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2015-08-05

「顔見知り」との一線

フィットネスクラブとか喫茶店とか、日頃足しげく通っている場所には、顔見知りの人というのがいる。顔見知りって、挨拶程度は交わす間柄を私はまずイメージするけれど、ここでいう顔見知りは、文字通り、お互いに顔を知っているにとどまる間柄。朝の通勤・通学に使う電車やバスの乗車時刻が同じなら、そうした場所にもいると思う。言葉を交わしたことは一度もないけれど、顔はすっかり覚えている相手。

時々考えてしまうのは、こういう顔見知りの人って、どこでどんなふうに遭遇したら、私は声をかけるだろうかという境界線だ。とりあえず極端なところから始めて、たぶんアフリカのサバンナとかで偶然会ったら、「あ、あなたは!渋谷マークシティのエクセルシオールカフェで、平日の朝によくお見かけする、あの!」と間違いなく声をかけると思うのだ。

やっぱり、何も考えなくてもまず思いつくのが、ふだん会う場所から相当かけ離れた場所で遭遇するという地理的な距離のインパクトだろう。

じゃあ、その距離を縮めた場所で考えるに、北海道の草原とか南紀白浜とかでも声かけそうだなぁとイメージする。国内でもOKそうだ。都内でも、西側の鍾乳洞の中とかであったら声をかけそうである。が、ふだん目にする渋谷から離れた有楽町や吉祥寺でも、街中で会ったら私は声をかけなさそうだ。

軽井沢や札幌まで離れても、街中の人通り多いところとかで遭遇した場合、「あっ」とだけ思って、そのままスルーしてしまいそう。熊本の阿蘇山とかでも、観光客がたくさんいる中ですれ違ったら、そのままにしてしまう気がする。うーむ。そう考えると、スペインのバルセロナとかで見かけても、街中の人混みの中だったら呼び止めない気がしないでもない。

となると、遭遇した場所の人の量や賑わいに左右されるってことか。移動距離、人の量、その場の賑わい…。シチュエーションにもよる。たとえ何の意外性もない、いつも顔を合わせる駅の中だったとしても、電車が運転見合わせしたとか、その人が具合が悪そうだったりしたら声をかけるかもしれないし。

私のはだいぶ引っ込み思案な例だけど、人によっては、渋谷のカフェで顔見知りな人と、恵比寿(隣駅)で偶然すれ違ったというのでも、「あぁ、こりゃ奇遇ですなぁ」って声をかけるだろう。あくまで、どんな場所だったら、どんなシチュエーションだったらって書き連ねたのは私個人的なもので、人それぞれにいくらでも「こうだったら」の種類は編み出せるのだ。

とか、こんなことを無目的に思い巡らせていると、いくらでも境界線を引けるようになっていく。一方で、今ここで脳内に引いた境界線は片っ端から曖昧なラインにもなっていく。ぼやけてふやけてにじんで、不確かなものになっていく。

実際には何のラインもないところに、自分都合で勝手に線を引いているだけなのだから、境界線なんていかようにも引けて、いかようにも消せる。境界線引くのって、自分の脳の処理次第なんだよな、人類共通のものすらない。という当たり前の決着をみて、一息つく。毎日暑いので仕方ない。以上、ぼーっと歩いている人の頭の中(例)。

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