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2014-08-20

向き合う、語らう、そばにいる

お盆休みに実家に帰ったら、父が「来週手術するんだ」と紙を見せてきた。びびりつつ書類に目を通し、とにかくやるんだなということで、なるほどと受け止める。日帰り1時間程度のもので、父は一人で大丈夫だというけれど、やっぱり心配だ。手術当日を迎え、やっぱり行こうと決めて急遽半休をとって向かった。

一人で大丈夫と言うのに行くのは迷惑だろうかとも思いつつ、いやしかし何かあったときにはすぐそばにいたほうが安心だろうし、ちょっとしたことだったら一人でどうにかしようとしてそれまた手術直後じゃ大変だろうし、父と医師という密室関係は医師側の緊張感が担保されず危険ではないか、娘がいっちょかみしておいたほうが医師の緊張感が高まって良いのではないかとか。

悶々と考えた後、とにかく父がどう思うかより、私が心配なのだから、私の意志で行ってしまおうと。そう言えば父も断りはしないだろうという結論に達し、仕事も夏期休暇明け早々で都合がついたので、当日昼に「よし!」と決めて会社を後にした。

着いたときには手術は始まっていた(から医師の緊張感がどうこうとか手術そのものには何ら影響を与えなかったわけだが…)。受付の女性に尋ねると、予定よりずいぶん早くに始めたようなので、私の「やっぱりそっち行きます」メールも父は見ていないかもしれない状況だった。これなら、断られるも何もなかったな。待合室に腰かけ、大画面に映し出される高校野球の熱戦を見ながら、手術が終わるのをじっと待った。

数十分の後、助手らしき女性が待合室のほうにやってきた。こちらを伺うようにして近づいてくる。「あの、hysさんのお嬢さん?上のほうの?○○にお住まいの?」と尋ねてくるので、「えぇ、はぁ、そうです、hysの娘です、え?上のほう?○○に住んでる?なんでそんな…」ときょどっていると、後方から父現る。

「おー、どうした?なんでここわかったの?」って、「いや、それくらいわかりますって」と、とりあえず1ボケ1ツッコミを交わす。とにかく無事に手術が終わった様子を確認してほっとする。父もなんとなくほっとしたような表情を見せていたので、来て良かったと思った。手術中は先ほどのお姉さんがずっとしゃべり相手をしてくれていて、比較的スムーズに進行したようだ。お姉さんがずっとしゃべってたと言うけれど、父が8割方語り手だったのは確認するまでもない。

よく話す父だけど、メールより電話、電話より対面で、こちらに渡される情報量は大きく変わる。直接会ってしゃべっているときは、もう洗いざらいという感じで娘に話してくれるけれど、メールや電話だけだとなかなか…。連絡手段の慣れの問題もあるけれど、やっぱり直接会って話すというのがいかに大事か。そこで行き交うものは、ほかとは雲泥の差があるのだ。

体調のこともそうだし、ちょっとした気がかりを話すのだって、やっぱり会ってこそ話せるというもの。それにとどまらず、私だって父だって生き物なので、やっぱり直接会って、向き合って、語らって、そばにいてこそ、気づけること、交換できるものが多分にある。そういう時間をもつことをもっと大事にしないと、と省みた。直接会うっていうのは絶対的な意味をもっているのだ、と思う。

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