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2015-05-10

おせっかいと親切の間

日曜の朝っぱら、プールあがりに東京の古書店街へと続く裏通りをのんびり歩いていた。人通りが少なく、車も通らない。静かである。前方に目をやると、盲導犬を連れた女性が視線の先に見えた。あまり使い慣れた道ではない様子だったので、しばらく車道をはさんで向かいの歩道を、歩幅を合わせて歩いた。何本目かの曲がり角に来た時、彼女が立ち止まって向き直り、今まで来た道を戻り始めたので声をかけた。

車道を渡って近づき「どちらに行かれるんですか?」と言うと、彼女は「コンビニのある通りに出たいんですけど、この道をもう一本先まで行ったらいいんですかね?」と、私たちがこれまで向かっていた方角を指さして言った。

コンビニのある通り、うーん…と一瞬思案。コンビニに行って何か買いたいのか、どこか特定のコンビニに行きたいのか、それともその特定のコンビニのある通りに出たいのか、この辺りが頭のなかでごちゃごちゃっとしてこんがらがった。そこで、そのうちのどれ?と尋ねれば話は早いのに、こんがらがったものをそのまま口に出すというのができず、でもとにかく早く応えなきゃと焦って「神保町のほうですか?」とかなんとか2、3の会話をした。

でも現在地から考えるに、とにかく消去法で、ここで今来た道を引き返しても当分の間、コンビニはおろか店らしきものが何もないので、「今指さしたほうへ直進すれば、神保町駅に通じるコンビニのある大通りに出ますよ」と返すほかなかった。私もその辺りに特別通じているわけではなかったのだ…。声をかけておいてどうかと思うが。

彼女は「そうですか。ありがとうございます」と言って、話はそこで終わった。盲導犬が用をたし始めて、彼女はそれを待っているようだったので、「じゃあ」と言って私はその場を後にした。私は車道を渡って向かいの歩道に戻り、しばらく歩いた。そして1分足らずして、私はなんて中途半端なのだろう…と立ち止まり、悔い始めた。

毎回そうなのだ。お決まりの一人反省会コースだ。目的も相手のことも自分の果たすべき役割も明らかな仕事場面だとけっこう思いきり立ち回れるのだけど、そういうのが曖昧な状態で慣れないシチュエーションに直面すると、どうも引っ込み思案になって、中途半端に終わらせてしまう。

しゃべり過ぎ、訊き過ぎ、やり過ぎなおせっかい領域に踏み込んで、かえって迷惑になるのが嫌で、その場の求めに必要十分なことをしたら、邪魔にならないようできるだけ早々に切り上げねばという焦りが出てしまう。何をおせっかいと受け取り、何を親切と受け取るかは人によって違うので、よく知らない相手だとその場面で快・不快の境い目を推し量るのも難しく、おっかなびっくりになって腰が引けてしまう。それで声をかけた割りに、本来目的からまだ遠く中途半端な状態で切り上げてしまって、役に立ちきれていないではないかと後から一人反省会を開く顛末…。これを、これまで何度経験したかしれない。

加えて、瞬発力に欠けるのもたちが悪い。もっと瞬間的にその場で想像を巡らせ、それを整理して、スマートにたちふるまえればいいのだけど、どうもその辺が鈍く、慣れない状況への自分の対応の至らなさには毎度残念な思いをする。

4、5年前、帰宅ラッシュで大混雑した都内の駅のプラットフォームで、白杖をもった男性が何か叫びながら杖をマジシャンのごとくぶるんぶるん振り回している場面に遭遇したときも、私は何もできなかった。人が密集している中だったので、ごく近くにいた周囲の人は当然驚いて、危険を察知して彼に怪訝な顔を向けていた。彼とどうにか距離をあけようと身体をひねりながら歩いていた。私はその先頭集団から少し離れた後方の安全地帯から見ていたけれど、うわっ危ないなと思ったまま、その先に想像が及ばなかった。

そこから1分ほどして、もうその集団と離れてしまった後にハッとしたのだ。ただでさえ電車の音でうるさい駅のプラットフォームに、100人規模の足音が鳴り響いていたのだ。あれでは白杖を地面につく音が耳に届かなくて、空間が全然把握できなかったのでは。それで過度のストレス状態だったのではないか。なんでそういう、時間をおいて思い至ることをその場で想像できないんだろう。

それが本当にそうだったかは、もちろんわからない。私の勝手な憶測にすぎない。だけど、少なくともそういう想像を瞬時に巡らすことができれば、近寄って「すごい人なので混雑が抜けるところまでご案内します」と一声かけられるだろう。それで私の想定と違っても、それはそれで対処すればいい。

とにかく慣れない状況下における、その場の瞬時の対応が、たいてい貧相で残念なんである。想像力の問題なのか、瞬発力の問題なのか、心の豊かさの問題なのか、全体的に足りていないということなのか。でも自分の能力を嘆いているより、身の丈を受け止めて毎回反省したことをコツコツためて改めて、亀の歩みでも自分のできることを増やしていくほうが伸びがあるというもんだろう。

応用範囲が狭いので、それにも辟易とすることはあるけれど、まぁ一つひとつ重ねていくしかない。人が道に迷っているとき、外国人観光客が街で困っているとき、同僚が肩を落としているとき、慣れない年代の人とコミュニケーションをとるとき、毎回うまく関わることができなくて初回は一人反省会だった。次に似たようなシチュエーションに遭遇したときは、少しまともに関われるようになって、それが徐々に自然になっていって…の繰り返しでやってきたのだ。

今回は結局、向かいの歩道で犬が用をたすのを待って、また同じ歩幅でしばらく歩いた。すると神田明神のお祭りで神保町の町内会の皆さんがお神輿を出していて、地元の人たちに囲まれて道を教わっていたので、私はそこで失礼した。次の機会には「そこまでご一緒しましょうか」と声をかけられる自分に、また一つ成長しよう。

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