« イヤホンすると腰が重くなる | トップページ | ニッチな少額決済ストアの興隆 »

2012-12-08

表面もみること、みせること

名の知れた企業がものを売り込む活動を「いやしいもの」とみる向きは、ちょっと度を超して先入観っぽくなってきていないか不安を覚えることがある。ネット広告の反応に顕著だけど、企業が何か発信すると、「うわっ、売り込み、いやしい」というような反応が、ほとんど条件反射的に返るよう学習されてやしないか。

タイミングが悪い、空気読めてないとかあるのかもしれないけど、世の中いろんな人がいるように、法人にもいろいろある。コミュニケーションの取り方だって人それぞれの性格に依るように、法人にもそれぞれの性格があり、コミュニケーションの得手不得手もある。奥手もあればイケイケドンドンもあって、消費者にしてみれば気の合うものも、生理的に受けつけないものも出てくる。

けど、人間同様に法人も、そういういろいろがあるから世の中は潤い、お互いの協力が意味をなし、世界は前進するのだ。そういう多様性を前提にすると、「あいつは空気読めなくていつもタイミングはずすけど、実は的を射たこと言ってるし、何気にここぞってとき頼りになるよな」という法人の立ち方も成立する。

集団とか社会っていうのはそういうふうに、お互いの表(おもて)面を率先してとらえあおうとしてこそ、創造的につきあえるもんじゃないかって思う。法人も神様じゃないんだから、万人受けの完璧とはいかない前提でつきあっていかないと、お互いを活かしあって補完しあって生きていけない。疲弊しあってどうするのかと。

情報化社会の過渡期じゃ、気の合うもの合わないものいろいろ接触機会が増えるのは必然と思うので、受け手としては気の合わないものには体力使わずスルーして、気の合うもの、これは素敵だわーと思うものに意識を向けて時間を割いていけば、時代に対応した快い暮らしを営めるのではないかと思うのだが。

そうするとけっこうバランスよく気の合う人と法人が分散してつながりあい、本当に市場性のないものは消えていったり変容していったりして、うまいこと治まるのではないかとも楽観的に思うのだが。

とはいえ、こんなものが存在するのは許せん!という正義感が働いて、気は合わないがあえて立ち向かうという人もあるだろうし、とにかく晴らしたい鬱憤を抱え込んでいて、身近な人にあたるわけにいかないから、この広告を肴に晴らすという人もあるかもしれず、それはそれで人の活動として起こるものだなぁとも思う。

ただ、ひとつ気がかりなのが、裏面ばかり論じられる様子が日常風景となった若い人たちがあって、物事の裏面を本当のこととして、表面は建前であって全部偽物だというふうに誤認してしまわないか、ということだ。

実際、中の人に会えば、ものすごい真剣に世の中に貢献したいと思ってものづくりにあたっていたり、開発の人が丹念につくったものを潜在的に欲する人たちにいかに届けるか頭を悩ましていたり、このお客さんならきっとこれ役に立つ!と心から思って販売していたりする人がいるわけでしょう。いや、いるんです。周囲にそんな人いないと思うんだったら、つきあう人変えたほうがいいのでは?と思うほどたくさんいる(そういうモチベーションの人一辺倒の企業がいい企業とも思わないが)。

で、買い手にしても、実際それを買って己の生活が豊かになったり、何かの問題が解決してすっきりしたりしているわけでしょう。当たり前になると、生活に組み込まれちゃって意識にのぼってきづらいけど、それがなかったときに比べて、ずいぶん気持ちいい生活ができている。

それ、その人たちの力がなかったら、そんなにうまいこと手に入らなかったわけで、いろんな人の作ったもの、届けてくれたものに支えられて暮らしを営んでいるのが実際。それは、意識の上ではいやしいと反射的に思っているかもしれない企業活動の表面の力に支えられている。

裏面をみるなというんじゃないし、裏面もそれはそれであると知っていていいと思うし、時に糾弾するのもいいと思うけれど、表面もそれはそれできちんとあるものとして見られるように、自分の意識を健全に保っておくことってすごく大事だと思う。表面をないものと見たり、全部嘘だと見えるようになってきたら、それはちょっと偏狭というか、短絡的にものを見ていないか内省する必要があるなと。

昔、ドイツに旅行に向かうときに飛行機で隣り合わせた男の子と、ひょんなことから経由地の韓国までずっとおしゃべりをしたことがあって。当時27歳だった私は、仕事の話を多くした。学校を出たばかりという彼は、どうもサラリーマンというのをひとくくりに、ひどくくたびれた創造的でない仕事をする人とみているふうがあって、私は自分がすごく仕事を楽しんでいて、私の周りにもそういう人がたくさんいることを話した。話の終わりに彼が「仕事が楽しいって言う人に生まれて初めて会った」と言っていたのが印象的で、今も時々思い出す。

社会のすべてが薄汚れているわけじゃないし、そこら中の大人がくたびれているわけじゃないし、広告のすべてがいいように消費者をだましているわけじゃないし、サラリーマンのすべてが上司にへつらってお金のためだけに仕事してるわけじゃない。そういうこと、社会の表面を、もっときちんとみて、もっとみせていかなきゃ、と思ったりする。

« イヤホンすると腰が重くなる | トップページ | ニッチな少額決済ストアの興隆 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/56452/56277944

この記事へのトラックバック一覧です: 表面もみること、みせること:

« イヤホンすると腰が重くなる | トップページ | ニッチな少額決済ストアの興隆 »