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2014-01-21

ビートたけしの若者論

NEWSポストセブンの「ビートたけし 視野の狭いオタクが飯のタネにされる構図解説」というのがFacebook上で話題になっていたので覗いてみた。文脈を理解する上ではリンク元をひととおり読む必要があるけれど、一部引用する。

若いヤツの多くが、無理して働いて自分の収入やステータスを上げようとしなくても追っかけられる趣味や道楽を選んでしまっているわけだよ。アイドルだとかスマホだとかラーメンみたいな狭いところに自分のテリトリーを限定して、その中だけで生きていこうとしているんだよな。 だから給料が少々下がろうが、税金が増えようが、そういうことは見ようとしないし、深く考えない。楽に稼いで、その範囲の中で自分の好きな分野だけを見て生きていこうってヤツが多いんじゃないか。

これを読んだとき、「臨床とことば」という臨床心理学者の河合隼雄さんと哲学者の鷲田清一さんの対談本の中の話と重なってみえた。

鷲田-昔の哲学は宇宙とは何ぞやとか、人生とは何ぞやとか、いつも全体を見渡すような知というものを求めていたように思うんですけれども。そういうこと自体が不可能になってきている。そして自分の小さな、たとえばどんな家が持ちたいとかどんな奥さんがほしいとか、老後はどうしたいかとか、どんな思いで暮らしたいとか、非常にプライベートなところでしか、幸福をイメージすることができなくなっている

一言で言うならば、「若い人がちっちゃくまとまっている」問題とでも言おうか。では、その話を受けて河合隼雄さんはどう応じたのか。

河合-同じことをちょっと違う言い方をすると、そもそも昔の青年、つまりわれわれが天下国家を論じてたというのは気宇壮大みたいだけれども、まったく幻想の中に生きてたということですよね。いくら論じてたって何もできなかったんだから。天下国家を論じられるという幻想の中にただ浸っていただけで、論じてみても何にも役に立たないということが、今わかってきて。そうすると、本当に自分の生きている世界で「自分が幸福とはどういうことか」とか「自分がおいしい水を飲むにはどうしたらいいか」というようなところに近づいてきたというのは、ある意味で言うと「各人が自分相応に考え出した」という言い方もできますね。昔の青年は、ある意味で逃げていたわけですよ。

この「言い方」に、なるほどと思う人もいれば思わない人もいるだろうけど、河合隼雄さんも当然これ一本の見方で捉えていたのではないだろう。いろんな言い方、見方ができることを示すために、「若い人がちっちゃくまとまっている」問題を、一般的な見方と違う言い方で提示してみせたということだと思う。

そして、この話を見比べつつ思ったのは、今の私は若者のそれに寄っている気がする、ということだ。私は狭いテーマですら「これは任せろ!」というものをもっているわけじゃないが。

ただ、20年近くやってきた仕事を引き続き積み重ねていって、少しでも専門性高く人様の役に立てたらなと思っている。あとはもう、家族と友人の助けになることをささやかにしていくくらいで、この人生はいっぱいいっぱいだろうなぁと、ある意味小さくまとまっちゃっているのだ。

たとえば父が介護を必要とするようになったら、かなりの時間をそこに割くことになるだろうとか、家も実家住まいにするかもしれないとか。家族一人守るだけでも相当な大仕事になるから、そんなに多くのことをこの先抱え込んで全うできるとはなかなか思えない。それで身の丈にあわせて自分ができることを粛々と、とか思ってしまう。もちろん今もっている役割は、ハードワークだろうと何だろうとしっかりやり遂げようと意欲的に思っているけれど。

ここまで分かりやすく小さくまとまっちゃったのは、ここ数年のことかもしれない。母を亡くしたことで私の中に起こった死生観はけっこう存在感があって、あと何年生きられるかわからないし、せいぜい20年か、みたいなのが静かにずっとある。その中でできることを考えると、そんなに無責任なこともできないなぁとか思ってしまう。

それに加え、母は自分が長年かけて築いた家族全員に看取られてこの世を去ったけど、私はそうした家族をもたないので、父をきちんと看取った後は、一人で亡くなるんだろうなぁと想像されるわけだが…。それを問題視するでもなく、どう現状を変えるかと考えるのでなく、それを環境として受け入れて、そこでどう生きていくか、それでOKな精神をどう築くかみたいな発想になっている。

家族をもっても、うまくいかないところはうまくいっていないし、お別れもするし、どうあれ多くの場合死ぬのは最期一人だしなぁとか、そういう現実的なことを知識として持ち過ぎたってことかもしれない。こういう「先人の残したものを知識として、ちっちゃくまとまっている」感じというのは、現代の若者的なのかもしれないなぁと思うのだった。いやぁ、暗いですなぁ、暗いですなぁ、そんなに暗い人間でもないんだけど、なんかすこぶる暗い人っぽい文章になってしまった。暗いんだろうか。いや、ゼロを起点にして明るい未来を志向するタイプなのだが。

しかしこれじゃあ、上から見てものの一つも言いたくなるだろうなと思う。そういう発想がつまんないんだよ!何小さくまとまっちゃってんだよ、変えりゃーいいじゃないか。30代後半で、まだなんにも見えてない小僧が年取っただのなんだのと生意気なこと抜かしやがって。そんな感じだろうなぁと思う。

でも、50年先いったらそれが当たり前になっているかもしれないし、それももう古い発想になっているかもしれないし、わからない。揺り戻しみたいなのもあるんだろう。上の人たちもまた、これが優劣や善悪の問題なのか、それとも時代変化ってことなのか、曖昧な部分を抱えているのかもしれない。

おそらくだけど、先日のブログで書いた火曜の人も、私の文章うんぬんより、こうした生きざまにもの申したかったんだろうと思う。ビートたけしさんの話を読んで、そう思った。昔もよくそうやって気づきを与えてくれた人だ。鈍いので私はいつもその場ですぐに気づけないのだが。

そんなわけで、目上の人に発破かけられる機会もせっかくもらったので、私は私なりに、やわらかい土の上で模索しようと思う。歳を重ねるとなかなかそういう機会もなくなるし。って、また年寄り発言をしてしまっているが、まぁでも事実、有り難い機会だったのだ。

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