男性に挑んでいるようなアンバランスさを感じることがないではない(婉曲…)。

男性も、女性も、いわゆる男性らしさもあれば女性らしさも持ち合わせている。それを時に、男らしい、女らしい、男勝り、女々しいなどと言ってみたりもするけれど、どちらの表れも自然なこと。それをいちいち性別と照らしあわせてふさわしいか否かと評価せずに、ただ気持ちを汲みとって、ただ受け容れたらいい、そういう時もたくさんある。

人ひとりの中には、強さも、弱さも、温かさも、厳しさも、たくましさも、やわからさも、全部入りなのだ。それが出たり引っ込んだり、強まったり弱まったり、いろいろ変化する。そういうことを汲んで、相手の今を見て、相手の今に気持ちを重ねること、その人が同姓を求めるときは同姓的に、異性を求めるときは異性的に関われるのが、私個人的には最も自然で、好ましく、しっくりいく感じがする。そんなの計算でできるものじゃないから、ただ自然体で自分がそういうふうであれたらいいなというだけだけど。

なんで私は「額田女王」を読んでいるんだろうって、何の脈絡もなく手にしたからこそ意味深く感じている。読み進めながら今思いを強くしているのは、大事なときに、相手に「気持ちを重ねること」を大切にして過ごそうってことだ。じたばたせず、己のなすべきことをし、静かに、相手に気持ちを重ねること。額田がそうしたように。

*1: 井上靖「額田女王」(新潮文庫)
*2: 河合隼雄「コンプレックス」(岩波新書)

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