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2014-01-18

自棄と開き直りの間

一週間前の日曜日、このブログを面白いと言ってくださる方からインタビュー取材を受けるという機会があった。インタビューすることはあってもされることはないので、前日あたりからドキドキして過ごしたが、当日は彼女の自然な導きもあって、意外に気負わずおしゃべりできた。

その2日後の火曜日。昔お世話になった方と久々に会って食事した際、あの中二病みたいなブログは何なんだと一転、叱られまくり。上がったものは落ちるものだ。狭い世界だけ見てあんな要領を得ない文章を書いてる暇があったら、もっと世の中をみて、もっといろんなものを読んで情報をたくさん摂取して、もっとオープンにいろんな人とつきあって、閉じた世界から出ろと言われた。お前の立っている位置がそもそもズレてんだ、それにまず気づけ、そして変われ、というメッセージと受け取った。

もうそろそろ、この辺りで腰をすえてやっていったらいいかなぁとよぼよぼ思っていた矢先、一気に足もとが危うくなった。そればかりでなく愉しくおしゃべりして帰ってきたのだが、家に着いてからボロボロこぼれた涙にどんな意味があるのか、つかみどころないまま今日に至る。

ただ、そのとき直感的に思ったのは、あぁ私はけっこう必死にぎりぎりで生きてるんだな、ということだ。その意味も今だよくわかっていない。私は瞬発的に何かをとらえるのが得意じゃない。言葉にならないものに適当な言葉を与えるのも苦手なので、とりあえずそのままにしてしまう。そういうのも中二病的なのかもしれない…。

そして3日後の金曜日。別の方との会食に際し、あのブログは長いし、断定口調で堅くて人の意見を受け容れる余地のない感じがするし、人に共感してもらいたいと思ってFacebookに連動して流してるんなら、もっと人に向けた文章書かなきゃとの指摘を受ける。一週間で見事な二段落ち。世の中には流れというものがあるものだ。

しかし火曜日のときも、共感されたくてブログ書いてるんだろと言われたけど、それは違って、自分はものを考えるとき、文章に起こしながら考える。その一部がブログになっている。ただ結果的に、ブログを読んで共感してくれる人があれば、そりゃ嬉しいし、そうでない感じ方や考えに触れるのも、それはそれでありがたいと思う。

できるだけ多くの人に読まれたいという、いわゆるブロガーっぽい思いがあるわけじゃない。ただ、書いてアップロードしたものを読んでくれる人があれば、それは嬉しいと思う。何が先で、何が後と、なんでもかんでも因果関係で説明するのは違う気もするんだけど、因果関係っぽく説明するならそんな感じだ。

じゃあ、あんな中二病みたいで他人には読みづらい文章、シェアしなくてもいいじゃん。それは確かにそうだ。友人の中にも、日々の日記はSNS上に自動でシェアせず、特別共有したいエントリーだけ手動でシェアしている人がいる。自分がSNSでつながっている人がこれだけ多数・多様になったのに、あの文章を「読んでくれー」とばかりにシェアするのは現状にそぐわないかもしれない。と思い、とりあえずFacebookとの連動は切った。特別共有したい意志をもって書いたエントリーが出てきたら、それは手動でシェアしよう。

で問題は、そもそもああいう要領を得ない文章をブログとして公開することがどうなんだという指摘だ。それはとりあえず、今ここにこうして要領得ない文章を書いているように、引き続き書いていこうかなぁと今のところ思っている。

これまでにも、自分で判断してブログに載せなかったメモ書きはたくさんあるんだけど、どこで載せる載せないの線引きをするかは難しい。結局、自分が書いた文章を、よし、これは中二病レベルじゃないと適正に自己評価できるわけでもないし、誰かが事前にチェックしてくれるわけでもない。ただの個人ブログだ。書き続けながら、中三、高一と成長していくほかない。多少、生活改善は始めたし…。

それに、程度の差こそあれ、非の打ち所なくどれも完璧にこなしている人間なんていない。文章表現にしたって、生きざまにしたって、みんな完璧じゃない。「完璧でないのが人間」て前提でいくなら、私が個人的なブログで、誰に読むことを押しつけるでもなく、お金をとるでもなく、ネットの片隅に醜態をさらしているくらい、載せようが載せまいが勝手にしたらーという話だろう。

もちろん、自分が大事に思う人に失望されるのは嫌だし、できることなら期待に応えたい。というばかりでなく、人の指摘を受けて自分がもっとこうしたいと思うところは、そのように変えたい。人それぞれだよねーというんじゃなく、絶対的な真理があるなら、それを知ってそれに倣いたいという気持ちもある。でも実際に、何に倣って、何をしたくて、どうしたら期待に応えられるのかって、すごく複雑で難しいし、気持ちを切り替えれば翌日から中身総入れ替えできるわけでもない。

なので私としては、「いいわよ!ブログも何も全部やめるわよ!テキストエディタでハードディスクにカタカタ残していくわよ。これでいいんでしょ!」みたいな自棄を起こすのでもなく、「何を書こうと私の勝手でしょ!」とはねのけて開き直るのでもなく、ブログを書いていきたい。大事な人にもらった言葉は大事にしたいし、自分の中でのブログの意味みたいなものも大事にしたい。

自分の心のうちについてあーだこーだ書くというのは、この先もそのままかなぁと思う。人間て、自分の外側の世界と同じだけの広さをもって、自分の内側にも世界をもっているのだと考えている。そこをあんまり小さく見積もっていると、知らぬうちに中が壊れる。私はそんなイメージをもって、心のうちを書いている。それがまた中二病ってことなのかもしれないが、まぁそれはそれでいい。

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コメント

ブログについての気持ち、深く共感いたしました。
最初に思ったことは、hysmrkさんのブログは多くの方に読まれているんだなぁ!ということ。お世話になった方とか目上の方(と推察しますが)に読んでもらうようなことは私には殆どなく、年代の近い友達が大半なので、hysmrkさんがいただくようなそういう本質的な感想を聞くことはないなぁ、、ということです。
なかなか手厳しいご感想だと思いますが、それだけ皆さん読んで、思ったことを直接ぶつけてくださったのだなぁ、、と思いました。もちろん自分のやっていることを否定されるような言われ方は私も傷つくし涙するし相当へこむと思います。。

私的なブログをなぜ書いているのか、しかもなぜmixiのような限られた空間でなく公の場に公開しているのか、、自分も時々考えます。書こうと思って下書きまでしてアップできなかったものも多々ありますし、本当は日々接している人間関係や仕事のことが話題としては最も豊富で訴えたいことなのに、それはやっぱり公にはできないかなぁ、、とか、これを書いたら読んだ人が誤解して(自分もそうだと思って)傷つくかなぁ、、とかあれこれ考えてしまうことも。。
なので私は本当にプライベートなことばかり、しかも差し障りがない部分だけを切り出して書いているのですが、たとえば自分がすっごい好きな俳優とか舞台とか番組について熱く語りたいとき、「あぁこれは同じ気持ちの人じゃないと共感できないし、『だからどうした』とドン引きされるだろうな」とも思うのですが、最後には開き直って「コメントをもらうためのブログじゃない。やっぱり自分が書きたいことは(制限はあっても)なるべく書きたい」と思って書いたりしてます。

hysmrkさんと同じく、私も書くことで気持ちや頭の中が整理されるので、ワードやテキストに好き勝手に日記かいて公開しないで保存すればいいじゃん、、というとそれはまた違うのですよね。やはり「人に見せる文章」を書きたい。人目に触れるかも、、と思うからこそ書くときに出来るだけ無駄な言葉なく意味が伝わるようにと精査するし、自分の励みになるんだと思いました。。

いつもながらうまくまとまらず、冗長なコメントですみません!
私はhysmrkさんのブログにいつも真摯でまっすぐに(でも時に自分と違う切り口から)物事をみつめる姿を拝見して、共感したり、新しいことを教えていただいたりしています。お互い、自分の書きたいスタイル、内容でこの先も続けていきましょう!

ベルさん、あったかコメントありがとうございます。ブログへのスタンスはベルさんと共通するところが多分にあると思うので、お話うかがえて良かったです。

私のブログは、特別ものすごいたくさんの人に読まれているわけでもないのですが、これまではFacebook
と連動していたことで、たまたま目に入って訪れた友人・知人も多くいたと思います。仕事がらいろんなところでお会いした方とFacebookでつながる機会は多く、ここ数年でつながっている人が400人近くになり、気づけば以前とはちょっと違うネットワークにエントリーをシェアしていたんだなと思いました。

歳を重ねるとなかなか手厳しい意見をもらえる機会もないので、自分が構えずに「なるほど」と意見を聞ける目上の人に、しかも自分が好きな人に意見をもらえる機会って、すごく大事だなと思っています。まぁだから、私の目から涙がこぼれようが、心の中に動揺が起きようが、とにかく大事にいただきたいなぁと思うのです。

私のこと悪く言うから誰々ちゃん嫌い!というほど幼くもなく、ははぁと感心してそのまま従うほど従順でもないので(まさしく中二だな)、自分がどうしていくのか、見届けたいなと思います。無為自然。上善は水のごとし。

中二病だと思ったことないけどなぁ。
まぁ、そのあたりが人それぞれってことだと思いますが。

Facebookとかのソーシャルメディアと共感って、ひとまとめにされている方が多いんだ、っていうのは新たな気付きですね。
おっしゃるとおり、共感を得る(集める?)ためのものとは限らない使い方もあると思うんです。私は自分の内面に関して投稿しませんが、(公開しても支障のない)行動や出来事のライフログという側面が強く、それについて共感が得られればラッキーくらいで、投稿した結果についてはhysmrkさんと同じように使ってるような気がします(あくまで、気がする程度ですが。仕事的に実験していることもたまにあるかな)。

楽しく?読ませていただいているので、これまでと変わらない感じで是非。
あ、できれば、G+の方は連携切らないでほしかったかな(笑)。

おがさん、コメントありがとうございます。
いろんな捉え方があって、中二病ばかりでもないとわかってほっとしています…(笑)。
「Facebookーいいねー共感」という構図で見えやすいというのはあるかもしれませんね。
G+の連携(っていっても毎回手動なんですが…)、継続しますので、今後ともどうぞよろしくお願いします!

いつもブログ楽しみに読ませて頂いてます。僕も中二病と思ったことはないですねえ。知人だとまた感じ方が変わるかもしれませんが。
承認欲求を満たすための外向きのベクトルのブログ記事とは違い、内面に降りていって、自己と対話しているスタイル、また透明感のある林さんの文章はとても心地よいです。
質の良いエッセイを読んでる気持ちでおりますので。今後共何卒。きっと僕みたいなファンは多いと思いますよ:-)

ハヤシさん、嬉しいメッセージをありがとうございます。いやぁ、嬉しいです(大事なことなので二度…)。身にあまる言葉を頂戴して恐縮ですが、できるだけそのままの心のうちを読みとって、言葉を模索していけたらと思います。今後ともごひいきに!

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