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2013-11-04

子どもの心の解像度

私は子どもをもたないので、子をもつ同世代の人たちと、親子関係や子育てについて話すときは、自分の子ども時代を振り返りながら話すことが多い。この間もそんなシーンがあって、自分の小学生時代のことを思い出した。小学5、6年生くらいのときのことだ。親との決定的な分離体験は、このときではなかったかと振り返る。

その頃、わが家には父方の祖父が京都から遊びにきていた。父の兄弟は多く、当時祖父は自分の子どもたちの家を転々としていた。どこの家でも世話に手を焼いてたらい回し…という見方もできなくはないが、その期間を経てほどなく祖父は他界したので、最期の挨拶にまわっていたようにも思われる。もちろん、そのとき祖父は元気だったので当時そのようには思わなかったのだが。

そんなわけで、祖父はうちにもしばらく滞在したのだが、その期間の母の疲労はけっこうなものだった。確か母は仕事ももっていたし、そのやりくりをしながら平日も休日も朝から晩まで祖父(と子ども3人)の世話をした。父もさすがにその時期はできるだけ早く会社から帰るよう気をつかっていたように思うが、仕事がら遅い日も多かったし、とにかく母が一切合切任される格好になっていた。祖父は祖父で、けっこう奔放な人だったから、母の気疲れは相当なものだったろうと思う。

その日は日中、ざぁざぁと大雨が降っていた。雨の中、祖父はすててこ姿か何かで外に飛び出し、なんやかんやと通りで叫び続けたという。雨でびしょびしょになっても、なかなか家に入らなかった。子どもたちが学校に行っている時間で、うちには祖父のほか母しかいなかった。母は必死に祖父をなだめ、一緒にずぶぬれになりながら、家の中に入ろうと何度も促した。しばらくして気が済んだのか、祖父は家の中に戻った。母は祖父を風呂にいれ、床にやすませた。

祖父にしてみれば、子どもたちの家を転々とさせられて、自分の人生は確実に終末に近づいていて、言葉にあらわせぬ鬱憤のようなものがたまっていたのかもしれない。その感情を、大雨がひっぱりだしたのかもしれなかった。母は母で、全身を大雨に打たれながら祖父の叫び声を受け止め、それまで独りで抱え込んできた疲労もあいまって消耗しきってしまったのかもしれない。

村上春樹の「雨天炎天」に、「雨に打たれただけで人はなんと気弱になるのだろう」とあるのだけど、これはなかなか身にしみる言葉だ。

その日、小学校から帰ってきた私は、2階の子供部屋に向かう途中で衝撃的な情景を目にした。階段を上がりきったところの左手に、両親の寝室がある。その扉がすこしだけ開いていたので、なにげなくそちらに視線をやった。隙間の向こうに母の後ろ姿が見えた。電気をつけず、しーんとした部屋の中に、静かな立ち姿があった。大雨に打たれた2、3時間後のことだろう。

私は一瞬、硬直した。母の立ち姿にタバコの煙がまとっていたからだ。母の指先には、火のついたタバコがあった。母がタバコをくゆらせている、この情景には正直たまげた。

物心ついたときからタバコは父がよく吸っていたので、タバコ自体は見慣れたものだったのだが(当時は誰でも買えたので、よく隣の自販機に買いに行かされた)、母がそれを吸っているのはどうにもつながらなかった。

見てはいけないものを見てしまった気がして、息をころして物音を立てずに子供部屋に向かった。

その情景をみたとき、私は学習したのだ。あぁ、この人は私の母親というだけでなく、一人の人間として生きているのだと。一人の人間であり、一人の女性として生きているのだなと。そういうことを、この瞬間に鮮明に理解した。私は昔のことをそれほど憶えているほうではないが、この日はけっこう特別な日として記憶されている。

こういう経験を通して、人は自分と親とを分離し、自分と他者とを切り離して考えるようになっていく。そこに生まれるものは何だろうか。私は「寛容さ」だと思う。自分から人を切り離すことは一見さびしいことのようにも見えるかもしれないが、私たちはそれによって人に対する寛容さを手に入れる。少なくとも私がそのとき母に抱いたのは、そういう気持ちだ。

小学6年生というと、それくらいの心の解像度で世の中のことを捉えていておかしくない歳の頃なんだなとイメージする。もちろん、もっと早くから、もっと鮮明な解像度でいろんなものを感受する人はごまんといるはずで、何の共通基準にもならないんだけど、そういう認識も含めて考えれば、少なくとも私自身が子どもを甘くみないことには役立っている。

あの一件からずいぶん後になって、どうやら私たちを産む前は母がタバコを吸っていたらしいことがわかった。子育て中は控えていたようで、私たちが大人になると20年かそこらのブランクを経て彼女はタバコを再開した。見慣れると、なかなか似合っていた。晩年もがんが見つかるまで、ずっと吸っていたんじゃないかな。ちなみに肺がんではなかった。

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