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2015-11-14

小説を読む

仕事社会で生活していると「木を見て森を見ず」に陥らぬことを説くメッセージにふれる機会は多く、大局観や構造的に捉えることが重要というのはもっともな話と、私も思う。その一方で「木を知らぬ人間に森は語れぬ」ところもあって、それはそれで、大局を捉えることと、間違いなく“同等の”の価値をもって説かれるべきことと、私は考える。

木の枝の先の葉の一枚まで見ていかないと、感じ得ない大事なこともあることを、小説は実感させてくれる。一人の人間の、中の、中のほうまで、言葉にしてたどっていく。頭のなかに、登場人物の内側の世界が広がっていく。その人の目からみた世界の見え方が、物語を通じて自分の脳内に映し出される。

一人の人間のなかには、宇宙までひろがる外側の世界と同じだけの奥行きをもった、内側の世界が広がっている。少なくとも私は、そのように認識している。

実際がどうかはわからない。証明のしようもない。ただ、そういうふうに一人の人間というものの深淵さを捉えておいたほうが、人への向き合い方として、世の中とのつきあい方として、間違いがない。

人の心のうちを、実際より軽んじてしまうくらいなら、実際より重んじてしまう過ちのほうが、ずっといい。そういう意味では、個人的な信念や価値観を別にしても、人の捉え方として合理的な見方だと思う。

最近、村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」を読んでいて、そんなことを考えた。その浮遊感の中につかって書いているから、だいぶ素っ頓狂な文章になっているかもしれない。いつも通りといえば、そのような気もする…。

なんだかんだ村上春樹を話題に挙げる割に、この代表作を初めて読んでいるんだけど、これは夢中になって読んでしまう。今、2冊目に入ったところ。読むのが遅い私にしては、ページをめくるスピードが速い。人物描写が、ものすごいな。

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