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2013-06-11

己を知ること

開催直前にこちらにも記したDevLOVE.Career.Design」の会を終えての雑感メモ。当日は平日晩、無料イベントというのに、申し込みされた方がひとりの欠席もなくご参加くださって、なかなかしっとり良い会だった。

ご参加者がエンジニアという想定はしていたのだけど、そのほとんどがWebでなくソフトウェアエンジニアの方で、Webクリエイティブ職のキャリアをテーマにまとめた私のスライド話が、前説として十分機能したかは自己評価が難しいところ。

ではあるものの、話の冒頭は「ソフトウェア業界とWeb業界が抱える問題の共通性」みたいなところから入り、ご参加者にはそれぞれ自分が身のおく業界の問題を整理するBGMとして私の話をご活用いただくようくれぐれもお願いし…で、手元でメモを書き留めながら熱心に話を聴いてくださった。そして後半のワークも、各テーブル途切れることなく議論を展開されているように見受けられ、良かった。

短い時間だし、初対面同士で話すし、参加者の立場も参加目的もさまざまという構造のイベント。こちらがみんなを何らかの共通認識にいざなうというのでもないし、「自分のキャリアや自分の業界について、自分で考え、自分の言葉で話す場を提供する」のが主旨だったと思っているので、そういう意味では前・後半に分けた構成で成功したかな、と甘めの自己評価。時間たらずではあったと思うけれど、その不完全燃焼感も含めて持ち帰っていただいて次につなげてもらえたらと。また、そうしたいと帰り際に声をかけてくださる方、ブログに書いてくださる方があったのもありがたかった。

それと別に、今回交流させていただいての所感。質疑応答の時間やワークショップ中のやりとりで、限られた時間ではあったけれど、ご参加者の直接の声を伺えた。その会話のキャッチボールから私のなかで何となく浮上した仮説は、「自分について」じっくり考える時間、話す時間をなかなかもてずじまいという人が結構いるのではないか、ということだ。実際「自分のキャリアについてなかなか考える機会なしにこれまでやって来たので、今回よい機会だと思って参加した」という方がいらしたこともあるが。

例えば何か新しい技術について、仕事仲間と話すことは日常的にあるかもしれない。その技術について自分がどう思うか、自分の考えを述べることも積極的にやっているかもしれない。でも、それをそう思う自分とはいったいどういう人間なのか、自分はどういう価値観の持ち主だからそういう考えに至るのかと、自分の側に鏡を向け直して、自分をとらえる機会・時間があまりないのかもしれないなぁと思った。

まぁ仮説と言うほど立派なものでもないし、今回の参加者の多くがそうだというのでもない。直感と直観のはざまのひらめきみたいなものなのだが、考えてみると自分の考察対象はいつも「自分」ではなく「他の人」や「世の中の事象」に偏っているな、という人が一定数いるんじゃないかと思ったのだ。

もしそういう人がいたら、ちょっと意識して、何かに対して考えるのと別に、そう思う自分とはどういう人間なのか、も考えるようにすると、自分というものの理解が深まると思う。何かに対する他の人の意見を聞いたときも、この人の意見に対して自分が共感・違和感・反発を覚えるのはなぜなのか。それは、自分がどういうことを大事にする人間だからなのか、どういうことを馬鹿馬鹿しいと思う人間だからなのか、という視点でとらえ直してみると、自分というものが浮き彫りになってきて、より深くを知れると思う。

多くのことがらは絶対的評価をもたない。絶対に正しい、絶対に間違っているということは、世の中にほとんどない。自分の価値観と照らし合わせて、ある出来事やある人の意見が良く見えたり、悪く見えたりするという類いの主観的なものだと思う。だから、こうした日常の外部刺激に対して、自分がそれをどう思うかとあわせて、そう思うのは自分がどういう人間だからかを考えてみると良いと思う。そうやって人間は相対的に自分というものを理解していく生き物だと思うから。

またそういう意味でも、同じ価値観・気持ちいい相手とばかりでなく、考えの異なる人、時には不協和音を感じる人とも相対してみるのは有意義なことだ。極悪人とつきあう必要はないと考えるが、いろんな価値観・タイプの人と関わることでこそ、自分自身というものがより深く理解できるし、自分のものの見方を広げていくこともできる。大人になってゆとりが出てくると、そういう違いこそが面白いと感じられるようにもなる。違いをすぐさま優劣の上下関係でとらえず、タイプの違いとして並列関係でとらえてみると、ものの見方が豊かになって気持ちもよい。

閑話休題。なぜ、そんなに自己理解にこだわるのか。メリットはいろいろあるけれども、今回のテーマに関連づけて言うならば、先が読めない業界・世の中だからこそ、先を予見する以上に己を知っておくことが、堅実で俊敏なキャリア選択に有用だと思うからだ。

世の中の行方を中長期でとらえるのは難しいご時世だ。それに比べて、自分のことをより深く多面的に知っておくことはできよう。それができていれば、世の中が変わったとき、自分はそれに対してどう舵をきりたいか早期の判断がしやすい。

己の現在地(自分は何がどこまでできていてどこから先できていないか、何がどこまで見えていてどこから先見えていないか)、そして己の進みたい方向、己の負っている制約条件を把握し、言語化できるまでに意識化できていれば、あぁ世の中がこう変わっていくんだなと察知したとき俊敏に判断がきく。反対に、自分がわからなければ、判断にも時間がかかる。先送りしているうちに選択肢が狭まってしまう。深い自己理解は、このご時世に自分らしく有意義に生きていくために、けっこう鍵になると思う。

今回人前で話すことをやってみて、やっぱり私は話し手というより構造づくりの人間だなとつくづく思ったのだけど、いくつかお話をいただいていたりもあり、あまり活動の幅に制限を設けず(でもまぁ裏方の構造づくりを主軸にしつつ…)自分のできることをコツコツやっていこうと思う。

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