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2013-01-27

極上の一本を選ぶ

一つ前の話で、冷蔵庫に水しか入っていなかったと書いたが、私はどうも家単体でなく、家と街とあわせて「住まい」ととらえている感があって、食べ物は近所のスーパーやコンビニに置いてある、という感覚で暮らしている。

実家に住んでいるときはそんなことはなかったのだが、ひとり暮らしとなると「狭い」ことが前提になるので(あ、そうじゃない人もいると思いますが…)、おのずと全部の機能を家に求めなくなったということか。ひとり暮らしの家とは、どうも感覚的に「家」ではなく「部屋」どまりなのである。

部屋の中だけでは狭いし寒いし閉塞してしまう。だから、本を読んだり文章を書いたりぼーっとしたりするときは、暖をとりつつ開放感をもって過ごせる近所の喫茶店に出かける。人がリビングでテレビやDVDを観る感覚に近く、映画館に足を運んで物語を愉しんだりする。テレビ鑑賞に比べれば頻度は圧倒的に少ないが、それも個人的にはちょうどいい。

ある意味ものすごく贅沢で、ものすごくシンプルだと思うのだが、病気になって表に出られないとき、家の中に食べ物がなかったら困るでしょう!と言われれば返す言葉がない。

でもこのシンプル生活観はけっこう私の暮らしに馴染んでおり、「場所」に限定せず「媒体」選びにまで発展している感がある。例えば、寝る前にちょっと人の声が聴きたいなぁと思うときは、ラジオ/Podcastを流す(我が家は基本無音である)。映像を愉しみたいときにはYoutubeなどを観ることもあるが(我が家にはテレビがない)、映像で物語世界を堪能したいときには映画館に行く。文字で物語や人の考えに触れたいときは本を開く。

声が聴きたいときは音声のみ。物語を観たいときは音映像全部入りの空間に身を閉じ込めてどどーんと。思考に触れたいときは研ぎ澄まされた言葉に絞って堪能。贅沢!シンプル!それが得られるというだけでなく、他の余計なものがついてこないところがいい。刺激の種類が多ければそれだけ豊かというものではない。限定された刺激を受け取って、自分の中に広がる世界の豊かさを大事にしたい。

力は、使い続けなければ必ず廃れる。極上の一本から繊細な刺激を感受する力を、損ないたくないという恐れ、ずっとずっと伸ばし続けたいという願いが根底にあるのかもしれない。なので、シンプルな対称性が成り立つ刺激を無意識に選んでいるような。

放っておくと、昔テレビっこだった私は「なんでもテレビ」になってしまいそうなのだ。だから未だに怖くて家にテレビを置けない。ラジオとか聴いていると、音1本にしぼって伝えるということが、なんて豊かな伝達となりうるかを実感する。もちろんそこは、ラジオパーソナリティから裏方で番組作りをする人まで、その道のプロの力が結集してそうなっているのだろう。またポール・オースターは「書物はそれが書かれたときと同じ慎重さと冷静さとをもって読まれなければならない」と書いている。

受け取る側の私もそれに応え続けられるよう、願わくばこのシンプルな選択を続けて、それを味わえる極上の媒体を選び、その繊細で濃密な発信を存分に味わえる感受性を鍛え続けたい。

考えてみれば、人とのコミュニケーション手段もそうで、昔は長電話、長メールもよくしたものだけど、最近は会えるものなら直接会って1対1で数時間話し込むというのが一番多い。これも自然とそうなっていったのだが、すごくシンプルな帰着だと思う。人間、人に会えるのは生きている間だけなのであり、直接に会うことでその場で感受できる質・量こそ半端ないものだし、そういう自分であり続けたいと思うのだ。

※前後で、話がつながっているようでいて、つながっていないように感じると思うが、つながっているということにして、やり過ごしてほしい。

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